近畿植物同好会 掲示板
★投稿用パスワードは不要です。誰でも、どしどし投稿できます。
| トップに戻る | 検索 | アルバム | 管理用 |

投稿されたタイトル(テーマ・話題)に関連して投稿する場合は【返信】をクリックしてください。
お名前
タイトル
画像添付
編集キー ( 記事を編集・削除する際に使用 )
文字色

●【投稿編集・削除】各投稿記事右上に表示されている、えんぴつのアイコンをクリックし、編集キー入力画面を表示。投稿時設定した編集キーを入力し[認証する]をクリック。
●【ワード検索】の使い方・・・・入力欄に検索対象により 1番目 [投稿文]、2番目 [投稿者名]、3番目 [タイトル] のどれかに検索ワードを入力
●【フォトアルバム】の使い方・・クリックすると投稿された全画像を新しい順に一覧表示。画像は正方形で中央部を表示。クリックで拡大表示。ただし投稿文までジャンプしません。
牧野富太郎関連の実在の人物の経歴など 藤井俊夫 投稿日: 2023年08月05日 09:55:17 No.776 【返信】

NHKの「らんまん」は、当時の日本の植物学の発展に寄与した人物の人間模様を劇的に演出する架空のドラマです。
●NHK連続テレビ小説「らんまん」概要
https://www.nhk.jp/p/ranman/ts/G5PRV72JMR/
上記siteの、「この番組について」を参照。

実在の学会誌名や、架空の新種記載の論文を用いるから、どこまでが事実で、どこまでが虚構なのか、曖昧になっています。
人物関係や行動がすべて日記などで残っているわけでもなく、再現ドラマでもありません。
このことを踏まえたうえで、観賞するべきでしょう。

************●以下は、各種文献等から抜粋した、実在の人物の経歴です●***************************

●科博のsiteに、矢田部良吉の紹介がありました。
以下に、矢田部亮吉、松村任三、大久保三郎、牧野富太郎、マキシモヴィッチの経歴を記述します。

●矢田部亮吉デジタルアーカイブより
以下のsite
https://dex.kahaku.go.jp/yatabe
このsiteも以前の掲示板に掲載したはず?

「らんまん」の登場人物と実在の人物との関係は?。コオロギラン、ムジナモの原記載・植物画など 藤井俊夫
投稿日: 2023年07月28日 15:30:55 No.768 【返信】に、載せています。
***************************************
①トップ:文明開化の科学者・矢田部良吉の生涯
 第1章 洋学修行
 第2章 アメリカ留学
②第3章 植物学教室の立ち上げ
 第4章 新体詩とローマ字運動
 第5章 女子教育
③第6章 植物学研究
 第7章 教育と学問
④第8章 波瀾の生涯
上記、①から④が、植物学教室関係だと思います。

上記の文章に、矢田部教授の功績(第1章から第7章)と、「1899年の不慮の水難事故、激烈な性質(第8章)」について記述されています。
これも以前の掲示板にsiteを引用していたはずです。
1891年に非職となる。
この前後、1890年に松村任三が教授になっていました。下記、人物年表を参照。

掲載資料一覧のsite
https://dex.kahaku.go.jp/yatabe/archives
***************************************
●矢田部良吉:(1851年10月13日(嘉永4年9月19日) - 1899年(明治32年8月7日)

明治10年(1877年):東大が設立される。理学部教授に就任。
明治15年(1882年)2月25日、東京植物学会(現・日本植物学会)を設立し、会長に就任。
明治23年(1890年)11月、東京大学に出入りして研究をしていた牧野富太郎に対し、大学の書籍・標本を使って自著を編纂することを止めさせる。
【牧野が、ムジナモ発見の報告】
明治24年(1891年)3月、教授職を非職となる。
(●藤井注:この後は、植物学教室の文献や標本資料を自由に使えなくなり、牧野とも会う機会がないので、ムジナモの細密画の発表(1893年)に
 ついては、知らなかったと考えるのが自然です)
明治27年(1894年)3月、非職満期により免官。
明治32年(1899年)8月7日、鎌倉沖で遊泳中に溺死。
 ※:以上、日本語版Wikipediaより
***************************************
●松村任三(1856年2月14日〔安政3年1月9日〕- 1928年5月4日)

東京帝国大学理学部植物学教室教授、附属小石川植物園の初代園長。
1877年、東京大学小石川植物園に奉職し、矢田部良吉教授の助手となる。
1890年、帝国大学理学部植物学科の教授に就任。【牧野がムジナモ発見の報告を学会誌に発表】
1891年 (●矢田部が教授職を非職となる)
1893年 牧野を助手として採用。【牧野がムジナモの細密画を学会誌に掲載】【牧野:31才】
1897年、東京帝国大学理科大学附属植物園に園長職が設けられ初代園長に就任。
1922年、東京帝国大学退官。
1928年、脳溢血のため、東京の自宅にて死去。
※:以上、日本語版Wikipediaより
***************************************
●大久保三郎(1857年6月14日(安政4年5月23日) - 1914年(大正3年)5月23日)は、日本の植物学者。

1878年(明治11年)に内務省に務めた後、東京大学御用掛、小石川植物園の植物取調に任じられた。
1883年(明治16年)助教授に昇進し、矢田部良吉を補佐し、標本施設拡充に貢献した。
1889年(明治22年)に『植物学雑誌』に牧野富太郎と連名でヤマトグサを日本で初めて学名をつけて発表した。
1895年(明治28年)三好学がドイツ留学から帰国すると、大学を非職となる。
※:以上、日本語版Wikipediaより
***************************************
●牧野 富太郎(まきの とみたろう、1862年5月22日〈文久2年4月24日〉 - 1957年〈昭和32年〉1月18日)

1884年(明治17年)22歳で東京大学理学部(後の帝国大学理科大学)植物学教室の矢田部良吉教授を訪ねる。
1887年(明治20年) 25歳で、同教室の大久保三郎や田中延次郎・染谷徳五郎らと共同で『植物学雑誌』を創刊。
1888年(明治21年)26歳で『日本植物志図篇』の刊行を自費で始めた。一目ぼれした小澤壽衛(14歳:母親が営む芸妓置屋や菓子屋で
    貧しい生活を送っていた)と同居生活を始める。
1889年(明治22年)27歳で新種の植物を発見。(ヤマトグサの新種記載)
1890年(明治23年)28歳のときに東京府南葛飾郡の小岩町でムジナモを採集。
   同年、矢田部教授により植物学教室の出入りを禁じられ、『日本植物志図篇』の刊行も六巻で中断してしまう。
1891年にマキシモヴィッチが死去したため、ロシア行きを断念。:矢田部教授が非職に。
1893年(明治26年)31歳。矢田部非職後に東京帝国大学理科大学の主任教授となった松村任三教授に呼び戻される形で助手となった。
         ムジナモの植物画を植物学雑誌に発表。
1900年(明治33年)38歳。未完に終わった『日本植物志図篇』の代わりに新しく『新撰日本植物圖説』を刊行する。
         ●このころ、東大から「大日本植物志」が刊行され始める(1900-1911)
1905年(明治38年) 43歳。牧野の実家「岸屋」が経営難に陥り、「司牡丹」の前身に買収される。
1916年(大正5年) 44歳。個人で『植物研究雑誌』(wikipedia)を創刊。
    生活苦から収集した植物標本10万点を海外の研究所に売ることを決断する。
    池永猛(当時、京都大学の学生)が救済する。父の遺産から3万円で標本を購入し、牧野へ寄贈する形をとり、神戸に池永植物研究所を創設。     
1925年(大正14年)妻、壽衛が渋谷の料亭「いまむら」で稼いだ資金を使って、練馬区東大泉に邸宅を建てる。現在の練馬区立牧野記念庭園になる。
1927年(昭和2年) 65歳で東京帝国大学から理学博士を受ける。論文の題は「日本植物考察(英文)」。同年に発見した新種の笹に、翌年死去する
    妻の名をとって「スエコザサ」と名付けた。
1928年(昭和3年) 66歳。妻、壽衛死去。
1940年(昭和15年)78歳。東京帝国大学を退官後、研究の集大成である「牧野日本植物図鑑」を刊行。
1957年(昭和32年)、死去。享年95(満94歳没)。
1958年(昭和33年)東京都立大学理学部牧野標本館(MAK)開館。高知県立牧野植物園・練馬区立牧野記念庭園開園。

結局牧野は帝大に必要な人材とされ、助手時代(1893年(明治26年)9月11日)から計約46年間、大学に留任している。
 ※:以上、日本語版Wikipediaより
***************************************
●都立大 牧野標本館(MAK)。:牧野標本、約40万点を収蔵。
https://www.biol.se.tmu.ac.jp/herbarium/
https://www.biol.se.tmu.ac.jp/herbarium/id-3.html
●高知県立牧野植物園:植物標本庫は2000年から(約30万点を収蔵)
https://www.makino.or.jp/
●練馬区立牧野記念庭園:牧野富太郎の邸宅跡を利用。
https://www.makinoteien.jp/
***************************************
●カール・ヨハン・マキシモヴィッチ(Carl Johann Maximowicz または Karl Johann Maximowicz)(1827年 - 1891年)

