日本語の起源 くまら掲示板


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2022/09/06 この掲示板は 鳩摩羅童子(くまらどうじ)のサイト
インド語・カンガルー  【副題】日本語の起源・インド弁検証
の掲示板です。「日本語の起源」全般の意見交換の場としてご利用下さい。
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>覗く(のぞく) 荊の紀氏 投稿日: 2024年03月28日 22:04:59 No.970 【返信】

のぞく(覘く)…
覘 テン・うかがう  見部
解字 「見(みる)+占(場所をしめる)」 の会意形声。ある場所をしめて、そこからのぞきみること。
意味 うかがう(覘う)。のぞく(覘く)。「覘候テンコウ」(さぐりうかがう)「覘望テンボウ」(うかがいのぞむ。遠くからみる)

覗 シ・うかがう  見部https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/289ab71a0eec58e2b520d495662b39cf
解字 「見(みる)+司(神の意志をうかがう)」の会意形声。神の意志をうかがうように、そっと見ること。のぞき見ること。
意味 うかがう(覗う)。のぞく(覗く)。そっと見る。「覗機シキ」(機会をうかがう)「覗察シサツ」(ひそかに観察する)
観察する…

啓(ひら)いて神意を伺いみる…
司は祝祷の器である(さい)を啓(ひら)いて神意を伺いみること、それを人事に移して伺といい、また覗という。https://jigen.net/kanji/35223
詞は神に訴え申す言葉、祠は祝告を主とする祭祀をいい、嗣続(しぞく)の大事を以て神意を問うものを嗣という。
啓…ケイ …

圭 ケイ・たま  土部https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/1a660000c8239e82ee68e0313906d764
解字 玉圭ギョクケイの形の象形。玉圭とは古代中国の玉器の一つ。長方形板状で先はとがり、天子が諸侯を封じた際にしるしとして与えた。
天子・諸侯が儀式を行うときに手に持った。その規格は厳格な等級と制限があり、諸侯の身分や権力により分かれていた。
圭は、土が二つ重なったように見えるが、玉を紐で貫きとおした形である甲骨文の玉から変形したかたちと思われる。
意味 (1)たま(圭)。ぎょく。角のある玉。上が尖り下が方形の玉。古代の諸侯が身分の証として天子から受けた玉。「圭玉ケイギョク」「圭璋ケイショウ」(儀式用の貴重な玉器)
   (2)かど。「圭角ケイカク」(圭のとがった先。また、突出した才能や性格)
   (3)日どけいの柱。「土圭ドケイ」(日時計の柱)
イメージ   
  圭の形から「角のある玉器」(圭・珪)
日時計の柱…

柱型日時計は水平の文字盤に棒状のノーモンを立てたもの。https://nazology.net/archives/121517
…日時計は、今から6000年ほど前にエジプトで生まれ、地上にまっすぐ棒を立てて影の位置や長さで時刻を計っていたと考えられています。
なので、柱型日時計がもっとも原型に近いのかもしれませんね。古代ギリシャで使われていたのも、柱型日時計だったといいます。
柱型日時計は、ノーモンの影の先端が指した時刻を読みます。
文字盤の表記がごちゃつくものの、あらかじめ季節によって変わる太陽の位置に合わせて時刻線を書いておけばその通り読むだけでよく、時刻の補正が不要というメリットがあります。
太陽の位置に合わせ…

始める…
啓…明けの明星…
意味 (1)ひらく(啓く)。明ける。始める。「啓明ケイメイ」
(①明けの明星。②知識がひろく明晰)「啓蟄ケイチツ」(虫が地中からはい出る季節。二十四節気の第3で太陽暦の3月6日頃から約15日間)
(2)教え導く。物事を理解させる。「啓示ケイジ」(神があらわし示す)「啓発ケイハツ」(知識を与え導く)「啓蒙ケイモウ」(無知な人を教え導く)「啓迪ケイテキ」(教えみちびく)
(3)出発する。先払いする。「啓行ケイコウ」(①先頭に立って道をひらく。②出発する)
(4)もうす(啓す)。申し上げる。「拝啓ハイケイ」「啓上ケイジョウ」「敬白ケイハク」
先頭に立って道をひらく…

