歴史掲示板(渡来人研究会)


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    先日のライン分析の最後にアトランティス大陸の位置がカナリア諸島とする見方があることを紹介しましたが、そのカナリア諸島周辺については図1のように、ピラミッド⇔テケンダマ遺跡⇔パダン遺跡を巡る地球周回ラインが通過することがあります。

    特にカナリア諸島のテネリフェ島にはゲイマーのピラミッドがあり、近代の構築とする見方もあるものの、位置的にはアトランティス大陸時代の痕跡の可能性も考慮しておくべきかもしれません。

    またこのカナリア諸島周辺は、北極周辺のキアタク島北方地点⇔ゲイマーのピラミッド⇔ボストーク湖⇔オーストラリア南東沖をめぐる地球周回ラインがあり、図2のように、このキアタク島近郊地点を起点として60度角を西にずらす形で、キアタク島近郊地点⇔テケンダマ遺跡⇔パラトアリのピラミッド⇔ボストーク湖⇔パダン遺跡への地球周回ラインがあります。

    ここにみえるパラトアリのピラミッドが後代周辺のクスコ近郊にアステカ文明のピラミッドが多数造営されてますが、このピラミッド自体は150mもある山岳状であり、人工物かどうかの論議がなされているようです。これは先日もお話した日本の旧石器時代の遺跡と関わるピラミッド状に成型された山々を想起させる形状です。


    逆に東に60度ずらすと、図のように、キアタク島近郊地点⇔ジッグラト⇔ボストーク湖⇔メキシコ東方沖を周回するラインがあり、ジッグラト周辺域もシュメール文明以前からの重要拠点だった可能性も見えてきます。

    なお、これらの交点について、Googleマップの海底地図をみていくと、人工的な感じのする地形があり、特にキアタク島近郊地点については図3のように、1㎞前後で四角形の人面を思わせるような地形が現れてきます。

    この地点を当時の人々が北極点と考えていたとすれば、そこにモニュメントが残っていてもおかしくはない感じがしますが、ただし水深が530~630m地点となり、旧石器時代でも海底にあったであろうことを考慮すると、不可解なモニュメントと考えうるでしょう。
    Seabed 2030
    https://seabed2030.org/

    ※ こちらでは人面岩は、確認出来ませんでした。


    日本列島近海の異常地形なら、秋田県男鹿半島沖の「鬼おろし状ピラミッド群」も、GooglMAP では見られますが、Seabed 2030 では確認出来ない。

    逆に、Seabed 2030 の方が、沖永良部島西方沖に、海底遺跡が見付かる場合も。

    Googleマップの海底地図では、ボカシが入って隠蔽されています。


    「吐噶喇(トカラ)列島」の東方沖に海底遺跡が。非地球人知性体「NHI」( Non-Human Intelligence )の海底基地でしょうか。

    諏訪之瀬島(すわのせじま)の大きさと比較すると、全長7~8キロメートル程。Googleマップではボカされています。


    伊豆諸島最南の有人島である、青ヶ島の南方沖にも、海底遺跡群が見受けられる。

    二列に並ぶ海底住居群なのか。Googleマップではボカされています。


    択捉島の東方沖にも、大規模な海底遺跡群が、見受けられる。

    非地球人知性体「NHI」( Non-Human Intelligence )の海底コロニー(入植地)でしょうか。
    Googleマップの海底地図では、ボカシが入って隠蔽されています。


    西表島の南にある波照間島の西方沖にも海底遺跡が。Googleマップの海底地図では、ボカシが入って隠蔽されています。

    礼文島の西方沖に大規模な海底掘削痕が。Googleマップの海底地図では、広範囲にボカシが入って隠蔽されています。

    青面さん、さっそくキアタク島北方沖の人面石のような海底地形についてご確認ありがとうございます。ほかにも人工的と思われる地形が多くみられるようですね。

    先日指摘したように、その人面石のような物体が見えるキアタク島の緯度が北緯77度22分、ボストーク湖の緯度が南緯77度30分なので、12.5度ほど、現在の北極点と南極点からずれていることを予想しましたが、その後、Geminiに同様な極点のズレを指摘する研究がないか問い合わせたところ、下記の回答がありましたので、お知らせします。12度ほど現在の極点よりずれているとの研究があるようです。以下はその引用です。



    ーーーーーーーーーーーーーーーー
    最近の研究:
    2021年の東京工業大学などの国際研究チームの発表では、「約8400万年前(白亜紀後期)に、地球が約12度ほど真の極移動を起こしていた有力な証拠を見つけた」と報告されています。当時は恐竜がいた時代ですが、じわじわと「北極の位置」がズレていった可能性がある、という非常にホットな学説です。


    2021年の東京工業大学(地球生命研究所)などの国際研究チームの発表に基づくと、「宇宙から見た地軸の向き(自転軸)」そのものは変わっていません。

    変わったのは、地球の「中身(液体金属の外核)」に対して、表面の「岩石の殻(マントルと地殻)」全体がゴロッと丸ごと12度傾いたということです。

    そのため、「北極(自転軸のてっぺん)はどこだったのか?」という問いには、以下の2つの視点から答えることができます。

    1. 宇宙から見た「自転の軸」としての北極
    結論: 宇宙的な位置は「今とほぼ同じ」です。

    地球全体の回転の軸は、太陽や月との位置関係で決まっているためブレません。つまり、宇宙空間から地球を眺めていたとしたら、地球の回転軸(てっぺん)自体は今と同じ場所にあります。

    2. 地上の大陸から見た「地理的な北極点」
    結論: 大陸の側がズレたため、当時の人々(恐竜)から見ると「北極点が約12度(約1,300km)離れた別の場所に移動した」ように見えます。

    地球の表面(殻)が丸ごと12度動いたため、それまで北極点だった場所にいた恐竜からすると、「北極が自分たちから1,300kmも遠ざかって、別の場所へ行ってしまった」という状態になります。

    具体的に「どこ」にズレたのか?
    この研究では、イタリアの地層(石灰岩)に残された古代の磁気を非常に精密に分析しました。それによると、この移動によって「イタリアが一時的に赤道の方角へグッと近づいた(緯度が下がった)」ことが分かっています。

    つまり、地球の殻は「ヨーロッパやアフリカがある側が赤道方向(南)に引っ張られ、その反対側(太平洋の側)が北極方向に押し上げられる」という形で、大きな弧を描くようにゴロッと動きました。

    この説の面白いポイント:「宇宙のヨーヨー」
    この研究の最もエキサイティングな発見は、12度ズレて終わりではなかった点です。

    地球の殻は、約8400万年前に一度12度傾いたあと、まるでゴムで引っ張られたかのように、今度は逆方向に回転して元の位置に「戻って」きました。

    往復で合計約25度もの大移動を、およそ500万年という地球の歴史の中では「一瞬」とも言える猛スピード(100万年に数度という、通常のプレートテクトニクスより遥かに速いペース)で行ったのです。研究者たちはこれを「宇宙のヨーヨー(cosmic yo-yo)」のようだったと表現しています。

