80s岩手県のバス”その頃”掲示板


| トップに戻る | 検索 | アルバム | 管理用 | ▼掲示板作るならRara掲示板 |

お名前
メール
タイトル
URL
画像添付
削除キー ( 記事を削除する際に使用 )
文字色

更新後記(2023.7.10) 管理人 投稿日: 2023年07月10日 20:55:21 No.406 【Home】 【返信】

暑くなってきました。

湘南スタイルの車両の大きな流れとしては、昭和20年代に誕生し、昭和30年代には私鉄では作り続けられ、昭和40年代に安定期を挟んで、昭和50年代には次々と姿を消してゆきました。
都会で役目を終えた私鉄の湘南スタイルは、昭和60年代には地方私鉄に流れ、一時期には各地の地方私鉄で湘南スタイルに出会うことができました。
ここでは、本文には掲載しなかった地方私鉄で活躍する湘南スタイルです。
大井川鉄道では、西武時代よりもよく似合う塗り分けが施されました。
上田交通と松本電鉄は、当時流行していた斜めラインの塗り分けが施され、モスグリーン1色だった東急時代からは、見違える姿になりました。
地方での第2の人生を送る湘南形も、それはそれで魅力的だった昭和末期~平成初期の光景です。


sakaisuji66613 投稿日: 2023年07月11日 22:29:39 No.407 【Home】
こんばんは。
こちらは東武日光軌道線の車両とよく似たスタイルを持つ横浜市電1500形の画像になります。
2枚とも横浜市電保存館に保存されている1510号車ですが1枚目が改装前の2010年2月12日に撮影した晩年の警戒色の物、2枚目が改装後の2016年2月6日に撮影したコーヒーブラウン色(同型車である1150形の最終製造車に塗られていた塗装を再現した物)の物です。
果たして何点になるのでしょうか?


管理人 投稿日: 2023年07月12日 21:43:28 No.408 【Home】
横浜市電1500形は、2枚窓=2点、全体傾斜=1点、丸妻=1点、おでこ=0点、塗分け=0点、合計4点になりますね。
一見は似ていても、日光軌道線の7点とは3点差がついてしまいます。

実は私もその兄弟車である1150形が保存されている横浜市の公園に行ってきました。
湘南もどきの路面電車は、それなりの数が保存されていますね。




『流用』もあと僅か 釧オロ 投稿日: 2023年07月02日 11:23:35 No.398 【返信】

管理人様、こんにちは

昨日、苫小牧駅前にて撮影した『旧苫小牧市営バス(苫小牧市交通部)』カラーの道南バスです

未だに苫小牧市営バス引き継ぎの個体も姿を現しますが、代替が進んだり道南バスカラーに更新されたり、旧カラーを維持していても『継ぎ接ぎだらけ』だったり部分ラッピングを施されたり…と、比較的綺麗な状態を維持しているクルマは数少ないと思われます

ちなみにこちらは、苫小牧市営バス末期に川崎市営からお輿入れした個体になり、錦西営業所(旧苫小牧市営バスから土地や車庫事務所建屋を引き継いだ運行拠点)で現在も活躍中です

もしよろしければ、『流用』のカテゴリーでご笑納ください


管理人 投稿日: 2023年07月02日 17:34:05 No.401 【Home】
釧オロさん、こんばんは。
画像ありがとうございます。

実は、私も先月北海道を訪問し、苫小牧を通ったので、市営バスカラーの道南バスを撮影してきてしまいました。
私の方は、同じ元川崎市営でも、固定窓(アウターガラスと呼ばれるもの)の車両が営業所のいい場所にいたので、撮影しちゃいました。(そのうち本文の方に載せますので、ここでは違う写真を)
富士重工のほかにも、キュービックボディなど、車体の痛みは目立ちますが、元気に走っていました。
ここでは、営業所にいた前ドアの道南バスカラー。脇には、整備を待つ中古車が待機していました。市営バスカラーは、これらが就役すると、数を減らしていくんでしょうね。

その後に、バスを使った焼き鳥屋さん「鳥政」にも寄りましたが、消えゆく市営バスカラーに塗り替えられていました。
このお店は幣サイトに既に掲載済みですが、2018年に撮影した時は、赤に白帯の殖民軌道カラーでした。