交易路…
西域南道 (漠南路) タクラマカン砂漠 の南側を通るルート
シルクロードhttps://ja.wikipedia.org/wiki/シルクロード#出典

ホータン王国(ガンダーラ語:コータンナ、英: Kingdom of Khotan )はシルクロードの一つ西域南道沿いにあった仏教王国https://ja.wikipedia.org/wiki/ホータン王国


中継地… 荊の紀氏 投稿日: 2024年03月28日 21:19:48 No.969 【返信】

>「かつてここにホータン王国が栄えた。仏教も盛んであった。ホッタン」 …ホータン…端…
ホータン(于闐 うてん)は タリム盆地 の南西の端 https://asukanonobe.hatenablog.com/entry/2019/12/05/035212

 タリム盆地の南は崑崙山脈が東西に横たわっている。ホータン(于闐 うてん)はタリム盆地の南西の端にあって、崑崙山脈から流れ出る川沿いに発展したオアシス都市である。
シルクロードの西域南道の最も西に位置し、パミール高原を越えると、パキスタンである。
かつてここにホータン王国が栄えた。仏教も盛んであった。
… ホータンは、中国への仏教の伝来を考える上で、その発信地、中継地の一つとして重要な意味を持つ国である。
西域で大乗仏教が盛んであった唯一の都市国家であったことを考えると、中継地としてよりは、発信地と役割に注目したい。

和田(ホータン). ホータン王国(ウテン国)…

「テン」…
テンの語源・由来 テンは、中国語の「貂(チョウ・テウ)」に由来する。
中国語の「貂」は地方によって、また朝鮮語音で「トン」と発音することから、日本で「トン」が訛り「テン」となった。

「方言」と「訛り」の違いとは?意味から使い分けまでわかりやすく解説https://gimon-sukkiri.jp/dialect-accent/

「ことば遊び」と言語学https://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2019-02-24-1.html

言葉は、音声・文字といった表現( 能記 )と、そうした音声・文字がもつ意味内容(所記)から成り立つ。https://ja.wikipedia.org/wiki/言葉遊び#:~:text=言葉は、音声・文字といった表現( 能記 )と、そうした音声・文字がもつ意味内容(所記)から成り立つ。 言葉遊びは機知によってそれら表現・意味内容や、それらの間の関係を加工・変成させて面白みを引き出す表現上の演出のひとつであり、文章中の技法や完成した作品までを内包した概念である 。 言葉を道具としてある種の感動を与える行為の中で、言葉遊びは零細で単発的・一時的・瞬間的な遊戯と言える,。 そのため、 無駄口 や 駄洒落 といった言葉遊びは、コミュニケーションを潤滑にする場合もあれば、時と場所によっては嫌悪や反感を生む場合もある 。
言葉遊びは機知によってそれら表現・意味内容や、それらの間の関係を加工・変成させて面白みを引き出す表現上の演出のひとつであり、文章中の技法や完成した作品までを内包した概念である 。
言葉を道具としてある種の感動を与える行為の中で、言葉遊びは零細で単発的・一時的・瞬間的な遊戯と言える 。
そのため、 無駄口 や 駄洒落 といった言葉遊びは、コミュニケーションを潤滑にする場合もあれば、時と場所によっては嫌悪や反感を生む場合もある 。

· 駄洒落は日本文化の一つでもあり「Dad Joke」と似たような「おやじギャグ」と呼ばれるものも存在します。 https://goandup-japan.com/introducing-japanese-puns-that-both-children-and-adults-can-enjoy/

ダジャレの起源は?https://gokkoland.com/articles/271
ダジャレはもともと貴族のたしなみである「洒落」が起源となっているそう。「洒落」とは和歌を詠むときに使われる掛詞(かけことば)と同じようなもの。
「洒落」のなかにも上手下手があり、程度の良くないものに関して「駄洒落」(=ダジャレ)と言われるようになった、という起源があるようです。

