歴史掲示板(渡来人研究会)


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茨城県稲敷郡阿見町に二所ノ関部屋
弓張月 投稿日:2024年04月27日 09:04 No.446
昨日は、大相撲・水戸場所(地方巡業かな?)があったようで、

稀勢の里の部屋は、「二所ノ関部屋」だそうですね。
稀勢の里は力士になる前は牛久市と竜ケ崎市と縁があったのかな?でも、「阿見町」に相撲部屋を立てたのは、相撲(角力)を神事と歴史から考えると、「阿弥神社」が二ヶ所あるからかな? 二ヶ所とは、やっぱ双子・二子古墳でしょうね。
そして、伊勢志摩サミットでは、つくば市で「G7茨城・つくば科学技術大臣会合」が、広島サミットでは、水戸市で「G7茨城水戸内務・安全担当大臣会合」が行われた。歴史好きにとっては、まさしくガッテン そして、水戸黒の副将軍・水戸光圀公と。でも、黒=北=秦氏は筑波の三五桐紋で、水戸の元吉田古墳(蘇我氏)は、五七桐紋でしょうか? 政府は五七桐、法務省と検察庁が三五桐でしたっけ。


青面金剛 投稿日:2024年04月27日 11:13 No.447
「蘇我氏の祖廟 蘇我氏神社」(徳島県名西郡石井町石井城ノ内993)は、庵木瓜(いおりもっこう)紋。https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/137037

宗我坐宗我都比古神社(奈良県橿原市曽我町1191)と、
入鹿神社(奈良県橿原市小綱町335)の神紋は、シンプルな木瓜紋。

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社号 宗我坐宗我都比古神社 読み そがにますそがつひこ / そがにいますそがつひこ 通称 旧呼称 入鹿宮 等 鎮座地 奈良県橿原市曽我町 旧国郡 大和国高市郡曽我村 御祭神 曾我都比古神、曾我都比売神
jun-yu-roku.com


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蘇我入鹿公を御神体とする神社。入鹿神社は廃寺真言宗高野山派仏起山普賢寺の東南部の一段高い所に西に向かって建ち、もとは同寺の鎮守社であったと伝えられる。祭神はスサノオノミコトと蘇我入鹿の両柱を合祀しています。現在の橿原市周辺は蘇我氏のゆかりの地であ...
yamatoji.nara-kankou.or.jp


 
 出雲大社の本殿北側に在る『素鵞社そがのやしろ』の神紋は、亀甲紋(出雲では龍燐紋と呼ぶ)の内側に、剣木瓜(つるぎもっこう)紋。


 高良大社(福岡県久留米市御井町1)の神紋は、「門光紋」(もんこうもん)なので、蘇我氏の木瓜紋も、其の流れを継承している、と伺わせます。

高良大社に開化天皇(玉垂命)の神紋を発見した
https://ameblo.jp/kenbuncho2017/entry-12374421376.html


青面金剛 投稿日:2024年04月28日 05:32 No.448
入鹿神社の境内に掲げられている、のぼり旗には、庵木瓜(いおりもっこう)紋も使われています。

天高市神社(あめのたけちじんじゃ大和国高市郡奈良県橿原市曽我町659)
https://ameblo.jp/keith4862/entry-12413180216.html
 
◎ 当地のすぐ近くで発見された「曽我遺跡」。こちらは5世紀後半から6世紀前半の遺跡で、勾玉や管玉など80万点(資料により200万点)、トラック20台分というおびただしい量が出土。すぐ南には天太玉命神社が鎮座し、当地は忌部氏の本貫地。国家祭祀の中心を担っていたことがよく分かります。(中略)。
中世以降には『曽我八幡神社』と称され八幡神を祀っていました。

※ 神紋は、波波迦木(ははかのき:ウワミズザクラ上溝桜)が花を咲かせた形なのか、薦枕(こもまくら)を載せた形なのか、全体の形は、ぱっと見で、『亀』の様にも見えてしまいます。


