80s岩手県のバス”その頃”掲示板


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懐かしの湘南顔電車
左党89号 投稿日:2023年01月21日 18:13 No.219 【Home】
書店に行ったところ、上記のタイトルの書籍が目に入り、衝動買いしました。
内容的には許容範囲をかなり広げた構成になっており、評価が分かれそうですが、類似のデザインの車両も登場したという点ではありかな?と思っています。

2枚め・・・書中でも紹介されていた西武の701系→流鉄2000形
3枚め・・・トミーテック「ノスタルジック鉄道コレクション」のフリーランスの気動車セット。バス窓車は東武キハ2000の塗装変更


左党89号 投稿日:2023年01月21日 18:14 No.220 【Home】
3枚めが添付されていませんでしたので再送信します

管理人 投稿日:2023年01月21日 20:12 No.221 【Home】
左党89号さん、こんばんは。
これはまた欲しくなるような本が出たんですね。
表紙の写真だけでも電車以外のものがありますが、それはさておき、確かに湘南スタイルの定義というのも、個人差があるんでしょうね。
私としては、鉄道ファン1977年7月号の湘南電車特集で、吉川文夫氏による「私鉄の”湘南形”車両」という記事が最初に思い浮かびます。

ネタはいくらでもありますが、とりあえずオリジナルの湘南形である80系と70系の並びをお見せします。
そして、左党89号さん投稿の総武流山電鉄の元ネタでもある西武の湘南形の並びです。湘南そのものの501系の横に窓がつながった601系がいますが、どうしてちゃんと2両をファインダーに納めなかったのか、高校生の自分の腹が立ったりします。


BA10-2407291 投稿日:2023年01月22日 02:37 No.223
私の鉄道趣味の原点である「湘南スタイル」ではないですか!!!

確かに、派生形を何処まで含めるかというのは難しいですね。
私個人の考え方では、正調湘南スタイルというのは
1.鼻筋が通っている、又は半流線形。
2.正面上半分か、或いは全体的に傾斜している。
3.低運転台で独立2枚窓。
と考えています。

ですから、西武が多用した細いセンターピラーの連続2枚窓や、小田急2200形のような垂直な前面は、影響は受けているものの派生形と受け止めています。

ただ、最近の車両でもJR四国の5100形電車や、JR貨物のM250系電車(157系→185系の流れを汲む)、横浜市交通局の4000形電車等は、派生形の現代版と捉えています。

クハ86形(023以降)無くして、これらのデザインは生まれなかったでしょう。

もっと範疇を広げると、近鉄初代ビスタカー10000系電車は、明らかに影響を受けていますし、EF66形0番台電気機関車は国鉄20系(後の151系)電車とクハ86形を足して2で割ったようなデザインだと思います。

実は、国鉄80形電車の形態分類(後天的改造を含む)に関してはかなり極めているという自負があり、Wikipediaの当該頁は私が執筆及び添削した部分がかなりあります。
クハ86形059・060のみが前面木枠窓車の中で更新修繕から漏れ、中京地区で運用された昭和40年代後半まで木枠のままだったという事実を解明したのは私ですし、86形300番台で正面窓硝子が更新修繕車と同様の天地寸法が小さいものに改造(事故復旧?)された車が2両(356・359)あったというのを解明したのも私です。

80形以外の正調湘南スタイル車(前述の派生形を除く)を網羅して、中小私鉄や軽便鉄道、更には鉱山鉄道車両や保線機械まで一覧を掲載したのですが、あまりに数が多く、他の方の編集により代表車両以外の記載は削除されてしまいました。

写真1は左がクハ86306(300番台第一次製造車の塗り分け線を踏襲)、右がクハ86302(86316以降の増備車と同様の塗り分け線に変更)。
写真2は、中央西線で1980年まで残存した、1952年度形ほぼ原形(正面窓以外にHゴム不使用・張り上げ屋根)のクハ86065。
写真3は、
クハ86形で唯一シールドビーム2灯化改造を施工された、86332です。


