日本語の起源 くまら掲示板


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蝦夷(エミシ)の正体とは
天上のワオギツネ 投稿日:2024年04月18日 22:56 No.1041
東北から北部関東にかけて住んでいたとされるエミシは、遺伝子研究においてもかなり謎らしい。
一系統ではないのは想像のつくところだ。

まず、ベースとなったのは縄文人であり、この縄文人はY-D1a2の縄文人と1万年前に南九州に渡ってきた中国浙江エリア由来のY-O1a種族が混合していたと思われる。
これに4000年前頃に列島へ渡った遼河族の一派が加わり、その遼河族と同体化していた半島のY-C2の濊族も一緒に混合するることになったと思われる。
さらに、4000年前には、畑作を行う淮河北側のY-O1b2もすでに半島に渡っていて、この畑作Y-O1b2族もY-Nの遼河族の一派とともに列島へ進出していたと思われる。
これに加えて、もしかすれば、ヘブライの十支族の一派もいたと思われる。

これをまとめると、4000年前頃に遼河族、濊族、畑作Y-O1b2族が一団となって出雲から東北へと進み、合わせて中東由来のヘブライの十支族のんほJ族とともに、そこに住んでいたY-D1a2とY-O1aの縄文人と混合したということになる。
これが、エミシ(蝦夷)の遺伝子的な実態だと思われる。

このような複雑な遺伝子構造を持ったのがエミシ(蝦夷)と呼ばれた者たちだった、と見ることができそうだ。


天上のワオギツネ 投稿日:2024年04月20日 00:43 No.1042
このNo.1041「蝦夷(エミシ)の正体」は、No.1030の「『ズーズー弁』と出雲の神」に関連する投稿です。

荊の紀氏 投稿日:2024年04月21日 05:03 No.1045
言語が膠着語であるならば、その言語はC系統かD系統かE系統かG系統かH系統…
「ズーズー弁」と出雲の神 出雲といえば出雲大社、出雲大社といえば大国主命である。
神仏習合によれば大国主は大黒様であり大黒様の相棒といえば恵比寿様である。 恵比寿は則ち夷である。
夷をただ単に「外国」「海の向こう」などととらえる見方もあるようだが、夷とは本来異民族をいうのであり
東夷(あずまえびす)」の語で知られるごとく蝦夷を指すと考えるのが素直であろう。
出雲には恵比寿様(事代主)を祀る神社「美保神社」がある。
出雲神様である事代主神が「えびす」神として祀られること...
縄文人はズーズー弁を話していた -http://bunbun.ne.jp/drhnakai/sub1-29.html#:~:text=3.「ズーズー弁」と出雲の神 出雲といえば出雲大社、出雲大社といえば大国主命である。 神仏習合によれば大国主は大黒様であり大黒様の相棒といえば恵比寿様である。,恵比寿は則ち夷である。 夷をただ単に「外国」「海の向こう」などととらえる見方もあるようだが、夷とは本来異民族をいうのであり「東夷(あずまえびす)」の語で知られるごとく蝦夷を指すと考えるのが素直であろう。 出雲には恵比寿様(事代主)を祀る神社「美保神社」がある。 出雲神様である事代主神が「えびす」神として祀られることは注意すべきことで、素戔嗚尊も、「鬚が長く、乱暴である」という後世の人々が蝦夷に対していだいた性格がこの神様にあらわれている。
…富山や石川は栃木や茨城の一部と同様、中間型のズーズー弁ということになっている。
茨城の一部…

楯縫神社 (美浦村郷中)https://ja.wikipedia.org/wiki/楯縫神社_(美浦村郷中)
…常陸国風土記の信太郡の条の普都神話[3]に描かれている、普都大神が楯を脱いだ地、すなわち
「楯脱(楯縫)」の聖地とされている。
木原の地名由来伝承には二説あるが、いずれも一帯が往古から豊かな森であったことを伝えている。
普都神話の聖地の結び付きから竹来阿彌神社と関係が深く、
往古は信太郡東西の総社として一宮二宮を称し、ともに永和元年(1375年)の円密院寺社供僧等言上状に「庄内第一之惣廟」と書かれた[4]。
は信太郡一宮として、旧郡域一帯では筆頭の格式にあった。普都主命の神輿を霞ヶ浦を介して阿彌神社に渡御する古式祭(鹿島神事)も行っていた[5]。

