投稿者:とまります
>花巻っ子様
市街地で中央バスと花巻バスがどの程度競合していたのか興味があって以前図書館の郷土資料コーナーに入ってみましたが、
資料になりそうなものは残念ながら見つけられませんでした。
いわゆる「西南地区(西南中学校の学区)」では、太田地区は花巻電鉄沿線という扱いで電鉄バス(後に中央バス)、
笹間地区は花巻バス(昔花巻バスの営業所がありました)と住み分けがされていて、市街地でもできるだけ競合しようないように
(そして乗るバスを間違えないように?)と、あえてルートを変えていたのかもしれません(妄想の域を出ませんが)。
「太田経由笹間行」がありそうでなかったのも、その名残かもしれません。
笹間方面へは、栃内線のほかにも飯豊経由笹間行というのがありました。
>管理人様
ちょうど30年前に花巻駅前の整備があり、80年代とはまるで違う様相になりました。
写真の場所は管理人様が撮影された場所とほぼ同じ場所と思うのですが、背景がまるで違っていて自信がありません。
(背後の建物はホテルです)
84年にあったパチンコ屋は80年代後半には文房具屋になり、90年代初めに建物が解体され道路が造られ駅前を南北に通り抜け
できるようになりました。
写真右は件のホテルの駐車場ですが、ここは80年代は某童話作家の親族が経営するガソリンスタンドで、
花巻バスが車庫に戻る際ここで給油してたという話を聞いたことがあります。
花巻バスにもM沢家の資本が入っていたのかもしれません。駅前のホテルも最近までM沢家の経営でしたし、
送迎バスはそのカラーから元花巻観光バスとわかる車両です。
※昨日の投稿を一部変更しました。