左党89号 投稿日: 2023年07月07日 03:25:23 No.404 【Home】
道南バス絡みで
写真は花巻市と紫波町の貸切事業者「ファミリー観光」で先ごろ導入された車両ですが、道南バスからの移籍車でした。(2023-7-1 盛岡駅西口)
たまたま、移籍直後の姿を紫波にある車庫の近くを通ったときに目にしたことから確定したのですが、窓から上のカラーリングに道南時代の姿を保っていました。

参考までに同社の通常のカラーリングの写真も添付します。(2007-1-14 新花巻駅)


管理人 投稿日: 2023年07月07日 21:52:04 No.405 【Home】
こんばんは。
屋根の塗り替えはお金がかかるので、そのままで違和感がなければ、塗り替えないのも手ですね。
ファミリー観光の場合は、太いラインが緑色なので、余計違和感がないのかも知れません。
ただ、側面のラインの色と、前面のラインの色との関連性がよく分からない配色ですね。


地元は西武でしたが。 のむ 投稿日: 2023年07月01日 16:13:01 No.394 【返信】

東武の湘南型。
京王帝都電鉄の湘南型。
後で出てくるのでしょうが。
西武の湘南型に慣れていた私はのちに本物の湘南型であるクモユニ81の運転席の広さに衝撃を受けたのでした。


更新後記(2023.7.1) 管理人 投稿日: 2023年07月01日 18:11:17 No.395 【Home】
こんばんは。ちょうどいいので、ここで更新後記を相乗りさせていただきます。
1980年前後に撮影した関東私鉄の湘南形電車です。
この時期、ちょうど湘南スタイルで作られた電車も、だいぶ古くなってきて不遇な立場に追いやられていました。
京王2010系は高尾線の区間運転、西武351形は多摩湖線で使用中です。小田急2200系はこの顔の電車は中間に閉ざされていましたが、この時なぜか先頭に出ていたので、慌てて撮影しました。
もっとも、この後、これらが地方私鉄に譲渡され、しばらくの間、地方私鉄で湘南スタイルが溢れかえる結果となります。


sakaisuji66613 投稿日: 2023年07月02日 16:34:42 No.399 【Home】
こちらは2014年の北陸遠征の際に内灘駅で撮影した北陸鉄道浅野川線8000系の画像となります。
この画像の2編成は京王3000系の初期に製造されたグループで、
車体幅が狭く扉も片開きとなっています。
現在、同線には元東京メトロ日比谷線の03系が導入されており、
来年までにこの8000系は全廃されることになっています。
あと、2011年に仏生山駅と高松築港駅で撮影されたことでん1070形と1080形の画像も添付しておきます。
こちらは元京急600形と1000形の初期車で登場当初は両者とも湘南スタイルだったのですが、前者はことでん入線時に、後者も京急時代に貫通型に改造された経歴を持っています。


管理人 投稿日: 2023年07月02日 17:47:44 No.402 【Home】
各地に譲渡された井の頭線の京王3000系も、姿を消し始めてしまいましたね。
今回の納涼企画を考え始めた3月に、上毛電鉄に行ってみました。
復刻カラーということか、いろんな色がとっかえ引き換えやってきます。私の好みは、井の頭線で見慣れた薄色のカラーなのですが、濃い赤や山吹色もあり、薄色の並びはなかなか撮れません。
井の頭線の中古車は、色んなパターンの復刻カラーができるので、見ていて楽しいですね。

この上毛電鉄も、代替車両の導入が発表されているので、こんな並びも、そう長く見られるわけではないようです。




おまけですが のむ 投稿日: 2023年07月01日 21:14:21 No.397 【返信】

元祖湘南電車の単色塗り、大糸線。
京急の湘南型、羽田線で京急最後の釣り掛け車460型。
長電で見たアレンジ仕様。
いずれも80年代前半です。




宴会場の日野レインボーRJ sakaisuji66613 投稿日: 2023年06月30日 12:49:55 No.392 【Home】 【返信】

こちらは自分が高校時代の2003年に移動教室で西伊豆の土肥に行った時に帰りのバスの車内から撮影した宴会場として使用されていた日野レインボーRJの画像になります。
設置場所は沼津市内の第2新井ビル付近で元事業者は不明。
現存しているかどうかは定かではありません。
あと、沼津つながりで自分が好きなラブライブ!サンシャイン!!のラッピングを施した伊豆箱根バスのいすゞエルガミオの画像(昨年12月に西武園ゆうえんちの駐車場で行われた西武バス90周年大感謝祭で撮影)も添付しておきます。


