歴史掲示板(渡来人研究会)


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レイライン 御前山⇒大山寺の先 弓張月 投稿日: 2023年08月01日 09:22:28 No.304 【返信】

城里町の大山寺の住職は知り合いで、御前山⇒大山寺の資料を前にあげたら、城里町企企画展行っていたようで、

大山寺と白山神社の間には、龍谷院(曹洞宗)があったんですね。ここも、五三桐(大山寺)と五七桐(龍谷院)かな?曹洞宗の道元禅師の「禅師」は天皇から授かるものでしたっけ?そして、谷は、影の「黒」かな?
そして、御前山から大山寺のレイラインを伸ばしていくと、七つ洞公園(水戸市)
,ひたちなか市の虎塚古墳や酒列磯前神社も含むかな。

それとおまけ 正月の神棚飾りについて
陽明門,長屋門や鹿島神宮の昔は竜神門と入り口は大切なのか、棒飾りでない干し柿4つとみかんが付いたもの。「干し柿」は四方神(星)、「みかん」は太陽とでも考えたのかな?




九曜紋と宮城県 弓張月 投稿日: 2023年07月30日 09:47:51 No.297 【返信】

宮城県(みやぎ)は他に、み⇒御⇒おん(音)⇒ね(子年)または、み⇒三,水、
やぎ⇒山羊,八木(野木≒能義)とし、犠牲は、よく言われるのは「牛と羊で、牛が再生する」でしたかね? 山羊も羊も「ウシ科」、ついでに、鹿はシカ科です。蘇我入鹿の「入鹿」は、「鹿に入る」 面白いですね?
そして、十二支と九曜紋ですが、前に投稿したように子年は観音様で「母の胎内にいる子」で、一世は丑年と応神天皇とすると七世は羊年と欽明天皇(蘇我稲目,旧事本記・物部系図の大新川命=尾輿連)八世は申年と用明天皇,敏達天皇,崇峻天皇(三つ巴紋)で、九曜紋の意味となりますか。(龍安寺の庭石から考える)それと、桃栗三年柿八年から、やはり、倭国と日本国の日本は常陸国でしょうか?水戸市元吉田町には、吉田古墳(八角墳)がありますしね。そして、牛にひかれて善光寺参り(善は、=よい(吉)ですね)
https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田古墳

となると、宮城と宮崎は同じカテゴリー内での前後関係?

「良し悪し」を葦の「よし」・「あし」と常陸国については次回に?
弓張月 投稿日: 2023年07月30日 09:56:18 No.298
書き忘れました。
梅桃桜は全て、バラ科ですね。
なので、天皇家の皆さまは植物や動物に研究熱心なのでしょうか?
弓張月 投稿日: 2023年07月31日 08:13:29 No.299
「桃栗三年柿八年」と「梅桃桜」ですが、
まず、常陸国の柿ですと、「昭和30年頃から始まったとされる八郷の献上柿」が良く報道されます。JAやさと柿部会、十三塚、マル園の3出荷組合が交代で受け持ち、出来栄えの優れた72個を選ぶとのこと。72×5=360度の「円・丸」、八郷地区には「丸山古墳があります。倭の五王の1人でしょうか?
https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=16370576335325
次に、梅桃桜は福島の三春が有名で、秋田紋の藩主の秋田氏ですね。
吉田古墳の隣に酒造会社があります。住所は、元吉田町338 (私は桃栗三年柿八年からか?と疑ってしまいます)
そして、この酒造会社の御先祖は三春藩の藩主を務めていて、そのときの先祖の名を1968年8月 - 清酒酵母の製造免許を取得、「明利小川酵母」の商標で販売開始。また、明利さんの父は伊予松山藩および陸奥会津藩初代藩主(ウィキペディアより)
伊予と言えば、大王製紙・井川氏となりますか。
私の所の「555」と総本家のフリガナ変更と、昭和の大戦後に始められていて、偶然とは思えないです?
常陸太田市松平町では、https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000005.000050382.html が行われています。これも、戦後に始めたとのことです。
弓張月 投稿日: 2023年07月31日 11:53:19 No.300
常陸太田市松平町は、松栄町の間違えでした。
それと、なぜ「大わらじ」が贈られるかですよね。私の予想は、大足彦が関係しているのではと?と考えています。景行天皇の『日本書紀』での名は大足彦忍代別天皇。そして、高徳院の鎌倉大仏様となると、鎌倉の「鎌」と景行天皇の「足(たらし)」。オーバーに考えると、謎の「藤原鎌足」となりますか。そして、江島神社の宗像三女神は九州宗像大社の順番と違う。大足彦 VS 大帯姫, 鹿島神宮に御手洗池(みたらしいけ),下鴨神社には井上社(御手洗社)そして、みたらし団子は団子が五個。 


