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2022/09/06 この掲示板は 鳩摩羅童子(くまらどうじ)のサイト
インド語・カンガルー  【副題】日本語の起源・インド弁検証
の掲示板です。「日本語の起源」全般の意見交換の場としてご利用下さい。
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帝釈天…ユダヤ人埴輪… 荊の紀氏 投稿日: 2024年04月27日 13:59:48 No.1070 【返信】

>帝釈天というのはヒッタイトやヒンドゥー教のインドラなので、檀君桓因の檀はフェニキア人の神ダゴンで、
桓因の因はインドラのインで同じ神を重複させた名称であることがわかります。

日本になぜユダヤ人の埴輪? 謎の芝山古墳から出土した「人物埴輪」とはhttps://news.livedoor.com/article/detail/22663197/
…実は日本人とユダヤ人だけに共通する遺伝子があることや、秦氏の「はた」はヘブライ語にも通じるという説もあるのですが、そのご紹介は別の機会にします。
ちなみに上野毛の「毛」には外国人という意味もあるとのこと。確かに「毛唐」と称することが時代によってはありましたね。
差別用語とみる向きもありますが元は外国人という意味が大きかったようです。※諸説あります。

古墳からは帽子のようなものを被った、いかにも寅さん風の埴輪が出土し、「寅さん埴輪」と呼ばれています。
柴又八幡神社(柴又八幡神社古墳)https://tokyo-trip.org/spot/visiting/tk1061/
…柴又八幡神社古墳は古墳時代後期(6世紀後半)の築造されたもので、その頃からこの土地にムラが築かれ、舟運を使った交易が行なわれていたと推測できます。
柴又八幡神社神社古墳出土の「寅さん埴輪」の画像 https://www.bing.com/images/search?q=寅さん埴輪の画像&qpvt=寅さん埴輪の画像&form=IGRE&first=1

柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん)または、帝釈天 題経寺(たいしゃくてん だいきょうじ)は、東京都葛飾区柴又七丁目にある日蓮宗の寺院である。https://ja.wikipedia.org/wiki/柴又帝釈天
度分秒35° 45′ 30.24″ N, 139° 52′ 41.52″ E
十進数35.7584, 139.8782
柴又…

芝山…
芝山古墳群(殿塚・姫塚)出土埴輪/千葉県https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/p181-011.html
…姫塚古墳出土埴輪の中でも有名なのは、あごヒゲを蓄えて帽子(又は天冠)をかぶる一連の男性の全身像埴輪である。
あごヒゲを蓄える人物埴輪は主に茨城県と千葉県に分布していることが知られているが、
千葉県内での分布は茨城県に比べて少なく、山武地域と千葉市内でわずかに出土例が知られている。
この他に、馬子と考えられる人物埴輪、島田髷を結う女子人物埴輪、馬形埴輪、家形埴輪などが主要な埴輪である。
また、馬形埴輪に横乗り用の板鐙(いたあぶみ)がつくものがあったり、大刀を斜めに背負う男子人物埴輪があったりと、他の古墳出土の埴輪には見られない特殊な埴輪も出土した。
茨城県と千葉県に分布…

大英博物館所蔵の埴輪人物像はユダヤ人風 https://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/086e4334ddd6c135d2776b948a9454c0
サカ族・ペルシア系・ゾロアスター教(拝火教)徒説だにゃ・・
「渡辺豊和氏はこのサカ族こそが蘇我一族であるとしている。千葉県芝山町の芝山古墳から尖がり帽子の埴輪が出土し、顔つきや髪から日本列島土着の民とは思えない。
常陸国行方郡では非常に激しい戦争があり、夜刀神(やとのかみ)率いる渡来民が殲滅された。
彼らの出自はイラン中部のゾロアスター教の中心地ヤズドである。」
https://religion-news.net/2020/02/18/kouen760/
…とんがり帽子・・
「「紀元前6世紀、アケメネス朝は古代オリエントを統一して大帝国を築くと、さらに東へ遠征し、中央アジアの草原でサカと総称される遊牧騎馬民族と接触した。
このサカについてダレイオス1世(在位:前522年 - 前486年)の『ベヒストゥン碑文』では、サカ・ティグラハウダー(尖がり帽子のサカ)、サカ・ハウマヴァルガー(ハウマ[1]を飲む、
あるいはハウマを作るサカ)、サカ・(ティヤイー・)パラドラヤ(海のかなたのサカ)の三種に分けていた。
サカ・ティグラハウダーは中央アジアの西側、サカ・ハウマヴァルガーは中央アジアの東側に住んでおり、サカ・パラドラヤは「海のかなた」すなわちカスピ海もしくは黒海の北となり、ギリシア文献に出てくるスキタイを指すものと思われる。」
ギリシア文献に出てくるスキタイを指すものと思われる。」
http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/51802318.html
スキタイ…

日本におけるスキタイを考察してみます。
ケルト人と謎の古代人スキタイ(6)https://note.com/yoshito0103/n/n43c305f9ef2c
「新羅前史末期261年~第2期540年」は、スキタイ人とスキタイ人の最後の生き残りがゴート族に圧倒されていた紀元3世紀とかぶります
この時期に頻繁にスキタイが朝鮮半島に出没していたことは十分想像がつくと思いますが、広大なステップロードとはいえ、
馬での移動であれば、クリミア半島から朝鮮半島の羅津まで、1ヶ月ほどで移動できたと言います。
そのため、『三国史記』の信憑性が増すと言われている、奈勿王以前にもスキタイは騎馬により朝鮮半島に出没していたことは十分考えられます。
人類史において、初めて馬を飼いならし、騎馬という方法を考えついた古代人スキタイは、ステップロードを縦横無尽に駆け巡り、
各地に情報や交易による物品、社会制度や任侠などの精神文化、戦闘技術なども提供していきました。
スキタイが伝えた精神方面において私見では、後に武士道や騎士道にもつながっていくと考えています。
…スキタイは敢えて文字を持たずに、隠然と地球運営のために、天地自然の意思を体現させるが如く行動してきました。
それは、天文学、占星術に長けたバラモンたるマギの託宣と、宇宙の変化と連動し躍動する地球の変化に基づき、クシャトリアとして実力を行使してきたと考えられるのです。
宇宙の変化と連動し躍動する地球の変化に基づき、クシャトリアとして実力を行使してきたと考えられるのです。
そして地球運営を行う上で、極めて優れた資質を持ち合わせた日本の天皇家を見出し、来るべき国際化のために温厚な縄文人に戦力を獲得することの重要性を説き、
そして軍事訓練を施し、専守防衛の基礎を築き上げた種族がスキタイだったのです。

<朝鮮半島におけるスキタイの痕跡> https://note.com/yoshito0103/n/n1f369dd3745f
…新羅古墳独特の「積石木槨墳」という墳墓の構築法は、
中華にも高句麗、百済にもない「スキタイ人」とその末裔の民族に特有のものである。という点が非常に重要になっています。
…スキタイ自身、文字を敢えて持たなかったということと、いつか歴史開示するときのためにコーカサスにスキタイ由来の叙事詩を残したのではないかと推測しています。
しかしながら、アラン人の末裔と言われているオセット人自身、北東イラン系とは違う遺伝子を持っているようなので、ここにも一つ謎が残されているようです。
アラン人…

アランの恨みを見事に晴らした李上舎は彼女の骨を埋葬した。https://kankoku-drama.com/special_topic/id=12469
李…

李姓を持つ客家人とユダヤ人がいるのですから、客家= ユダヤ人なのでしょう。
その証拠に、 韓国ではクリスマスと釈迦の誕生日を公休日にしています。
客家とユダヤ人の繋がりhttps://ameblo.jp/schoeneslebenmitkatzen/entry-12563714348.html
…明の時代、皇帝から 艾、石、高、金、李、張、趙 の7つの姓を与えられました。
しかもその名の由来は、ユダヤ人のそれぞれの姓、Ezra, Shimon, Cohen, Gilbert, Levy, Joshua, Jonathanを中国風にしたと言います。
李家はつまり氏族の中でも聖別されたレビ人の末裔だったんですね! だから李家は特に強大な力を持って来たんですね。

クリスマス…

12月25日午前、中国・四川省都江堰市、安倍首相、中国の李首相と会談 https://www.asahi.com/articles/ASMDT355FMDTULFA006.html

『ザ・フリーメイソン』誌1898年クリスマス号http://www.elfindog.sakura.ne.jp/fmasonmg.htm

中国にあるロッジ…
昭和に入ると、ユダヤ系団体や国際金融資本とフリーメイソンを結びつけて糾弾する運動が激しくなりました。
日本軍が中国にあるロッジを襲って押収した備品を都内のデパートで展示し、「フリーメイソンは恐い団体」とのイメージを一般国民に植え付けたこともあったそうです。
フリーメイソン 安倍内閣にもメンバーがいたhttps://www.bing.com/search?q=安倍晋三%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80フリーメイソン&qs=n&form=QBRE&sp=-1&lq=0&pq=安倍晋三%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80フリーメイソン&sc=11-14&sk=&cvid=BF2FB5A26CFF498BB878CC590EFAB254&ghsh=0&ghacc=0&ghpl=

参考のために書いておくと 森喜朗元首相が33位階 で、フリーメーソン日本ロッジのトップです。 https://jprofile.org/2020/04/666.html
森元首相が最高位は、個人的にはなんとなく納得できないのですが、
プーチン大統領に近しいのが森元首相でもあります

プーチンを操る5人の地球支配者とは?https://web-mu.jp/history/13035/
フリーメーソン、イルミナティ、ブナイ・ブリスはイエズス会と同質である。
どこをどう切り取っても金太郎飴で、同じ形の、真面目で勤勉で高邁こうまいな顔を見せる。だがイエズス会とは史上最強の諜報機関なのだ。
だがイエズス会とは史上最強の諜報機関なのだ。

あのプーチン大統領や、トランプ大統領もゴッド・ハンドの指令で動いている。https://ameblo.jp/shogo-810/entry-12834946129.html

クリスマスとはhttps://www.minthouse.org/christmas-5/
ケルトのドルイド教(自然と宇宙と自己を一体化する自然信仰)、
ミトラ教の冬至祭(太陽信仰)やサトゥルナリア祭(農耕信仰における収穫祭)とキリスト教の信仰が合体したもの。

李氏朝鮮…
カッ(갓)または笠子帽は、朝鮮の伝統的な帽子の一種である。李氏朝鮮の服飾の一つで、両班が頭にかぶる冠帽の一種。https://ja.wikipedia.org/wiki/カッ
頭を覆う部分であるモジャと、顔を覆うつばの部分であるヤンテから成り立つ。ちなみに、頭に帽子を固定する紐の名称は、ガクン(カクン)である[1]。
Korea-gat-01 - カッ - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/カッ#/media/ファイル:Korea-gat-01.jpg
カッ…勝…

勝氏 (かつ/すぐり/すぐろ し)は、日本の 氏族 [1] 、 姓 のひとつ。
出自と系統. 百済系. 勝氏は 百済 の 帰化人 系の氏族といわれ [1] 、 西文氏 (かわちのふみうじ)の末裔とされる。
大和 の勝氏は 西漢氏 の 庶家 ともいわれて、 勝海舟 は家系的にはこの系統とされる [2] 。
秦氏系. また、 因幡 ・ 讃岐 ・ 紀伊 ・ 伊勢 ・ …https://ja.wikipedia.org/wiki/勝氏
勝海舟…

オランダ語を学び西洋に負けない国をめざした武士. 勝海舟(1823~1899年) 幕末の武士・政治家。 咸臨丸の艦長として渡米。
「オランダ語ペラペラ」勝海舟 https://toyokeizai.net/articles/-/685788

オランダ商館長クルティウスは、開国政策に転じた幕府の要求に応じ、軍艦2隻(後の観光丸であるスンビン号と、後の咸臨丸であるヤパン号)の発注、https://ja.wikipedia.org/wiki/日蘭関係
クルティウス…
クルティウスはペリー来航を知らせてくれただけでなく、あの咸臨丸を発注し、勝海舟はじめ多数の人材を育てた海軍伝習所の設立、カッケンディーケなどの教官の招集、欧米との付き合い方などをとても友好的に指導してくれました。
海軍伝習所の設立、カッケンディーケなどの教官の招集、欧米との付き合い方などをとても友好的に指導してくれました。
ペリー…
1779年に長崎・出島に来たオランダの商人がフリーメイソンの会員だったという一番古い記録が残っています。
ペリー、ワシントン、あの元首相も会員 フリーメイソンが変えたものhttps://withnews.jp/article/f0170427001qq000000000000000W03j10201qq000015102A
…日本に開国を迫ってきたペリー提督もフリーメイソンでした。
300年前にできた近代フリーメイソンですが、大きく分けると、もともとのイギリス系と、大陸に渡った後にできた大東社と呼ばれるフランス系の二つの流派があります。
…東久邇宮稔彦さん。
終戦直後にちょっとだけ総理大臣をやった皇族です。実は総理大臣だけでなく、日本の皇族にもすでにフリーメイソンがいたというわけです。
実は総理大臣だけでなく、日本の皇族にもすでにフリーメイソンがいたというわけです。

坂本龍馬はフリーメイソンだったのか?グラバーや勝海舟との出会い、龍馬暗殺との関係(前編)https://rekishi-hack.com/ryoma_freemason1/
…コンパスで「男性器」を表し、定規で「女性器」を表していると言われ、ほかにも「陰と陽」、「天と地」、「論理と物理」、「精神と物質(肉体)」といった意味がある。
これらには、「すべてのことは異なる性質をもつ二つの原理から成り立っている」という意味があり、生命や出来事、モラルや社会など幅広い分野に該当する哲学的な考え方だ。
「すべてのことは異なる性質をもつ二つの原理から成り立っている」…
異なる性質をもつ二つの原理…

明暗 (善悪)の二元論…
マニ教は3世紀頃のゾロアスター教が主流のパルティア時代のイランの
「グノーシス主義」のキリスト教を信仰する家庭に生まれた思想家マニによって創始された宗教で、地域土着の
ゾロアスター教の明暗 (善悪)の二元論のような教えを持ち、悪からの救済を重視したとされる。
マニ教のシルクロードhttps://note.com/halgie_lenonx/n/n9c4ccc8d3ec5
…マニ教は情勢不安状態のローマ帝国内でキリスト教とともに拡大していたが4世紀に皇帝テオドシウスによって発布された
キリスト教のみを認めるという法令により滅ぼされることとなり、中央アジアに移ったマニ教はその後、
シルクロードを支配していた唐に明教として伝来、広まって繁栄するが「会昌の廃仏」でほぼ消滅した。
…シルクロード貿易を担った「ソグド人」達の多くは古いゾロアスター教に少しヒンドゥー教の混ざった宗教を信仰しており、これにより
南北朝時代の5世紀から6世紀頃の中国にソグド人やペルシア人がシルクロードを通して移住するとともに「祆教」として広まった。

マニ教…「祆教」…ゾロアスター教の,中国での呼称。南北朝末期に渡来し,唐代に一時流行したが,その後,禁止された。拝火教https://ja.wikipedia.org/wiki/唐代三夷教#:~:text=ゾロアスター教は、 火 を崇拝するところから「 拝火教,」とも呼ばれた。 ゾロアスター教が中国に伝来したのは、 5世紀 の頃とされている。
…祆教の信者は多くの場合、ペルシア人や西域出身者であったが、当初は隊商の商人が多数を占め、のちには
唐に亡命政府を樹立したサーサーン朝からの難民などが加わったものと思われる[3]。
祆教は、14世紀ころまで開封や鎮江などに残っていたと記録されているが、その後の消息はつかめていない[3]。
開封…
開封のユダヤ人. 19世紀後半~20世紀初め頃の開封のユダヤ人.
開封のユダヤ教徒 は、 中華人民共和国 河南省 開封市 に数百年間存在した ユダヤ人 ( ユダヤ教 徒)のコミュニティー。.
現代の中国では広く ユダヤ人 を 中国語 で 犹太 ( 簡体字 )・ 猶太 ... 詳細https://ja.wikipedia.org/wiki/開封のユダヤ人

チャイニーズフリーメーソン(Chinese Freemasons)は明末清初に民間で結成された秘密結社。https://ja.wikipedia.org/wiki/チャイニーズフリーメーソン
チャイニーズフリーメーソンは、対外には天地会と呼び、内部では洪門(HONG MEN)と呼ぶ。
中国で明朝末期から清朝初期に興った秘密結社。民の相互救済組織はやがて“反清復明”《清朝「女真族/満人」異民族支配を倒し
明朝「漢民族」を復活させる》を主旨へと変わってゆく。チャイニーズフリーメーソンとは洪門である。
そのため、ウィキペディアに存在する天地会とは内容が重複する。
天地会の別称
天地会の別称は時代や地方により異なり洪門と天地会は同一組織、三点会、三合会、添弟会、三河会、圏子会等など50種類以上の別称が確認されている。
これらの別称は各地へ伝播していった際に、清朝を欺くために使われた名称である。