…新編常陸国誌は「祭神彦狭知命と云伝ふ、郡中東33村の鎮守にして、即本郡の一宮也(社記、二十八社考、二十八社略縁起)、
この神は神代の時に、紀伊国の忌部祖、手置帆負神と同く、天照大神の御為に、瑞の御殿を造り、又諸の祭器を作り仕奉りしが、
この神は専ら盾を縫ひ作られし故に、楯縫神とも申せしなり(日本紀、古語拾遺)[9]」(原文カナ)とし、「楯縫神」たる彦狭知命を祀る社としている。
彦狭知命…

出雲手斧神社は、手置帆負命と彦狭知命…
島根県出雲市にある出雲手斧神社は、手置帆負命と彦狭知命、二柱の神様をお祀りする神社です。https://9109493333.amebaownd.com/posts/13846518/

信太郡…

葛の葉狐 (くずのはぎつね)、 信太妻 、 信田妻 (しのだづま)ともいうが、この人物に“葛の葉”と名がつけられるのは1699年の 歌舞伎 『しのだづま』以降のことである。
葛の葉(くずのは)は、室町時代に作られた安倍晴明出生説話の登場人物。https://ja.wikipedia.org/wiki/葛の葉
…葛の葉伝承は、被差別民階級の一つである声聞師(民間下級陰陽師)たちが生みだしたものだと考えられている。
安倍晴明…

賀茂氏 の門下生 https://www.bing.com/search?q=安倍晴明   忌部&qs=n&form=QBRE&sp=-1&lq=0&pq=安倍晴明   忌部&sc=5-9&sk=&cvid=AB77F60DC5974FA2BFD77DDE7FC21BC0&ghsh=0&ghacc=0&ghpl=
賀茂氏…

葛城の賀茂氏|賀茂一族発祥の地、正体は出雲族だっ田https://blue32earth.blog.fc2.com/blog-entry-598.html

出雲ヤマト人を縄文人の末裔だと考えました…
ズーズー弁とされる出雲弁と東北弁の共通性などからも考えてみる必要がある、と指摘しています。 https://ameblo.jp/atom2460/entry-12607622221.html
海民の移動や移住とかかわって、興味深い研究があります。日本列島各地の人びとの遺伝子分析をおこなった人類学者の斎藤成也によれば、現代の島根県と東北地方の住民のあいだには、遺伝子的な共通性がみられるといいます。