ミセスワタナベ 弓張月 投稿日: 2023年07月28日 10:15:47 No.293 【返信】

今回は経済 為替取引で良く聞く「ミセスワタナベ」ですが、
「イギリスの経済紙『エコノミスト』(1997年3月27日号)は、海外でよく知られた日本の姓「ワタナベ」をとって、為替市場(FX市場)で大きな影響をもつ日本の個人投資家たちを「ミセス・ワタナベ」と名付けた。イギリスではリスクを取らない小口個人投資家を「アガサおばさん」(Aunt Agathas) と呼ぶので、同紙は日本向けの呼称を考案したのである。」とのこと。
でも、ワタナベで無くても?と思いませんか?
一盛長者伝説は、台渡里の長者山(現在の水戸市渡里町)でのお話。 http://www.bunkajoho.pref.ibaraki.jp/minwa/minwa/no-0801200011?f=1
他に「わたり」は、宮城県亘理郡に「亘理町」がある。
ウィキペディアの歴史の項には、
『日本書紀』巻七「日本武尊の遠征」に葦の浦・玉の浦を経て日高見へ至るという記述があり、この葦の浦が亘理にあたるという(玉の浦は岩沼市玉浦・仙台空港付近を、日高見は北上川流域を指す)。

養老2年(718年) - 『続日本紀』に曰理郡の名が登場。これが文献上での亘理の初見である。 と書かれている。 https://ja.wikipedia.org/wiki/亘理町
妙見信仰の星と月の夜空 VS 太陽信仰の日中の関係で、会わせて一対すかね?(会は、会津(あいず)の「あい」で、愛=いと=糸・伊都国)

とすると、「ミセスワタナベ」がなるへそとなりますかね!
弓張月 投稿日: 2023年07月28日 10:33:29 No.294
忘れてました、なので、難読漢字の伊達(だて)氏には「伊(い)」に「達する」なのかな?
弓張月 投稿日: 2023年07月28日 13:58:25 No.295
曰理郡の「日理」は、地名の日理郷(わたりごう)として、古代史に関係ありそうな所に殆どありますね?

https://kotobank.jp/word/曰理郷-3024356
弓張月 投稿日: 2023年07月29日 11:19:58 No.296
宮城県は数字で表すと、三八亀でどうでしょうか?
三十八代天皇は天智天皇(=蘇我入鹿)で、舒明天皇(=蘇我蝦夷)の子ですね。
天智天皇の「てんち(=天と地)」で、蘇我入鹿の「入鹿」は、「鹿に入る」と考えると正史に知被けるのですかね?


無題 弓張月 投稿日: 2023年07月24日 17:03:55 No.291 【返信】

水戸徳川家には、「水戸黒」なる言葉があるようです。
https://www.city.mito.lg.jp/site/kankouinfo/3934.html


水戸市の照会文には、御用紺屋は亀屋清兵衛(益子家)で、名に「亀」が使われているとのこと。

常陸太田市瑞龍町の徳川家の墓で、各墓石の下は亀石があります。
なぜ亀がいるかですが、四神で、北(≒亀蛇)方の神は玄武で「黒色」です。水戸徳川家の墓石から想像すると当主は亀に乗った「蛇」なのでしょうね?。
八幡宮は源氏の氏神。常陸太田市馬場町の馬場八幡宮の拝殿の入り口の上の軒下には、蛇の顔を持った亀の彫刻があります。そして、本殿の東脇には亀の子山古墳が。
偶然ではできないでしょうね? 熊本県八代市には九州の三大祭りのひとつの妙見祭では、「亀蛇」なる物が街を練り歩くようです。

テルマエ・ロマエの撮影でした水戸市国立町にある七ツ洞公園には七つ銅古墳があり、バラ園になっています。筑波山麓の旧八郷町には茨城県フラワーパーク(五三の桐)がありますから、この公園は「棘」の(五七の桐)陰紋的扱いかな?

