歴史掲示板(渡来人研究会)


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超古代 渡来人?… 荊の紀氏 投稿日: 2022年08月03日 08:40:14 No.52 【返信】

ケルト人と日本人の近さ!https://plaza.rakuten.co.jp/agrifresh/diary/201408260002/
…超古代エジプトにいたクル人が、その次に今のイスラエルの場所、昔のカナンの地に住んだ。
そして、地中海文明のミノア文明の祖となり、超古代ヨーロッパの先住民族になっていった。
そうして欧州のストーンヘンジなどを作る文明を築いた。
それがケルト人の祖であったクル人であった。
クル…
ヘブライ人の名前が何故、日本語で書かれていたのか? それは、日本人の祖先とユダヤ人の祖先が同じクル族であったからなのです。 https://ameblo.jp/03415100/entry-10833886274.html
クル族…
クル族(クルぞく、サンスクリット語 कौरव Kaurava, 「クル कुरु Kuru の子孫」の意)は、古代インドの文献に現れる、インド・アーリア人の一部族の名称。
十王戦争に勝利したバラタ族は、インド・アーリア人の諸部族における覇権を確立した。
そして次第に、十王戦争において戦った相手であるプール族と融合し、支配階層を形成して、クル族と呼ばれるようになったのである。

ネアンデルタール人とホモサピエンス
…現代のユーラシア人は10万年前にアフリカを離れたグループの子孫と言える。
一方、ネアンデルタール人(HN)は、ホモサピエンス(HS)より先にユーラシア全体に広がった。
ヨーロッパでもクロアチアやスペインに分布した西部ネアンデルタール人(HN)と、シベリアアルタイ地域に分布した東部ネアンデルタール人(HN)は遺伝的に異なっている(私たちの民族の違いと同じように考えればいい)。
(←スペインとクロアチアはだいぶ離れているけれど、クロアチアも西部ネアンに入るんですね)
3者のゲノムを比べた研究から、1)西部ネアンデルタール人(HN)から現代ユーラシア人の祖先、2)デニソール人(HD)からポリネシアやチベット族の祖先、そして3)
ネアンデルタール人(HN)からデニソーワ人(HD)、という方向性で遺伝子導入が認められているが、不思議なことに、この逆の流れは検出できていなかった。
…「初期のホモサピエンスから東方のネアンデルタール人への古代の遺伝子拡散」です。
…R1a系統の集団が、クロアチアのネアンとの交雑でしょうか?また、R1bがスペイン系のネアンとの交雑?

ハプログループR-S116 …
遺伝子研究によって飛躍的な進歩を遂げた現代の考古学は「島のケルト」と称されていた人々が、ガリア北部や沿岸部のどの部族からも遠い遺伝子を持つこと、そしてむしろイベリア人からの影響が存在していることをつきとめた…
ケルト人に関連する遺伝子としてハプログループR-S116 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%88%E4%BA%BA
…ケルト人はおそらく青銅器時代に中部ヨーロッパに広がり、その後期から鉄器時代初期にかけて、ハルシュタット文化(紀元前1200年 - 紀元前500年)を発展させたと考えられてきた。
当時欧州の文明の中心地であったギリシャやエトルリアからの圧倒的な影響の下、ハルシュタット文化はラ・テーヌ文化(紀元前500年 - 紀元前200年)に発展する。
ちなみに、イギリスの世界遺産であるストーンヘンジはより古い新石器時代~青銅器時代(紀元前3千年~2千年) の建造と以前は考えられていた。
ケルトの社会は鋭利な鉄製武器を身に付け、馬に引かれた戦車に乗った戦士階級に支配され、欧州各地に分立した。
彼らは南欧の文明社会としきりに交易を行い、その武力によって傭兵として雇われることもあり、ギリシャ・ローマの文献に記録が残されている。紀元前400年頃にはマケドニアの金貨に影響されて、各地でケルト金貨を製造するようになった。また、ケルト人の一部はバルカン半島へ進出し、マケドニア、テッサリアなどを征服。ギリシャ人は彼らをガラティア人と呼んだ。紀元前3世紀に入ると、さらにダーダネルス海峡を経由して小アジアへ侵入し、現在のアンカラ付近を中心に小アジア各地を席巻した。
紀元前400年頃にはマケドニアの金貨に影響されて、各地でケルト金貨を製造するようになった。
また、ケルト人の一部はバルカン半島へ進出し、マケドニア、テッサリアなどを征服。
ギリシャ人は彼らをガラティア人と呼んだ。紀元前3世紀に入ると、さらにダーダネルス海峡を経由して小アジアへ侵入し、現在のアンカラ付近を中心に小アジア各地を席巻した。
紀元前3世紀に入ると、さらにダーダネルス海峡を経由して小アジアへ侵入し、現在のアンカラ付近を中心に小アジア各地を席巻した。
やがて紀元前1世紀頃に入ると、各地のケルト人は他民族の支配下に入るようになる。
ゲルマン人の圧迫を受けたケルト人は、西のフランスやスペインに移動し、紀元前1世紀にはローマのガイウス・ユリウス・カエサルらによって征服される。カエサルの『ガリア戦記』はガリア(ゴール)のケルト社会に関する貴重な文献である。やがて500年にわたってローマ帝国の支配を受けたガリアのケルト人(フランス語ではゴール人)は、被支配層として俗ラテン語を話すようになり、ローマ文化に従い、中世にはゲルマン系のフランク人に吸収されフランス人に変質していく。
カエサルの『ガリア戦記』はガリア(ゴール)のケルト社会に関する貴重な文献である。
ケルト人…
…古代ケルト人はもともとドルイド教を信仰し、日本人は神道を信仰していた。. カトリックや仏教は、外部からもたらされた宗教なのである。
 ケルトと日本の信仰の比較https://blog.goo.ne.jp/oppt777/e/7d5e0c8b2ee3dda602e675fbaccd3b20
ケルトの渦巻き模様によく似ていると言われるのが、日本の縄文土器の模様である。
アイルランド…
現在の英国、アイルランド、フランスにあたる地域に暮らした古代ケルト人。ドルイドとは、その社会の有力な階級の人々だ。彼らは平和的な司祭だったのか、それとも危険な預言者だったのか?
ドルイドって何? 古代ケルト、謎の社会階級 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/112400679/
巨大な人型の檻に人間を閉じ込め、火をつける生贄の儀式も
紀元前50年代、ローマがガリア(現在のフランス)を侵攻した後、共和政ローマの軍人であり政治家の
ユリウス・カエサルは、ドルイドのことを「祭事に従事し、公的および私的な生贄の儀式を行い、宗教に関するあらゆる物事を解釈する人々」だと書き残した。
彼らは天文学や教育、武勇に関心があり、神の恩恵を受けるために、仲間のガリア人を生贄として捧げる習慣がある、とカエサルは述べている。
なんと、編み細工で作った巨大な人型の檻「ウィッカーマン」の中に生きている人間を閉じ込め、火をつけたという。(参考記事:「超ワイルドな砂漠のイベント「バーニングマン」写真22点」)
「ウィッカーマン」…
ウィッカーマンという生贄儀式 ドルイド教 悪魔崇拝 https://stopbrainhacking.blog.fc2.com/blog-entry-324.html
アメリカのジョージア・ガイドストーンはストーンヘンジに似ています。
星の運行とかカレンダーではないかと言われていましたが イギリスのストーンヘンジからは4000体の遺体が見付かっていて 実際はドルイド教の生贄儀式の場所だったのではないかと分かってきました。
ウィッカーマンは人間型の木の枠に入れて生贄にする儀式です。

イルミナティの先祖のドルイド教徒達は、キリスト教がこの世に誕生するまで、思いのままに力で庶民を支配する事が出来ていました。
イルミナティに魂を売った漫画家達 Vol.7 https://note.com/rarmenbar1985/n/nbbf92c13d7f6

「神がこの世に下す審判の性質が大きく変わってくる」?