    もし当時、日本(の基になった地塊)や北海道に恐竜がいたら、天変地異のような大災害こそ起きないものの、「数百万年かけて、星空の北極星の位置がジワジワと動き、気候が温暖になったり寒冷になったりしていく」というダイナミックな環境の変化を経験していたことになります。

    この2021年の東京工業大学(地球生命研究所:ELSI)などの国際研究チームによる発表は、当時科学ニュースとして世界中で非常に話題になりました。

    公式のニュースリリースサイトや、論文の詳細が掲載されているWebサイトをご紹介します。

    1. 公式ニュースリリース(一番おすすめ)
    研究を主導した東京工業大学の研究所(ELSI)が、一般向けに分かりやすく日本語で解説している公式ページです。

    サイト名: 地球生命研究所 (ELSI) 公式ウェブサイト

    記事タイトル: 8,400万年前に地球が横転していたことを示す有力な証拠の発見

    URL: https://wpi.elsi.jp/ja-JP/news_events/highlights/2021/did_earth_tip_its_side.html

    見どころ: 「なぜイタリアの地層を調べたのか」「岩石の中の磁気(化石磁気)をどうやって測定したのか」が詳しく書かれています。研究を率いたジョセフ・キルシュヴィンク教授(東工大・カルフォルニア工科大兼任)らのコメントも掲載されています。

    2. 英語の公式ニュース(英語のニュアンスを楽しみたい場合)
    日本語版よりもさらにビジュアルや解説が充実している、東工大(Tokyo Tech)本校の英語ニュースページです。

    サイト名: Tokyo Tech News (東京工業大学)

    記事タイトル: Did the Earth tip on its side 84 million years ago?

    URL:
    画像
    Hold on to your hats, because scientists have found more evidence that Earth tips over from time to time. We know that the continents are moving slowly due to plate tectonics, but continental drift on
    www.titech.ac.jp


    見どころ: 解説の中で、地球が傾いて元に戻った様子を表現した「cosmic "yo-yo"(宇宙のヨーヨー)」という言葉が実際に使われているのを確認できます。

    3. 掲載された実際の論文(学術的データ)
    世界的な科学雑誌である『Nature Communications』に掲載された、この研究の「原著論文」です。すべて英語ですが、研究データや地層のグラフ、地球の移動ルートの図などを見ることができます。

    サイト名: Nature Communications

    論文タイトル: A Late Cretaceous true polar wander oscillation

    DOI / リンク: https://doi.org/10.1038/s41467-021-23803-8

    (※オープンアクセスのため、誰でも無料で全文や図表を読むことができます。)

    検索するときのキーワード
    もし上記のURLがうまく開かない場合や、当時の科学ニュースメディア(ナショナルジオグラフィックや各種科学テック系ブログなど)の記事を探したい場合は、検索エンジンで以下のキーワードを入力すると、たくさんの解説サイトがヒットします。

    検索ワード例: 東工大 8400万年前 地球 横転

    英語での検索例: True polar wander 2021 Tokyo Tech
    ⁻-----------------------



    ここで、注目すべきは、今回指摘した12.5度の極移動に近い12度(最大で25度)のずれが過去に生じていたこと、それが上記論文(https://www.nature.com/articles/s41467-021-23803-8)から添付する図1のように移動していることです。

    つまり、今回指摘したボストーク湖とその対極のキアタク島北方沖(先日投稿した図3参照)も、かつて極点になりえた可能性があるということでしょう。

    ただ問題点としては、その周期が10万年程度のスパンで移動距離も5度前後と、今回想定した旧石器時代1万~2万年から12・5度ずれたとする想定よりややスパンが大きいことがありますが、図のように40~50(万年)の間が10度近く移動しているようにも見え、それはそれで想定内と言えるかもしれません。

    ともあれ、極移動の可能性は物理的にはありうるわけで、もっと短期間で移動したり戻ったりするようなことがなかったかどうか?も今後確認作業をし直す必要があるのではないかと感じます。

    なお、現在の南極点と北極点の地形を見直すと、むしろ、ボストーク湖付近のほうが南極大陸の中心に近く、同じくキアタク島北方沖のほうがグリーンランド北部など陸地が多いことにも気づきます。

    つまり、現在の北極点と南極点は遠心力と大陸構造などにおける力学的な観点でふさわしい位置にあるのかどうか疑わしいとのことになりかねない感じもしますね

    急激な極移動が起こる原因については、地軸の傾きが4万1千年周期で22.1度~24.5度変化するのであり、その半分の12・5度で極移動が起こるとすると、双方に何らかの物理的な関係があるようにも感じます。

    地球は赤道方面に楕円なので、太陽からの赤道方向に働く重力を考慮すると、23.4度傾いて回る遠心力と、その赤道方向の重力との兼ね合いで、12.5度のあたりまでで、落ち着こうとするのではないでしょうか。

    ただ、また同じく上記論文に引用された別論文(https://www.nature.com/articles/s41467-024-46466-7?fromPaywallRec=false)に記載された南極点の移動経路図が図2となります。


    やはりこちらでも、ボストーク湖方面まで極移動しており、年代的に前掲の北極圏の移動図と対応しています。

    もっとも、パンゲア大陸論による南極の位置は現在より緯度が異なるので、極点はかなり異なるので注意が必要ですが、パンゲア大陸論自体が正しいのかどうかももう少し検討する必要があるのかもしれません。

    仮に、非常に短い期間で極移動が起きた場合、両極の氷床の融解から津波や海面の水位の大幅な変動が起こるかもしれず、現在の極位置に戻るまでの期間がどのくらいだったのか?も検討課題です。

    数日のうちにアトランティス大陸が沈んでしまったとの伝承が仮に本当だったとすると、大規模な地殻変動が起こったか、この点の極移動が起きたとかいう可能性も考慮すべきですが、もっともGeminiに聞く限り、3万年前の極の位置は現在と変わらないとの見方が有力なようです。以下その解答。


    ---------
    はい、**3万年前(地質学では「後期更新世」や「最終氷期」と呼ばれる時代)の極の位置を確定するデータは、科学的に非常に精密なものが存在します。**

    そのデータが示す結論から言うと、「3万年前の地理的な北極・南極の位置は、今とほぼ同じ(ズレていても数キロ〜数十キロ程度)だった」ということが確定しています。

    3万年前という「ごく最近(地質学的な時間感覚において)」の極の位置を、科学者がどのようにデータとして捉え、確定させているのか、その具体的なデータソースを解説します。