現在のチャイニーズフリーメーソン(日本)
天地会と洪門(ほんめん)は、両者同一組織であり、洪門の英訳は、チャイニーズフリーメーソンである。
日本においてほかに洪門の名を掲げた組織があるものの、洪門天地會青蓮堂日本總會が、洪門五房(五祖)の伝統を受け継いでおり、その長房の役割を果たしている。

日本總會代表のご挨拶 - 一般社団法人 洪門天地會青蓮 https://acfreemasons3821.org/about-jlcf/greeting/
⽇本においては数年前よりアジアフリーメイスンとも呼ばれています。
洪⾨(ほんめん)は、キワニス、ロータリークラブ、ライオンズクラブと並び世界4⼤組織の⼀⾓を担う
国際的な共済団体、または慈善団体であり、2003年に国際合法化され、秘密結社だった巨⼤組織は徐々にその姿を⾒せ始めています。
いかなる時でも最も信頼される存在として、⽇本はもとよりアジア、そして世界に選ばれる存在となることを⽬指し、さらには
世界を⽀える揺るぎない存在となるよう邁進していくことを考えております。

一般社団法人 洪門天地會青蓮堂日本總會https://acfreemasons3821.org/

出口王仁三郎と洪門天地會青蓮堂日本總會 · 続きを見る https://ja.unionpedia.org/i/出口王仁三郎

世界中の宗教団体と提携し、人類愛善会や世界宗教連合会という組織を発足した…
近代宗教界の666の獣「出口王仁三郎」https://ameblo.jp/tenka-yotarou/entry-12594514955.html
王仁三郎は「この世から宗教がなくならねばミロクの世にはならない」と言っていた。

堀川辰吉郎と福沢諭吉とフリーメイソンとイルミナティ(大東社)の真実https://ameblo.jp/japmasa778/entry-12564256182.html
「契約」と「友愛」の象徴であるゾロアスター教の太陽神ミトラの本性が顕現したのが「近代フリーメイソン」の「友愛精神」である。
…その本当の成り立ちは、イランに発祥し乍ら後発のイスラム教に置き換わられ消滅したとされる
マニ教が、ユダヤ教、キリスト教、仏教などの枠を超える「超宗教」として、親睦団体の形に成り代わったものである。
すなわち、ウバイド・ワンワールドの多神教思想から生まれたマニ教が、東に展開して「大乗密教」となり、西に展開して
ローマ・カトリックを侵食して「プロテスタント」となると同時に、ケルト社会を活性化してクエーカー派を育て、十八世紀以降になると、
最先端で開明的な世界規模の思想、親睦団体として、各国王族の間を中心にネットワークを形成していった。
一七一七年にワンワールド(世界)國體によって設立された「近代メーソン」の目的は、会員が従来の信仰を保持したまま、その上に
マニ教の主神ヴァイシュラヴァーナ(毘沙門天)が象徴する「友愛」を上書きして、「天啓一神教の唯一神を他の神と同格にし、絶対神を相対化すること」である。
そして、これにより絶対的一神教のイエズス会による世界侵略から各国國體を守ることがその隠された目的とされたため、組織の内実や会員名、具体的な行動の秘匿性が高く、
イエズス会筋(今日の国際金融勢力)から “反カトリックの怪しい陰謀団体 ”との欺瞞に満ちた印象操作をされてきたのである。
確かに、フリーメイソン会員の中には一部に”ユダヤ系金融筋”も関わっているが、これはいわゆる”潜入した偽会員”で、
本流にはプロテスタント系のクエーカー派や会衆派、オランダ改革派、メソジスト派、ユニテリアン派などがいて、いずれも國體支援勢力に属している。
天上のワオギツネ 投稿日: 2024年04月27日 17:29:37 No.1071
正装をして刀を持つ人物

芝山古墳出土のこの人物埴輪の造形は、ユダヤ教の超正統派の人々の姿と極めてよく似ている。
中央アジアでは、鬢を伸ばしたユダヤ人と鬢を伸ばしていないユダヤ人がいたようだ。
芝山古墳の正装して刀を持つ人物埴輪の姿は、鬢を伸ばしたユダヤ教徒に分類すべきものと思われる。
また、中央アジアの帽子の特徴はとんがり帽子であるので、芝山古墳の正装して刀を持つ人物埴輪の帽子は中央アジア由来の形とみてよいだろう。
芝山古墳築造の時代は、6世紀後半とされる。

この人物埴輪の元となった実際の人間としては、いかなる勤めを担った者であったか。
この芝山古墳以外の関東各地の同類型の人物埴輪は、すべて刀を腰にさしているのが特徴の一つである。
兵士の埴輪の場合は短甲を身に着けて刀を腰につけ、兜をかぶっている姿が造形されているので、芝山古墳の正装した人物埴輪は兵士でないことは明白だ。
そうすると、この人物の勤めとしては、刀を持っていることから豪族などのボディーガードであった可能性が出てくる。

6世紀初頭頃の大和の池田古墳から,弓の矢をいれる靫(ゆき)を背負った人物埴輪が出土している。
巻毛にした鬢を伸ばし、中央がへこみ左右両側に角形のとんがりを立てた帽子をかぶっている。
この人物埴輪と同じ姿の埴輪が埼玉鴻巣市の新屋敷c区遺跡でも出土しており、この人物は背中に鎌を差している。
右手はその鎌を触るように後ろに回されていて、左手は上に上げる動作をかたどっていることから、その左手は馬を引く手綱を持つ動作なのではないかとされている。
背中の鎌は馬の餌を刈るための道具ともみられている。
しかし、鎌は武器ともなるので、この人物は大和の池田遺跡の人物と同じく豪族のボディーガードであった可能性も考えられるのではないか。

このように見ると、埼玉行田の稲荷山古墳を築造した豪族がそれらの警護人のまとめ役であり、5世紀後半頃に関東に入植したそのユダヤ教徒集団のうちの超正統派の人物たちがその警護人の役についていた可能性が出てくる。
そして、この警護人は大和の豪族のボディーガードとしても派遣されていたと考えることができそうだ。

なお、芝山古墳の周濠は非常に珍しい長方形であり、それが二重周濠となっているのが特徴だ。
この長方形で二重の周濠は埼玉行田の稲荷山古墳群にも見られる形なので、行田の豪族と芝山の豪族は深い関係で結ばれていた可能性が高い。

つまり、5世紀後半頃には、ユダヤ教徒集団が埼玉行田に入植して勢力を広げていて、6世紀後半には千葉の芝山とも深い関係を結んでいたたということになってくる。


「傾く(かたぶく)」とはいかなる言葉か 天上のワオギツネ 投稿日: 2024年04月26日 17:41:56 No.1065 【返信】

No.1046より続く
「傾く」の来た経路が不明

傾く(かたむく)は物が斜めになることを表す言葉で、「日が傾く」とする場合は正午の真上にある日が西方にかしいだ位置に移動した状態を表すものだとすることができる。
そして、この「傾く(かたむく)」の原義は、「片向く(かたむく)=片側に移動すること」だとされている。https://kotobank.jp/word/傾く-463654
そうすると、カタムク(傾く)は、カタ(片側)+ムク(向く)の構成の言葉だということになる。

そこで、もう少しこの言葉の構成を考えてみると、カタムク(傾く)の古形はカタブクだとされている。
万葉集3623の歌では「月可多夫気婆」と書かれていて、これは「月かたぶけば」と読むようだ。
そうすると、カタムク(傾く)の古形はカタブク(傾く)であり、ブクの言葉に「向く」意があるのかどうかかなり怪しい。
カタブクがカタムクと訛ったとしても、そのムクが「向く」意を表していることにはならない。
なので、カタムクはカタ(片側)+ムク(向く)の構成とする解釈は、少し無理があるのではないだろうか。

このように考えると、カタブク(傾く)はカタブ+ク(動詞)の構成である可能性が出てくる。
傾くと書いてこれを「カブク」とする読みがあり、このカブクの名詞形が「歌舞伎(カブキ)」であることからしても、「カブク(傾く)」の元の語形であるカタブク(傾く)はカタブ+ク(動詞)の構成と見るのがよいだろう。

そうなると、では、このカタブク(傾く)の語幹である「カタブ」とは、いかなる言葉なのか大いに興味が湧くことになる。
そこで、例によって、外国語に発音と語義がよく似た語彙を探してみることにすると、次の語が浮かび上がってくる。

カタブク(傾く)のカタブ
フィンランド語 kaitevuus(カァタブウス)=勾配、傾斜度、傾き、スロープ、坂、下り坂

フィンランド語のこのkaltevuus(カァタブウス)の語尾のuusを取り除いたkaltev(カァタブ)も、スロープ(勾配、傾斜、傾き、坂、下り坂)を意味する。
これを見ると、日本語のカタブク(傾く)の語幹のカタブとフィンランド語のkaltevuus(カァタブウス=勾配など)は非常に近い同系語彙と見ることができる。
そうすると、フィンランド語の祖語の遼河祖語と縄文祖語は3万年前頃にアルタイ山脈南麓で接触して語彙交換があったとみられるので、その時に遼河祖語から縄文祖語にこの言葉が移動したとするのがよいのだろうか。
しかし、フィンランド語のkaltevuus(カァタブウス=勾配など)の勾配や傾斜の意は、かなり抽象的な語義であることを考えると、この言葉はかなり新しい語彙である可能性が出てくる。
そこで、勾配を表す語彙を他に探してみると、ラテン語やギリシャ語の語彙が出てくるので、それを見てみよう。

フィンランド語 kaltevuus(カァタブウス)=勾配
ラテン語 cilvo(キリィボ)=勾配
ギリシャ語 klisi(クリシ)=勾配

フィンランド語のkaltevuus(カァタブウス=勾配)の語幹のkaltev(カァタブ=勾配)の発音とラテン語のcilvo(キィリボ=勾配)の発音はかなり遠いものの、その綴りはかなり似ていることと語義が同じであることから、双方は同系語彙とみることができる。
そして、ラテン語のcilvo(キリィボ=勾配)とギリシャ語のklisi(クリシ=勾配)も語尾音は異なるものの、双方同系語彙であるとすることができそうだ。

このことから、ギリシャ語のklisi(クリシ=勾配)を語源としてラテン語のcilvo(キィリボ=勾配)ができ、そのラテン語のcilvo(キィリボ=勾配)が訛ったのがフィンランド語のkaltevuus(カァタブウス=勾配)だとすることができる。

このギリシャ語を語源としたラテン語cilvo(キィリボ=勾配)に由来するフィンランド語のkaltevuus(カァタブウス=勾配など)の語幹のkaltev(カァタブ=勾配など)と日本語のカタブク(傾く)の語幹のカタブが非常に近い同系語彙であるのは明らかであるが、歴史時代になってからの日本とフィンランドをつなぐ経路がまったく不明であるのが難点だと言える。

ラテン語のcilvo(キィリボ=勾配)が訛ってフィンランド語にkaltevuus(カァタブウス=勾配)の語が取り入れられる前の経路地からこの言葉が日本にまで運ばれたと考えれば、日本語のカタブク(傾く)の語彙の存在が理解しやすいのであるが、その経路地が不明なのが残念と言える。
その経路地では、kaltev(カァタブ=勾配)の語は別の語彙によって置き換わって、そのまま消え去ったのかも知れない。
天上のワオギツネ 投稿日: 2024年04月27日 04:37:07 No.1066
語源は、ここにあった。

日本語の「カタブク(傾く)」とフィンランド語のkaltevuus(カァタブウス=勾配、傾き、坂、下り坂)は同系語彙と見ることが可能だが、双方を結ぶ経路が不明だとしたが、意外にもギリシャ語が双方の語源だったようだ。
そのつながりを見てみよう。

カタブク(傾く)
フィンランド語 kaltevuus(カァタブウス)=勾配、傾き、坂、下り坂
ギリシャ語 katabase(カタバシ)=降下
  同   katevike(カタビケ)=降りてきた

この三者が同系語彙であるのは、ほぼ間違いないだろう。
ギリシャ語のkatavike(カタビケ=降りてきた)の語幹のkatavi(カタビ=降りてきた)が語彙移動してフィンランド語ではkaltavuus(カァタブウス)と訛って勾配や傾き、下り坂などの意に語義変化し、また一方、交易品にともなってカザフ平原を通って日本にまで語彙移動してカタブと訛り、和語の動詞のクが付いてカタブクの言葉となり、語義はフィンランド語のケースと同じ「傾く」の意に語義変化したということだろう。

したがって、フィンランド語のkaltevuus(カァタブウス=勾配、傾き、下り坂など)と日本語のカタブク(傾く)は、ともにギリシャ語のkatavike(カタビケ=降りてきた)から派生した同系語彙ということになる。

なお、先に述べたギリシャ語のklisi(クリシ=勾配)とラテン語のcilvo(キリィボ=勾配)は、日本語のカタブク(傾く)やフィンランド語のkaltavuus(カァタブウス=勾配、傾きなど)とは同系語彙ではないということになる。
荊の紀氏 投稿日: 2024年04月27日 05:27:10 No.1067
>カタムク(傾く)…(傾奇者、歌舞伎者)…
傾く(かぶく)とは、正道から外れている状態をいい、https://iyo-monogatari.jp/nihonjin/character/7510.html#:~:text=傾く(かぶく)とは、正道から外れている状態をいい、 傾く(かぶく)者 とは、まともな恰好をしていない者、道を外れた者の意で、世間では,かぶきもの (傾奇者、歌舞伎者)と呼んで、 胡散臭い連中 という目でみている。
傾く(かぶく)者 とは、まともな恰好をしていない者、道を外れた者の意で、世間では
かぶきもの (傾奇者、歌舞伎者)と呼んで、 胡散臭い連中 という目でみている。

カタブ: 書く
カム、クム:群れを大量に集める・立ち上がる、現れる…https://www.historyjp.com/dictionary/
…ケレッ(ク)、キレク、キロク:本、記録

穂先…筆先(穂先)を見せて書く書き方です。https://shodo-kanji.com/b1-5-3rohou_zouhou.html
例えば、筆を入れる時に穂先が左斜め上に来るように筆を下ろすと、当然筆の先は左斜め上に来ます。

日が傾く?
頃 ケイ・ころ・しばらく  頁部 https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/0c363654d936ec11b6ba84f2d8ceffda
「右をむいた人+頁(ひざまずく人)」の会意。頁ケツは、ひざまずいた人の頭部を強調した字[頁を参照]で、通常は頭を意味するが、ここではひざまずく人を表す。
頃ケイは、右向きの向かい合った人にひざまずく形で、相手に頭をかたむけてひざまずくこと。現代字は、右向きの人⇒ヒに変化した頃になった。
頭をしばらく傾けることから、転じて、しばらく、ころあいの意となった。頃を音符に含む字は、「かたむける」イメージをもつ。
意味 (1)しばらく(頃く)。「頃刻ケイコク」(しばらくの時間) 
(2)ころ(頃)。ころあい。このごろ。時刻・時期を漠然とさしていう。「頃日ケイジツ」(このごろ)「近頃ちかごろ」「此の頃このごろ」
イメージ 
 「かたむける」(頃・傾・穎)
頁(ひざまずく人)…羽人 https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&ccid=9p6+GZkL&id=7DFBBA149622DA40DB7384CBB9CFC6EDFCD6BA5F&thid=OIP.9p6-GZkLEVV4dnHG75Qj5AHaE2&mediaurl=https://i2.kknews.cc/SIG=3e15lvb/ctp-vzntr/r6n9rrnq851640009s95s72q6o018s5p.jpg&exph=347&expw=529&q=羽人 すぐれた 才能の人&simid=608015087488353561&FORM=IRPRST&ck=05A87131AF09D0E16AFBFF2C251F1F72&selectedIndex=46&itb=0&ajaxhist=0&ajaxserp=0

頁 (けつ)に從ひ…
夏 (漢字)の用語解説 - [字音] カ・ゲ [字訓] なつ [説文解字] [金文] [字形] 象形舞冠を被り、儀容を整えて舞う人の形。
〔説文〕五下に「中國の人なり。 夊 (すい)に從ひ、頁 (けつ)に從ひ、 (きょく)に從

「夏カ」<大きな人> と「榎えのき」https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/7926b60504c69c7e266cee74a0fcf5d0
古代文明が発祥した中国・中原地方で自らの部族を表す語として使われ、のち、中華(中国)の意味にも使われるようになった。現代字は、篆文から両手と頁の下部のハが略された形。また夊(あし)⇒夂に変化した。

羽民人 は 中国 に伝わる伝説上の人種である。https://www.wikiwand.com/ja/羽民

穎[頴] エイ  禾部  繁:穎yǐng  簡:颖yǐng
解字 「禾(いね)+頃(かたむける)」の会意形声。稲などが穂をかたむけること。
実って穂がたれるさまをいい、①穂先、②穂先がするどい、③実って垂れる意から人に例えて、すぐれる・かしこい意となる。なお頴エイは、禾⇒示になった俗字。
意味 (1)ほさき。ほ(穂)。 (2)するどい。ふでさき。「穎毛エイモウ」(筆の穂先)
(3)すぐれる。ぬきんでる。才能がある人。「穎才エイサイ」(すぐれた才能の人)「穎哲エイテツ」(すぐれてかしこいこと。また、その人)
「穎脱エイダツ」(才能が群を抜いてすぐれる)「穎慧エイスイ」(すぐれてさとい)
すぐれた才能の人…