1853年 東アジア歴訪
1859年 調査結果を「アムール地方植物誌予報」として学会に提出する。
1860年ー1864年2月まで日本に滞在。滞在中に、日本に滞在中のシーボルトと面会している。
1861年 ●須川長之助(すかわ ちょうのすけ、1842年3月17日(天保13年2月6日)- 1925年(大正14年)2月24日)
     マキシモビッチに代わり、日本の植物採集を行った。チョウノスケソウに名を遺す【牧野が長之助を記念し、和名に献命した】。
1891年 マキシモビッチ死去。

※:以上、日本語版・英語版Wikipediaより
***************************************
●Komarov Botanical Institute of RAS(LE)
ロシア科学アカデミー:コマロフ植物研究所(サンクトペテルブルグ植物園)

1714年にピヨートル1世の命令でつくられた、薬草園が始まり。
The Institute's LE Herbarium has approximately 200,000-250 000 specimens from Latin America in storage.
マキシモビッチが植物研究をした舞台。

 ※:以上、日本語版・英語版Wikipediaより
***************************************
***************************************
●矢田部良吉が命名にかかわったと思われる植物。(Y-listから作成)

Elaphoglossum tosaense (Yatabe) Makino  ヒロハアツイタ 標準:Makino in Phaner. Pter. Jap. Ic. Ill. 1: t. 53 & 54 (1901)
Elaphoglossum yoshinagae (Yatabe) Makino  アツイタ 標準:Makino in Phaner. Pter. Jap. Ic. Ill. 1: t. 51 & 52 (1901)
Goniophlebium someyae (Yatabe) Ebihara  ミョウギシダ 標準:Ebihara in Bull. Natn. Mus. Nat. Sci. Tokyo 38: 119 (2012).
Micropolypodium okuboi (Yatabe) Hayata  オオクボシダ 標準:Hayata in B.M.T. 42: 341 (1928)
Tricyrtis nana Yatabe チャボホトトギス 標準:B.M.T. 7: (39), t. 3 (1893)
Goodyera hachijoensis Yatabe var. hachijoensis  ハチジョウシュスラン 標準:B.M.T. 5: 1, t. 19 (1891)
Polygonatum amabile Yatabe  ヒメナルコユリ 標準:B.M.T. 6: 279, t. 8 (1892)
Corydalis pallida (Thunb.) Pers. var. tenuis Yatabe  ミヤマキケマン 標準:B.M.T. 6: (99) (1892)
Hylomecon japonica (Thunb.) Prantl et Kündig f. lanceolata (Yatabe) S.Akiyama  ホソバヤマブキソウ 標準:in K.Iwats. et al., Fl. Jap. 2a: 445, in adnot. (2006)
Thalictrum watanabei Yatabe  タマカラマツ 標準:B.M.T. 11: (307), t. 9 (1892)
Peltoboykinia watanabei (Yatabe) H.Hara  ワタナベソウ 標準:B.M.T. 51: 252 (1937)
Syzygium cleyerifolium (Yatabe) Makino  ヒメフトモモ 標準:Makino in B.M.T. 16: 15 (1902)
Maackia tashiroi (Yatabe) Makino  シマエンジュ 標準:Makino in B.M.T. 16: 34 (1902)
Spiraea nipponica Maxim. var. tosaensis (Yatabe) Makino  トサシモツケ 標準:Makino in B.M.T. 20: 28 (1906)
Euonymus lanceolatus Yatabe  ムラサキマユミ 標準:B.M.T. 6: (179) (1892)
Diplomorpha albiflora (Yatabe) Nakai  ミヤマガンピ 標準:in Nakai J.J.B. 13: 881 (1937)
Dianthus shinanensis (Yatabe) Makino  シナノナデシコ 標準:in Makino B.M.T. 17: 58 (1903)
Kirengeshoma palmata Yatabe  キレンゲショウマ 標準:B.M.T.4: 433, t. 18 (1890)
Primula nipponica Yatabe  ヒナザクラ 標準:B.M.T.4: 357, t. 13 (1890)
Primula tosaensis Yatabe var. tosaensis  イワザクラ 標準:B.M.T. 4: 391, t. 14 (1890)
Leptodermis pulchella Yatabe  シチョウゲ 標準:B.M.T. 4: 356, t. 12 (1890)
Physaliastrum echinatum (Yatabe) Makino  イガホオズキ 標準:Makino in B.M.T. 28: 21 (1914)
Miricacalia makinoana (Yatabe) Kitam.  オオモミジガサ 標準:Senecio makinoeanus Yatabe in B.M.T. 6: (115), t. 3 (1892)
Sium suave Walter var. ovatum (Yatabe) H.Hara  ヒロハヌマゼリ 標準: in B.M.T. 5: 73, t. 22 (1891).
***************************************
矢田部教授は、1887年に植物学雑誌を創刊し、1899年、鎌倉沖で遊泳中に溺死するまでの12年間で、24種の植物を記載していることになります。
***************************************

●蛇足
以下は、植物(薬草)を扱っている関係者がすぐにおかしいと気づく場面

【連続テレビ小説】らんまん 第06週「ドクダミ」: 

ドクダミ:臭い成分はラウリン酸アルデヒドなど。熱を加えると、匂いは消える。
ドラマでは、槙野が盗まれた植物標本を匂いで見つけたとしているが、ドクダミの臭い成分である「デカノイル・アセト・アルデヒド」などは、熱や乾燥に弱く揮発性なので、標本をつくって長期間放置すると臭いは消えてしまいます。
標本をつくって、高知から東京まで運ぶ時間を考慮すると、臭いは消えているはずです。

植物標本で、匂いが長く残るのは、ミカン科(サンショウなど)、クスノキ科(ニッケイなど)、香辛料に使う植物と、オミナエシなどがあります。
オミナエシは中国では「败酱(廃醤)」と呼び、その名の通り、乾燥すると醤油の腐った臭いがします。
植物を収蔵している標本棚で、匂いで標本のありかがわかる数少ない植物のひとつになります。
植物の専門家が監修しているなら、「オミナエシ」を使ってほしかったと思います。
***************************************

●牧野富太郎の家族(Wikipediaより)

祖母・浪子
父・佐平
母親は、早くして亡くなる。

妻・壽衛
長女・香代
次女・鶴代(母・壽衛の没後は父の研究と生活をささえた。孫は牧野記念庭園記念館の学芸員・牧野一浡(かずおき)。
長男・春世
次男・百世
三男・勝世
三女・己代
四女・玉代

**********★Wikipediaなどから★************
●逸話
富太郎の金銭感覚の欠如や、周囲の人にたいする彼の振る舞いにまつわる逸話は多い。
植物だけではなく鉱物にも興味をもち、音楽については自ら指揮をとり演奏会も開き、郷里の音楽教育の振興にも尽力した。
妻が始めた料亭の収益も研究につぎ込んだという。その料亭の件や、当時の大学の権威を無視した出版などが元で大学を追われたこともある。
●発見、命名した植物
命名は1500種以上とされる。
https://www.biol.se.tmu.ac.jp/herbarium/id-3.html
●収集した標本、蔵書
牧野の個人所蔵標本で、40万点と言われる。重複標本を除いた16万点が都立大・牧野標本館(MAK)に収蔵されている。
https://www.biol.se.tmu.ac.jp/herbarium/id.html
蔵書数は6万点と言われる。高知県の牧野富太郎記念館に収蔵されている。
高知県立牧野植物園, 2002.7。牧野富太郎蔵書の世界 : 牧野文庫貴重書解題。
https://www.makino.or.jp/spot/detail.php?id=10


●追伸
今日はこれから植物園案内(熱中症警戒アラート発令なので、室内で)
行事案内にも書いてました。
牧野富太郎関連の人物を調べるのに、2日もかかってしまった。


ワタスゲ、タテヤマチングルマ、シロバナタテヤマリンドウ 磯野久美子 投稿日: 2023年08月04日 06:43:05 No.775 【返信】

7月28日夜行で出発して、29日早朝より9年ぶりに立山を歩いて来ました。
コースは室堂バスターミナル(標高2450m)から室堂平→ミドリガ池→ミクリガ池→地獄谷→天狗平→餓鬼田→弥陀ヶ原ホテル前(1930m)まで。
室堂で立山玉殿の湧き水を汲んで出発。
お花を見ながらお散歩気分で歩けるだろうと、よく調べもせずにツアーに参加したら、甘いでした。
現地ガイドさんによると、たまに登山客が流れて来るだけのマイナールートということで、とても荒れていました。
弥陀ヶ原は以前とは植生が随分変わって来ているそうで、笹が生い茂り、ジャングルのようになっているのをつい最近切り開いて下さったばかりとかで、なんとか通れましたが、木道もボロボロガタガタで、慎重に歩かざるを得ませんでした。
おまけに一箇所、修験道の行場だったという鎖場がいくつもいくつも連続する厳しい急斜面(崖?)があり(獅子ヶ鼻岩~一ノ谷)、水量の多い谷川まで下りましたが、下ったからには登り返さねばならず、最初にガイドさんが雄山へ登るよりハードだと釘を刺された意味が分かりました。手持ちの中で一番しっかりした靴を履いて行ってよかったと思いました。
崖の途中には洞窟があり、弘法大師の像が祀ってありました。
雄山は子供たちや外国人観光客も多く賑わうので、足元の岩の形なども整えられ、登り下りも分けられたそうで、さらに歩きやすくなっているそうです。
幸いこの日は晴れて良かったですが、歩いている間は日差しがとても強くて暑かったです。
ゴールの弥陀ヶ原ホテルの玄関の温湿度計は日陰だったからか、雨がパラつき始めて曇って来たせいか、21℃、75%を示していて、冷房の入ったホテルの中より外の方が涼しいでしたが…。

