日本語の起源 くまら掲示板


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2022/09/06 この掲示板は 鳩摩羅童子(くまらどうじ)のサイト
インド語・カンガルー  【副題】日本語の起源・インド弁検証
の掲示板です。「日本語の起源」全般の意見交換の場としてご利用下さい。
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肌 キ・はだ  月部にくhttps://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/e83278927796182c20171b80999c544b
解字 「月(からだ)+几(キ)」の形声。
意味 はだ(肌)。はだえ。「肌膚キフ」(はだ。皮膚。肌も膚も、はだの意)「肌着はだぎ」「肌理きめ」(①皮膚の表面のこまかいあや②もくめ)「肌合(はだあ)い」
キは幾キにつうじる。「月幾」これで1字(発音キ)は、肌の異体字で、①頬の肉、②はだ(肌)の意がある。
幾は、「こまかい・わずか」のイメージがあり、きめのこまかい体の部分で、はだの意となる。
鳧[鳬] フ・けり  鳥部
解字 金文は「人がかがんでいる形+隹(とり)」で、
水田でかがみこんで作業をしている人のそばで、隹が鳴いているさま。
水田などに棲みついている水鳥の仲間をいう。
篆文は隹⇒鳥になり人の形が勹の変形になった。説文解字注は「今の野鴨なり。
家鴨(アヒル)を舒鳧ジョフ(ゆったりした鳧)という」としている。
楷書は「鳥+几」の鳧になった。この字で几は人の形が変化した字で、几キではない。
発音のフは会意とされる。鳬は省略体の俗字。
意味 (1)のがも(鳧)。かも(鳧)。「舒鳧ジョフ」(アヒル)「鳧翁フオウ」(かもの首に生えた毛)「鳧鴨フオウ」(かもやアヒル。また水鳥の総称) 
(2)人名。「魚鳧ギョフ」(古代の蜀[古蜀]の第3代君主。 (3)[日本]①けり(鳧)。チドリ科の水鳥。湖沼などの水辺にすむ。 
歴代君主の「蚕叢サンソウ・柏灌ハッカン・魚鳧ギョフ」の3代はそれぞれ個別の王朝を構成した部族であり、またそれぞれが
蜀の地で養蚕・農業・漁業を行っていた部族であるとする説がある。)
養蚕…

秦 シン・はた  禾部 https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/31efe471e137807daf556dda4cbdd614
秦 シン <杵で禾をつく>
解字 甲骨文と金文は杵(きね=午)を両手でもち、二つの禾(こくもつ)をうつ形。
篆文と現代字は禾が一つになっている。
いずれも杵で穀物をつく形である。
本来の意味でなく、中国の王朝名や国名、また氏族の名前に使われる。
現代字は上部が「三+人」の形に変化した。
意味 (1)中国の王朝・国名。「秦シンの始皇帝」「秦陵シンリョウ」(秦の始皇帝のみささぎ)「秦火シンカ」(始皇帝の焚書をいう)
(2)はた(秦)。
応神天皇のとき機織りを伝えて渡来した氏族に与えられた名。 (3)地名。「秦嶺シンレイ」(中国中部を東西に走り、黄河と長江の流域を分ける山系)
「秦氏はたうじ」(京都の太秦などを拠点とした渡来系氏族)「
太秦うずまさ」(京都市右京区にある地名。秦氏が住んでいた地。
秦の前に太(おおもと・はじめ)を付けて「うずまさ」とよませた)
イメージ
 「杵でつく」(秦・榛)
 「形声字」(蓁・臻)
臻 シン・いたる  至部 zhēn
解字 「至(いたる)+秦(シン)」の形声。至る意味で音符「秦シン」の形声。
[説文解字]に「至るなり」とある。
意味 (1)いたる(臻る)。およぶ。「臻極シンキョク」(極に至る)「臻至シンシ」(至る)
(2)あつまる。おおい。「臻湊シンソウ」(あつまる)