「羽人。. その者、不老にして不死。. 人の理より解き放たれた仙人であり、人々が徳を忘れた時に新たな世を創るため現れる」。

越と出雲&羽人はシャーマンか?・後編https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/f97bd026b58547086c823b1d218e9fb3
…羽人は雲南省から浙江省にかけての中国南部、北ベトナム更には日本列島の日本海沿岸出土の遺物(先に上鑵子遺跡の事例も紹介した)に見ることができ、存在していた証であろう。
そうとすれば羽飾りをつけた人々(羽人)が対馬海流を通じて、舟により往来していた可能性が考えられる。
これらの図像に描かれた鳥は水先案内のような位置づけで、羽は烏の象徴ともいえる。
共に描かれる太陽は、それを神として崇めたことを示している。いわゆる太陽神信仰である。
浙江省余姚県河姆渡(よようけんかもと)遺跡から太陽を支える二羽の鳥をモチーフとした骨製の板が出土した。
荊の紀氏 投稿日: 2024年04月27日 11:00:57 No.1068
鹿島をヘブライ語で読む https://www.historyjp.com/article/283/
また、「かぐしま」という読みの語源が、ヘブライ語であるという説にも注目です。
「カグ」という言葉はヘブライ語で、カグー(khagur、カグー)、体に巻く、身にまとう、締める、用意をする、等を意味します。
次に「シマ」はシムー(shimur、シムー)は、保護、管理、保存を意味する言葉です。
それ故、2つの言葉を合わせると、「カグシムー」となり、直訳では「保護を身にまとう」、つまり「保護管理体制を敷く」という意味になります。
日本列島の東海岸沿いにある最重要拠点として、列島の保護管理体制を固めるための監視塔となる拠点が鹿島でした。
それ故、古代の民は鹿島を当初、「カグシムー」と呼び、その名前に香島という漢字が当てられ、「かぐしま」と読まれるようになった可能性があります。
荊の紀氏 投稿日: 2024年04月27日 11:39:30 No.1069
鹿島神社の大日如来…フェニキア文字が紀元前八〇〇年ごろインドに…
弥勒の船が着く鹿島https://www.historyjp.com/article/283/

大日如来…弥勒…ミトラ…
>阿修羅、大日如来、牛頭天王、毘沙門天(四天王)、弥勒菩薩は、いずれも元々ミトラ(バール)神です
ミトラ(バール)神は、聖書で序列2位の悪魔とされてます…
天照大神(大日如来)…ミトラ(バール)神…
荊の紀氏 投稿日:2024年04月16日 19:39 No.1031 https://rara.jp/kumara/page1031#:~:text=阿修羅、大日如来、牛頭天王、毘沙門天(四天王)、弥勒菩薩は、いずれも元々ミトラ(バール)神です,ミトラ(バール)神は、聖書で序列2位の悪魔とされてます

(ブラーフミーはBrā hm ī) サンスクリット を記すのに用いられた 最古 の 文字 。https://kotobank.jp/word/ブラーフミー文字-126382
フェニキア文字 が紀元前八〇〇年ごろ インド に入り、それが改良されてできたもの …
《〈梵〉Brāhmī》アショカ王碑文に刻まれている古代インドの文字。のちに、ナーガリー文字やチベット文字が成立した。

〘名〙 (ブラーフミーはBrāhmī) サンスクリットを記すのに用いられた最古の文字。
フェニキア文字が紀元前八〇〇年ごろインドに入り、それが改良されてできたもの。悉曇(しったん)文字やデーバナーガリーの祖。
悉曇(しったん)文字やデーバナーガリーの祖。

カローシュティー文字とならび,古代インドで前300年ごろ使われた文字の一つ。
起源については,インド固有のものとみる説もあるが,最近ではセム系説が有力。
現在この系統の文字はインドから東南アジア,中央アジアからチベットに及んでいる。
アショーカ王石柱の碑文が古代における最も重要な資料である。日本では梵(ぼん)字,悉曇(しったん)として知られる。
。日本では梵(ぼん)字,悉曇(しったん)として知られる。
→関連項目オケオ|テルグ語|トカラ語|ミーラーン

古代インド文字。アショカ王碑文はこの文字で刻まれている。
4世紀から6世紀にかけて南北両系に分かれ、北方系ブラーフミーBrāhmī文字からシッダマートリカーSiddha-mātkā文字、この文字からナーガリー文字をはじめとする現行インド系文字が成立している。
南方系ブラーフミー文字からパッラバPallava文字、続いてサンスクリット語文献(グランタ)を写すためのグランタGrantha文字などが成立し、
ドラビダ諸言語を表記する現行諸文字へと連なっている。
北方系ブラーフミー文字はさらに北上し、チベット文字をはじめとする諸文字、南方系ブラーフミー文字は海を渡って東南アジアの諸文字の成立に刺激を与えた。
古代インドで用いられた文字。セム系のアルファベットを母体にしてできたものと考えられる。
知られている最古のものは前4世紀。
古代インドには,これと並んでカローシュティー文字があったが,ブラーフミー文字がこれを圧倒した。
4世紀頃のインドで用いられたグプタ文字,中国,日本に伝わった悉曇 (しったん) 文字,現在インドの諸地方で用いられているデーバナーガリー文字はブラーフミー文字を母体としている。
…この文字はインダス文明の滅亡とともに忘れ去られてしまった。滅亡の時期を前1500年とすると,ブラーフミー文字による現存最古の碑文の年代まで約12世紀の断絶があり,この断絶を埋める文字資料は発見されていない。 1837年,ジェームズ・プリンセプによってほぼ解読されたブラーフミー文字,同人によって17文字解読されたカローシュティー文字は,アショーカ王による石柱,磨崖碑文の文字である。…
滅亡の時期を前1500年とすると,ブラーフミー文字による現存最古の碑文の年代まで約12世紀の断絶があり,この断絶を埋める文字資料は発見されていない。 
1837年,ジェームズ・プリンセプによってほぼ解読されたブラーフミー文字,同人によって17文字解読されたカローシュティー文字は,アショーカ王による石柱,磨崖碑文の文字である。…
ドラビダ諸言語…フェニキア…

ドラヴィダ人とは?アーリア人との違いや日本人との関わりなど特徴を解説 https://worldglobalist.com/dravidians
世界四大文明のひとつであるインダス文明を作り上げたのがドラヴィダ人。
しかし、気候変動により文明が崩壊。
この時、イラン高原から移住してきたアーリア人に押し出され、南インドへ移動。
南インドでサータヴァーハナ朝、チョーラ朝、パーンディヤ朝など、独自の文化を持つ国家を展開した。
インドに大きな南北間格差が生まれ、今日まで続いている。
ドラヴィダ人の言語
ドラヴィダ人は、ドラヴィダ語族に属する言語を母語とする民族。
インド・ヨーロッパ語族、インド・アーリア語族とは無関係。
…ドラヴィダ人の現在
主に南インドに住んでおり、特にタミル語、カンナダ語、マラヤーラム語、テルグ語、トゥールー語を話す人々が多い。
なお、インド中部、スリランカ、バングラデシュ、パキスタン、イラン南西部、アフガニスタン南部、ネパールの一部にも居住している。

…ドラヴィダ人と日本の歴史
数千年の間にアーリア人と何度も争いがあったとされるが、ドラヴィダ人は避けるために海外へ脱出。
紀元前に出雲に辿り着き、出雲族とされている説があるが、4世紀に熊野に流れ着いたドラヴィダ人の一人が「裸形上人」だという説もある。
ドラヴィダ人の「裸形上人」は、熊野三山にある青岸渡寺や補陀落山寺を開山したとされている。
また、那智大滝で修行を積み、瀧壷で八寸の観音菩薩を感得したが、今に伝えられている修験道となった。
「超訳古事記」などで知られる作家鎌田東二によると「修験道=アーユルヴェーダ」としている。
ドラヴィダ人とアーユルヴェーダ
ドラヴィダ人の「裸形上人」がインド式の「行」と共に日本に伝えたのが、世界最古の医療「アーユルヴェーダ」だったのだ。
アーユルヴェーダが生まれたのは5000年前。
ヒマラヤ北部のアーリア人を避け、アガスティアが南下し、南インドのタミル・ナードゥでシッダ医学とミックスされて作られたものだ。

檀君神話が古代朝鮮の建国神話になっているということは、ナーガ族を含むミタンニ・アーリア人とフェニキア人の神ダゴンを古代インドに持ち込んだであろ
う民族の混血部族が檀君桓因の神話を最終的に古代朝鮮に持ち込んだことを示唆している
【バアル信仰】ユダヤ人とフェニキア人の神【古代都市ウガリット】【ダゴン・エル・アシェラ】https://note.com/ai_auwa/n/n81b67cfe1983

[ウガリット文書]には偉大なオリエントの神バアルが登場し、バアルは雨や嵐、豊穣、多産、繁栄の神であり頭に牛の角をもっている牛頭神です。
アルファベットのAは牛頭をかたどった文字で、[ウガリット文書]にはバアルの他にもアナトやエルなどの主要な神々も登場しています。
また、ラス・シャムラの石碑には右手で矛を打ち振り、左手には稲妻の光の穂を握る姿が描かれています。
[ウガリット文書]の中でのバアルの構造は、父がエルであり、エルは「牡牛エル」ともいわれています。
エルの妻は女神アシェラという神で、数十人の神々を生んだと記されています。女神アシェラは神々の母であり、海の母とも言われています。
そしてバアルの妹であり妻でもあるのがアナトという女神でアナトは若くて美しいと記されています。
ウガリットは海洋民族やヒッタイトによって滅んでいますが、ウガリット滅亡後もこれらの神々は移動をつづけて、ギリシャ神話の中にも姿をとどめています。
文明はつねに神々とともに移動するとも云われ、日本ではスサノオノミコトも別名、牛頭天王といわれており、頭に角のあるバアル神ときわめて似ています。

[フェニキア人と檀君朝鮮]
古代オリエントのもっともすぐれた海洋民族といわれているフェニキアの人たちも、バアル神を主神としていました。
フェニキア人は海洋民族ですが、ヒッタイトやウガリットを滅ぼした海洋民族とは元々は別の民族で、
フェニキア人の方の海洋民族はアルファベットを初めて実用化し、ウガリットの文化や神々を受け継いで広めています。
フェニキアでは、バアルの父エルの別名としてダゴンという神が登場しています。
ダゴンの音写は檀君であり朝鮮半島の歴史書[三国遺事]では檀君は帝釈天桓因のことだとしていますが、
帝釈天というのはヒッタイトやヒンドゥー教のインドラなので、檀君桓因の檀はフェニキア人の神ダゴンで、
桓因の因はインドラのインで同じ神を重複させた名称であることがわかります。
インドラは古代インド固有の神ではなく、ルーツを辿ると元来カッシュ(カッシート)人やミタンニ人などが崇拝していた神であり
紀元前1500年以降にミタンニ・アーリア人がシュメールから主神のインドラ神をガンガ流域に持ち込んだのですが、その持ち込んだ民族の一派に
ナーガ族がいたことが推測できます。
檀君朝鮮といっても、現在の朝鮮半島や満州に自生した民族ではなく、
檀君朝鮮の初期の時代はバビロンやインドにあり、末期には中国大陸内部にあったことが[桓檀古記]や[契丹古伝]などを合わせて読むとわかります。

バアル、エル、アシェラの三神には、別名が多いと言いましたが、これは古代オリエントの各地で祀られたため、その地方独特な呼び名がつけられて残ったものです。

これはまた、三神一体の人気の高さを物語るもので、神々の働きはその土地の特徴や
統治者、神官たちの都合などによって、その都度役目が変わったり合成されたり、性転換されたことも多いようです。


ヒッタイト…インド・ヨーロッパ語族…雄牛の姿? 荊の紀氏 投稿日: 2024年04月25日 01:16:47 No.1064 【返信】

…ケルト神話について-10 クーリーの牛争い(前編)https://mountain-fox.net/celt10/
の2頭はただの牛ではなく、もともとは別々の妖精の王に仕える人間でした。
ふたりは敵同士で、さまざまな姿に姿をかえて(転生)戦いを続けたとあります。
そういった転生を経て、牛になり、戦いを続けることになります。

…なんとなく、このあたりはインド神話にも似ているような気がします。

ヒッタイト, スキタイ, 匈奴 https://oyakutachitai.taketake2.com/h89.html
スキタイは黒海北部一帯に居住しており、南ロシア一帯に勢力を広げた民族で、世界初の騎馬遊牧民族とされています。
ヒッタイトから鉄の技術を取り入れたとされていますが、時代的に両者は交わっていない為、
ヒッタイトが滅びた後にも広く伝搬していた鉄の技術がスキタイにも伝わったのだと思われます。
なおヘロドトスの著書「歴史」にもスキタイ人が登場しており、残忍な性格だったと記述されています
(例えば倒した敵の皮をはいで上着にしたり、頭の皮を飾ってどれくらい敵を倒したかを誇るなど)

ケルト人と謎の古代人スキタイhttps://note.com/yoshito0103/n/nf51eaa192ea5
ケルト人はキムリス人とガリア人の二派に分類されました。
ドルイド階層がいかしにて形成されたかの議論は諸説ありますが、19世紀のガリア史家アメデ・ティエリによれば、この
キムリス人がケルト人の中での祭司階層、ドルイドとその宗教観をもたらしたとしています。
近年の発掘調査では、前7世紀頃のいわゆるハルシュタット後期のケルト人の原型をなす人々の社会で、階層分化したとみられる証拠があり、
戦士階層や政治階層などの機能的分化のなかで、ドルイドが階層として誕生したとする考え方があるようです。
そこには外部からの影響があり、通説ではその最大のものはギリシャ哲学のピュタゴラス派とされています。
ピュタゴラスは前6世紀の数学者として有名ですが、哲学、自然科学、音楽など様々な学問を弟子に教え、しかもその口外を禁じております。
学派というよりもむしろ教団的性格をもつ集団として有名ですね。
文献としての初出は、前3世紀末の『賢者(マギコス)』においてであり、ギリシャ哲学の源流として、東方
カルディアのマギ、インドのジムノソフィスト(裸の賢者)と共に取り上げられています。
私は、どちらかというと、ギリシャ哲学の淵源そのものを「マギ」に辿ることができると考えており、また仮に、
キンメリア人が一部ドルイド階層を形成していたとしても、最上位のマギは東方カルデアのマギであったであろうと思います。

…ドルイド(Druid)は、後半部(vid)が「見る」「知る」という語根であり、ドイツ語の「知る」(wissen)、ラテン語「見る」videreから、知恵者という意味となるそうです。
古代インドの聖典のヴェーダ(veda)もこれに由来するとされています。
インド…

インドと牛 https://world-note.com/india-and-cow/

スサノヲは牛族の神、ギリシャ人も牛族(ウル系)だった。http://www.kingchin.jp/12_J.html
ミケナイのミノタウロスは龍と戦う牛の神。乙女を怪物から救い、結婚する英雄である。
…牡牛神ハルは、エジプトでは「ホル」、その妻は「ハト・ホル」であった。
…シュメール起源の「ハル」と「キ」の二神を伯耆(ほぅき)と日本では言っていた。実は、伯耆(ほぅき)国と言えば、今の鳥取県の西部の旧称である。
また、伯州とも言っていた。イザナミノミコトが亡くなられて、出雲国と伯耆国との境にある比婆(ひば)の山に葬(はぶ)られたことが古事記に書かれている。
古代出雲国のとなりが伯耆(ほぅき)国で、そこは、はやい話、出雲文化圏である。では、なぜ伯耆(ほぅき)国と呼ばれていたのか?
そこでは、すなわち「ハル」と「キ」の二神の神をあがめていた。そこでこの地名に残ったと考えられる。
この伯耆(ほぅき)国では、首長信仰と して殷王朝以来の牡牛と蛇の合体神を崇めていた。
そこで、出雲神話からは牡牛神と蛇神の陰影を消すことができないわけである。倭人は周の太伯の子孫であると伝えられ、魏志では、
倭国からの使いは自ら大夫(たいふ)と名乗っていたと記されているが、大夫(たいふ)とは周王朝時代の官位の一つであった。
周王朝では、「ハル」と「キ」は「伯萁」(ほうき)と書いていた。つまり、伯耆(ほぅき)国の住人は周王朝の氏族で、周を起こした「姫」(き)氏の血を引く人々であった。
周(前1100-256)が分裂したあと、加耶を経由して日本にやってきた。紀氏の祖である。
または、さらにさかのぼった*殷(いん)の末裔、姜(きょう)の一族とも考えられる。地域的には後の斉、山東省あたり。
「伯」の子孫とは、別な意味で「ハル」の子孫、つまり牡牛神「ハル」の後の一族ということになる。
スサノヲの元型は「ハル」なのだろう。伯耆(ほうき)とは、「ひょうたん」ということで、伯耆(ほうき)国は、「ひょうたんこく」という意味で、これは笑える。
また、語彙の出典は、中国の伝説「伏羲(ふっき)と女媧(じょか)の伝説で、主に中国西南のミャオ族、ヤオ族の始祖神話として残されている。その姿は人首蛇身で、腰から下は蛇で尾をからませた独特の構図をとっている。
その姿は人首蛇身で、腰から下は蛇で尾をからませた独特の構図をとっている。
 牛頭天皇はペルシャ人…

