80s岩手県のバス”その頃”掲示板


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日田彦山線の西工っぽいトロ 片倉穂乃花 投稿日: 2023年02月05日 21:15:19 No.264 【返信】

https://mcdb.sub.jp/ct/trolley/unknown/near_nsk/

こんばんわ。お世話になっております。
以前管理人さまにご意見をいただいた日田彦山線の西工っぽい保線トロについて、この度当サイトで記事にまとめました。
結局正体不明なのですが、分からないなりに推論を導いてみました。ぜひご確認ください。
貴重なご意見をいただきました事、この場を借りてお礼申し上げます。
管理人 投稿日: 2023年02月06日 22:58:52 No.265 【Home】
片倉穂乃花さん、こんばんは。
リンク先サイト拝見しました。
こういうニッチな分野は、着目する人も少ないし、興味を持っても知識がないと先へ進めないという難しい分野になりますね。
今回の場合は、バスの知識と保線車との両方の知識がないと、全く分析できません。

この先、例のいすゞマイクロバスの保線車などについても、もう少し詳しいページを作りたいな、などと思っておりますが、その時は、またお力をお貸しください。


復刻カラー(=旧カラー)を纏った十鉄の電車代替バス 左党89号 投稿日: 2023年02月02日 21:53:03 No.252 【Home】 【返信】

以前、この掲示板で表題の車両について投稿しましたが、鉄道線廃止により登場した電車代替バスも運行開始時に経年車が集結したことから、運行開始から10年も経つとほぼ絶滅かと思っていたところ、昨年、神奈中から移籍したエアロスターがこのカラーとなりました。

このカラーの神奈中のエアロスターは2016年に移籍した1台以来ですが、同じ神奈中エアロスター(に限らず移籍車)では国際興業カラーで登場した車両もあるので、電車代替バス限定の位置付けは変わっていないのかもしれません。

余談ですが、十鉄の移籍車では社名・出入口・一般乗合の各表記はテンプレートに吹き付けしている車両が多いです。


管理人 投稿日: 2023年02月02日 22:25:44 No.255 【Home】
十和田観光電鉄は、旧カラーを大切にしてくれていますね。
秋北バスもそうですが。

このノリを岩・・・いや、やめましょう。

十和田観光電鉄の型抜き文字は今や文化財とも言えるかもしれません。
職人さんが今も頑張っているのか、伝統を大切に引き継がれているのか、どっちなのか分かりませんが、いつまでも続けてほしいと思っています。
BA10-2407291 投稿日: 2023年02月03日 01:26:57 No.257
伝統を大切にしているという点では、宇野自動車と小湊鉄道グループ(写真は九十九里鐵道)に好感を抱いています。

宇野自動車はシックな塗色もさることながら、今や国内で唯一となった前後5連マーカーランプを踏襲しています。
岡山を訪れた際に、これを見ると感激します。

小湊グループは、一般路線車はおろか高速車や貸切車に至るまでこの塗装を踏襲しており、強い拘りが感じられます。

管理人様が別スレで出していた新潟交通の赤屋根塗装ですが、戦前に新潟市内を走っていた「赤バス」をイメージして1990年に採用したらしいですが、ただの悪趣味ですね。
戦前期はえび茶のような色でも「赤」と呼称しており(日本人の色彩表現が曖昧極まりなく三原色に結び付けたがる)、実際にはもっと地味な色だった可能性があります。


管理人 投稿日: 2023年02月04日 20:53:00 No.258 【Home】
カラーデザインに関するスレッドが複数になってしまいましたが、ここで続けます。

新潟交通のカラーは、確かに赤バスをイメージしたそうですが、銀バスの上半分だけ赤くするという手法が、よく分かりません。
赤バスは、1922(大正11)年に設立された新潟市街自動車が用いていた色だそうで、確かに今のような原色の赤だったとは考えづらいですね。
さらに、10年後の1932(昭和7)に設立された新潟合同自動車が銀色地を用いたというので、新潟交通にとっては、銀バスの方がずっと長お付き合いだったはずなんです。

あと、頸城自動車ですが、実は私はBA10さんとは逆に、結構好きなカラーデザインだったりします。デパートの包み紙のような感じです。
このカラーは、地元の高田工業高校のデザイン科に依頼し、コンテストの結果選ばれたデザインのようです。
地元の学生とか、公募とかでデザインを決めると、うるさいイラストや長く使うに堪えないカラーリングになることも多々ありますが、頸城は良かったんじゃないかと思います。
ここで添付したのは、グループ会社の糸魚川バスです。


BA10-2407291 投稿日: 2023年02月05日 06:27:41 No.259
管理人様

こればかりは好き嫌いの問題なので、どちらが優れているとかどちらが正しいとは断言出来ない問題なのですが、マルケーグループ分社化の際に頸北観光バスが採用した、当時の親会社貸切色の路線タイプ車の方が、よっぽどスマートで私は好きでした。

何よりも何十年も踏襲されて来た、伝統のマルケー乗合色が数を減らして行くのが無念でした。
もっとも、同グループの貸切色はかなり無節操に数年おきに塗色変更していたので、あまり伝統を重んじる社風ではなかったのでしょう。
乗合パステル調を忌み嫌った私は、当然の如く現行貸切色も大嫌いです。

別スレで地鉄バスの「都バス前後反転カラー」を出しておられましたが、これは悪趣味とは感じておらず、嘗て羽後交通が小田急バスカラーを模倣したのと同様の事象かと思っております。
それより問題は写真3の車でしょう。
どうせコーポレートカラーを付加するのであれば、何故黄緑部分を塗り潰してそこに帯を入れなかったかな?
そうすれば、案外似合っていたと思うのですが、これじゃ悪趣味の骨頂です。

