濃淡の深淵なるもの


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矢も楯もたまらず走り、ただ馬齢を重ねる。 邦彦 投稿日: 2023年05月07日 04:23:46 No.289 【返信】

   「富士川SAには大変お世話になりました。
     首都高から東北自動車道に抜ける際、時間待ちして深夜に
     渋滞がないであろう首都高に入る作戦を考えました。
     最初は、都心のトンネルを通過する際に、トンネルが交差
     していることを知らず、突然に前方の脇道から飛び出して
     きたタクシーに気づき、急ブレーキをかけて停止しました。
     その時のタクシー運転手の洗練された挨拶に驚きながらも、
     怒ることなく、ただただ粋な手振りに感心してしまいました。
 
     二回目も首都高で同じようにしようと思い、料金所を抜けると
     右側レーンが渋滞していて入れず、左側レーンから東北道に
     行くしかなくなりました。すると、『首都高速トライアル』
     と言うべきか、何度もグルグル回って、どのレーンから抜け
     ればいいのか分からず、上野に降りてしまいました。
     真っ暗な場所で怖くてたまらず、Uターンして首都高に引き
     返すことにしました。
     後日、東京本社から九州に戻ってきた同僚に尋ねると、愛車に
     『品川』ナンバーをつけていた彼は首都高は番号の通りに走れ
     ば抜けるのは簡単だと言われました。確かにそうなのでしょうが、
     慣れない田舎者にとっては難しいと言い返したことがありました。
  
     三回目は富士ICから富士山を右に眺め、朝霧高原から青木ヶ原を
     経由して中央道に入りました。その翌年に旧上九一色村での事件が
     起こり、遠からぬ場所を走ったことに寒気を感じてしまいました。

     当時、東海地震警戒宣言が強く叫ばれていて、富士川SAには、
     大看板に地震の際のドライバーのとるべき注意点が書かれていた。
     「キーをつけたまま避難してください。」の一文に狼狽したこと
     を鮮明に覚えている。


戦国時代のプレーボール! 邦彦 投稿日: 2023年05月06日 19:01:17 No.288 【返信】

   戦国時代には合戦に際し、敵と味方でどのようなルール、
     作法や取り決めがあったでしょうか。

     AIチャットの見解

     戦国時代の合戦には、実は決められた手順がありました。
     最初に「矢合わせ」が行われ、両陣営がにらみ合いの状態で、
     大きい音がする「鏑矢」を放ちます。この鏑矢をきっかけに
     して、弓隊から一斉に矢が放たれます。次に「槍合わせ」が
     行われ、長槍隊の一団が槍(三間、約5.4メートル)を突き
     合います。戦い方としては、まず槍で叩く、または足を払う
     などの攻撃を仕掛けて、倒れた相手を突くといった戦い方です。

     これらは正攻法での合戦の際の「作法」です。他にも奇策や
     奇襲攻撃などもありました 。

     私見ですが、ガタイの大きい選手たちの試合中の姿から、
     はなっから俄な兵では太刀打ちできないとおののいてしまいます。


戦場に鬼火が漂う 邦彦 投稿日: 2023年05月06日 18:16:27 No.287 【返信】

   戦国時代のことでお尋ねします。
     合戦が終わって残された敵兵の骸は、そのまま腐るに
     まかせていたのでしょうか。それとま、誰かが手厚く
     葬ってあげていたのですか。

     AIチャットの見解。

     戦国時代において、戦場で死亡した遺体は、基本的に
     上官が回収し、主家が費用を負担して葬るのが理想と
     されていました。しかし、現実的には、そうすること
     は難しかったようです。大阪冬の陣・夏の陣では、
     家康から許可を受けた大阪の富豪が戦場の後片付けを
     担当しました。これは、死体の処理をする代わりに、
     武具や武器をこっそり貰うという暗黙の了解があった
     ようです²。

     また、合戦場となった付近の僧侶や農民が遺体を埋葬
     することもありました。その際も武具や武器の剥ぎ取
     りなどがなかったということはないでしょう。
     城下周辺の合戦では、遺体はしっかり埋葬される
     ことが多かったようですが、山野での戦となると遺体
     から衣類や武器は剥ぎ取られ、そのまま放置される
     ことも少なくなかったようです²。


     


笑い事ではないが笑える話です。 邦彦 投稿日: 2023年05月06日 17:15:01 No.286 【返信】

   大事になってしまったことがあります。
     人の噂は広まるにつれて、その内容が誇張されて
     大変な状況になってしまいます。 ある普通の、
     地味でつまらない老人があることを境にイメージが、
     まるで過激な不良老人のように誇張され、建物の前に
     障害物を置いたり、保安員を配置する必要が生じる
     ほどの事態になりました。