ペルシャ語 、 ファールシー語 、 パールシー語 ( پارسی‌ )ともいう。https://ja.wikipedia.org/wiki/ペルシア語#:~:text=ペルシャ語 、 ファールシー語 、 パールシー語 ( پارسی‌ )ともいう。,言語学 的には インド・ヨーロッパ語族 - インド・イラン語派 - イラン語群 に分類される。
言語学 的には インド・ヨーロッパ語族 - インド・イラン語派 - イラン語群 に分類される。

ヒッタイトはインド・ヨーロッパ語族に属する言語を話し、紀元前18世紀からアナトリア北部のハットゥシャを中心とする王国を作った古代の人々である。
紀元前14世紀にヒッタイト王国はその最盛期を迎え、アナトリア中央部、シリア南西部、そして遠くはウガリット、メソポタミア北部までを包含した。
紀元前1180年以降、海の民が突如として侵入した事に関係したレバントにおける全般的な動乱の中で、ヒッタイト王国は崩壊していくつかの独立した
「シロ・ヒッタイト国家群(英語版)」と呼ばれる都市国家群となり、それらの内のいくつかは紀元前8世紀頃まで存続した。
ヒッタイト文明の歴史は、その多くがヒッタイト王国の領域から見つかった楔形文字の古文書、および
エジプトや中東に残る数多くの古文書の中から見つかった外交・商業関係の文書により分かったものである。
ハッティ人とヒッタイト人https://ja.wikipedia.org/wiki/ヒッタイトの歴史
紀元前5000年ごろから紀元前2000年以前の中央アナトリアにおいて、ハッティ人が最も有力な居住者で、他にアッシリア人の入植地もあった。
ハッティ人は、インド・ヨーロッパ語族には属さないハッティ語を話し、ヒッタイト人とは別の文化を持っていた。

ハッティ人の宗教は、石器時代まで遡る。
それは地母神として神格化された大地への信仰に関わるものであり、ハッティ人たちは地母神を讃えることで、収穫の豊穣と、自分たちの安寧を願った[8]。ハッティ人の万神殿には、嵐の神タル(Taru:雄牛の姿をしている)、太陽神フルセム (Furušemu) ないしウルセム(Wurunšemu:豹の姿をしている)をはじめ、他の様々な要素を神格化した神々がいた。チャタル・ヒュユクに残されたレリーフには、女性が雄牛を生む図があるが、これはすなわち地母神カタハ (Kattahha) ないしハンナハンナ (Hannahanna) が、嵐の神タルの母親であることを表している。
ハッティ人の万神殿には、嵐の神タル(Taru:雄牛の姿をしている)、太陽神フルセム (Furušemu) ないしウルセム(Wurunšemu:豹の姿をしている)をはじめ、
他の様々な要素を神格化した神々がいた。
チャタル・ヒュユクに残されたレリーフには、女性が雄牛を生む図があるが、これはすなわち
地母神カタハ (Kattahha) ないしハンナハンナ (Hannahanna) が、嵐の神タルの母親であることを表している。
嵐の神タル…アンカラのアナトリア文明博物館が所蔵する牛の姿で表現された嵐の神https://ja.wikipedia.org/wiki/ハッティ人#/media/ファイル:Ankara_Muzeum_B20-08.jpg

>バール :嵐と慈雨の神

アッシュル (神)https://ja.wikipedia.org/wiki/アッシュル_(神)
…古代メソポタミアのアッシリアで崇拝された神。
アッシリアのパンテオンにおいて最上位を占め、アッシリア王に王権を付与する神として位置づけられていた。
アッシリアがバビロニアを征服した後には政策的にバビロニアの上位の神々(エンリルやマルドゥク)と融合・同一視された[1]。

アッシリア(紀元前2千年紀初頭〜紀元前612)
・アッシリアは紀元前2千年紀初頭に、セム系のアッシリア人が都アッシュールを中心に北メソポタミアに建国したのがはじまり。
・一時紀元前15世紀にはミタンニに服属したが、その後独立をはたす。
・紀元前8世紀末には、首都がアッシュールからニネヴェに移る。
  その後、アッシュール=バニパル王(在位紀元前668〜紀元前627)の時代に、大図書館が建設される。
・アッシリアの軍隊は、鉄製の武器や戦車、騎馬隊などを有し、紀元前7世紀前半にはエジプトを支配下におき、全オリエントの主要部分を初めて統一した。
鉄製の武器を歴史上はじめて使用したのは、中央アナトリアのヒッタイト。
・アッシリアは、専制君主たる王が頂点に君臨し、支配地域を州に分け、総督を派遣して支配させた。
・史上初の世界帝国であったが、被征服民に対する強制移住や重税など過酷な支配だったため、さまざまな民族が内部で反抗を繰り返し、帝国が内部から弱体化した。
・最終的に、紀元前612年、新バビロニア(カルデア)とメディアによって滅ぼされた。

アッシュルが生命の木の上に浮かんでいることを示すアッシュルナツィルパル王の玉座のレリーフ。https://hmn.wiki/ja/Ashur_(god)
生命の木…

ドルイドにとってオークの木は神木です。https://keruburo.com/druid
オークの木から落ちた実は豚が食べて、その豚を人間が食べる、また実を粉にしてパンを焼いて食べていました。
なのでオークの木が全ての生命源として、崇められていました。
…ドルイドの宗教
ドルイドは祭司でもあるので宗教儀式を行っていました。彼らは神々と人間の仲介者として様々な神託を伝えていたようです。
ケルト人の教義では霊魂は不滅の存在であり、死んでもまた別の肉体に宿るといわれていました。つまり「輪廻転生」です。
人身御供(生け贄)の儀式も行っていたようですが、裏づけとなる考古学的根拠が弱く詳しくは分かっていません。
ただ、争いの調停などを行っていたので犯罪者などを裁く過程でなんらかの儀式が行われていたのかもしれませんね。
ドルイド…

ドルイド教は、悪魔崇拝の始まりであり、イルミナティの始まりでもあります。https://note.com/rarmenbar1985/n/nbbf92c13d7f6
つまり イエス・キリスト を十字架に貼り付け殺したのは、イルミナティなのです。


ワラワ(童)はどこから来たか 天上のワオギツネ 投稿日: 2024年04月21日 12:48:57 No.1046 【返信】

No.1029より続く
ワラワ(童)はなぜ子供なのか

弥生語の語彙の探索とは別に、ふとワラワ(童)とはどういう言葉なのだろうと思ったので、調べてみた。

ワラワ(童)は、10歳前後の子供を表す言葉とされている。https://kotobank.jp/word/童-579439#goog_rewarded
ワラべは童部(ワラワべ)が短縮したもので、このほかにはワッパなどもみられるという。
ワラワ(童)の言葉の語幹は、ワラにあるようだ。
しかしながら、このワラワや語幹のワラがいかなる言葉であるのか、その語源を説明したものはあまり見られない。
この10歳前後の子供はまだ髪を束ねず、そのままに下げ垂らしているので、そのバラバラ髪の様子からワラワの言葉が生まれたのではないかとする説がみられるくらいである。
いったい、ワラワ(童)やその語幹のワラとは、いかなる言葉なのだろうか。

そこで、このワラワ(童)を外国語由来の言葉と見て、発音と語義がよく似た言葉を探してみると、ぴったりと重なる語が中央アジアにあるのである。
それを見てみよう。

ワラワ(童)のワラ
カザフ語 bala(バラ)=子供
キルギス語 bala(バラ)=子供
タタール語 bala(バラ)=子供

これを見ると、日本語のワラワ(童)とカザフ語などのチュルク系のbala(バラ=子供)は発音がよく似ており、語義はまったく同じであることから、双方はみごとな同系語彙とすることができる。
中央アジアを通る東西交易の商品の移動とともに古代の日本にもたらされたのがこのチュルク系のbala(バラ=子供)の言葉であり、日本語化してハラ(子供)となり、さらにこのハラがワラと訛ったのがワラワ(童)の語幹のワラだと思われる。
一方、ワラワ(童)の語尾のワは、木っ端(コッパ=木を削ったときに出る木屑)の用法と同じで、その「ワラ(子供)+ハ(端くれ)」がワラワと訛ったものと考えることができるのではないか。

このように見た場合、チュルク系のbala(バラ=子供)の言葉の語源は、どのような言葉なのか気になってくる。
念を入れて探ってみると、このbala(バラ=子供)の語尾のa音を取り除いたbal(バル)が注目されることになる。
bal(バル)は「蜂蜜」の意を表す言葉で、英語などで蜂蜜を表すhoney(ハ二ー)が家族や親しい人を指す言葉として用いられるのと同じように、「蜂蜜」を意味するbal(バル)が子供を指す言葉として用いられ、語尾修辞としてbalにaがつけられてbala(バラ=子供)の言葉となったのではないか。

そして、「蜂蜜」を表すチュルク系のこのbal(バル)は、どうやらギリシャ語に行き着くようなのだ。
「蜂蜜」はギリシャ語ではmeli(メリ)、ラテン語ではmel(メル)、アラピア語ではsl(シル)であり、語頭音はそれぞれ異なるものの、語尾がいずれもl音で同じであることから、チュルク系のbal(バル=蜂蜜)はギリシャ語のmrli(メリ=蜂蜜)などと同系の語彙とすることが可能になる。

そうすると、日本語の「わらわ(童)」の言葉は、「蜂蜜のような(かわいい)子」というのが原義だということになるのである。
遠く中央アジアの草原からやってきたのが、この「わらわ(童)」の言葉だった。
荊の紀氏 投稿日: 2024年04月21日 15:19:43 No.1047
「バーラー」息子「バル」…
ヘブル語の「創造する」という動詞の「バーラー」(בָּרָא)が、息子である「バル」(בַּר)によってなされたことを示しています。
ヘブル語の「父」(アーヴ)の秘密 https://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?ヘブル語の「父」(アーヴ)の秘密
…「創造する」と訳された「バーラー」(בָּרָא)は、例外もありますが、ほとんど神にしか使われない動詞です。

…コロサイ書1章16~18節【新改訳改訂第3版】
16 万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。
 万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。
17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
18 また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。
 こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。
興味深いことに、ヘブル語の「創造する」という動詞の「バーラー」(בָּרָא)が、息子である「バル」(בַּר)によってなされたことを示しています。
というのは、この二つの言葉は密接な関係にあるからです。

…「ベート」が意味する「家」という概念には、地上にある「神の家」「神の子孫」「主の幕屋」「主の宮」「神殿」「主にある私たちの体」「主の民」「イスラエル」のすべてが含まれ、
それらは天にある「家」の写しと言えます。
その「家」に住むことが救いであり、救われて神の子となった者はみな神の家における特権と祝福を味わうことが出来るのです。
これらすべては、父が「アーヴ」(אָב)であることに秘められているのです。
「家」…

家の神 - ザシキワラシ https://www.koten.net/tono/gen/017/
天上のワオギツネ 投稿日: 2024年04月22日 00:23:33 No.1048
No.1047の関連

ヘブライ語のバル(息子)とバーラー(創造する)の関係と、チュルク語のbal(バル=蜂蜜)とbala(バラ=子供)の関係は、どこかで交わっているのかもな。
荊の紀氏 投稿日: 2024年04月22日 02:08:16 No.1049
>チュルク語のbal(バル=蜂蜜)とbala(バラ=子供)の関係は、どこかで交わっている…

インドの正式国名「バーラト」の語源が分かった 実はケルト語「ベレティ」と全く同じ意味で、5000年以上前まで遡ると発音まで同じだったhttps://twitter.com/fushunia
…伝説のバーラタ王は、インド西北部のパンジャーブ地方を平定して、他の部族に勝利したとされる王で、
この王から始まる「バラタ族」が、由緒正しい血統だという価値観があったそうです。
それがインドの古典的価値観になり、インドの自称国名になったとのことでした。

ケルト語…
「運ぶ、もたらす、産む」などを意味してた” 長征一万光年でやっとたどり着いた居住可能な惑星を抱く星系をバーラトと命名するとは胸熱。

(ケルト人は1年を夏=光と冬=闇に二分する )。https://ja.wikipedia.org/wiki/サウィン祭
サウィンは夏の収穫を祝う行事であり[8]、余剰分の作物や屠殺された家畜が共食に供される[6][7]。死者の魂が現世に帰ってくる日だともされた[9]。異界(英語版)と通じる時期であることを利用して占いが行われる[6]。かがり火が伝統的に祝祭の一環として焚かれる[6]。
死者の魂が現世に帰ってくる日だともされた[9]。
異界(英語版)と通じる時期であることを利用して占いが行われる[6]。
かがり火が伝統的に祝祭の一環として焚かれる[6]。

サウィン祭 https://www.wikiwand.com/ja/サウィン祭
夏の終わりと冬の始まりにあたる10月31日の前夜祭とと11月1日の祝祭
かがり火が伝統的に祝祭の一環として焚かれる。

五山送り火(ござんのおくりび)(京都五山送り火とも言う)は、毎年8月16日に京都府京都市左京区にある
如意ヶ嶽(大文字山)などで行われるかがり火。宗教・歴史的な背景から「大文字の送り火」と呼ばれることがある。https://ja.wikipedia.org/wiki/五山送り火

太陽神と弥勒の世界迫るhttps://www.yomiuri.co.jp/local/kyoto/news/20240420-OYTNT50107/
弥勒…

弥勒菩薩は釈迦の時代の次の時代の教主であり、「未来仏」と呼ばれます。
部派仏教では5億7千6百万年後、大乗仏教では56億7千万年後に現れます。
中国での変容. 中国には、主にイラン系ソグド人を通して、仏教の弥勒信仰とともに、
マニ教(明教)、ゾロアスター教(景教)、その他の多様なミトラ神の信仰がも … https://ja.wikipedia.org/wiki/弥勒菩薩#:~:text=弥勒は現在仏である ゴータマ・ブッダ (釈迦牟尼仏)の次に,ブッダ となることが約束された 菩薩 (修行者)で、ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされる。
…ミスラ神との関係
「ミトラ教」および「阿修羅」も参照
ミスラはインド神話におけるアーディティヤ神群の一柱ミトラと起源を同じくし、古くは古代アーリアにおいて信仰されていた契約の神だった[3]。
ゾロアスター教においては中級神ヤザタの一柱とされ、英雄神、太陽神とされる。ただし、教祖ゾロアスターは、ミスラをはじめとする神々ではなく、
アフラ・マズダーに対してのみ崇拝をすべきだと宗教改革をしたため、周辺のアーリア人の宗教に比べ、ミスラ神は低く位置づけられている。
また、古代ギリシャ・ローマにおいてはミトラースと呼ばれ、太陽神・英雄神として崇められた。
ミスラはクシャーナ朝ではバクトリア語形のミイロ(Miiro)と呼ばれ、この語形が弥勒の語源になったという説もある[4]。
ゾロアスター…

日本を支配している「島津家」と「毛利家」が、子供たちを悪魔への生け贄として捧げるドルイド教徒の末裔…
…「ドルイド教」が「ゾロアスター教」となり、その「ゾロアスター教」が「神道」や「密教」という形で日本に入ってきた
…ピタゴラスはギリシア人ですが、ではなぜドルイド教の神官がギリシアにいたのかというと、アトランティスが滅亡した後、ドルイド教の神官たちは世界各地に散らばっていったからです。
…エジプトにいたドルイド教徒たちが、その後、エジプトに居留していたユダヤ人の中に紛れ込み、ユダヤ教を破壊し、かつ侵食しながら、ドルイド教をユダヤ人の間に広めていった……。
で、ユダヤ教に紛れ込んだドルイド教徒の一部が、その後、日本にやってきて古神道という形でドルイド教を広めていった……。
…そのドルイド僧の一部がやがてゾロアスター教を作り、そのゾロアスター教の神官の中から「秦氏」が出てきて、彼らが中国で「秦国」を作り、さらにその後、日本へと渡ってきて「大和朝廷」を作ったわけです。
…「秦氏=ロスチャイルド」は日常的に虐殺と人身供養を行っていた「秦の始皇帝」の末裔です。
人身供養…

祇園祭の伝統を支える、お稚児さんのしきたりと歴史とは ...https://belog4u.com/gion-ochigo-sikitari/

「生き稚児」…
お稚児さんの生活が変わるのは7月13日の「社参の儀」から。https://www.kyotoside.jp/entry/20170714/
この儀式でお稚児さんは正五位少将の位と十万石大名の格式を授かり、正式に神様のお使いになります。

ジャニー喜多川:父親は「高野山米国別院」の僧侶(第3代主監)だった
…高野山の別院がアメリカにあるのもちょっと驚き
…NASAのメンバーの多数がフリーメイソンの会員であることが知られているので、お兄さんももしかしたらそうだったのかもしれないね。

