80s岩手県のバス”その頃”掲示板


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想い出の花巻バスセンター
花巻っこ 投稿日:2023年06月08日 22:20 No.368
はじめてメッセージを投稿させていただきます。
こちらのサイトは中学生の頃(約15年前)からお世話になっており、大好きな岩手県交通の昔の事を知ることができ、いつも楽しく拝見させていただいております。

中学生だった当時、花巻バスセンターの痕跡を探す際、『末広町にあったこと』『過去に撮られた写真』などから花巻バスセンターを探して、バスの背景の建物などから、場所を特定できた時は、大変嬉しかったものです。その後、このサイト内で花巻バスセンターの考察ページができた時は目を輝かせて読ませていただきました。

今は仕事で花巻を離れており、先日久しぶりに帰省したさい、久しぶりにバスセンターを訪れました。
そしたら、以前は3つあった家屋の内、真ん中の家が取り壊されなくなってました。また、両どなりの家屋も右側は料亭として現在も営業されている様でしたが、相当、古い建物の様でした。

形あるものはいつかは無くなってしまうので、いつかは花巻バスセンターの痕跡が無くなってしまうかもしれません。これからも、バスセンターに限らず痕跡が残っているうちに色々な場所たくさん訪問したいものです。

長文失礼いたしました。


管理人 投稿日:2023年06月10日 19:35 No.371 【Home】
花巻っこさん、はじめまして。
15年前からですか。ありがとうございます。
長くやっていると、皆さんがどんどんと成長したり、年取ったりしていくので、そういうことでも時代の変化を感じることができます。もちろん私自身も年取ってしまうのですが。

花巻バスセンター、隣りの家屋が当時の面影をとどめていることで、場所の特定ができたので、残った家屋が取り壊されないのを祈るばかりです。
料亭として営業中の右側の建物は、大きな木で隠れているところにあるということで、よろしいでしょうか?


花巻っこ 投稿日:2023年06月11日 21:41 No.372
管理人さま。こんばんは。
メッセージありがとうございます。うしろの家屋の件ですが、その通りです。木に隠れて、天ぷら屋(料亭)さんがあります。今は便利な時代ですね。Googleマップに情報が載ってて、美味しいお酒を呑みながら、揚げたての天ぷら(地元の山菜など)が食べれるお店だそうです。今度、帰った時に行きたくなってしまいました(笑)

私個人の見解ですが、『末広町』は花巻の路線バスにとって、とても欠かす事のできない場所(交通の要所)だった様に感じます。それは、駅から出たバスは石鳥谷・花巻温泉方面に向かう(この路線も末広町を通ってから花巻駅へきます)以外は、必ず末広町を通らなくてはならないからです(道が無いから)。私が中学生の頃は末広町には4ヶ所もバス停があり『末広町①』『末広町②』等と書かれており、興味深かったのを覚えています。
↑さながら道路から出発する盛岡バスセンターみたいな雰囲気ですよね(笑)

今は、新しい道が出来たのを機に花巻市役所前経由ができました。また、バスセンター跡地の正面にあった岩手銀行かじ町支店は取り壊され、置かれていたバス停もなくなりました。末広町を通るバスは徐々に数を減らしています。

この様な状況にとてもびっくりして、メッセージを投稿させていただきました。これからも機会があればメッセージの投稿をさせていただきたいと思いますのでよろしくお願いします。

1枚目は末広町交差点を花巻駅へと左折する路線バス。2枚目は無くなった岩手銀行かじ町支店。3枚目は新しい経由地となりつつある花巻市役所前です。


とまります 投稿日:2023年06月13日 20:21 No.373
以前花巻バスセンターについてあれこれ書き込んだ者です。40年近く前のことなので忘れないうちにと思って書き込んだのですが、
細部になると正直自信がありません。重複するかもしれませんがもう1度書き込んでみます。

坂道に面していたので階段を3段登って中に入ると、右手に売店があって「噴水ジュース」がありました(1杯30円だったか50円だったと思います)。
フロア奥は右側にトイレ、左側に窓口があり、その真ん中に改札口ような柵がありました(もちろん常時無人です)。
窓口・売店・トイレのほかはベンチ椅子が並んでいましたが、フロアの中央にストーブがあったかもしれません。
“改札口”を通ってバス乗り場に向かうのですが、ホームのようなものはなくバスは“改札口”に対して斜めに乗り付ける感じでした。
盛岡バスセンター同様発着のアナウンスがあり、発車時には係員によるバスの誘導があったと記憶しています。