笹が増えたから乾燥が進んだのか、乾燥が進んだから笹が増えたのかは分からないとのことでしたが、池塘も干からびていたり、ひび割れていたりするものが沢山あり、胸が痛みました。
それでも、季節の高山植物を沢山見ることができて、癒されました。
こちらも例年より花が少し早いようで、おかげで一面にワタスゲが揺れる光景を初めて見ることができ、嬉しかったです。
チングルマの群落の中にわずかに存在するというピンクがかったトキ色のタテヤマチングルマと呼ばれる個体にも出会えました。
晴れていたので、シロバナタテヤマリンドウやミヤマリンドウの花もパッチリ開花していました。
タテヤマリンドウはおびただしい数のシロバナを見ましたが、青花のタテヤマリンドウだと思って撮ったものはどれも「そばかす」が写っておらず、ミヤマリンドウだったようです。青花とは遭遇しなかったのかも…。
モウセンゴケの花も見ることができました。

目に留まった生物(見た順)
沢山見た花:ヨツバシオガマ、チングルマ、イワイチョウ、ウサギギク、ウラジロタデ、ハナニガナ、シロバナタテヤマリンドウ、ミヤマキンバイ、タテヤマアザミ、ミヤマアキノキリンソウ、ヤマハハコ、イワオウギ、ミヤマリンドウ、ハクサンボウフウ、ダイモンジソウ、ワレモコウ、オオハナウド、ノビネチドリ(1か所群落があった)、ミヤマダイコンソウ、タテヤマタンポポ(外来種のタンポポはややレモンイエローだそう。見つけ次第抜いているとのことで見かけず)、モミジカラマツ、シロバナニガナ、オオコメツツジ(4弁)、ミヤマホツツジ、キンコウカ、ミヤマホタルイ、モウセンゴケ、シモツケソウ、タテヤマウツボグサ、カラマツソウ、トリアシショウマ、オニシモツケ、エゾシオガマ
少し見た花:ヤナギラン、シナノオトギリ、クルマユリ、コバイケイソウ(今年は当たり年ではないそう)、トリカブトの仲間、ハクサンフウロ、イワカガミ、タテヤマチングルマ、オタカラコウ、ホソバノキソチドリ?、オヤマリンドウ、イタドリ(見つけ次第抜いているが、ラチがあかず困っているとのこと)、ギボウシの仲間、ゼンテイカ、ゴゼンタチバナ、キバナノカワラマツバ、シシウドの仲間
果実:イワカガミ、シラタマノキ、ミヤマヤナギ、ダケカンバの仲間、チングルマ、ハイマツ、ワタスゲ(果穂)、ショウジョウバカマ、クロウスゴ、アカモノ、サンカヨウ、エンレイソウ、ミズバショウ、
紅葉・黄葉:ガンコウラン(わずかに紅葉)、イワイチョウ(わずかに黄葉)、ナナカマドの仲間(わずかに紅葉)、
昆虫:ヒョウモンチョウの仲間を沢山見ました。弥陀ヶ原にいるのはコヒョウモンらしいですが。
ライチョウ:親子連れ

ライチョウについて(ガイドさんのお話より)
・最近多いのは一夫二妻。
・あるオスがずっと屋根の上にいたが、それは2羽の妻の居場所が見える場所だった。
・通常、自分の子以外は育てないのに、親が死んだよその子と出会う度に自分の子と混ぜて合計12羽まで連  
 れて育てた母鳥がいた。
・崖の上で8個卵がかえり、8羽のヒナ全部が次々崖から転げ落ちたが、全員無事だった。
・ライチョウはハイマツの実が好物だが、実際にはウラジロタデやハクサンボウフウなどなんでも食べる。   
 有毒なバイケイソウの類まで食べる。
 盲腸が人間の2倍(体重比)長く、盲腸で解毒する。
 ヒナは母鳥の盲腸糞を食べて毒を消化する能力を身につける。
 なので、ヒナだけで育てても育たない。

そのほか印象に残ったガイドさんのお話
・ハイマツの実は寒さに耐えるためか笠が開かないので、鳥が中をつついて種子をほじくり出して食べてく  
 れることで種子散布ができる。
 ホシガラスは頭が良くて、ハイマツの種子を土に埋める貯食をするが、95%その場所を覚えている。残り  
 の5%でハイマツが命をつなぐ。
・チングルマは成長の遅い木本なので、富山では小学生に「一踏み十年」と教えているそう。

写真
1枚目:ワタスゲ
2枚目:池塘(ワタスゲ、キンコウカ、ホタルイ)
3枚目:池塘の水面におちたワタスゲの綿毛
4枚目:干からびた池塘
5枚目:シロバナタテヤマリンドウ
6枚目:タテヤマチングルマ
7枚目:モウセンゴケ




「らんまん」のムジナモ 相良真佐美 投稿日: 2023年08月03日 15:35:41 No.773 【返信】

NHKドラマ「らんまん」でムジナモの論文で田邊教授の指導を記載しなかったので、万太郎は東大に出入り禁止になりました。

⾓野康郎先生の水辺通信 No.6 (2023.7.31)に
「⽥辺教授と連名にすることまで思いが⾄らなかった。そして東京⼤学植物学教室への出⼊りを禁⽌されます。ドラマでは、槙野万太郎が「むじなも Aldrovandia vesiculosa L.ノ発⾒」という論⽂を⼀⼈で書き、これが植物学雑誌に掲載されたことになっていましたが、こういう論⽂は実在しません。牧野富太郎は、⽇本の植物相を報告する”Notes on Japanese Plants, XIX”という英⽂論⽂の中でムジナモの発⾒をわずか7⾏で報告しているだけです。(以下略)」
とありました。

興味があったので、8月7日発売の「オリジナル普及版 牧野日本植物圖説集」(三四郎書館 2023)で調べてみました。
ムジナモは明治33年(1900)年8月1日発行の新撰日本植物圖説(第一巻 第八集 第38図版)に記載されていました。
その中には矢田部良吉教授(ドラマでは要潤の田邊彰久教授)に発見当時(1890)、標本を調べてもらって新種と分かったと書いてあります。(赤い傍点をつけました)
史実では牧野富太郎博士が東大に出禁になったのは、東大生でもないのに大学の蔵書を私物化して返却しないなどの理由だったらしく、ドラマを盛り上げるための演出のようです。

なお、矢田部良吉教授は、1899年に遊泳中に溺死していますが、1900年の新撰日本植物圖説の内容はすでに読んでいたのか気になります。


ムジナモの 発見の報告及び、植物画の出版について 藤井俊夫 投稿日: 2023年08月03日 18:47:14 No.774
ムジナモの 発見の報告及び、植物画の出版について。


以下の投稿ですでに藤井が指摘したはずですが、再掲します。

「らんまん」の登場人物と実在の人物との関係は?。コオロギラン、ムジナモの原記載・植物画など 藤井俊夫 投稿日: 2023年07月28日 15:30:55 No.768 【返信】

*********************************************************************
●ムジナモ発見の報告。235p.
①牧野富太郎。1890. in 雑録(p230-p236)○Aldrovanda vesiculosa L. 日本否ナ東京近郊ニ産ス。植物学雑誌。4(40):235-236p.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/4/40/4_230/_pdf/-char/ja

②牧野富太郎。1890. in 雑録(p424-p430)○むじなも(新稱)Aldrovanda vesiculosa L. 植物学雑誌。7(80):425p.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/4/45/4_424/_pdf/-char/ja
★上記報告で、和名を「ムジナモ」(新称)とした。