伊豆大島は東京都だから、都バスが走っていると勘違いした客が居たかも。


管理人 投稿日: 2023年02月05日 16:46:54 No.262 【Home】
まず最初にお断りしておきますが、私は富山地鉄の現行カラーに対して、「悪趣味」とは書いておりません。このカラーにした意味を「中の人に聞いてみたい」と言っているだけですので、誤解のないようにお願いします。
カラーデザインの流用については、サイト内の「バスのカラーリング」で色々書いていますので、ここでは特に書きませんが、情報過多の時代に、見る機会の多い都営バスのカラーを、譲渡車でもないのに流用し、それも前後逆にしたという手法が非常に不思議だということです。

頸北観光バスは、頸城の旧貸切カラーをそのまま自社カラーにしていたり、最近も本家を差し置いて旧カラーを復刻したりと、BA10さんと同じ思いがあるように感じます。

これまで使っていたカラーを変えるのは、特に1980~90年代のCIがブームになった時にはよくあったことですね。
これは企業がイメージチェンジをするための手法ですので、仕方のないことかも知れません。
写真は諏訪バスの旧カラー(赤と青)、その色を使った1980年代の新カラー、そして1990年のCI導入後の現行カラーです。
旧コーポレートカラーを使った1980年代カラーはあんまり評判がよくなかったようです。そこで、CIを導入し、完全にイメージチェンジを図った現行カラーが、30年以上続いており、今では赤青の旧カラーを凌駕する歴史を持ったカラーになっています。


BA10-2407291 投稿日: 2023年02月05日 21:10:40 No.263
管理人様

確かに「悪趣味」とは書かれておらず、当方の表現力、文章力の問題で誤解を生じさせたならお詫び申し上げます。

諏訪バスの旧コーポレートカラーを使った1980年代カラーは、確かに垢抜けないイメージですね。
旧カラーは松電を含め、それなりによく纏まった塗色で好印象でしたが、古臭さは否めなかったと感じます。
また、腰部の細線多用は、塗装工程を著しく煩雑にするものであったと容易に想像出来ます。
しかし、同じ色を一部残したままで大幅に塗り分けを変えてしまうと、ここまで印象が変わってしまうものかと実感させられる好事例かと思います。


更新後記(2023.1.30) 管理人 投稿日: 2023年01月30日 22:02:10 No.243 【Home】 【返信】

今回、新装の盛岡バスセンターを見るだけでなく、岩手県交通カラーの最期をみとることもできたような気がします。
青色の岩手県交通カラーは、県交通成立の1976年に採用され、今年で47年を迎えるはずでした。
ちょうど、私が岩手県にいた“その頃”には、すべてのバスがこのカラーに統一されてゆく途上でした。日野RB10のような古いバスにも、いすゞLRのような新しいバスにも、そして貸切バスにもよく似合うカラーでした。
しかし今、胆江営業所の隅には、このカラーでは最新型だったいすゞエルガが廃車体となって置かれていました。唯一、現役車として残っていたのはエルフバスだけでした。
一応、盛岡駅では復刻カラーのバスとも出会うことができました。ただ、この復刻カラーは、上半分の白い地色が省略されているのが残念です。
銀色地のバスは全国にいくらでもありますが、上半分が白かった岩手県交通は、それだけで清潔感が違いました。
またいつか、このカラーを美しくまとったバスに会えればいいな。そう思います。


BA10-2407291 投稿日: 2023年01月31日 01:45:09 No.244
ひとつの時代が終わりを告げようとしているみたいで、寂しいですね。
路線バスのカラーリングというのは、その地域住民にとっては常日頃から慣れ親しんでいる色だと思います。
遠く故郷を離れて生活している方などは、帰省した際に地元の駅に降り立って「ああ、帰って来たな。」と無意識のうちにも感慨に浸るのが、そのカラーリングを見た時なのではないでしょうか。
40年以上も、岩手県南部全域で当たり前に見られた塗色が過去のものとなるのは残念です。


管理人 投稿日: 2023年01月31日 23:28:39 No.245 【Home】
”その頃”の県交通カラーでの最新型は、いすゞLRと平面ガラスのBUでした。
いずれも直線的なスタイルが、この色によく似合いました。
一方、おでこの丸いバスもまだ多く残っていて、BA10さんが日野RB10を貼ったので、私は三菱MR410を貼りましょう。
そして、貸切バスでこのカラーを塗った最後の新車がハイデッカーⅡ型でした。フロントマスクがちょっと変化したバージョンです。


BA10-2407291 投稿日: 2023年02月01日 05:07:25 No.247
管理人様

MR410の県交通塗色は、実車を見た事がありませんでした。
前掲の元京急RB10は、1984年11月に初めて一関を訪れた際の撮影です。

今回の3画像は、何れも2003年に仕事で築館に半年滞在した際の撮影です(前掲の川重BU04と北村CJM500の並びも同時期撮影)。

写真1.この時点で、一関営業所一般路線車はこの塗色に統一されていました。
辛うじて生き残っていた元興業のBU04と、当時はピカピカだった2001年式LRの並びです。
同時期に築館町内で、仮ナンバーを着けた興業旧塗装のキュービックLVが北へ向かって走って行くのを目撃しています。

写真2.管理人様が掲載した貸切CSA580の岩22か1979と登録番号3番違いの1976の晩年、一関~大船渡特急用に格下げされて塗色変更された姿です。
1979も同仕様となり共通運用されていました。
1983年10月登録のこのグループはフロントグリルが角形前照灯でしたが、83年2月登録の1876~のグループは、ハイデッカーⅡながらフロントグリルがハイデッカーⅠと同形態でしたね。