BA10-2407291 投稿日:2023年01月22日 03:00 No.224
連投、失礼します。

一目瞭然、私の愛車「湘南自転車」です。
ハブには、特製湘南色ハブ毛付き。

これで鉄道写真撮影に訪れると、かなり注目されます。


管理人 投稿日:2023年01月22日 16:26 No.225 【Home】
確かに2枚窓というだけで湘南形とは言いたくないですね。
西武のつながり窓は、501系の後継である551系や601系は入れてもいいかと思いますが、おでこが方向幕になっちゃうと、ちょっと違って見えます。(ここでは、おでこに何もない元伊豆箱根1000形の写真を載せました)

湘南自転車いいですね。これに振り返る人は、鉄分が濃い人でしょう。
この塗り分けは、「金太郎腹掛け」スタイルと言われますが、最初どこが「腹掛け」なのかさっぱり分かりませんでした。最初期の3枚窓の塗り分けが起源だとは思いますが。
これも定義が難しく、下だけ金太郎塗り分けの車両は、腹掛けには見えません。(ここでは大井川鉄道の元西武をお見せします)
また、南海ズームカーのようにラインにした場合も「腹掛け」なのか・・・多分違うんでしょうね。
(今回の写真は3枚とも大井川鉄道です)


BA10-2407291 投稿日:2023年01月22日 19:27 No.226
管理人様

「金太郎腹掛け」と称されたのは、86形一次車の当初の塗り分けが下部のV字が後年よりも小さく、上部も側面窓上が段差状の塗り分けだった為に正面に回り込む位置が低くて(即ち全体的に緑の面積が大きい)、これなら容易に連想出来たと思います。

逆に、300番代二次増備車(86316~)では86形の中で正面の緑の面積が最も小さく(上部を運行灯上の突起部分にかからないよう修正し、下部も側面の塗り分けラインが100番代以前の車より低い為)この塗装から腹掛けを連想するのは困難です。

この正面のカーブは施工工場によってかなりバラつきがあり、特に最末期の飯田線用300番代を担当していた浜松工場ではマスキングが非常にいい加減だった為、相当な個体差が見られました。
私の中で最も酷いと感じたのは、80系旅客車の最終自力走行(84年3月1日の廃車回送)の先頭に立った86301で、下部のV字カーブがガタガタで、明らかに左右非対称でした。

仰る通り、上部に方向幕窓があると、かなり印象が変わりますね。
ただ、掲載頂いた伊豆っ箱の1000系の初期2編成は腰部に大型前照灯で、なんだかクモヤ93形を連想させる表情に見えます。

あと、前述の私の中での基準には該当する車ですが、東急青ガエルや、京急500形・初代600形初期車のように前面窓が縦長なスタイルは、果たして正調湘南スタイルと呼んでよいものか疑問です。

掲載写真は最初の2枚はゲテモノで、国鉄保線工事用機械と、日野TC300型トラックです。
トラックのデザインに影響を及ぼしたかどうかは疑問ですが、表情的には似ていると思います。
保線用機械は、明らかに影響を受けていますね。

写真3は、80系(厳密には国鉄旧性能電車には系列という概念が無かったが、敢えて湘南電車80形グループを80系と呼ぶ)の中で最終自力走行車となった、クモニ83103(元モユニ81006)の、廃車回送シーンです(1984-3-14 豊橋)。
この時は神戸方から83102+68420+61005+54129+83103という組成で、奇しくも湘南スタイル第一次製造車が両端に付く編成でした。


BA10-2407291 投稿日:2023年01月22日 19:49 No.227
度重なる連投にて失礼します。

自己満足写真ですが、86形二次以降の正調湘南形電車オリジナルが現存しない今、レプリカ同士のツーショットと、派生形ながらこだま形と湘南スタイルの影響が色濃く見られるEF66 27と86形の、夢の想い出共演の写真を出しておきます。