東の端…
なぜ、日本語の起源がこんなに謎に包まれているのかというのは、おそらく日本の位置が関係しています。https://wisdom-box.com/j-origin/from-where/
日本列島はユーラシア大陸の東の端にあります。

日本語の起源と歴史に興味を持つすべての方へhttp://www.jojikanehira.com/archives/number1.html
目次
謎に包まれてきた日本語の起源
日本語とウラル語族
東アジアには黄河文明とは違う文明が存在した
見え始めた日本語の正体

…長江文明と遼河文明(りょうがぶんめい)です。
日本列島で縄文時代が進行する間に、大陸側はこのようになっていたのです。
黄河文明と長江文明に比べて、遼河文明は知名度が高くないかもしれません。
しかし、遼河文明は、日本語の歴史を解明するうえで重要な鍵を握っているようなのです。

遼河流域の人々のDNA研究は、Y染色体DNAのバリエーション(例えば、C系統か、D系統か、N系統か、O系統か)を調べたものです。
その結果はどうだったでしょうか。
古代の人々の研究なのでサンプル数は限られていますが、それでも大まかな傾向は十分に捉えられています。遼河文明が栄えていた頃の遼河流域では、
当初はN系統が圧倒的に優勢だったが、次第にO系統とC系統が増え(つまり他の地域から人々が流入してきたということ)、N系統はめっきり少なくなってしまったようです。
現在の日本、朝鮮半島、中国では、N系統はほんの少し見られる程度です(Shi 2013)。
対照的に、ウラル語族の言語が話されているロシアの北極地方からフィンランド方面にかけてN系統が非常に高い率で観察されています(Rootsi 2007)。

見え始めた日本語の正体
筆者もウラル語族の言語が東アジアの言語と深い関係を持っていることを知った時には大いに驚きましたが、考古学・生物学の発見と照らし合わせると、完全に合致します。
日本語がウラル語族の言語と深い関係を持っていることは非常に興味深いですが、もう一つ興味深いことがあります。
日本語の中には、ウラル語族と共通している語彙も多いですが、共通していない語彙も多く、ウラル語族とは全く異なる有力な言語群も日本語の形成に大きく関与したようなのです。
ウラル語族の言語と東アジア・東南アジアの言語の大々的な比較研究を行い、様々な紆余曲折はありましたが、
漢語流入前の日本語(いわゆる大和言葉)の語彙構成が以下のようになっていることがわかってきました。

「ウラル語族との共通語彙」も多いですが、「黄河文明の言語との共通語彙」と「長江文明の言語との共通語彙」も多く、この三者で漢語流入前の日本語の語彙の大部分を占めています。
「その他の語彙1」というのは、日本語が大陸にいた時に取り入れた語彙で、「ウラル語族との共通語彙」にも、「黄河文明の言語との共通語彙」にも、「長江文明の言語との共通語彙」にも該当しないものです。
「その他の語彙2」というのは、日本語が縄文時代に日本列島で話されていた言語から取り入れた語彙です。
漢語流入前の日本語の語彙構成の特徴的なところは、なんといっても、語彙の大きな源泉が三つあることです。
三つの有力な言語勢力が交わっていたことを窺わせます(遼河文明と黄河文明と長江文明の位置を思い出してください)。
「日本語の意外な歴史」では、ウラル語族との共通語彙、黄河文明の言語との共通語彙、長江文明の言語との共通語彙、その他の語彙1、その他の語彙2、いずれも詳しく扱っていきます。

古代中国と永世中立国スイスとロスチャイルドと秦氏の奇妙なつながり。https://www.bing.com/search?q=  中国 古代 ドルイド教&qs=n&form=QBRE&sp=-1&lq=0&sm=csrmain&pq=  中国 古代 ドルイド教&sc=1-13&sk=&cvid=502D5044C15A4CFD97FB8755DE4E5502&ghsh=0&ghacc=0&ghpl=

「聖徳太子」も「平清盛」もゾロアスター教徒であり、ロスチャイルドの先祖です。
「聖徳太子」は「天皇家」や「ロスチャイルド家」と縁の深い人物だったと考えられるわけですが、これまでは
「聖徳太子」の正体は「蘇我入鹿」であるか、または「秦河勝」である、というのが最も有力な説とされてきました。
で、人によっては「蘇我入鹿」と「秦河勝」は同一人物であると言ったり、彼ら二人が敵対関係にあったと言ったりしています。

