80s岩手県のバス”その頃”掲示板


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配置表記ネタ 左党89号 投稿日: 2023年02月17日 20:52:05 No.271 【Home】 【返信】

きょう、買物をしていたら、パッケージの真ん中にこのように書かれた商品を見つけ、思わず購入しました(笑)
カタカナにしたため、大阪環状線の車両の所属表記になりましたが、現在は「近モリ」なんだそうで。


管理人 投稿日: 2023年02月19日 22:10:54 No.274 【Home】
これは狙った商品ですね。(多分違います)
私も、「名カキ」というおかきがないかどうかとか、今は「海カキ」なので「瀬戸内海カキ」か「北海カキ」とかがないかどうかとか、慌てて探しましたが、見つかりませんでした。
焼き鳥屋の手書きのお品書きに「南コツ」と書いてあるなんてことはあるかも知れません。


日田彦山線の西工っぽいトロ 片倉穂乃花 投稿日: 2023年02月05日 21:15:19 No.264 【返信】

https://mcdb.sub.jp/ct/trolley/unknown/near_nsk/

こんばんわ。お世話になっております。
以前管理人さまにご意見をいただいた日田彦山線の西工っぽい保線トロについて、この度当サイトで記事にまとめました。
結局正体不明なのですが、分からないなりに推論を導いてみました。ぜひご確認ください。
貴重なご意見をいただきました事、この場を借りてお礼申し上げます。
管理人 投稿日: 2023年02月06日 22:58:52 No.265 【Home】
片倉穂乃花さん、こんばんは。
リンク先サイト拝見しました。
こういうニッチな分野は、着目する人も少ないし、興味を持っても知識がないと先へ進めないという難しい分野になりますね。
今回の場合は、バスの知識と保線車との両方の知識がないと、全く分析できません。

この先、例のいすゞマイクロバスの保線車などについても、もう少し詳しいページを作りたいな、などと思っておりますが、その時は、またお力をお貸しください。
片倉穂乃花 投稿日: 2023年02月12日 12:13:07 No.268
管理人様

お世話になっております。西工トロの件ですが記事をご覧いただきありがとうございました。
並行して軌道バスの記事も作っていたのですが、この度完成しましたので、ぜひご確認いただきたく返信いたします。

https://mcdb.sub.jp/ct/61_trackcar/jnr_track-bus/
https://mcdb.sub.jp/ct/61_trackcar/jnr_track-bus/daihatsu_lightbus/
https://mcdb.sub.jp/ct/61_trackcar/jnr_track-bus/isuzu_journey/

記事を書くにあたってマイクロバスそのものを理解しておかないといけないと思い、色々調べたのですが、一番的確でわかりやすく纏まっているのはやはり貴サイトでした。
埼玉県ふじみ野市にある日本バス友の会資料室にも言って資料を探したのですが、店主様(城谷会長)も「マイクロバスは調べている人がいないので難しいと思う」と仰っていたのが印象的でした。
この難しい分野の貴重な先行研究として貴サイトはたいへん心強く、せめてもの敬意を表したく思い参考文献に貴サイトを掲載させていただきました。
ご協力いただきましたこと重ねてお礼申し上げます。
管理人 投稿日: 2023年02月12日 22:18:52 No.269 【Home】
片倉穂乃花さん、こんばんは。
お役に立てて嬉しいです。
それにしても、軌道バスにもこれだけの歴史があるとは知りませんでした。ダイハツの軌道バスは、確か写真を見た記憶がありましたが、これが先代の車両だったんですね。

保線車両がニッチな分野であるように、マイクロバスもニッチ分野になります。入門のページにも書きましたが、バスが好きな人も、クルマが好きな人も、マイクロバスに辿りつくのは最後の最後で、それも深入りする人はあんまりいません。
そのマイクロバスが、さらに鉄道の保線車両という車籍のないような分野と融合するのですから、先行研究がほとんどないのも当然なんでしょうね。

私の方は、他のカテゴリーと合わせながら、数ヵ月後を目途にまとめ直す予定ですが、その際は、貴サイトを参照先とさせていただきたいと思います。


復刻カラー(=旧カラー)を纏った十鉄の電車代替バス 左党89号 投稿日: 2023年02月02日 21:53:03 No.252 【Home】 【返信】

以前、この掲示板で表題の車両について投稿しましたが、鉄道線廃止により登場した電車代替バスも運行開始時に経年車が集結したことから、運行開始から10年も経つとほぼ絶滅かと思っていたところ、昨年、神奈中から移籍したエアロスターがこのカラーとなりました。

このカラーの神奈中のエアロスターは2016年に移籍した1台以来ですが、同じ神奈中エアロスター(に限らず移籍車)では国際興業カラーで登場した車両もあるので、電車代替バス限定の位置付けは変わっていないのかもしれません。