旗 キ・はた  方部https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/4245c12565d983af4fb24a9074b7b26e
解字 「方𠂉(はた)+其(四角い)」の会意形声。旗から其をとった形は、旗のゆらめくさまを描いた象形。
そこに其(四角い)をつけた旗は四角いはたの意。
旗については「斿ユウ」を参照。https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/9bc43f20ebc42d567f4580555af26f9a
…蝣 ユウ  虫部
解字 「虫(むし)+斿(あそぶ)」の会意形声。空中をあそぶように漂う虫。
意味 「蜉蝣カゲロウ」に使われる字。蜉蝣カゲロウとは、①空中を浮遊するトンボより小さい昆虫。産卵後数時間内で死ぬので、はかないことの例えに引かれる。「蜉蝣カゲロウの命」 
②トンボの古名。

「蜻蛉」は、「カゲロウ」と読みます。そのほか、「トンボ」、「アキツ」、「セイレイ」と読むこともできます。
「カゲロウ」と「トンボ」は全く異なる昆虫ですが、「アキツ」は「トンボ」の古名で、「セイレイ」は「トンボ」の別名です。

トンボの意。
アキツの表記には「秋津」と「蜻蛉」の二通りがある。
記の国生み神話には「大倭豊秋津島(おほやまととよあきづしま)」の称があり、
稲の実り豊かな国土を記紀それぞれが「豊葦原千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのあきのながいほあきのみづほのくに)」「豊葦原千五百秋之瑞穂国(とよあしはらのちいほあきのみづほのくに)」と呼ぶことからも、実りの季節である「秋」を讃美する呼称としての「アキツ」が理解されよう。一方、トンボの意である「蜻蛉」「蜻」は、記紀の雄略天皇条に天皇が吉野の阿岐豆野で狩りをしていた時、一匹のアブが飛んできて天皇の腕に食いついた。そこへ、トンボが飛んできて、このアブをくわえて飛び去り、このことを讃えた天皇はヤマトの国号を「蜻蛉島(あきづしま)」としたことを伝えている。また、紀の神武天皇条に天皇が国見をし、国形を「蜻蛉(あきづ)の臀呫(となめ)の如くにあるかな」といったことから、アキヅシマの称が起こったと伝えている。「臀呫」は、雄雌のトンボが飛びながら交尾する様を指しており、引いてはトンボそのものが国の豊かさの象徴として表現されていると考えられる。双方の伝承は、秋の実りと、害虫を退治し、実りを象徴させるトンボの様がイメージとして重なり合うところに接点をもっており、アキツの語の意義もここにあると考えられる。
「豊葦原千五百秋之瑞穂国(とよあしはらのちいほあきのみづほのくに)」と呼ぶことからも、
実りの季節である「秋」を讃美する呼称としての「アキツ」が理解されよう。
一方、トンボの意である「蜻蛉」「蜻」は、記紀の雄略天皇条に天皇が吉野の阿岐豆野で狩りをしていた時、一匹のアブが飛んできて天皇の腕に食いついた。そこへ、トンボが飛んできて、このアブをくわえて飛び去り、このことを讃えた天皇はヤマトの国号を「蜻蛉島(あきづしま)」としたことを伝えている。また、紀の神武天皇条に天皇が国見をし、国形を「蜻蛉(あきづ)の臀呫(となめ)の如くにあるかな」といったことから、アキヅシマの称が起こったと伝えている。「臀呫」は、雄雌のトンボが飛びながら交尾する様を指しており、引いてはトンボそのものが国の豊かさの象徴として表現されていると考えられる。双方の伝承は、秋の実りと、害虫を退治し、実りを象徴させるトンボの様がイメージとして重なり合うところに接点をもっており、アキツの語の意義もここにあると考えられる。
狩りをしていた時、一匹のアブが飛んできて天皇の腕に食いついた。
そこへ、トンボが飛んできて、このアブをくわえて飛び去り、このことを讃えた
天皇はヤマトの国号を「蜻蛉島(あきづしま)」としたことを伝えている。
また、紀の神武天皇条に天皇が国見をし、国形を「蜻蛉(あきづ)の臀呫(となめ)の如くにあるかな」といったことから、
アキヅシマの称が起こったと伝えている。
「臀呫」は、雄雌のトンボが飛びながら交尾する様を指しており、引いては
トンボそのものが国の豊かさの象徴として表現されていると考えられる。
双方の伝承は、秋の実りと、害虫を退治し、実りを象徴させるトンボの様がイメージとして重なり合うところに接点をもっており、アキツの語の意義もここにあると考えられる。
イメージとして重なり合うところに接点をもっており、アキツの語の意義もここにあると考えられる。