写真3.千厩のガソリンスタンド裏手に鎮座していた、県南バス塗装のRB10(1962年式)です。
県南バス塗装車の現役時代は見た事がありません。

本スレッドの主題からは少々逸れる写真ですが、御笑覧頂ければ幸いです。


53 投稿日: 2023年02月02日 16:57:03 No.251
こんにちは

オリジナル青銀 岩手兼交通カラーがついに絶滅に陥る時が来たのですね 残念です。
最後がエルフバス?でしょうか? というのも意外でした。社紋がほぼ白いですね 2006年に胆江営業所にナンバーが外されたエルフバスが置いてありました それら廃車体部品を使ってここまで生き延びたのですね

わたくしが中学校時代、学校に青銀カラーの写真持っていて見ていたら、バスに興味のない友人たちが
「これ、どこのバス?江ノ電や神奈中に比べてカッコイイ色だね」と数人にいわれました。

画像1
おでこが丸いバス、BAー10様が日野、管理人様が三菱なら私は いすゞ貼ります。
一ノ関営業所に10年以上廃車体が鎮座していた221号 1982年8月
画像2
撮影日に登録したと思われる1952 1983年8月25日
画像3
営業所の洗車機の回りには剥がれた青銀塗料が落ちていたのを見たことあります。(笑)


管理人 投稿日: 2023年02月02日 22:22:04 No.254 【Home】
オバQの221の写真は初めて見ました。こんな綺麗な姿で盛岡まで来ていたんですね。
バスに関係のない人にも「カッコいい」と言ってもらえるカラーだとは、嬉しい話です。

エルフバスは、前面窓の下の中央にちょっと青がのぞいていて、西日本車体の勇み足かサービスなのか、オリジナルの塗り分けとはちょっと違うので、事実上、「本当の県交通カラー」は消えてしまったのだ、と個人的には思っています。

ここで添付したのは、2018年に大迫営業所の最期を見に行った時のLRです。
車体そのものもカラーも、綺麗な状態だったので、この車両だけでももっと長く活躍できるのではないか…と思っていました。




なんでも変えればよいというわけでも。 のむ 投稿日: 2023年02月01日 15:20:59 No.248 【返信】

西武バスの新塗装が黒縁付きで、写真家としてみたら葬式写真カラーなのですよね。そこらへん乗っていて気分のいいものではないのですが。

BA10-2407291 投稿日: 2023年02月01日 19:13:34 No.249
のむ様、初めまして。

全く同感です。
地元の学生がデザインしたとかいう、この悪趣味塗装。
鉄道車両やバス等、細長い車体に斜めの塗り分けはマッチしません。
窓やドア、タイヤの存在を全く無視した最悪な塗装。
豪雪地帯なのに視認性が悪く、保守性も全く念頭に置いておらず、ド素人のデザイン丸出しです。

大好きだったこの事業者が、一転して大嫌いになりました。


管理人 投稿日: 2023年02月02日 22:15:25 No.253 【Home】
西武バスは90周年のアニバーサリーの意味もあって、カラーデザインを大胆に変えたようですね。
元のカラーは、彩度の低い色の組み合わせでしたので、近隣各社と比べると、見劣りしたのも事実です。その代わり、3扉車を買い戻して笹カラーに塗装するなど、過去のレガシーも大切にしているように見えます。

頚城バスは、ちょうどその前後に、近隣各県の松本電鉄や千曲バス、富山地鉄などが、元カラーと全く関連性のない新塗装に変わっていった時期でした。
1980~90年代のバブル期、白やクリームの地色に、パステルカラーを展開するというのは、時代の流れだったんでしょうね。

それが、2000年代になって、過去のカラーが見直される「復刻カラー」ブームが訪れているので、面白い循環だな、とは思います。

結局、カラーデザインというのは、好き嫌いとかも関わってくるので難しい問題ですが、私の方では、「どうしてこのデザインに変えたの?」と中の人に聞いてみたい2例の写真を添付して終わりにします。




なんでも変えればよいというわけでも。 のむ 投稿日: 2023年02月02日 09:58:49 No.250 【返信】

バスの裾に白は使わない縦線は入れない。を無視してなぜかヒットカラーとなってしまい全国の観光バスが白ばかりになった元。ニュープリンス観光バスに居た身としてはデザインの難しさというものを感じます。写真は観光バスでなく大学用送迎バスですが。



昔の江ノ電バス 53 投稿日: 2023年01月19日 17:30:52 No.213 【返信】

BA10-2407291様

215号 江の島駐車センターお画像ありがとうございました。
まさに母親が乗務してた頃の画像だそうです。
江の島~渋谷線や定期遊覧のガイドは入社後間もないペイペイの仕事で
中ドア車は、中ドア付近でガイド説明なので、前ドア車よりやりにくかったそうです。
杉?清さんは先輩だったそうです。
母は鎌倉営業所属だったので他の方はわからないみたいです。
顔は覚えているかもとのことです。

わたくしが撮影した122号の廃車体、三菱(白黒画像)のようなので小田急中古かと思いました。1980年撮影    290号の写真もありました。1981年撮影 裏八幡 


BA10-2407291 投稿日: 2023年01月19日 20:23:17 No.215
53様

なんと! B905Nは流用されて生き残った車があったんですね。
私が各年度版(一部欠落年あり)車両表を基に作成した車歴表(1949年6月11日の戦後バス事業再開時からのほぼ全ての車を網羅)では、6台全車が裏八幡配属で貸切登録のまま廃車になったと推測していましたが、流用で藤沢に転属した車があったとは。

実は上記車両表は、74~79年版が欠落(77年藤沢配属車のみ所蔵)しているので、その間に短期間B905Nが122となった時期があったという証拠です。
私が一部推測にて作成した車歴表では、66年式4RA94が2台在籍したうちの1台が76年に流用されて122と改番され、79-6-27に廃車。
入れ替わりで68年式6RA110の182号が79-6-27に122と改番された事になっていますが、恐らくは77~78年頃に4RA94の122が廃車となり、B905Nの122が79年まで生き延びたという事でしょう。
67年式5RA110(初のデラバス仕様車)2台は76-7-19に流用されて124・123と改番され、124は79-6-27廃車、123は80-9-2廃車となっているので、これらと同時期の122がB905Nだった事になります。