日本語ユダヤ起源説⑭日向系と出雲系の争いは何だったのか https://ameblo.jp/prconsultant701938830/entry-12163604451.html
アマテラスのヘブライ語別名を「ヘフジバ」と言ったが、ここから日本一の山「富士山」や「富士宮」「富士見」などの地名が名付けられたと言われている。また、ユダ族の流れをくむ秦氏の日本列島での始祖とされる「弓月の君」の「ゆづき」はヘブライ語で「神は召集した」と意。さらに、弓月の君は、大陸各地にいるユダヤ人を集め、日本に呼び寄せる役割を担っていた可能性がある。八幡神社の「八幡(やはた)」はヘブライ語で「神はかき集めた」との意味で、日本の兵力を増強するためにアジア各地からかき集められたユダヤ人全体を指すという説もある。
また、ユダ族の流れをくむ秦氏の日本列島での始祖とされる「弓月の君」の「ゆづき」はヘブライ語で「神は召集した」と意。
さらに、弓月の君は、大陸各地にいるユダヤ人を集め、日本に呼び寄せる役割を担っていた可能性がある。
八幡神社の「八幡(やはた)」はヘブライ語で「神はかき集めた」との意味で、日本の兵力を増強するためにアジア各地からかき集められたユダヤ人全体を指すという説もある。
日向族は古代イスラエルのユダ族(「日向」も「ユダ(イェフダ)」が語源とされる)を中心とするユダヤ人であり、朝鮮半島または中国南部から船で渡来して博多付近に上陸し、原住民を征討しつつ南進して宮崎県に拠点を築いたとされる。
朝鮮半島または中国南部から船で渡来して博多付近に上陸し、原住民を征討しつつ南進して宮崎県に拠点を築いたとされる。
出雲族は、姓名としては賀茂氏、因幡氏、富(とみ)氏(エドムが転訛したものか)などが中心だったらしい。
…出雲系の賀茂氏の子孫に戦国時代の松平氏がおり、そこから出た徳川家康が日本を統一し、祖先の「エドム」に敬意を表して首都を「江戸」と命名したのではないかと言われる。
…紀元前15世紀頃、メソポタミアを統一し、大帝国を築いたヒッタイト人が出雲族になったというもの。
最初の鉄器文化を築いたとされる。
紀元前12世紀頃、「海の民」と呼ばれる民族に滅ぼされ、その後はちりぢりになったとされる。その後のユダヤ人たちからは尊敬され、またユダヤ人と結婚して混血した者もいた。
その後のユダヤ人たちからは尊敬され、またユダヤ人と結婚して混血した者もいた。
…秋田県の大湯ストーンサークルで出土した土器が、ヒッタイトで発掘された土器と酷似しており、
ヒッタイト人が古代日本に渡来したことを証明している。オックスフォード大学の考古学者セイヌ博士は「日本人の中に確かにヒッタイト人の血が入っている」と断言している。さらに、島根県ではタタラ製鉄の高い技術を受け継いで特殊な鋼を生産してきたが、タタラ製鉄は朝鮮半島を経て伝来したものだと言われ、タタラの語源はタタールである可能性が高い。ヒッタイト人は放浪後、モンゴル高原の遊牧民タタールになったとの有力な説があり、そのヒッタイト人の血を引くタタール人が日本列島に渡来した可能性がある。日本の古い民話「カチカチ山」で、兎が火打ち石で「カチカチ」と火を付けたのは、製鉄技術を持って渡来したタタール人のことを指しているとの説もある。
オックスフォード大学の考古学者セイヌ博士は「日本人の中に確かにヒッタイト人の血が入っている」と断言している。さらに、島根県ではタタラ製鉄の高い技術を受け継いで特殊な鋼を生産してきたが、タタラ製鉄は朝鮮半島を経て伝来したものだと言われ、タタラの語源はタタールである可能性が高い。ヒッタイト人は放浪後、モンゴル高原の遊牧民タタールになったとの有力な説があり、そのヒッタイト人の血を引くタタール人が日本列島に渡来した可能性がある。日本の古い民話「カチカチ山」で、兎が火打ち石で「カチカチ」と火を付けたのは、製鉄技術を持って渡来したタタール人のことを指しているとの説もある。
さらに、島根県ではタタラ製鉄の高い技術を受け継いで特殊な鋼を生産してきたが、タタラ製鉄は朝鮮半島を経て伝来したものだと言われ、タタラの語源はタタールである可能性が高い。ヒッタイト人は放浪後、モンゴル高原の遊牧民タタールになったとの有力な説があり、そのヒッタイト人の血を引くタタール人が日本列島に渡来した可能性がある。日本の古い民話「カチカチ山」で、兎が火打ち石で「カチカチ」と火を付けたのは、製鉄技術を持って渡来したタタール人のことを指しているとの説もある。
タタラ製鉄は朝鮮半島を経て伝来したものだと言われ、タタラの語源はタタールである可能性が高い。ヒッタイト人は放浪後、モンゴル高原の遊牧民タタールになったとの有力な説があり、そのヒッタイト人の血を引くタタール人が日本列島に渡来した可能性がある。日本の古い民話「カチカチ山」で、兎が火打ち石で「カチカチ」と火を付けたのは、製鉄技術を持って渡来したタタール人のことを指しているとの説もある。
ヒッタイト人は放浪後、モンゴル高原の遊牧民タタールになったとの有力な説があり、そのヒッタイト人の血を引くタタール人が日本列島に渡来した可能性がある。日本の古い民話「カチカチ山」で、兎が火打ち石で「カチカチ」と火を付けたのは、製鉄技術を持って渡来したタタール人のことを指しているとの説もある。
そのヒッタイト人の血を引くタタール人が日本列島に渡来した可能性がある。
日本の古い民話「カチカチ山」で、兎が火打ち石で「カチカチ」と火を付けたのは、製鉄技術を持って渡来したタタール人のことを指しているとの説もある。
製鉄技術を持って渡来したタタール人のことを指しているとの説もある。
三つ目の説は、日向族も出雲族も同じユダヤ民族であったが、日向族が分裂した「南のユダ王国」(ユダ族、ベニヤミン族、レビ族)の出身、
出雲族が北の王国」の出身(エフライム、ダン、ガドなどの十部族)であったというもの。
製鉄技術を持って渡来したタタール人のことを指しているとの説もある。
つまり南北分裂の対立が日本でも引き継がれたという考え方である。天皇家は初代神武から9代開化天皇までエフライム族だったが、10代崇神天皇からは系統が代わりユダ族になったとの説があるが、そうだとすると日向族による出雲族の征討、皇位奪還の史実と符号する。

タタール人 ~モンゴロイドではない?ロシア第2の民族の歴史と文化~https://www.hiroki-ru.work/entry/20201107/1604736032
…現代のタタール人は、ヨーロッパから中国に至るまでの様々な民族が混血し、中央ユーラシアで誕生したと考えられています。