統一教会はアメリカCIA、イルミナティのエージェント組織です。
黒幕はアメリカCIA・イルミナティ。.https://daiwaryu1121.com/post-60494/
安倍総理が奈良県の大和西大寺で演説中に元海上自衛隊の山上徹也に後ろから撃たれました。
…アメリカCIA、イルミナティは安倍総理を使ってさまざまな闇の仕事をさせていました。
それらがこれから露見する前に口封じで殺害しようとしたということだと思います。

CIAの韓国でのストロングマンが文鮮明 その CIAが、韓国においてストロン グマンにしたのが文鮮明 https://ochakai-akasaka.com/counseling/220721/
文鮮明…
トランプ氏訪朝は 「驚異的」 北朝鮮メディアが伝える https://www.bbc.com/japanese/48821976

文鮮明の息子ショーン牧師がトランプ大統領の当選を神の御手によるものとする理由に迫る 。https://courrier.jp/news/archives/134956/
ヒラリー・クリントンは「堕落したイヴ」であり、この人が当選したらロシアとの核戦争が始まる。一方、ドナルド・トランプは「アダムのような人間」で、「大天使である政府を攻撃し、そのことで政府に健全な判断力を回復させようとする」らしい。
大統領選の結果がどう出るかによって、「神がこの世に下す審判の性質が大きく変わってくる」と。
一方、ドナルド・トランプは「アダムのような人間」で、「大天使である政府を攻撃し、そのことで政府に健全な判断力を回復させようとする」らしい。大統領選の結果がどう出るかによって、「神がこの世に下す審判の性質が大きく変わってくる」と。
大統領選の結果がどう出るかによって、「神がこの世に下す審判の性質が大きく変わってくる」と。
…ジャスティンは、国連を「サタン」、生活保護を受けている人を「パラサイト」と言う。民主党についてはこう言う。
「民主党には児童性愛者がたくさんいて、トランプがそれを摘発しようとしている。全員捕まえて刑務所に送り込んで処刑すべきだ」

【トランプ】暴動の裏側にある黒い思惑! CIA右派の動きとグレートリセット、バイデン側の国賊…現役諜報員が暴露!https://tocana.jp/2021/01/post_194134_entry.html
…ワシントンにはCIA右派の関係者からの要請で入っています。
周りにはCIA右派の関係者がゾロゾロいますね。しかし、久しぶりに彼らと再開し、今回の大統領選でCIA右派の構成もかなり変わったと実感しました。
もともとCIA右派・左派とは米国内の「コントロールされた反対勢力」を意味していましたが、今回の大統領選を境にCIA右派内で深刻な分裂があり、トランプ派はどちらかと言うと「特殊部隊・軍事インテリジェンスOB」が支配的で、本物のCIA出身者はほぼ皆無です。
ではCIA出身者はどこに行ったかというとバイデン側につき、CIA左派になっています。


