近畿植物同好会 掲示板
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「らんまん」のムジナモ
相良真佐美 投稿日:2023年08月03日 15:35 No.773
NHKドラマ「らんまん」でムジナモの論文で田邊教授の指導を記載しなかったので、万太郎は東大に出入り禁止になりました。

⾓野康郎先生の水辺通信 No.6 (2023.7.31)に
「⽥辺教授と連名にすることまで思いが⾄らなかった。そして東京⼤学植物学教室への出⼊りを禁⽌されます。ドラマでは、槙野万太郎が「むじなも Aldrovandia vesiculosa L.ノ発⾒」という論⽂を⼀⼈で書き、これが植物学雑誌に掲載されたことになっていましたが、こういう論⽂は実在しません。牧野富太郎は、⽇本の植物相を報告する”Notes on Japanese Plants, XIX”という英⽂論⽂の中でムジナモの発⾒をわずか7⾏で報告しているだけです。(以下略)」
とありました。

興味があったので、8月7日発売の「オリジナル普及版 牧野日本植物圖説集」(三四郎書館 2023)で調べてみました。
ムジナモは明治33年(1900)年8月1日発行の新撰日本植物圖説(第一巻 第八集 第38図版)に記載されていました。
その中には矢田部良吉教授(ドラマでは要潤の田邊彰久教授)に発見当時(1890)、標本を調べてもらって新種と分かったと書いてあります。(赤い傍点をつけました)
史実では牧野富太郎博士が東大に出禁になったのは、東大生でもないのに大学の蔵書を私物化して返却しないなどの理由だったらしく、ドラマを盛り上げるための演出のようです。

なお、矢田部良吉教授は、1899年に遊泳中に溺死していますが、1900年の新撰日本植物圖説の内容はすでに読んでいたのか気になります。


ムジナモの 発見の報告及び、植物画の出版について 藤井俊夫 投稿日:2023年08月03日 18:47 No.774
ムジナモの 発見の報告及び、植物画の出版について。


以下の投稿ですでに藤井が指摘したはずですが、再掲します。

「らんまん」の登場人物と実在の人物との関係は?。コオロギラン、ムジナモの原記載・植物画など 藤井俊夫 投稿日: 2023年07月28日 15:30:55 No.768 【返信】

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●ムジナモ発見の報告。235p.
①牧野富太郎。1890. in 雑録(p230-p236)○Aldrovanda vesiculosa L. 日本否ナ東京近郊ニ産ス。植物学雑誌。4(40):235-236p.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/4/40/4_230/_pdf/-char/ja

②牧野富太郎。1890. in 雑録(p424-p430)○むじなも(新稱)Aldrovanda vesiculosa L. 植物学雑誌。7(80):425p.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/4/45/4_424/_pdf/-char/ja
★上記報告で、和名を「ムジナモ」(新称)とした。

●ムジナモの植物画
牧野富太郎。1893. Notes on Japanese Plants, XIX。植物学雑誌(BMT)。7(80):285-286.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/7/80/7_80_285/_pdf/-char/ja
ムジナモの開花は、日中の数時間に限られる。
世界の植物学者が観察できなかった開花時の線画を精緻に描いていることが世界中を驚かせたことになります。
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上記、①で日本新産の報告、②で和名を「ムジナモ」とするとしているが、どちらも査読を受けない「雑録」の形態で記述されている。
学会誌では、①原著論文(original article)、②報告(report)、③資料(data)までは科学的な齟齬が無いか査読を受けることになります。
その他、④意見(opinion)、⑤雑録(meroranndamのようなものか?)などは、査読の規定がなく、編集者の一存で掲載されることがあります。
牧野は、植物学雑誌(Botanical Magazine Tokyo、略称:BMT)の主催者であり、編集者でもあるので、①~③までの著作物は専門家の査読を受けることになりますが、④,⑤のような雑文(とまではいかないまでも)などは編集者の権限などでほぼ無査読で印刷されることになります。

ムジナモの細密画が正式に学会誌に発表されたのは、上記BMT:7(80):285-286(1893)となります。
この直前に、牧野は「Illustrations of the Flora of Japan」, to Serve as an Atlas to the Nippon-shokubutsushi [of J. Matsumura]. Tokyo(1890-1891)
牧野富太郎。1888-1891.日本植物志図篇。敬業社。東京。を出版しており、この中でムジナモの細密画を発表したかもしれません。
国会図書館などで、原著を閲覧すればわかるはずです。

上記の経過を整理すると、
①牧野富太郎。1888-1891.日本植物志図篇。敬業社。東京。でムジナモの細密画を掲載か?。【原本を確認しないと不明です】
②牧野富太郎。1890. in 雑録(p230-p236)○Aldrovanda vesiculosa L. 日本否ナ東京近郊ニ産ス。植物学雑誌。4(40):235-236p.で、発見の報告。
③牧野富太郎。1890. in 雑録(p424-p430)○むじなも(新稱)Aldrovanda vesiculosa L. 植物学雑誌。7(80):425p.で和名を「ムジナモ」とする。
④牧野富太郎。1893. Notes on Japanese Plants, XIX。植物学雑誌(BMT)。7(80):285-286.で、正式に学会に植物画を発表という順番になると思います。

ここで問題になるのは、全ての出版物、論文が牧野の単独著作として発表されています。
このことが矢田部教授の怒りを買ったものと考えられます。

また、すでに指摘されているように、牧野は大学の蔵書を借りたまま長期にわたって返却せず、そのことも問題になったとされています。
矢田部教授は、1891年(明治24年)3月、教授職を非職となっています(今でいう、休職扱いのようなものか)
多分、大久保三郎(ヤマトグサの原記載者)が跡を継いだのかもしれません。




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