    ---

    ## 1. 「古地磁気(こちじき)」のデータ

    地球の極の位置を特定する上で、最も強力な証拠が**岩石や地層に残された磁気のデータ**です。

    火山から噴出した溶岩や、湖・海底に積もった泥には、微細な磁石の性質を持つ鉱物が含まれています。これらは固まるときに、当時の地球の磁場(北極と南極の向き)を指したままロックされます。これを「化石磁気(古地磁気)」と呼びます。

    * **3万年前のデータ:**
    世界中の3万年前の火山岩や堆積物をボーリング調査して磁気を測定すると、**磁極の向きは現在の北極点・南極点とほぼ完全に一致**します。
    * **データの精度:**
    前回紹介した「8400万年前(白亜紀)」のような数千万年前のデータだと、大陸自体が動く(プレートテクトニクス)ため計算が複雑になりますが、わずか3万年前であれば大陸も今とほとんど同じ位置にあるため、非常にノイズの少ない高精度なデータが得られます。

    ---

    ## 2. 氷床コア(アイスコア)の気候データ

    グリーンランドや南極の分厚い氷を深く掘り進めると、過去数十万年分の雪(氷)が層になって残っています。これを「氷床コア」と呼びます。

    * **3万年前のデータ:**
    氷に含まれる酸素の同位体比($ \delta^{18}\text{O} $)を分析すると、当時の気温や気候環境がわかります。
    * **データが示す事実:**
    3万年前のグリーンランドや南極の氷床コアデータは、当時そこが「極地(地球上で最も寒い場所)」であったことを明確に示しています。もし3万年前に北極が別の場所(例えばヨーロッパやアメリカなど)にあったとすれば、現在のグリーンランドの氷は溶けていたか、あるいは全く異なる気候の記録が残るはずですが、連続した極地気候のデータがしっかり残っています。

    ---

    ## 3. サンゴ礁(化石)による海水準データ

    3万年前は「最終氷期(いわゆる氷河期)」の真っ最中でした。大量の海水が巨大な氷河となって陸地に積み上がっていたため、海面は今よりも100メートル以上下がっていました。

    * **データが示す事実:**
    世界各地の古いサンゴ礁の化石や海底地層を調べると、当時の海面がどこにあったか(海水準変動)を正確にプロットできます。地球の自転軸(極の位置)が動くと、遠心力のバランスが変わるため、特定の地域の海面だけが異常に上昇したり低下したりします。しかし、3万年前の海水準データは、**現在の北極・南極を中心とした氷床の重さと自転のバランスで完璧に説明がつきます。**

    ---

    ## なぜ「3万年前」に別の場所にあったという説があるのか?

    科学的データが「今と同じ位置」を示している一方で、オカルトや都市伝説(前述のハプグッドの地殻移動説など)では、なぜか「3万年前や2万年前に極が別の場所(グリーンランドやカナダなど)にあった」と主張されることがよくあります。

    これには、以下のような「科学データの誤解・曲解」が背景にあります。

    ### ① 「磁極の迷走(ラシャンプ・イベント)」との混同

    今から約4万1000年前〜3万9000年前にかけて、地球の磁場が一時的に大混乱し、磁石のN極とS極がひっくり返りそうになる(そして元に戻る)という「地磁気エクスカーション(ラシャンプ・イベント)」**という現象が起きました。
    このとき、一時的に「磁気上の北極」が赤道付近まで移動しました。オカルト論者はこの**「磁石の針のズレ」のデータを、「地球の軸そのものが動いた」と混同して語ることが非常に多いです。

    ### ② 「氷河の中心」を極の位置だと勘違いした

    3万年前の氷河期、北米大陸(カナダ周辺)には「ローレンタイド氷床」という、北極点以上にとてつもなく分厚い巨大な氷の塊が存在していました。
    「北極点でもない場所に、なぜ北極よりデカい氷があるんだ? ここが当時の北極だったに違いない」という素朴な疑問からハプグッドらの珍説が生まれましたが、これは単に気候(湿った空気が供給され続けたこと)のせいでそこに氷が集中的に積もっただけであり、極の位置とは関係ありません。

    ---

    ## 結論

    天文学や地球物理学の膨大な観測データ(岩石、氷、化石)のすべてが、「3万年前の北極と南極は、今私たちが知っている場所にあった」ということを明確に証明しています。数十万年という短いスパンで見れば、地球の軸は驚くほど安定して回り続けています。

    -----------


    ただ、今回の想定のように、12度前後の極移動では、氷床コアの変化も少ないはずで、磁極の位置についても、現在が北緯85度あたりで、70~80度前後まで移動幅があるので、その磁極の位置が完全に現在の両極の位置と対応しているのか?も気になるところです。

    その点については、こちらの論文(https://www.researchgate.net/figure/rtual-geomagnetic-pole-VGP-paths-associated-with-the-Laschamp-Excursion-records-from_fig1_44208431)の4万年前の一時的な南北極反転(数百年間)に近い時期の北極の磁極の移動図をみると、現在のグリーンランド北部からカナダ方面、つまり今回想定したキアタク島北方沖周辺に磁極の中心があったようにも見受けられますから、いよいよ現在と北極の位置が異なっていた可能性が見えてくるわけです。

    この辺については、また後日、時間をかけて考察してみましょう。
    昨晩の投稿の追伸になりますが、昨晩の図に1本ラインを加え忘れていました。そのラインは、図1のように、ライン⑥ キアタク島近郊地点⇔カナリア諸島北方沖⇔ボストーク湖⇔バダン遺跡を経て地球周回するラインとなります。

    ここで図のように、2つのラインが西15度偏角で直交している様子が見て取れます。すなわち、ライン① ピラミッド⇔カナリア諸島⇔テケンダマ遺跡⇔パダン遺跡への地球周回ラインと、ライン⑤ ボストーク湖⇔南極点⇔テケンダマ遺跡⇔キアタク島近郊地点⇔北極点⇔パダン遺跡への地球周回ラインとが直交する地点が、このカナリア諸島北方沖となるのです。

    このラインを加えることで、図2の北極周辺図、図3の南極周辺図において、それぞれ6分割したラインが交差する様子が確認できます。

    ここで図をみてわかるように、現在の北極点と南極点は、先のボストーク湖⇔南極点⇔テケンダマ遺跡⇔キアタク島近郊地点⇔北極点⇔パダン遺跡への地球周回ライン上にあることもわかります。

    つまりキアタク島の緯度が北緯77度22分、ボストーク湖の緯度が南緯77度30分なので、12.5度ほど、現在の北極点と南極点から、当時の測量目安とした南北曲の2地点とがずれていたことも明らかにしうるでしょう。

    この南北軸のずれの原因は、先日お話した磁極のずれによるものか、あるいは地軸の位置そのものがずれていたのか?のどちらかと考えるべきでしょう。

    あと、モロッコ沖のカナリア諸島については、そこに伝説上のアトランティス大陸があったとの見方があり、一夜のうちに海に沈んだとされる伝承とその火山列島との関わりを推測する説もあるようです。