『稚兒』は、世俗説話集『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』巻第8「好色」第323段「仁和寺(にんなじ)の童・千手(せんじゅ)・参川(みかは)が事」を踏まえて、
延暦寺の高僧、蓮秀(れんしゅう)法師と蓮秀法師の稚児、花若丸(はなわかまる)、花若丸を凌ぐ美貌の新人の12歳の阿字丸(あじまる)の三角関係、
稚児を養う力がない中年の慶算(けいさん)法印の花若丸への懸想を描く。
平安時代に成立したとされ、女性との性交を禁じらていた天台宗で稚児(ちご)(雑用をする子ども)を
観世音菩薩に見立て、性行為の対象とする習慣「児灌頂(ちごかんじょう)」について記された、
大津市坂本の叡山文庫の天海(てんかい、1536年?~1643年11月13日)蔵本、徳川時代の非公開の写本『弘児聖教秘伝私(ぐじしょうぎょうひでんし)』
(広く稚児についての聖人の教えを集めた秘伝の私的記録)が参照されている。https://note.com/lemmui/n/ncf72bf69e3ed

白丁(はくちょう)は祭祀行列や神事に使用する白装束の一種であり、白丁を着用し祭祀などに参加する一般市民も白丁と称する。
装束については、歴史的には白布の狩衣に呉粉で粉張りしたものであり白張と表記されてきた。
現代における祭祀行列や神事では装束も参加者も白丁と表記する。https://ja.wikipedia.org/wiki/白丁_(装束)

白丁(韓国語:백정 カタカナ:ペッチョン、日本語:ペクチョン/はくてい)とも記す。
朝鮮において国家官職ではない一般庶民を意味する言葉だったが、李朝時代から両班・中人・常民という良民身分、
賤民身分の奴婢の更に下の最下層の人々を指すようになった 。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ペクチョン

世代を越えて受け継がれる火の信仰と祭り https://kyoto-bunkaisan.city.kyoto.lg.jp/kyotoisan/nintei-theme/hinoshinkou.html
…火をめぐる民俗信仰の中で、何よりも切実な願いが「火伏せ」であったことは想像に難くない。
京都の愛宕や遠州の秋庭に代表されるような、全国に伝わる火伏せの神は、このような人々の切実な祈りの依り所として、いつの時代も篤い信仰を集めてきた。
 火が一旦巨大化すると、もう人間が操れる範疇を超え、火はまさに魔物と化す。そうした火は止まることなく燃え広がり、あらゆるものを焼き滅ぼしてしまう。
そうなれば、火はもう人知を超越した存在であり、尋常の方法では制御することが不可能となる。
しかし人並みはずれた修行を積み、特別な霊力を身につけた宗教者だけは、魔物と化した火をコントロールすることができると信じられていた。
その宗教者とは、まさに山岳で修行を積む修験者たちであった。
このことが、火をめぐる信仰の多くが修験道と深い関わりを有する所以である。
修験道…

…名残としてお盆の火送りや東大寺二月堂のお水取りなどが残っているのではないか?
吉野 ゾロアスター教 修験道. 飛鳥寺の 飛鳥大仏 (蘇我氏) 法隆寺 (誰が建てたか不明) の秘仏、夢殿の 救世観音 (くぜかんのん)。https://ameblo.jp/narihan/entry-12314902025.html
…阿弥陀仏 *1 ゾロアスター教 ズルヴァン(・アカラナ(無際時))
大日如来 ゾロアスター教 密教 アフラ・マツダオ
護摩供養 ゾロアスター教 密教 クスティ (アヴェスタ語)、ホーマ(サンスクリット。いけにえ)
お盆(盂蘭盆会(うらぼんえ)) ゾロアスター教 ウルヴァン(ペルシャ語。霊魂)
吉野 ゾロアスター教 修験道
飛鳥寺の飛鳥大仏 (蘇我氏)
法隆寺 (誰が建てたか不明) の秘仏、夢殿の救世観音 (くぜかんのん)。法隆寺の五重塔は聖徳太子 (トヨトミミ) の息子が横死した場所といわれる。
…弥勒菩薩(サンスクリットでマイトレーヤ)って、ミスラ(ゾロアスター教から分化した宗教)が元なんだ。西に伝わってキリスト教、ミトラス教になった。
…つまり現代でもゾロアスター教の信徒が日本にいるってことだ!!
メイソン系秘密結社の連中が秘かにゾロアスター教、ミトラス教をやってるんだ。
大日如来…

ミトラ教は5世紀のあいだにこの世界から消滅し、秘密主義的な密儀宗教であったことから詳細は伝わっていない、多くの謎が残る宗教です。
ミトラ教:あらゆる宗教に影響を及ぼした古代の宗教を解説 ...https://zatsugaku-circle.com/mithraism/
…紀元前60年頃に、今のトルコ南部にいたという海賊たちがミトラ教を崇拝していたと描かれているのです。

大日如来は、インド=ペルシャ系のミトラ(バール)神です
最古の高度文明シュメールの主神エンリル(バール神)が元だと言われ、太陽神アンの息子で太陽神の性格を受け継ぐ、武闘神で牛の頭/牛の角を持つとされる神です
古代オリエントの全ての国が信奉した神で、ヘブライ人もモーセの目を盗んで金の仔牛像を拝んでました
金の仔牛像は、ミトラ(バール)神の象徴です
古代イスラエルはヤハウエ(後のユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神)を裏切ってミトラ(バール)神を信奉し、その神紋である菊花紋を凱旋門などに刻んでます

…つまり、ミトラ(バール)神とその関連キャラは、ヤハウエ(後のユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神)の不倶戴天の敵ですhttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13223540708
荊の紀氏 投稿日: 2024年04月22日 02:57:36 No.1050
バラ…カバラ! …(ウクライナ)で話されてた言葉が、はるばると、インドに…」
薔薇十字団との関連が囁かれるさまざまな秘密結社や魔術団体が誕生しはじめる。
その代表的なものが、世界最大の秘密結社フリーメーソンである。
フリーメーソンは公式には1717年に設立されたというが、設立にあたっては薔薇十字団の支援があり、薔薇十字団員が大勢加盟したともいわれている。
超古代の叡智を守り伝える神秘の秘密結社「薔薇十字団」の謎 https://web-mu.jp/history/4667/
…薔薇十字団は、じつはローゼンクロイツよりも前から存在していたという説もある。
中には、薔薇十字団をシオン修道会の下部組織として位置づける者もいる。このシオン修道会もまた、謎に包まれた秘密結社である。
このシオン修道会もまた、謎に包まれた秘密結社である。

幼少期に生活した児童養護施設で神父から性虐待を受けた…
「誰かに話せば、地獄に」 被害者が訴えるhttps://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f1ec7ddc5b6945e6e3d6312
カトリック系の児童養護施設…

カトリック教会は次のような声明を出した。https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC27A9H0X21C23A1000000/
「フリーメイソンの原理は、いつの時代にも教会の教義によって好ましくないとされてきた。
したがって、信者によるフリーメイソンへの入会禁止措置は継続されるものとする。入会した者は重大な罪を犯している状態にあり、聖体拝領にあずかることはできない」

「東方聖堂騎士団」は、過去のバラ十字会員たちの仕事を継続していると主張していた。http://www.amorc.or.jp/about_us/history24.html
ロイスの説明によれば、この組織は一種のフリーメーソン系の学園であり、その真の機能は「真の正統派の」バラ十字会員たちの直接の末裔である秘密のバラ十字会を隠すことであった。
…この組織は試験によって昇進する三つの位階(カバラ大学入学資格者、カバラ学士、カバラ博士)で構成されており、入門するにはマルティニスト会の位階S. I. の所持者でなくてはならなかった。

bear…
印欧祖語*bʰéretiは、ゲルマン祖語を介して、英語bearになってますが、英語ではこれ「熊」という意味なんですよね。https://togetter.com/li/1569059?page=2
英語bearは「産む、運ぶ、帯びる、抱く」などの意味があり、熊の意味で使うこともあります。「実がなる」とか「支える、我慢する」にもなるそうです。

「熊」の意味の英語bearは、ゲルマン祖語の「茶色、灰色」由来なので、同じ英語bearでも、2種類あるそうです。
「運ぶ」を意味する方の英語bearが、インドの正式国名バーラトと同系の言葉でした。

英語学習サイトを見てると、「ベアー」bearに「熊」と「運ぶ」などの意味があることは説明されてるけど、本来、別々の言葉であり、語源が違うことの説明がされてなかったです。

ウィクショナリーには、サンスクリット語bháratiの項目があって、意味を確認できました。
運ぶこと
サポートすること
持続することの意味があります。

古代インドの言語を検索すると、語頭の発音がhになった
hárati 「取ること、産む、運ぶ」
hartar「運ぶ者、もたらす者」
こういうのもあって、バーラト王の名前とは別に、一般的に使う印欧祖語に似た意味の言葉もありました。

そっか、インドの正式国名「バーラト」Bhāratは、ヨーロッパのケルト語beretiと同系語になるから、ケルト語がインドヨーロッパ祖語から分岐した年代の
紀元前3350年頃に、黒海の北岸の大草原(ウクライナ)で話されてた言葉が、はるばると、インドに移動して、正式国名になったものなんですね。
インドに移動して…

ミトラ ( サンスクリット: मित्र mitra )は、古代 インド 神話 の神のひとり。https://ja.wikipedia.org/wiki/ミトラ_(インド神話)
ヴェーダ において、通常 ヴァルナ とともにミトラ=ヴァルナの名で言及される。
契約 の神であり、 太陽神 である アーディティヤ神群 を構成する。
契約 の神…

「契約」と「友愛」の象徴であるゾロアスター教の太陽神ミトラの本性が顕現したのが「近代フリーメイソン」の「友愛精神」である。
堀川辰吉郎と福沢諭吉とフリーメイソンとイルミナティ(大東社)の真実https://ameblo.jp/japmasa778/entry-12564256182.html
「フリーメイソン」というと巷間 “ユダヤ陰謀論 ”とダブって「悪魔崇拝の秘密結社」のようにいわれてきて、
何あろう私自身もそう認識している時期があったので強弁はできないが、その本当の成り立ちは、イランに発祥し乍ら
後発のイスラム教に置き換わられ消滅したとされるマニ教が、ユダヤ教、キリスト教、仏教などの枠を超える
「超宗教」として、親睦団体の形に成り代わったものである。
すなわち、ウバイド・ワンワールドの多神教思想から生まれた
マニ教が、東に展開して「大乗密教」となり、西に展開してローマ・カトリックを侵食して「プロテスタント」となると同時に、
ケルト社会を活性化してクエーカー派を育て、十八世紀以降になると、最先端で開明的な世界規模の思想、親睦団体として、各国王族の間を中心にネットワークを形成していった。
…仏教者にもフリーメイソン会員は多く、國體参謀でユニテリアンだった福沢諭吉の仏教保護方針に誘われて
慶應義塾に入った、真言宗トップだった土宜法龍(どきほうりゅう)や禅宗の釈宗演(しゃくそうえん)、その弟子の鈴木大拙(すずきだいせつ)などがいる。
また、國體銀行横浜正金銀行の設立に尽力し、弟子のフリーメイソン小泉信吉を副頭取にした福沢諭吉は、同じく弟子で同行ロンドン支店長の中井芳楠と
生物学者の南方熊楠(みなかたくまぐす)を会わせ、これがきっかけとなってともにメイソンに入会したといわれている。
天上のワオギツネ 投稿日: 2024年04月22日 15:02:06 No.1053
チュルク系のbala(バラ=子供)の由来

これか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/バラタ_(皇帝)
天上のワオギツネ 投稿日: 2024年04月22日 21:07:34 No.1055
チュルク語系のbala(バラ=子供)はどこから来たか。

チュルク語系のbala(バラ=子供)の語源は同じチュルク語系のbal(バル=蜂蜜)と考えたが、次の語が出てくると語源の方向性がかなり違ってくる。

サンスクリット balaka(バラカ)=子供

チュルク語系のbala(バラ=子供)の語の語源は、サンスクリットなのかも知れない。
天上のワオギツネ 投稿日: 2024年04月22日 21:39:37 No.1056
チュルク系のbala(バラ=子供)は、どこから来たか

サンスクリットでbala(バラ)は、「少女・女の子」だな。
天上のワオギツネ 投稿日: 2024年04月22日 22:38:41 No.1057
チュルク語系のbala(バラ=子供)は、どこから来たか

サンスクリットでは、bal(バーラ)=少年。
bala(バーラー)=少女。

非常に面白い展開になって来た。
天上のワオギツネ 投稿日: 2024年04月22日 23:48:53 No.1058
チュルク語系のbala(バラ=子供)は、どこから来たか

サンスクリットのbal(バーラ=少年)のbalはバラモンのバラと同じ綴りで、そのバラはマイナー、未成年者、軽い、少数の等の意味を持つ。
バラモンは支配階級の司祭・僧侶の少数者であるので、バラ(少数の)の語句を用いたと考えられる。
そうすると、バラモンのバラは「数が少ない」を表す語とすることができ、「数(年齢)が少ない=少年)となすこともできるので、バラ(bal)=少年の語彙ができたのだろう。

チュルク語系のbala(バラ=子供)の語源は、サンスクリットのbal(バーラ=少年)が語源であり、そしてそのサンスクリットのbal(バラ=少数の)がbal(バーラ=少年)の原義ということになる。

このようにみると、ヘブライ語のbn(ベン・バル=息子・子供)は、サンスクリットのbal(バーラ=少年)とつながる語の可能性が出てくるな。
天上のワオギツネ 投稿日: 2024年04月23日 03:01:15 No.1059
No.1058
訂正
上から2行目の「balはバラモンのバラと同じ綴りで、そのバラはマイナー、未成年者、軽い、少数等の意味を持つ」は誤り。
正しくは「サンスクリットのアルファベットの綴りでbalを表記した場合、その語義はマイナー、未成年者、軽い、年少者」などの意味を持つ」です。

バラモンの原語はブラフマンであり、「バラモン」の言葉自体は漢訳音であって、原音とは無関係です。
天上のワオギツネ 投稿日: 2024年04月23日 15:23:10 No.1060
No.1058を次のように修正する。
チュルク系のbala(バラ=子供)は、どこから来たか

サンスクリットのbal(バーラ=少年)は英語ではマイナーの意であり、英語のマイナーは年少者のほかに軽い、少数の、未成年者の意もみられる。
なので、サンスクリットのbal(バーラ=少年)の原義は「少数の」である可能性が考えられる。
「数が少ない」が「年(数)が少ない→少年・子供」の意へと転義したものとみることができそうだ。
つまり、チュルク語系のbala(バラ=子供)の語源はサンスクリットのbal(バーラ=少年)であり、そのサンスクリットのbal(バーラ=少年)の原義は「少数の」の意であったということになる。

このように見ると、ヘブライ語のbn(べン・バル=息子・子供)は、サンスクリットのbal(バーラ=少年)とつながる可能性が出てくるな。
天上のワオギツネ 投稿日: 2024年04月23日 15:38:07 No.1061
No.1060のように見ると、日本語の「わらわ(童)」は、サンスクリットのbal(バーラ=少年)を語源としたかなりワールドワイドな拡散の一角を占める言葉だということになってくる。
日本語は、古代の世界の語彙の正倉院と言えるのではないだろうか。
荊の紀氏 投稿日: 2024年04月25日 00:05:13 No.1063
bal(バーラ=少年) Baal(バール=悪魔・神)…最高神イルの息子…ダゴンの子…
少年…

カルディア人は茨城県常陸太田市にもいたのです。…
ミトラは双子の少年神として信仰されていました。.https://ameblo.jp/nanohanacr/entry-12613003955.html
…子供の頃のキリストはどこで生まれてどこにいたのか、どこで修行をしてのかわかっていません。
それもそのはずで、ミトラを大人にして名前を変え人種を変え親を設定し物語をつくりました。
キリストとミトラの誕生日は同じです。
ミトラは太陽の子ですから冬至に太陽は死に春分の日の前にまた生まれ変わり復活します。
星や太陽の動きを観察して克明に記録していた一族がカルディア人です。
…アルメニアの歴史にはミトラのミの字も出てきません。
キリスト教国だとしつこいくらい書いてあります。
そのアルメニアと我が地元にある西金砂神社にはある共通点があります。
西金砂神社は春分の日に72年に一度の大祭礼をします。
はるばる往復75kmの距離を水木浜まで歩いて行き御神体を海水で清め塩水を汲んでくるのです。
なぜ72年なのかと言うと歳差運動は72年に一度動くからです。
それを計測していたのです。
西金砂神社は山の頂上にあります。
モノホシ台だったのだと思います。
モノ=星
台=臺=高い場所=鷹殿=星座観測所
西金砂神社にはやはり春分の日に6年毎の小祭礼があります。

ミトラ神という呼び方が一般的です 牛の角/牛の頭を持つとされる、太陽神です 別名バール神と言い、聖書では邪神「バアル」としてます https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14253208649

