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「傾く(かたぶく)」とはいかなる言葉か
天上のワオギツネ 投稿日:2024年04月26日 17:41 No.1065
No.1046より続く
「傾く」の来た経路が不明

傾く(かたむく)は物が斜めになることを表す言葉で、「日が傾く」とする場合は正午の真上にある日が西方にかしいだ位置に移動した状態を表すものだとすることができる。
そして、この「傾く(かたむく)」の原義は、「片向く(かたむく)=片側に移動すること」だとされている。https://kotobank.jp/word/傾く-463654
そうすると、カタムク(傾く)は、カタ(片側)+ムク(向く)の構成の言葉だということになる。

そこで、もう少しこの言葉の構成を考えてみると、カタムク(傾く)の古形はカタブクだとされている。
万葉集3623の歌では「月可多夫気婆」と書かれていて、これは「月かたぶけば」と読むようだ。
そうすると、カタムク(傾く)の古形はカタブク(傾く)であり、ブクの言葉に「向く」意があるのかどうかかなり怪しい。
カタブクがカタムクと訛ったとしても、そのムクが「向く」意を表していることにはならない。
なので、カタムクはカタ(片側)+ムク(向く)の構成とする解釈は、少し無理があるのではないだろうか。

このように考えると、カタブク(傾く)はカタブ+ク(動詞)の構成である可能性が出てくる。
傾くと書いてこれを「カブク」とする読みがあり、このカブクの名詞形が「歌舞伎(カブキ)」であることからしても、「カブク(傾く)」の元の語形であるカタブク(傾く)はカタブ+ク(動詞)の構成と見るのがよいだろう。

そうなると、では、このカタブク(傾く)の語幹である「カタブ」とは、いかなる言葉なのか大いに興味が湧くことになる。
そこで、例によって、外国語に発音と語義がよく似た語彙を探してみることにすると、次の語が浮かび上がってくる。

カタブク(傾く)のカタブ
フィンランド語 kaitevuus(カァタブウス)=勾配、傾斜度、傾き、スロープ、坂、下り坂

フィンランド語のこのkaltevuus(カァタブウス)の語尾のuusを取り除いたkaltev(カァタブ)も、スロープ(勾配、傾斜、傾き、坂、下り坂)を意味する。
これを見ると、日本語のカタブク(傾く)の語幹のカタブとフィンランド語のkaltevuus(カァタブウス=勾配など)は非常に近い同系語彙と見ることができる。
そうすると、フィンランド語の祖語の遼河祖語と縄文祖語は3万年前頃にアルタイ山脈南麓で接触して語彙交換があったとみられるので、その時に遼河祖語から縄文祖語にこの言葉が移動したとするのがよいのだろうか。
しかし、フィンランド語のkaltevuus(カァタブウス=勾配など)の勾配や傾斜の意は、かなり抽象的な語義であることを考えると、この言葉はかなり新しい語彙である可能性が出てくる。
そこで、勾配を表す語彙を他に探してみると、ラテン語やギリシャ語の語彙が出てくるので、それを見てみよう。

フィンランド語 kaltevuus(カァタブウス)=勾配
ラテン語 cilvo(キリィボ)=勾配
ギリシャ語 klisi(クリシ)=勾配

フィンランド語のkaltevuus(カァタブウス=勾配)の語幹のkaltev(カァタブ=勾配)の発音とラテン語のcilvo(キィリボ=勾配)の発音はかなり遠いものの、その綴りはかなり似ていることと語義が同じであることから、双方は同系語彙とみることができる。
そして、ラテン語のcilvo(キリィボ=勾配)とギリシャ語のklisi(クリシ=勾配)も語尾音は異なるものの、双方同系語彙であるとすることができそうだ。

このことから、ギリシャ語のklisi(クリシ=勾配)を語源としてラテン語のcilvo(キィリボ=勾配)ができ、そのラテン語のcilvo(キィリボ=勾配)が訛ったのがフィンランド語のkaltevuus(カァタブウス=勾配)だとすることができる。

このギリシャ語を語源としたラテン語cilvo(キィリボ=勾配)に由来するフィンランド語のkaltevuus(カァタブウス=勾配など)の語幹のkaltev(カァタブ=勾配など)と日本語のカタブク(傾く)の語幹のカタブが非常に近い同系語彙であるのは明らかであるが、歴史時代になってからの日本とフィンランドをつなぐ経路がまったく不明であるのが難点だと言える。

