歴史掲示板(渡来人研究会)


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二重まぶたの可能性が高い遺伝子タイプが多い都道府県ランキング発表 1位 奈良県、2位 鳥取県、3位 三重県
近畿地方は遺伝的に二重まぶたの人が多い傾向に

■二重まぶた、一重まぶた
 皮膚が折りたたまれてヒダができる場合は二重まぶた、ヒダができない場合は一重まぶたとよばれます。ただ、本来は二重まぶたの構造であっても、まぶたに皮下脂肪や皮膚の量が多いため、ヒダができなかったり、皮膚が折りたたまれたりせず、一重まぶたや奥二重に見える人もいます。

アジア人は半数近くが一重、あるいは奥二重といった中間的な形状のまぶたを持つと言われていますが、これは、まぶた周辺組織の位置関係や眼の周辺の形状・構造の違いに起因すると考えられています。

■遺伝子解析項目「二重まぶた(SNP:rs242975)」について
 東京女子医科大学等の研究グループにより、最大1万人以上の日本人女性を対象に、皮膚や毛髪に関する複数の体質についてのwebアンケート結果と遺伝子との大規模な関連解析が実施されました。その結果、「SNP:rs242975」という遺伝子型において「T」を持っているほど、二重まぶたの可能性が高い傾向があることが分かりました。
「SNP:rs242975」は、骨や神経の発達に重要な遺伝子の1つEMX2の近くに存在しており、「SNP:rs242975」が二重まぶたの形成に何らかの影響をおよぼしている可能性が示唆されました。※3

 遺伝子解析項目「二重まぶた(SNP:rs242975)」には3つの遺伝子型があり、「二重まぶたの可能性が高いタイプ(遺伝子型:TT)」、「やや二重まぶたの可能性が低いタイプ(遺伝子型:CT)」、「二重まぶたの可能性が低いタイプ(遺伝子型:CC)」に分けられます。

※3 根拠とする文献は次の通りです。Endo C et al. (2018) "Genome-wide association study in Japanese females identifies fifteen novel skin-related trait associations." Sci Rep. 8(1):8974.

■調査結果
 今回の調査では、「二重まぶたの可能性が高いタイプ(遺伝子型:TT)」に該当する人の割合を都道府県(出生地)別に算出し、数値化しました。

 上記の解析結果より、「二重まぶたの可能性が高い遺伝子タイプ」の人の割合が相対的に高い都道府県は、1位 奈良県、2位 鳥取県、3位 三重県、4位 滋賀県、5位 福井県、6位 大阪府、7位 宮城県、8位 岐阜県、9位 香川県、秋田県となりました。全ランキングを見ると、近畿地方の2府5県すべてが14位以内に入っています。

■日本では約半分、欧米や南アジアでは約7割が「二重まぶたの可能性が高い遺伝子タイプ」に該当
 今回の調査で遺伝子解析項目「二重まぶた(SNP:rs242975)」に関して、日本人における遺伝子型の割合は、「二重まぶたの可能性が高いタイプ(遺伝子型:TT)」が45.8%、「やや二重まぶたの可能性が低いタイプ(遺伝子型:CT)」が43.5%、「二重まぶたの可能性が低いタイプ(遺伝子型:CC)」が10.8%でした。日本人の約半分が「二重まぶたの可能性が高い遺伝子タイプ」に該当することが分かりました。

 また、人種別では、「二重まぶたの可能性が高いタイプ(遺伝子型:TT)」に該当する割合が高い順に、南アジア集団(74.3%)、ヨーロッパ集団(72.3%)、ラテンアメリカ集団(66.6%)、アジア集団(60.2%)、東アジア集団(56.2%)、アフリカ集団(44.1%)などとなっています。同じアジアの中でも、日本を含む東アジア集団よりも、インドやバングラデシュなどを含む南アジア集団の方が高いことが見て取れます。ご自身のタイプが気になる方は、「遺伝子解析サービス」を試してみてはいかがでしょうか。