ハプログループN(Y染色体)の移動 岩石(ハンドルネーム) 投稿日: 2022年08月02日 17:52:45 No.51 【返信】

祖先型が出アフリカ後、南アジアへ達し、東へルートをとって東南アジアへ達し、ここでNO*祖型(Y染色体)からN祖型(Y染色体)、O祖型(Y染色体)が分化したと推定される(N系統(Y染色体)の分化は8800年前か6900年前)。NO(Y染色体)はK(Y染色体)のサブクレード(細分岐)の一つで、「M214, P188, P192, P193, P194, P195」の変異で定義される系統で、3万4600±4700 年前(別のソースによると3万3000 [3万0900~3万5200]年前or4万1500 [3万7400~4万5600]年前)にハプログループK2(Y染色体)から誕生した。NO(Y染色体)は徳島5.7%、福岡3.8%いる。NO(Y染色体)の親タイプのK2a(Y染色体)のパラグループK2a*(Y染色体)はシベリアのウスト・イシム人(4万5000年前or3万7000~4万2000年前)のみから見つかっている。NO(Y染色体)の祖先Ka2(Y染色体)は出アフリカ後北回りで中央アジア・シベリアを経由して東アジアに至り、NO(Y染色体)が誕生したと考えられる。下記の「Y染色体ハプログループ人集団の東アジアでの展開経路」によると、ハプログループNO(Y染色体)→N(Y染色体)、O(Y染色体)は1万9000年前から海面上昇し、スンダランドの低地が海に沈むと、北東亜平野に移り、その周囲(西日本を含む)で広がった。
 縄文文明(紀元前1万6500年~紀元前1000年頃、旧O2b(Y染色体)系、縄文語)や長江文明(紀元前1万4000年頃~紀元前1000年頃、旧O2b(Y染色体)系、ベトナム系言語)に遅れて、7300年前の喜界島超巨大噴火以後に遼河文明(紀元前6200年前~紀元前500年頃、ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族)と黄河文明(紀元前6800年~紀元前1600年、ハプログループO2(Y染色体)=旧O3(Y染色体)、シナ・チベット語族)が起こり、難を逃れた縄文文明人がこの2つの文明に深く関わっていた。色白金髪碧眼は縄文文明人から遼河文明人に引き継がれた。
 遼河沿岸地帯は1万2000年前頃から4000年前頃までは豊かな水資源に恵まれており、深い湖沼群や森林が存在した。日本も7000年前の縄文海進では関東まで熱帯だった。その後、遼河文明人は、約4200年前頃から始まった気候変動により砂漠化したことから、色白金髪碧眼高身長のハプログループN(Y染色体)は西に移動し、カザフスタンのバルハシ湖の東にいた(狭義の)匈奴(ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族)と呼ばれていた。
 ハプログループP(Y染色体)について、①ユーラシア大陸では西シベリアにハプログループQ(Y染色体)が集中している、②ハプログループQ(Y染色体)が満州を北上している、③極東からアメリカ大陸に渡ったハプログループQ(Y染色体)が多い、④ユーラシア大陸ではヨーロッパ・中央アジア南部・中近東・インドにハプログループR(Y染色体)が集中している、⑤一部のハプログループR(Y染色体)は極東からアメリカ大陸に渡り、北アメリカ北部に集中している、ことから、東南アジア~東アジアでハプログループP(Y染色体)→ハプログループR(Y染色体)、ハプログループQ(Y染色体)に分かれた。東南アジア~東アジアにハプログループR(Y染色体)、ハプログループQ(Y染色体)が結構いる。
 氷河期が終わると、東南アジア~東アジアではハプログループO(Y染色体)が強すぎるため、もしくは新天地を求めて、ハプログループN(Y染色体)、ハプログループR(Y染色体)、ハプログループQ(Y染色体)が北、東、西に向かった。ハプログループMS(Y染色体)→ハプログループM(Y染色体)、ハプログループS(Y染色体)は氷河期に南東に向かった。
 シベリア~中央アジアで北西に向かったハプログループR(Y染色体)とハプログループN(Y染色体)が混血し、色白金髪碧眼高身長はハプログループN(Y染色体)→ハプログループR(Y染色体)に受け継がれた。
 現在、この(狭義の)匈奴は北欧【ハプログループN(Y染色体)のフィンランドのフィン人、スカンジナビア半島東半分に住むサーミ人、バルト3国人、ウラル語族)】や東欧【ハンガリー人、ウラル語族、現在は周囲と混血し、ヨーロッパ人の遺伝子が多い】に住んでいる。ハンガリー人はハプログループR(Y染色体)の比率が高く、ヨーロッパ人化が進んでいるが、フィンランド人はハプログループN(Y染色体)の比率が高く、アジア系(日本の蝦夷と同じ)の特知用が残っている。ハンガリー人はマジャール人とも呼ばれているが、マジャールは(広義の)匈奴=モンゴル(ペルシャ語のムガール)である。フィンランド人(Y染色体ハプログループN1a1・61%、 I ・29%、 R1a ・5%、R1b ・3.5%)、スカンジナビア半島東半分に住むサーミ人(N・48%、I1・約31%)、バルト三国人(+I(Y染色体)、エストニア人N(Y染色体)・41%、ラトビア人、リトアニア人)、マジャール人(Y染色体ハプログループR1a が最多、R1b や I がほぼ高~中頻度、NやC2が低頻度)等である。ハプログループ I (Y染色体)が結構多いことから、バルカン半島~スカンジナビア半島でハプログループ I (Y染色体)+ハプログループR(Y染色体)+ハプログループN(Y染色体)がバイキングとして混血した。
 3割が色白金髪碧眼高身長であり、シベリアを中心に住んでいるアジア系アルタイ諸語タタール人(Q(Y染色体)、C2(Y染色体)、N(Y染色体))がいる。
 色白金髪碧眼でNが少ないが、色白金髪碧眼高身長がハプログループR(Y染色体)に受け継がれたノルウェー人(Y染色体ハプログループI・40.3%、R1a・17.9%~30.8%、R1b・25.9%~30.8%)、スウェーデン人(Y染色体ハプログループI・37.5%、R1a・24.4%、R1b・13.1%、N・4.4%)、デンマーク人〈+I(Y染色体)〉等の北欧人がいる。
 西シベリアの北極圏においてヨーロッパ人の先祖であるハプログループH(mtDNA) =R1(Y染色体)、U(mtDNA) =I(Y染色体)と、日本人やアメリカ先住民の先祖であるハプログループD(mtDNA)≒D(Y染色体)が一緒に暮らしていた。ハプログループX(mtDNA)≒DE(Y染色体)、R(Y染色体)はヨーロッパ・中近東、東日本(縄文人、アイヌ)、北アメリカ大陸北東に共通して観察される。また、西シベリアの北極圏では、永久凍土のミイラはゼレニーヤール(Z-Y)の埋葬地(66°19'4.54 С; 67°21'13.54Â)にある12〜13世紀の墓で発見され、古代のDNA分析は、ZYミイラのmtDNAハプロタイプが5つの異なるハプログループ、即ちU5a(mtDNA)=I系統(Y染色体)、H3ao(mtDNA)=R1(Y染色体)、D(mtDNA)≒C(Y染色体)、U4b1b1(mtDNA)=I系統(Y染色体)、及びD4j8(mtDNA)≒D系統(Y染色体)に属することを示した。それらは西部と東部のシベリア特異的mtDNAハプログループのそれらの独特の組み合わせでそれらを区別する。
 また、匈奴の古人骨の古代DNA分析は複数サンプルで行われている。紀元前2~1世紀の匈奴人の3サンプルの分析では、いずれもハプログループQ (Y染色体)に属していた。北東モンゴルの紀元0年前後の3人(男性2人、女性1人)の人骨の分析では、1人の男性はハプログループC2 (Y染色体)とハプログループD4 (mtDNA)に属し、もう一人の男性はハプログループR1a1 (Y染色体)とハプログループU2e1 (mtDNA)に、女性はハプログループD4 (mtDNA)に属していた。別の匈奴人の分析では、Y染色体がハプログループR1、R1b、O2a、ミトコンドリアDNAはハプログループD4(mtDNA)、N9a(mtDNA)、G(mtDNA)が観察された。これらの結果から、Y染色体DNAは、チュルク系民族などアルタイ系に多いC2 (Y染色体)、スキタイなどイラン系に多いR1a1(Y染色体)、ケット人などエニセイ系のQ(Y染色体)、東アジアに広範囲分布するO2(Y染色体)=旧O3(Y染色体)などが混在しており、ミトコンドリアDNAはモンゴロイド系ハプログループが中心で、一部コーカソイド系が混じっている。
 スラブ系には必ずR(Y染色体)、I(Y染色体)、N(Y染色体)があり、ロシア人(R1a(Y染色体)・19.8%~62.7%で平均46.7%、N(Y染色体)・5.4~53.7%で平均21.6%、I(Y染色体)・0-26.8%で平均17.6%、R1b(Y染色体)・0-14%で平均5.8%)、ウクライナ人(R1a(Y染色体)・43.2%、I(Y染色体)・27.2%、R1b(Y染色体)・7.9%、E1b1b(Y染色体)・7.4%、N(Y染色体)・5.4%)、ポーランド人〈+I(Y染色体)〉、ギリシャ人〈+I(Y染色体)〉、チェコ人〈+I(Y染色体)〉、スロバキア人〈+I(Y染色体)〉、クロアチア人〈+I(Y染色体)〉、ベラルーシ人〈+I(Y染色体)〉等である。
 また、ゲルマン系は主にハプログループR1a(Y染色体)、R1b(Y染色体)であり、N(Y染色体)は少なく、イギリス人〈+I(Y染色体)〉、ドイツ人〈+I(Y染色体)〉、オランダ人〈+I(Y染色体)〉等である。彼らはバイキングに侵略された歴史がある。
 さらに、N(Y染色体)がほとんどないラテン系は色白金髪碧眼を受け継いだが、その程度が少ないハプログループR1b(Y染色体) (古代アーリア人→ゲルマン系) が主である。E(Y染色体) (地中海沿岸)、J(Y染色体) (中近東)~スペイン等はアラブ系に侵略された歴史がある~、I(Y染色体) (バルカン半島・北欧)、G(Y染色体) (コーカサス地方)が混ざっている。ヨーロッパ以外の中近東、中央アジア、インドには青い瞳の者はいても金髪の者はいない。しかし、日本には色白金髪碧眼の者がいる。
 一方、色白ではあるものの金髪碧眼ではないN(Y染色体)が大部分を占める極東連邦管区北東部の端のチュクチ半島に住むチュクチ人(Y染色体ハプログループN-Tat(Y染色体)・58.3%、Q-M3(Y染色体)・33.3%、R(Y染色体)・4.2%、C2-M217(Y染色体)・4.2%) (色白)、極東連邦管区西部のサハ共和国に住むヤクート人(ハプログループN(Y染色体)・94.5%、C2(Y染色体)・2.1%、Q(Y染色体)・0.5%)(色白)、シベリア連邦管区極北部のガナサン人(N(Y染色体)・92%)(色白)、北西連邦管区北東部のネネツ人(N(Y染色体)・97%)(色白)、モンゴル人(C2(Y染色体)・52%~54%、N(Y染色体)・10.6%、O2(Y染色体)・10.6%、Q(Y染色体)・4.5%)、ブリヤ―ト人(C2(Y染色体)・63.9%、N(Y染色体)・20%)、等。彼らは古遼河沿岸のモンゴル・満州・朝鮮に住んでいたハプログループN(Y染色体)は北上(1万2000年前)し、北アジア(極東、西シベリア、ウラル地域)に住んだ。
 後に、遼河沿岸の(狭義の)匈奴(ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族)にモンゴル(ハプログループC2(Y染色体)、アルタイ諸語)やインディアン語族のQ (Y染色体)(アメリカ先住民と同族)を合わせて(広義の)匈奴と言うようになった。遼河はモンゴル東部地域から中国東北地方に亘って流れている。漢帝国は(広義の)匈奴の属国だった。
 なお、中央アジアのキルギスの例からソグド人(バルハシ湖の南西にあるソグディアナに住んでいた)はハプログループR(Y染色体)、ハプログループO(Y染色体)、ハプログループC(Y染色体)の混血であり、(狭義の)匈奴(ハプログループN(Y染色体))とは別である。昔はソグド人と(狭義の)匈奴を混同していた。
 7000年前の縄文海進では関東まで熱帯だった。色白金髪碧眼高身長のハプログループN(Y染色体)が温帯だった青森県の三内丸山遺跡を担った。この人たちは栗や栃の実などを栽培していた耕作地が疲弊してきたため、青森から関東方面に向けて移動していった。氷河期が終わり、海面が上昇すると、北極海の冷たい海水がベーリング陸橋→海峡を通って親潮(寒流)となって太平洋に流れ込んだ。これにより太平洋沿岸の寒冷化が進み、これに伴い、3500年前、東日本縄文人(東北のハプログループN(Y染色体)、ハプログループC(Y染色体)、関東のハプログループD(Y染色体))が南下し、西日本にも広がった。
 新石器時代の中国東北部や東部沿岸の遺跡から縄文土器が出土している。遼河系先住日本人(ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族)=遼河文明系匈奴(ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族)であり、日本の古墳は匈奴由来である。
 匈奴を含むフン族はC2 (Y染色体)、C1a1(Y染色体)、N(Y染色体)、O2(Y染色体)=旧O3(Y染色体)、Q (Y染色体)、R(Y染色体)、I(Y染色体)、D(Y染色体)がいる。なお、西方のフン族には東方のO2(Y染色体)=旧O3(Y染色体)やC1a1(Y染色体)はいない。
 日本人におけるハプログループ(mtDNA)は、東アジア・東シベリア→アメリカ大陸のA(mtDNA)、B(mtDNA)、C(mtDNA)、D(mtDNA)、東アジア・東南アジアのE(M9)(mtDNA)、F(mtDNA)、G(M12)(mtDNA)、西アジア→南アジア→志那のM(mtDNA)、N(mtDNA)、西アジア→西シベリア→ヨーロッパ・中東、東日本、アメリカ大陸のX(mtDNA)、志那→北東シベリア沿海州のY(N9)(mtDNA)、遼河・西日本(匈奴=父系ハプログループN)→フィンランド(ウラル系民族)のZ(mtDNA)、西アジア→ヨーロッパのHV(mtDNA)がある。ハプログループZ(mtDNA)はフィン人、サーミ人、ロシア人、ハザーラ人、日本人、朝鮮人、中国北部、カムチャッカの先住民などで観察され、一部は遼河~北東亜平野~西日本発祥のハプログループN(Y染色体)と同じような拡散経路をたどったと考えられ、ウラル語族と関連していると思われている。