ラテン語のcilvo(キィリボ=勾配)が訛ってフィンランド語にkaltevuus(カァタブウス=勾配)の語が取り入れられる前の経路地からこの言葉が日本にまで運ばれたと考えれば、日本語のカタブク(傾く)の語彙の存在が理解しやすいのであるが、その経路地が不明なのが残念と言える。
その経路地では、kaltev(カァタブ=勾配)の語は別の語彙によって置き換わって、そのまま消え去ったのかも知れない。


天上のワオギツネ 投稿日:2024年04月27日 04:37 No.1066
語源は、ここにあった。

日本語の「カタブク(傾く)」とフィンランド語のkaltevuus(カァタブウス=勾配、傾き、坂、下り坂)は同系語彙と見ることが可能だが、双方を結ぶ経路が不明だとしたが、意外にもギリシャ語が双方の語源だったようだ。
そのつながりを見てみよう。

カタブク(傾く)
フィンランド語 kaltevuus(カァタブウス)=勾配、傾き、坂、下り坂
ギリシャ語 katabase(カタバシ)=降下
  同   katevike(カタビケ)=降りてきた

この三者が同系語彙であるのは、ほぼ間違いないだろう。
ギリシャ語のkatavike(カタビケ=降りてきた)の語幹のkatavi(カタビ=降りてきた)が語彙移動してフィンランド語ではkaltavuus(カァタブウス)と訛って勾配や傾き、下り坂などの意に語義変化し、また一方、交易品にともなってカザフ平原を通って日本にまで語彙移動してカタブと訛り、和語の動詞のクが付いてカタブクの言葉となり、語義はフィンランド語のケースと同じ「傾く」の意に語義変化したということだろう。

したがって、フィンランド語のkaltevuus(カァタブウス=勾配、傾き、下り坂など)と日本語のカタブク(傾く)は、ともにギリシャ語のkatavike(カタビケ=降りてきた)から派生した同系語彙ということになる。

なお、先に述べたギリシャ語のklisi(クリシ=勾配)とラテン語のcilvo(キリィボ=勾配)は、日本語のカタブク(傾く)やフィンランド語のkaltavuus(カァタブウス=勾配、傾きなど)とは同系語彙ではないということになる。


荊の紀氏 投稿日:2024年04月27日 05:27 No.1067
>カタムク(傾く)…(傾奇者、歌舞伎者)…
傾く(かぶく)とは、正道から外れている状態をいい、https://iyo-monogatari.jp/nihonjin/character/7510.html#:~:text=傾く(かぶく)とは、正道から外れている状態をいい、 傾く(かぶく)者 とは、まともな恰好をしていない者、道を外れた者の意で、世間では,かぶきもの (傾奇者、歌舞伎者)と呼んで、 胡散臭い連中 という目でみている。
傾く(かぶく)者 とは、まともな恰好をしていない者、道を外れた者の意で、世間では
かぶきもの (傾奇者、歌舞伎者)と呼んで、 胡散臭い連中 という目でみている。

カタブ: 書く
カム、クム:群れを大量に集める・立ち上がる、現れる…https://www.historyjp.com/dictionary/
…ケレッ(ク)、キレク、キロク:本、記録

穂先…筆先(穂先)を見せて書く書き方です。https://shodo-kanji.com/b1-5-3rohou_zouhou.html
例えば、筆を入れる時に穂先が左斜め上に来るように筆を下ろすと、当然筆の先は左斜め上に来ます。

日が傾く?
頃 ケイ・ころ・しばらく  頁部 https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/0c363654d936ec11b6ba84f2d8ceffda
「右をむいた人+頁(ひざまずく人)」の会意。頁ケツは、ひざまずいた人の頭部を強調した字[頁を参照]で、通常は頭を意味するが、ここではひざまずく人を表す。
頃ケイは、右向きの向かい合った人にひざまずく形で、相手に頭をかたむけてひざまずくこと。現代字は、右向きの人⇒ヒに変化した頃になった。
頭をしばらく傾けることから、転じて、しばらく、ころあいの意となった。頃を音符に含む字は、「かたむける」イメージをもつ。
意味 (1)しばらく(頃く)。「頃刻ケイコク」(しばらくの時間) 
(2)ころ(頃)。ころあい。このごろ。時刻・時期を漠然とさしていう。「頃日ケイジツ」(このごろ)「近頃ちかごろ」「此の頃このごろ」
イメージ 
 「かたむける」(頃・傾・穎)
頁(ひざまずく人)…羽人 https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&ccid=9p6+GZkL&id=7DFBBA149622DA40DB7384CBB9CFC6EDFCD6BA5F&thid=OIP.9p6-GZkLEVV4dnHG75Qj5AHaE2&mediaurl=https://i2.kknews.cc/SIG=3e15lvb/ctp-vzntr/r6n9rrnq851640009s95s72q6o018s5p.jpg&exph=347&expw=529&q=羽人 すぐれた 才能の人&simid=608015087488353561&FORM=IRPRST&ck=05A87131AF09D0E16AFBFF2C251F1F72&selectedIndex=46&itb=0&ajaxhist=0&ajaxserp=0