国生み神話で、まず淡路島を産んだイザナギ・イザナミの両神はあまり喜ばず
「ぴったりこない」(あはぢ)と再度挑戦、本州に当たる大日本豊秋津州を産んで「邪麻騰(やまと)」とした。https://dot.asahi.com/articles/-/38973?page=1
…内木綿(うつゆふ)の眞迮(まさ)き國と雖(いへど)も、蜻蛉(あきつ)の臀呫(となめ)の如くにあるかな」とのたまふ。此に由(よ)りて、始めて秋津州(あきつしま)の號(な)有り。
(日本書紀 神武天皇 三十一年四月)
…「トンボの雌雄が交尾の際に連結しているような形だ」と呟いたことから、日本、もしくは本州を「秋津島」と呼ぶようになった、
…先史時代の伝説の「邪馬台国」の「やまたい」も同様です。
『日本書紀』の「日本、此をば邪麻騰(やまと)と云ふ。」に既に答えが書かれていますよね。
「あくつ」の多い土地に数多く生息することから「あきつ」、そして
「やつ」「やんば」「やま」を棲み処とすることから「やんま」、とどちらの名もまた
日本の古名に由来する、と考えれば、二つの名に共通性が生まれます。


秋津 (トンボ) トンボ(蜻蛉)…「律」と「令」 荊の紀氏 投稿日: 2024年04月05日 20:39:27 No.996 【返信】

律は恒常的な法律で、令は君主がその都度下す命令である。 https://ja.wikipedia.org/wiki/律令#:~:text=律は恒常的な法律で、令は君主がその都度下す命令である。 律は法律と同義で、法律を二分野にまとめる思想はなかった 。,中国では刑法にあたる部分が先に発展し、 春秋戦国時代 には各国で盛んに刑律が作られた 。
…秦・漢においては、令=詔(『史記』秦始皇本紀)であり、“令”は皇帝の命令(詔)を指し、“律”は個々の詔(令)の文中に盛り込まれた規範的部分のみを指したとする説もある[8]。

律令制度は、中国で「秦(しん)」の時代に始まったとされ、
「隋(ずい)」や「唐(とう)」の時代には、国を統治する仕組みとして機能するまでに発展します。https://hugkum.sho.jp/261967
秦(しん・はた?)

· 外宮の神官・渡会氏の祖も秦氏である。https://tokyox.sakura.ne.jp/wordpress/伊雑宮、磯部/
…持統天皇がこの話を聞いて、この地に行幸数日にわたり御輿を止め、新たに勅賜門を建立した。その跡は現存している。
毎年元朝より7日まではこの門が開くので、多くの庶民は参詣して神池の霊水を戴いて太子を拝する。
(持統天皇6年の伊勢行幸)

大正12年…
伊雑宮から200m北の千田寺跡から、三種の神器が入った石棺が発掘された。
石棺には勾玉、矛、2面の鏡が入っていた。そう語り継がれてきた。
当時「これは倭姫の遺跡か」と大騒ぎになったが、すぐさま官憲がやって来て持ち去ったと。
『志摩磯部 千田寺勅賜門再建勧進帳』…https://tokyox.sakura.ne.jp/wordpress/伊雑宮、磯部/
…倭姫一行を「奉迎して」伊雑宮を創建したとされるのは、先住首長・伊佐波登美命(いざわとみのみこと)。
登美とは富族のこと。富族が崇めたのは龍蛇神である。
…倭姫命が伊勢国に入ったとき、案内をした大若子命の別名は、大幡主命。
外宮の神官・渡会氏の祖も秦氏である。 

持統天皇は694年、耳成山・畝傍山・天香具山の「大和三山」が形作る三角形の真ん中に藤原宮を営んだ。
「律」とは刑法の規定であり、「令」とは官制や行政法などを定めたものだ。https://www.pref.nara.jp/miryoku/aruku/kikimanyo/column/c02/index.html