余談ですが、十鉄の移籍車では社名・出入口・一般乗合の各表記はテンプレートに吹き付けしている車両が多いです。


管理人 投稿日: 2023年02月02日 22:25:44 No.255 【Home】
十和田観光電鉄は、旧カラーを大切にしてくれていますね。
秋北バスもそうですが。

このノリを岩・・・いや、やめましょう。

十和田観光電鉄の型抜き文字は今や文化財とも言えるかもしれません。
職人さんが今も頑張っているのか、伝統を大切に引き継がれているのか、どっちなのか分かりませんが、いつまでも続けてほしいと思っています。
BA10-2407291 投稿日: 2023年02月03日 01:26:57 No.257
伝統を大切にしているという点では、宇野自動車と小湊鉄道グループ(写真は九十九里鐵道)に好感を抱いています。

宇野自動車はシックな塗色もさることながら、今や国内で唯一となった前後5連マーカーランプを踏襲しています。
岡山を訪れた際に、これを見ると感激します。

小湊グループは、一般路線車はおろか高速車や貸切車に至るまでこの塗装を踏襲しており、強い拘りが感じられます。

管理人様が別スレで出していた新潟交通の赤屋根塗装ですが、戦前に新潟市内を走っていた「赤バス」をイメージして1990年に採用したらしいですが、ただの悪趣味ですね。
戦前期はえび茶のような色でも「赤」と呼称しており(日本人の色彩表現が曖昧極まりなく三原色に結び付けたがる)、実際にはもっと地味な色だった可能性があります。


管理人 投稿日: 2023年02月04日 20:53:00 No.258 【Home】
カラーデザインに関するスレッドが複数になってしまいましたが、ここで続けます。

新潟交通のカラーは、確かに赤バスをイメージしたそうですが、銀バスの上半分だけ赤くするという手法が、よく分かりません。
赤バスは、1922(大正11)年に設立された新潟市街自動車が用いていた色だそうで、確かに今のような原色の赤だったとは考えづらいですね。
さらに、10年後の1932(昭和7)に設立された新潟合同自動車が銀色地を用いたというので、新潟交通にとっては、銀バスの方がずっと長お付き合いだったはずなんです。

あと、頸城自動車ですが、実は私はBA10さんとは逆に、結構好きなカラーデザインだったりします。デパートの包み紙のような感じです。
このカラーは、地元の高田工業高校のデザイン科に依頼し、コンテストの結果選ばれたデザインのようです。
地元の学生とか、公募とかでデザインを決めると、うるさいイラストや長く使うに堪えないカラーリングになることも多々ありますが、頸城は良かったんじゃないかと思います。
ここで添付したのは、グループ会社の糸魚川バスです。


BA10-2407291 投稿日: 2023年02月05日 06:27:41 No.259
管理人様

こればかりは好き嫌いの問題なので、どちらが優れているとかどちらが正しいとは断言出来ない問題なのですが、マルケーグループ分社化の際に頸北観光バスが採用した、当時の親会社貸切色の路線タイプ車の方が、よっぽどスマートで私は好きでした。

何よりも何十年も踏襲されて来た、伝統のマルケー乗合色が数を減らして行くのが無念でした。
もっとも、同グループの貸切色はかなり無節操に数年おきに塗色変更していたので、あまり伝統を重んじる社風ではなかったのでしょう。
乗合パステル調を忌み嫌った私は、当然の如く現行貸切色も大嫌いです。

別スレで地鉄バスの「都バス前後反転カラー」を出しておられましたが、これは悪趣味とは感じておらず、嘗て羽後交通が小田急バスカラーを模倣したのと同様の事象かと思っております。
それより問題は写真3の車でしょう。
どうせコーポレートカラーを付加するのであれば、何故黄緑部分を塗り潰してそこに帯を入れなかったかな?
そうすれば、案外似合っていたと思うのですが、これじゃ悪趣味の骨頂です。

伊豆大島は東京都だから、都バスが走っていると勘違いした客が居たかも。


管理人 投稿日: 2023年02月05日 16:46:54 No.262 【Home】
まず最初にお断りしておきますが、私は富山地鉄の現行カラーに対して、「悪趣味」とは書いておりません。このカラーにした意味を「中の人に聞いてみたい」と言っているだけですので、誤解のないようにお願いします。
カラーデザインの流用については、サイト内の「バスのカラーリング」で色々書いていますので、ここでは特に書きませんが、情報過多の時代に、見る機会の多い都営バスのカラーを、譲渡車でもないのに流用し、それも前後逆にしたという手法が非常に不思議だということです。