バアル(聖書ヘブライ語: בַּעַל、フェニキア語: 𐤁𐤏𐤋 ba‘al、ウガリット語: 𐎁𐎓𐎍 b‘l)は、カナン地域を中心に各所で崇められた嵐と慈雨の神。
その名はセム語で「主」[1]、または「主人」「地主」を意味する[2]。
バールや、バビロニア式発音のベール(アッカド語: 𒂗)[1]、およびベルとも表記される。
ウガリット神話におけるバアル…
ウガリット神話では最高神イルの息子と呼ばれる[2]。
またダゴンの子バアル(b‘l bn dgn)とも呼ばれる[2]。
勝利の女神アナトの兄にして夫。
聖書などではアスタルトを妻とする解釈もある[5]。


トランプが大統領になることは「イルミナティの計画」であった… 荊の紀氏 投稿日: 2024年04月24日 12:19:43 No.1062 【返信】

…「共産主義」はイルミナティの思想だが、アメリカは「民主主義」の国である。
それは「資本主義」で国を発展させるためで、基本的に民主主義と資本主義はワンセットである。
共産主義(マルクス)共産党宣言
資本主義(レーニン)帝国主義論
これを両建て主義(双頭戦略)と言って、2つの思想の対立構想を作って目的を達成する戦略である。
中国の場合は共産主義と資本主義が両立している特殊な国だが、本質的にはディープステートと同根である。
各種のイデオロギーは、全てロスチャイルドなどのユダヤ人の産物だが、とりわけ共産主義は世界一極支配の最終思想となる。
アメリカ経済(西洋文明・資本主義)は衰退期に入り、2020年を境に時代の大転換が起こりつつあるが、その役目を担っているのが「中国共産主義+ディープステート」なのだ。
トランプ政権の行方と世界最終戦争https://ameblo.jp/llumi-jp666/entry-12643407689.html
トランプ大統領を支持する「Qアノン」の陰謀論に、「ディープ・ステート(深層国家)」という言葉が出てくる。
要するに、いわゆる「シークレット・カバメント(秘密政府)」のことで、その正体は「軍産複合体」である。
この世で最高権力を持っているのは「財力」を持っている者である。
この世で最も高い商品は「兵器」である。
例えば、ミサイル1発1億円、ステルス戦闘機1機90億円、原子力潜水艦1隻4200億円、これらがまとめて発注され、軍需産業は拡大し続けている。
更に、航空、船舶、自動車、金属、石油、電子機器、コンピューターなど広い分野に及び、巨大なモンスター企業群と軍が一体となって
「軍産複合体」を生み出し、表の政府をも操る「シークレット・ガバメント」へと成長してきたのだ。
従って、シークレット・カバメントに逆らう大統領は、事によっては暗殺されることになる。
シークレット・ガバメントの最高幹部は、「ロックフェラー」と「アメリカ系ロスチャイルド」を頂点とする12人の組織だと言われている。
また、シークレット・ガバメントの中核は、アメリカ軍が管轄している諜報機関NSA(米国家安全保障局)である。

トランプ大統領は9月7日に以下の発言をしている。
「私は軍にあまり好かれているとは言えない。
兵士らはともかく、ペンタゴンのトップたちはおそらく私のことが気に入らないだろう。
彼らは戦争をしたくて仕方がないからだ。
戦争を起こせば爆弾や航空機、その他もろもろの兵器を作る素晴らしい企業を喜ばせることができる」

トランプは本心では軍産複合体を批判していることが分かるが、戦争を起こすことなく各国に圧力をかけ、多額の兵器輸出で軍産複合体に利益を与えており、国防長官にも軍事費の増加を指示している。


36度線上に測量し設定されたレイ・ライン… 荊の紀氏 投稿日: 2024年04月22日 03:55:54 No.1051 【返信】

聖なるラインの基点は阿見町の福田貝塚である…
オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、
今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、
世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。
古墳 https://hikaru-naomoto.net/
 ≪茨城県稲敷郡阿見町福田≫
 殷以後の中国青銅器文明が、 結局はカリエン(カルデア人=スメル人)の 貨幣経済の副産物であり、
 それは茨城県の稲敷を経由して中国に渡り、 そのコースに2200kmのレイ・ラインを設定して、カルデア天文学の遺物として現在まで残した。

「青銅人面盉」(ワシントンのフリア美術館蔵)と全く同じ多数のアイテムをもつ「人面注口土器」(西宮の辰馬史料館蔵)が、 この福田貝塚から出土したからである。
 これは両者が同一の信仰と文化をもつ人々の手になるもので、
稲敷の<イナ>と殷の<イン>とが、同じ血、同じ言語、同じ信仰、同じ文化、同じ歴史をもつ人々のものであることの、動かぬ貴重な傍証であり、
 36度線上に測量し設定されたレイ・ラインが、https://matmkaneharajiji.exblog.jp/28422612/
 単なる偶然ではなく、当時はカルデア人以外には見られない
 天文学と航海測量学の、非常な高文化の遺跡であり、無形文化財の最たるものが、何びとでも自由に地図上で確認できる

アラム人やカルデア人…
新バビロニア https://ja.wikipedia.org/wiki/新バビロニア
新バビロニア帝国成立まで
…紀元前一千年紀初頭のバビロニアは、強力な中央権力が存在せず、多くの短命の王朝が興亡する、不安定な状況にあった。
バビロニアの政治的・神学的中心都市はバビロンであり、「バビロンの王」がバビロニア王とみなされたが、実際には、諸都市は独立した状態にあった。
さらに、元々遊牧民であったアラム人やカルデア人の諸部族がバビロニアに定住し、とくにカルデア人は政治的に重要な役割を果たすことになる。

先祖とされる アムル人 はバビロニアの文明からすれば野蛮人とされていた集団ですが、フェニキア人たちは技術の開発に熱心な人々であったようです。
フェニキア人とは?地中海交易の覇者について解説https://zatsugaku-circle.com/phoenicians/
…歴史家のヘロドトスによれば「フェニキア人は紅海から来た」とされています。
語学的な考古学的な予測では、フェニキア人の先祖はイラクやシリアなどのメソポタミア文明周辺地域にいた
アムル人(旧約聖書ではアモリ人やエモリ人として書かれる民族)ではないかと考えられています。
…フェニキア人は地中海東端に定住すると、すぐに地中海への航海に乗り出してその技術を高めます。
エジプトやバビロニアからの貨物を運び、ギリシャにもやって来ていたと伝わっています。
エジプトとバビロニアという巨大な国家のあいだに位置した土地で、両大国の文化や技術を吸収しながら
フェニキア人は都市国家を建て始めていくことになり、それが紀元前15世紀のことになります。
…フェニキア人はアフリカ大陸を西回りに一周している
紀元前600年頃にエジプトのファラオの命令により、フェニキア人たちは紅海から出発し
アフリカの喜望峰を超えて、そのまま北上、3年後にエジプトに戻ってきたとされています。

バベルの塔 (バール神 ベル神)…

ベル神殿(ベルしんでん、アラビア語: معبد بل‎、英語: Temple of Bel)は、シリアのパルミラに位置する古代の石造遺跡である。https://www.wikiwand.com/ja/ベル神殿#脚注
神殿は、パルミラにおいて崇拝されたセム人の神ベル(ベール、バアル、バール)に捧げられ、
パルミラの月神アグリボール(英語版)と太陽神ヤルヒボール(英語版)とともに三位神として、パルミラの信仰生活の中心に造られ、西暦紀元32年に奉献された。
…神殿は、紀元前3千年紀にさかのぼる人間の居住を示す地層の遺丘の上に築かれ、地下6メートルから青銅器時代中期(紀元前2200-1550年)初頭の痕跡が認められている。
紀元前3千年紀…

紀元前1万年から紀元前8000年…
ギョベクリ・テペの遺丘に残された構造物は非常に古く、紀元前1万年から紀元前8000年の期間に建てられた。https://ja.wikipedia.org/wiki/ギョベクリ・テペ

紀元前7000年から紀元前2000年ごろにヨーロッパ各地で出土する縄目文土器…
彩文土器は紀元前5,000年ごろから突如世界中で出現する。なぜだろう。https://kz-pe.com/jomon-3/
…紀元前7000年から紀元前2000年ごろにヨーロッパ各地で出土する縄目文土器についても投稿した。
しかし、昨日シルクロード関連の本を読んでいたら彩文(さいもん)土器という言葉を目にした。初めて聞くのでびっくりした。
英語では、「painted pottery」と呼ぶようだ。
なんだかよく分からないので調べてみたら、紀元前5,000年々前ぐらいから4大文明のエリアから出土していた。これは一体どういうことなのだろう。
…河姆渡(かぼと)遺跡(紀元前5,000-3,300年)
中国文明の発生地は黄河とされるが、その黄河駐留全域に存在する新石器時代の文化を仰韶文化(ぎょうしょうぶんか:Yangshao culture)という。
黄河中流域に住みついた人びとは紀元前5,000年から紀元前4,000年ころに、豚・犬・鶏を家畜とし、アワなど雑穀を中心とする農耕文化を発達させた。
素焼きの淡紅色の土器面に赤・白・黒などで文様をほどこした彩文土器を使用していた。

ケルトのドルイド教、ハロウィン、ベルテーン。
カルタゴ脱出したフェニキア人。フリーメイソンの意味。https://ameblo.jp/uhauhaoasd1/entry-12259111701.html
何故、ケルトのドルイド教が「マルドゥク=バアル=モレク」(角邪神)(陪神:「イシュタル=アスタルト」)のシンボルマークである赤い六芒星を使ったのか。
それは、ケルトのドルイド教の神も「マルドゥク=バアル=モレク」そして「イシュタル=アスタルト」だからです。
…ベルテーンとは「ベルの火」という意味です。
ベルとは、カナン(フェニキア)人の信仰する最高神バアルの事です。
ユダヤ・キリスト教では悪魔とされ、ベルゼブブなどと呼ばれたりします。
角を持つその像を拝む儀式は、キリスト教徒からは悪魔の儀式に見えたでしょう。
古代ローマ人によると、南仏のプロヴァンス、ブルゴーニュ、北イタリアに、ベル神を祭る社があった。
なぜ、中東の神バアルが西欧まで祭られていたかと言うと、カナン人達が、ギリシア・ローマが栄える以前に、地中海全域に植民地を持っていたからです。
彼らはそこの土着民達に、バアルを信仰するように広めました。イギリスなどにも伝わったと思われる。
ベルテーン祭の、前夜の4/30から【ヴァルプルギスの夜】という前夜祭が行われます。
これは秋に行われるハロウィンと同じく、春に行われる魔女のお祭り(サバト)です。この夜は かがり火を焚き、一晩中(乱交など)乱痴気騒ぎをします。
この夜は かがり火を焚き、一晩中(乱交など)乱痴気騒ぎをします。
儀式の為に、子供をさらったり、それを殺して食らったりもしました。
印象悪いですが‥古代の習慣として、世界中に見られた事です。アステカ文明でも、生贄を捧げ、内臓を食らったりしていました。
アステカ文明でも、生贄を捧げ、内臓を食らったりしていました。
荊の紀氏 投稿日: 2024年04月22日 11:13:52 No.1052
「蜂蜜」…聖書で「乳と蜜の流れる場所」…河南?  南の星座 三星碓?

三星堆にまつわる幾多の謎、解明はどこまで進んだのかhttps://www.afpbb.com/articles/-/3338914
方形文の帯飾りを付けていることから、神に通じる特別な能力を持った古蜀の「大祭司」ではないかと考えられている。

カナン、あるいはカナアン(ヘブライ語: כנען‎[1]クナーアン)とは、地中海とヨルダン川・死海に挟まれた地域一帯の古代の地名である。
聖書で「乳と蜜の流れる場所」と描写され、神がアブラハムの子孫に与えると約束した土地であることから、約束の地とも呼ばれる。
…カナン人を特徴づける「商人」や「紫紅染料(特産品)」とも関連付けられる。[4]

紀元前4400年頃には、ヨルダン渓谷東部にガスリアン(英語版)と呼ばれる文化が発生したとみられる。
様々な遺跡が発見されており[5]、銅産業が発展していたことがわかっている[6]。
青銅器時代前期には、レバント南部にエン・エスル(英語版)やメギドといった都市が形成され繁栄し、この住民が「原カナン人」とされる。
文献への初登場も諸説あるが、最も早いもので紀元前24世紀、最も遅いもので紀元前16世紀である[7][8][9][10]。
シュメール人の都市マリの紀元前18世紀の残骸で発見された文書では、政治的な共同体として見いだされる[注釈 1]。
紀元前2千年紀には古代エジプト王朝の州の名称として使われた。
その領域は、地中海を西の境界とし、北は南レバノンのハマトを経由し、東はヨルダン渓谷を、そして南は死海からガザまでを含む[注釈 2]。
カナン人は近東の広範な地域において、商人としての評判を獲得していた。メソポタミアの都市ヌジで発見された銘板では、紫紅染料を意味する "Kinahnu" の用語が使われ、これはカナン人の有名な輸出商品であったと言われている。また、「ツロの紫」で知られるフェニキア人とは同文化体であったと見られている。同様に、旧約聖書に時折例示されるように、「カナン人」は商人の同義語として用いられ、カナン人を熟知した者によってその容貌が示唆されたものと思われる。[4]
紫紅染料を意味する "Kinahnu" の用語が使われ、これはカナン人の有名な輸出商品であったと言われている。
また、「ツロの紫」で知られるフェニキア人とは同文化体であったと見られている。
同様に、旧約聖書に時折例示されるように、「カナン人」は商人の同義語として用いられ、カナン人を熟知した者によってその容貌が示唆されたものと思われる。[4]
考古学者や歴史家は一般的に、前1200年以前の青銅器時代のレバント諸民族をカナン人と呼び、
鉄器時代の末裔、特に沿岸部に住んでいた人々をフェニキア人と呼んでいる。
また、アラム人に支配されていなかったレバント内陸部の鉄器時代の二次国家、つまりペリシテ人や
イスラエル王国、ユダ王国を含む別個の近縁民族に支配されていた国家として使われることもある。[11][8]
旧約聖書の中では、カナン人とはイスラエル人により"聖絶"される7つの民の1つである(「申命記」)[12]。
また「民数記」では、カナン人は地中海沿岸付近に居住していったに過ぎないともされる[13]。
そのためイスラエル人は神の命令に背き、カナン人と混血するようにもなった。
ヘブライ語はカナン人から学んだものでもある(イスラエル王国を参照)ため、イスラエル人が全滅させることは不可能である。
現代の科学研究において、中東レバント地方(シリア、ヨルダン、イスラエルなどの地域)に住む
現代アラブ人とユダヤ人の大半は、DNAの半分以上が、カナン人ほかレバント、カフカス、イラン高原に住んでいた民族に由来することが判明している[14]。

言語
言語学上、カナン諸語はヘブライ語.フェニキア語を含み、アラム語やウガリト語と共にアフロ・アジア語族セム語派北西セム語に含まれる。
音素文字(原シナイ文字)を初めて用い、その文字体系はアルファベットの原型ともされるなど[15]、漢字文化圏を除く世界に伝播した。
学習し易い音素文字が普及した結果、古代オリエントの国際公用語がアッカド語(Akkadian cuneiform)からアラム語(アラム文字)に代わり、やがてアラビア語に取って代わられた。

聖書におけるカナン人
カナン人とは、広義ではノアの孫カナンから生じた民を指している。
「創世記」10章15-18節では、長男シドン、ヘト、エブス人、アモリ人、ギルガシ人、ヒビ人、アキル人、シニ人、アルワド人、ツェマリ人、ハマト人の
11の氏族を総称して「カナン人の諸氏族」と呼んでいる。イスラエル人とは区別されている。
イスラエル人とは区別されている。
神はアブラハムに対し、彼の子孫にカナンの地を所有させると約束しており、これの障害となる原住民のカナン人は排除(聖絶)すべき存在として記述されている。
「ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならない」―申命記 20 : 17
「万軍の主はこう仰せられる。『わたしはイスラエルがエジプトから上って来る途中、アマレクがイスラエルにしたことを罰する。
今行ってアマレクを打ち、そのすべての者を聖絶せよ。
容赦してはならない。
男も女も、子供も、乳飲み子も、牛も、羊も、ラクダもロバも殺せ。』」―サムエル記 15 : 2, 3
アマレク…

アマレク人 は、古代 パレスチナ の 遊牧民 族。
後に ユダヤ人 に吸収されて消滅した。https://ja.wikipedia.org/wiki/アマレク人
旧約聖書に於けるアマレク人. 『創世記』第36章では「(ヤコブの兄) エサウ (エドム人の祖とされる人物)と
ヘト人出自の妻アダの息子エリパズが、テムナという側女との間に作った息子。 」
…基本的にイスラエル民族の敵とされており、聖絶の対象として女子供も含めて無慈悲に虐殺される場面も存在している。
『出エジプト記』17章8節ではエジプトから出てきたモーセ一行と最初に攻撃してきた相手とされており、これがアマレク人が主の怒りを受けた行為だったとしている[2]。
この時モーセが山に登ってアロンとフルに支えられて神に祈り、ヨシュアが兵士らと共に戦い、接戦の末、イスラエル軍が勝利した。