旗を横から見たとき… 荊の紀氏 投稿日: 2024年04月05日 20:38:40 No.995 【返信】

[ 目的] 旗を横から見たときに、旗がはためく領域が実際に存在するのかを調べる。
旗のはためく領域と旗の横の長さによる領域の変化 https://cms1.ishikawa-c.ed.jp/nanaoh/cabinets/cabinet_files/download/158/d9c5edecdf49dbd2c5e3c8caad7f59cc?frame_id=202
…旗のはためく領域は存在する。

領域…
畑 <国字> はた・はたけ  田部
解字 「火(ひ)+田(耕作地)」の会意。焼畑のこと。
草地や林地を焼いて、その焼跡に種をまいて穀類などを収穫する田地。
のち、水田に対して水をはっていない耕地をいう。
意味 (1)はた(畑)。はたけ(畑)。水田に対し水をはっていない耕地。野菜・穀物・果樹などを栽培する。「畑作はたさく」
(2)専門の領域。「医学畑いがくばたけ」

楚簡(秦)は、人⇒勹に近くなり、篆文は人が田を取り巻くような形になり、
[説文解字]は「天子五百里の地なり」とする。
現代字は甸となり、意味は篆文の天子直属の都周辺の土地。
そのほか畋デンに通じ、狩りの意がある。https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/08d0b0a4e21ba705e8faea33658d6fb5
解字 金文は「人(ひと)+田(耕作地)」で、[字通]は「田の傍らに人をそえた形で田野を司る人の意であろう。
「周礼」の甸師デンシ(王の籍田を掌する官名)にあたる」とする。
畋 デン・かり  攵部
解字 甲骨文字は「攴ボク(棒などを手に持つ形)+田(耕作地)」の会意形声。
この田は収穫の終わった耕作地の意味で、そこに出没する動物を手に棒などをもち狩をする形。
狩猟をする意味を表す。
[説文解字]は「田を平らかにするなり」と解釈したため、田を作る意味がある。
意味 (1)かり(畋り)。かる(畋る)。狩をすること。「畋遊デンユウ」(狩りをして遊ぶ)「畋漁デンギョ」(狩猟と魚とり)「畋狩デンシュ」(かり。畋も狩も、かりの意)
(2)たつくる。「畋食デンショク」(耕し食う)
かる(畋る)…

畋・田・甸・佃dyenは同声。https://kotobank.jp/word/畋(漢字)-2789341
農耕と狩猟とは、もと相近い行為とされ、田・畋はともにその両義に用いる
攵…
「攴(攵)ボク」<たたく・うつ> と「牧ボク」「枚マイ」https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/ff115539d8daa9e995ad8516e79ba05d
…牧ボクの場合はムチであり、枚マイの場合はオノである。
ところで、攵の音符としてここに収録した枚と牧は、左辺の木・牛がどちらも部首となる字で、枚は木へん、牧は牛へん。部首以外の共通点は「攵」。
部首以外の共通点は「攵」。

工具
工具の形の象形。甲骨文はノミの形とされる。上が柄、下が刃先となる。いずれも工作のことを表わす字である。
工は部首になるとともに音符にもなる。工を音符に含む字は、「工具」のほか、「つらぬく」イメージを持つ。
攻 コウ・せめる  攵部 https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/87934ae2a5e011abb32739eaade73fb6
解字 「攵ボク(打つ)+工(工具)」の会意形声。攵ボクは棒を手にもつ形で、打つ意。
それに工をつけた攻は、工具を打ちつけて加工すること。
加工する作業が原義。軍事に使われるとき、城壁などを打ち壊して攻める意となり、また広くものを学び究める意ともなる。
意味 (1)つくる。なおす。みがく。「攻玉コウギョク」(玉をみがく) 
   (2)せめる(攻める)。「攻撃コウゲキ」「攻略コウリャク」(攻めて奪い取る)「難攻不落ナンコウフラク」 
   (3)おさめる。学ぶ。「専攻センコウ」(専門的に学ぶ)