波波迦木(ははかのき)は、大嘗祭用の斎田を決める『亀卜(きぼく)』に使用する神木。

https://nihonshinwa.com/archives/12767

※ 波波迦木(ははかのき)は、天の香久山と、葛木坐火雷神社[笛吹神社] かつらきにいますほのいかづちじんじゃ[ふえふきじんじゃ]に植えられています。

 天の香久山は、正統な大和の初代大王である、『天叢雲』の父君『天香語』の名を付けています。
 [笛吹神社] は、『天叢雲』の邸宅です。『天叢雲』は大嘗祭用の『麁服(あらたえ)』を、授かる為に、山崎忌部神社(徳島県吉野川市山川町忌部山)に詣でています。

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山崎忌部神社。吉野川市山川町忌部山、山の中腹に鎮座。式内名神大社 忌部神社の論社。
momijiaoi.net


青面金剛 投稿日:2024年04月30日 02:31 No.449
 天高市(あめのたけち)神社『曽我八幡神社』(式内大社)の神紋は『橘紋』として紹介されています。
 『土佐国・安芸の国人領主である「安芸氏」は、蘇我氏を出自とする一族と伝わりますが、橘氏後裔の異説もあり、彼らによる橘紋の使用(他に「三つ割り剣花菱」も使用)はそれ故のものともされています。』
家紋・橘(たちばな)の種類を一覧でご紹介。また「源平藤橘」の一角を占める橘氏や、彦根藩主・井伊氏に使用された橘紋の意味や由来、苗字や地域、武家や寺社などの著名な使用例など、橘紋のアレやコレをまとめています。
hakko-daiodo.com


『橘紋』を神紋とする寺社は、奈良県北葛城郡「廣瀬大社」と、大和(おおやまと)神社、橘寺が有ります。

廣瀬大社 https://hirosetaisya.p-kit.com/

※ 奈良盆地は古では、湿地帯の沼でしたが、治水事業に由り、橘が香る土地に成りました。

大和(おおやまと)神社 http://ooyamatohp.net/ 奈良県天理市新泉町

橘寺 https://tachibanadera-asuka.jimdofree.com/


蘇我蝦夷の本名は『石川雄正(おまさ)』です。

https://ameblo.jp/pelecyphoras/entry-12632591226.html

蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわのまろ)を祀る、
加佐美神社 (かさみじんじゃ)岐阜県各務原市蘇原古市場町
https://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=780

石川の家紋である「丸に笹竜胆」
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石川姓といえば、プロゴルファーの石川遼さんや、女優の石川佳純さん、また、あの天下の大泥棒石川五右衛門までと、どう繋がりがあるのか気になります。それだけ様々な分野で名をとどろかせていますね。また石川県という県がありますが、 ...
kisetsumimiyori.com


弓張月 投稿日:2024年04月30日 05:49 No.450
宮城県の北部、仙台市から北方へ70キロメートルに位置する。宮城県栗原市と宮城県本吉郡南三陸町の間にあり、岩手県一関市と境を接する「登米市(とめし)」と市内の「登米町(とよままち)」は古代歴史の「とよ」を考察できる暗号かも?
茨城県にあるカインズの店舗で、一番大きいのは日立市留町の店舗。二番目は阿見町店。阿見町店ができる前は二番目だったが、三番目は常陸太田店。茨城県那珂市にカンセキがある。日立市留町と常陸太田市中城町は直線で約10km、また、カインズは、過疎が進んでいる大子店もある。大きなお世話ですが、利益が得られるとは?古代史から考えると進出したい?


弓張月 投稿日:2024年04月30日 06:12 No.451
日立市留町はある意味日立市久慈町と一緒。大甕神社の6年に1度開催される例大祭の神輿渡御 久慈浜漁港から神輿を船に載せて約20隻の船団で海上渡御を行う。72年に1度開催の東西金砂神社の大祭礼は水木町へ 東西金砂神社大祭礼の馬場祭場で、神輿を置くところは土の土台に久慈浜の産砂、その上に水木の産砂を敷く。まあ、双子だからかな?

弓張月 投稿日:2024年04月30日 19:43 No.452
カインズ常陸太田店でビックリしたことは、リホームカウンターに神棚があり、天照大御神?のお札が祀ってありました。カインズの店舗すべてにあるんですかね?



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