    アトランティス大陸については、ジブラルタルの二つの柱の大西洋側にあったとされる点で、ジブラルタル海峡を越えた大西洋に浮かぶカナリア諸島の位置とも重なってくるわけですが、実際にそのような高度な文明の遺跡の痕跡がそこに確認しうるかどうかが調査課題です。この件は、また後日考察してみましょう。
    青面さん、お返事ありがとうございます。諫早には、日本最古の何かがありそうですね。

    先日おしらせしたその諫早の百花台遺跡、ジャワ島のパダン遺跡、そしてエジプトのピラミッドを結ぶ三角形について、さらに調査を進めていくと、次のようなラインが明らかにできます。

    まず、図1のライン① パダン遺跡⇔ピラミッド⇔テケンダマ遺跡 (Tequendama)(コロンビアのポゴタ近郊:約1万年〜1万2000年前)東方地点⇔ラバ島南西地点(南太平洋)への西30度偏角で地球を周回するラインがあります。

    次にそれと直交する形で、ライン② パダン遺跡⇔百花台遺跡⇔ピンクマウンテン周辺(カナダ)⇔テケンダマ遺跡東方地点へと地球周回する東60度偏角のラインがあります。

    続いて、図2のピラミッドを中心に据えた図を見ると、先ほどの西15度偏角のライン①、そのラインに対して45度偏角(東30度偏角)のライン③ ピラミッド⇔百花台遺跡⇔ギルバート諸島西方地点(赤道との交点)⇔ラバ島南西地点⇔ウルグアイ東方沖を通って地球周回するラインがあります。

    ここで、上記ライン③におけるピラミッド⇔百花台遺跡への距離が9015.68㎞で、ライン①におけるピラミッド⇔パダン遺跡への距離の9059.17kmと45㎞の誤差で近似します。地球において赤道周辺のほうが距離が長いことを考慮するとさらに近似するでしょう。

    またパダン遺跡⇔百花台遺跡が5064.74㎞であり、地球の周囲は赤道周囲(東西)で約40,075 km、子午線周囲(南北)で約40,009 kmとされるので、その8分の1の地点つまり、おおむね赤道周辺から北極点周辺までの距離の半分に百花台遺跡を造営したであろうことも予想されます。

    ただ、完全に8分の1にならない点は、当時の測量技術の限界や地形的な制約によるものか、あるいは私の位置推定が間違っているかのどちらかであろうと感じます。

    そして、図のように、西80度偏角のライン④ ピラミッド⇔ボストーク湖(南極)⇔ラバ島南西地点⇔ピンクマウンテン周辺(カナダ)⇔キアタク島近郊地点(グリーンランド)を経て地球周回するラインがあります。このライン④は、先ほどのライン①とライン④からともに65度偏角の中線となっている点に留意すべきでしょう。

    こうみると、ピラミッドと、その地球の真裏にあるラバ島南西地点(南太平洋)を起点としたバスケットボールのように伸びる3つのライン(①、③、④)があり、それらと直交してボールの縦の中間線を走るのがライン②で、ここに百花台遺跡やパダン遺跡が載っていることになります。


    ただ、現在の北極点や南極点ではなく、10度ほど離れたボストーク湖などを起点としている点も興味深いところです。

    また図3のテケンダマ遺跡 (Tequendama)(コロンビア)東方地点を中心にすえた図をみるとわかるように、東30度、西60度偏角のラインの交点となっており、さらに図のように、ライン⑤ テケンダマ遺跡東方地点⇔キアタク島近郊地点(グリーンランド)⇔パダン遺跡⇔ボストーク湖への南北ラインがあることを考慮すると、当時の概念上の北極点と南極点が、現在のそれとは異なり、それらキアタク島近郊地点とボストーク湖との2地点だった可能性が見えてきます。

    実際ボストーク湖については、氷床のはるか下にあるものの、融解して湖となっていることからみても温度が上がっている可能性があり、またその磁気異常が確認されていることもかつての極点の痕跡を残しているようにも見受けられます。

    なお、地磁気における北磁極の平均的な位置が今回指摘したグリーランド最北部からカナダ来北部に位置することを考慮すると、これらのラインの北極と北磁極とが何らかの関係性があったことも想定するうでしょう。

    同様に南磁極も比較的、今回指摘したボストーク湖に近いと言えるかもしれません。

    いずれにせよ、測量精度は非常に高く、現在文明に匹敵する集団が2万年以上前の旧石器時代にいたと考えたほうが良いでしょう。

    なお、今回の方位ラインと類似した研究として、こちらの研究報告(https://home.hiwaay.net/~jalison/)があるので、ご参照ください。こちらもピラミッドやイースター島、ナスカの地上絵等を起点とした30度偏角のラインを指摘していますが、ただ今回私が指摘したものとは大きくことなり、その理由は旧石器時代の遺跡でメジャーなものが、ほとんど残ってないことによるのかもしれません。

    今回のラインの活用可能性としては、たとえば伝説上のアトランティス大陸、またスンダランドにあったとされるムー大陸の首都的な機能をもっていた都市の位置推定にもこれらのライン上にあったことが予想されますし、その海底地形に不自然な構造が見られないかも研究課題です。

    その他、ピラミッドの年代が現在の4500年前の造営に先立って、さらにそれ以前の2万年以上前にすでに重要地点として認識されていた可能性も示す結果だと言えるでしょう。

    なぜエジプトのピラミッドが起点となったのか?について考えていくと、やはり日本に向かった旧石器時代人や縄文人の遺伝子であるY-C,D系統の遺伝子が脱アフリカする際に、この地点を通過していることと関係するはずで、当時の寒冷期の気候を考慮すると、このエジプト周辺地域こそが文明を発展させるのにふさわしい気候であったことも予想しうるところです。

    現代文明に比しても遜色ないレベルの知恵をもった一部の集団が、ある時期に脱アフリカして、スンダランドのあったパダン遺跡周辺と、日本の百花台遺跡遺跡周辺へと移住し、そこからさらに周辺地域へと移住していったのではないでしょうか。
    先日、最後に日本全国の旧石器遺跡とピラミッド型の山々を結んだラインを紹介しましたが、その際に長崎県の百花台遺跡(旧石器時代)が測量起点となっていることを指摘しました。