ハロウィンとバアルと秦氏と大正天皇との奇妙なつながり。https://ameblo.jp/aai610/entry-12845083518.html

古代ケルト人はもともとドルイド教を信仰し、日本人は神道を信仰していた。https://blog.goo.ne.jp/oppt777/e/7d5e0c8b2ee3dda602e675fbaccd3b20
アイルランドも日本も、土着の宗教と外来の宗教を重ね合わせる形で受容していった。
なぜ、土着の宗教とは根本的に考え方の異なる新宗教を受け入れたのであろうか。
それは、たんに新宗教の勢力が大きかったということだけではなく、アイルランドと日本で古くから信仰されてきた宗教が、多神教的寛容さを持っていたためではないだろうか。
先ほども述べたように、ドルイド教も神道も多神教である。

…猶太キリスト教はドルイド教とアメン信仰の堕落した形態である。
文明のアイルランド起源https://caritaspes.hatenablog.com/entry/2021/03/06/005404

クリスマスとは. ケルトのドルイド教(自然と宇宙と自己を一体化する自然信仰)https://www.minthouse.org/christmas-5/

冬至はクリスマスの起源だった!https://everyday-goodluck.com/touji-christmas/

夏至と冬至:天神への祭祀. 箸墓古墳 https://sites.google.com/view/geshi-lines/hijiri/tenjin
〝箸墓古墳を西の頂点とする正三角形〟は、〝三輪山を東の頂点とする正三角形〟よりも、夏至と冬至の日に朝日の昇る角度に近く設定されているようだ。
箸墓古墳からの角度は、それぞれ 30 度よりも浅いので、三角形の辺の長さに多少の違いが発生している。


>「のっけ」…端…中継地点… 荊の紀氏 投稿日: 2024年03月28日 19:35:00 No.964 【返信】

野付牛(ノツケウシ)とはアイヌ語の『ヌプ・ウン・ケシ=野の端』https://1988web.com/1022/

「岬」
北海道のアイヌ語地名 https://www.bojan.net/2012/10/14.html
日本には「の」で始まる岬や半島が多いですが、この「野付」もその一つですね。さて、どういう意味でしょうか。
今回も「北海道の地名」から。
 上原熊次郎地名考は「ノツケ。夷語ノツケウなり。則頤(おとがい。下あご)といふ事。昔時此所へ大きなる鯨流れ寄て,その頤此崎となる故字になすといふ」と書いた。
 ノッケウ notkeu(not-keu あごぼね)はただノッ(not あご)というのと同じ意味に使う。
地名ではノッと同じように「岬」のことを呼んだ。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.235 より引用)
なるほど。not(あご)なのは想像がついていたのですが、not-kew で「あご・骨」が由来でしたか。
「あごの骨」とはこれ如何に……と思ったのですが、たとえば知床半島や襟裳岬のような、
筋(山脈)がしっかりと通った「岬」とは違って、見るっからに「薄い」感じのする砂嘴である
野付半島は、肉が無くなった「骨」という表現がしっくり来るのも事実です。
…not(あご)なのは想像がついていたのですが、not-kew で「あご・骨」が由来でしたか。
(あご)…

安居橋(あんごばし)【たいこ橋】. 大きく半円を描いた形は、別名「たいこ橋」と呼ばれている。. https://www.city.yawata.kyoto.jp/0000000464.html
「安居橋の朧月」は八幡八景のひとつ。. 橋のかかる放生川の両岸は散策路となっており、左岸の八幡宮境内とともに市民の憩いの場として親しまれている。.
橋 はし…