管理人 投稿日: 2023年06月30日 22:13:57 No.393 【Home】
宴会場のバスというのは面白いなと思い、ストリートビューで現地を見てみましたが、影も形もありませんでした。
日野RJの初期タイプですが、方向幕周りがHTなど大型バスと同じような形に改造されているように見えます。現役時代の改造だと西東京バスを思い浮かべます。


小田急バスの安全運転訓練車 sakaisuji66613 投稿日: 2023年06月09日 19:17:33 No.369 【Home】 【返信】

こんばんは。
こちらは2014年に横浜の赤レンガ倉庫で行われたバス利用感謝デーで撮影した小田急バスの安全運転訓練車として使われているいすゞエルガの画像になります。
(人物部分はモザイク処理済み)
営業車との区別のために創業当時の塗装を施しており、
同じ塗装の日野リエッセもいます。
この塗装は2010年の創業60周年の時にも施されていましたが、
この時のデザインとは細部が微妙に異なります。
ちなみに運転訓練車に旧デザインを施した事例は同社の他にも箱根登山バスと東武バスにも存在します。
あと、先日掲載していただいた青梅鉄道公園にある100系の遊具の撮影日ですが、
2008年5月5日ではなく5月6日でした。
訂正をお願いします。


管理人 投稿日: 2023年06月10日 19:28:06 No.370 【Home】
こんばんは。
確か、営業車での復刻カラーの時は、犬のマークも復刻されていましたね。
裾の白いラインも異なるようですが、こちらは、元カラーではどうなっていたんでしょうね。ボンネットバスの時代では、ここにサイドバンパーがあったから白い線に見えたんじゃないかという気もします。
小田急バスの創業時カラーの裾の白線について sakaisuji66613 投稿日: 2023年06月14日 18:17:29 No.375 【Home】
小田急バスの創業時カラーの裾部の白い部分ですが、
2010年の同社創業60周年を記念して発売されたバスコレのボンネットバスで分かる通り、
やはりサイドバンパーだったようです。
ピンボケ画像でスミマセン。


管理人 投稿日: 2023年06月19日 18:27:20 No.389 【Home】
sakaisuji66613さん、こんばんは。
こちらの画像も、モザイクのない物を頂けますか?
顔の映り込みが気になるようでしたら、掲示板メニューページの3番に記載したメールへお送りいただく方法でも構いません。
なお、画像のサイズも、もし縮小加工しているようであれば、元サイズの画像を頂ければ幸いです。
sakaisuji66613 投稿日: 2023年06月19日 18:49:06 No.390 【Home】
はい、こちらがモザイクなしの画像となります。
ついでに臨港バスの方も添付しておきます。


管理人 投稿日: 2023年06月19日 21:52:25 No.391 【Home】
お手数をお掛けしました。
ありがとうございます。


想い出の花巻バスセンター 花巻っこ 投稿日: 2023年06月08日 22:20:55 No.368 【返信】

はじめてメッセージを投稿させていただきます。
こちらのサイトは中学生の頃(約15年前)からお世話になっており、大好きな岩手県交通の昔の事を知ることができ、いつも楽しく拝見させていただいております。

中学生だった当時、花巻バスセンターの痕跡を探す際、『末広町にあったこと』『過去に撮られた写真』などから花巻バスセンターを探して、バスの背景の建物などから、場所を特定できた時は、大変嬉しかったものです。その後、このサイト内で花巻バスセンターの考察ページができた時は目を輝かせて読ませていただきました。

今は仕事で花巻を離れており、先日久しぶりに帰省したさい、久しぶりにバスセンターを訪れました。
そしたら、以前は3つあった家屋の内、真ん中の家が取り壊されなくなってました。また、両どなりの家屋も右側は料亭として現在も営業されている様でしたが、相当、古い建物の様でした。