頸北観光バスは、頸城の旧貸切カラーをそのまま自社カラーにしていたり、最近も本家を差し置いて旧カラーを復刻したりと、BA10さんと同じ思いがあるように感じます。

これまで使っていたカラーを変えるのは、特に1980~90年代のCIがブームになった時にはよくあったことですね。
これは企業がイメージチェンジをするための手法ですので、仕方のないことかも知れません。
写真は諏訪バスの旧カラー(赤と青)、その色を使った1980年代の新カラー、そして1990年のCI導入後の現行カラーです。
旧コーポレートカラーを使った1980年代カラーはあんまり評判がよくなかったようです。そこで、CIを導入し、完全にイメージチェンジを図った現行カラーが、30年以上続いており、今では赤青の旧カラーを凌駕する歴史を持ったカラーになっています。


BA10-2407291 投稿日: 2023年02月05日 21:10:40 No.263
管理人様

確かに「悪趣味」とは書かれておらず、当方の表現力、文章力の問題で誤解を生じさせたならお詫び申し上げます。

諏訪バスの旧コーポレートカラーを使った1980年代カラーは、確かに垢抜けないイメージですね。
旧カラーは松電を含め、それなりによく纏まった塗色で好印象でしたが、古臭さは否めなかったと感じます。
また、腰部の細線多用は、塗装工程を著しく煩雑にするものであったと容易に想像出来ます。
しかし、同じ色を一部残したままで大幅に塗り分けを変えてしまうと、ここまで印象が変わってしまうものかと実感させられる好事例かと思います。


なんでも変えればよいというわけでも。 のむ 投稿日: 2023年02月01日 15:20:59 No.248 【返信】

西武バスの新塗装が黒縁付きで、写真家としてみたら葬式写真カラーなのですよね。そこらへん乗っていて気分のいいものではないのですが。

BA10-2407291 投稿日: 2023年02月01日 19:13:34 No.249
のむ様、初めまして。

全く同感です。
地元の学生がデザインしたとかいう、この悪趣味塗装。
鉄道車両やバス等、細長い車体に斜めの塗り分けはマッチしません。
窓やドア、タイヤの存在を全く無視した最悪な塗装。
豪雪地帯なのに視認性が悪く、保守性も全く念頭に置いておらず、ド素人のデザイン丸出しです。

大好きだったこの事業者が、一転して大嫌いになりました。


管理人 投稿日: 2023年02月02日 22:15:25 No.253 【Home】
西武バスは90周年のアニバーサリーの意味もあって、カラーデザインを大胆に変えたようですね。
元のカラーは、彩度の低い色の組み合わせでしたので、近隣各社と比べると、見劣りしたのも事実です。その代わり、3扉車を買い戻して笹カラーに塗装するなど、過去のレガシーも大切にしているように見えます。

頚城バスは、ちょうどその前後に、近隣各県の松本電鉄や千曲バス、富山地鉄などが、元カラーと全く関連性のない新塗装に変わっていった時期でした。
1980~90年代のバブル期、白やクリームの地色に、パステルカラーを展開するというのは、時代の流れだったんでしょうね。

それが、2000年代になって、過去のカラーが見直される「復刻カラー」ブームが訪れているので、面白い循環だな、とは思います。

結局、カラーデザインというのは、好き嫌いとかも関わってくるので難しい問題ですが、私の方では、「どうしてこのデザインに変えたの?」と中の人に聞いてみたい2例の写真を添付して終わりにします。




なんでも変えればよいというわけでも。 のむ 投稿日: 2023年02月02日 09:58:49 No.250 【返信】

バスの裾に白は使わない縦線は入れない。を無視してなぜかヒットカラーとなってしまい全国の観光バスが白ばかりになった元。ニュープリンス観光バスに居た身としてはデザインの難しさというものを感じます。写真は観光バスでなく大学用送迎バスですが。



懐かしの湘南顔電車 左党89号 投稿日: 2023年01月21日 18:13:17 No.219 【Home】 【返信】

書店に行ったところ、上記のタイトルの書籍が目に入り、衝動買いしました。
内容的には許容範囲をかなり広げた構成になっており、評価が分かれそうですが、類似のデザインの車両も登場したという点ではありかな?と思っています。

2枚め・・・書中でも紹介されていた西武の701系→流鉄2000形
3枚め・・・トミーテック「ノスタルジック鉄道コレクション」のフリーランスの気動車セット。バス窓車は東武キハ2000の塗装変更


左党89号 投稿日: 2023年01月21日 18:14:09 No.220 【Home】
3枚めが添付されていませんでしたので再送信します

管理人 投稿日: 2023年01月21日 20:12:33 No.221 【Home】
左党89号さん、こんばんは。
これはまた欲しくなるような本が出たんですね。
表紙の写真だけでも電車以外のものがありますが、それはさておき、確かに湘南スタイルの定義というのも、個人差があるんでしょうね。
私としては、鉄道ファン1977年7月号の湘南電車特集で、吉川文夫氏による「私鉄の”湘南形”車両」という記事が最初に思い浮かびます。