「午ゴ」<うま> と 「杵ショ」「許キョ」「滸コ」https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/458801e945ede4eaa4f5f577211d4d99
解字 甲骨文字と金文は臼に入れた穀物をつく棒状のきねの象形。
杵(きね)の原字。甲骨文字で3種類、金文で大きく2種類に分かれる。
字形の出典は、ネットの「漢典」と「漢字古今字資料庫」である。
秦シン・舂ショウは穀物をつく形の字であるが、この甲骨文・金文も「きね」に同じ字形を用いている。
字形は篆文(説文解字)で統一形になり、隷書(漢代)での変化をへて午になった。
また、きね形の木器は願い事を祈る対象物としても用いられた。
しかし、午は甲骨文字の段階から十二支の7番目の午(うま)に仮借カシャ(当て字)された。
「きね」の意味は音符に残る。
また、きね形は下の関連音符・御ギョの甲骨・金文でわかるように信仰対象物になっているので、「きね形の信仰対象物」のイメージもある。


「きね形の信仰対象物」… 荊の紀氏 投稿日: 2024年04月05日 20:38:17 No.994 【返信】

…十二支(「暮らし歳時記 十二支と方位」より)
意味 うま(午)。十二支の第7番目。 動物では馬。方位は南、時刻は昼の12時前後。
「丙午ひのえうま」(五行説で丙は火の兄、午は南なので、この年には火災が多いとする。
またこの年生れの女を嫌う迷信がある)「午前ゴゼン」「正午ショウゴ」「午後ゴゴ」「午睡ゴスイ」(昼寝)

現在のペガスス座付近には、軍隊の糧食をつかさどる「臼」と「杵」の2星座。https://www.tenkyo.net/kaiho/pdf/2009_07/2009-07-01.pdf
…北極星(当時はこぐま座の β 星だった)を天 帝つまり天の皇帝とし、そこから皇族、官僚、 軍隊、庶民…といった星座が配列され、
天の 北極から遠ざかるほど庶民的な星座になりま す(図 1)。一例を挙げると、「帝」のそばには、「太子」「后宮」が配置されています。
また、
現在のペガスス座付近には、軍隊の糧食をつかさどる「臼」と「杵」の 2 星座。
さらに南に目を移して現在のうさぎ座付近を見ると、トイレの星座「厠」と、トイレのついたての星座「屏」があるといった具合です(図 2)。


「厠」…(縦横に交わり合っていること)… 荊の紀氏 投稿日: 2024年04月05日 20:37:15 No.993 【返信】

廁[厠] シ・かわや  广部 cèhttps://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/54b20b5f66dffb93d719b344e39f7a4b
解字 「广(やね)+則(かたわら)」の会意。母屋のそばに作られる屋根のあるトイレ。厠は異体字。
意味 (1)かわや(廁)。日本語の「かわや」は、川屋(かわや)で、川の上に掛けて作った屋で、大小便をするところ。便所。俗字の「厠」もよく使われる。
「廁神かわやがみ」「廁中シチュウ」(かわやの中)「廁溷シコン」(廁も溷も便所の意) 
(2)(廁は家の外にあり共用なので人が集まるから)まじる(廁る)。まじわる。まじえる。
「雑廁ザッシ」(いりまじる)「雑廁間錯 ザッシケンザク」(縦横に交わり合っていること)