 祖先型が出アフリカ後、南アジアへ達し、東へルートをとって東南アジアへ達し、ここでNO*祖型(Y染色体)からN祖型(Y染色体)、O祖型(Y染色体)が分化したと推定される(N系統(Y染色体)の分化は8800年前か6900年前)。NO(Y染色体)はK(Y染色体)のサブクレード(細分岐)の一つで、「M214, P188, P192, P193, P194, P195」の変異で定義される系統で、3万4600±4700 年前(別のソースによると3万3000 [3万0900~3万5200]年前or4万1500 [3万7400~4万5600]年前)にハプログループK2(Y染色体)から誕生した。NO(Y染色体)は徳島5.7%、福岡3.8%いる。NO(Y染色体)の親タイプのK2a(Y染色体)のパラグループK2a*(Y染色体)はシベリアのウスト・イシム人(4万5000年前or3万7000~4万2000年前)のみから見つかっている。NO(Y染色体)の祖先Ka2(Y染色体)は出アフリカ後北回りで中央アジア・シベリアを経由して東アジアに至り、NO(Y染色体)が誕生したと考えられる。下記の「Y染色体ハプログループ人集団の東アジアでの展開経路」によると、ハプログループNO(Y染色体)→N(Y染色体)、O(Y染色体)は1万9000年前から海面上昇し、スンダランドの低地が海に沈むと、北東亜平野に移り、その周囲(西日本を含む)で広がった。
 縄文文明(紀元前1万6500年~紀元前1000年頃、旧O2b(Y染色体)系、縄文語)や長江文明(紀元前1万4000年頃~紀元前1000年頃、旧O2b(Y染色体)系、ベトナム系言語)に遅れて、7300年前の喜界島超巨大噴火以後に遼河文明(紀元前6200年前~紀元前500年頃、ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族)と黄河文明(紀元前6800年~紀元前1600年、ハプログループO2(Y染色体)=旧O3(Y染色体)、シナ・チベット語族)が起こり、難を逃れた縄文文明人がこの2つの文明に深く関わっていた。色白金髪碧眼は縄文文明人から遼河文明人に引き継がれた。
 遼河沿岸地帯は1万2000年前頃から4000年前頃までは豊かな水資源に恵まれており、深い湖沼群や森林が存在した。日本も7000年前の縄文海進では関東まで熱帯だった。その後、遼河文明人は、約4200年前頃から始まった気候変動により砂漠化したことから、色白金髪碧眼高身長のハプログループN(Y染色体)は西に移動し、カザフスタンのバルハシ湖の東にいた(狭義の)匈奴(ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族)と呼ばれていた。
 ハプログループP(Y染色体)について、①ユーラシア大陸では西シベリアにハプログループQ(Y染色体)が集中している、②ハプログループQ(Y染色体)が満州を北上している、③極東からアメリカ大陸に渡ったハプログループQ(Y染色体)が多い、④ユーラシア大陸ではヨーロッパ・中央アジア南部・中近東・インドにハプログループR(Y染色体)が集中している、⑤一部のハプログループR(Y染色体)は極東からアメリカ大陸に渡り、北アメリカ北部に集中している、ことから、東南アジア~東アジアでハプログループP(Y染色体)→ハプログループR(Y染色体)、ハプログループQ(Y染色体)に分かれた。東南アジア~東アジアにハプログループR(Y染色体)、ハプログループQ(Y染色体)が結構いる。
 氷河期が終わると、東南アジア~東アジアではハプログループO(Y染色体)が強すぎるため、もしくは新天地を求めて、ハプログループN(Y染色体)、ハプログループR(Y染色体)、ハプログループQ(Y染色体)が北、東、西に向かった。ハプログループMS(Y染色体)→ハプログループM(Y染色体)、ハプログループS(Y染色体)は氷河期に南東に向かった。
 シベリア~中央アジアで北西に向かったハプログループR(Y染色体)とハプログループN(Y染色体)が混血し、色白金髪碧眼高身長はハプログループN(Y染色体)→ハプログループR(Y染色体)に受け継がれた。
 現在、この(狭義の)匈奴は北欧【ハプログループN(Y染色体)のフィンランドのフィン人、スカンジナビア半島東半分に住むサーミ人、バルト3国人、ウラル語族)】や東欧【ハンガリー人、ウラル語族、現在は周囲と混血し、ヨーロッパ人の遺伝子が多い】に住んでいる。ハンガリー人はハプログループR(Y染色体)の比率が高く、ヨーロッパ人化が進んでいるが、フィンランド人はハプログループN(Y染色体)の比率が高く、アジア系(日本の蝦夷と同じ)の特知用が残っている。ハンガリー人はマジャール人とも呼ばれているが、マジャールは(広義の)匈奴=モンゴル(ペルシャ語のムガール)である。フィンランド人(Y染色体ハプログループN1a1・61%、 I ・29%、 R1a ・5%、R1b ・3.5%)、スカンジナビア半島東半分に住むサーミ人(N・48%、I1・約31%)、バルト三国人(+I(Y染色体)、エストニア人N(Y染色体)・41%、ラトビア人、リトアニア人)、マジャール人(Y染色体ハプログループR1a が最多、R1b や I がほぼ高~中頻度、NやC2が低頻度)等である。ハプログループ I (Y染色体)が結構多いことから、バルカン半島~スカンジナビア半島でハプログループ I (Y染色体)+ハプログループR(Y染色体)+ハプログループN(Y染色体)がバイキングとして混血した。
 3割が色白金髪碧眼高身長であり、シベリアを中心に住んでいるアジア系アルタイ諸語タタール人(Q(Y染色体)、C2(Y染色体)、N(Y染色体))がいる。
 色白金髪碧眼でNが少ないが、色白金髪碧眼高身長がハプログループR(Y染色体)に受け継がれたノルウェー人(Y染色体ハプログループI・40.3%、R1a・17.9%~30.8%、R1b・25.9%~30.8%)、スウェーデン人(Y染色体ハプログループI・37.5%、R1a・24.4%、R1b・13.1%、N・4.4%)、デンマーク人〈+I(Y染色体)〉等の北欧人がいる。
 西シベリアの北極圏においてヨーロッパ人の先祖であるハプログループH(mtDNA) =R1(Y染色体)、U(mtDNA) =I(Y染色体)と、日本人やアメリカ先住民の先祖であるハプログループD(mtDNA)≒D(Y染色体)が一緒に暮らしていた。ハプログループX(mtDNA)≒DE(Y染色体)、R(Y染色体)はヨーロッパ・中近東、東日本(縄文人、アイヌ)、北アメリカ大陸北東に共通して観察される。また、西シベリアの北極圏では、永久凍土のミイラはゼレニーヤール(Z-Y)の埋葬地(66°19'4.54 С; 67°21'13.54Â)にある12〜13世紀の墓で発見され、古代のDNA分析は、ZYミイラのmtDNAハプロタイプが5つの異なるハプログループ、即ちU5a(mtDNA)=I系統(Y染色体)、H3ao(mtDNA)=R1(Y染色体)、D(mtDNA)≒C(Y染色体)、U4b1b1(mtDNA)=I系統(Y染色体)、及びD4j8(mtDNA)≒D系統(Y染色体)に属することを示した。それらは西部と東部のシベリア特異的mtDNAハプログループのそれらの独特の組み合わせでそれらを区別する。
 また、匈奴の古人骨の古代DNA分析は複数サンプルで行われている。紀元前2~1世紀の匈奴人の3サンプルの分析では、いずれもハプログループQ (Y染色体)に属していた。北東モンゴルの紀元0年前後の3人(男性2人、女性1人)の人骨の分析では、1人の男性はハプログループC2 (Y染色体)とハプログループD4 (mtDNA)に属し、もう一人の男性はハプログループR1a1 (Y染色体)とハプログループU2e1 (mtDNA)に、女性はハプログループD4 (mtDNA)に属していた。別の匈奴人の分析では、Y染色体がハプログループR1、R1b、O2a、ミトコンドリアDNAはハプログループD4(mtDNA)、N9a(mtDNA)、G(mtDNA)が観察された。これらの結果から、Y染色体DNAは、チュルク系民族などアルタイ系に多いC2 (Y染色体)、スキタイなどイラン系に多いR1a1(Y染色体)、ケット人などエニセイ系のQ(Y染色体)、東アジアに広範囲分布するO2(Y染色体)=旧O3(Y染色体)などが混在しており、ミトコンドリアDNAはモンゴロイド系ハプログループが中心で、一部コーカソイド系が混じっている。
 スラブ系には必ずR(Y染色体)、I(Y染色体)、N(Y染色体)があり、ロシア人(R1a(Y染色体)・19.8%~62.7%で平均46.7%、N(Y染色体)・5.4~53.7%で平均21.6%、I(Y染色体)・0-26.8%で平均17.6%、R1b(Y染色体)・0-14%で平均5.8%)、ウクライナ人(R1a(Y染色体)・43.2%、I(Y染色体)・27.2%、R1b(Y染色体)・7.9%、E1b1b(Y染色体)・7.4%、N(Y染色体)・5.4%)、ポーランド人〈+I(Y染色体)〉、ギリシャ人〈+I(Y染色体)〉、チェコ人〈+I(Y染色体)〉、スロバキア人〈+I(Y染色体)〉、クロアチア人〈+I(Y染色体)〉、ベラルーシ人〈+I(Y染色体)〉等である。
 また、ゲルマン系は主にハプログループR1a(Y染色体)、R1b(Y染色体)であり、N(Y染色体)は少なく、イギリス人〈+I(Y染色体)〉、ドイツ人〈+I(Y染色体)〉、オランダ人〈+I(Y染色体)〉等である。彼らはバイキングに侵略された歴史がある。
 さらに、N(Y染色体)がほとんどないラテン系は色白金髪碧眼を受け継いだが、その程度が少ないハプログループR1b(Y染色体) (古代アーリア人→ゲルマン系) が主である。E(Y染色体) (地中海沿岸)、J(Y染色体) (中近東)~スペイン等はアラブ系に侵略された歴史がある~、I(Y染色体) (バルカン半島・北欧)、G(Y染色体) (コーカサス地方)が混ざっている。ヨーロッパ以外の中近東、中央アジア、インドには青い瞳の者はいても金髪の者はいない。しかし、日本には色白金髪碧眼の者がいる。
 一方、色白ではあるものの金髪碧眼ではないN(Y染色体)が大部分を占める極東連邦管区北東部の端のチュクチ半島に住むチュクチ人(Y染色体ハプログループN-Tat(Y染色体)・58.3%、Q-M3(Y染色体)・33.3%、R(Y染色体)・4.2%、C2-M217(Y染色体)・4.2%) (色白)、極東連邦管区西部のサハ共和国に住むヤクート人(ハプログループN(Y染色体)・94.5%、C2(Y染色体)・2.1%、Q(Y染色体)・0.5%)(色白)、シベリア連邦管区極北部のガナサン人(N(Y染色体)・92%)(色白)、北西連邦管区北東部のネネツ人(N(Y染色体)・97%)(色白)、モンゴル人(C2(Y染色体)・52%~54%、N(Y染色体)・10.6%、O2(Y染色体)・10.6%、Q(Y染色体)・4.5%)、ブリヤ―ト人(C2(Y染色体)・63.9%、N(Y染色体)・20%)、等。彼らは古遼河沿岸のモンゴル・満州・朝鮮に住んでいたハプログループN(Y染色体)は北上(1万2000年前)し、北アジア(極東、西シベリア、ウラル地域)に住んだ。
 後に、遼河沿岸の(狭義の)匈奴(ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族)にモンゴル(ハプログループC2(Y染色体)、アルタイ諸語)やインディアン語族のQ (Y染色体)(アメリカ先住民と同族)を合わせて(広義の)匈奴と言うようになった。遼河はモンゴル東部地域から中国東北地方に亘って流れている。漢帝国は(広義の)匈奴の属国だった。
 なお、中央アジアのキルギスの例からソグド人(バルハシ湖の南西にあるソグディアナに住んでいた)はハプログループR(Y染色体)、ハプログループO(Y染色体)、ハプログループC(Y染色体)の混血であり、(狭義の)匈奴(ハプログループN(Y染色体))とは別である。昔はソグド人と(狭義の)匈奴を混同していた。
 7000年前の縄文海進では関東まで熱帯だった。色白金髪碧眼高身長のハプログループN(Y染色体)が温帯だった青森県の三内丸山遺跡を担った。この人たちは栗や栃の実などを栽培していた耕作地が疲弊してきたため、青森から関東方面に向けて移動していった。氷河期が終わり、海面が上昇すると、北極海の冷たい海水がベーリング陸橋→海峡を通って親潮(寒流)となって太平洋に流れ込んだ。これにより太平洋沿岸の寒冷化が進み、これに伴い、3500年前、東日本縄文人(東北のハプログループN(Y染色体)、ハプログループC(Y染色体)、関東のハプログループD(Y染色体))が南下し、西日本にも広がった。
 新石器時代の中国東北部や東部沿岸の遺跡から縄文土器が出土している。遼河系先住日本人(ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族)=遼河文明系匈奴(ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族)であり、日本の古墳は匈奴由来である。
 匈奴を含むフン族はC2 (Y染色体)、C1a1(Y染色体)、N(Y染色体)、O2(Y染色体)=旧O3(Y染色体)、Q (Y染色体)、R(Y染色体)、I(Y染色体)、D(Y染色体)がいる。なお、西方のフン族には東方のO2(Y染色体)=旧O3(Y染色体)やC1a1(Y染色体)はいない。
 日本人におけるハプログループ(mtDNA)は、東アジア・東シベリア→アメリカ大陸のA(mtDNA)、B(mtDNA)、C(mtDNA)、D(mtDNA)、東アジア・東南アジアのE(M9)(mtDNA)、F(mtDNA)、G(M12)(mtDNA)、西アジア→南アジア→志那のM(mtDNA)、N(mtDNA)、西アジア→西シベリア→ヨーロッパ・中東、東日本、アメリカ大陸のX(mtDNA)、志那→北東シベリア沿海州のY(N9)(mtDNA)、遼河・西日本(匈奴=父系ハプログループN)→フィンランド(ウラル系民族)のZ(mtDNA)、西アジア→ヨーロッパのHV(mtDNA)がある。ハプログループZ(mtDNA)はフィン人、サーミ人、ロシア人、ハザーラ人、日本人、朝鮮人、中国北部、カムチャッカの先住民などで観察され、一部は遼河~北東亜平野~西日本発祥のハプログループN(Y染色体)と同じような拡散経路をたどったと考えられ、ウラル語族と関連していると思われている。