話がえらく複雑ですみません。
流用車は最古参の貸切車を格下げしていたので、1~2年おきに先代の同番号が廃車となり次に古かった車両がその社番を継承するという事の繰り返しだったので、一般路線車よりも動向を追うのが困難なのです。

掲載頂いた290号は70年式6RA111ですね。
これも81-7-16に流用で122に改番され、78-9-13に廃車となっています。

写真1は、私が作成した車歴表の一部で、特に転属頻度が激しかった車の部分を抜粋したものです。
63年式MR470は8台在籍中(1台は前の頁に掲載)3台が70年にワンマン化改造されましたが、車台番号230107・230111の2台は、約12年の生涯で5回も改番され、藤沢、鎌倉、大船、横浜の各営業所を転々としています。

写真2は、うちで保管している62年式車(号車不明)に設置されていた方向幕で、きちんと「渋谷駅」のコマがあります。

写真3は、初のデラバス仕様車67年式5RA110で、後に流用され123となった車です。
もう1台の183→124号は、T自動車学校至近の解体業者に、後年まで廃車体が残っていました。

そうでしたか、お母様は鎌倉所属で、杉Yさんを御存知だったとは。
杉Yさんからは昔話を色々と伺いましたが、中でも可笑しかったのは、
杉「鎌倉に民生のトップドア車で1台だけ流線形の変わったボディーの車が居てさ、俺が担当してたんだ」
私「ああ、229ですよね。フロントガラスの上に庇があって、正面方向幕は窓の下にある車。」
杉「なんでお前、そんな古い車を知ってるんだ!!! 年齢10歳くらい鯖読んでないか?」

杉Yさん、御健在だったとしても恐らく90歳前後かと思いますが、佳い話を聴かせて頂きました。

またまた長文ですみません。
杉Yさんの話と写真2・3は、お母様も喜んで下さるのではないでしょうか?


BA10-2407291 投稿日: 2023年01月20日 04:20:20 No.217
連投、失礼します。

だんだんと車両よりも人物中心の写真になりつつありますが、53様のお母様に御覧頂きたく掲載します。
もしかすると、この中にお母様や同僚の方々が写っているかも知れません。

何れも元整備課長(在任期間1956~69年)の故 H.W.氏の撮影で、かなりの頻度で現場に出向いておられたようですので、お母様も面識があったのではないでしょうか?
勿論、生前に転載許可は頂いております。

写真1は、昭和38年7月に江ノ島駐車センターで待機中の渋谷駅行バス2台と海水浴客です。
車は、左が58-3-14登録のRF91 152号で、前ドア大型貸切車としては最後の板サス車です。
64-3-31に流用されて106と改番され、66-4-13に廃車となっています。
先日掲載した中ドアツーマンの67年式MR470の先代106です。
右は58-7-23登録のRFA91 258号で、県内事業者として初のエアサス貸切車として導入された車です。
64年3月に社番50番台をワンツーマン車に譲る事になって288と改番され、65-3-30に流用により108と改番、68-3-25に廃車となっています。
258の方は1962年車から採用された新塗装(配色は同一)に塗り替えられていますが、これは撮影者のH.W.氏によるデザインで、70~71年にかけて小修正を経て現行車でも踏襲されている塗り分けです。

写真2は、昭和38年6月3~4日に実施された日本オイルシール(株)の28台口慰安旅行(伊豆・箱根方面)の際の乗務員記念撮影で、右の車は社番不明ですが、左の車は63-3-25登録の初の富士R13車体4RA93である153・260・356のいずれかです。

写真3は、昭和40年3月に実施された長野方面ガイド教習の際、志賀高原での記念撮影で、車は上記63-3-25登録の4RA93 153号です。

不謹慎な言い方で恐縮ですが、是非とも53様のお母様がお元気なうちに御覧頂きたく、掲載しました。

管理人様、半ば私用でBBSを利用させて頂き恐縮ですが、奇遇にも53様のお母様と当方の共通の知人(ドライバー氏)がいらしたので、何卒御容赦下さい。


管理人 投稿日: 2023年01月20日 20:47:12 No.218 【Home】
いえいえ、全く問題ありません。
古いバスについて、気軽に語れる場はあまりないと思いますので、この掲示板をご活用ください。
さすがに私がコメントを差しはさむ隙間のある話ではありませんので、静観させていただいておりました。
53 投稿日: 2023年01月23日 17:46:17 No.228
BA10-2407291様

大変貴重な写真ありがとうございます。

母親は、写真2の慰安旅行の集合写真の中に覚えている運転手さんは何人かいるようです。
女の人達は制服が車掌さんの制服なので私はバスガイドだったので残念ながら母親は写っていないそうです。
皆、藤沢営業所の人たちではないかと、母は鎌倉営業所属だったそうです。貸切バスに乗務してたので藤沢の運転手さんの顔覚えていたのでは。


母はネットの顔出し今さらOKなので、写真載せます。土師(ハシ)K子 15期生

元小田急841写ってます。このバス使って日産の工場見学いくと三菱車なので、日産の工場の敷地内に駐車させてくれなかったそうです。 バス数台で工場見学行って三菱車は敷地外だったのですかね? 凄い時代ですな~

あと江ノ電の鎌倉定期遊覧バスって古いバスが担当でしたね 何年頃かわかりませんが、新しいバスになりましたよね? 理由が鎌倉市から苦情が入ったと当時母親から聞いた覚えがあります(笑)