●ムジナモの植物画
牧野富太郎。1893. Notes on Japanese Plants, XIX。植物学雑誌(BMT)。7(80):285-286.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/7/80/7_80_285/_pdf/-char/ja
ムジナモの開花は、日中の数時間に限られる。
世界の植物学者が観察できなかった開花時の線画を精緻に描いていることが世界中を驚かせたことになります。
*********************************************************************
上記、①で日本新産の報告、②で和名を「ムジナモ」とするとしているが、どちらも査読を受けない「雑録」の形態で記述されている。
学会誌では、①原著論文(original article)、②報告(report)、③資料(data)までは科学的な齟齬が無いか査読を受けることになります。
その他、④意見(opinion)、⑤雑録(meroranndamのようなものか?)などは、査読の規定がなく、編集者の一存で掲載されることがあります。
牧野は、植物学雑誌(Botanical Magazine Tokyo、略称:BMT)の主催者であり、編集者でもあるので、①~③までの著作物は専門家の査読を受けることになりますが、④,⑤のような雑文(とまではいかないまでも)などは編集者の権限などでほぼ無査読で印刷されることになります。

ムジナモの細密画が正式に学会誌に発表されたのは、上記BMT:7(80):285-286(1893)となります。
この直前に、牧野は「Illustrations of the Flora of Japan」, to Serve as an Atlas to the Nippon-shokubutsushi [of J. Matsumura]. Tokyo(1890-1891)
牧野富太郎。1888-1891.日本植物志図篇。敬業社。東京。を出版しており、この中でムジナモの細密画を発表したかもしれません。
国会図書館などで、原著を閲覧すればわかるはずです。

上記の経過を整理すると、
①牧野富太郎。1888-1891.日本植物志図篇。敬業社。東京。でムジナモの細密画を掲載か?。【原本を確認しないと不明です】
②牧野富太郎。1890. in 雑録(p230-p236)○Aldrovanda vesiculosa L. 日本否ナ東京近郊ニ産ス。植物学雑誌。4(40):235-236p.で、発見の報告。
③牧野富太郎。1890. in 雑録(p424-p430)○むじなも(新稱)Aldrovanda vesiculosa L. 植物学雑誌。7(80):425p.で和名を「ムジナモ」とする。
④牧野富太郎。1893. Notes on Japanese Plants, XIX。植物学雑誌(BMT)。7(80):285-286.で、正式に学会に植物画を発表という順番になると思います。

ここで問題になるのは、全ての出版物、論文が牧野の単独著作として発表されています。
このことが矢田部教授の怒りを買ったものと考えられます。

また、すでに指摘されているように、牧野は大学の蔵書を借りたまま長期にわたって返却せず、そのことも問題になったとされています。
矢田部教授は、1891年(明治24年)3月、教授職を非職となっています(今でいう、休職扱いのようなものか)
多分、大久保三郎(ヤマトグサの原記載者)が跡を継いだのかもしれません。


盛夏の巨椋池干拓地から 伊吹寛子 投稿日: 2023年08月02日 20:37:23 No.772 【返信】

日中の暑さに閉口して、最近は時々朝6時過ぎから巨椋池干拓地の田圃や、その近くの公園を徘徊しています。すでにイネが背丈40-50㎝になった田圃には水がない時もあり、田植えのころに見られた水中の生き物も姿を消しましたが、代わりに時々小さなカエルに道を遮られます。畦ではヒレタゴボウが鮮やかな黄色の花をつけ始め、エノキグサに小さな穂が見え、幸か不幸かクラピアの花が去年より広範囲で見られます。目の覚めるように鮮やかな青いツユクサの花に混じって、マルバツユクサも早朝には控えめな花を咲かせています。私の力では、なかなか珍しい植物は見つけられませんし、歩く範囲も600ha余の干拓地の田圃のホンの一角ですが、出会った中の数点について記したいと思います。

去年、この干拓地で田中光彦さんに教えていただいて初めて知ったニセシマニシキソウに、今年は干拓地内の別のところで一株だけ出会いました。巨椋池干拓地に詳しい方によると、その方がニセシマニシキソウを最初に同干拓地で見られたのはおそらく私が今回出会った場所の近くで2012年ということで、しかもたくさん見られたとのことです。もっとも当時はニセシマニシキソウが認識されておらずシマニシキソウと誤認されていたそうです。これからもあちこちで見られるのでしょう。気をつけて観察していきたいと思います。

珍しくはないですが、去年、この干拓地でコナギを見たときに、アメリカコナギもずいぶん探したのによう見つけませんでした。ところが、今年はアメリカコナギを何カ所かで見かけています。7月末の午前7時前に、数十個の蕾の中に白い花が一個だけ咲いているのを見て、1-2日で全部咲くだろうなと思ったのですが、同じ日の1時間後に再度見ると、蕾だった物がイネの足元に白い星を散りばめたように一斉に開いていて驚きました。開花時刻が7時から8時の間のようです。尚、この干拓地内で去年の観察会でお世話になった坂東忠司先生はミズアオイも見ておられますので、気をつけたいと思います。

キクモ?コキクモ?は、この春「近畿植物同好会々誌」第46号でご報告させていただいた経過で去年出会う幸運をいただき、その後、他の数カ所でも出会って観察に夢中になりましたが、今年もやはり気になって、去年の生育地を再訪しています。ところで、キクモとコキクモについて、角野康郎先生はキクモの果実が「無柄であることが…コキクモとの識別点」とご著書『日本の水草』に書いておられますが、続けてキクモに「稀に短い柄をもつ果実が混じる」と記しておられます。その「稀に」の存在はなかなか私には難題で、観察していたものがどちらか判断できませんでした。それが今年1月に大阪市立自然史博物館の横川昌史氏のお世話で角野康郎先生に標本を見ていただくことができて、コキクモと同定していただけました。とても感謝しています。

昨秋のイネ刈り後に、霜がおり始めても紅葉した葉をつけて健気に花も咲かせていたそのコキクモですが、流石に年末には枯れ、田植えまでには何度も耕作機に踏みつけられ土ごと混ぜ返され、畦作りのためにペタペタ叩かれたにも拘わらず、7月12日には水中葉がチラホラ見られ、現在、8月初めには見える範囲の10mほどに亘って、数多く生育しています。昨秋、無数に落ちた種子から芽生えたと思われますが、抜いてみた物の根のようすから、耕作機による土の撹拌を生き残った、去年の茎から芽生えた物もあるようです。

干拓地と共に近くの人工の向島中央公園も私がよく通う場所ですが、そこで見慣れないツユクサの仲間と思う植物を見ています。節から根を出すのはミドリハカタカラクサと同じですが、葉は大きく、先端で長さ7-8㎝、長く地を這う茎の葉は10㎝を越えています。日当たりが悪いからか葉は表も裏も緑ですが色が薄く、確実にコレと思える花が見られないので待っています。

また同公園のオランダガラシについて、今年5月に角野康郎先生にムラサキオランダガラシとご同定いただきました。

去年夏に出会った花で、まだ姿を見ないものがあり、新たに出会いたい植物もあり、今後も徘徊老人と通報されないよう気をつけながら様子を見ていきたいと思います。

画像1:ニセシマニシキソウ 2023年7月15日
画像2:アメリカコナギ 2023年7月31日
画像3:コキクモ 2023年7月15日 今年は去年ここには見られなかったウキアゼナが数多く見られる。
画像4:ツユクサの仲間 根のようす 2023年7月30日
画像5:同上 葉
画像6:ムラサキオランダガラシ 2023年5月21日  花の周囲に見られる池を覆う紫色のものは、ムラサキオランダガラシの葉。 そのそばの緑の丸い葉は、巨椋池由来のアサザ。同定していただいたあと、アサザの生育の妨げにならないよう、繁茂していたムラサキオランダガラシをかなり減らしました。




大阪公立大学私市植物園で見たコウホネ類 植村 修二 投稿日: 2023年07月29日 15:09:07 No.769 【返信】

 お隣の枚方市が最高気温38.6℃を記録した昨日<2023年7月28日>、近畿植物同好会の観察会の下見と打ち合わせで大阪公立大学私市植物園に行きました。

 下見と打ち合わせを終え、午後に水草栽培のエリアを見て帰りました。

 ここではじめて2種のコウホネ類の開花を見ることができました。

 1つは、今年、この掲示板で話題になったヒメコウホネNuphar subintegerrimum (Casp.) Makinoで、もう1つがネムロコウホネN. pumila (Timm) DC. var. pumilaです。

 ネムロコウホネは、日本では北海道から本州北部に分布しているもので、こんな酷暑の時期に元気に育ち、花をつけているのが驚きでした。

ここに勤めておられた立花吉茂氏の著書、文研出版の水草?には、ネムロコウホネには黒星★がついていて、栽培困難となっていたように記憶しています。間違っておればごめんなさい。


ネムロコウホネは、サイコクヒメコウホネ? 藤井俊夫 投稿日: 2023年07月30日 06:18:01 No.770
●ネムロコウホネは、抽水葉が着かないはずです。写真では、浮葉が見当たらず、抽水葉のみで、葉の形状もネムロのような長楕円形(ジュンサイの葉に切れ目を入れた感じ?)ではなく、サイコクのような矢尻型です。
植栽の区画は、他の植栽植物と全て水路でつながっています。多分この水路を通じて、近隣の区画に植えていた他のコウホネ類の種子が侵入して繁殖したのではないでしょうか?
また、掲載されているラベルは古く、現在のヒメコウホネの形態や分布(三重県の伊勢志摩地方周辺に局限される)とも異なっています。
最新の分類体系を反映していないと思います。(以下の近植の投稿を参照。産地が不明なので、DNA判定が必要と思います)

★近植の志賀君の報文を参照のこと
志賀 隆・角野康郎,2005.ヒメコウホネ(広義)の分類と生育地の現状について.分類 5(2):113-122.(in Japanese)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bunrui/5/2/5_KJ00004651874/_pdf/-char/ja
志賀 隆,2010.水生植物コウホネ属(スイレン科)における「種」のあり方について.近畿植物同好会会報 109:13-15

●六甲高山植物園に植えている河骨は、サイコクヒメコウホネ? 藤井俊夫 投稿日: 2023年06月05日 23:02:04 No.675 【返信】
●サイコクは、雑種なのでDNA判定が必要です 藤井俊夫 投稿日: 2023年06月07日 19:51:04 No.679 NEW!!
●サイコクヒメコウホネです 藤井俊夫 投稿日: 2023年06月10日 16:42:36 No.690 NEW!!