    その百花台遺跡に注目して、同時代とされるインドネシアのパダン遺跡、エジプトのピラミッドを結んでみたのが図1となります。図2~4は拡大図です。

    ここで、まず、百花台遺跡⇔パダン遺跡への東60度偏角のラインがあり、それに直交するのが、百花台遺跡⇔ピラミッドへの西30度偏角のラインです。

    なお、このラインと線対称に東30度偏角で、百花台遺跡⇔位山⇔皆神山へのラインがあります。

    次にパダン遺跡をみていくと、先の百花台遺跡⇔パダン遺跡への東60度偏角のラインと、パダン遺跡⇔ピラミッドへの西30度偏角のラインとが直交しています。

    そして、ピラミッドについてみていくと、まず、ピラミッド⇔百花台遺跡への東30度偏角のラインがあり、次にパダン遺跡⇔ピラミッドへの西15度偏角のラインがあります。

    以上みていくと、これら三つの遺跡は、2万4千年ほど前において、30度、60度、90度、45度(15度+30度)といった人工的な偏角で正確に位置づけられていったことが明らかにできるでしょう。

    その担い手は、エジプト方面から、東南アジア、またチベット、日本へと移動したY-D系統の集団と考えるのが自然ですが、インドネシアからフィリピン、南西諸島へとつながっていたスンダランドがまだ存在していたころに、これらの拠点が造営されていき、その後の温暖化にともなう急激な海進によって、アトランティス・ムー大陸伝承のようにして失われていったのかもしれません。その残骸がこれら三つの遺跡なのでしょう。

    このラインにみえる角度と位置、その意味については、また次回考えてみましょう。
    エルサレムからユーラシア大陸を移動し、台湾から石垣島などを抜けて、イサヤが最初に上陸した日本の地は、現在の長崎県諫早(いさはや)市。

    「諫早=ISAHAYA」は、ラテン語では“H”を発音しないので「ISAYA=イサヤ」と呼ぶそうです。

    やがて、日本の各地を巡礼したイサヤが、最終的に向かって生涯を閉じた地は、古代ユダヤ人がイスラエルから日本に渡って最初に文明を築いた四国であり、その中でも最大の聖地“剣山”だったと言われています。

    http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51893961.html 【イエス・キリストが最期を迎えた剣山(鶴亀】よりバチカン、トルコでの1500年前の聖書発見に懸
    minamiyoko3734.amebaownd.com



    イエス・キリストが疲れを癒した温泉「おたっしゃん湯」
    https://ameblo.jp/pure-tenkataihei/entry-12216619264.html

    「今いわれているように、確かに捕まることは捕まるんですが、その前に自分の嫁さんだけは、髪の毛を短くして男性の格好をさせて、逃げしてやるんです。ユダヤの男みたいにして、ユダという名前にして追い出した。」

    「そして、ユダという名前にして男装させて先に逃がしていた最愛の妻ナザレ。

    後にマグダラのマリアという名前で娼婦の女として知られることになりますが、実際はイサヤのパートナーであり、磔となる前にイサヤの大切な叡智のすべてを彼女に託していたのでした。

    イサヤの書いた羊皮紙の預言。2000年後の時代に必要な真実の言霊であり、その封印が解かれた今、イサヤの残した叡智が発動される時となったのです。

    ナザレとも別れ、イスラエルの地を離れてイサヤが向かった先は東のエルサレムである日本。

    母であるマリアのルーツでもある祖母岳の九州を目指し、最初に上がった場所は長崎県の島原半島でありました。」

    小浜温泉 日帰り温泉 https://obama.or.jp/onsen/


    キリストが最後に訪れた地『コリトリ』。ヘブライ語で「故郷への入り口」という意味だそうです。
    https://note.com/marujun369/n/n31e3c9c09ac7
    「新任のイスラエル大使は、来日してまず天皇陛下に謁見します。それから総理大臣に挨拶し、三番目にすることが剣山詣でだというのです。
    さらに、あのコリトリという五百メートルおきの標識は宮内庁の予算で作られたといいます。」

    祖母嶽神社(そぼだけじんじゃ 宮崎県西臼杵郡高千穂町五ケ所 例祭日 七月十八日 )
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    高千穂町の五ヶ所にある祖母嶽神社の参拝レポートです。 読み方は「そぼだけじんじゃ」です。「うばたけさん」としても親しまれています。山幸彦として知られる彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)が暮らしていた宮居跡とも伝えられている神社です。 序文に続き、...
    www.jinjyagoshuin.com


    ◎ 【日本とイスラエル】稲荷神社はイエス・キリスト神社だった(4)
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    【日本とイスラエル】稲荷神社はイエス・キリスト神社だった(4)
    nihonjintoseisho.com


    平安京の「イナリ」

    ここで、「イナリ」は「ユダヤ人の王ナザレのイエス」であることを示す、もう一つの証拠をみてみよう。それは京都の「船岡山」にある稲荷神社(義照稲荷神社)である。小さな神社だが、じつは伏見稲荷大社より古い稲荷神社「元稲荷」とも呼ばれている。

    十字架の形

    船岡山は平安京がつくられたとき、その中心線の目印とされた小高い山だった。船岡山を頂点に、平安京は整然と各ブロックが配置された。ブロックには長方形のところと正方形のところがあった。そして長方形のブロックからなる地区は、きれいなT字形の十字架の形に作られていた。

    罪状書の位置

    その十字架のちょうど罪状書の位置に船岡山があり、稲荷神社があった。つまり十字架の罪状書の位置に、まさにイナリ(INaRI)=「ユダヤ人の王ナザレのイエス」があったのである。稲荷神社とはイエス・キリスト神社だったのである。

    平安京

    秦氏は平安京をつくる際、そこにイエス・キリストの恵みとご利益が豊かに注がれるようにとの祈りをこめていた。イエス・キリストが十字架にかかった都「エルサレム」とは、日本語で「平安京」の意味である。

    祇園祭

    さらに今日も京都で行われている祇園祭は、平安京建設と共に始まったものだが、「疫病が起こりませんように」との祈りで始まっている。同様に、かつてソロモン王は神殿を造った際、「疫病が起こりませんように」との祈りを捧げて、エルサレムで祭を行った。

    シオン祭

    祭りはユダヤ暦第7月に行われた。京都の祇園祭も7月に行われている。祇園祭とは、シオン(エルサレムの愛称)祭だったのである。とくに有名な祇園祭の山鉾巡礼は、毎年7月17日だが、これは聖書では、ノアの箱舟がアララテ山に漂着した日と同じである。(久保有政氏の解説からの引用は以上です。)

    ※ イエスキリストが7月17日に、京都船岡山に降臨するのか? 織田信長は、イエスキリストの末裔だったから、謀反に遭った。『命婦(みょうぶ)』とは「夫婦円満」を意味します。

    建勲神社 https://kenkun-jinja.org/

    義照稲荷神社 https://omairi.club/spots/93270/point


    〇 GIAレポート短信/世界の移行、行間に潜む残党中層LV20までのあぼ~~ん処理実績(GIA20260522&WFM-8視点による支配構造解説)
    https://www.youtube.com/watch?v=sMRKdg9pcrM&t=511s