ハプログループI(Y染色体)を色白金髪碧眼高身長とする説は矛盾だらけ 岩石(ハンドルネーム) 投稿日: 2022年08月02日 01:01:41 No.49 【返信】

 最近のゲノム解析により、ハプログループI(Y染色体)は碧眼遺伝子の担い手であったとされ、高身長との関連性も示唆されている。
 日本の国別の地勢、風俗、気質などを書いた地誌『人国記』(作者不詳、成立年代も室町末期らしい)という本において陸奥国のところに「この国の人は日の本の故にや、色白くして眼の色青きこと多し」と驚くべき記述がある。東北地方の人たちが白人の遺伝子を持っているのなら、青い眼の人が生まれるのも納得がいく。秋田美人などの雪国の色白美人の秘密は白人の血が混じっているためなのかも知れない。「この国の人は日の本の故にや」という記述に注目すると、この文章を読んでまず思い出したのが中国の歴史書『旧唐書』倭国日本伝の記述で、「日本国は倭国の別種なり。その国日辺に在るを以て、故に日本を以て名となす」「あるいはいう、日本は旧小国、倭国の地を併せたりと」ここにはかつて倭国と日本が別の国であったことが記されている。つまり『人国記』の「この国の人は日の本の故にや、色白くして眼の色青きこと多し」という記述は、「この国の人は「日の本」の国の人間のため、肌の色が白く、瞳の色が青いことが多い」という意味ではないか。この本(岩波文庫)の「日の本」の注釈では「日が昇るもと(東)の国」と解説しているが、それでは「色白くして眼の色青きこと多し」の理由説明にならず、文章の意味が通らない故に「日の本」=異人種=蝦夷の住む土地という認識で、「日の本の故にや」と書かれたと思われる。この「日の本」という国については『常陸国風土記』には「この地は、本(もと)、日高見国」という記述や『日本書紀』の「東夷の中に日高見国あり」という記述で記録されている。日高見国とは「日つ上の国」の意で、日の出るほうにある国とされている。つまり「日の本」という意味である。
 ハプログループN(Y染色体)=東北に青い瞳等が1~2割いる。瞳の青い蝦夷は大和朝廷軍に敗れてから全国に広がった。青い瞳は劣性遺伝なので、日本人の遺伝子に隠れている。現代日本人の中にネアンデルタール人の遺伝子が1.4%含まれている。白っぽい皮膚、金髪や赤毛、青い目などはネアンデルタール人から受け継いだ。シベリアで発見されたネアンデルタール人の兄弟種の化石から、その遺伝子の一部がポリネシア人に混入している。青い瞳等は日本でネアンデルタール人→蝦夷(ハプログループN)→北東亜平野で匈奴(ハプログループN)→西シベリアでヨーロッパ人の先祖(ハプログループR)と受け継がれた。
 日本人には黒髪だけなく、ブリュネット(栗毛)、レディシュ(赤毛)、プラチナブロンド(明るい金髪)、ストロベリーブロンド(明るい赤毛)がいるが、ヨーロッパ人等にあるダークブロンド(金髪と茶髪の中間)、アッシュブロンド(少し青い色素がある栗毛)、濡烏(青みを帯びた黒髪)はいない。金髪も劣性遺伝なので、日本人の遺伝子に隠れている。
 ハプログループI(Y染色体)が色白金髪碧眼高身長と主張する説を唱える者がいるが、ハプログループI(Y染色体)が多いバルカン半島は色白金髪碧眼ではない。また、3割が色白金髪碧眼高身長であるタタール人(Q、C2、N)や色白金髪碧眼高身長の蝦夷(えみし) (C、N) にはハプログループI (Y染色体)はないが、ハプログループC、N(Y染色体)はある。
 北欧には色白金髪碧眼でハプログループN (Y染色体)=血液型A型が大部分を占めるフィンランド人(Y染色体ハプログループN1a1・61%、 I ・29%、 R1a ・5%、R1b ・3.5%)、ノルウェーに住むサーミ人(N・48%、I1・約31%)、バルト三国人(エストニア人N・41%、ラトビア人、リトアニア人)等がいる一方、色白金髪碧眼でNが少ないノルウェー人(Y染色体ハプログループI・40.3%、R1a・17.9%~30.8%、R1b・25.9%~30.8%)、スウェーデン人(Y染色体ハプログループI・37.5%、R1a・24.4%、R1b・13.1%、N・4.4%)がいる。バイキングとして集まったバルカン半島のハプログループ I (Y染色体)、アジア特に色白金髪碧眼高身長の蝦夷(えみし)のN(Y染色体)、ゲルマン系のR1a(Y染色体)、R1b(Y染色体)が混血し、北欧人となっていったことが分かる。
 スラブ系は結構Nが多く、ゲルマン系はNが少なく、ラテン系はNがほとんどない。スラブ系のロシア人(R1a・19.8%~62.7%で平均46.7%、N・5.4~53.7%で平均21.6%、I・0-26.8%で平均17.6%、R1b・0-14%で平均5.8%) (色白金髪碧眼)、ウクライナ人(R1a・43.2%、I・27.2%、R1b・7.9%、E1b1b・7.4%、N・5.4%) (色白金髪碧眼)等。
 以上で色白金髪碧眼に共通しているのはハプログループN(Y染色体)だけである。
 色白金髪碧眼が全くいないアメリカ先住民はハプログループQ(Y染色体)かR(Y染色体)かC (Y染色体)かD(Y染色体)であり、ハプログループN(Y染色体)等はいない。
 先住民族のサフル起源のY系統はハプログループC-M130*(xM8、M38、M217、M347)・1%、C-M347・19%、K-M526*(xM147、P308、P79、P261、P256、 M231、M175、M45、P202)・12%、S-P308・12%、M-M186・0.9%であり、ハプログループI(Y染色体)は存在しない。ハプログループC-M347、K-M526 *、S-P308はオーストラリア先住民固有のものである。ニューギニア人とアボリジニのオーストラリア人が3万年以上孤立している。アボリジニの女性や子供は肌が黒いのに金髪である。
 色白金髪碧眼高身長はY染色体ハプログループやmtDNAハプログループではなく、ゲノム(全遺伝情報)で見る必要がある。古いハプログループI(Y染色体)とは関係ない。
 ハプログループCT→DE、CFに分かれた。CF →C(アルタイ系) とFに分かれた。Cは中近東→中央アジア→極東→北アメリカ北西。F→G(コーカサス)→HIJK→H(インド)、IJKに分かれた。IJK→IJ、Kに分かれた。IJ→I(バルカン半島・スカンジナビア半島)、J(中近東)、LTに分かれた。K→K2→K2a、K2b(フィリピン南部以南)、K2c、K2d、K2eに分かれた。K2a→K-M214→NO→N(西日本縄文文明~遼河文明→ウラル系)、O(志那、東南アジア)に分かれた。K2b→K2b1、K2b2 (東南アジア)に分かれた。P=K2b2→Q、Rに分かれた。Q(血液型О型)は極東→ベーリング陸橋→アメリカ、R(血液型A型)は西シベリア→ヨーロッパ・中近東・北インド、北アメリカ北東。K2b1-P378→MS(豪州先住民)→M(ニューブリテン島、ポリネシア、メラネシア)、S(パプア・ニューギニア、ニューブリテン、メラネシア、オーストラリア等)。
 Y染色体は男性にしかないが、女性の色白金髪碧眼高身長はどう説明するのか?色白金髪碧眼高身長のタタール人のあしやさんは女性である。これはどう説明するのか?男性にしかないY染色体を色白金髪碧眼高身長と結び付けようとすること自体に無理がある。
 ある研究者はハプログループI(Y染色体)が色白金髪碧眼高身長と主張しているが、北欧ではハプログループN(Y染色体)とI(Y染色体)が近くにいるため、色白金髪碧眼はI(Y染色体)の方だと勝手に思い込んでいる。色白金髪碧眼高身長はY染色体ハプログループやmtDNAハプログループではなく、ゲノム(全遺伝情報)で見るべきである。色白金髪碧眼高身長はK(Y染色体)から分かれていった新しいN(Y染色体)、S(Y染色体)、R(Y染色体)【ユーラシア大陸に残った者がN(Y染色体)から受け継いだ】に随伴している可能性がある。少なくとも古いハプログループIには随伴していない。ハプログループI(Y染色体)のウィキペディアには嘘を書いている。その原典資料となっている研究が間違っている。研究者の希望的観測による思い込みでしかない。昔からウィキペディアの嘘を訂正してきたが、思い込みの激しい者が意固地になっているため、難儀させられた。
 なお、色白ではあるものの金髪碧眼ではないNが大部分を占める極東連邦管区北東部の端のチュクチ半島に住むチュクチ人(Y染色体ハプログループN-Tat・58.3%、Q-M3・33.3%、R・4.2%、C2-M217・4.2%) (色白)、極東連邦管区西部のサハ共和国に住むヤクート人(Y染色体ハプログループN・94.5%、C2・2.1%、Q・0.5%)(色白)、シベリア連邦管区極北部のガナサン人(N・92%)(色白)、北西連邦管区北東部のネネツ人(N・97%)(色白)等。古遼河沿岸系?