以前もUPしましたが、ちょうど40年前の花巻営業所管内のうち北上-石鳥谷-盛岡、花巻温泉線、湯口線、北上からの新幹線リレー特急バスの
時刻表を再掲します。どの路線も今では考えられない本数です。
花巻-盛岡間の急行バスは92年3月に廃止されました(最後は1日1往復のみでした)。
花巻温泉方面のうち、花巻温泉行は賢治詩碑発着なのに対して台温泉行はバスセンター発着です。理由は分かりませんがバスセンター廃止後は
全て賢治詩碑発着になりました。
高木団地-花巻駅-松園町の系統は90年代初めまで運行されていました。
鉛温泉方面はバスセンターに乗り入れず、末広十文字を右折してすぐの「末広十文字」(現在の「末広町」)バス停経由です。
花巻温泉方面・鉛温泉方面とも元岩手中央バスの路線なのに、花巻温泉・台温泉行だけが旧花巻バスの施設であるバスセンター経由なのが
興味深いところ。太田線・鍋倉線(廃止)は元岩手中央バスの路線でバスセンターには乗り入れてません。

市役所前からマルカンデパート前への坂道が拡幅された(勾配も緩和したそうな)のは16~17年前でしたが、
ここが市内のバス路線のメインルートになるとは思ってもいませんでした。
道路改良後花巻まつりの時にここを山車が通るようになって驚いていたくらいですから。
(3年前の3月に総合花巻病院が移転したのを契機に市街地のバス路線の経路変更が行われました)


花巻っこ 投稿日:2023年06月16日 21:32 No.377
こんばんは。とまりますさんもメッセージありがとうございます。
花巻バスセンターのことが色々と知れて大変嬉しいです。ありがとうございます。
太田線が『かじ町経由』でエセナビル(花巻デパート)の前を遠回りしてたのは岩手中央バスの路線だったからなんですね。湯口線も昔は『かじ町経由』がありましたね。
栃内・横志田線(尻平川ゆき)と江釣子線(笹間経由北上駅ゆき)は昔、末広町交差点を直進して岩手銀行の横を通って坂を降りて、如来堂前へ向かってましたが、これは花巻バスの路線で花巻バスセンターに乗り入れてた名残なんでしょうか?

花巻バスセンター興味が尽きないです。
話は現代に戻りますが、市役所前経由は3年も前から始まってたんですね。でもやはり、末広町~上町商店街をバスが走るバスが減ったのは寂しいですね。


管理人 投稿日:2023年06月16日 22:24 No.379 【Home】
1984年6月に、私が初めて花巻を訪れた時の写真です。
花巻駅を降り、花巻バスセンターはどこにあるんだろうと思いながら歩いた記憶がありますが、なぜか写真はこの1枚しかありません。
花巻バスカラーの古そうなバスが来たから、シャッターを押したのでしょう。前後に写っているバスから、それなりの本数が行き交っていたことが分かります。
これ以外にも、見慣れないバスを見かけたりしたんですが、ちゃんと写真を撮らなかったことが悔やまれます。


とまります 投稿日:2023年06月18日 13:38 No.388
>花巻っ子様
市街地で中央バスと花巻バスがどの程度競合していたのか興味があって以前図書館の郷土資料コーナーに入ってみましたが、
資料になりそうなものは残念ながら見つけられませんでした。
いわゆる「西南地区(西南中学校の学区)」では、太田地区は花巻電鉄沿線という扱いで電鉄バス(後に中央バス)、
笹間地区は花巻バス(昔花巻バスの営業所がありました)と住み分けがされていて、市街地でもできるだけ競合しようないように
(そして乗るバスを間違えないように?)と、あえてルートを変えていたのかもしれません(妄想の域を出ませんが)。
「太田経由笹間行」がありそうでなかったのも、その名残かもしれません。

笹間方面へは、栃内線のほかにも飯豊経由笹間行というのがありました。

>管理人様
ちょうど30年前に花巻駅前の整備があり、80年代とはまるで違う様相になりました。
写真の場所は管理人様が撮影された場所とほぼ同じ場所と思うのですが、背景がまるで違っていて自信がありません。
(背後の建物はホテルです)
84年にあったパチンコ屋は80年代後半には文房具屋になり、90年代初めに建物が解体され道路が造られ駅前を南北に通り抜け
できるようになりました。

写真右は件のホテルの駐車場ですが、ここは80年代は某童話作家の親族が経営するガソリンスタンドで、
花巻バスが車庫に戻る際ここで給油してたという話を聞いたことがあります。
花巻バスにもM沢家の資本が入っていたのかもしれません。駅前のホテルも最近までM沢家の経営でしたし、
送迎バスはそのカラーから元花巻観光バスとわかる車両です。

※昨日の投稿を一部変更しました。