日本語のアクセント「橋を」「端を」「箸を」https://ameblo.jp/khanczy/entry-12648487410.html

長老・シャーマン
端 タン・はし・は・はた  立部
解字 「立(立つ)+耑(長老)」 の会意形声。一族の長老が立ったさま。長老は「きちんとしている」、長老の坐る席は一番奥にあるので「はし・すえ」、
長老から話を始めるので「はじめ・いとぐち」の意味を持つ[字統を参考]。中国で端公はシャーマンの意味がある。
意味 (1)ただしい。きちんとしている。「端正タンセイ」「端厳タンゲン」「端座タンザ」(姿勢を正してすわる。=端坐) 
   (2)はし(端)。すえ。はた(端)。は(端)。「先端センタン」「端末タンマツ」「舌端ゼッタン」(舌のさき。転じて、口先。もの言い)「端境期はざかいき」(境のはし・はた。果物・野菜などが市場に出回らなくなる時期) 
   (3)はじめ。いとぐち。はな(端)。「端緒タンチョ」「発端ホッタン」 
   (4)[はし(端)の派生義]はんぱ。はした。「端数はスウ」 
   (5)[中国]四川省および漢水一帯では巫覡フゲキ(神と人との感応の媒介をする者)の活動が盛んだった。「端公タンコウ」(シャーマン。神と人との媒介者)
媒介者…

日本語としての媒介には、「2つかそれ以上の人や物の間に立ち、双方が関係を持つために必要な中継地点として機能すること、もしくはそのような役割を果たすモノのこと」という意味があります。https://www.livable.co.jp/l-note/question/s14083/
中継地点…

安居 【あご】 笠間市(旧岩間町) この安居(あご)は、延喜式に載っている古代官道の駅家(うまや)の「安侯(あご)」が置かれていた場所だと考えられています。
安居 【あご】 笠間市(旧岩間町)http://mahoranokaze.com/blog-entry-2860.html
この安居(あご)は、延喜式に載っている古代官道の駅家(うまや)の「安侯(あご)」が置かれていた場所だと考えられています。
10世紀初期に書かれた延喜式には神社名などのほかに古東海道の駅家(うまや)や東山道の駅家(うまや)の駅名が載せられています。
また古東海道の終点である常陸国国府(現石岡)からさらに北上し、東山道と連絡すると思われる駅名が記されています。
(古東海道)常陸国府 ⇒ 安侯 ⇒ 河内(水戸市) ⇒ 田後 ⇒ 山田 ⇒ 雄薩 ⇒ 高野 (福島県矢祭町高野)⇒ 長有⇒ 松田(東山道)
この駅家は16km間隔にあり、馬を常駐していました。
現在石岡の鹿の子から常磐高速に沿った旧官道の跡が見つかっており、この安侯駅家は 安居(あご)地区の常磐高速沿いの地点がその跡だと考えられています。
延喜式の記載の前にはこの「安侯」駅家は、日本後記に812年に安侯、河内、石橋、助川、藻嶋、棚嶋の6駅が廃止されたことも記されているため、
一度廃止されたものが延喜式【927年)では復活している(安侯馬二疋の記述有)事になります。
平安時代には「安侯郷(あごごう)」という地名が「和名抄」に記載されていますので、
「安居(あご)」の地名はこの「安侯(あご)」から来ていると考えられますが、何時どのように変わったものかはわかっていません。

「安らかに住まう」-これが神の安 …「神の安息に導くイエス」 https://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?神の安息に導くイエス

「アンゴン」は、ベトナム語で「AN(食べる)」と、「NGON(美味しい)」をくっつけて、「美味しく食べる」を意味してるそうです。
天上のワオギツネ 投稿日: 2024年03月28日 20:54:47 No.968
アイヌ語のnokkeu(ノケウ=顎)と和語の「仰け反る(ノケゾル)」の「仰け(ノケ)」は、同系語彙だろう。
「仰け反る」と言えば、顎を突き出して顔面を上に反らした姿勢だから、その「仰け(ノケ)」の原義はアイヌ語のnokkeu(ノケウ=顎)と同じ「顎」であってもおかしくない。

やまださんが挙げている山嶺の上で雪をいただいて輝く富士山の写真を見ると、これは「覗く(のぞく)」がぴったりの情景だから、「のっと日の出」の「のっ」は「覗く(のぞく)」の「のっ」かも知れないと思った。


