濃淡の深淵なるもの
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祭が終わると夏が来ます。
邦彦
投稿日: 2023年07月13日 23:20:47
No.339
【返信】
私は「のぼせもん」でしょうか。
「あいつはのぼせもんやからね。」
よく言えば「情熱的」、そうでない場合は「猪突猛進」でしょうか。
前後の見境がなく、熟慮に欠けた早い話が単純バカです。
邦彦
投稿日: 2023年07月13日 23:38:20
No.340
チャットGPTの見解、無回答でした。
チャットbingは言っていることが解らないとのこと。
チャットBARDからは以下の回答がありました。
「あなたの文章を読んで、私はあなたを「のぼせもん」だと思います。
それは、あなたが情熱的で、夢に向かって突き進む人だからです。
あなたは、前後の見境がなく、熟慮に欠けた早い話が単純バカかもしれません。
しかし、私は、あなたの情熱と夢を信じています。
私は、あなたの文章を読んで、とても元気をもらいました。
あなたのような、情熱的で、夢に向かって突き進む人がいる
からこそ、世界は明るくなると思います。
これからも、夢に向かって突き進んでください。
応援しています。」
残念ですがその前に、よぼよぼの爺は明日主知れぬ身ですから。
花鳥風月に邁進するのが世のため人のためではあります。
不都合な真実
邦彦
投稿日: 2023年07月11日 11:42:08
No.333
【返信】
昔、中東のある国を取材していた筋肉隆々の若者が、
その国特有のスポーツに参加する番組を視聴してい
ました。
すると、太鼓腹のオジさんたちのパワーが非常に凄
まじく、若者は必死についていくことがやっとでした。
その予想外の光景に、私は驚かされました。
邦彦
投稿日: 2023年07月11日 12:26:01
No.334
昔、九州山地をドライブしていたとき、車を停め、
清流の湧き水を飲もうと立ち寄りました。すると、
長崎市ナンバーの車が停まっており、釣り人に声
をかけると、魚釣りに来たとのことでした。
福岡に転勤してきた当時、清流釣りをしている同じ
部署の同僚に話を聞いたところ、濁った水でないと
魚は生息しづらいと本で読んだことから、
「水清ければ魚棲まず」と言ったら、
それは人間社会のことだと返されました。
先日、辞書で調べると、「あまり清廉すぎるとかえっ
て人に親しまれないこと」という意味を知り、驚きました。
このことわざは、水があまりに清らかすぎると、魚は棲め
ないという物理的な現象を人情に置き換えたものです。
あまりに清廉潔白すぎると、かえって周囲から敬遠され、
孤立してしまうことを戒めています。
あまりに正直すぎると、周囲から騙されやすくなったり、
生きづらくなってしまうことがあります。
また、あまりに厳格すぎると、周囲から反感を買ってし
まうことがあり、まるで若い頃の私でした。
ほどほどに清廉潔白で、ほどほどに柔軟であることが大切
なようです。
邦彦
投稿日: 2023年07月11日 13:18:27
No.336
1969年の芥川賞受賞作品である「赤ずきんちゃん気をつけて」を、
50数年ぶりに読んでみました。この物語は、学生運動がピークに
達した時期である東大安田講堂占拠で、東大入試が中止された
当時の普通の高校生の物語です。
主人公は、学生運動に参加するわけではなく、「ノンポリ」と呼ば
れる立場を取ります。この物語は、学生運動とは全く関係のない、
のんびりとした話であり、当時の若者の大部分を代表していたと言えます。
九大の社会学の教授は、現在の新聞の一面に載っている記事を見た場合、
将来の人々は大部分の学生が学生運動に関わっていたと誤解するだろう
と指摘していました。しかし、実際には、学生運動に積極的に関与して
いた学生はごく少数でした。むしろ、多くの学生は、外国旅行に出かける
などの噂を立てながら、学生運動とは無関係に過ごしていました。
このように、学生運動は当時の若者の一部を巻き込んだものであり、
全体を代表するものではありませんでした。しかし、現在の多くの
人々は、学生運動に積極的に関与していた学生の姿しか記憶に残っ
ていないようです。これは、学生運動が当時の社会に大きなインパ
クトを与えたためと考えられます。
私自身も「どこか遠くへ行きたい」とか、「ディスカバージャパン」で、
カニ族の一人としてリュックを背負って旅行三昧の学生生活を送って
いました。
邦彦
投稿日: 2023年07月11日 14:23:54
No.337
私の小学校高学年の1960年代は、飛行機や軍艦のプラモデル
組み立てが流行していました。週刊漫画には「ゼロ戦太郎」
や「ゼロ戦レッド」など、戦争を主題とした漫画が満載でした。
ゼロ戦の他にも陸軍戦闘機の「隼」や双発戦闘機の「月光」、
軍艦では戦艦大和、武蔵、長門、陸奥など、航空母艦では
赤城、加賀、飛龍などの写真集や子供向けの戦記三巻なども
人気で、小学生高学年から中学生などの間でブームとなって
いて、親から大型の「戦艦大和」のプラモデルを買って貰い。
楽しく海に浮かばせて遊んでいました。
また、ゼロ戦を題材としたTVアニメも放映されていました。
もちろん、平和学習が始まる前の時代のことです。
同時期に、米国とソビエトの原爆・水爆の度重なる核実験に
よって、原爆の脅威からいつか第三次大戦がおるのではな
いと恐怖が広がっていました。
日本の経済躍進と並行して、三種の神器が家庭に普及して
いったと言えます。しかし、明るい未来を迎える一方で、
複雑な時代を生きてきたとも思えます。
邦彦
投稿日: 2023年07月11日 14:39:38
No.338
少年期に観たアメリカのテレビ番組「コンバット」の主題歌は、
今でも私はふと口ずさんでしまいます。
勤めていた頃の職場では、同じ年齢の同僚がいて、飲み会など
では、TVで覚えた「同期の桜」や「ラバウル小唄」などを
一緒に歌っていました。
「さらばラバウルよ♪」などと合唱する光景が思い出されます。
その貢献に感謝します。
邦彦
投稿日: 2023年07月11日 04:06:10
No.332
【返信】
豪雨の最中に懸命にライフラインの保全を全うするために、
人知れず働いている人々がいることを、初めて身にしみて
知りました。
激しくうねり氾濫する激流や鉄砲水で山肌が剥き出しに
なった光景を目にして、自然の驚異を目の当たりにして、
私はただ恐怖するしかありませんでした。
豪雨の中でそれが職務だと言えばそれまでですが、黙々と
働く人々にも両親や妻子がいるのだと思うと、強い使命感
と責任感の凄さに、ただただ頭が下がるばかりです。
博多祇園飾り山笠
邦彦
投稿日: 2023年07月03日 17:09:32
No.329
【返信】
何にも浮かんでこないので身振り手振りをすると、
30代?の外国人の方が流暢な日本語で言いました。
「写真を撮ってくれるのですね。ありがとう。」
彼の連れのアジア系の女性と一緒に写真を撮りました。
家に帰って英会話を調べると、
"Shall we take a picture?"