ネタはいくらでもありますが、とりあえずオリジナルの湘南形である80系と70系の並びをお見せします。
そして、左党89号さん投稿の総武流山電鉄の元ネタでもある西武の湘南形の並びです。湘南そのものの501系の横に窓がつながった601系がいますが、どうしてちゃんと2両をファインダーに納めなかったのか、高校生の自分の腹が立ったりします。


BA10-2407291 投稿日: 2023年01月22日 02:37:38 No.223
私の鉄道趣味の原点である「湘南スタイル」ではないですか!!!

確かに、派生形を何処まで含めるかというのは難しいですね。
私個人の考え方では、正調湘南スタイルというのは
1.鼻筋が通っている、又は半流線形。
2.正面上半分か、或いは全体的に傾斜している。
3.低運転台で独立2枚窓。
と考えています。

ですから、西武が多用した細いセンターピラーの連続2枚窓や、小田急2200形のような垂直な前面は、影響は受けているものの派生形と受け止めています。

ただ、最近の車両でもJR四国の5100形電車や、JR貨物のM250系電車(157系→185系の流れを汲む)、横浜市交通局の4000形電車等は、派生形の現代版と捉えています。

クハ86形(023以降)無くして、これらのデザインは生まれなかったでしょう。

もっと範疇を広げると、近鉄初代ビスタカー10000系電車は、明らかに影響を受けていますし、EF66形0番台電気機関車は国鉄20系(後の151系)電車とクハ86形を足して2で割ったようなデザインだと思います。

実は、国鉄80形電車の形態分類(後天的改造を含む)に関してはかなり極めているという自負があり、Wikipediaの当該頁は私が執筆及び添削した部分がかなりあります。
クハ86形059・060のみが前面木枠窓車の中で更新修繕から漏れ、中京地区で運用された昭和40年代後半まで木枠のままだったという事実を解明したのは私ですし、86形300番台で正面窓硝子が更新修繕車と同様の天地寸法が小さいものに改造(事故復旧?)された車が2両(356・359)あったというのを解明したのも私です。

80形以外の正調湘南スタイル車(前述の派生形を除く)を網羅して、中小私鉄や軽便鉄道、更には鉱山鉄道車両や保線機械まで一覧を掲載したのですが、あまりに数が多く、他の方の編集により代表車両以外の記載は削除されてしまいました。

写真1は左がクハ86306(300番台第一次製造車の塗り分け線を踏襲)、右がクハ86302(86316以降の増備車と同様の塗り分け線に変更)。
写真2は、中央西線で1980年まで残存した、1952年度形ほぼ原形(正面窓以外にHゴム不使用・張り上げ屋根)のクハ86065。
写真3は、
クハ86形で唯一シールドビーム2灯化改造を施工された、86332です。


BA10-2407291 投稿日: 2023年01月22日 03:00:39 No.224
連投、失礼します。

一目瞭然、私の愛車「湘南自転車」です。
ハブには、特製湘南色ハブ毛付き。

これで鉄道写真撮影に訪れると、かなり注目されます。


管理人 投稿日: 2023年01月22日 16:26:00 No.225 【Home】
確かに2枚窓というだけで湘南形とは言いたくないですね。
西武のつながり窓は、501系の後継である551系や601系は入れてもいいかと思いますが、おでこが方向幕になっちゃうと、ちょっと違って見えます。(ここでは、おでこに何もない元伊豆箱根1000形の写真を載せました)

湘南自転車いいですね。これに振り返る人は、鉄分が濃い人でしょう。
この塗り分けは、「金太郎腹掛け」スタイルと言われますが、最初どこが「腹掛け」なのかさっぱり分かりませんでした。最初期の3枚窓の塗り分けが起源だとは思いますが。
これも定義が難しく、下だけ金太郎塗り分けの車両は、腹掛けには見えません。(ここでは大井川鉄道の元西武をお見せします)
また、南海ズームカーのようにラインにした場合も「腹掛け」なのか・・・多分違うんでしょうね。
(今回の写真は3枚とも大井川鉄道です)


BA10-2407291 投稿日: 2023年01月22日 19:27:24 No.226
管理人様

「金太郎腹掛け」と称されたのは、86形一次車の当初の塗り分けが下部のV字が後年よりも小さく、上部も側面窓上が段差状の塗り分けだった為に正面に回り込む位置が低くて(即ち全体的に緑の面積が大きい)、これなら容易に連想出来たと思います。