片倉穂乃花 投稿日:2023年01月25日 23:32 No.232
皆様

ご無沙汰しています。話題に出た国鉄の保線用機械というのは「貨物型モータカー」とよばれる保守用車です。

https://mcdb.sub.jp/ct/01_tmc/origin/type_freight/
上記の記事(私が書きました)に詳細を載せたのですが、つまるところ当時のJISで規格化されたモータカーです。
80系登場以降の規格化なので影響があった可能性はあるのですが、この規格は国鉄以外の有識者も制定に参画していて(東急や近鉄の重役もいます)、国鉄以外の私鉄や専用線で幅広く導入されていた事を考えると、これを80系の派生として扱ってよいのか微妙な気がします。
例えばJIS-E1801規格原本(日本規格協会ライブラリーで閲覧できます)には制定者の名簿が載っていて、10数名いるうちの3名しか国鉄の人間はおらず、他はいすゞや近鉄などメーカーや民鉄の人間ばかりです。


管理人 投稿日:2023年01月26日 20:31 No.233 【Home】
片倉穂乃花さん、こんばんは。
飽くまでも基準のないことなので、範囲をどこまでにするかは個人の好みや感性でしかありませんが、私も湘南形の範囲を広げすぎることには抵抗を覚えます。
自動車などの小さい乗物は、このカテゴリに含めたくはないですね。戦前から箱型バスの2枚窓は存在しましたし。保守用のモーターカーも同様です。
ただし、2枚窓のバスやトラックに、折よく「金太郎腹掛け」塗りを真似た例はありますので、その部分では「影響は受けた」と言えるものもあるでしょう。

逆に、BA10さんが疑問と書いている東急5000系あたりは、時期的に明らかに影響を受けているものなので、私は含めていいと思っています。
ここで上げた写真は、その東急5000系の弟分のステンレス車5200系です。こちらは「くの字」がくっきりしているので、明らかに湘南形でしょうね。


BA10-2407291 投稿日:2023年01月27日 05:31 No.237
片倉穂乃花様 管理人様

片倉穂乃花様、初めまして。
御教示下さいまして有難うございます。
JIS-E 1801という形式の汎用モデルなのですね。

この分野に関しては片倉様の方が遥かにお詳しいという事は承知の上で、敢えて当方の見解を述べます。

片倉様のサイトに掲載されているJIS-E 1801は鼻筋が通っていないようにも見えますが、こちらのサイト
https://toden15ban.blog.fc2.com/blog-entry-3430.html
に掲載されている個体は明らかに鼻筋を通した上半分傾斜のスタイルで、これはどう見ても国鉄クハ86形の影響のように思えます。
ほぼ同形態の個体が、20年程前まで函南駅構内に留置されていたのを記憶しております。

>この規格は国鉄以外の有識者も制定に参画していて(東急や近鉄の重役もいます)、国鉄以外の私鉄や専用線で幅広く導入されていた事を考えると、これを80系の派生として扱ってよいのか微妙な気がします。
>10数名いるうちの3名しか国鉄の人間はおらず、他はいすゞや近鉄などメーカーや民鉄の人間ばかりです。

上記には、大変不躾な物言いで恐縮ですが、異論がございます。
当時、湘南スタイルは国鉄車両に留まらず、我が国鉄道業界全体で空前絶後のブームとなっており、東急(5000・5200・200形)や近鉄(5801形)でも鼻筋を通した上半分傾斜形の車両を導入しており、この類似意匠を事業用モーターカーに採用する事にはなんら抵抗が無かったものと推察します。

上記の他にも、おおよそ一般乗客の目に触れる事は稀な、主に鉱山鉄道向けELや、主に森林鉄道向けDLにも、鼻筋を通した上半分傾斜形の「正調湘南スタイル」の車両がメーカー主導の汎用タイプとして、多数製造されています。