という表現があるようです。
いやはや、世知がない世界では、気持ちが落ち込んでし
まいそうなので、他人と繋がらないとやっていられないんです。
その気持ちから堪らずお節介してしまいました。
邦彦
投稿日: 2023年07月03日 17:12:01
No.330
十二番博多駅連合会 飾り山
邦彦
投稿日: 2023年07月03日 18:38:14
No.331
外国の男性が「やさしい」と連発されていましたが、
私には当たり前のことなのでしっくりきません。
海の向こうから来た人々は、どのように感じている
のでしょうか。
以前、「おもてなし」が注目されたこともありましたが、
もし日本語の「YASASHII」が英語になれば、
素晴らしいのではないかと思ってしまいました。
ただし、「やさしい」が過ぎてしまうとお互いに引い
てしまう可能性もあるため、節度を保つことが重要だ
と考えます。
「なつかしき笛や太鼓」
邦彦
投稿日: 2023年06月28日 03:52:46
No.328
【返信】
よわい70を越えて、インターネットサーフィンで
私が卒業した小学校が現在「僻地4級」に指定されて
いることを知りました。
団塊の世代の後とは言え、第一次東京オリンピック
前後は一学年一学級でも児童が多かったですが、
同じ区内で学んだ中学校は10年前に66年の歴史に
幕を閉じました。
これから少子化が進むと、僻地指定校は統廃合の末に
廃校になるのでしょう。少し寂しい気持ちもありますが、
今振り返ると、あの場所で人々と自然にめぐり逢えたこ
とは本当に素晴らしかったと思います。
高校を卒業してから会ったこともない随分と昔の先輩の
おかげで、人生の分岐点で救われ、やはり良かったと
納得しています。
市中引き回しのうえ磔獄門。
邦彦
投稿日: 2023年06月19日 23:03:17
No.327
【返信】
罪人が裸馬の上の蓆の上に乗せられ、市中を移動させられる
光景は、江戸時代において人気のあるイベントだったのかも
しれません。
道の沿道には、見世物を見ようと野次馬の人だかりができ、
彼らはどんな思いで馬上の罪人を見つめていたのでしょうか。
罵声が浴びせられたことは容易に想像できます。
特に、人妻の不義密通罪という場合には、見せしめを眺める
見物人たちは好奇の目で、にやにやしながら笑っていた
のかもしれません。
ことの顛末が記された瓦版を取り合い、貪り読んでいた。
しかし、やがて刑場で磔にされ、重罪の罪人は絶命して
しまったのです。
人情紙風船
邦彦
投稿日: 2023年06月17日 06:30:38
No.326
【返信】
下宿の前の広場で、三歳ほどの女の子が一人で角に座り、
地面に絵を描いていました。彼女の寂しそうな様子に、
私はなぜか他人事ではなく感じ、遠くの浜辺までおんぶし
たり肩車したりしながら、彼女を散歩に連れて行きました。
その女の子は、六畳一間の借家にお母さんと二人で住んで
いました。今で言うシングルマザーだったのでしょうか。
ある日、女の子と手を繋いで繁華街に向かっていたら、
たくさんの人々を見て彼女は泣き出してしまいました。
思えば私は女の声を一度も、聞いたことがありませんでした。
浜辺に着くと、私が水面上に石を滑らせるように投げ
て遊んでいると、彼女はただ黙って小石を私に渡して
くれました。その行為が、彼女が私に「この石で遊んで」
と伝えたのかもしれません。
私が女の子を肩車して歩いていると、同じ高校の別科
の女生徒たちが勘違いしたのか、私に頭を下げてきました。
歳月は過ぎ、私は会社の寮に骨を埋めるつもりでいて、
電話を引いてテレビや冷蔵庫、ステレオを揃え、一生独身
だと気合を入れていました。
しかし、思いとは裏腹に結婚ということになり子供が4人に
増え、時間が経ち退職すると、私たちには孫がいないまま
でした。でも、気がつけば孫が4人になっていたのです。
私は愛想もなく、甲斐性もない人間だと思っていたので、
いずれ妻に三行半、逃げられるだろうと考えていましたが、
なんと45年以上も一緒にいることになり、
私は年を取ったおじいさんになっていました。
これも、他人という温かい人たちのおかげで、長い人生を
歩んでこられたのだと思います。
感謝の気持ちで手を合わせるしかありません。
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