則 ソク・のり・のっとる  刂部 
解字 金文第一字は「鼎(かなえ)+鼎(かなえ)+刂(刀)」の会意。鼎は溶かした青銅を鋳型に流し込んで作る。
鼎二つは土の模範型と出来上がった鼎を表している。模範型は粘土で作り、出来上がると鋳物砂をいれた型枠にいれて外側の型をとる(足や持ち手は分離し型をとる)。
次に模範型を刀で全体的に薄く削って鋳物を流し込むスペースを生み出し内側の型をとる。この二つが出来上がると、鋳物砂をいれた型枠のなかで外型と内型を組み合わせて組み立て、
鋳物を流し込み固まったら型枠をはずし砂を取り除くと鼎が完成する。
金文の意味は、「のっとる」や「すなわち」の意味で使われており、模範型に「のっとり」作業し、鋳型に流し込むと「すなわち」鼎ができあがる意と思われる。
金文第二字は鼎(かなえ)が一つになり、篆文から鼎が貝に変化した則となった。鼎が貝に変化する字に、貞テイ・員イン・賊ゾクなどがある。
鼎が貝に変化する字に、貞テイ・員イン・賊ゾクなどがある。
 鼎は祖先や神々を祀る祭祀で用いられることから春秋時代には[詩経・大雅]が「識ら不(ず)知ら不(ず)帝の則ソクに順(したが)ふ」
(識らず知らずのうちに天帝の(法)則に従う)と、のり(則)。きまり(法則)の意味に用いており、現在に通じる意味が成立した。
意味 (1)のっとる(則る)。手本とする。「則天去私ソクテンキョシ」(天にのっとり私心を捨てる。我執を捨てて自然に身をゆだねる) (2)すなわち(則ち)。接続の助字。「否則ヒソク」[否(しか)らずんば則(すなわ)ち] (3)のり(則)。きまり。道理。「規則キソク」「法則ホウソク」
「則天去私ソクテンキョシ」(天にのっとり私心を捨てる。我執を捨てて自然に身をゆだねる)
(2)すなわち(則ち)。接続の助字。「否則ヒソク」[否(しか)らずんば則(すなわ)ち]

イメージ 
 「きまり・基準」(則・測・惻)
  模様は鼎の側面にあることから、「かたわら」(側・廁)
…きまり・基準
測 ソク・はかる  氵部 cè
解字 「氵(水)+則(基準)」の会意形声。一定の基準(ものさし)を用いて水の深さをはかること。
意味 (1)はかる(測る)。長さ・広さ・深さを測る。「測定ソクテイ」「計測ケイソク」「測量ソクリョウ」 
(2)おしはかる。「臆測オクソク」「推測スイソク」

オリオン座の主要部分は中国星座では「参」…参[參] サン・シン・まいる  ム部https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/489450704ba013e5ab07530b3b83e43e
…星座の参宿サンシュク(からすきぼし)の意味が加わった。
意味 (1)まいる(参る)。目上の人の所へゆく。宮中などへ行く。「参内サンダイ」「見参ケンザン」 
(2)神仏を祭る寺社などに詣でる。「参詣サンケイ」「参拝サンパイ」 
(3)加わる。集まる。「参加サンカ」「参集サンシュウ」 
(4)くらべる。しらべる。「参考サンコウ」「参照サンショウ」
(5)ふぞろいのさま。「参差シンサ」(いりまじる。ふぞろい。ちぐはぐ) 
(6)星座の名前。「参宿サンシュク」(からすきぼし)
(7)「三」の代用字。「参万円」 
(8)人蔘ニンジンの代用字。「人参ニンジン」 
イメージ 
 「まいる・くわわる」(参・驂)


からすき… 荊の紀氏 投稿日: 2024年04月05日 20:36:29 No.992 【返信】

鋤(すき)…
禹は王であるにもかかわらず、鋤(すき)を持ちhttps://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no40/
…世界の屋根といわれるチベットの標高4300m付近から湧き出た水を源流とし、渤海へ注ぐ全長約5464kmの黄河。
中国では揚子江に次いで2番目に長く、世界では7番目の長さである。中国で「河」と書いたときは黄河を指す。
黄河の下流域は中原と呼ばれ、黄河文明発祥の地であり、過去に歴代王朝の都が置かれてきた。禹の興した夏王朝も、まさにここにある。黄河は上・中流で黄土高原を通り、多くの支流が流入するため大量の黄土を流送。年間16億tといわれる土砂の堆積により、下流部は天井川となるため古来より氾濫を繰り返し、大きく流路を変えてきた。
黄河は上・中流で黄土高原を通り、多くの支流が流入するため大量の黄土を流送。
年間16億tといわれる土砂の堆積により、下流部は天井川となるため古来より氾濫を繰り返し、大きく流路を変えてきた。

「測天量地」https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1255513662
『天を測りて地を量る』天とは北辰、すなわち北極星を指します。
…禹は治水方法を考案するために全国を歩き回り、測量しながら、未開の地に道を開き、開墾して豊かで広大な国家を造ったことから禹域(ういき)とか、禹歩(うほ)という言葉も残っています。
北極星…