どうも、大谷は「だいこく(大黒)」が怪しく思っていて、国立町の隣に「田谷町」かあり、田=蛇=大,谷=こく(黒)なんですね。常陸太田市に「かわねや」なるスバーマーケットがあり、経営者は大谷さん、かわねやは屋号のようです。
不思議と規則性があるように感じます?
弓張月 投稿日: 2023年07月25日 14:18:02 No.292
国立町はなく、国田地区でした。そして、七つ洞公園があるのは水戸市下国井町で<
古墳名は、七ツ洞古墳群でした。訂正します。
https://elemiddleman.seesaa.net/article/202005article_58.html


富士山・筑波山・鹿島神宮ライン 管理人 投稿日: 2023年07月15日 01:32:09 No.287 【返信】

弓張月さん、お久しぶりです。情報ありがとうございます。

ご紹介ありました下記の文面に見える方位ラインについてですが、図1のようなラインが存在するかもしれません。

村史によれば、・・・・・・・
 縄文時代の遺跡は村内を貫通する源氏川,山田川,浅川等の河川に広く分布するが、弥生時代及び古墳時代の遺跡は、山地が平地に移動する南半分の,沖積地に面する地域に集中して発見されている。特に古墳及び古墳群は、西茨城郡友部町小原,東茨城郡内原町黒磯,田島,水戸市加倉井町,国田町,那珂郡瓜連町鹿島,常陸太田市島町,幡町を結ぶ線上に位置しており、古代文化解明にも重要な位置を示している。


具体的には、小原神社(友部町小原)⇔加茂神社(内原町黒磯)⇔鹿嶋神社(瓜連町鹿島)への東50度偏角のラインと、それに平行する稲荷神社(加茂井町)⇔鹿嶋日吉神社(太田氏島町)への東50度偏角のラインとなります。この2つのラインの間に古墳や遺跡があるという意味ではないでしょうか。

また、図2の拡大図のように、手子后神社⇔小原神社(友部町小原)⇔筑波山(女体山)⇔氷川神社⇔富士山への東38度偏角のラインがみえてきますが、またここにみえる筑波山については、鹿島神宮⇔筑波山(女体山)への西30度偏角のラインがあり、鹿島神宮の位置付けについて考える上で重要です。

そして、氷川神社⇔田島神社(松伏町)⇔鹿島神宮への東2度偏角のラインもみえますが、氷川神社の位置自体は当時の島地の影響もあってかややずれた位置にあります。

全体的には富士山、筑波山、鹿島神宮が測量の起点となっていたはずですが、そこに先日の田道間守に関する集団がどうかかわっていたのかについて明らかにしていく必要があるかもしれませんね。




レイラインは考察に使えるか? 弓張月 投稿日: 2023年07月11日 18:49:08 No.285 【返信】

お久しぶりです。邪馬台国はいずこに?だいぶ活況のようですね?

きょうの話しはレイラインは古代史を考察するのに使えるかですが、
面白い古墳発掘調査記録を見つけました。

タイトル:善光寺横穴群発掘調査報告書
     平成 4年11月  金砂郷村教育委員会  善光寺横穴群発掘調査 

現在の住所は、常陸太田市松平町です。

第2節 周辺の古代遺跡群
金砂郷村の南半分は古代遺跡が数多く発見されており、常陸太田市,瓜連町と共に古代文化の中心をなしていたと思われる。
 村史によれば、・・・・・・・
 縄文時代の遺跡は村内を貫通する源氏川,山田川,浅川等の河川に広く分布するが、弥生時代及び古墳時代の遺跡は、山地が平地に移動する南半分の,沖積地に面する地域に集中して発見されている。特に古墳及び古墳群は、西茨城郡友部町小原,東茨城郡内原町黒磯,田島,水戸市加倉井町,国田町,那珂郡瓜連町鹿島,常陸太田市島町,幡町を結ぶ線上に位置しており、古代文化解明にも重要な位置を示している。
と書かれています。
そして、松平町の「松平」は、徳川家は松平家から分かたんでしたよね?
弓張月 投稿日: 2023年07月13日 18:33:55 No.286
「現在の住所は、常陸太田市松平町です。」は間違えでした。
正しくは、常陸太田市松栄町でした。