昨日は、私市植物園で夜間開園(無料開放)があったので、遊びに行こうと思ったが、暑さで挫折した。
今日は、これから武田尾の観察会(申し込みが20人ほどあったが、暑さで辞退者が続出)
辻本 穣 投稿日: 2023年07月30日 13:02:56 No.771
植村 様、権藤様
金曜日は暑い中、打ち合わせの為にご来園ありがとうございます。
興味深いお話ばかりで、観察コース下見でも暑いのを忘れるぐらいでした。
当日は、楽しみにしております。
よろしくお願いいたします。

藤井 様
ご指摘ありがとうございます。
こちらでも再調査したいと思います。
昨日は、夜間開園でメタセコイアのライトアップをしていました。





「らんまん」の登場人物と実在の人物との関係は?。コオロギラン、ムジナモの原記載・植物画など

●コオロギラン: Stigmatodactylus sikokianus Maxim. ex Makino(1890-1891)
常緑樹林下に生える腐生植物と考えられているようです。
【開花・結実期だけ、地表に現れるのかもしれません】
全国版:絶滅危惧II類 .
紀伊半島、四国南部、九州南部、台湾に分布する。

命名者の間にある「ex」:前置詞で、「~から」の意味。
exの前の人物が命名したが、正式な記載とは認められず、exの後に記述された人物が正式な命名者とされます。
「マキシモビッチ」の学名(私信で仮の学名を牧野に連絡したか?)を参照して、「牧野」が以下の「日本植物志図篇」で正式に発表した。
マキシモビッチが1891年に急死し、牧野が「日本植物志図篇」で正式に発表したことになります。
*********************************************************************
●コオロギランの植物画●原記載は、以下の「日本植物志図篇」となります。

Illustrations of the Flora of Japan, to Serve as an Atlas to the Nippon-shokubutsushi [of J. Matsumura]. Tokyo(1890-1891)
牧野富太郎。1888-1891.日本植物志図篇。敬業社。東京。

印刷の経費は実家からの援助により自費出版する。(こんなことをするから、お金が足りないのか?)
この時期にドイツに留学していた松村任三(後の、小石川植物園の初代園長)が日本に帰国する。
注:上記書籍について。「牧野が「自ら手を下して真物より模写」した大型の精密で見事な植物画集である」、としている(俵浩三、1999。34p)。)
日本植物志図篇は、第11集が出版されたのを最後に(1891年)、中断し再開されることはなかった。
●コオロギランの、図は牧野が描き、学名をつけたのはマキシモビッチと推察されます(マキシモビッチが、発表前に私信で牧野に学名を伝えていたと考えられます)。

★藤井注
当時の植物学教室の教授は矢田部良吉であった。
矢田部は植物誌を編纂するのは大学の役割と考えていたが、外部からきた素人の牧野が大学の資料を利用して「日本植物志図篇」を作っていることに、快く思っていなかったらしい(俵浩三、1999。35p)。
このことをきっかけに、ロシアでマキジモビッチの助けを借りて、「日本植物志」を完成させようと考えたと思われる。
しかし、計画が実行される直前にマキシモビッチが急死したため、頓挫することになる。
(ツンベリーや、シーボルトの「Flora of Japan」のような体裁を目指していたのかもしれない。)

●植物学雑誌にコオロギランの報告が載ったのは、「日本植物志図篇」の出版とほぼ同時期です。当時、牧野:28才。
牧野富太郎。1890。雑録「土佐ニ於テ發見シタル新属ノらん科植物」。植物学雑誌。4(39):192-197.(197p)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/4/39/4_192/_pdf/-char/ja
横倉山で、矢野勢吉郎、吉永虎馬と牧野の三人で採集したと記している。
●「日本植物志圖篇第七集中第四十三版チ見テ知ル可シ」
上記の記述があり、「日本植物志図篇。7。(Fig.43)」で、発表する予定だとしている。
*********************************************************************
●ムジナモ発見の報告。235p.
牧野富太郎。1890. in 雑録(p230-p236)○Aldrovanda vesiculosa L. 日本否ナ東京近郊ニ産ス。植物学雑誌。4(40):235-236p.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/4/40/4_230/_pdf/-char/ja

牧野富太郎。1890. in 雑録(p424-p430)○むじなも(新稱)Aldrovanda vesiculosa L. 植物学雑誌。7(80):425p.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/4/45/4_424/_pdf/-char/ja
★上記報告で、和名を「ムジナモ」(新称)とした。

●ムジナモの植物画
牧野富太郎。1893. Notes on Japanese Plants, XIX。植物学雑誌(BMT)。7(80):285-286.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/7/80/7_80_285/_pdf/-char/ja
ムジナモの開花は、日中の数時間に限られる。
世界の植物学者が観察できなかった開花時の線画を精緻に描いていることが世界中を驚かせたことになります。
*********************************************************************


★ついでに牧野関連図書
●参考文献
俵浩三。1999.牧野植物図鑑の謎。平凡社新書。平凡社。660円
白岩卓巳。2008.牧野富太郎と神戸。神戸新聞総合出版センター。1600円。
渋谷章。2001.牧野富太郎。平凡社。平凡社ライブラリー。1000円。
高知新聞(編)2014.MAKINO~牧野富太郎生誕150周年記念出版~。北隆館。2420円。

●NHK朝ドラの関連書籍。
朝井まかて。2022.ボタニカ。祥伝社。1800円。

●コオロギランの彩色画(牧野原図)
高知県立牧野植物園(編)。1992.高知県立牧野植物園所蔵・牧野富太郎植物画集。
コオロギランの脚注に、明治22年(1899)牧野富太郎27歳の時、高知県越知町横倉山で発見命名(和名)。
世界的植物学者ロシアのマキシモビッチはこの植物画を絶賛した。と記述している。
 2001年12月に植物園の企画展示「不思議な果実展」を見に行った時に買った覚えがあります。
*********************************************************************
★NHKの「らんまん植物図鑑」より
※主人公は、実在の人物である牧野富太郎(1862―1957)をモデルとしますが、激動の時代を夢に向かって生きたある植物学者の物語として大胆に再構成します。
登場人物名や団体名などは一部改称して、フィクションとして描きます。原作はありません。
https://www.nhk.or.jp/archives/creative/ranman/zukan
NHK連続テレビ小説「らんまん」あらすじ
https://www4.nhk.or.jp/P8377/

歴史上の人物および所属などの名称
牧野富太郎(1862年5月22日 - 1957年1月18日。高知県高岡郡佐川町出身。近隣から「佐川の岸屋」と呼ばれた商家(雑貨業)と酒造業を営む裕福な家に生まれた。)
個人的に所蔵していた分だけでも40万枚に及び、命名植物は1,500種類を超える。→都立大の牧野標本館(MAK)に50万点(植物標本は16万点)が収蔵されている。
https://www.biol.se.tmu.ac.jp/herbarium/
実家の造り酒屋(屋号は、岸屋)現在の司牡丹が最終的に譲り受けた。

矢田部良吉:1877年(明治10年)8月、東京大学理学部教授となる。トガクシソウ(破門草事件)で有名。キレンゲショウマなどを記載。1891年(明治24年)3月、教授職を非職となる
伊藤篤太郎:1865-1941、は、本草学者で東京大学教授の伊藤圭介(1803-1901:1881年から東大の教授)の孫である。Ranzaniaを記載した(1888)。
大久保三郎:東京大学御用掛、小石川植物園の植物取調に任じられた。1883年(明治16年)助教授に昇進し、矢田部良吉を補佐した。
松村任三: 小石川植物園の初代園長(1877年)

→1893年に松村仁三が、牧野富太郎を植物園の助手として採用(ヤマトグサ(1889)、ムジナモ(1890)、コオロギラン(1890-1891)の報告の後になります)
 矢田部良吉は、すでに非職(今でいう、休職扱いのようなものか?)。
*********************************************************************
●劇中の名称と、実際の名称