逆に、300番代二次増備車(86316~)では86形の中で正面の緑の面積が最も小さく(上部を運行灯上の突起部分にかからないよう修正し、下部も側面の塗り分けラインが100番代以前の車より低い為)この塗装から腹掛けを連想するのは困難です。

この正面のカーブは施工工場によってかなりバラつきがあり、特に最末期の飯田線用300番代を担当していた浜松工場ではマスキングが非常にいい加減だった為、相当な個体差が見られました。
私の中で最も酷いと感じたのは、80系旅客車の最終自力走行(84年3月1日の廃車回送)の先頭に立った86301で、下部のV字カーブがガタガタで、明らかに左右非対称でした。

仰る通り、上部に方向幕窓があると、かなり印象が変わりますね。
ただ、掲載頂いた伊豆っ箱の1000系の初期2編成は腰部に大型前照灯で、なんだかクモヤ93形を連想させる表情に見えます。

あと、前述の私の中での基準には該当する車ですが、東急青ガエルや、京急500形・初代600形初期車のように前面窓が縦長なスタイルは、果たして正調湘南スタイルと呼んでよいものか疑問です。

掲載写真は最初の2枚はゲテモノで、国鉄保線工事用機械と、日野TC300型トラックです。
トラックのデザインに影響を及ぼしたかどうかは疑問ですが、表情的には似ていると思います。
保線用機械は、明らかに影響を受けていますね。

写真3は、80系(厳密には国鉄旧性能電車には系列という概念が無かったが、敢えて湘南電車80形グループを80系と呼ぶ)の中で最終自力走行車となった、クモニ83103(元モユニ81006)の、廃車回送シーンです(1984-3-14 豊橋)。
この時は神戸方から83102+68420+61005+54129+83103という組成で、奇しくも湘南スタイル第一次製造車が両端に付く編成でした。


BA10-2407291 投稿日: 2023年01月22日 19:49:04 No.227
度重なる連投にて失礼します。

自己満足写真ですが、86形二次以降の正調湘南形電車オリジナルが現存しない今、レプリカ同士のツーショットと、派生形ながらこだま形と湘南スタイルの影響が色濃く見られるEF66 27と86形の、夢の想い出共演の写真を出しておきます。


片倉穂乃花 投稿日: 2023年01月25日 23:32:25 No.232
皆様

ご無沙汰しています。話題に出た国鉄の保線用機械というのは「貨物型モータカー」とよばれる保守用車です。

https://mcdb.sub.jp/ct/01_tmc/origin/type_freight/
上記の記事(私が書きました)に詳細を載せたのですが、つまるところ当時のJISで規格化されたモータカーです。
80系登場以降の規格化なので影響があった可能性はあるのですが、この規格は国鉄以外の有識者も制定に参画していて(東急や近鉄の重役もいます)、国鉄以外の私鉄や専用線で幅広く導入されていた事を考えると、これを80系の派生として扱ってよいのか微妙な気がします。
例えばJIS-E1801規格原本(日本規格協会ライブラリーで閲覧できます)には制定者の名簿が載っていて、10数名いるうちの3名しか国鉄の人間はおらず、他はいすゞや近鉄などメーカーや民鉄の人間ばかりです。


管理人 投稿日: 2023年01月26日 20:31:12 No.233 【Home】
片倉穂乃花さん、こんばんは。
飽くまでも基準のないことなので、範囲をどこまでにするかは個人の好みや感性でしかありませんが、私も湘南形の範囲を広げすぎることには抵抗を覚えます。
自動車などの小さい乗物は、このカテゴリに含めたくはないですね。戦前から箱型バスの2枚窓は存在しましたし。保守用のモーターカーも同様です。
ただし、2枚窓のバスやトラックに、折よく「金太郎腹掛け」塗りを真似た例はありますので、その部分では「影響は受けた」と言えるものもあるでしょう。

逆に、BA10さんが疑問と書いている東急5000系あたりは、時期的に明らかに影響を受けているものなので、私は含めていいと思っています。
ここで上げた写真は、その東急5000系の弟分のステンレス車5200系です。こちらは「くの字」がくっきりしているので、明らかに湘南形でしょうね。


BA10-2407291 投稿日: 2023年01月27日 05:31:15 No.237
片倉穂乃花様 管理人様

片倉穂乃花様、初めまして。
御教示下さいまして有難うございます。
JIS-E 1801という形式の汎用モデルなのですね。

この分野に関しては片倉様の方が遥かにお詳しいという事は承知の上で、敢えて当方の見解を述べます。

片倉様のサイトに掲載されているJIS-E 1801は鼻筋が通っていないようにも見えますが、こちらのサイト
https://toden15ban.blog.fc2.com/blog-entry-3430.html
に掲載されている個体は明らかに鼻筋を通した上半分傾斜のスタイルで、これはどう見ても国鉄クハ86形の影響のように思えます。
ほぼ同形態の個体が、20年程前まで函南駅構内に留置されていたのを記憶しております。