     今もそのような状況が続いているかもしれませんが、
     確かに関係者の方々は私を緊張して見ていることが
     痛いほど分かります。
     
     まあ、仕方がないですね。


神の思いのままに 邦彦 投稿日: 2023年05月06日 01:43:50 No.285 【返信】

   「人は決して許してくれないものだよ。」
     と、私に言った母の言葉は、私が20歳の時に聞かされた
     ものだった。私の母は貧しい生い立ちを経て、いつも赤貧洗う
     ような生活を送っており、その間、他人の欠点や罪悪感を見て
     きた苦労の人生を送っていました。

     私は発達障害があり、信頼しやすく、他人間の隙もある性格を
     していたので、甘い考えを許すことができなかった。母はその
     ような私には厳しく、私への対応が冷淡でした。それでも、
     何度か周りの優しさと運の良さに恵まれて、社会から弾き飛ば
     されず、死の危機に陥ることさえありましたが、今も生きている
     ことを自覚しています。

     それは、私の祖先や親の行動に起因するものなのでしょう。
     だから、私には未来への未練ややり残したことはありません。
     もし私が自殺に追い込まれたり、運がつきて他人に殺され、
     それもこれも自分自身が引き起こした結果だと受け入れる覚悟が
     ありますが、現在まで神が私を見放さないでくれました。
  
     それを思うと早々に死んではならない、ましてや自殺など、
     殺害されるなど、考えることが浮かびません。

     「ありがとうございます。」の言葉を捧げたく存じます。


走る家族には 邦彦 投稿日: 2023年05月05日 02:23:45 No.283 【返信】

  今昔、1986年度の映画『新喜びも悲しみも幾年月』を
    鑑賞してから、5年後のゴールデンウィークに家族と思い
    立って、用意も何も慌ただしくドライブに出発した。
    家族には目的地も告げず、SAで休憩しながら夕方近くに
    PAで「今日はここで泊まろう」と言うと、家族たちから
    恐くて嫌だと反対され、車を走らせると暗くなった頃に
    舞鶴駅で休憩した。よく分からない夜道を進んでいると、
    前方に車がいたのでついていくと、広い駐車場があり、
    満車状態だったが、どうにか駐車することができた。

    一夜明けると、直ぐ側に天橋立があった。どうも昔に見た
    ことがある風景、そうだ12年前だったか、
    ここに電話局舎があり、事務所で電話をかけさせてもらった。
    その時に、窓の向こう側に天橋立が見えたのだった。
    その跡地が駐車場になっていたのか。
  
    最初に訪れる経ヶ岬灯台まではのろのろの渋滞で、観光客用の
    駐車場も満杯だったが、どうにか滑り込むことができた。
    駐車場から灯台まで結構な登りが続いた。爺さんになってし
    まったので、今はもう無理だろう。
    灯台までの風景、灯台は「日本灯台50選」にも選ばれる灯台
    だけあって素晴らしかった。

    灯台を後に車を出発させ、近くのお店に立ち寄ると、
    映画撮影時であろうか、顔を片手で遮られた大原麗子さんの
    スナップ写真が飾られていた。
    一葉の写真から普通の私などには窺い知れぬものを感じた。
  
    それから車を走らせていると、余部鉄橋の真下では、
    鉄道事故の慰霊が行われていた。
    「新・喜びも悲しみも幾年月」の映画が公開された
    同じ年の12月に 「余部鉄橋列車転落事故」が起きたのだった。

    その当時のことを思いだし、
    今私はその事故で亡くなった人々に深く黙祷を捧げたいい。
邦彦 投稿日: 2023年05月05日 02:37:02 No.284
天橋立。経ヶ岬。灯台の断崖。



ほどほどの絞まり具合 邦彦 投稿日: 2023年05月04日 06:12:27 No.282 【返信】

パンツのゴムが伸びきってユルユルになり、じわーっと
  下に下がり始め、おもむろにポケットに手を突っ込んで
  上げねばならず、鬱陶しいものはありません。年齢を重
  ねるごとに、お腹、横文字で言うとウエスト周りが長く
  なり、要するに太鼓腹になってしまい、パンツの緊張が
  緩んでゴムが耐えきれなくなるのです。そうなんです。

  「それが分かっているのなら、新しいパンツを買い置け
   ばいいじゃないですか。」なんて、突っ込みが入るか
   もしれません。でも、お店に行ける時間がなかったり、
   奥さんがいたりするわけですが、
  「自分のことは自分でやれ」と言われる時代ですから、
   頼むことも憚られ、気軽に頼めないのです。

  「男のメンツ」なんていうものも、もはやどこにもあり
   ません。仕方がないので、トイレに入り、パンツの
   ゴムを調整しますが、今度はキツくなりすぎて、
   どうにも上手くいきません。

   遊びは必要ですが、ユルユルにしすぎるのは良くありません。


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