頁 (けつ)に從ひ…
夏 (漢字)の用語解説 - [字音] カ・ゲ [字訓] なつ [説文解字] [金文] [字形] 象形舞冠を被り、儀容を整えて舞う人の形。
〔説文〕五下に「中國の人なり。 夊 (すい)に從ひ、頁 (けつ)に從ひ、 (きょく)に從

「夏カ」<大きな人> と「榎えのき」https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/7926b60504c69c7e266cee74a0fcf5d0
古代文明が発祥した中国・中原地方で自らの部族を表す語として使われ、のち、中華(中国)の意味にも使われるようになった。現代字は、篆文から両手と頁の下部のハが略された形。また夊(あし)⇒夂に変化した。

羽民人 は 中国 に伝わる伝説上の人種である。https://www.wikiwand.com/ja/羽民

穎[頴] エイ  禾部  繁:穎yǐng  簡:颖yǐng
解字 「禾(いね)+頃(かたむける)」の会意形声。稲などが穂をかたむけること。
実って穂がたれるさまをいい、①穂先、②穂先がするどい、③実って垂れる意から人に例えて、すぐれる・かしこい意となる。なお頴エイは、禾⇒示になった俗字。
意味 (1)ほさき。ほ(穂)。 (2)するどい。ふでさき。「穎毛エイモウ」(筆の穂先)
(3)すぐれる。ぬきんでる。才能がある人。「穎才エイサイ」(すぐれた才能の人)「穎哲エイテツ」(すぐれてかしこいこと。また、その人)
「穎脱エイダツ」(才能が群を抜いてすぐれる)「穎慧エイスイ」(すぐれてさとい)
すぐれた才能の人…

「羽人。. その者、不老にして不死。. 人の理より解き放たれた仙人であり、人々が徳を忘れた時に新たな世を創るため現れる」。

越と出雲&羽人はシャーマンか?・後編https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/f97bd026b58547086c823b1d218e9fb3
…羽人は雲南省から浙江省にかけての中国南部、北ベトナム更には日本列島の日本海沿岸出土の遺物(先に上鑵子遺跡の事例も紹介した)に見ることができ、存在していた証であろう。
そうとすれば羽飾りをつけた人々(羽人)が対馬海流を通じて、舟により往来していた可能性が考えられる。
これらの図像に描かれた鳥は水先案内のような位置づけで、羽は烏の象徴ともいえる。
共に描かれる太陽は、それを神として崇めたことを示している。いわゆる太陽神信仰である。
浙江省余姚県河姆渡(よようけんかもと)遺跡から太陽を支える二羽の鳥をモチーフとした骨製の板が出土した。


荊の紀氏 投稿日:2024年04月27日 11:00 No.1068
鹿島をヘブライ語で読む https://www.historyjp.com/article/283/
また、「かぐしま」という読みの語源が、ヘブライ語であるという説にも注目です。
「カグ」という言葉はヘブライ語で、カグー(khagur、カグー)、体に巻く、身にまとう、締める、用意をする、等を意味します。
次に「シマ」はシムー(shimur、シムー)は、保護、管理、保存を意味する言葉です。
それ故、2つの言葉を合わせると、「カグシムー」となり、直訳では「保護を身にまとう」、つまり「保護管理体制を敷く」という意味になります。
日本列島の東海岸沿いにある最重要拠点として、列島の保護管理体制を固めるための監視塔となる拠点が鹿島でした。
それ故、古代の民は鹿島を当初、「カグシムー」と呼び、その名前に香島という漢字が当てられ、「かぐしま」と読まれるようになった可能性があります。


荊の紀氏 投稿日:2024年04月27日 11:39 No.1069
鹿島神社の大日如来…フェニキア文字が紀元前八〇〇年ごろインドに…
弥勒の船が着く鹿島https://www.historyjp.com/article/283/

大日如来…弥勒…ミトラ…
>阿修羅、大日如来、牛頭天王、毘沙門天(四天王)、弥勒菩薩は、いずれも元々ミトラ(バール)神です
ミトラ(バール)神は、聖書で序列2位の悪魔とされてます…
天照大神(大日如来)…ミトラ(バール)神…
荊の紀氏 投稿日:2024年04月16日 19:39 No.1031 https://rara.jp/kumara/page1031#:~:text=阿修羅、大日如来、牛頭天王、毘沙門天(四天王)、弥勒菩薩は、いずれも元々ミトラ(バール)神です,ミトラ(バール)神は、聖書で序列2位の悪魔とされてます