河南省(かなんしょう、中国語: 河南省、拼音: Hénán Shěng、英語: Henan Province)は、中華人民共和国の省の一つ。
地域の大部分が黄河の南にあるため河南と称された。古の豫州があったことから、略称は豫である。省都は鄭州市。
古代の中原の中心地であり、中国のなかでも歴史のある地域とされている。https://ja.wikipedia.org/wiki/河南省
…古代
中国古代文明の発祥地の一つであり、先史時代の裴李崗文化や仰韶文化などの遺跡がある。
九州の中心である中原の地であり、中国8大古都のうち、殷の都安陽と鄭州、東周から長く都が置かれた洛陽、北宋の都開封の4大古都を有する。
鄭州…

邑と、音符奠 (テン)→ (テイ)とから成る。
「酋シュウ」<よく醸した酒つぼ> 「猶ユウ」 と 「奠テン」https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/6924b8c7517b97d9f7eeb9a3db74a765
・・奠 テン・まつる
奠 テン・デン・まつる・さだめる  大部  
解字 篆文は「酋(かもされた酒つぼ)+丌(台)」の会意。
かもされた酒つぼを台の上に供えて祭る形。現代字は篆文の丌⇒大に変化した。
現代字は篆文の丌⇒大に変化した。
意味 (1)まつる(奠る)。神仏に酒食などを供える。「奠茶テンチャ」(茶を供える)「乞巧奠キコウデン」(七夕に供え物をして二星を祭り手芸がうまくなるよう祈る行事) 
  (2)そなえる。「香奠コウデン」(線香をそなえる。線香に代える金銭=香典) (3)さだめる(奠める)。位置をきめる。「奠都テント」(都をさだめる)
イメージ
 「かもされた酒つぼ」(奠)
丌(台)の上に供えて祭る…
丌…
「下基なり。 物を薦むるの丌なり」とあり、物を置く台のこと。 字形. 台の 象 形。https://dic.nicovideo.jp/a/丌
…金文では亓と書くものもある。
…部首
丌は〔説文〕や〔玉篇〕で部首である。〔説文〕は、ほかに䢋、典、顨、畀、巽、奠を収める。
異体字
〔集韻〕に基の異体字とある。

(太陽質量)のブラックホールを含む連星系と考えられている[18]。GX 339-4という名称は「天の川銀河内のX線源で銀経339°、銀緯−4°に位置するもの」という意味である[19]。
GX 339-4という名称は「天の川銀河内のX線源で銀経339°、銀緯−4°に位置するもの」という意味である[19]。
さいだん座:中国. 神話. 呼称と方言. 脚注. 注釈. 出典. 参考文献. さいだん座( さいだんざ 、 ラテン語: Ara )は、 現代の88星座 の1つで、 プトレマイオスの48星座 の1つ [3] 。
生贄を捧げる祭壇をモチーフとしている[4]。
さそり座の南にある小さな星座だが、4つの3等星と3つの4等星が比較的狭い領域に集まっており、容易に見つけることができる。
星座の北端が-45.5°と南天の深い位置にあるため、日本など北半球の中緯度地域から星座の全容を見ることは難しい。
隣接する星座
みなみのかんむり座
さそり座
じょうぎ座
みなみのさんかく座
ふうちょう座
くじゃく座
ぼうえんきょう座

…「天の他の星々が雲に隠れてかすみ、この星座が輝いて見えるようであれば、船の帆をたたんで激しい南風に備えるように」と伝えている[33]。
紀元前3世紀後期にアレクサンドリアで活動したエラトステネースや1世紀頃のヒュギーヌスは、さいだん座は4個の星で構成されるとした[34]。
2世紀に活動した古代ローマの天文学者プトレマイオスの天文書『ヘー・メガレー・スュンタクスィス・テース・アストロノミアース
(古希: ἡ Μεγάλη Σύνταξις τῆς Ἀστρονομίας)』、
いわゆる『アルマゲスト』では「7個の星で構成される」と記述されている[34]。
この祭壇は『アルマゲスト』以降の各時代の星図で、北側に本体、南側に炎という、北半球から見ると上下が逆転した姿で描かれていた[3]。
…神話
エラトステネースや1世紀古代ローマの詩人マルクス・マニリウスによると、大神ゼウス率いるオリュンポスの神々とクロノス率いる
巨神族ティーターンとの戦い「ティーターノマキアー」の際に、クロノスとティーターン族による
旧体制を打ち破ることをゼウスとその兄弟たちが誓った祭壇であるとされる[3][34]。
しかし、ティーターノマキアーの話を伝えるヘーシオドスの『神統記』やアポロドーロスの『ビブリオテーケー』、には神々の盟約を伝える記述がないことから、
エラトステネースの創作かあるいは散逸して現存しない資料を参考にしたものと見られる[34]。
またエラトステネースは、ケンタウロス族の賢人ケイローンが野獣を生贄として捧げる祭壇とも説明している[34][45][46]。
祭壇…

「亶タン」<厚くて平ら・ゆたか>https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/e03a3e70d33f54bf729a531465f2e724
…[同注]は「本義は多榖と爲(な)すが、引伸インシン(転義)之(の)義は、厚(あつい)也、信(まこと)也、誠(まこと)也」とする。
また、センの発音は専セン(もっぱら)に通じ、もっぱら・ほしいままの意味を表す。
意味 (1)ゆたか。多穀。実りが多い。 (2)あつい(亶い)。厚い。あつみがある。 
(3)まことに(亶に)。まこと。「亶(まこと)に其れ然(しか)る乎(か)」(本当にそうであるなあ) 
 (4)ほしいまま(亶)。もっぱら。(=擅)
イメージ 
 「厚い(あつみ)」(亶・壇・氈)
 「ゆたか」(檀)
…羶 セン・なまぐさい  羊部
解字 甲骨文字は羊が三匹集まる形。
甲骨文字辞典は「羊を多く並べた形であり祭祀儀礼を表現したもの」とする。
金文は羊が二匹となり、篆文第一字は羊が三匹となった。
[説文解字]は「羊、臭(にお)う也(なり)」とし、羊の生肉がにおう意とする。第二字は「羊と亶センに从(したが)う」とし、同じ意味で亶センは発音を表した形声字。
第二字は「羊と亶センに从(したが)う」とし、同じ意味で亶センは発音を表した形声字。
意味 (1)なまぐさい(羶い)。羊のなま肉。「葷羶クンセン」(においの強い野菜と、生ぐさい肉)「羶血クンケツ」(生臭い血)「腥羶セイセン」(腥も羶も、生臭い意) 
(2)「羶行センコウ」とは、人にしたわれる言行。ありが羊の肉にしたい寄ってくるのを例えた言葉。
「亠(やね)+回(二重のかこい)」・・

エルサレムという名がこの両数形になっていることは,神の民が
二重の意味で,つまり霊的にも,また実際にも経験する平和を預言的に示すものとみなせるでしょう。https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1998764
…「二重の平和の所有[または土台]」となるよう実際に骨折って働きました。―エズラ 7:6。

羊が二匹となり、篆文第一字は羊が三匹となった…

シリウスはひとつではなく、連星です。
連星とは、別名双子星とも呼ばれ、近くに2つ星が寄り添っている状態を指します。
シリウスB. シリウスには、その周りを公転する伴星が存在します。http://www.nhao.jp/public/topic/SiriusB.html
. 2つ以上の恒星がお互いのまわりを公転している天体を連星と呼びます。
…シリウスは、地球から7番目に近い恒星になります(1番近い恒星は太陽、2番目は4.4光年に位置するケンタウルス座α星)。
ケンタウルス座α星…
略号はCen。南天の星座。ケンタウルス(ケンタウロス)は上半身が人間,下半身が馬の姿というギリシア神話に活躍する一族である。この星座の南縁,天の川の中にα,βの両輝星が並び輝く。その西隣に南十字星がある。
この星座の南縁,天の川の中にα,βの両輝星が並び輝く。
その西隣に南十字星がある。
天の川の中にα,βの両輝星が並び輝く…

天の川銀河内…
>(太陽質量)のブラックホールを含む連星系と考えられている[18]。…「天の川銀河内のX線源で銀経339°、銀緯−4°に位置するもの」

>丌(台)の上に供えて祭る…

生贄として捧げる祭壇…
>エラトステネースは、ケンタウロス族の賢人ケイローンが野獣を生贄として捧げる祭壇とも説明している

紀元前20世紀頃の中王国時代の木棺には、サフを表す三つ星とサフの妻セプデトを表すシリウスが描かれていた…
太陽信仰の謎。ご来光とは本来、シリウスを拝むことだったのか。https://note.com/millennium_k/n/nd4e479898743
…古代エジプトでは、シリウスは豊穣の女神ソプデト(古代ギリシア語: Σῶθις、Sothis)として知られていた。
シリウスは最も初期の天文記録にも記録されている。
エジプト中王国時代、エジプト人はシリウスのヒライアカル・ライジングを基にEgyptian calender(英語版)を作り上げた。
シリウスがヒライアカル・ライジングを起こす約70日後[31] に、夏至とナイル川の氾濫が起きるため、とても重視されていた[32]。

シャヘル (Shahar) は、カナン神話(英語版)(ウガリット神話)における曙(明けの明星)の神。
黄昏(宵の明星)の神シャレム(英語版)[注釈 1]とは対になる神とされる。
イザヤ書の「曙の子ルシフェル」という言葉は、聖書で唯一のルシフェルへの言及であるが、「ヘレル・ベン・サハル(輝ける曙の息子)」というヘブライ語の意訳である。
よって、シャヘルはルシフェルの父とも解釈できる[要出典]。
しかしバーバラ・ウォーカーの、シャヘルが太陽神に反逆して堕とされ、それがルシフェルの神への反逆の伝説の下敷きになったとする主張[1][注釈 2]が周知され、しばしば両者は同一視される。
シャヘルは日の出とともに、太陽が再生したことを宣言するとされていた。
古代のカナン地方では、シャヘル信仰のもとでシャハリート(英語版) (Shaharit) と呼ばれる礼拝が朝に行われていた[2]。

「日章旗」は太陽をモチーフにした旗だと多くの人が思っていますが、太陽を赤く描く民族は日本人だけです。
太陽は本来濃い黄色又は黄金色で表現され又その様に見えます。
この地球上を照らすのは太陽ですが、古代日本人はそれ以上に「この世をあまねく照らす天体」としてシリウスを位置付けていた事を物語ります。
何故ならば、古代の日本人は大きな『赤い星』のシリウス見ていました。
「日の丸」がそれを物語ります。日の丸は、太陽ではなく「シリウス(赤色の)」の象徴です。

…日本の仁徳天皇陵の地下の遺跡を皆様はご存知でしょうか?
その石室の壁に刻まれていた聖刻文字はヒエログリフの中に『△』という形のものがあります。
その『△』は、エジプトのヒエログリフにも同じものがあり、それを意味するのは『シリウス』です。
△は女神イシスの事でもあります。さらに『▽』という文字も存在しました。
これはオシリスを表します。
『△』と『▽』を重ね合わせる時、六芒星になります。それは、ヘキサグラムです。
これは、ユダヤの星でもあり、天照大御神を祀る伊勢神宮にも刻まれている模様です。
エジプトの聖刻文字は、ロゼッタ・ストーンの解読を皮切りに、現在全ての文字の意味が解明され、その文章は現代語に翻訳されています。

日本でのレイライン(ご来光の道)は、春分の日・秋分の日・夏至・冬至などに太陽が昇る方角と沈む方角に線が引かれていると考えられます。
このレイラインとは実は、あたかも太陽を従えて昇ってくる、「シリウス」を拝むためのご来光の道だったのではないでしょうか。
太陽神と言われてきた天照大神が、ソプデトというシリウスが神格化した神の起源とされているイシス神と同一であるとの説があり、さらに
古代エジプトのイシス神殿はシリウスの出没方向に合わせて設計されていたというのです。
天上のワオギツネ 投稿日: 2024年04月22日 17:17:06 No.1054


蝦夷(エミシ)の正体とは 天上のワオギツネ 投稿日: 2024年04月18日 22:56:33 No.1041 【返信】

東北から北部関東にかけて住んでいたとされるエミシは、遺伝子研究においてもかなり謎らしい。
一系統ではないのは想像のつくところだ。

まず、ベースとなったのは縄文人であり、この縄文人はY-D1a2の縄文人と1万年前に南九州に渡ってきた中国浙江エリア由来のY-O1a種族が混合していたと思われる。
これに4000年前頃に列島へ渡った遼河族の一派が加わり、その遼河族と同体化していた半島のY-C2の濊族も一緒に混合するることになったと思われる。
さらに、4000年前には、畑作を行う淮河北側のY-O1b2もすでに半島に渡っていて、この畑作Y-O1b2族もY-Nの遼河族の一派とともに列島へ進出していたと思われる。
これに加えて、もしかすれば、ヘブライの十支族の一派もいたと思われる。

これをまとめると、4000年前頃に遼河族、濊族、畑作Y-O1b2族が一団となって出雲から東北へと進み、合わせて中東由来のヘブライの十支族のんほJ族とともに、そこに住んでいたY-D1a2とY-O1aの縄文人と混合したということになる。
これが、エミシ(蝦夷)の遺伝子的な実態だと思われる。

このような複雑な遺伝子構造を持ったのがエミシ(蝦夷)と呼ばれた者たちだった、と見ることができそうだ。
天上のワオギツネ 投稿日: 2024年04月20日 00:43:09 No.1042
このNo.1041「蝦夷(エミシ)の正体」は、No.1030の「『ズーズー弁』と出雲の神」に関連する投稿です。
荊の紀氏 投稿日: 2024年04月21日 05:03:09 No.1045
言語が膠着語であるならば、その言語はC系統かD系統かE系統かG系統かH系統…
「ズーズー弁」と出雲の神 出雲といえば出雲大社、出雲大社といえば大国主命である。
神仏習合によれば大国主は大黒様であり大黒様の相棒といえば恵比寿様である。 恵比寿は則ち夷である。
夷をただ単に「外国」「海の向こう」などととらえる見方もあるようだが、夷とは本来異民族をいうのであり
東夷(あずまえびす)」の語で知られるごとく蝦夷を指すと考えるのが素直であろう。
出雲には恵比寿様(事代主)を祀る神社「美保神社」がある。
出雲神様である事代主神が「えびす」神として祀られること...
縄文人はズーズー弁を話していた -http://bunbun.ne.jp/drhnakai/sub1-29.html#:~:text=3.「ズーズー弁」と出雲の神 出雲といえば出雲大社、出雲大社といえば大国主命である。 神仏習合によれば大国主は大黒様であり大黒様の相棒といえば恵比寿様である。,恵比寿は則ち夷である。 夷をただ単に「外国」「海の向こう」などととらえる見方もあるようだが、夷とは本来異民族をいうのであり「東夷(あずまえびす)」の語で知られるごとく蝦夷を指すと考えるのが素直であろう。 出雲には恵比寿様(事代主)を祀る神社「美保神社」がある。 出雲神様である事代主神が「えびす」神として祀られることは注意すべきことで、素戔嗚尊も、「鬚が長く、乱暴である」という後世の人々が蝦夷に対していだいた性格がこの神様にあらわれている。
…富山や石川は栃木や茨城の一部と同様、中間型のズーズー弁ということになっている。
茨城の一部…

楯縫神社 (美浦村郷中)https://ja.wikipedia.org/wiki/楯縫神社_(美浦村郷中)
…常陸国風土記の信太郡の条の普都神話[3]に描かれている、普都大神が楯を脱いだ地、すなわち
「楯脱(楯縫)」の聖地とされている。
木原の地名由来伝承には二説あるが、いずれも一帯が往古から豊かな森であったことを伝えている。
普都神話の聖地の結び付きから竹来阿彌神社と関係が深く、
往古は信太郡東西の総社として一宮二宮を称し、ともに永和元年(1375年)の円密院寺社供僧等言上状に「庄内第一之惣廟」と書かれた[4]。
は信太郡一宮として、旧郡域一帯では筆頭の格式にあった。普都主命の神輿を霞ヶ浦を介して阿彌神社に渡御する古式祭(鹿島神事)も行っていた[5]。

…新編常陸国誌は「祭神彦狭知命と云伝ふ、郡中東33村の鎮守にして、即本郡の一宮也(社記、二十八社考、二十八社略縁起)、
この神は神代の時に、紀伊国の忌部祖、手置帆負神と同く、天照大神の御為に、瑞の御殿を造り、又諸の祭器を作り仕奉りしが、
この神は専ら盾を縫ひ作られし故に、楯縫神とも申せしなり(日本紀、古語拾遺)[9]」(原文カナ)とし、「楯縫神」たる彦狭知命を祀る社としている。
彦狭知命…

出雲手斧神社は、手置帆負命と彦狭知命…
島根県出雲市にある出雲手斧神社は、手置帆負命と彦狭知命、二柱の神様をお祀りする神社です。https://9109493333.amebaownd.com/posts/13846518/