松平町は、旧水府村でした。前に投稿したように「水府」は、水⇒三(み)で「みふ(壬生)」でしょう?
水府村には、天下井(あまがい)なる名字があります。「てんかい」ですと、天海僧正。
天下野村(水府村天下野)の由来には、徳川光圀が関わっています。
https://www.sankei.com/article/20160409-UCQN2RC5MJI7POSD3NFIE763QQ/

面白いのは、水戸徳川家以前の村名が下高倉村であったとのことです。
日本歴史地名大系 「天下野村」の解説には、
山田川の上流域に位置し、北は高倉村。旧名は下高倉村であったが、元禄一二年(一六九九)に天下野村と改めた。文禄五年(一五九六)の御蔵江納帳(秋田県立図書館蔵)に「下高倉」とあり、元禄郷帳に「天下野村」とみえ、「古ハ下高倉村」と注記される。
https://kotobank.jp/word/天下野村-3032162

現在の常陸太田市下高倉町には武生神社があります。謎解きのヒントが沢山あるようですね?
 


秦氏・田島守ライン2 管理人 投稿日: 2023年07月11日 00:11:26 No.284 【返信】

先日お知らせした秦氏・田道間守についてのラインですが、図1のようなラインも存在することがわかります。

ここでは、以前も指摘したことがある出雲大社⇔田島(鳥取市)⇔籠神社⇔氷川神社⇔田島(松伏町)⇔鹿島神宮への東5度偏角のラインがあります。

また、宇佐神宮⇔垂仁陵北部⇔鹿島神宮への東20度偏角のラインがあり、その垂仁陵⇔籠神社への西60度偏角のラインも見受けられます。

その田島は先日もお話した田道間守やその子孫とされる三宅氏と関係し、秦氏とセットで地方の屯倉へと派遣された集団の痕跡を残すものでしょう。

垂仁陵については、その后の日葉酢姫とともに、田道間守伝承では重要な人物の墓となるわけですが、南方航海民系の遺物を出す佐紀盾列古墳群の測量起点となるのがこの垂仁陵となるわけです。

天日矛伝承とともに、田道間守の八枝の橘も、日と矛との組み合わせからなるある集団のレガリアを象徴したものであったはずで、神功皇后関連の記載に渡来伝承としてみえてくることも以前お話したとおりですね。

宇佐神宮は秦氏とゆかりが深い神社となりますが、そこに秦氏が拠点を置いた理由の一つはやはり精銅精錬との関係ではないでしょうか。

楽浪遺民と秦韓の関係からみても、漢代以来の精銅精錬技術が、秦氏の祖先をとおして日本へともたらされていったのではないかと感じます。

その宇佐は雨師・雲師のことで、秦氏系譜と関係して、朝鮮神話や扶余王系譜のそれとも関係してくるのですが、その辺については以前説明したので割愛しますが、特に下記のwikiの桓雄の話とも関係してくるでしょう。この辺についてはまた追って考えていきましょう。



『三国遺事』によると、天帝桓因(インドラ)の子で、人間を広め増やそうとして、桓因(インドラ)から天符印を3個授かり、3千人を率いて今の妙香山(原文は太白山。白頭山とする説は誤り)の神壇樹(신단수、シンダンス)に降り立った[1]。そのところを「神市」といい、桓雄を「桓雄天王」といった。風伯(풍백、プンベ)・雨師(우사、ウサ)・雲師(운사、ウンサ)といった、風の神・雨の神・雲の神が臣下として仕え、穀物・命・病気・刑罰・善悪など人間の360余りの事をつかさどり、世を治めた。洞窟にいた熊と虎が人間になりたいと訴え、ヨモギとニンニクを食べて、一定のあいだ蟄居(ちっきょ)[注 1]しているように教えると、熊だけが女性の人間になることができた。そして人間となった熊女との間に檀君となる王倹を生んだ、という[1]。

典型的な北方系の王権起源神話であり、元来は高句麗を経由して入ってきた夫余系の神話だったとみられている[3]。日本の天孫降臨神話とも同類型である。

金思燁によると、桓雄は古い発音では夫余の建国神話に登場する天神「解慕漱」(ヘモス)と同名で、同一の太陽神だったとみられる[7]。なお、井上秀雄は、夫余王・解夫婁の「解は太陽」を意味する

https://ja.wikipedia.org/wiki/桓雄




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