>この規格は国鉄以外の有識者も制定に参画していて(東急や近鉄の重役もいます)、国鉄以外の私鉄や専用線で幅広く導入されていた事を考えると、これを80系の派生として扱ってよいのか微妙な気がします。
>10数名いるうちの3名しか国鉄の人間はおらず、他はいすゞや近鉄などメーカーや民鉄の人間ばかりです。

上記には、大変不躾な物言いで恐縮ですが、異論がございます。
当時、湘南スタイルは国鉄車両に留まらず、我が国鉄道業界全体で空前絶後のブームとなっており、東急(5000・5200・200形)や近鉄(5801形)でも鼻筋を通した上半分傾斜形の車両を導入しており、この類似意匠を事業用モーターカーに採用する事にはなんら抵抗が無かったものと推察します。

上記の他にも、おおよそ一般乗客の目に触れる事は稀な、主に鉱山鉄道向けELや、主に森林鉄道向けDLにも、鼻筋を通した上半分傾斜形の「正調湘南スタイル」の車両がメーカー主導の汎用タイプとして、多数製造されています。

写真1は、日本輸送機(ニチユ)が1960年代初頭に製造した鉱山鉄道向けEL(架線集電)で、8tモデルはEL8-HRP610、10tモデルはEL10-HRP610というメーカー形式だったようです。

写真2は、酒井工作所が1950~60年代に製造した森林鉄道用DLで、C4というメーカー形式だったようです。

写真3は、2と同じく酒井工作所製の森林鉄道用DLですが、形式は不詳です。

湘南スタイルは本来なら旅客用車両で、主に視覚的なスマートさやスピード感を強調する為に多くの鉄道事業者で用いられたと推察しますが、それらの視覚的効果を必要としない事業用車両にも用いられる程に空前絶後の大ブームだった事が伺える事例です。

管理人様
日野のキャブオーバートラックに関しては、直接の影響を受けたものではないと当方も推察しますが、表情が似ている事例として掲載したまでです。
鉄道の事業用車両(機械)に関しては、上記事例も含めて時期的にも流行の真っ只中の製造であり、影響を受けていると考えます。
当方が疑問を感じている東急5000・5200形ですが、当然影響を受けている事は明白ですが、窓の天地寸法から印象が異なるので、京王や西武のような「正調」ではなく「派生形」と捉える考え方もありかな?と思った次第です。
東武5700型原形も、同様に派生形かと思います。


片倉穂乃花 投稿日: 2023年01月28日 06:57:15 No.238
管理人様 BA10-2407291様

お世話になっております。BA10-2407291様はお初にお目にかかります。

ご指摘の通り基準がない感覚的な話なので明確な線引きはできず、且つ影響が無かったと断言もできません。
あくまで私の考えとしては影響を受けた可能性が低いと思われる程度です。というのも、管理人様ご指摘の通り自動車の世界では戦前から前面2枚窓のものが多く、軌道モータカーは元々自動車の技術の応用として誕生したので、古典的なモータカーは鉄道というより自動車の影響が強いものなのです。

添付は有名なメーカーで松山自動車工業(現:松山重車輌工業)の広告です。(『交通技術』1956年7月号より引用)。社名の通り元々は新潟市流作場に所在した自動車整備業で、北村製作所の真裏に工場がありました。北村との関係が強かったようで北村の創業者が取締役として経営に参加しています。

一方でBA10-2407291様が引用されているニチユの産業機関車ですが、これは80系のスタイリングを真似たとウラが取れています。
http://c5557.photoland-aris.com/hozon/asio-rekisikan2020.htm
当時のニチユの工場は長岡京市にあり東海道線の線路の真横だったようです。

スタイリングの話は線引きが難しいところです。
バスの世界では、川重車体のキュービックボデーがベルリエPR100(仏)の模倣だと批判された事があったようですが、影響が伺える程度でそこまで露骨な模倣ではないと私は考えています。(話が二転三転して恐縮ですが…)


BA10-2407291 投稿日: 2023年01月28日 09:55:46 No.240
片倉穂乃花様

御返答を有難うございます。

なるほど、ニチユの機関車についてはウラがとれているのですね。
酒井工作所の機関車に関しても、明らかな模倣のように見えます。
確か何かで読んだ記憶があるのですが、ニチユでは1962年製までは本物の湘南形同様の4面構成で製造したものの、製造工程が面倒で1963年以降は簡略化した形態に変更したらしですね。