    CERN(欧州原子核研究機構)が管理・運営する国際的な論文サーバーで正式公開され、固有の公式DOIを取得している文理統合理論『WFM-8』。

    ◆公式論文アーカイブ(Zenodo)
    https://doi.org/10.5281/zenodo.20360243
    (Psyche-Civilizational Engineering WFM-8: Quantitative Modeling of Anomie and Borderline Analysis via Critical Cutoff Engineering)
    -------------------------------------------------------

    精神文明工学WFM-8は、精神を『意識』と『心』という新しい公理で再定義し、境界線工学CCEを用いて精神を数値化・定量化・解決する学問領域です 。宇宙から素粒子までを精神BIOSを通して、位相的&工学的に解釈します。

    なお、この理論を知らなくても、今回のテーマである世界秩序の転換点としての『支配階層の中間層の消失』の概念は理解できます。犬とお姉さんと猛損乃莉凰が分かりやすく解説しています。また、板書もありますので、イメージは伝わることでしょう。

    新チャンネル @WFM8_Radio

    ■概要 (Abstract)

    本講義では、現代貨幣理論や既存のマクロ経済学の限界を超え、精神文明工学WFM-8の「境界線工学(CCE)」のアプローチから、現代社会の病理である「GIAレポート短信の報告内容」の構造を精神文明工学的およびCCE的に解剖します。また、地球外公理(査読不要、証明不要)を設定し、現代の代替OSとして全く新しい概念を導入することで、解決可能であることを提案します。世界は常に静止しておらず、動態システムの中でフラクタル的に存在していると解釈します。これによって精神も同じ理屈で説明可能となります。

    ・精神文明工学:Psyche-Civilizational Engineering (Wave Frequency Matrix 8)
    ・境界線工学:Critical Cutoff Engineering (CCE)

    ■公式認定

    本チャンネルは、GoogleAI概要や検索等でも独自概念として認識されている精神文明工学『WFM-8』のグランドマスター・アーキテクトにより公式ライセンスを付与された解説チャンネルです。精神BIOS理論に基づき、現代社会や科学の事象を多角的に構造解析します。


    青面さん、さっそくご意見ありがとうございます。
    ご指摘の空白期間についても、いずれ近いうちに考察してみたいところですね。

    とりあえず、検証困難と思われるピラミッドラインについて、さらに数理的に迫ってみたいと思います。

    まず先日の札幌の周辺のピラミッドラインを拡大して道内全体へと広げてみたのが図1です。

    ここで重要になってくるのが、羊蹄山、朝里天狗岳、黄金山、貴気別山といった山々になります。

    具体的には、朝里天狗岳についてみていくと、まず泊天狗山⇔朝里天狗岳⇔高砂遺跡⇔夕張岳への東西ラインがあります。

    同じく朝里天狗岳⇔藻岩山への西20度偏角のライン、朝里天狗岳⇔砥石山⇔硬石山への西30度偏角のライン、朝里天狗岳⇔焼山(豊平山)への西40度偏角のラインがあり、最後のラインと線対称になるのが、先日指摘した貴気別岳⇔焼山(豊平山)⇔硬石山⇔高砂遺跡への東40度偏角のラインとなります。

    このラインと直交するのが、図のように、泊天狗山⇔羊蹄山⇔貴気別岳への西50度偏角のラインです。

    この羊蹄山については、旧石器時代の祝梅遺跡と東西ライン(若干1度ほど西に傾くのは時代の北極がずれていたから)で、また羊蹄山⇔朝里天狗岳⇔黄金山への東55度偏角のライン、羊蹄山⇔砥石山⇔藻岩山⇔高砂遺跡へ東25度偏角のラインも確認できます。

    あと、黄金山については、黄金山⇔泊天狗山への東31度偏角のライン、黄金山⇔夕張岳への西39度偏角のラインがあり、ここでも1度の西への傾きが確認できます。

    その他、祝梅遺跡⇔夕張岳への東30度偏角のラインがあり、総じて10度間隔でラインが構成されていることからみて、2万年前の旧石器時代の文明が、現代と同じ180度分割の測量を可能としていたことが予想されます。

    これらの拠点で一番重要だったのが、朝里天狗岳⇔大石神ピラミッドの南北ライン(1度西へ傾く)だと思われ、以前紹介した図2、3のように、大石神ピラミッドが全国のピラミッド型の山々とライン的に接合しており、それに合うように山々が造形されていったと考えるべきでしょう。

    本州では富士山や位山ピラミッドあたりが中心拠点となってくるわけですが、日本に残る岩座信仰の源泉は2万年以上前の旧石器時代の文明に起因しており、発展段階説では証明できない高度な文明が、幾何・数理的にこうして明らかにされてくるのです。

    人間の知性がサルから、平坦な比例曲線で進化し続けてきたという常識が洗脳の結果であることも、近いうちにAI等も使って数理的にも証明されてくるように感じます。その時に、我々歴史家はどう弁明すべきか?ここが今後の課題かもしれませんね。
    ※ 北海道から東北北部に掛けての、ピラミッドと認定済みの山々を結ぶのであれば、ある程度の検証は可能でしょうが、道南の秀峰・駒ヶ岳(砂原岳1,113メートル、剣ヶ峯1,131メートル)が入っていない。

    ※ 恐山の宇曾利山湖北岸の鶏頭山(320 m)に意味が有るとも思えない。恐山の南側には、釜臥山(かまふせやま、かまぶせやま)が聳え立ち、下北半島中央部に位置する恐山山地の最高峰であり標高は878.2m。

    岩手県花巻市大迫町の鶏頭山(1,445m)と誤認してるのでは? 早池峰連嶺の岩峰として存在感のある山。


    ※ 靄山(もややま)https://aomori-tourism.com/spot/detail_9982.html

    五所川原市脇元地区にある「靄山(もややま)」は、古くより脇元岩木山神社として信仰を集め、弘前市の岩木山と姉妹だと伝えられています。

    旧暦8月1日の朔日山(ついたちやま)には、五穀豊穣と大漁を祈願する「脇元岩木山神社大祭」が催行されます。
    標高152.4mのピラミッド型の山頂は、正面に日本海、右に権現崎、左に岩木川と十三湖そして名峰岩木山を眺望できる絶景の場所です。

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    靄山 - 青森県・津軽半島の東海岸から近い位置にある山で、整った三角錐の姿から、古代人が造ったという説もある山だ。山名の「モヤ」とは、里山の独立した山を指すという。山頂から眺望する海岸線は弓なりになって素晴らく、南側に聳える岩木山も美しい。...
    www.yamakei-online.com


    青森県・津軽半島の東海岸から近い位置にある山で、整った三角錐の姿から、古代人が造ったという説もある山だ。山名の「モヤ」とは、里山の独立した山を指すという。山頂から眺望する海岸線は弓なりになって素晴らく、南側に聳える岩木山も美しい。