形あるものはいつかは無くなってしまうので、いつかは花巻バスセンターの痕跡が無くなってしまうかもしれません。これからも、バスセンターに限らず痕跡が残っているうちに色々な場所たくさん訪問したいものです。

長文失礼いたしました。


管理人 投稿日: 2023年06月10日 19:35:38 No.371 【Home】
花巻っこさん、はじめまして。
15年前からですか。ありがとうございます。
長くやっていると、皆さんがどんどんと成長したり、年取ったりしていくので、そういうことでも時代の変化を感じることができます。もちろん私自身も年取ってしまうのですが。

花巻バスセンター、隣りの家屋が当時の面影をとどめていることで、場所の特定ができたので、残った家屋が取り壊されないのを祈るばかりです。
料亭として営業中の右側の建物は、大きな木で隠れているところにあるということで、よろしいでしょうか?
花巻っこ 投稿日: 2023年06月11日 21:41:43 No.372
管理人さま。こんばんは。
メッセージありがとうございます。うしろの家屋の件ですが、その通りです。木に隠れて、天ぷら屋(料亭)さんがあります。今は便利な時代ですね。Googleマップに情報が載ってて、美味しいお酒を呑みながら、揚げたての天ぷら(地元の山菜など)が食べれるお店だそうです。今度、帰った時に行きたくなってしまいました(笑)

私個人の見解ですが、『末広町』は花巻の路線バスにとって、とても欠かす事のできない場所(交通の要所)だった様に感じます。それは、駅から出たバスは石鳥谷・花巻温泉方面に向かう(この路線も末広町を通ってから花巻駅へきます)以外は、必ず末広町を通らなくてはならないからです(道が無いから)。私が中学生の頃は末広町には4ヶ所もバス停があり『末広町①』『末広町②』等と書かれており、興味深かったのを覚えています。
↑さながら道路から出発する盛岡バスセンターみたいな雰囲気ですよね(笑)

今は、新しい道が出来たのを機に花巻市役所前経由ができました。また、バスセンター跡地の正面にあった岩手銀行かじ町支店は取り壊され、置かれていたバス停もなくなりました。末広町を通るバスは徐々に数を減らしています。

この様な状況にとてもびっくりして、メッセージを投稿させていただきました。これからも機会があればメッセージの投稿をさせていただきたいと思いますのでよろしくお願いします。

1枚目は末広町交差点を花巻駅へと左折する路線バス。2枚目は無くなった岩手銀行かじ町支店。3枚目は新しい経由地となりつつある花巻市役所前です。


とまります 投稿日: 2023年06月13日 20:21:14 No.373
以前花巻バスセンターについてあれこれ書き込んだ者です。40年近く前のことなので忘れないうちにと思って書き込んだのですが、
細部になると正直自信がありません。重複するかもしれませんがもう1度書き込んでみます。

坂道に面していたので階段を3段登って中に入ると、右手に売店があって「噴水ジュース」がありました(1杯30円だったか50円だったと思います)。
フロア奥は右側にトイレ、左側に窓口があり、その真ん中に改札口ような柵がありました(もちろん常時無人です)。
窓口・売店・トイレのほかはベンチ椅子が並んでいましたが、フロアの中央にストーブがあったかもしれません。
“改札口”を通ってバス乗り場に向かうのですが、ホームのようなものはなくバスは“改札口”に対して斜めに乗り付ける感じでした。
盛岡バスセンター同様発着のアナウンスがあり、発車時には係員によるバスの誘導があったと記憶しています。

以前もUPしましたが、ちょうど40年前の花巻営業所管内のうち北上-石鳥谷-盛岡、花巻温泉線、湯口線、北上からの新幹線リレー特急バスの
時刻表を再掲します。どの路線も今では考えられない本数です。
花巻-盛岡間の急行バスは92年3月に廃止されました(最後は1日1往復のみでした)。
花巻温泉方面のうち、花巻温泉行は賢治詩碑発着なのに対して台温泉行はバスセンター発着です。理由は分かりませんがバスセンター廃止後は
全て賢治詩碑発着になりました。
高木団地-花巻駅-松園町の系統は90年代初めまで運行されていました。
鉛温泉方面はバスセンターに乗り入れず、末広十文字を右折してすぐの「末広十文字」(現在の「末広町」)バス停経由です。
花巻温泉方面・鉛温泉方面とも元岩手中央バスの路線なのに、花巻温泉・台温泉行だけが旧花巻バスの施設であるバスセンター経由なのが
興味深いところ。太田線・鍋倉線(廃止)は元岩手中央バスの路線でバスセンターには乗り入れてません。