軌道用モーターカーに関しては、確かに自動車の車輪を鉄道用に変更したような構造で、湘南形の影響があったかどうかは疑わしい部分があるのも頷けます。

いすゞキュービックのルノー模倣疑惑については有名な話ですね。
同様に民生T80トラック・B80バスが、当時のクルップ製ボンネットトラックとスタイルがそっくりですが、これは民生デイゼル自体がクルップ・ユンカースと提携していた為、当然の如く模倣したものと考えます。


新幹線が描かれた掲示 左党89号 投稿日: 2023年01月11日 22:23:41 No.192 【Home】 【返信】

先日、仙台駅で新幹線の乗り換えをしたときに、ホームの柱(複数個所)に写真のような注意喚起の掲示を目撃しました。
仙台では目撃することが少なくなったE2系ですが、E5系仕様のが造られない限り現役です。
2023-1-5撮影

余談ですが、JR盛岡支社は2000年代に「新幹線トレインジャー」というキャラクターを使ってPRをしていて、リーダー的存在がE2系「はやて 剛」(はやて ごう)でしたが、東北新幹線の主力がE2系「はやて」からE5系「はやぶさ」に移り変わる中で、いつの間にか「はやぶさ 翔」に変わっていました(笑)

その盛岡支社も、JR東日本の組織改革で東北本部に統合され、車体配置表記の「盛」も「北」へと変わるらしいです。
(「北」と聞くと東京北局が浮かんでしまう国鉄世代…)


管理人 投稿日: 2023年01月12日 21:53:53 No.196 【Home】
私もこの前、仙台で「やまびこ」から「はやぶさ」に乗り換えたのですが、牛タン弁当を買うことに気を取られていて、この看板には気づきませんでした。ついでにE5系のパッケージの「かもめの玉子」を買ってしまう余裕はあったというのに・・・。

その代わり、二戸駅の「なにゃーと」で見つけた700系のピクトグラムをお見せします。
本家の東海道新幹線でも減りつつある700系ピクトグラム(700系自体は消滅済み)が東北地方で生き続けているのも面白いです。

盛岡支社なくなっちゃうんですか。元々は盛岡鉄道管理局で、青森まで管轄にしていましたが、並行在来線の分離等で、次第に存在意義を失ってしまったんでしょうか。
「盛モカ」と書いた気動車や客車を見ていたから、未だにコーヒーに「モカ」があるとそれを頼んでしまうという私です。


左党89号 投稿日: 2023年01月16日 21:18:41 No.203 【Home】
「盛モカ」は盛岡客貨車区としての電略だったようで、盛岡駅の電略は「モリ」です。ちなみにマルスでカナコード入力をするときは「モリモリ」となります。

JR移行時に盛岡客貨車区から盛岡客車区へ組織変更されましたが、車両配置表記はそのままでした。
2000年に盛岡客車区が盛岡運転所に改められたことで車体の表記も「盛モリ」へ変更され、2004年に盛岡車両センターへと改称されてもこの表記を継続していました。

一方。青森運転所は2004年に青森車両センターへと改称されたものの、2016年には盛岡車両センター青森派出所と改組され、この段階で「盛アオ」が消滅しましたし、昨年には青森駅と旧運転所を結ぶ入換線も廃止されました。
「はつかり」「ゆうづる」の全盛期を知る者にとっては寂しいものですが。

「盛モカ」表記→キハ58アコモ改造車(三陸鉄道乗り入れ用)
「盛モリ」表記→「はまゆり」用キハ112


管理人 投稿日: 2023年01月17日 20:58:49 No.205 【Home】
「盛モカ」はすでになくなっていたんですね。モリモリもいいですが。
そう言えば、大阪の森ノ宮電車区は「大モリ」だったと思います。

話は脱線してゆきますが、大阪の網干(あぼし)電車区は、最初は「大アホ」だったけれど、さすがにこれはまずいということで「大ホシ」に変えたと聞きました。
「大アホ」と書いた113系を見てみたかったです。
BA10-2407291 投稿日: 2023年01月17日 21:53:55 No.206
横から失礼します。

青森運転所の記号は「盛アオ」でしたが、青森車掌区の電略は「アホレク」でした。
旧仮名遣いの方が古くから用いられていた機関のようです。
因みに青森車掌区所属の車掌さんは「アホレチ」です。

同様の例では、静岡運転所は「静シス」でしたが、静岡車掌区は「シツレク」でした。

子供の頃、下十条電車区の103系が「北モセ」表記なのが、不思議で仕方なかった記憶があります。
下十条の旧仮名遣いは「シモジフデウ」なので、何処にもセやゼは含まれていないのですが。
左党89号 投稿日: 2023年01月18日 17:39:57 No.207 【Home】
BA10-2407291さんへ
下十条は「シモジウゼウ」だったと記憶していました。

一例に挙がっていた「静シス」ですが、JR東海発足直後は他の区所に合わせて「海シス」だったのが「海に沈むから縁起が悪い」というクレームがあったとか(都市伝説レベルかもしれません)