BA10-2407291 投稿日: 2023年01月24日 04:54:00 No.230
53様

お母様の顔出し写真、有難うございます。

2枚目の写真で右側に写っている楕円形フロントグリルの車は、68年式6RA110の182号(当時の社番)ですね。
この車も79-6-27に流用で定期遊覧用になり、80-9-2に廃車となっています。

以前、戸塚のブリヂストンの工場入口に「ブリヂストンタイヤ装着車以外は入場をお断りします」という看板があるのを見た事があります。
了見が狭いというか、閉鎖的というか、呆れました。

定期遊覧用車両は、中扉ロマンスシートの一般路線兼用車を新製購入していた昭和30年代前半頃まではそれなりに新しい車を使用していましたが、その後はトップドアの貸切格下げ車となり、結果的に最古参車ばかりが入るようになりましたね。

写真1は、57年式R280の210号です。
1965-12-25廃車なので、お母様も御記憶がある車なのでは?

写真2は、久々に定期遊覧専用として新製された84年式P-RA52Mの122号で、実に66年式4RA94以来18年ぶりに入った、路線車塗色のトップドア車です。
実は、この車が富士重工で製造されている際に、たまたま伊勢崎工場の見学に行き、「なんだこの車は!」と驚きました。
ところが、いざ定期遊覧運用に入れると、回送時に途中のバス停で一般路線バスを待っている乗客が勘違いして、通過しようとすると駆け寄って来て危険という想定外の事象が多発し、翌年にもう1台購入された同形車(121号)は、貸切車に準じた朱色/アイボリーの塗色に変更され、122号も短期間で塗色変更されてしまいました。
この時代の定期遊覧は鎌倉が担当から外れ、藤沢のみの2台運用体制でした。

写真3は、71年式6RA111の184→120号で、晩年は貸切予備兼定期遊覧予備となり、1985-7-4に廃車となっています。
車体更新されており、セミデッカー車を初導入した際に採用された新塗分けに変更されています。

お母様が、この時期(84~85年頃)の定期遊覧車交代劇を御存知という事は、ガイドさんとしてはかなりの長期勤続だったのですね。

この時期の定期遊覧2運用は、お名前は失念しましたが専門のベテランガイドさん(恐らくお母様より数年後に入社なさった方)2名が担当しており、お一方は桔梗山周辺にお住いの元一般路線車掌経験者の方、もうお一方は当初からガイド職で同世代の方でした。


BA10-2407291 投稿日: 2023年01月24日 05:30:37 No.231
連投失礼します。

最後の定期遊覧用6RA111(71年式)が廃車となったのは前述の通り85年7月で、これはその直前に私を含むUD好き仲間4名で定期遊覧に乗車した際の記念撮影です。
流石に38年も前の撮影なので、乗務員さんの顔出しは許されるかと思い掲載します(仲間のうち私以外の3名は顔を伏せました)。
平日だったのでなんと我々4人の貸切状態で、勿論ガイド説明は無しで、専らUD6エンジンの音を愉しむのと、乗務員さんお二方との雑談という行程でした。

写真1の右端が、前述の定期遊覧専門ガイドさんのうち、入社時からガイド職だった方の方です。
お母様の後輩に当たる方ではないでしょうか?
右から2人目が、当時定期遊覧専門に運転していたドライバーの布M猛さんです。
2人飛んで、左から2人目が若き日の私です。
前掲の210号(R280)と同じ場所の、建長寺での撮影です。

写真2は、私が自作した「惜別6RA111」のサボをドア後部のサボ受けに装着しての撮影です。

車は元386号を格下げした121で、前掲の184→120と同時に4台購入されたうちの1台です。
こちらはオリジナル塗装です。

同時購入車の他の2台は582→282→227と387で、387のみ一足先の84年9月に廃車となり、他の3台が85年7月に廃車となっています。
227は認可台数の関係で流用され乗合登録に変更されましたが、裏八幡の車は定期遊覧運用が無かったので、専ら貸切承認を取って最期まで貸切運行に使用されました。
前掲の120も定期遊覧運用に就く事は滅多に無く、227と同様の使われ方で最期を迎えました。


53 投稿日: 2023年01月28日 16:03:19 No.241
BA10-2407291様

色々な画像有難うございます

57年式R280の210号の画像の他、
「母に懐かしいでしょう、貴重な画像なんだよ」
といって見せたのですけど…あまりバスには関心が無かったようで
「こんな感じだったと思う」という返事。
母は1996年頃までガイドやってました ちなみに最後の仕事の行先は神奈川県の宮ケ瀬、 お客さまは小学生、見習いのガイドさん乗ってたと言ってました

添付された121号の定期遊覧の乗務員さん、やはり営業所が違ったのであまり顔合わせないようで存じ上げないそうです。

最後の定期遊覧用6RA111の貸切時代386の画像ありました。カン高い爆音2サイクルのエンジン音、いま聞いてみたいです。今思うと、なんで乗らなかったんだろう
高根線のツーマン車は乗りに行ったんですよね。

少し前に私が画像添付した232号の廃車体の同じ敷地内に眼光バスも置いてありました。
123号 定期遊覧ですね リアのナンバープレートが付いていた鉄板に薄っすらと116?と見えます。1980年10月頃撮影


BA10-2407291 投稿日: 2023年01月28日 20:54:24 No.242
53様

すごいですね、お母様は30年以上勤続なさったんですね。

貸切時代の386の写真、有難うございます。
隣は4台の兄弟の中で1年早く廃車になった387ですね。

6RA111は江ノ電の他に関東自動車でも乗った事がありますが、UD4やUD5と比較するとやや大人しめの音でしたよ。
国鉄のV8RA120は乗った事がありませんが、体験者の談話によると、やはり迫力を欠き4Rや5Rの方が良い音(マニア的に)だったそうです。
私はUD3~UD6の中では、UD5の音が一番迫力があって好きでした。
草軽の5RAは、さんざん乗りに行きました。