信太郡…

葛の葉狐 (くずのはぎつね)、 信太妻 、 信田妻 (しのだづま)ともいうが、この人物に“葛の葉”と名がつけられるのは1699年の 歌舞伎 『しのだづま』以降のことである。
葛の葉(くずのは)は、室町時代に作られた安倍晴明出生説話の登場人物。https://ja.wikipedia.org/wiki/葛の葉
…葛の葉伝承は、被差別民階級の一つである声聞師(民間下級陰陽師)たちが生みだしたものだと考えられている。
安倍晴明…

賀茂氏 の門下生 https://www.bing.com/search?q=安倍晴明   忌部&qs=n&form=QBRE&sp=-1&lq=0&pq=安倍晴明   忌部&sc=5-9&sk=&cvid=AB77F60DC5974FA2BFD77DDE7FC21BC0&ghsh=0&ghacc=0&ghpl=
賀茂氏…

葛城の賀茂氏|賀茂一族発祥の地、正体は出雲族だっ田https://blue32earth.blog.fc2.com/blog-entry-598.html

出雲ヤマト人を縄文人の末裔だと考えました…
ズーズー弁とされる出雲弁と東北弁の共通性などからも考えてみる必要がある、と指摘しています。 https://ameblo.jp/atom2460/entry-12607622221.html
海民の移動や移住とかかわって、興味深い研究があります。日本列島各地の人びとの遺伝子分析をおこなった人類学者の斎藤成也によれば、現代の島根県と東北地方の住民のあいだには、遺伝子的な共通性がみられるといいます。

日本語ユダヤ起源説⑭日向系と出雲系の争いは何だったのか https://ameblo.jp/prconsultant701938830/entry-12163604451.html
アマテラスのヘブライ語別名を「ヘフジバ」と言ったが、ここから日本一の山「富士山」や「富士宮」「富士見」などの地名が名付けられたと言われている。また、ユダ族の流れをくむ秦氏の日本列島での始祖とされる「弓月の君」の「ゆづき」はヘブライ語で「神は召集した」と意。さらに、弓月の君は、大陸各地にいるユダヤ人を集め、日本に呼び寄せる役割を担っていた可能性がある。八幡神社の「八幡(やはた)」はヘブライ語で「神はかき集めた」との意味で、日本の兵力を増強するためにアジア各地からかき集められたユダヤ人全体を指すという説もある。
また、ユダ族の流れをくむ秦氏の日本列島での始祖とされる「弓月の君」の「ゆづき」はヘブライ語で「神は召集した」と意。
さらに、弓月の君は、大陸各地にいるユダヤ人を集め、日本に呼び寄せる役割を担っていた可能性がある。
八幡神社の「八幡(やはた)」はヘブライ語で「神はかき集めた」との意味で、日本の兵力を増強するためにアジア各地からかき集められたユダヤ人全体を指すという説もある。
日向族は古代イスラエルのユダ族(「日向」も「ユダ(イェフダ)」が語源とされる)を中心とするユダヤ人であり、朝鮮半島または中国南部から船で渡来して博多付近に上陸し、原住民を征討しつつ南進して宮崎県に拠点を築いたとされる。
朝鮮半島または中国南部から船で渡来して博多付近に上陸し、原住民を征討しつつ南進して宮崎県に拠点を築いたとされる。
出雲族は、姓名としては賀茂氏、因幡氏、富(とみ)氏(エドムが転訛したものか)などが中心だったらしい。
…出雲系の賀茂氏の子孫に戦国時代の松平氏がおり、そこから出た徳川家康が日本を統一し、祖先の「エドム」に敬意を表して首都を「江戸」と命名したのではないかと言われる。
…紀元前15世紀頃、メソポタミアを統一し、大帝国を築いたヒッタイト人が出雲族になったというもの。
最初の鉄器文化を築いたとされる。
紀元前12世紀頃、「海の民」と呼ばれる民族に滅ぼされ、その後はちりぢりになったとされる。その後のユダヤ人たちからは尊敬され、またユダヤ人と結婚して混血した者もいた。
その後のユダヤ人たちからは尊敬され、またユダヤ人と結婚して混血した者もいた。
…秋田県の大湯ストーンサークルで出土した土器が、ヒッタイトで発掘された土器と酷似しており、
ヒッタイト人が古代日本に渡来したことを証明している。オックスフォード大学の考古学者セイヌ博士は「日本人の中に確かにヒッタイト人の血が入っている」と断言している。さらに、島根県ではタタラ製鉄の高い技術を受け継いで特殊な鋼を生産してきたが、タタラ製鉄は朝鮮半島を経て伝来したものだと言われ、タタラの語源はタタールである可能性が高い。ヒッタイト人は放浪後、モンゴル高原の遊牧民タタールになったとの有力な説があり、そのヒッタイト人の血を引くタタール人が日本列島に渡来した可能性がある。日本の古い民話「カチカチ山」で、兎が火打ち石で「カチカチ」と火を付けたのは、製鉄技術を持って渡来したタタール人のことを指しているとの説もある。
オックスフォード大学の考古学者セイヌ博士は「日本人の中に確かにヒッタイト人の血が入っている」と断言している。さらに、島根県ではタタラ製鉄の高い技術を受け継いで特殊な鋼を生産してきたが、タタラ製鉄は朝鮮半島を経て伝来したものだと言われ、タタラの語源はタタールである可能性が高い。ヒッタイト人は放浪後、モンゴル高原の遊牧民タタールになったとの有力な説があり、そのヒッタイト人の血を引くタタール人が日本列島に渡来した可能性がある。日本の古い民話「カチカチ山」で、兎が火打ち石で「カチカチ」と火を付けたのは、製鉄技術を持って渡来したタタール人のことを指しているとの説もある。
さらに、島根県ではタタラ製鉄の高い技術を受け継いで特殊な鋼を生産してきたが、タタラ製鉄は朝鮮半島を経て伝来したものだと言われ、タタラの語源はタタールである可能性が高い。ヒッタイト人は放浪後、モンゴル高原の遊牧民タタールになったとの有力な説があり、そのヒッタイト人の血を引くタタール人が日本列島に渡来した可能性がある。日本の古い民話「カチカチ山」で、兎が火打ち石で「カチカチ」と火を付けたのは、製鉄技術を持って渡来したタタール人のことを指しているとの説もある。
タタラ製鉄は朝鮮半島を経て伝来したものだと言われ、タタラの語源はタタールである可能性が高い。ヒッタイト人は放浪後、モンゴル高原の遊牧民タタールになったとの有力な説があり、そのヒッタイト人の血を引くタタール人が日本列島に渡来した可能性がある。日本の古い民話「カチカチ山」で、兎が火打ち石で「カチカチ」と火を付けたのは、製鉄技術を持って渡来したタタール人のことを指しているとの説もある。
ヒッタイト人は放浪後、モンゴル高原の遊牧民タタールになったとの有力な説があり、そのヒッタイト人の血を引くタタール人が日本列島に渡来した可能性がある。日本の古い民話「カチカチ山」で、兎が火打ち石で「カチカチ」と火を付けたのは、製鉄技術を持って渡来したタタール人のことを指しているとの説もある。
そのヒッタイト人の血を引くタタール人が日本列島に渡来した可能性がある。
日本の古い民話「カチカチ山」で、兎が火打ち石で「カチカチ」と火を付けたのは、製鉄技術を持って渡来したタタール人のことを指しているとの説もある。
製鉄技術を持って渡来したタタール人のことを指しているとの説もある。
三つ目の説は、日向族も出雲族も同じユダヤ民族であったが、日向族が分裂した「南のユダ王国」(ユダ族、ベニヤミン族、レビ族)の出身、
出雲族が北の王国」の出身(エフライム、ダン、ガドなどの十部族)であったというもの。
製鉄技術を持って渡来したタタール人のことを指しているとの説もある。
つまり南北分裂の対立が日本でも引き継がれたという考え方である。天皇家は初代神武から9代開化天皇までエフライム族だったが、10代崇神天皇からは系統が代わりユダ族になったとの説があるが、そうだとすると日向族による出雲族の征討、皇位奪還の史実と符号する。

タタール人 ~モンゴロイドではない?ロシア第2の民族の歴史と文化~https://www.hiroki-ru.work/entry/20201107/1604736032
…現代のタタール人は、ヨーロッパから中国に至るまでの様々な民族が混血し、中央ユーラシアで誕生したと考えられています。

クリムチャク人(Кърымчахлар)は、1世紀に黒海沿岸へ定住したと考えられるユダヤ人。https://www.wikiwand.com/ja/クリムチャク人

縄文人は、アメリカ先住民を含む東ユーラシア集団の中で最も古い時代に分岐したことがわかりました。
その一方で、縄文人はウルチ、韓国人、台湾先住民、オーストロネシア系フィリピン人と遺伝的に近かったのです https://www.nig.ac.jp/nig/ja/2019/05/research-highlights_ja/pr20190516.html

縄文人。…https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009010477_00000
DNA分析の結果、シベリアのブリヤート人と遺伝的に最も近いことが判明した。 マンモスなど大型動物を狩猟して生きていた北方の人々が、日本人のルーツの一つだと分かってきたのである。
マンモスなど大型動物を狩猟して生きていた北方の人々が、日本人のルーツの一つだと分かってきたのである。

…歴史言語学における言語の音変化が基層言語によるものという考え(Substratum theory)は古くから存在する。
これは、征服などによってある地域に入り込んだ言語が、基層言語による影響を受けて変容するという仮説である。
有名なものとして、ゲルマン語の第二次子音推移は、ケルト民族が高地ゲルマン民族による征服を受けて基層言語であるケルト語の音声特徴を反映させたものとする見方がある(Fennell 2011)。
また、音の変化状態から、ケルト人の到来以前、ベルギー・オランダ・北西ドイツには特有の基層言語が存在していたと考えられている(河崎2002)。
また、古英語の発音は基層のケルト語の影響を受けているとされ(Schrijver 2009)、ラテン語の方言から派生した言語のうち
フランス語の発音は他のラテン系言語とは異なるものが多いが、そのうちいくらかは基層のケルト語の特徴が反映されていると考えられる(Pellegrini 1980, Craddock 1960: 18, Matasović 2007)。
「ズーズー弁」(裏日本方言)にも、その母音体系に基層言語が存在したという見方が複数提示されている。
方言の音声差異の起源を縄文時代まで求める説(小泉1997、2003)、日本海側の方言の発音は基層言語の残存であるとする見方(真田2002: 32、中井2003、2004a: 69、2004b: 218)、
遺伝子学の視点から中央日本語とは別の「東日本基層語」を想定する見方(崎谷2005: 159-160、2009b: 113-115)等がなされている。

…世界を見渡すと、舌の前後の母音調和を持つ言語はウラル語族とチュルク語族である(小泉1994、松本1998)。
すなわち、裏日本基層語はウラル語族またはチュルク語族に由来する可能性があるということになる。
ウラル語族またはチュルク語族…

日本語の起源と歴史に興味を持つすべての方へ
謎に包まれてきた日本語の起源 http://www.jojikanehira.com/archives/number1.html
…サモエード諸語は、フィンランド語やハンガリー語と類縁関係にある言語です。
フィンランド語とハンガリー語はヨーロッパの中では異色の存在で、北極地方の少数民族の言語と類縁関係を持っています。
フィンランド語、ハンガリー語、サモエード諸語などから成る言語群は、「ウラル語族」と呼ばれます。
言語学者が使う「語族」という用語について若干説明しておきます。
私たちが万葉集や源氏物語の言葉を見ると、「読みにくいな」と感じたり、「なにを言っているのかわからないな」と感じたりします。
言語は時代とともに少しずつ変化しています。
言語は単に変化するだけでなく、分化もします。
ある程度広い範囲で話されている言語には、地域差が生じてきます。
…これらの方言が地理的に隔たってさらに長い年数が経過すると、
最初は小さかった方言同士の差が大きくなっていき、やがて意思疎通ができないほどになります。

日本語とウラル語族
英語などが属するインド・ヨーロッパ語族は巨大な言語群ですが、
フィンランド語やハンガリー語が属するウラル語族はこじんまりとした言語群です。
ウラル語族の言語は、ロシアの北極地方から北欧・東欧にかけて分布しています。
地理的に遠く離れているので、ウラル語族の言語は一見したところ東アジアの言語、
特に日本語とはなんの関係もないように見えますが、実はここに大きな盲点があります。
日本語の歴史を考えるうえで大変重要になるので、ウラル語族の話を続けます。

…フィンランド語とハンガリー語だけを見ていた時は気づかなかったのですが、サモエード系の言語を介しながら
フィンランド語とハンガリー語を見てみると、やはりフィンランド語とハンガリー語にも日本語との共通語彙があります。
日本語の中にある、ウラル語族と共通している語彙、そしてウラル語族と共通していない語彙を見分けていくうちに、二つの疑問が頭に浮かんできました。
一つ目の疑問は、日本語の祖先とウラル語族の言語の祖先の接点は地理的にどの辺にあったのだろうという疑問です。
二つ目の疑問は、日本語の中にある、ウラル語族と共通していない語彙はどこから来たのだろうという疑問です。
日本語の中には、ウラル語族と共通している語彙も多いですが、共通していない語彙も多いのです。

…長江文明と遼河文明(りょうがぶんめい)…日本列島で縄文時代が進行する間に、大陸側はこのようになっていたのです。
黄河文明と長江文明に比べて、遼河文明は知名度が高くないかもしれません。
しかし、遼河文明は、日本語の歴史を解明するうえで重要な鍵を握っているようなのです。
…遼河文明が栄えていた頃の遼河流域では、当初はN系統が圧倒的に優勢だったが、
次第にO系統とC系統が増え(つまり他の地域から人々が流入してきたということ)、
N系統はめっきり少なくなってしまったようです。現在の日本、朝鮮半島、中国では、N系統はほんの少し見られる程度です(Shi 2013)。対照的に、ウラル語族の言語が話されているロシアの北極地方からフィンランド方面にかけてN系統が非常に高い率で観察されています(Rootsi 2007)。
現在の日本、朝鮮半島、中国では、N系統はほんの少し見られる程度です(Shi 2013)。
対照的に、ウラル語族の言語が話されているロシアの北極地方からフィンランド方面にかけてN系統が非常に高い率で観察されています(Rootsi 2007)。

見え始めた日本語の正体…
…「ウラル語族との共通語彙」も多いですが、
「黄河文明の言語との共通語彙」と「長江文明の言語との共通語彙」も多く、この三者で漢語流入前の日本語の語彙の大部分を占めています。
「その他の語彙1」というのは、日本語が大陸にいた時に取り入れた語彙で、
「ウラル語族との共通語彙」にも、「黄河文明の言語との共通語彙」にも、「長江文明の言語との共通語彙」にも該当しないものです。

なぜフィンランド人(フィン人)はY染色体ハプログループNを持つか?〜ウラル語族〜https://oreranitsuite.com/2021/08/19/finns/
…Y染色体ハプログループIはY染色体ハプログループRに言語的には敗北した。
けれども、Y染色体ハプログループIの父兄は今まで残ってきた。
それに対して、フィンランド人は父系的にも言語的にもY染色体ハプログループNに完全に敗北してしまったように思える。
この状態はアメリカ大陸のモンゴロイド人種のY染色体ハプログループのほとんどがR系統であることに似ている。
直接的には、フィンランド人の先祖はY染色体ハプログループNによって強姦された可能性があるだろう。
ただし、もしY染色体ハプログループNがコーカサス人種の形質であったならば、上記の認識は成立しないだろう。

ウラル語族とアルタイ諸語
 ウラル語族(ウラルごぞく)は、シベリア(北アジア)中北部、北ヨーロッパ、東ヨーロッパに話者地域が分布する語族である。
かつてはアルタイ語族とあわせて、ウラル・アルタイ語族を構成するという説もあった[誰?]。
また、インド・ヨーロッパ語族と共にインド・ウラル語族を形成するという説も一部にある[誰?]。
ウラル語族に属する言語には次の特徴がある。
母音調和/膠着語/後置詞言語/双数/中舌母音[ɨ]。
言語学的知見からは、サモエド祖語とフィン・ウゴル祖語の分岐年代はおよそ紀元前4000年ごろと考えられている[3]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウラル語族
… 一般的に、ウラル語族はY染色体ハプログループNに対応する。
しかし、ウラル語族は膠着語であり、屈折語でない。
この時、俺はモンゴル語やアルタイ諸語がウラル語族と同じ膠着語であることを連想した。
つまり、俺はアルタイ諸語はウラル語族は同じ先祖を持ち、
Y染色体ハプログループNは彼らの言語をY染色体ハプログループC2によって置換されたと憶測する。言語置換が生じた。
上記のウラル・アルタイ語族という仮説はそれほど間違いでないように感じる。
膠着語それ自体がモンゴル語的であるように感じる、もしある言語が膠着語であるならば、
その言語はC系統かD系統かE系統かG系統かH系統である。
言い換えると、Y染色体ハプログループC2とY染色体ハプログループNのどちらかは自己の言語系統を持っていない可能性がある。
個人的には、俺はY染色体ハプログループNがY染色体ハプログループCに敗北して、彼らは自己の言語を失った可能性もあったように感じる。


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