■調査概要
調査方法:ゲノムデータの解析をもとに調査
調査対象:「ユーグレナ・マイヘルス 遺伝子解析サービス」、「ジーンクエストALL」の利用者
対象者数:ゲノムデータ:57,449人
調査時期:2023年11月
調査項目:ゲノムデータ「二重まぶた(SNP:rs242975)」の項目について、「二重まぶたの可能性が高いタイプ(遺伝子型:TT)」に該当する人の割合を都道府県ごとに算出
管理人 投稿日: 2023年12月12日 00:09:42 No.357
さっき、BSで観たのですが、現在の日本人の大部分の遺伝子は、古墳時代に入ってきた渡来人のそれらしいとのことでした。それ以前の弥生人、縄文人、旧石器時代人のそれは、2割くらいしか残ってないらしい。

どうしてそうなったのか?添付図のように、古墳時代に中国方面から大量の遺民があり、その影響がそのまま現代に残っているとのことなのでしょうか。

しかし弥生人の黄色の分布はあきらかに北方遊牧民系。HLAハプロタイプで日本で最も多いB52との兼ね合いを想起させますね。彼らは元は北方系で日本語の形成ともかかわっているか。 一部は長江方面へと南下したのち、日本へと稲作を伝えていったのかもしれません。




the Imperial throne 皇統とは 傳仁天皇 投稿日: 2023年12月08日 04:32:15 No.351 【返信】

皇統とは、江戸時代にはもう、幕府将軍家であり、戦時中は軍部であり、これからは池田大作さんの公明党を含む与党の首相。
益人 投稿日: 2023年12月08日 14:20:13 No.353
いくつかの例外を除いては、現実の支配権と名目上・血統上の正統性は、どの時代にも完全には一致しないものなのではないでしょうか。
国会でも明治時代に南朝のほうが正統とされたようですし。


新・全国神社ライン 管理人 投稿日: 2023年11月22日 02:00:59 No.349 【返信】

ご無沙汰してます。地元の地ビール造りプロジェクトの関係でバタバタしてて更新遅れました。
ようやく落ち着いてきたので、今回は以前お知らせした全国の神社を結ぶ方位ラインについて再考してみました。
図1は、全国の主要な大社を結んだラインとなりますが、特に今回は熊野大社や宮崎神宮が絡んできた点で目新しい発見となってます。

具体的には、まず楽浪郡治⇔帯方郡治(ソウル中心部)⇔金海古墳群(狗邪韓国)⇔平原遺跡⇔吉野ヶ里遺跡(北墳丘墓)⇔女山神籠石⇔国見山⇔山田古墳状地形(西都市)⇔宮崎神宮への西30度偏角のラインがあります。

これと直交して、宮崎神宮⇔熊野大社⇔鹿島神宮への東30度偏角のラインが見えてきます。

その熊野大社⇔出雲大社への西30度偏角のラインにも注目しておくべきでしょう。

そして金海古墳群⇔出雲大社⇔妻木晩田遺跡⇔籠神社(元伊勢)⇔鹿島神宮への東5度偏角のラインがあることは以前もお知らせしたとおりで、また、金海古墳群)⇔熱田神宮の東西同緯度ラインがあり、さらに金海古墳群⇔鬼ノ城(吉備)⇔仁徳陵⇔箸墓古墳南部⇔伊勢内宮への西5度偏角のラインも存在したでしょう。

あと、平原遺跡⇔伊川・大日寺古墳状地形⇔熱田神宮⇔鹿島神宮への東15度偏角のラインもあります。

これらの大社は天孫降臨伝承とも関わり、日本神道・皇族の起源とも関わってくるものですが、楽浪郡から狗邪韓国へと南下した楽浪遺民(阿残)の系統にある集団とつながっており、特に金海古墳群周辺つまり金官伽耶・秦韓国から、全国各地へと展開していったことが伺えます。