南の空にはオリオン座. 北極星がわかったということは、北の方角がわかったということ。https://benesse.jp/kyouiku/201412/20141205-4.html
冬の星座は南の空に浮かぶものが多いので、そのまま北極星とは反対側、つまり南の空を見上げてください。すると、長方形の中に3つの星が並んでいるオリオン座が目立っているでしょう。長方形の頂点の1つで、赤く輝くのがベテルギウスです。
すると、長方形の中に3つの星が並んでいるオリオン座が目立っているでしょう。長方形の頂点の1つで、赤く輝くのがベテルギウスです。
長方形の頂点の1つで、赤く輝くのがベテルギウスです。
ベテルギウスが見つかったら、今度はオリオン座の3つ星を結んで左下(南東)に伸ばすと、ひときわ明るいおおいぬ座のシリウスが青白い光を放っています。
そして、ベテルギウスの左(東)に輝くこいぬ座の白いプロキオンを結べば、冬の大三角の完成です


北極星に近い領域は、天帝が居る宮廷である「紫微垣」… 荊の紀氏 投稿日: 2024年04月05日 20:35:44 No.991 【返信】

この第 2 グループの星座群が成立したのは、二十八宿より少し遅く、紀元前 5~4 世紀頃だとされています。
….恒星の位置
中国天文学でも、暦作りや天文占いのために天体の位置観測が行なわれていて、天体の位置は「入宿度」と「去極度」という二つの値で表されました。
まず、経度を表すのが「入宿度」で、二十八宿の各星座の中で経度基準となる 1 つの星を選び、それを「距星」と呼びます。
そして、距星とその星宿内の目標天体との赤経差を求めて、天球上の経度としました。
また、緯度を表すのが「去極度」で、天の北極から目標天体までの角距離(時圏に沿って測るので、(90°-赤緯)に相当する)で表現しました。
沿って測るので、(90°-赤緯)に相当する)で表現しました。
つまり、中国では赤道座標系を用いていたわけで、古代の西洋で黄道座標が使われていたのとは異なっていました。
この座標系は長らく使われてきましたが、明朝末期になると、宣教師たちが伝えた西洋の黄道座標系や赤道座標系が用いられるようになります。
…中国星座では、北極星に近い領域は、天帝が居る宮廷である「紫微垣」、
天帝が政務を執る「太微垣」、
天帝の直轄地である「天市垣」という 3 つの領域(三垣という)からなります。
春海はこれらの領域に、律令制で設けられた中務、式部、治部、民部、兵部、刑部、大蔵、宮内という八つの省(総称して八省と呼んだ)の星座を作っています。
図 5 は、現在のオリオン座~うさぎ座あたりの様子です。
オリオン座の主要部分は中国星座では「参」、
小三ツ星は中国星座の「伐」に相当します。
この小三ツ星のすぐ下にあるのが、春海の作った「大宰府」座です。
大宰府は律令制により置かれた地方官庁で、その近くに下に作られた「小弐」という星座は、大宰府に勤める次官の名称です。
近くに下に作られた「小弐」という星座は、大宰府に勤める次官の名称です。
ちなみにこの星図には見られませんが、いっかくじゅう座のあたりに大宰府の長官である「大弐」も作られています。
…日本では古代から、中国の天文体系と暦学体系をそのまま採用し、全く手を加えていませんでした。
しかし、暦学においては、中国と日本では経度差があるため、天体現象が起こる時刻(地方時)に違いが見られます。
また、天文占いも、中国の社会制度や文化、歴史に基づいた占いをそのまま使うと自分たちに合わない不自然な結果が生じてきます。
そこで、渋川春海は、独自の暦法や星座を作ることにより、日本に合った体系を整備したかったのです。