先史ヨーロッパ
前期旧石器時代
 ヨーロッパ地域で最も古い人類遺跡・ドマニシ遺跡(ジョージア共和国)から約180万年前に遡る原人の人骨やオルドワンの石器インダストリーに類似した打製石器が出土した。コザルニカ洞窟(ブルガリア)から約140万年前のヒトの活動痕跡が確認された。西ヨーロッパの初期人類遺跡としてグラン=ドリナ遺跡(スペイン)が有名であり、約90万年前の時期に推定される原人の上顎骨が発見された。前期旧石器時代後半、ホモ・ハイデルベルゲンシス(ドイツ・ハイデルベルク近郊)の痕跡がヨーロッパだけではなく、アジア・アフリカの幅広い地域で分布するようになった。この原人は、ホモ属の進化系統からホモ・ネアンデルタレンシス(ネアンデルタール人)が分岐する直前、もしくは分岐直後の現生人類寄りに位置し、それまでの原人に比べると増大した脳容量や平坦な顔の作りをしていた。
中期旧石器時代(ムスティエ期)
 中期旧石器時代、ホモ・ハイデルベルゲンシスと強い類縁関係を持つ旧人、ホモ・ネアンデルタレンシスがヨーロッパ各地に伝播し、約60万年前から4万年前の間にムスティエ文化を繁栄させる。ルヴァロワ技法による剥片石器を用い、死体の埋葬などの儀礼行為を行った。21世紀以降には化石人類のゲノム分析研究が進み、現代人の持つ遺伝子情報のうち数%はネアンデルタール人に由来することが分かった。ムスティエ文化の主要な遺跡はムスティエ遺跡(フランス・ドルドーニュ)、クラピナ遺跡(クロアチア)、Lynford Quarrys(イギリス・ノーフォーク)等がある。
後期旧石器時代前半(オーリニャック期〜グラヴェット期)
 後期旧石器文化の主な担い手はホモ・サピエンスであり、最も初期のものはオーリニャック文化で、約4万2000〜3万2000年前にヨーロッパ南部で栄え、剥片を多用した。オーリニャック文化に後続する時期にはロシア平原〜クリミア山脈付近を中心に尖頭器を多数出土するグラヴェット文化が栄えた。3万3000年前〜2万4000年前の時代にオーリニャック文化でもグラヴェット文化でも女性像が多く製作された。世界最古の女性像とされるホーレ・フェルスの例をはじめ、ガルケンベルク(オーストリア)、ロシア平原のコスチェンキ、ガガリーノ、アヴデーヴォ遺跡でそれぞれ女性像を出土した。3万年前のチェコや3万5000年前のベルギーの人骨からハプログループC1a2 (Y染色体)が検出されており、このタイプがヨーロッパで最古層の集団と考えられる。
後期旧石器時代後半(マドレーヌ文化)
 オーストリアのヴィレンドルフで2万4000年前〜2万2000前のヴィーナス像(ヴィレンドルフのヴィーナス)が発見された。後期旧石器時代の末期、フランスを中心とする西ヨーロッパ一帯にマドレーヌ文化を担う人々が拡散した(1万7000年前~1万2000年前頃)。オーリニャック文化を母体とした文化は別名マグダレン文化とも呼ばれる。石器組成は石刃を主体とした他、洞窟壁画等の精神活動の痕跡でも知られ、ラスコーやアルタミラ等の洞窟壁画が多数このオーリニャック・マドレーヌ文化期に描かれている。この頃のヨーロッパはハプログループI (Y染色体)に属するクロマニョン人が分布していた。
新石器時代
 西アジア地域における農耕の起源はレヴァント地方の中石器文化であるナトゥフ文化から展開した一連の先土器新石器文化である。1970年代のアッサド湖(シリア)におけるダム工事に伴う発掘調査によってナトゥフ文化から麦農耕・山羊・羊牧畜を伴う先土器新石器文化Bまでの文化系統の推移が明らかになった。西アジアにおける土器の起源もこの地域である。レヴァントの麦農耕がメソポタミア文明を経由して約9000年前にレヴァントと類似する気候の地中海のバルカン半島に伝わり、ヨーロッパ各地に伝播した。初期農耕時代の考古学文化ではディミニ土器等で知られ、大麦や果樹の農耕、牛・豚等の牧畜を行った紀元前5000年頃のセスクロ文化や新石器時代末から青銅器時代にかけヨーロッパ各地に分布した鐘状ビーカー文化等が主要なものである。ヨーロッパに農耕をもたらし、巨石文化を担ったのはハプログループG2a (Y染色体)である。加えて、先住の狩猟採集系ハプログループI (Y染色体)も依然多数発見されており、農耕と巨石文明を受け入れていた。新石器時代に現在ヨーロッパ人口の圧倒的多数を占めるインド・ヨーロッパ語族がヨーロッパに移動した。約6000年前にクルガンと呼ばれる墳丘墓の習慣を持った印欧語系の騎馬民族が黒海北岸からヨーロッパに到来したとする「クルガン仮説」や、アナトリア半島の農耕民が約8000年前に渡欧したとする「アナトリア仮説」等がある。
青銅器時代
 ヨーロッパにおける青銅器の使用は紀元前3000年頃のバルカン半島、特にエーゲ海沿岸地帯から始まり、そこから数千年かけて西ヨーロッパに広がった。農耕と同じように西アジアから伝播した青銅器の使用は交通の発達や遠隔地貿易の促進を契機付け、都市的な集住生活を開始するきっかけとなった。エーゲ海沿岸で繁栄した一連の青銅器文明をエーゲ文明と呼ぶ。エーゲ文明にはキクラデス文明、クレタ文明、トロイア文明が含まれる。これらの文明では線文字A、線文字Bといった文字が残されている。ヨーロッパ西部における青銅器時代の主要な考古学的文化としてはルサチア文化(ポーランド)、北欧青銅器文化等が知られている。この頃、イベリア半島にハプログループR1b (Y染色体)に属する人々が到達し、インド・ヨーロッパ語族の拡散もほぼヨーロッパ全土に至った。
                                   (以上)
ヨーロッパ人の形成(一部は日本の縄文人を形成した)
 通説通り中東から西ルートで来たのは4万8500年前に中東か現在のジョージア付近で誕生したG(Y染色体)=血液型A型、インドのH(Y染色体)=血液型B型、4万2900年前に現在のアルメニア付近で誕生したI(Y染色体) =血液型A型はバルカン半島南部・小アジア北部→スカンジナビア半島、4万2900年前に中東で誕生したJ(Y染色体)=血液型O型であり、西アジアから中央アジアを通って西シベリアに至った北ルートはアルタイ諸語系のハプログループC(Y染色体)であり、西アジアから東南アジア・オーストラリアに至った南ルートはオーストラロイドMS(Y染色体)である。
 ヨーロッパに到達した最初のホモ・サピエンスは、アフリカ以外のすべての世界と同じくY染色体ハプログループC(Y染色体)であった。その中でも最初の分岐に近いハプログループC1a2(Y染色体)である。C1a1-M8(Y染色体)とされる日本最初の渡来人と近縁関係にある。4万年前に始まったオーリニャック文化の担い手と考えられ、ハプログループI(Y染色体)が渡来するまではヨーロッパ人類の主流であった。
 コーカサス地方にあるアルメニア(A型38.5%、O型33.3%、B型19.5%、AB型8.6%)を参考にすると、G (Y染色体)・コーカサス地方=血液型A型(コーカソイド)→H (Y染色体)・インド=血液型B型(熱帯地適応型新モンゴロイド)、I(Y染色体)・バルカン半島&スカンジナビア半島=血液型A型(コーカソイド)、J(Y染色体)・中東=血液型О型と推測できる。氷河期、G (Y染色体)、H (Y染色体)、I(Y染色体)、J(Y染色体)は黒人だった。
 小アジア半島のトルコ(A型34%→R1b=14.7%、R1a=6.9%、G=10.9%、O型43%→E1b1b=10.7%、J1=9%、J2=24%、B型18%→新モンゴロイド、AB型6%→コーカソイドと新モンゴロイドの混血)を参考にすると、6万5200年前に誕生したハプログループE(Y染色体)=血液型O型と推測できる。ハプログループE(Y染色体)=血液型O型から6万年前にハプログループD(Y染色体)=血液型A型が分かれ、日本(天然パーマ・癖毛)、チベット(直毛)、ブータン(直毛)、アンダマン諸島(黒い肌、縮毛)等に到達した。血液型O型が多い志那大陸南部や東南アジアと違い、これらの地域では血液型A型が多い。