その集団は天孫降臨という形で、高天原を楽浪・帯方方面として、金海にある亀旨峰を、天孫のニニギが降臨したクシフルダケとみなす見方に従えば、この金海周辺がこれらのラインの起点となっていることも理解しやすくなるでしょう。

そこから、大国主やスサノオといった先に出雲に降っていった集団がおり、また一方で、ニニギのように北部九州をへて日向・宮崎方面へと移住していった集団もいたはずです。

そして、その後、出雲を経て鹿島方面へと向かったのがタケミカヅチとフツヌシであり、この出雲大社⇔鹿島神宮ラインと関わっていくでしょう。

その途中に籠神社という元伊勢が見えてくるのも、その後の伊勢内宮で祀られたアマテラス女神のそれとも関係してくるはずです。

特に吉備の鬼ノ城から箸墓古墳・三輪山南部をへて伊勢内宮へと至るラインは、吉備と鬼退治(桃)と関わる孝霊天皇と、箸墓古墳のヤマトトトビモソヒメ(桃)との関係、三輪山伝承を残す崇神天皇のそれとを想起させます。

最終的に、それらのライン上に仁徳陵や、四道将軍・ヤマトタケルの東征を関わる熱田神宮が見えてきて、そこに三種の神器の草薙剣が関わっていくこととなります。

あと、これらの東征の前段階として、伊都国の平原遺跡、吉野ヶ里古墳の北墳丘墓、女山神籠石、西都市山田の古墳状地形(箸墓と同型)が拠点として用いられていたことがあり、これらは弥生時代から邪馬台国時代において造営されたもので、この時点ですでに楽浪・帯方郡・狗邪韓国の影響を受けていたと考えるべきでしょう。

扶余・楽浪遺民の中にいたある集団が天孫族とでもいうべき集団の祖先であったことをこれらのラインが示しているように思いますが、扶余・高句麗祖語と日本語との類似性なども含めて、日本文化の起源と関わっていく点で重要です。


管理人 投稿日: 2023年11月24日 02:11:32 No.350
AIと立体地図で古墳発見 兵庫県内34カ所、奈文研の主任研究員ら

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/aiと立体地図で古墳発見-兵庫県内34カ所-奈文研の主任研究員ら/ar-AA1knWwY?ocid=msedgdhp&pc=U531&cvid=832ff2ab85774e2fa7dbd24f3ca07a84&ei=9

上記の西都市山田の古墳状地形や、伊川・大日寺の古墳状地形もAIによって古墳として認識される日が近いかもしれませんね。


無題 日本人のルーツ 投稿日: 2023年11月12日 16:00:23 No.347 【返信】

お久しぶりです。 なにかニュースありますか?


無題 歴史マニア 投稿日: 2023年10月28日 19:48:07 No.346 【返信】

日露戦争で日本が勝てたのはベトナムの方のおかげであるという話が舞台化されるそうです。
舞台「艦隊は動かず」
めっちゃ面白そうです。


新・邪馬台国ライン2 管理人 投稿日: 2023年10月27日 00:23:37 No.344 【返信】

先日は四国邪馬台国説に関わりそうなライン図を紹介してきましたが、瀬戸内海を挟んで対岸にあたる吉備から姫路周辺にも複数のラインが交差する地点があり、この周辺も邪馬台国時代に重要視されていた可能性がありそうです。

特に姫路の山戸4号墳は3世紀前半の纒向型前方後円墳として知られており、この古墳の竪穴式石槨の形状が讃岐のものと類似し、納められた大型の壺棺も讃岐で作られたとみられることから、讃岐地方との交流が予想されているようです。