市役所前からマルカンデパート前への坂道が拡幅された(勾配も緩和したそうな)のは16~17年前でしたが、
ここが市内のバス路線のメインルートになるとは思ってもいませんでした。
道路改良後花巻まつりの時にここを山車が通るようになって驚いていたくらいですから。
(3年前の3月に総合花巻病院が移転したのを契機に市街地のバス路線の経路変更が行われました)


花巻っこ 投稿日: 2023年06月16日 21:32:47 No.377
こんばんは。とまりますさんもメッセージありがとうございます。
花巻バスセンターのことが色々と知れて大変嬉しいです。ありがとうございます。
太田線が『かじ町経由』でエセナビル(花巻デパート)の前を遠回りしてたのは岩手中央バスの路線だったからなんですね。湯口線も昔は『かじ町経由』がありましたね。
栃内・横志田線(尻平川ゆき)と江釣子線(笹間経由北上駅ゆき)は昔、末広町交差点を直進して岩手銀行の横を通って坂を降りて、如来堂前へ向かってましたが、これは花巻バスの路線で花巻バスセンターに乗り入れてた名残なんでしょうか?

花巻バスセンター興味が尽きないです。
話は現代に戻りますが、市役所前経由は3年も前から始まってたんですね。でもやはり、末広町~上町商店街をバスが走るバスが減ったのは寂しいですね。
管理人 投稿日: 2023年06月16日 22:24:24 No.379 【Home】
1984年6月に、私が初めて花巻を訪れた時の写真です。
花巻駅を降り、花巻バスセンターはどこにあるんだろうと思いながら歩いた記憶がありますが、なぜか写真はこの1枚しかありません。
花巻バスカラーの古そうなバスが来たから、シャッターを押したのでしょう。前後に写っているバスから、それなりの本数が行き交っていたことが分かります。
これ以外にも、見慣れないバスを見かけたりしたんですが、ちゃんと写真を撮らなかったことが悔やまれます。


とまります 投稿日: 2023年06月18日 13:38:06 No.388
>花巻っ子様
市街地で中央バスと花巻バスがどの程度競合していたのか興味があって以前図書館の郷土資料コーナーに入ってみましたが、
資料になりそうなものは残念ながら見つけられませんでした。
いわゆる「西南地区(西南中学校の学区)」では、太田地区は花巻電鉄沿線という扱いで電鉄バス(後に中央バス)、
笹間地区は花巻バス(昔花巻バスの営業所がありました)と住み分けがされていて、市街地でもできるだけ競合しようないように
(そして乗るバスを間違えないように?)と、あえてルートを変えていたのかもしれません(妄想の域を出ませんが)。
「太田経由笹間行」がありそうでなかったのも、その名残かもしれません。

笹間方面へは、栃内線のほかにも飯豊経由笹間行というのがありました。

>管理人様
ちょうど30年前に花巻駅前の整備があり、80年代とはまるで違う様相になりました。
写真の場所は管理人様が撮影された場所とほぼ同じ場所と思うのですが、背景がまるで違っていて自信がありません。
(背後の建物はホテルです)
84年にあったパチンコ屋は80年代後半には文房具屋になり、90年代初めに建物が解体され道路が造られ駅前を南北に通り抜け
できるようになりました。

写真右は件のホテルの駐車場ですが、ここは80年代は某童話作家の親族が経営するガソリンスタンドで、
花巻バスが車庫に戻る際ここで給油してたという話を聞いたことがあります。
花巻バスにもM沢家の資本が入っていたのかもしれません。駅前のホテルも最近までM沢家の経営でしたし、
送迎バスはそのカラーから元花巻観光バスとわかる車両です。

※昨日の投稿を一部変更しました。




<< | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | >>


Powered by Rara掲示板
管理者に連絡 | 新着投稿をメールで受け取る | スポンサー募集