 最終氷河期には中近東と南欧は陸続きでハプログループDEは南欧に入った。その後、DE→D(YAP+) (Y染色体)=血液型A型(約6万年前)、E(YAP-) (Y染色体)=血液型O型(6万5200年前)に分かれた。約3万9000年前にイタリア・ナポリ西側で火山の大噴火が起きた。これに伴い、ハプログループD(Y染色体)=血液型A型は黒海北岸(ウクライナやポーランドではマンモスの骨で作られた住居跡が発掘されている)に移り住んだ。2万年前、ハプログループD(Y染色体)は寒いヨーロッパから暖かい太平洋側に東進し、食料のマンモスを追ってコーカサス北部・ウラル南部・シベリア南部・バイカル湖畔・アムール川・樺太・北海道と移動した。約1万4000年前、凍った津軽海峡を渡って東日本縄文人となった。氷河期が終わり、海面が上昇すると、北極海の冷たい海水がベーリング陸橋→海峡を通って親潮(寒流)となって太平洋に流れ込んだ。これにより太平洋沿岸の寒冷化が進み、これに伴い、3500年前、東日本縄文人が南下し、西日本にも広がった。
 4万2900年前に現在のアルメニア付近で誕生したハプログループI (Y染色体)人(クロマニョン人)は狩猟採集民だが、その後にハプログループG2a (Y染色体)人がやってきて、農耕と巨石文明をもたらした。4万8500年前に誕生したハプログループG (Y染色体)は6万5900年前に誕生したハプログループF (Y染色体)の子系統で、4万8500年前にジョージア付近で発生した。非印欧系集団と考えられる。ハプログループG2a (Y染色体)はG (Y染色体)から分離した後、紀元前5000年ころからヨーロッパに移住した。彼らは新石器文化と農耕技術を備え、ハプログループ I2a (Y染色体)人を巻き込んで文明をもたらした。紀元前5000年~紀元前3000年のヨーロッパの人骨の多くはハプログループG2a (Y染色体)である。現在もコーカサスとカザフスタンで最多頻度を示しているが、ヨーロッパではまれな存在となっており、後続人種に駆逐された可能性がある。1991年にアルプス山中で発見された約5300年前の凍結ミイラ・アイスマンはG2a2a1b (Y染色体)だった。あまりにも急激なG2a (Y染色体)人の衰亡は、彼らに対するジェノサイド攻撃があったことを示唆する。凍結ミイラ・アイスマンG2a2a1b (Y染色体)は黒人そのものだった。イギリスでG2a(Y染色体)人を駆逐したビーカー人とケルト人は異なっている?
 ハプログループI (Y染色体)は4万2900年前に現在のアルメニア付近で発生した。下位系統の分岐は3万年前に始まっており、この頃から小アジア・コーカサス方面へ展開を始めた。3万2000~2万2000年前にヨーロッパに至り、コンゲモーゼ文化などを担ったとされる。ハプログループI(Y染色体)はバルカン半島やスカンジナビア半島に高頻度である。I1 (Y染色体)系統がスカンジナビア半島に、I2 (Y染色体)系統がバルカン半島に多い。1万3000年前のクロマニョン人がスイスで出土され、ハプログループ I2a (Y染色体)であることが明らかとなった。このことからクロマニョン人は I2a (Y染色体)人と考えられる。ヘルツェゴヴィナ人63.8%、ルーマニア人48.1%、ボスニア人42.0%、ノルウェー人40.3%、スウェーデン人40%等である。ハプログループC1a2 (Y染色体)に次いでヨーロッパに分布を広げたグループであり、3万2000~2万2000年前にヨーロッパに至った。コンゲモーゼ文化、スウィデリアン文化やクンダ文化の担い手と考えられる。サブグループI1 (Y染色体)は北方人種と、I2 (Y染色体)はディナール人種と分布の相関がみられる。
 以下はハプログループの分布などの証拠からして通説と異なる。
 ヨーロッパ人にはコーカサスG(Y染色体)から広がったI(Y染色体)と、アジアから西北進したハプログループR(Y染色体)、Q(Y染色体)、C (Y染色体)、N(Y染色体)がいた。
 CT(8万8000年前にアフリカで誕生)→T→F(6万5900年前にユーラシアで誕生)→コーカサス地方に多いG(Y染色体) (4万8500年前に中近東で誕生)→インドに多いH(Y染色体)、バルカン半島やスカンジナビア半島に多いI(Y染色体)(4万2900年前にヨーロッパで誕生)、中近東に多いJ(Y染色体) (4万2900年前に中近東で誕生)→アジアで4万7200年前に誕生したK(Y染色体)→P(Y染色体)、NO(Y染色体)、MS(Y染色体)に分かれた。
 ヴュルム氷期(7万年前~1万年前)は現在より海面が140m程低く、①寒流の親潮がベーリング陸橋(約5万年前~約3万5000年前、約2万5000年前~約1万年前)に遮断されていたため、太平洋は大西洋より暖かかった、②現在の東アジアの降水量は夏に非常に多いが、冬はヨーロッパや北アメリカの同緯度と比べて極端に少ないことから、氷河が形成されるだけの降雪が起こらなかった、③東アジアには東西方向に高い山々が連なっているため、氷床の南下が妨げられた、ことが原因で東アジアは氷河化しなかった。ヨーロッパ北部~シベリア北部及び北アメリカ北部は高さ2000mにも及ぶ氷床に覆われていた。このため、人類の大部分は太平洋沿岸の暖かい日本列島~東南アジアに住んでいた。
 東南アジアで4万5400年前に誕生したP(Y染色体)は北上し、東西に分かれて進んだ。スンダランド~北東亜平野で誕生したNO(Y染色体)系統は、O(Y染色体)が志那大陸、日本列島、東南アジアに広がり、N(Y染色体)が極東~北欧までの北ユーラシア一帯に広がった。P(Y染色体)&NO(Y染色体)系統は最大集団。インドネシア・パプアニューギニア・オーストラリア・ニュージーランド辺りのハプログループMS(Y染色体)→M(Y染色体)、S(Y染色体)は少数派。オーストラリア・アボリジニは肌が黒いが、その女性や子供は金髪である。北欧や日本のN(Y染色体)は色白金髪碧眼高身長。ユーラシア大陸北部一帯に多いN(Y染色体)は色白だが、金髪碧眼ではない。O(Y染色体)は東アジアでは肌が白いが、東南アジアでは肌が黒い。P(Y染色体)から分かれたR(Y染色体)やQ(Y染色体)は必ずしも色白金髪碧眼ではない。特にアメリカ大陸のQ(Y染色体)はレッドマンと呼ばれた。
 ハプログループP(Y染色体)はQ(Y染色体)、R(Y染色体)の祖型であり、4万5400年前にインドシナ半島で誕生した。P*(Y染色体)はフィリピン・ルソン島のアエタで高頻度であり、他の東南アジアでも見つかっている。ルソン島ではP2(Y染色体)、P1*(Y染色体)も見られる。ハプログループP(Y染色体) は東南アジア~中央アジア辺りでQ(Y染色体)とR(Y染色体)に分かれた。親系のハプログループP(Y染色体)が非常に奇妙な移動を行っており、現在も不明な点がある。中央アジアに到達したハプログループP(Y染色体)人が2万年前~2万9000年前にハプログループR(Y染色体)に分岐し、その後も東西に移動拡散を繰り返している。恐らく半ば狩猟、半ば遊牧の生活を送った。
 ハプログループR(Y染色体)=血液型A型は大部分が西のヨーロッパ、中東、インドに向かった。一部は北アメリカ北東部に向かい、ハプログループQ(Y染色体)=血液型O型とともにエスキモーとなった。R1(Y染色体)系統は最終氷河期の後に拡散を開始した。R1a(Y染色体)がインド北部から中央アジアや東ヨーロッパに進出、R1b(Y染色体)が西欧・南欧に進出した。R1b(Y染色体)人は青銅器文明(武器)を伴って西欧まで分布を広げた。今日のバスク人やケルト系民族に80%以上の高頻度に存在する。R1(Y染色体)系統は最終氷河期の後に拡散を開始した。
 ハプログループQ(Y染色体)=血液型O型は北に向かい、大部分がアメリカ大陸に渡った。一部はユーラシア大陸に残り、シベリアを中心に分布するタタール人等になった。
 コーカサス地方のG(Y染色体)=血液型A型、バルカン半島のI(Y染色体)=血液型A型は肌が黒かった。色白金髪碧眼高身長はネアンデルタール人→日本列島先住民・蝦夷(えみし)系のハプログループN(Y染色体)→遼河沿岸で匈奴(フィンランドのフィン人、スカンジナビア半島東半分のサーミ人、バルト三国人、ハンガリー人等)のN(Y染色体)→コーカサス地方北部でR(Y染色体)に受け継がれた。N(Y染色体)、R1a(Y染色体)、R1b(Y染色体)、I(Y染色体)はスカンジナビア半島でバイキングとなり、ヨーロッパ各地に広がった。