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    北津軽 #十三湖 の北。日本海に面した山麓の南端の #靄山(もややま、標高152m)山頂に岩木山神社を勧請(お招き)した #脇元岩木山神社 が鎮座。市浦は #東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)の故郷でもあります。山頂で岩木山と日本海の景色を眺めながら #安部...
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    靄山の「モヤ」とは、アイヌ語起源の地名とされ、本来はアイヌ語の「モ・イワ」であり、「小さい神が住む処」という意味とされています。
    >本州では富士山や位山ピラミッドあたりが中心拠点となってくるわけですが、日本に残る岩座信仰の源泉は2万年以上前の旧石器時代の文明に起因しており、

    ※ 富士山が現在の姿に成ったのは、西暦800年の噴火以降ですので、超古代の中心拠点には、成り得ません。

    ※ 祝梅遺跡も高砂遺跡も豊里石刃遺跡も、跡形も無く消滅していて、発掘物が近くの公共施設に展示されているだけ。

    ※ 札幌市内だけでも遺跡の数は500を超え、全道だと数千ヶ所。超マイナーな遺跡にラインを引いても、共有化しずらい。

    ※ 札幌市近郊の低山の山頂も数百も有り、「山頂が一直線に並んだ」だけの理由で、「全部ピラミッドです。」と帰結するのは、無理が大きすぎる。
    地層プレートの衝突と圧縮に因る、造山運動に過ぎないと見なされます。


    ◎ 日本ピラミッド一覧
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    日本にもピラミッドがある?そんな話が都市伝説として流行った時期があります。 ピラミッドといえばエジプトやメソアメリカ文明に存在する。 三角錐型の遺跡ですね、石積みで王様のお墓だったり神殿だったりするあ
    trivia-and-know-how-notes.com


    青森県 モヤ山ピラミッド
    青森県 十和利山ピラミッド&大石神ピラミッド
    秋田県 黒又山ピラミッド
    岩手県 五葉山ピラミッド
    福島県 千貫森ピラミッド
    長野県 皆神山ピラミッド
    富山県 尖山ピラミッド
    愛知県 東谷山ビラミッド
    奈良県 三輪山ビラミッド
    広島県 葦嶽山ピラミッド

    ※ これらに、黄金山や大和三山、等を加えても、20基程度。候補と成る山の磐座を確認した上で、丁寧な論証を積み上げないと、認定はされない。「超古代の高度文明」で仮説を立てても、『水や太鼓などの、音波の振動に依る、共鳴・共振を利用した。』等の具体的な手法を示さないと、論証に成らない。

    ◎ 超古代に列島を結んだ大地のネットワーク「日本のピラミッド」
    世界のピラミッドのルーツは日本にある——。キリスト教伝道者・酒井勝軍はそう主張し、日本各地の山にピラミッドを見いだしていった。
    そして、それらのピラミッドを結んでいくと、大地のエネルギーをつなぐラインが現れるという。古文献にも記された太古日本の謎に迫...
    web-mu.jp


    「2万2000年前に中国地方にピラミッドが築かれた記録だというのである。また同書には、12代天皇の時代には日本列島の4か所でピラミッドが建設されたという記述もあった。」
    神学者でキリスト教伝道者の酒井勝軍(かつとき)は、ピラミッドとは「天(あめ)の御柱(みはしら)」という意味で、霊廟ではなく祭壇であることが基本であると主張し、その形式を以下のように定義する。

    ●本殿(ピラミッド)の形が整然とした三角錐をなしていること。このとき斜面の角度は76度50分を原則とする。本体は自然の山を利用し、なるべく人の手を加えないほうが望ましい。エジプトの砂漠の場合、理想的な山がなかったので、やむをえず石材で建造したが、日本ではその必要は認められない。

    ●本殿の頂上もしくはその付近には、太陽石を中心に配置された列石(ストーンサークル)や磐境(いわさか)が置かれている。列石は円形もしくは方形、あるいは両者の組み合わせで4種類がある。

    ●本殿の近くにはそれを拝する拝殿の役割を果たす小さな山があり、そこにはドルメンなど祭祀用の施設が置かれている。

    酒井は、昭和5(1930)年ごろから各地で講演会を開いては、日本列島のどこかに必ずこれらの条件に当てはまるピラミッドが存在するはずだと説いてまわった。いや、それだけではなく、自らピラミッド捜しにも乗りだしたのだ。

    ※ 酒井勝軍が示した、これらの三条件を満たしたものだけを、ピラミッドとして認定すべきであり、「高精度でライン上に並び、等間隔や幾何学的な配置に並ぶ山頂群」は、『高精度に幾何学的な配置の山頂群』の様に、別な表記を用いて、分けて考察すべきである。

    ※ 他に認定済みのものでは、日輪神社ピラミッド(岐阜県)。候補として、三上山 (近江富士:滋賀県)、剣山(徳島県)が挙げられる。

    御上神社 https://mikami-jinja.jp/
    青面さん、さっそくお返事ありがとうございます。
    確かに火山が並んでいるケースがあるようですね。
    一つにはプレートの関係、もう一つは以前私のほうで指摘した隕石(小天体の分裂)によってマントル刺激に伴い、一直線のライン上に火山が並ぶケースですね。

    今回の場合は、そのどちらでもなく、人工的な火山生成のような気がします。

    その人工的な位置にある点は、先日お知らせした図1のラインと角度からもわかるのですが、特に距離について調べなおしていくと、下記のラインに相関性がみえてきます。

    百松沢山⇔砥石山:5161m

    五天山⇔百松沢山:5352m
    焼山⇔硬石山:5409m

    藻岩山⇔硬石山:5600m
    砥石山⇔硬石山:5763m
    五天山⇔砥石山:5826m
    砥石山⇔藻岩山:5835m
    手稲山⇔五天山:5874m

    藻岩山⇔五天山:6188m
    手稲山⇔百松沢山:6218m

    砥石山⇔焼山:6765m

    百松沢山⇔藻岩山:9611m

    藻岩山⇔焼山:10218

    百松沢山⇔焼山:10838m


    以上となり、こうみていくと、砥石山と五天山の南北ライン(西に1度傾いている)を軸として、オレンジで記した同距離ラインが各山へと延びていたことが分かります。加えて、紫ライン、緑ラインの近似値も見て取れますが、この辺は硬石山の位置をもう少し東側の現在の砕石場あたりにもってくれば、さらに距離的な整合性が高くなることも予想できます。つまりここでも、1度前後、藻岩山⇔硬石山のラインが西に傾くわけです。


    人工的な位置配置だとすると、その大きさにも人工的な数値が出るのではないかと思い、さっそくAI(GEMINI)に調べさせてみました。結果は下記のとおりです。

    山名,標高

    手稲山,"1,023m"
    百松沢山,"1,038m"
    砥石山,826m
    焼山(豊平山),662m
    藻岩山,531m
    小樽天狗山,532m
    硬石山,371m
    五天山,303m