杵…
 秦 シン <杵で禾をつく>https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/31efe471e137807daf556dda4cbdd614
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 「杵でつく」(秦・榛)https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/31efe471e137807daf556dda4cbdd614
解字 甲骨文と金文は杵(きね=午)を両手でもち、二つの禾(こくもつ)をうつ形。
篆文と現代字は禾が一つになっている。いずれも杵で穀物をつく形である。
本来の意味でなく、中国の王朝名や国名、また氏族の名前に使われる。
現代字は上部が「三+人」の形に変化した。
意味 (1)中国の王朝・国名。「秦シンの始皇帝」「秦陵シンリョウ」(秦の始皇帝のみささぎ)「秦火シンカ」(始皇帝の焚書をいう)
(2)はた(秦)。応神天皇のとき機織りを伝えて渡来した氏族に与えられた名。
「秦氏はたうじ」(京都の太秦などを拠点とした渡来系氏族)「太秦うずまさ」(京都市右京区にある地名。秦氏が住んでいた地。
秦の前に太(おおもと・はじめ)を付けて「うずまさ」とよませた)
(3)地名。
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 「杵でつく」(秦・榛)

>「秦嶺シンレイ」(中国中部を東西に走り、黄河と長江の流域を分ける山系)
 域を分ける…

割カツ・わる…
かる… 測る…(刂+禾の会意)…秦(はた)…
刂…刂の名称である「りっとう」とは立刀リットウの意味で、刀が立つこと。https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/846daa1daffd259e424a51f988e634fa
…制セイは篆文で「未+刀」、未(木の枝葉)を刀で切りそろえる形。
篆文で刀は元のかたちが使われているが、隷書レイショ(漢代の役人が主に使用した文字)の
第1字は刀が90度回転し、ヒが反転したかたちとなり、
第2字では反転したヒの横線が分離を始め、現代の楷書にいたり、分離した横線および残りの部分とも、タテの線に変化した。
…刈ガイ・かる( 刂+音符「乂ガイ」)
 割カツ・わる(刂+音符「害ガイ」)
…刺シ・さす(刂+音符「朿シ」)
…別ベツ・わかれる(刂を含む会意)
…利リ(刂+禾の会意)…秦(はた)
 列レツ・つらなる(刂+歹の会意)

はかる…測量?
則…>(2)おしはかる。「臆測オクソク」「推測スイソク」…

几 キ  几部つくえ   https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/e83278927796182c20171b80999c544b
鳧[鳬] フ・けり  鳥部
解字 金文は「人がかがんでいる形+隹(とり)」で、水田でかがみこんで作業をしている人のそばで、隹が鳴いているさま。
水田などに棲みついている水鳥の仲間をいう。
篆文は隹⇒鳥になり人の形が勹の変形になった。説文解字注は「今の野鴨なり。家鴨(アヒル)を舒鳧ジョフ(ゆったりした鳧)という」としている。楷書は「鳥+几」の鳧になった。この字で几は人の形が変化した字で、几キではない。発音のフは会意とされる。鳬は省略体の俗字。
家鴨(アヒル)を舒鳧ジョフ(ゆったりした鳧)という」としている。楷書は「鳥+几」の鳧になった。この字で几は人の形が変化した字で、几キではない。発音のフは会意とされる。鳬は省略体の俗字。
楷書は「鳥+几」の鳧になった。この字で几は人の形が変化した字で、几キではない。発音のフは会意とされる。鳬は省略体の俗字。
この字で几は人の形が変化した字で、几キではない。発音のフは会意とされる。鳬は省略体の俗字。
発音のフは会意とされる。鳬は省略体の俗字。
意味 (1)のがも(鳧)。かも(鳧)。「舒鳧ジョフ」(アヒル)「鳧翁フオウ」(かもの首に生えた毛)「鳧鴨フオウ」(かもやアヒル。また水鳥の総称) 
(2)人名。「魚鳧ギョフ」(古代の蜀[古蜀]の第3代君主。歴代君主の「蚕叢サンソウ・柏灌ハッカン・魚鳧ギョフ」の3代はそれぞれ個別の王朝を構成した部族であり、またそれぞれが蜀の地で養蚕・農業・漁業を行っていた部族であるとする説がある。) 
3代はそれぞれ個別の王朝を構成した部族であり、またそれぞれが
蜀の地で養蚕・農業・漁業を行っていた部族であるとする説がある。)
肌 キ・はだ  月部にく
解字 「月(からだ)+几(キ)」の形声。
キは幾キにつうじる。
「月幾」これで1字(発音キ)は、肌の異体字で、①頬の肉、②はだ(肌)の意がある。


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