クリムチャク人(Кърымчахлар)は、1世紀に黒海沿岸へ定住したと考えられるユダヤ人。https://www.wikiwand.com/ja/クリムチャク人

縄文人は、アメリカ先住民を含む東ユーラシア集団の中で最も古い時代に分岐したことがわかりました。
その一方で、縄文人はウルチ、韓国人、台湾先住民、オーストロネシア系フィリピン人と遺伝的に近かったのです https://www.nig.ac.jp/nig/ja/2019/05/research-highlights_ja/pr20190516.html

縄文人。…https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009010477_00000
DNA分析の結果、シベリアのブリヤート人と遺伝的に最も近いことが判明した。 マンモスなど大型動物を狩猟して生きていた北方の人々が、日本人のルーツの一つだと分かってきたのである。
マンモスなど大型動物を狩猟して生きていた北方の人々が、日本人のルーツの一つだと分かってきたのである。

…歴史言語学における言語の音変化が基層言語によるものという考え(Substratum theory)は古くから存在する。
これは、征服などによってある地域に入り込んだ言語が、基層言語による影響を受けて変容するという仮説である。
有名なものとして、ゲルマン語の第二次子音推移は、ケルト民族が高地ゲルマン民族による征服を受けて基層言語であるケルト語の音声特徴を反映させたものとする見方がある(Fennell 2011)。
また、音の変化状態から、ケルト人の到来以前、ベルギー・オランダ・北西ドイツには特有の基層言語が存在していたと考えられている(河崎2002)。
また、古英語の発音は基層のケルト語の影響を受けているとされ(Schrijver 2009)、ラテン語の方言から派生した言語のうち
フランス語の発音は他のラテン系言語とは異なるものが多いが、そのうちいくらかは基層のケルト語の特徴が反映されていると考えられる(Pellegrini 1980, Craddock 1960: 18, Matasović 2007)。
「ズーズー弁」(裏日本方言)にも、その母音体系に基層言語が存在したという見方が複数提示されている。
方言の音声差異の起源を縄文時代まで求める説(小泉1997、2003)、日本海側の方言の発音は基層言語の残存であるとする見方(真田2002: 32、中井2003、2004a: 69、2004b: 218)、
遺伝子学の視点から中央日本語とは別の「東日本基層語」を想定する見方(崎谷2005: 159-160、2009b: 113-115)等がなされている。

…世界を見渡すと、舌の前後の母音調和を持つ言語はウラル語族とチュルク語族である(小泉1994、松本1998)。
すなわち、裏日本基層語はウラル語族またはチュルク語族に由来する可能性があるということになる。
ウラル語族またはチュルク語族…

日本語の起源と歴史に興味を持つすべての方へ
謎に包まれてきた日本語の起源 http://www.jojikanehira.com/archives/number1.html
…サモエード諸語は、フィンランド語やハンガリー語と類縁関係にある言語です。
フィンランド語とハンガリー語はヨーロッパの中では異色の存在で、北極地方の少数民族の言語と類縁関係を持っています。
フィンランド語、ハンガリー語、サモエード諸語などから成る言語群は、「ウラル語族」と呼ばれます。
言語学者が使う「語族」という用語について若干説明しておきます。
私たちが万葉集や源氏物語の言葉を見ると、「読みにくいな」と感じたり、「なにを言っているのかわからないな」と感じたりします。
言語は時代とともに少しずつ変化しています。
言語は単に変化するだけでなく、分化もします。
ある程度広い範囲で話されている言語には、地域差が生じてきます。
…これらの方言が地理的に隔たってさらに長い年数が経過すると、
最初は小さかった方言同士の差が大きくなっていき、やがて意思疎通ができないほどになります。

日本語とウラル語族
英語などが属するインド・ヨーロッパ語族は巨大な言語群ですが、
フィンランド語やハンガリー語が属するウラル語族はこじんまりとした言語群です。
ウラル語族の言語は、ロシアの北極地方から北欧・東欧にかけて分布しています。
地理的に遠く離れているので、ウラル語族の言語は一見したところ東アジアの言語、
特に日本語とはなんの関係もないように見えますが、実はここに大きな盲点があります。
日本語の歴史を考えるうえで大変重要になるので、ウラル語族の話を続けます。