(ブラーフミーはBrā hm ī) サンスクリット を記すのに用いられた 最古 の 文字 。https://kotobank.jp/word/ブラーフミー文字-126382
フェニキア文字 が紀元前八〇〇年ごろ インド に入り、それが改良されてできたもの …
《〈梵〉Brāhmī》アショカ王碑文に刻まれている古代インドの文字。のちに、ナーガリー文字やチベット文字が成立した。

〘名〙 (ブラーフミーはBrāhmī) サンスクリットを記すのに用いられた最古の文字。
フェニキア文字が紀元前八〇〇年ごろインドに入り、それが改良されてできたもの。悉曇(しったん)文字やデーバナーガリーの祖。
悉曇(しったん)文字やデーバナーガリーの祖。

カローシュティー文字とならび,古代インドで前300年ごろ使われた文字の一つ。
起源については,インド固有のものとみる説もあるが,最近ではセム系説が有力。
現在この系統の文字はインドから東南アジア,中央アジアからチベットに及んでいる。
アショーカ王石柱の碑文が古代における最も重要な資料である。日本では梵(ぼん)字,悉曇(しったん)として知られる。
。日本では梵(ぼん)字,悉曇(しったん)として知られる。
→関連項目オケオ|テルグ語|トカラ語|ミーラーン

古代インド文字。アショカ王碑文はこの文字で刻まれている。
4世紀から6世紀にかけて南北両系に分かれ、北方系ブラーフミーBrāhmī文字からシッダマートリカーSiddha-mātkā文字、この文字からナーガリー文字をはじめとする現行インド系文字が成立している。
南方系ブラーフミー文字からパッラバPallava文字、続いてサンスクリット語文献(グランタ)を写すためのグランタGrantha文字などが成立し、
ドラビダ諸言語を表記する現行諸文字へと連なっている。
北方系ブラーフミー文字はさらに北上し、チベット文字をはじめとする諸文字、南方系ブラーフミー文字は海を渡って東南アジアの諸文字の成立に刺激を与えた。
古代インドで用いられた文字。セム系のアルファベットを母体にしてできたものと考えられる。
知られている最古のものは前4世紀。
古代インドには,これと並んでカローシュティー文字があったが,ブラーフミー文字がこれを圧倒した。
4世紀頃のインドで用いられたグプタ文字,中国,日本に伝わった悉曇 (しったん) 文字,現在インドの諸地方で用いられているデーバナーガリー文字はブラーフミー文字を母体としている。
…この文字はインダス文明の滅亡とともに忘れ去られてしまった。滅亡の時期を前1500年とすると,ブラーフミー文字による現存最古の碑文の年代まで約12世紀の断絶があり,この断絶を埋める文字資料は発見されていない。 1837年,ジェームズ・プリンセプによってほぼ解読されたブラーフミー文字,同人によって17文字解読されたカローシュティー文字は,アショーカ王による石柱,磨崖碑文の文字である。…
滅亡の時期を前1500年とすると,ブラーフミー文字による現存最古の碑文の年代まで約12世紀の断絶があり,この断絶を埋める文字資料は発見されていない。 
1837年,ジェームズ・プリンセプによってほぼ解読されたブラーフミー文字,同人によって17文字解読されたカローシュティー文字は,アショーカ王による石柱,磨崖碑文の文字である。…
ドラビダ諸言語…フェニキア…

ドラヴィダ人とは?アーリア人との違いや日本人との関わりなど特徴を解説 https://worldglobalist.com/dravidians
世界四大文明のひとつであるインダス文明を作り上げたのがドラヴィダ人。
しかし、気候変動により文明が崩壊。
この時、イラン高原から移住してきたアーリア人に押し出され、南インドへ移動。
南インドでサータヴァーハナ朝、チョーラ朝、パーンディヤ朝など、独自の文化を持つ国家を展開した。
インドに大きな南北間格差が生まれ、今日まで続いている。
ドラヴィダ人の言語
ドラヴィダ人は、ドラヴィダ語族に属する言語を母語とする民族。
インド・ヨーロッパ語族、インド・アーリア語族とは無関係。
…ドラヴィダ人の現在
主に南インドに住んでおり、特にタミル語、カンナダ語、マラヤーラム語、テルグ語、トゥールー語を話す人々が多い。
なお、インド中部、スリランカ、バングラデシュ、パキスタン、イラン南西部、アフガニスタン南部、ネパールの一部にも居住している。