●実際の名称        → ★テレビでの名称

●岸屋(後に司牡丹に譲渡される)        → ★峰屋
●牧野富太郎        → ★槙野万太郎(神木隆之介)
●矢田部良吉:東大植物学教室の教授 (1877-1891) → ★田邊彰久(要潤):教授  
●大久保三郎:東大植物学教室の助教授(1883-1895) → ★大窪徳三郎(今野浩喜):講師
●松村任三:→小石川植物園の初代園長(1897-1922) → ★徳永政市(田中哲司):助教授
植物園には1877年から(矢田部良吉の助手として)

●染谷徳五郎:東大植物学教室の学生        → ★波多野 泰久(前原 滉):2年生
●池野成一郎:東大植物学教室の学生        → ★波多野 泰久(前原 滉):2年生(多分、2人のキャラを合わせた登場人物か?)
  (1896年にソテツの精子を発見)
       (同年に平瀬作五郎がイチョウの精子を発見:植物園の画工)
●田中延次郎(旧姓:市川):1889年に卒業。 → ★藤丸次郎(前原瑞樹): 2年生       
       日本における最初の近代菌類学書、『日本菌類図説』を執筆した。
●白井光太郎:BMT・創刊号では「苔癬発生実験記」 → ★細田晃助(渋谷謙人): 4年生
●平瀬作五郎;画工(1896年にイチョウの精子発見) → ★野宮朔太郎(亀田佳明) :画工


●モデルが不明
→ 飯島悟(高橋里央) :3年生
→ 柴豊隆(岸野健太) :3年生
→ 山根宏則(井上想良) :2年生
→ 澤口晋介(犬飼直紀) :2年生


***********●以下は、藤井の勝手な想像です●****************************
当時の学生として、松田定久が在籍していた。
卒業後、当時、大阪の第二尋常中学校(現在の大阪府立三国丘高校)の教頭となっている(1895年)。
1896年に、高知県名野川で、ハイノキの標本を採集している。ラベルの読み間違いにより、大阪(和泉地方)の記録となっていた。
藤井俊夫。2014.大阪府にハイノキは産しない。近畿植物同好会々誌。37:30-33。
正しくは、以下。
ハイノキ:松田定久。1896.May.07.高知県吾川郡名野川村から泉。
当時の標本記録から、名野川村の小学校の先生であった渡辺協(ワタナベソウの発見者)、伊藤篤太郎(Ranzaniaを記載)とともに、鳥形山から名野川周辺で植物採集をしていたと考えるのが自然である。
●渡邉協について:高知県 仁淀川町観光協会
仁淀川町は牧野富太郎博士の裏庭 ~名野川村の小学校教師が発見したワタナベソウ~
https://www.niyodogawa.tv/news/news-15464/

★上記で、「モデルの人物が不明な」登場人物のいずれかは、「松田定久」をモデルにしたのかも知れない。

★対応関係が間違っているかも(TVドラマは、新しく作った架空のオリジナル・ストーリーです)


*********************************************************************

●放送週ごとのテーマ
【連続テレビ小説】らんまん 第01週「バイカオウレン」日本固有種。牧野がこよなく愛したとされ、高知の牧野植物園のロゴにもなっている。
【連続テレビ小説】らんまん 第02週「キンセイラン」牧野が命名。B.M.T.13: 128 (1899)
【連続テレビ小説】らんまん 第03週「ジョウロウホトトギス」マキシモヴィッチが命名。Bull. Acad. Imp. Sci. Saint-Petersbourg 32: 625 (1888)
【連続テレビ小説】らんまん 第04週「ササユリ」葉の縁が白くなる「フクリンササユリ」を記載発表する。
【連続テレビ小説】らんまん 第05週「キツネノカミソリ」オオキツネノカミソリを命名。Makino in Makinoa no. 9: 176 (1948), nom. nud., pro syn.
【連続テレビ小説】らんまん 第06週「ドクダミ」臭い成分はラウリン酸アルデヒドなど。熱を加えると、匂いは消える。
【連続テレビ小説】らんまん 第07週「ボタン」牧野著「植物知識」に解説が載っている。
【連続テレビ小説】らんまん 第08週「シロツメクサ」漢字表記は「白詰草」。言い伝えによると四つ葉のクローバーは幸運をもたらすが、このような考え方がいつ・どのように始まったかは明らかでない。
【連続テレビ小説】らんまん 第09週「ヒルムシロ」植物学雑誌の第1巻1号に牧野が論文を投稿している。1887 年。JJB: 1( 1): 2-8.
【連続テレビ小説】らんまん 第10週「ノアザミ」ノアザミの花言葉は、「触れないで」「独立」「素直になれない恋」「私をもっと知ってください」。高知市に薊野(あぞうの)という地名がある。
【連続テレビ小説】らんまん 第11週「ユウガオ」ヒョウタンの仲間、カンピョウの園芸品種。夕方から開花するので、日中の撮影には日長処理をした人工環境での栽培が必要。
【連続テレビ小説】らんまん 第12週「マルバマンネングサ」。牧野がマキシモビッチに送り、命名された。Bull. Acad. Imp. Sci. Saint-Petersbourg 32: 487 (1888)
【連続テレビ小説】らんまん 第13週「ヤマザクラ」日本植物志図篇に、精緻な線画が載せられている。牧野富太郎。1888-1891.日本植物志図篇。敬業社。東京。
【連続テレビ小説】らんまん 第14週「ホウライシダ」1892年、安芸市内の穴内、伊尾木洞などで採集している。
【連続テレビ小説】らんまん 第15週「ヤマトグサ」牧野が大久保と共著で(日本人だけで)、記載発表した記念すべき植物。in Makino in B.M.T. 3:5(1889, njn)
【連続テレビ小説】らんまん 第16週「コオロギラン」牧野が彩色画をマキシモビッチに送り、同定を依頼した。B.M.T. 4:197(1890), n.n.
【連続テレビ小説】らんまん 第17週「ムジナモ」牧野が精密な線画を描き、世界の植物研究者を驚かせた。Makino in B.M.T. 4:235 & 425 (1890, ntj, njn)
*********************************************************************
●上記の植物で、襲速紀要素(ソハヤキ要素)と考えられる植物
ジョウロウホトトギス、コオロギラン:牧野が新種として記載した植物に、ソハヤキ要素の植物が含まれてい居ることも、特筆すべきと思います。
(当時、東大の植物研究者は、四国・九州の植物を見る機会が少ないと考えられます)

●襲速紀要素の文献
行本では、少し古いが、
前川文夫。1977.日本の植物区系。玉川大学出版部があります。
Amazonで、500円程度(中古)

●日本の固有植物についての概説
国立科学博物館(編)。2011.国立科学博物館叢書⑪「日本の固有植物」。東海大学出版会。3800円。

●襲速紀要素:前原勘次郎「南肥植物誌」(1931)の前書きで、京都大学教授:小泉源一が使った言葉。
明確に定義されていないため、様々な解釈がなされています。
上記「日本の植物区系」で、定義づけられたと考えています。

●ソハヤキ型分布をする植物は、中国大陸の温帯域(雲南省周辺)を起源とする植物が多い。
堀田「植物の分布と分化」p276-p27を参照。絶版。
堀田満。1974.植物の進化生物学III.植物の分布と分化。三省堂。4600円。(絶版)
*********************************************************************

●小石川植物園で活躍した研究者:牧野富太郎
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/gallery/exhibits/bg001.html

●矢田部良吉デジタルアーカイブ
https://dex.kahaku.go.jp/yatabe

●矢田部良吉年譜稿
太田由佳・有賀暢迪.2016.矢田部良吉年譜稿。Bull. Nat. Mus. Nat. Sci., Ser. E, 39, pp. 27–58。
https://www.kahaku.go.jp/research/publication/sci_engineer/download/39/L_BNMNS_E39_27.pdf

大久保三郎・松村任三・染谷徳五郎・池野成一郎・田中延二郎・白井光太郎・平瀬作五郎は、Wikipediaを参照。

★大場秀章。2009.牧野富太郎伝に向けた覚書き。分類。9(1):3-10.
日本植物分類学会 第7回 東京大会 公開シンポジウム講演記録「牧野 富太郎 博士の植物研究とその継承 」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bunrui/9/1/9_KJ00005379905/_pdf/-char/ja

★増田芳雄。1996.日本における植物学の曙。人間環境科学。5:33-83。
file:///C:/Users/fujii/Downloads/KJ00000196022.pdf

東大植物学と植物画――牧野富太郎と山田壽雄
https://www.um.u-tokyo.ac.jp/web_museum/ouroboros/v24n3/v24n3_kurata.html

常設展:時を越える自然の証人 -東京大学収蔵・植物標本-
https://www.um.u-tokyo.ac.jp/web_museum/ouroboros/v13n1/v13n1_ikeda.html
牧野採集のムジナモ標本画像がある。

