歴史掲示板(渡来人研究会)


| トップに戻る | 検索 | アルバム | 管理用 | ▼掲示板作るならRara掲示板 |

奈良・薬師寺は二ヶ所にある
弓張月 投稿日:2024年04月21日 15:23 No.431
茨城県潮来市日の出にある奈良薬師寺・東関東別院の潮音寺で、今年仏足石が設置された。約1300年前の薬師寺創建当初より現存する「東塔」の基礎石を仏足石に加工したもの。
仏足石とは、仏像がない時代に人々が釈迦の足跡を描き、そこに釈迦が立っていると連想しながら手を合わせたものと。

ウィキペディアに、「奈良・薬師寺は、本薬師寺(もとやくしじ)と薬師寺があり、本薬師寺(もとやくしじ)は、奈良県橿原市の東南に位置する藤原京の薬師寺と呼ばれた寺院。平城京遷都で薬師寺が西ノ京に移ると、西ノ京の「薬師寺」と区別するために「本薬師寺」と称されるようになった]。本薬師寺は元薬師寺とも記されるほか、平城京に造営された薬師寺(平城京薬師寺に対して、「藤原京薬師寺」などとも呼ばれる。」と
https://ja.wikipedia.org/wiki/本薬師寺

仏足石の「足」と鹿嶋市は中臣鎌足の発祥地?の「足=たらし」から、

天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと、生没年不詳)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族。第5代孝昭天皇皇子で、第6代孝安天皇の同母兄、第7代孝霊天皇の外祖父である。和珥氏(和邇氏/丸邇氏)・春日氏・小野氏ら諸氏族の祖とされる。が気にかかるんですかね?
https://ja.wikipedia.org/wiki/天足彦国押人命

そして、梶山古墳をウィキペディアで調べると「被葬者については不明であるが、675年(天武4年)に因幡に配流された皇族の麻績王(麻続王)であるとの説が有力である。」と書かれている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/梶山古墳

麻績王(麻続王)について調べると、
7世紀末の皇族。麻続王、麻積王とも称される。

出自をめぐって大友皇子(天智天皇の太子)、美努王(橘諸兄の父)、柿本人麻呂など諸説ある。また、年代的に無理があるが、聖武天皇の別名ともいわれる。

『日本書紀』には、675年5月17日(天武天皇4年夏4月18日)の条に天武天皇によって「三位麻続王に罪あり、因幡に流した」とあり、この他に『日本書紀』には、麻績王の子の1人を伊豆諸島の伊豆大島に流罪にし、もう1人を血鹿嶋(長崎県五島列島)に流罪にしたとある。また、『万葉集』巻第一では伊勢国の伊良虜の島(愛知県渥美郡伊良湖岬)に流罪されたとある]。さらに、『常陸国風土記』には常陸国行方郡板来村西の榎木林に居らせたとあって、流罪先も諸説ある]。と
「常陸国行方郡板来村西の榎木林」とはいいですね。柊(ひいらく→ひらく)と榎ですよね。よく考えてますね。時代的にも
https://ja.wikipedia.org/wiki/麻績王


弓張月 投稿日:2024年04月21日 15:32 No.432
ウィキペディアに、「日本における仏足石」として、

日本には奈良時代に唐を経て伝わった。

特に奈良の薬師寺所蔵の仏足石(国宝)が有名で、これは753年(天平勝宝5年)、天武天皇の孫である智努王によってつくられたことを示す銘が刻まれた、日本最古の仏足石である。

また、検索で、智努女王(ちぬじょおう)を開くと、
智努女王(ちぬじょおう)は、

奈良時代の皇族、万葉集に円方女王がその死を悼む歌を詠んでいることから、
1.長屋王の娘(円方女王の姉)、または妻妾(円方女王の母)と考えられている。
2.奈良時代の皇族、長親王の王女。智努王(文室浄三)らの姉妹。茅沼女王。と




お名前
メール
画像添付


削除キー ( 記事を削除する際に使用 )
文字色