    また、これらの山の標高(数値)に関しての相関関係を調べさせたのが下記の内容です。表も添付します。


    ```

    提示された8つの山の標高データから読み取れる、数値的な特徴や分布の傾向を分析しました。

    「相関関係」という点では、通常は2つ以上の異なる変数(例えば標高と気温、標高と登山時間など)の間の関係を指しますが、ここでは「標高値の分布」における特徴的な数値パターンを整理します。

    ### 1. 標高の統計的概要

    * **平均値:** 660.75m
    * **中央値:** 597m
    * **最大値:** 1,038m(百松沢山)
    * **最小値:** 303m(五天山)
    * **標準偏差:** 約279m(バラつきが比較的大きい)

    ---

    ### 2. 数値面で見出せる3つのクラスター

    標高を並べ替えると、約250m〜300m刻みで3つのグループ(階層)に綺麗に分かれていることがわかります。

    * **【1,000m超え層】(高難度グループ)**
    * **百松沢山 (1,038m)**、**手稲山 (1,023m)**
    * 数値差はわずか15m。この2座が突出して高く、札幌近郊の「屋根」を形成しています。


    * **【500m〜800m層】(中堅層)**
    * **砥石山 (826m)**、**焼山 (662m)**、**小樽天狗山 (532m)**、**藻岩山 (531m)**
    * 小樽天狗山と藻岩山はわずか1m差。この層は数値の連続性が高く、札幌市民に最も親しまれている標高帯です。


    * **【300m台層】(低山層)**
    * **硬石山 (371m)**、**五天山 (303m)**
    * 手軽な散策レベルの数値帯です。



    ---

    ### 3. 数値的な特筆点

    * **「双子」のような数値:**
    * 「藻岩山(531m)」と「小樽天狗山(532m)」はほぼ同一。
    * 「百松沢山(1,038m)」と「手稲山(1,023m)」も非常に近い。
    これらは地域が離れていても、地質学的または地形形成の過程で似たような規模の隆起が起きた可能性を示唆しています。


    * **線形に近い分布:**
    最高峰の1,038mから最低の303mまで、概ね100m〜150mの間隔で均等に山が存在しており、特定の標高に極端に偏ることなく「なだらかなピラミッド型」のラインナップになっています。



    ----------


    AIの活用で、この手の数値に関する相関関係を調べたり、見出すことは楽になりそうですが、ただやはり限界もあるようですね。

    その辺はさらに人間の思考力でカバーしていく必要があるのですが、数値的にぱっと見わかるのは、やはり、藻岩山と小樽天狗山の標高531,532mで同じことと、手稲山と百松沢山の標高が1030mほどで近似しており、それらが2倍に近い数値にあることですね。

    人工的な爆発力でこれらの山を造営したとすると、同じ規模の爆発を誘発させる何かがあったということになるでしょうか。

    ただ、他の山々の数値には相関性が見いだせない点で課題も残ります。

    あと焼山の662mは、上記の3分の2サイズに近似します。

    したがって、爆発力からいくと、330mもしくはその半分の165mを一単位としたサイズになるように調整した可能性がでてくるわけですが、先の焼山の662mに165mを足すと、827mになり、これが砥石山の826mに近似してくるわけです。

    ここで、先の硬石山の371mにその165mを足すと、ちょうど536mで先の藻岩山・小樽天狗山の532~3mに近似することもわかります。

    最後に残った五天山の303m以外は、上記のとおり165m前後の尺度で整備されていた可能性が見えてきます。

    あと、ピラミッドの各面にあたる三角形の形状に注目すると、おおむね30度の傾斜になっていることもわかります。

    AIに調べさせると下記の通りです。

    山名,標高,推定傾斜角,形状の分類と視覚的特徴
    百松沢山,"1,038m",30°〜 35°,画像左下。積雪により斜面の凹凸が強調され、険しい稜線が見て取れます。
    手稲山,"1,023m",20°〜 35°,「横」からのアングルでは頂上の平坦さが、「前」からは急峻な側面が確認できます。
    砥石山,826m,25°〜 35°,中央下部。複数のピークが連なり、奥深い山容を見せています。
    豊平山(焼山),662m,35°〜 45°,極めて整った三角形。札幌近郊で最もピラミッドに近い「美形状」です。
    小樽天狗山,532m,25°〜 35°,画像左上。広い斜面を持ち、スキー場としての地形的特徴が顕著です。
    藻岩山,531m,20°〜 30°,「前」は円錐形に見えますが、「横」からはなだらかな背中を持つことがわかります。
    硬石山,371m,30°〜 45°,画像右下。採石による階段状のテラスが、人工的な幾何学模様を作っています。
    五天山,303m,35°〜 40°,中央。標高は低いですが、道路から見上げる角度では非常に鋭角に見えます。


    ------


    ここで、30~40度あたりが見えてくるのですが、これ自体は、世界の平均的な山の傾斜角の35度前後と同じらしく、人工的なものではないことも予想できます。つまり、山の斜面を削って成形する部分が人工的なのでしょう。

    強いて特別視させるならば、焼山(豊平山)の35°〜 45°,極めて整った三角形で、四角推つまりピラミッド型になっている点は特異な形状とみて差し支えないでしょう。

    そこで、再度、人工的にピラミッド型の山を造営する意味を考える必要があるのですが、たとえば、光通信のような光学的な反射に由来するならば、斜面が特定方向に向いている必要があるのですが、以前指摘したように、尾根の方向がラインに向いていることがあり、斜面が向いているケースもありましたが、これには、いささか問題があります。

    何らかのエネルギーを発生させて、それを特定方向へ収束させるような仕組みがあったのではないか?との見方もできますが、収束させるならば、中心地点あるはずで、この辺については、また日を改めて考えてみましょう。
    ※ 道内の書店に設けられた『北海道の本』のコーナーの棚で、北海道の歴史の本を捲ると、「黒曜石から始まって、阿倍比羅夫の遠征、北の元寇・奥尻島での争奪戦、松前藩とシャクシャイン、コシャマイン、クナシリ・メナムの戦い、との様に、超古代史の後の、「古代史から中世史」の部分に、大きな空白期間が有り過ぎて、徐々にしか埋まって来ていない。

    ※ 超古代のピラミッドラインを追っても、検証自体が困難だし、大半の道民が知りたいのは、「コロポックルの渡来と退出の時期、アイヌ民族は南西部と北東部では、出自が違うのか。三内丸山遺跡を中心とする文化圏と、津軽十三湊を母港とする安東水軍を通じての、北海道周辺の交易の流れ。」

    ※ 造山運動は地学の分野で、山岳分析は地理学の分野。本筋の「古代史から中世史」をダイレクトに論じるのを避けて、超古代史ばかりを力説しても、読んでる側は虚しいばかり。
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