大場秀章(編)1996.日本植物研究の歴史:小石川植物園300年の歩み。
http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DKankoub/Publish_db/1996Koishikawa300/index.html
付録:明治十四年小石川植物園日誌。
*********************************************************************
●牧野富太郎が収集した植物関連書籍(6万点ともいわれる)
高知県立牧野植物園:牧野文庫
https://www.makino.or.jp/fixed/?page_key=science-facility
当時、高価な外国の洋書を個人でこれだけそろえるのは相当な金額になったものと考えられます。
(大学の図書室でも、これだけの予算が工面できないのでは?)
牧野が生涯に集めた植物標本は、40万点と言われています。
これら(書籍:6万点、植物標本40万点)を保存する倉庫も必要になるだろうし、個人での維持管理費用も大変なものだったと考えられます。


ダウンロード●2014大阪府にハイノキは産しない ( .pdf / 326.6KB )
ダウンロードコオロギラン ( .pdf / 211.1KB )


イワタバコ 磯野久美子 投稿日: 2023年07月24日 23:27:13 No.762 【返信】

7月22日、赤目を歩いて来ました。2019年秋の例会に参加できなかったので、赤目に来たのは子供の時以来かもしれません。昔から両生類・爬虫類が好きなので、赤目と言えばオオサンショウウオの記憶しかなかったのですが、思っていたより滝川の水量が多く、涼しくて、改めていい所だなあと思いました。カジカガエルの声も聞こえて、嬉しかったです。
渓流沿いにイワタバコの花を沢山見ました。どの個体も沢山蕾をつけていて、開花したものも3割位はあったでしょうか。
イワタバコは花の大きさに比べると全体に葉が大きいと思いますが、中にはとてつもなく大きな葉の個体もありました。しかし、岩壁一面に小さな葉がびっしりと出ている所もあちこちにあり、ああ、これがあそこまで細胞分裂して大きくなって行くのだなあと思うと、ちょっと感動しました。
ウィキペディアで、イワタバコの若葉は山菜として昔から食べられて来た事を知りました。
イワタバコのほかに目についた花はハグロソウ、ダイコンソウ、ハエドクソウの仲間、朝ドラで話題になったマルバマンネングサ、ギボウシの仲間。またいずれも1個体だけでしたが、ノギラン、キランソウの花も見ました。
葉しかありませんでしたが、葉の形が気に入っているアギスミレの群落も目を引きました。私の好きなマツカゼソウもありました。
マツカゼソウはシカが食べないので、どこにでも沢山ありますが、私は花がない時でも、この葉の形や全体の姿が好きです。独特のニオイも嫌いではありません。オトナになって山歩きを再開した頃、山道の両側に延々とこのマツカゼソウが続いている所があり、こんなに美しい植物がこんなに沢山あるのに、私は名前も知らないなあと思って、イチから自力で名前を調べたら名前が松風草とこれまた風流で、以来、私にとってはスペシャルな植物となりました。
岩窟滝からは、出合茶屋を経て赤目口駅まで歩きました。途中、ヒグラシの大合唱がサラウンドで聞こえ、まるで極楽浄土に来たかのように心地よかったです。道路を渡るカモシカとも遭遇し、目が合いました。
入口の日本サンショウウオセンターでカスミサンショウウオだけ水槽のどこを見ても、何回見ても姿が見えなかったのがちょっと心残りです。

写真
1枚目イワタバコの花と蕾
2枚目大きな葉のイワタバコ
3枚目岩肌にビッシリ生えているイワタバコの小さな葉
4枚目橋に沿って並んで咲くイワタバコ
5枚目カーテン状に水が弱いシャワーのように降り注ぐ岩壁に咲くイワタバコ
6枚目ハグロソウ


イワタバコ、カスミサンショウウオ 藤井俊夫 投稿日: 2023年07月25日 11:56:33 No.764
6月18日に、犬鳴山でもイワタバコがたくさん生えていました。

●昨年の堺市植物同好会の案内です
令和4年11月6日(日)犬鳴山渓谷 植物観察会 案内文
https://sakaisyokubutsu.blogspot.com/2022/11/blog-post.html
暖温帯性の常緑樹と岸壁に着生する植物が見られます。
南海本線:泉佐野、JR阪和線:日根野から南海バスで行けます。

●カスミサンショウオ類の分類について
最近、DNA解析により、種の区分が細分され、従来の分類体系と大きく異なっています。
下記site参照。
●Web両爬図鑑
https://herpetology.raindrop.jp/about
従来、カスミサンショウウオとされた種は九州北部の「カスミサンショウウオ」、瀬戸内海周辺の「セトウチサンショウウオ」、山陰地方の「サンインサンショウウオ」、紀伊半島南東部の「ホムラサンショウウオ」などに細分されています。

写真は6月18日に犬鳴山七宝瀧寺の滝周辺で見られたイワタバコです。


トカゲとカモシカ 磯野久美子 投稿日: 2023年07月25日 21:27:36 No.767
藤井様

犬鳴山の写真、ありがとうございます。
ここは何度かハイキングの時に通過したことがありますが、じっくり植物を観察したことがありません。
近植での観察会は私が入会する前の2007年に行われていたようです。
またの機会がありますように!

「Web両爬図鑑」というものがあることを教えていただき、ありがとうございました。
赤目の遊歩道の真ん中で、敏捷なはずなのに、おそらくは踏み潰されて死んでいたトカゲは青い尾で、おそらくニホントカゲだろうと思いますが、この鮮やかな青色は、雄では成長するにつれて消え、雌ではある程度残ることが多いということをこのweb図鑑で初めて知りました。勉強になりました。
ありがとうございました。

内臓と思しきものが少し出た動かないトカゲの写真を載せるのは顰蹙ものだと思うので、代わりにカモシカの写真を載せます。
こっちを向いた時に咄嗟に撮ったので、フォーカス甘いですが。




ウォーターヒヤシンス H-matsumoto 投稿日: 2023年07月24日 21:34:03 No.761 【返信】

 無印良品で「水草」と大きな看板が出ていたので近寄ったら、
きれいな籠、
「ウォーターヒヤシンス」環境にいいみたいなことが書いてあって、何だろうと思って
家で調べたら、「ホテイアオイ」でした!あんなに茎が長くなるとはビックリ。
昔から売られていたかしら?作ってみたい。
 増えて困るといえば「クズ」先端が美味しいと最近YouTubeでみたので食べてみよう。
増えすぎて厄介なものはとことん利用したいです。
 7月後半は自然史博物館の講演会の配信を見て、コシアカツバメ調査を頑張ってしまい、今まで下ばっかり見ていたのが急に上ばっかり見たら眩しくて、眩しくて。
それに私には巣から出てくるのを15分待つ忍耐力もないことが判明しました。
 8月はエアコンのきいた家でカモジグサとイヌムギの調理と動画作成に励みます。

 大学の時、私を自然観察会に誘ってくれた昆虫学の先生は「二兎を追う者は二兎を得る」がモットーで、虫も鳥も植物も!だったな(三兎じゃん!)
ホテイアオイ(外来種問題、炭素固定能力について) 藤井俊夫 投稿日: 2023年07月25日 11:23:13 No.763
●ホテイアオイ
南アフリカ原産の浮遊植物
水質浄化、炭素固定能力に優れているといわれているが、植物体の8割以上が水分で、刈り上げる労力、処分する費用を考慮しているのか疑問です。
(森林なら、毎年固定した二酸化炭素を材木という形で蓄積するので、刈り取る労力は全くかかりません。)
また、ホテイアオイは外来種問題としても問題になっています。

************●外来種問題について●************************************
●生態系被害防止外来種リストに掲載されています。
https://www.env.go.jp/nature/intro/2outline/iaslist.html

●世界の侵略的外来種ワースト100に掲載されています(日本語版Wikipediaを参照)

●環境省の侵入生物database
https://www.nies.go.jp/biodiversity/invasive/DB/detail/80810.html

★以前、鹿児島県の鶴田ダムに行ったら、湖面一面にホテイアオイが繁殖しており、駆除の大変さを思い知らされた。
https://www.asahi.com/articles/ASMCM5752MCMTLTB00N.html

********●以下は、植物(草本、木本全体の)物質生産(固定能力)について*********************
●植物の物質生産量について
生産力には、総生産と純生産があります。
植物が光合成によって固定した有機物量を総生産とよびます。
それから植物の呼吸によって失われた有機物量を引いたものを純生産とよびます。
すなわち、

純生産= 総生産 - 呼吸。

● 通常生産力というと純生産のことをさします。

● 純生産のデータとしては、
九州のスギの密植若齢林    4.4 kg 植物体乾燥重量/m2/年、
長野や栃木のアカマツ若齢林 2 kg /m2/年を越えます。
暖温帯の照葉樹林の若齢林 2 kg /m2/年程度の純生産を示します。

● 植物同士が光をめぐる高さの競争をすれば、草本植物は樹木にはかないません。
しかし、樹木は、高さをかせぐからこそしっかりした幹や根をもたなくてはなりません。
このため、総生産に対する呼吸の割合は大きくなります。
水分が欠乏する、栄養が乏しい、攪乱を受けやすい、寒冷が長期に及ぶ、など条件下では樹木の生育が難しくなり、
変わって草本植物が生育します。


*********************************************************************
●草本の物質生産量(ホテイアオイの生産量は、以下の最大値程度と考えられます。せいぜい5-10程度か?)

