80s岩手県のバス”その頃”掲示板


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復刻カラー(=旧カラー)を纏った十鉄の電車代替バス
左党89号 投稿日:2023年02月02日 21:53 No.252 【Home】
以前、この掲示板で表題の車両について投稿しましたが、鉄道線廃止により登場した電車代替バスも運行開始時に経年車が集結したことから、運行開始から10年も経つとほぼ絶滅かと思っていたところ、昨年、神奈中から移籍したエアロスターがこのカラーとなりました。

このカラーの神奈中のエアロスターは2016年に移籍した1台以来ですが、同じ神奈中エアロスター(に限らず移籍車)では国際興業カラーで登場した車両もあるので、電車代替バス限定の位置付けは変わっていないのかもしれません。

余談ですが、十鉄の移籍車では社名・出入口・一般乗合の各表記はテンプレートに吹き付けしている車両が多いです。


管理人 投稿日:2023年02月02日 22:25 No.255 【Home】
十和田観光電鉄は、旧カラーを大切にしてくれていますね。
秋北バスもそうですが。

このノリを岩・・・いや、やめましょう。

十和田観光電鉄の型抜き文字は今や文化財とも言えるかもしれません。
職人さんが今も頑張っているのか、伝統を大切に引き継がれているのか、どっちなのか分かりませんが、いつまでも続けてほしいと思っています。


BA10-2407291 投稿日:2023年02月03日 01:26 No.257
伝統を大切にしているという点では、宇野自動車と小湊鉄道グループ(写真は九十九里鐵道)に好感を抱いています。

宇野自動車はシックな塗色もさることながら、今や国内で唯一となった前後5連マーカーランプを踏襲しています。
岡山を訪れた際に、これを見ると感激します。

小湊グループは、一般路線車はおろか高速車や貸切車に至るまでこの塗装を踏襲しており、強い拘りが感じられます。

管理人様が別スレで出していた新潟交通の赤屋根塗装ですが、戦前に新潟市内を走っていた「赤バス」をイメージして1990年に採用したらしいですが、ただの悪趣味ですね。
戦前期はえび茶のような色でも「赤」と呼称しており(日本人の色彩表現が曖昧極まりなく三原色に結び付けたがる)、実際にはもっと地味な色だった可能性があります。


管理人 投稿日:2023年02月04日 20:53 No.258 【Home】
カラーデザインに関するスレッドが複数になってしまいましたが、ここで続けます。

新潟交通のカラーは、確かに赤バスをイメージしたそうですが、銀バスの上半分だけ赤くするという手法が、よく分かりません。
赤バスは、1922(大正11)年に設立された新潟市街自動車が用いていた色だそうで、確かに今のような原色の赤だったとは考えづらいですね。
さらに、10年後の1932(昭和7)に設立された新潟合同自動車が銀色地を用いたというので、新潟交通にとっては、銀バスの方がずっと長お付き合いだったはずなんです。

あと、頸城自動車ですが、実は私はBA10さんとは逆に、結構好きなカラーデザインだったりします。デパートの包み紙のような感じです。
このカラーは、地元の高田工業高校のデザイン科に依頼し、コンテストの結果選ばれたデザインのようです。
地元の学生とか、公募とかでデザインを決めると、うるさいイラストや長く使うに堪えないカラーリングになることも多々ありますが、頸城は良かったんじゃないかと思います。
ここで添付したのは、グループ会社の糸魚川バスです。


BA10-2407291 投稿日:2023年02月05日 06:27 No.259
管理人様

こればかりは好き嫌いの問題なので、どちらが優れているとかどちらが正しいとは断言出来ない問題なのですが、マルケーグループ分社化の際に頸北観光バスが採用した、当時の親会社貸切色の路線タイプ車の方が、よっぽどスマートで私は好きでした。

何よりも何十年も踏襲されて来た、伝統のマルケー乗合色が数を減らして行くのが無念でした。
もっとも、同グループの貸切色はかなり無節操に数年おきに塗色変更していたので、あまり伝統を重んじる社風ではなかったのでしょう。
乗合パステル調を忌み嫌った私は、当然の如く現行貸切色も大嫌いです。

別スレで地鉄バスの「都バス前後反転カラー」を出しておられましたが、これは悪趣味とは感じておらず、嘗て羽後交通が小田急バスカラーを模倣したのと同様の事象かと思っております。
それより問題は写真3の車でしょう。
どうせコーポレートカラーを付加するのであれば、何故黄緑部分を塗り潰してそこに帯を入れなかったかな?
そうすれば、案外似合っていたと思うのですが、これじゃ悪趣味の骨頂です。

伊豆大島は東京都だから、都バスが走っていると勘違いした客が居たかも。


管理人 投稿日:2023年02月05日 16:46 No.262 【Home】
まず最初にお断りしておきますが、私は富山地鉄の現行カラーに対して、「悪趣味」とは書いておりません。このカラーにした意味を「中の人に聞いてみたい」と言っているだけですので、誤解のないようにお願いします。
カラーデザインの流用については、サイト内の「バスのカラーリング」で色々書いていますので、ここでは特に書きませんが、情報過多の時代に、見る機会の多い都営バスのカラーを、譲渡車でもないのに流用し、それも前後逆にしたという手法が非常に不思議だということです。

頸北観光バスは、頸城の旧貸切カラーをそのまま自社カラーにしていたり、最近も本家を差し置いて旧カラーを復刻したりと、BA10さんと同じ思いがあるように感じます。

これまで使っていたカラーを変えるのは、特に1980~90年代のCIがブームになった時にはよくあったことですね。
これは企業がイメージチェンジをするための手法ですので、仕方のないことかも知れません。
写真は諏訪バスの旧カラー(赤と青)、その色を使った1980年代の新カラー、そして1990年のCI導入後の現行カラーです。
旧コーポレートカラーを使った1980年代カラーはあんまり評判がよくなかったようです。そこで、CIを導入し、完全にイメージチェンジを図った現行カラーが、30年以上続いており、今では赤青の旧カラーを凌駕する歴史を持ったカラーになっています。


BA10-2407291 投稿日:2023年02月05日 21:10 No.263
管理人様

確かに「悪趣味」とは書かれておらず、当方の表現力、文章力の問題で誤解を生じさせたならお詫び申し上げます。

諏訪バスの旧コーポレートカラーを使った1980年代カラーは、確かに垢抜けないイメージですね。
旧カラーは松電を含め、それなりによく纏まった塗色で好印象でしたが、古臭さは否めなかったと感じます。
また、腰部の細線多用は、塗装工程を著しく煩雑にするものであったと容易に想像出来ます。
しかし、同じ色を一部残したままで大幅に塗り分けを変えてしまうと、ここまで印象が変わってしまうものかと実感させられる好事例かと思います。