そして、この古墳に関連するラインは図1のようになります。図2、3はその拡大図です。

具体的にはまず先日も指摘した西都原古墳群⇔石清尾山古墳群⇔荒神社(小豆島)⇔山戸4号墳⇔分校マエ山古墳⇔柳田布尾山古墳への東45度偏角のラインがあり、年代は3世紀代とされる纒向型前方後円墳の年代とみなしうるでしょう。このラインが先の讃岐との関わりをはっきりと示しています。

なお、その石清尾山古墳群については以前作成したように、堀之越古墳⇔八堂山遺跡⇔高屋神社付近⇔石清尾山古墳群(3世紀~)⇔布留神社への東30度偏角のラインがあり、弥生時代末期から布留遺跡の布留式土器に関する年代の造営と考えうるでしょう。

その分校マエ山古墳⇔柴崎蟹沢古墳への東西ラインがあり、また同じく柴崎蟹沢古墳⇔諏訪大社前宮北部⇔山戸4号墳への東20度偏角のラインがあります。

また、中山茶臼山古墳⇔山戸4号墳⇔鹿島神宮への東15度偏角のラインがありますが、このラインと中山茶臼山古墳⇔大剣神社への西75度偏角のラインが直交しています。

あと、山戸4号墳⇔布留遺跡⇔伊勢内宮への西10度偏角のラインも留意しておくべきでしょう。

さらに、大剣神社⇔山戸4号墳東部⇔太田南古墳群(魏年号銘鏡出土)への東65度偏角のラインがあり、をの太田南古墳群⇔安満宮山古墳(魏年号銘鏡出土)⇔三輪山への西60度偏角のラインがあります。

その安満宮山古墳⇔萩原墳墓群⇔大剣神社⇔西都原古墳群への東40度偏角のラインがあり、またその萩原墳墓群については、神原神社古墳(魏年号銘鏡出土)⇔楯築墳丘墓⇔萩原墳墓群への西40度偏角のラインもあります。

その他、中山茶臼山古墳⇔箸墓古墳⇔伊勢外宮への西5度偏角のライン、その箸墓古墳⇔荒神社(小豆島)への東西ライン、石清尾山古墳⇔三輪山⇔新宝院山古墳群への東8度偏角のラインの存在も三輪・伊勢方面の諸伝承との関わりを示すものでしょう。

このように山戸4号墳、大剣神社周辺は、ある時期の瀬戸内において、測量面でも領域支配でも重要拠点であった可能性がみえてくるのですが、山戸(ヤマト)の字名は、そのまま邪馬台国と関わるはずで、その意味では、ある時期の邪馬台国の拠点でもあったのでしょう。

天満山が近くにあり、天照信仰のそれを想起させますが、布留遺跡をへて伊勢へと至るラインと関わってくるかもしれません。

そこに、魏年号銘鏡出土古墳や纒向型前方後円墳が関わっていくのですが、これらのセット関係は、比較的時間的に近い年代に造営・埋葬されたことを示すはずですが、畿内へ入り伊勢方面へと展開していく直前期に、四国の剣山方面や、吉備の中山茶臼山古墳、播磨の山戸4号墳周辺に拠点をおいていた可能性がありそうです。