● 植物同士が光をめぐる高さの競争をすれば、草本植物は樹木にはかないません。
しかし、樹木は、高さをかせぐからこそしっかりした幹や根をもたなくてはなりません。
このため、総生産に対する呼吸の割合は大きくなります。
水分が欠乏する、栄養が乏しい、攪乱を受けやすい、寒冷が長期に及ぶ、など条件下では樹木の生育が難しくなり、
変わって草本植物が生育します。

●草本植物は総生産に対する呼吸の割合が樹木より小さいので、
 少々のストレス条件下でも十分に純生産が可能です。

チシマザサ:北海道ニセコ 1.6 kg /m2/年、
セイタカアワダチソウ:利根川河川敷  1.8 kg /m2/年の記録がある。
一般のススキ草原の生産量は、 0.6~1.2 kg /m2/年程度。

●農地として管理すれば草本植物をよい条件で育てることがでる。
C4草本のネピアグラス(プエルトリコ)  8.6kg /m2 (12ヶ月生産を続けるわけではないので、/年を省略)
サトウキビ(ハワイ)   6.71kg /m2の記録がある
日本のイネ   2.6 kg /m2程度が最高

●岩城英夫(編)1979.「群落の機能と生産」.朝倉書店.
寺島 一郎(東京大学大学院理学系研究科)
*********************************************************************

●日本植物生理学会【みんなの広場】登録番号3164 登録日:2014-10-25

乾物量換算の生産量は熱帯多雨林の平均値:  2 kg m-2 year-1ですが、

湿生草本植物のチェコやアメリカの
ヨシ、ガマ、イグサなどで         3〜4 kg m-2 year−1の純生産の記録があります。
日本でも、河川敷のオギ群落で        2 kg m-2 year-1の測定例があります。
*********************************************************************
●森林の物質生産量
森林タイプ別の純生産量
 カラマツ林 10.1±4.4 ton/ha/year
 常緑針葉樹林 13.5±4.2 ton/ha/year
 30年生ヒノキ林 16.3    ton/ha/year
 マツ林 14.8±4.1 ton/ha/year
 スギ林 18.1±5.6 ton/ha/year
落葉広葉樹林    8.7±3.0 ton/ha/year
ブナ林       19.3 ton/ha/year
 常緑広葉樹林 18.1±4.9 ton/ha/year
コジイ林      22.7 ton/ha/year
熱帯多雨林(タイ) 28.6 ton/ha/year
(只木,1971.森の生態.共立出版など)
*********************************************************************
ちなみに以前話題となった、ケナフの生産量(日本では1年草なので,純生産量に相当する)は 7-25 ton/ha/year で,森林の純生産量に比べて,格段に多いわけではない.
ケナフは一年草なので、毎年枯れた茎を刈り取る必要があります。
また刈り取った茎を燃やせば炭素固定の役割を果たせません。
紙すきやその他の工芸品にするにしても、労力と手間がかかり(二酸化炭素を排出するようなエネルギーを使う)、販売流通に乗らなければ、いずれ捨てられてしまうので、温暖化対策にはあまり貢献しないと思います。

●ケナフが注目されていた頃に書いた駄文が「日の目を見ました」。
伊吹寛子 投稿日: 2023年07月25日 12:36:57 No.765
二十年近く前のある年に3回各10日ほどタイに行きました。バンコクの近くを流れるチャオ・プラヤ川でホテイアオイが繁殖して困っているとのことで、駆除した物で作ったバスケットなどを売っていて、ホテイアオイに対するそのような対策も、使った製品も見たことがなく驚いたのを思い出しました。日本でも池などにホテイアオイが広がって困る話は聞いていましたが、流水でも?と現場を見たかったのですが、それは叶わず、ただ繁殖の様子のパネル写真だけを見ることで満足するしかなかったです。今はチャオ・プラヤ川がどんな様子なのか、今もそのような製品を作っているのかも分からないですが。
H-matsumoto 投稿日: 2023年07月25日 20:47:24 No.766
情報ありがとうございます。
無印良品の公式サイトに収穫、作り方の動画が載せられていましたが、すごく大きくで驚きでした(動画リンクがうまくここに載せれませんでした)
「べトナム南部にあるメコン川から集めたウォーターヒヤシンスの茎を、現地職人が一つずつ手編みしています。スチールフレームを使わず、自然繁茂している材料のみ使っている環境負荷が少ない商品」と説明されていました。
 20年ほど前にメコン川クルーズに参加した時には植物も籠も見かけなかったのでその後増えたのかな。上流の国がダムを作って水量が減っているらしいので心配。
 その時ベトナムで買った天然素材の籠から、虫がたくさん出てきたけど無印さんが輸入しているのは防虫対策してくれてるはず

https://www.muji.com/jp/ja/store/cmdty/detail/4550512057796 MUJIのサイト


ヤマユリ 西村徹也 投稿日: 2023年07月19日 22:54:51 No.759 【返信】

本日、2023.7.19(水)、金剛山の麓(千早赤阪村)を歩いてきました。
山道に、ヤマユリ(山百合)の花が咲いていました。
*ヤマユリ{ユリ科、ユリ属}

【写真】;ヤマユリ


ヤマユリ、テッポウユリ、園芸のシンテッポウユリ 藤井俊夫 投稿日: 2023年07月20日 13:42:53 No.760
Lilium:
世界に約100種。北半球の温帯地域に分布する。東アジアに60種。北米に30種。西欧に20種。
欧米では、東アジアのユリを交配して作出したオリエンタル・リリーとして流通しています。

●ヤマユリ(Lilium auratum Lindl.)
日本固有種。東北から近畿地方まで分布する。古来から花の美しさが鑑賞に用いられ、万葉集にも読まれている(万葉集:巻20-4369)
楽しい万葉集site
https://art-tags.net/manyo/flower/yuri.html
ヤマユリは、30年ぐらい前に奈良県の和佐又山で見た記憶があります。

伊豆諸島には、変種のサクユリ(L. auratum var. platyphyllum Baker)が分布する。世界最大のユリとして有名。カサブランカなどの園芸品種の原種である。

●テッポウユリ(Lilium longiflorum Thunb.)
日本の九州南部、琉球列島、台湾の海岸近くに分布する。
インドからビルマ周辺にかけて分布する Lilium wallichianum Schult. & Schult.f.と、同一種とする見解もある。
台湾には、変種の(var. scabrum Masamune)が分布するらしい。
http://www.efloras.org/florataxon.aspx?flora_id=2&taxon_id=240001418

●タカサゴユリ(Lilium formosanum Wallace)
テッポウユリに非常によく似ている。花被片外部に紫の筋が入ることやん」葉が細いことで、ようやく区別できる。
台湾の海岸から3500mの山地まで広く分布する。
http://www.efloras.org/florataxon.aspx?flora_id=2&taxon_id=200027716

★最近テッポウユリとタカサゴユリを交配して作出されたシンテッポウユリ(Lilium x formolongo Hort.)が、野外に多数逸出して問題になっています。
種子から1年で開花結実し、種子は風散布で崖の上でも定着できます。自然の崖地状に生育した場合、除去は不可能です。
また、日本在来のユリとの交配により、遺伝子汚染が危惧されています。
樋口幸男。2016.恵泉 花の分化史(11)帰化植物としてのシンテッポウユリ。恵泉女学園大学園芸文化研究所報告:園芸文化12.
https://core.ac.uk/reader/236345556

●ヤマユリの参考文献
河野昭一(監修)植物生活史図鑑III.夏の植物1.北海道大学出版会。3000円。


金剛山の大雨による被害 西村徹也 投稿日: 2023年07月18日 00:09:52 No.758 【返信】

◎金剛山・国見城址付近
2023年6月16日、金剛山を歩いてきました。国見城址広場の北西斜面が崩落していました。時計台左横から青崩(あおげ)へ抜ける近道ルートも崩落していて通行不能でした。食堂と転法輪寺との間の青崩道に至るルートは歩けます。台風2号の影響で近畿地方でも大雨が降りましたが、おそらくその影響で、大雨直後の6月3日に崩落が発生したのではないかと思います。 

◎金剛山・山頂方面
2023年7月15日、現場から北西約11km先の富田林市錦織公園「みはらしの丘」から金剛山を撮影しました。崩壊が確認できます。

◎金剛山へのバス路線が再開
 南海バスも金剛バスも「登山口~ロープウェイ前」が、土砂崩れのため運休していましたが、数日前から再開されました。

【1枚目の写真】=2023.6.16撮影;国見城址・時計台付近 

【2枚目の写真】=2023.6.16撮影;国見城址・時計台北西斜面

【3枚目の写真】=2023.7.15撮影;富田林市錦織公園・見晴らしの丘から撮影した金剛山




<< | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | >>


Powered by Rara掲示板
管理者に連絡 | 新着投稿をメールで受け取る