…ドラヴィダ人と日本の歴史
数千年の間にアーリア人と何度も争いがあったとされるが、ドラヴィダ人は避けるために海外へ脱出。
紀元前に出雲に辿り着き、出雲族とされている説があるが、4世紀に熊野に流れ着いたドラヴィダ人の一人が「裸形上人」だという説もある。
ドラヴィダ人の「裸形上人」は、熊野三山にある青岸渡寺や補陀落山寺を開山したとされている。
また、那智大滝で修行を積み、瀧壷で八寸の観音菩薩を感得したが、今に伝えられている修験道となった。
「超訳古事記」などで知られる作家鎌田東二によると「修験道=アーユルヴェーダ」としている。
ドラヴィダ人とアーユルヴェーダ
ドラヴィダ人の「裸形上人」がインド式の「行」と共に日本に伝えたのが、世界最古の医療「アーユルヴェーダ」だったのだ。
アーユルヴェーダが生まれたのは5000年前。
ヒマラヤ北部のアーリア人を避け、アガスティアが南下し、南インドのタミル・ナードゥでシッダ医学とミックスされて作られたものだ。

檀君神話が古代朝鮮の建国神話になっているということは、ナーガ族を含むミタンニ・アーリア人とフェニキア人の神ダゴンを古代インドに持ち込んだであろ
う民族の混血部族が檀君桓因の神話を最終的に古代朝鮮に持ち込んだことを示唆している
【バアル信仰】ユダヤ人とフェニキア人の神【古代都市ウガリット】【ダゴン・エル・アシェラ】https://note.com/ai_auwa/n/n81b67cfe1983

[ウガリット文書]には偉大なオリエントの神バアルが登場し、バアルは雨や嵐、豊穣、多産、繁栄の神であり頭に牛の角をもっている牛頭神です。
アルファベットのAは牛頭をかたどった文字で、[ウガリット文書]にはバアルの他にもアナトやエルなどの主要な神々も登場しています。
また、ラス・シャムラの石碑には右手で矛を打ち振り、左手には稲妻の光の穂を握る姿が描かれています。
[ウガリット文書]の中でのバアルの構造は、父がエルであり、エルは「牡牛エル」ともいわれています。
エルの妻は女神アシェラという神で、数十人の神々を生んだと記されています。女神アシェラは神々の母であり、海の母とも言われています。
そしてバアルの妹であり妻でもあるのがアナトという女神でアナトは若くて美しいと記されています。
ウガリットは海洋民族やヒッタイトによって滅んでいますが、ウガリット滅亡後もこれらの神々は移動をつづけて、ギリシャ神話の中にも姿をとどめています。
文明はつねに神々とともに移動するとも云われ、日本ではスサノオノミコトも別名、牛頭天王といわれており、頭に角のあるバアル神ときわめて似ています。

[フェニキア人と檀君朝鮮]
古代オリエントのもっともすぐれた海洋民族といわれているフェニキアの人たちも、バアル神を主神としていました。
フェニキア人は海洋民族ですが、ヒッタイトやウガリットを滅ぼした海洋民族とは元々は別の民族で、
フェニキア人の方の海洋民族はアルファベットを初めて実用化し、ウガリットの文化や神々を受け継いで広めています。
フェニキアでは、バアルの父エルの別名としてダゴンという神が登場しています。
ダゴンの音写は檀君であり朝鮮半島の歴史書[三国遺事]では檀君は帝釈天桓因のことだとしていますが、
帝釈天というのはヒッタイトやヒンドゥー教のインドラなので、檀君桓因の檀はフェニキア人の神ダゴンで、
桓因の因はインドラのインで同じ神を重複させた名称であることがわかります。
インドラは古代インド固有の神ではなく、ルーツを辿ると元来カッシュ(カッシート)人やミタンニ人などが崇拝していた神であり
紀元前1500年以降にミタンニ・アーリア人がシュメールから主神のインドラ神をガンガ流域に持ち込んだのですが、その持ち込んだ民族の一派に
ナーガ族がいたことが推測できます。
檀君朝鮮といっても、現在の朝鮮半島や満州に自生した民族ではなく、
檀君朝鮮の初期の時代はバビロンやインドにあり、末期には中国大陸内部にあったことが[桓檀古記]や[契丹古伝]などを合わせて読むとわかります。

バアル、エル、アシェラの三神には、別名が多いと言いましたが、これは古代オリエントの各地で祀られたため、その地方独特な呼び名がつけられて残ったものです。

これはまた、三神一体の人気の高さを物語るもので、神々の働きはその土地の特徴や
統治者、神官たちの都合などによって、その都度役目が変わったり合成されたり、性転換されたことも多いようです。




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