…フィンランド語とハンガリー語だけを見ていた時は気づかなかったのですが、サモエード系の言語を介しながら
フィンランド語とハンガリー語を見てみると、やはりフィンランド語とハンガリー語にも日本語との共通語彙があります。
日本語の中にある、ウラル語族と共通している語彙、そしてウラル語族と共通していない語彙を見分けていくうちに、二つの疑問が頭に浮かんできました。
一つ目の疑問は、日本語の祖先とウラル語族の言語の祖先の接点は地理的にどの辺にあったのだろうという疑問です。
二つ目の疑問は、日本語の中にある、ウラル語族と共通していない語彙はどこから来たのだろうという疑問です。
日本語の中には、ウラル語族と共通している語彙も多いですが、共通していない語彙も多いのです。

…長江文明と遼河文明(りょうがぶんめい)…日本列島で縄文時代が進行する間に、大陸側はこのようになっていたのです。
黄河文明と長江文明に比べて、遼河文明は知名度が高くないかもしれません。
しかし、遼河文明は、日本語の歴史を解明するうえで重要な鍵を握っているようなのです。
…遼河文明が栄えていた頃の遼河流域では、当初はN系統が圧倒的に優勢だったが、
次第にO系統とC系統が増え(つまり他の地域から人々が流入してきたということ)、
N系統はめっきり少なくなってしまったようです。現在の日本、朝鮮半島、中国では、N系統はほんの少し見られる程度です(Shi 2013)。対照的に、ウラル語族の言語が話されているロシアの北極地方からフィンランド方面にかけてN系統が非常に高い率で観察されています(Rootsi 2007)。
現在の日本、朝鮮半島、中国では、N系統はほんの少し見られる程度です(Shi 2013)。
対照的に、ウラル語族の言語が話されているロシアの北極地方からフィンランド方面にかけてN系統が非常に高い率で観察されています(Rootsi 2007)。

見え始めた日本語の正体…
…「ウラル語族との共通語彙」も多いですが、
「黄河文明の言語との共通語彙」と「長江文明の言語との共通語彙」も多く、この三者で漢語流入前の日本語の語彙の大部分を占めています。
「その他の語彙1」というのは、日本語が大陸にいた時に取り入れた語彙で、
「ウラル語族との共通語彙」にも、「黄河文明の言語との共通語彙」にも、「長江文明の言語との共通語彙」にも該当しないものです。

なぜフィンランド人(フィン人)はY染色体ハプログループNを持つか?〜ウラル語族〜https://oreranitsuite.com/2021/08/19/finns/
…Y染色体ハプログループIはY染色体ハプログループRに言語的には敗北した。
けれども、Y染色体ハプログループIの父兄は今まで残ってきた。
それに対して、フィンランド人は父系的にも言語的にもY染色体ハプログループNに完全に敗北してしまったように思える。
この状態はアメリカ大陸のモンゴロイド人種のY染色体ハプログループのほとんどがR系統であることに似ている。
直接的には、フィンランド人の先祖はY染色体ハプログループNによって強姦された可能性があるだろう。
ただし、もしY染色体ハプログループNがコーカサス人種の形質であったならば、上記の認識は成立しないだろう。

ウラル語族とアルタイ諸語
 ウラル語族(ウラルごぞく)は、シベリア(北アジア)中北部、北ヨーロッパ、東ヨーロッパに話者地域が分布する語族である。
かつてはアルタイ語族とあわせて、ウラル・アルタイ語族を構成するという説もあった[誰?]。
また、インド・ヨーロッパ語族と共にインド・ウラル語族を形成するという説も一部にある[誰?]。
ウラル語族に属する言語には次の特徴がある。
母音調和/膠着語/後置詞言語/双数/中舌母音[ɨ]。
言語学的知見からは、サモエド祖語とフィン・ウゴル祖語の分岐年代はおよそ紀元前4000年ごろと考えられている[3]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウラル語族
… 一般的に、ウラル語族はY染色体ハプログループNに対応する。
しかし、ウラル語族は膠着語であり、屈折語でない。
この時、俺はモンゴル語やアルタイ諸語がウラル語族と同じ膠着語であることを連想した。
つまり、俺はアルタイ諸語はウラル語族は同じ先祖を持ち、
Y染色体ハプログループNは彼らの言語をY染色体ハプログループC2によって置換されたと憶測する。言語置換が生じた。
上記のウラル・アルタイ語族という仮説はそれほど間違いでないように感じる。
膠着語それ自体がモンゴル語的であるように感じる、もしある言語が膠着語であるならば、
その言語はC系統かD系統かE系統かG系統かH系統である。
言い換えると、Y染色体ハプログループC2とY染色体ハプログループNのどちらかは自己の言語系統を持っていない可能性がある。
個人的には、俺はY染色体ハプログループNがY染色体ハプログループCに敗北して、彼らは自己の言語を失った可能性もあったように感じる。




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