サマルカンドへ使節を派遣した高句麗と新羅 Silk Road 投稿日: 2022年08月01日 22:00:17 No.48 【返信】

アフラシヤブ (サマルカンド) Afrosiab
ウズベキスタン・サマルカンド州

アフラシヤブ (ラテン文字:Afrasiyab, Afrasiab、ウズベク語: Afrosiyob) はウズベキスタン・サマルカンドの北部にある遺跡である。アフラシヤブは紀元前500年から紀元後1220年まで存在していた。現代ではビービー・ハーヌム・モスク付近の丘陵地に位置する。 「アフラシャブ」や「アフラシアブ」と表記されることもある。
概要
アフラシヤブは古代から中世にかけて都市として存在した、サマルカンド周辺地域における最古の遺跡である。防衛上の理由からアフラシヤブは丘の上に建設されており、南は渓谷に、北は現在のサマルカンドの一部である肥沃な土地に囲まれていた。
アフラシヤブは紀元前7~6世紀に人が住みだしたとされ、ソグディアナ文化の中心地となっていた[1]。

「カラーイェ・アフラーシヤーブ (Qal’a-ye Afrasiyab、アフラシヤブの城) は17世紀の終わりに記された資料に見られる。アフラシヤブの名前はシャー・ナーメに登場するトゥーラーンの英雄アフラースィヤーブと関連があると一般的に考えられている。学者はアフラシヤブをタジク語で北の境界に位置する黒い河の対岸を意味するパルシャーブ (Parsīāb、ソグディアナ語: Paršvāb) が変形したものであると考えており[2]、アフラー (Afrā) はペルシア語で対岸を意味するファラー (Farā) の詩における形としている。シャーブ (シャーハーブ - Sīāhābもしくはシャーブ - Sīāb) は黒を意味するシャー (sīāh) と文脈により水、川、海を意味するアーブ (Āb) が合わさったものと考えられている。

アフラシヤブ地域は約220haに渡っており、アフラシヤブの遺構の深さは約8–12mである。アフラシヤブの考古学的な調査は19世紀の終わりに行われた。1920年代に、考古学者のミハイル・マッソンにより引き続き調査が行われた[3]。彼の考古学研究によりサーマーン朝の宮殿はかつてアフラシヤブに存在したことが明らかになった。1960~70年代には再び調査が行われた。
アフラシヤブの考古遺跡ではアフラシヤブ壁画(英語版)と呼ばれる壁画も発見されている[4][5]。




過去ログ 管理人 投稿日: 2022年08月01日 19:51:59 No.47 【返信】

ひとまず旧歴史掲示板の過去ログも、こちらのスレッド式掲示板に移動してくれたので、お知らせしておきます。なお、投稿数が1000を超えているので、新規投稿での書き込みはできませんので、閲覧のみにて。

https://jbbs.shitaraba.net/study/13442/


僰人の子孫 Silk Road 投稿日: 2022年08月01日 06:16:11 No.46 【返信】

僰人 Bo people
僰人の子孫はラチ(Lachi, 拉基族)とク(Ku, 谷族)。ラチはタイ・カダイ系、クはロロ・ビルマ系。クは「吊るされた棺」の風習を保存し、今もBoとして知られる。「吊るされた棺」の被葬者のミトコンドリアDNAハプログループは意外なことに北方系のG3a1cで共通している。

Possible descendants
1. Lachi
The Lachi people of Vietnam and China may be descended from the Bo, based on the archaic exonym Labo (喇僰) in Chinese records.[10] The Lachi language belongs to the Kra subgroup of the Kra-Dai language family. Today, the Lachi refer to themselves as qu31 te341, with qu31 meaning 'people' (from Proto-Kra *khraC1 'people').[10]

2. Ku
The Ku of Qiubei County currently speak a Loloish language, and still practice hanging coffin traditions. According to their own records, the Ku people's ancestors had migrated from Yibin, Sichuan province a few centuries ago in order to escape wars.

Varieties
There are three different varieties of Ku.[2] Speakers of each consider themselves to be separate ethnic groups.[1] However, they are officially classified by the Chinese government as ethnic Yi.[3]
Ku (autonym: ku55) is spoken in Bainitang 白泥塘,[4] Shede Township 舍得彝族乡, Qiubei County, Yunnan Province. They are also locally known as the Bo (Chinese: 僰人; pinyin: Bó rén), and continue to build hanging coffins. The
Ku of Bainitang claim that their ancestors had migrated from Yibin, Sichuan.
Another variety of Ku (autonym: ku55) in Wujiazhai 五家寨,[5] Shede Township 舍得彝族乡, Qiubei County, Yunnan Province is unintelligible with Ku of Bainitang 白泥塘.

Ku of Shidongmen 石洞门,[6] Xijide Village 西基得村, Zhulin Township 珠琳镇, Guangnan County, Yunnan Province拉基
拉基族(越南语:Người La Chí)是越南官方认定的54个少数民族之一,主要分布在最北部的河江省和老街省。根据1999年人口普查结果,越南共有拉基族10,765人。在中国境内有1600多拉基人,主要居住在云南省文山州的马关县境内,却被中国政府识别为彝族。中国拉基人有7个支系。其语言拉基语属于壮侗语系仡央语族。

Lachi people
The La Chi people (Vietnamese: Người La Chí; also Cù Tê or La Quả) live in the Hà Giang and Lào Cai provinces of northeastern Vietnam. Their population is 15,126 people (2019). They speak the Lachi language, which is part of the Tai–Kadai language group.

Their ancestor is Hoàng Dìn Thùng. They put aside the most fertilized field for growing cotton plant and strobilanthes flaccidifolius nees plant. They sing ní ca and celebrate the Khu Cù Tê Festival in 7th month of the lunar year.




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