箸墓と冬至線 天上のワオギツネ 投稿日: 2024年03月28日 20:14:01 No.967 【返信】

No.960
箸墓古墳の前方部の方位は何度か

箸墓古墳の後円部の中心点は、纏向の大型建物の中心点から見て3年分の二十四節気暦の円環上の芒種の初日の軸線が通過する方位に築造されている。
この芒種は芒(のぎ)のある植物の種を播く時期を示し、今の田植えの時期に当たる。
その芒種の初日は6月7日頃。

つまり、箸墓の被葬者はそうした観念付けによって葬られ、その陵墓は祭祀所である大型建物から見て芒種の方位の初日の軸線上に築造されたということが考えられる。
纏向王権の始祖はそのような農耕上の位置付けによって、加盟各国の農作物の豊穣をもたらす役割を付与されたとみなすのがよいだろう。

その箸墓古墳の前方部の方位を後円部の中心点から計ると、東西線(春分線)から南に20度程度の方位が得られる。
前にも述べたように、近畿地方の冬至点は、特定の場所から東西線(春分線)に対して南に30度弱の方位となる。
なので、箸墓古墳の前方部は冬至点には向かっていず、二十四節気暦では大寒の節気初日頃の方位付近に向かっていることになる。
大寒初日は1月20日で、凍てついた地面に蕗(ふき)の花が咲き始める頃とされる。
春が確実に歩み始めていることが分かる頃だという。

さて、箸墓と冬至信仰は関係あるだろうか。
面白い見方だと言えそうだが。



中継地…

ホータン(于闐 うてん)は タリム盆地 の南西の端 https://asukanonobe.hatenablog.com/entry/2019/12/05/035212

 タリム盆地の南は崑崙山脈が東西に横たわっている。ホータン(于闐 うてん)はタリム盆地の南西の端にあって、崑崙山脈から流れ出る川沿いに発展したオアシス都市である。
シルクロードの西域南道の最も西に位置し、パミール高原を越えると、パキスタンである。
かつてここにホータン王国が栄えた。仏教も盛んであった。
… ホータンは、中国への仏教の伝来を考える上で、その発信地、中継地の一つとして重要な意味を持つ国である。
西域で大乗仏教が盛んであった唯一の都市国家であったことを考えると、中継地としてよりは、発信地と役割に注目したい。


>のつと not 不… 荊の紀氏 投稿日: 2024年03月28日 19:45:30 No.965 【返信】

英語のノット( not )は「~ではない」という意味、イコール( equal )は「等しい」という意味です。https://sci-pursuit.com/math/not-equal.html
「等しい」…

30里ごとの駅家…
「1里」は534m程度の距離 当時、目安は、徒歩で1日50里、荷馬車で1日30里移動できることから、街道に30里ごとの駅家の設置を行ったhttps://www.kibi-guide.jp/miti/
大宝元年(701年)の大宝律令(及びその改良版の養老律令)の厩牧令(くもくりょう)では、
  駅馬の設置は大路二十疋、中路十疋、小路五疋、駅の設置は大路30里毎に一駅が原則であった。
  山陽道の場合、九州につながる大路として、原則30里(卅里)(16km)ごとに駅家(うまや)を設けていた。
  令制の「1里」は534m程度の距離
  当時、目安は、徒歩で1日50里、荷馬車で1日30里移動できることから、街道に30里ごとの駅家の設置を行った。


俳諧の語句 天上のワオギツネ 投稿日: 2024年03月28日 15:22:57 No.962 【返信】

No.954
のっと日の出る

この「のっ」とよく似た言葉がみられる。
「のっけ」がそれ。
https://kotobank.jp/word/のっけ-597028#goog_rewarded
この「のっけ」なら、よく分かる。
芭蕉の「のっと日の出る」の「のっ」は、「のっけ」の「け」をはぶいたものかも知れない。
そうすると、「のっ」は「ぬっ」と同類の言葉とする見方とは、少しはずれてくる。
芭蕉の「のっ」が「のっけ」の「け」を落とした用法だとしたら、面白いけど。
やまだ 投稿日: 2024年03月28日 19:34:32 No.963
のつと not 不


… 不尽




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