4Rは、江ノ電で消滅したのが85年11月で、全て神奈中古の4R95が8台(70~72年式)が同時に11月14~15日にかけて除籍されました。
15日朝の最終営業運行に乗車した他、3日の文化の日に6RAの時と同じメンバーで路線内貸切で出して頂き、片瀬山や鎌倉湖畔等急勾配路線を中心に走行して、この時はエンジンルーム内にマイクをセットして全行程の走行音を録音しました。

ところで、今回出して下さった123号ですが、このスレNo.215で掲載した初のデラバス仕様車67年式5RA110(289)の最期の姿です。
183→124(相模2こ624)と289→123(横浜2き1164→相模22か1130)の2台が在籍しましたが、289は事故でフロントガラスが割れて、復旧の際に上部明り取り窓タイプから、通常の3Bタイプに改造され、フロントグリルも交換されました。

結果的に183→124の1台のみが原形のまま残存し、これはT自動車学校至近の解体業者(現存せず)に後年まで廃車体が残っていたと以前に述べましたが、解体される際に「江ノ島鎌倉観光」と入った明り取り窓のガラスを頂いて来ました。
うちで保存していたのですが、江ノ電本社に「記念すべき車両の象徴的な部品だから保存しないか?」と問い合わせたところ、「要らない」と素っ気ない返答でした。
そこで立川バス某営業所の助役氏で、小田急グループ各社の現物資料を後世に遺すべく収集保存に尽力なさっておられる方に、数年前にお渡ししました。

改造後の289→123は他の6R系と殆ど見分けがつかない形態になってしまったので、私自身あまり注目しておらず、今回掲載して頂いた事により改めて細部の形態を見る事が出来て非常に嬉しいです。

添付画像は本文と直接関係がありませんが、65年式4RA93の281→581→281→229号です。




懐かしの湘南顔電車 左党89号 投稿日: 2023年01月21日 18:13:17 No.219 【Home】 【返信】

書店に行ったところ、上記のタイトルの書籍が目に入り、衝動買いしました。
内容的には許容範囲をかなり広げた構成になっており、評価が分かれそうですが、類似のデザインの車両も登場したという点ではありかな?と思っています。

2枚め・・・書中でも紹介されていた西武の701系→流鉄2000形
3枚め・・・トミーテック「ノスタルジック鉄道コレクション」のフリーランスの気動車セット。バス窓車は東武キハ2000の塗装変更


左党89号 投稿日: 2023年01月21日 18:14:09 No.220 【Home】
3枚めが添付されていませんでしたので再送信します

管理人 投稿日: 2023年01月21日 20:12:33 No.221 【Home】
左党89号さん、こんばんは。
これはまた欲しくなるような本が出たんですね。
表紙の写真だけでも電車以外のものがありますが、それはさておき、確かに湘南スタイルの定義というのも、個人差があるんでしょうね。
私としては、鉄道ファン1977年7月号の湘南電車特集で、吉川文夫氏による「私鉄の”湘南形”車両」という記事が最初に思い浮かびます。

ネタはいくらでもありますが、とりあえずオリジナルの湘南形である80系と70系の並びをお見せします。
そして、左党89号さん投稿の総武流山電鉄の元ネタでもある西武の湘南形の並びです。湘南そのものの501系の横に窓がつながった601系がいますが、どうしてちゃんと2両をファインダーに納めなかったのか、高校生の自分の腹が立ったりします。


BA10-2407291 投稿日: 2023年01月22日 02:37:38 No.223
私の鉄道趣味の原点である「湘南スタイル」ではないですか!!!

確かに、派生形を何処まで含めるかというのは難しいですね。
私個人の考え方では、正調湘南スタイルというのは
1.鼻筋が通っている、又は半流線形。
2.正面上半分か、或いは全体的に傾斜している。
3.低運転台で独立2枚窓。
と考えています。

ですから、西武が多用した細いセンターピラーの連続2枚窓や、小田急2200形のような垂直な前面は、影響は受けているものの派生形と受け止めています。

ただ、最近の車両でもJR四国の5100形電車や、JR貨物のM250系電車(157系→185系の流れを汲む)、横浜市交通局の4000形電車等は、派生形の現代版と捉えています。

クハ86形(023以降)無くして、これらのデザインは生まれなかったでしょう。

もっと範疇を広げると、近鉄初代ビスタカー10000系電車は、明らかに影響を受けていますし、EF66形0番台電気機関車は国鉄20系(後の151系)電車とクハ86形を足して2で割ったようなデザインだと思います。

実は、国鉄80形電車の形態分類(後天的改造を含む)に関してはかなり極めているという自負があり、Wikipediaの当該頁は私が執筆及び添削した部分がかなりあります。
クハ86形059・060のみが前面木枠窓車の中で更新修繕から漏れ、中京地区で運用された昭和40年代後半まで木枠のままだったという事実を解明したのは私ですし、86形300番台で正面窓硝子が更新修繕車と同様の天地寸法が小さいものに改造(事故復旧?)された車が2両(356・359)あったというのを解明したのも私です。

80形以外の正調湘南スタイル車(前述の派生形を除く)を網羅して、中小私鉄や軽便鉄道、更には鉱山鉄道車両や保線機械まで一覧を掲載したのですが、あまりに数が多く、他の方の編集により代表車両以外の記載は削除されてしまいました。

写真1は左がクハ86306(300番台第一次製造車の塗り分け線を踏襲)、右がクハ86302(86316以降の増備車と同様の塗り分け線に変更)。
写真2は、中央西線で1980年まで残存した、1952年度形ほぼ原形(正面窓以外にHゴム不使用・張り上げ屋根)のクハ86065。
写真3は、
クハ86形で唯一シールドビーム2灯化改造を施工された、86332です。