もう少し、その年代を10年単位くらいでライン面から識別出来てくると面白いのですが、またその辺については、後日改めて考えてみたいと思います。




続・邪馬台国ライン 管理人 投稿日: 2023年10月20日 00:59:16 No.343 【返信】

先日お知らせした伊予氷見・八堂山遺跡等を結ぶ方位ラインについて、さらに以前とりあげた同時代の方位ラインを追加してみたのが図1となります。

ここでは、まず今回追加したのは、魏年号銘鏡を出土した島根の神原神社古墳と富士山(白山岳)を結ぶ東西ラインがあります。

この東西ラインと平行して、分校マエ山古墳(纒向型前方後円墳)⇔浅間山古墳(纒向型前方後円墳)の東西ラインもあります。

そして籠神社⇔長田口遺跡(纒向型前方後円墳)への東西ライン、また椿井大塚山古墳⇔新宝院山古墳群への東西ラインも追加しています。

あと、先日も指摘した山田(北九州市)⇔伊予氷見南部⇔大剣神社への東西ラインの存在もあります。

その新宝院山古墳群⇔長田口遺跡⇔北山茶臼山古墳への東60度偏角のラインがあり、同じくそれと平行して、籠神社⇔大剣神社への東60度偏角のラインがあります。

また、西60度偏角のラインとしては、先日もお知らせした持田古墳群(魏年号銘鏡出土)⇔平塚川添遺跡へのライン、籠神社⇔神宮皇后陵⇔布留遺跡へのライン、川柳将軍塚古墳⇔山中湖(長池・呉金印出土地)へのラインがあり、これらのラインと直交するのが、女山神籠石⇔川部・高森遺跡⇔川柳将軍塚古墳への東30度偏角のライン、大剣神社⇔神功皇后陵⇔北山茶臼山古墳への東30度偏角のライン、持田古墳群⇔月讀宮⇔富士山(白山岳)⇔山中湖(長池)への東30度偏角のラインとなります。

これらのラインは図のように長方形の区画を構成しており、その領域内がある時期の邪馬台国の領域だった可能性もあるでしょう。

年代的には、纒向型前方後円墳が造営され、かつ布留遺跡の布留式土器の年代でしょう。初期の三角縁神獣鏡の出土とも関わってきますが、中山茶臼山古墳や川柳将軍塚古墳は箸墓と同規格とされるので、その年代とも言えそうです。

それで、今回もう一つ加えたのが、能登半島の氷見市にある3世紀末の前方後方墳とされる柳田布尾山古墳で、中山茶臼山古墳⇔籠神社⇔柳田布尾山古墳への東40度偏角のライン、西都原古墳群⇔分校マエ山古墳⇔柳田布尾山古墳への東45度偏角のラインも確認できます。

また、神原神社古墳⇔中山茶臼山古墳⇔萩原墳墓群(纒向型前方後円墳)への西40度偏角のラインがあり、萩原墳墓群⇔川柳将軍塚古墳への東40度偏角のラインと線対称になりますが、このラインは、図のように、今日と南西部、琵琶湖東部にある複数のラインが交差する地点を通過していることからみても、総じて同時代の測量によるラインと考えうるでしょう。

その他、天岩戸神社⇔大剣神社⇔布留遺跡⇔長田口遺跡への東28度偏角のラインや、阿蘇山(中岳)⇔大剣神社⇔富士山(白山岳)への東20度偏角のラインもあり、大剣神社および剣山が、この時期に測量拠点や烽火等の通信拠点として重視されていたことをうかがわせるものです。

これらのラインが多く交差する地点に、情報の集約拠点、つまり首都的な機能をもった都市が存在していた可能性が高くなりますが、立地的には平地が多く飲料水を確保できるかといった要因も都づくりには欠かせません。

九州では持田古墳群・西都原古墳群のある日向地域や女山神籠石・山門周辺、平塚川添遺跡周辺、四国でいけば、伊予氷見・八堂山遺跡、徳島の萩原墳墓群・大麻比古神社周辺、布留遺跡周辺、規模方面だと中山茶臼山古墳・楯築墳丘墓周辺、東国では富士山・山中湖周辺、長野の川柳将軍塚古墳周辺、群馬北山茶臼山から浅間山古墳・柴崎蟹沢古墳周辺あたりが都市機能を有するのにふさわしい場所だったかもしれません。

東遷説に従えば、九州北部にあった初期の邪馬台国が、上記の四国北部・吉備方面を経由して、畿内へと拠点を構築しながら移動していく過程で、首都機能も移動していった可能性も考慮すべきですが、それが弥生末期から古墳初期・前半の年代となるはずで、その造営年代をライン分析を通して明らかにしていくべきと感じますが、このラインが西暦何年のものと断定していくには、もう少し時間が必用そうです。




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