写真1は、日本輸送機(ニチユ)が1960年代初頭に製造した鉱山鉄道向けEL(架線集電)で、8tモデルはEL8-HRP610、10tモデルはEL10-HRP610というメーカー形式だったようです。

写真2は、酒井工作所が1950~60年代に製造した森林鉄道用DLで、C4というメーカー形式だったようです。

写真3は、2と同じく酒井工作所製の森林鉄道用DLですが、形式は不詳です。

湘南スタイルは本来なら旅客用車両で、主に視覚的なスマートさやスピード感を強調する為に多くの鉄道事業者で用いられたと推察しますが、それらの視覚的効果を必要としない事業用車両にも用いられる程に空前絶後の大ブームだった事が伺える事例です。

管理人様
日野のキャブオーバートラックに関しては、直接の影響を受けたものではないと当方も推察しますが、表情が似ている事例として掲載したまでです。
鉄道の事業用車両(機械)に関しては、上記事例も含めて時期的にも流行の真っ只中の製造であり、影響を受けていると考えます。
当方が疑問を感じている東急5000・5200形ですが、当然影響を受けている事は明白ですが、窓の天地寸法から印象が異なるので、京王や西武のような「正調」ではなく「派生形」と捉える考え方もありかな?と思った次第です。
東武5700型原形も、同様に派生形かと思います。


片倉穂乃花 投稿日:2023年01月28日 06:57 No.238
管理人様 BA10-2407291様

お世話になっております。BA10-2407291様はお初にお目にかかります。

ご指摘の通り基準がない感覚的な話なので明確な線引きはできず、且つ影響が無かったと断言もできません。
あくまで私の考えとしては影響を受けた可能性が低いと思われる程度です。というのも、管理人様ご指摘の通り自動車の世界では戦前から前面2枚窓のものが多く、軌道モータカーは元々自動車の技術の応用として誕生したので、古典的なモータカーは鉄道というより自動車の影響が強いものなのです。

添付は有名なメーカーで松山自動車工業(現:松山重車輌工業)の広告です。(『交通技術』1956年7月号より引用)。社名の通り元々は新潟市流作場に所在した自動車整備業で、北村製作所の真裏に工場がありました。北村との関係が強かったようで北村の創業者が取締役として経営に参加しています。

一方でBA10-2407291様が引用されているニチユの産業機関車ですが、これは80系のスタイリングを真似たとウラが取れています。
http://c5557.photoland-aris.com/hozon/asio-rekisikan2020.htm
当時のニチユの工場は長岡京市にあり東海道線の線路の真横だったようです。

スタイリングの話は線引きが難しいところです。
バスの世界では、川重車体のキュービックボデーがベルリエPR100(仏)の模倣だと批判された事があったようですが、影響が伺える程度でそこまで露骨な模倣ではないと私は考えています。(話が二転三転して恐縮ですが…)


BA10-2407291 投稿日:2023年01月28日 09:55 No.240
片倉穂乃花様

御返答を有難うございます。

なるほど、ニチユの機関車についてはウラがとれているのですね。
酒井工作所の機関車に関しても、明らかな模倣のように見えます。
確か何かで読んだ記憶があるのですが、ニチユでは1962年製までは本物の湘南形同様の4面構成で製造したものの、製造工程が面倒で1963年以降は簡略化した形態に変更したらしですね。

軌道用モーターカーに関しては、確かに自動車の車輪を鉄道用に変更したような構造で、湘南形の影響があったかどうかは疑わしい部分があるのも頷けます。

いすゞキュービックのルノー模倣疑惑については有名な話ですね。
同様に民生T80トラック・B80バスが、当時のクルップ製ボンネットトラックとスタイルがそっくりですが、これは民生デイゼル自体がクルップ・ユンカースと提携していた為、当然の如く模倣したものと考えます。