BA10-2407291 投稿日: 2023年01月22日 03:00:39 No.224
連投、失礼します。

一目瞭然、私の愛車「湘南自転車」です。
ハブには、特製湘南色ハブ毛付き。

これで鉄道写真撮影に訪れると、かなり注目されます。


管理人 投稿日: 2023年01月22日 16:26:00 No.225 【Home】
確かに2枚窓というだけで湘南形とは言いたくないですね。
西武のつながり窓は、501系の後継である551系や601系は入れてもいいかと思いますが、おでこが方向幕になっちゃうと、ちょっと違って見えます。(ここでは、おでこに何もない元伊豆箱根1000形の写真を載せました)

湘南自転車いいですね。これに振り返る人は、鉄分が濃い人でしょう。
この塗り分けは、「金太郎腹掛け」スタイルと言われますが、最初どこが「腹掛け」なのかさっぱり分かりませんでした。最初期の3枚窓の塗り分けが起源だとは思いますが。
これも定義が難しく、下だけ金太郎塗り分けの車両は、腹掛けには見えません。(ここでは大井川鉄道の元西武をお見せします)
また、南海ズームカーのようにラインにした場合も「腹掛け」なのか・・・多分違うんでしょうね。
(今回の写真は3枚とも大井川鉄道です)


BA10-2407291 投稿日: 2023年01月22日 19:27:24 No.226
管理人様

「金太郎腹掛け」と称されたのは、86形一次車の当初の塗り分けが下部のV字が後年よりも小さく、上部も側面窓上が段差状の塗り分けだった為に正面に回り込む位置が低くて(即ち全体的に緑の面積が大きい)、これなら容易に連想出来たと思います。

逆に、300番代二次増備車(86316~)では86形の中で正面の緑の面積が最も小さく(上部を運行灯上の突起部分にかからないよう修正し、下部も側面の塗り分けラインが100番代以前の車より低い為)この塗装から腹掛けを連想するのは困難です。

この正面のカーブは施工工場によってかなりバラつきがあり、特に最末期の飯田線用300番代を担当していた浜松工場ではマスキングが非常にいい加減だった為、相当な個体差が見られました。
私の中で最も酷いと感じたのは、80系旅客車の最終自力走行(84年3月1日の廃車回送)の先頭に立った86301で、下部のV字カーブがガタガタで、明らかに左右非対称でした。

仰る通り、上部に方向幕窓があると、かなり印象が変わりますね。
ただ、掲載頂いた伊豆っ箱の1000系の初期2編成は腰部に大型前照灯で、なんだかクモヤ93形を連想させる表情に見えます。

あと、前述の私の中での基準には該当する車ですが、東急青ガエルや、京急500形・初代600形初期車のように前面窓が縦長なスタイルは、果たして正調湘南スタイルと呼んでよいものか疑問です。

掲載写真は最初の2枚はゲテモノで、国鉄保線工事用機械と、日野TC300型トラックです。
トラックのデザインに影響を及ぼしたかどうかは疑問ですが、表情的には似ていると思います。
保線用機械は、明らかに影響を受けていますね。

写真3は、80系(厳密には国鉄旧性能電車には系列という概念が無かったが、敢えて湘南電車80形グループを80系と呼ぶ)の中で最終自力走行車となった、クモニ83103(元モユニ81006)の、廃車回送シーンです(1984-3-14 豊橋)。
この時は神戸方から83102+68420+61005+54129+83103という組成で、奇しくも湘南スタイル第一次製造車が両端に付く編成でした。


BA10-2407291 投稿日: 2023年01月22日 19:49:04 No.227
度重なる連投にて失礼します。

自己満足写真ですが、86形二次以降の正調湘南形電車オリジナルが現存しない今、レプリカ同士のツーショットと、派生形ながらこだま形と湘南スタイルの影響が色濃く見られるEF66 27と86形の、夢の想い出共演の写真を出しておきます。


片倉穂乃花 投稿日: 2023年01月25日 23:32:25 No.232
皆様

ご無沙汰しています。話題に出た国鉄の保線用機械というのは「貨物型モータカー」とよばれる保守用車です。

https://mcdb.sub.jp/ct/01_tmc/origin/type_freight/
上記の記事(私が書きました)に詳細を載せたのですが、つまるところ当時のJISで規格化されたモータカーです。
80系登場以降の規格化なので影響があった可能性はあるのですが、この規格は国鉄以外の有識者も制定に参画していて(東急や近鉄の重役もいます)、国鉄以外の私鉄や専用線で幅広く導入されていた事を考えると、これを80系の派生として扱ってよいのか微妙な気がします。
例えばJIS-E1801規格原本(日本規格協会ライブラリーで閲覧できます)には制定者の名簿が載っていて、10数名いるうちの3名しか国鉄の人間はおらず、他はいすゞや近鉄などメーカーや民鉄の人間ばかりです。


管理人 投稿日: 2023年01月26日 20:31:12 No.233 【Home】
片倉穂乃花さん、こんばんは。
飽くまでも基準のないことなので、範囲をどこまでにするかは個人の好みや感性でしかありませんが、私も湘南形の範囲を広げすぎることには抵抗を覚えます。
自動車などの小さい乗物は、このカテゴリに含めたくはないですね。戦前から箱型バスの2枚窓は存在しましたし。保守用のモーターカーも同様です。
ただし、2枚窓のバスやトラックに、折よく「金太郎腹掛け」塗りを真似た例はありますので、その部分では「影響は受けた」と言えるものもあるでしょう。

逆に、BA10さんが疑問と書いている東急5000系あたりは、時期的に明らかに影響を受けているものなので、私は含めていいと思っています。
ここで上げた写真は、その東急5000系の弟分のステンレス車5200系です。こちらは「くの字」がくっきりしているので、明らかに湘南形でしょうね。