JR東日本の組織改革では、首都圏各支社は「首都圏本部」となり、「都」が使われるようになったのですが、松戸車両センターの「東マト」が「都マト」(トマト)という笑える表記に変わったそうです。もっとも以前も「八ミツ」(ハチミツ)というのもありましたが。
管理人 投稿日: 2023年01月18日 19:26:23 No.208 【Home】
アホレチはいいですね。
他の車掌区の同僚から、さんざんバカにされたでしょう。

下十条は、左党89号さんのおっしゃる通り、「しもじうぜう」だからモセでしたよね。
「どじょう」を「どぜう」と書くのと同じです。
三遊亭金馬の落語「居酒屋」で、「どぜう汁」と書いたお品書きを「この『とせうけ』っていうのはどんな食べ物だ」というくだりがありました。
また話が脱線しました。
BA10-2407291 投稿日: 2023年01月18日 20:28:36 No.209
左党89号様 管理人様

私も「シモジフゼウ」だと思い込んでいたのですが、旧仮名遣いの場合は同じ音でも漢字によって表記が異なり、「条」は「デフ」が正しいようです。
余談ですが、古地図を見ると王子は「わうじ」となっています。

配置区名表記は、管理局が異なると重複する場合があり、武蔵小金井は「西ムコ」、向日町は「大ムコ」でしたね。
BA10-2407291 投稿日: 2023年01月18日 20:53:03 No.210
連投、失礼します。

昭和20年発行の地図で、動かぬ証拠を見つけました。
下十条は、やはり「しもじふでう」となっています。
「せ」の字は含まれていません。


管理人 投稿日: 2023年01月18日 21:14:27 No.211 【Home】
あはは。
お早い返信で!

おっしゃる通りで、実は「どじょう」も正確には「どぢやう」だそうです。
旧仮名遣いは、実際にそう発音されていたことを文字にしているので、多分「条文」とかいう言葉に使う「条」が「でう」と発音されていた事実があるのだと思います。

ただ、それが誤記からの発生であろうと、「どじょう」が「どぜう」と書かれていたのは、事実のようです。
つまり、その時代には、旧仮名遣いを使ってはいたけれど、そう発音はしていなかった・・・のではないかと思います。
そう考えると、鉄道省では電略を決める際、下十条を「しもじうぜう」と仮名表記をした(誤記かも知れませんが)結果、「モセ」になったのだと考えるのが自然です。
できれば、当時の「下十条駅」の駅名票の写真を見てみたいですね。
(No.210のレスで添付された地図は、もちろん事実だと思いますが、当事者である鉄道省がどう表記していたか・・・が知りたいということです)

ちなみに、布施明の歌っていた「シクラメンのかほり」については「かをり」が正解です。なので、タレントの「眞鍋かをり」さんの名前の方が正解だそうです。
BA10-2407291 投稿日: 2023年01月19日 01:17:57 No.212
仰る通り、老舗の川魚料理店等では現代でも敢えて「どぜう」と書かれているのが散見されますが、誤記だったとは。

旧仮名遣いの表記は非常に複雑で、蝶々を「てふてふ」と書くのは有名ですが、提灯は「ちゃうちん」が正しいようです。

英語を片仮名表記にすると「ライト」は「灯り」という意味と「右」という意味のどちらか区別がつきませんが、綴りによって区別されているのと似ている気がします。

下十条、十条ともに、昔の仮名表記駅名版の写真を探しましたが、ネットでは見当たりませんでした。
肝心の「モセ」に関しては、管理人様の仰る通り「じふぜう」と誤記されたのを、そのまま電略にしてしまったものと推察します。

余談ですが、飯田線の門島の電略は「モン」で、これは「かどしま」と読む事を承知の上で敢えて「モン」にしたと推察します。

脱線しますが、私が2003年に半年間宮城県築館に仕事で滞在した際に、仮住まいのアパートの目の前が用水路で、ここに罠を仕掛けて「どぜう」を捕獲して食用にしていました。
国道4号沿いだったので1~2時間に1本程度、宮交の一ノ関駅行のバスが走っており、それに乗って県交通一関営業所に写真撮影に行っていました。
興業中古のBU04が2台だけ残存していた時期で、他に神奈中古の北村CJMが1台だけと、一関~大船渡線のハイデッカーⅠ型CRA等がお目当てでした。

写真は下十条とは関係ありませんが、新大久保駅の新宿方外れに1枚だけ残っていた、旧仮名遣いの駅名板です。
94年撮影で、標準レンズしか持ち合わせていなかったので拡大すると画像が荒いのは御容赦下さい。
そのうち望遠を持って撮影に行こうと思っていたところ、気付いたら撤去されていました。




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