BA10-2407291 投稿日: 2023年01月27日 05:31:15 No.237
片倉穂乃花様 管理人様

片倉穂乃花様、初めまして。
御教示下さいまして有難うございます。
JIS-E 1801という形式の汎用モデルなのですね。

この分野に関しては片倉様の方が遥かにお詳しいという事は承知の上で、敢えて当方の見解を述べます。

片倉様のサイトに掲載されているJIS-E 1801は鼻筋が通っていないようにも見えますが、こちらのサイト
https://toden15ban.blog.fc2.com/blog-entry-3430.html
に掲載されている個体は明らかに鼻筋を通した上半分傾斜のスタイルで、これはどう見ても国鉄クハ86形の影響のように思えます。
ほぼ同形態の個体が、20年程前まで函南駅構内に留置されていたのを記憶しております。

>この規格は国鉄以外の有識者も制定に参画していて(東急や近鉄の重役もいます)、国鉄以外の私鉄や専用線で幅広く導入されていた事を考えると、これを80系の派生として扱ってよいのか微妙な気がします。
>10数名いるうちの3名しか国鉄の人間はおらず、他はいすゞや近鉄などメーカーや民鉄の人間ばかりです。

上記には、大変不躾な物言いで恐縮ですが、異論がございます。
当時、湘南スタイルは国鉄車両に留まらず、我が国鉄道業界全体で空前絶後のブームとなっており、東急(5000・5200・200形)や近鉄(5801形)でも鼻筋を通した上半分傾斜形の車両を導入しており、この類似意匠を事業用モーターカーに採用する事にはなんら抵抗が無かったものと推察します。

上記の他にも、おおよそ一般乗客の目に触れる事は稀な、主に鉱山鉄道向けELや、主に森林鉄道向けDLにも、鼻筋を通した上半分傾斜形の「正調湘南スタイル」の車両がメーカー主導の汎用タイプとして、多数製造されています。

写真1は、日本輸送機(ニチユ)が1960年代初頭に製造した鉱山鉄道向けEL(架線集電)で、8tモデルはEL8-HRP610、10tモデルはEL10-HRP610というメーカー形式だったようです。

写真2は、酒井工作所が1950~60年代に製造した森林鉄道用DLで、C4というメーカー形式だったようです。

写真3は、2と同じく酒井工作所製の森林鉄道用DLですが、形式は不詳です。

湘南スタイルは本来なら旅客用車両で、主に視覚的なスマートさやスピード感を強調する為に多くの鉄道事業者で用いられたと推察しますが、それらの視覚的効果を必要としない事業用車両にも用いられる程に空前絶後の大ブームだった事が伺える事例です。

管理人様
日野のキャブオーバートラックに関しては、直接の影響を受けたものではないと当方も推察しますが、表情が似ている事例として掲載したまでです。
鉄道の事業用車両(機械)に関しては、上記事例も含めて時期的にも流行の真っ只中の製造であり、影響を受けていると考えます。
当方が疑問を感じている東急5000・5200形ですが、当然影響を受けている事は明白ですが、窓の天地寸法から印象が異なるので、京王や西武のような「正調」ではなく「派生形」と捉える考え方もありかな?と思った次第です。
東武5700型原形も、同様に派生形かと思います。


片倉穂乃花 投稿日: 2023年01月28日 06:57:15 No.238
管理人様 BA10-2407291様

お世話になっております。BA10-2407291様はお初にお目にかかります。

ご指摘の通り基準がない感覚的な話なので明確な線引きはできず、且つ影響が無かったと断言もできません。
あくまで私の考えとしては影響を受けた可能性が低いと思われる程度です。というのも、管理人様ご指摘の通り自動車の世界では戦前から前面2枚窓のものが多く、軌道モータカーは元々自動車の技術の応用として誕生したので、古典的なモータカーは鉄道というより自動車の影響が強いものなのです。

添付は有名なメーカーで松山自動車工業(現:松山重車輌工業)の広告です。(『交通技術』1956年7月号より引用)。社名の通り元々は新潟市流作場に所在した自動車整備業で、北村製作所の真裏に工場がありました。北村との関係が強かったようで北村の創業者が取締役として経営に参加しています。

一方でBA10-2407291様が引用されているニチユの産業機関車ですが、これは80系のスタイリングを真似たとウラが取れています。
http://c5557.photoland-aris.com/hozon/asio-rekisikan2020.htm
当時のニチユの工場は長岡京市にあり東海道線の線路の真横だったようです。

スタイリングの話は線引きが難しいところです。
バスの世界では、川重車体のキュービックボデーがベルリエPR100(仏)の模倣だと批判された事があったようですが、影響が伺える程度でそこまで露骨な模倣ではないと私は考えています。(話が二転三転して恐縮ですが…)


BA10-2407291 投稿日: 2023年01月28日 09:55:46 No.240
片倉穂乃花様

御返答を有難うございます。

なるほど、ニチユの機関車についてはウラがとれているのですね。
酒井工作所の機関車に関しても、明らかな模倣のように見えます。
確か何かで読んだ記憶があるのですが、ニチユでは1962年製までは本物の湘南形同様の4面構成で製造したものの、製造工程が面倒で1963年以降は簡略化した形態に変更したらしですね。

軌道用モーターカーに関しては、確かに自動車の車輪を鉄道用に変更したような構造で、湘南形の影響があったかどうかは疑わしい部分があるのも頷けます。

いすゞキュービックのルノー模倣疑惑については有名な話ですね。
同様に民生T80トラック・B80バスが、当時のクルップ製ボンネットトラックとスタイルがそっくりですが、これは民生デイゼル自体がクルップ・ユンカースと提携していた為、当然の如く模倣したものと考えます。


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