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診断ミス? 太田(匿名希望) 投稿日: 2020年09月04日 22:24:57 No.1305 【返信】

かかりつけ医の診断に疑問が生じたので質問させて下さい。
強迫症であるとの診断なのですが、似たような症状にPTSDもあり専門家でも
区別が難しく誤診があるという話を聞きました。医者には昔のトラウマを話しておらず
(聞かれず)言うのも辛いのでこちらから話したりはしませんでした。
強迫症かPTSDか、またはその両方になるのか???
強迫症とPTSDの明確な違いとはなんでしょうか?

また薬の相談の話なのですが、こういう抗不安薬は服用すると頭の調子がいったん
下がりそれからまた上り調子に良くなるみたいな話を聞いたのですが、一度調子が
下がった時点でもうその薬は合わないのではないでしょうか?他の薬もみんなそんな
感じなんでしょうか?

よろしければ回答お願いします。
矢野 投稿日: 2020年09月05日 12:57:57 No.1308
強迫症とPTSD(トラウマ)の症状を見分けることはそこまで難しくないと思います。

強迫症は、特定の行動が止められない病気です。
例えば、手洗い、確認、頭の中での打ち消し、理論で頭を説得しようとする、インターネットで答えを調べるなどが止められない行為です。

逆にPTSDは、フラッシュバックと呼ばれる、トラウマの記憶が何らかの形で頭の中に出てきて、そのために苦痛が生じるというものです。
ただ、PTSDの診断がつくためには、生死に関わるようなトラウマである必要があります。例えば、言葉によるいじめなどは、トラウマではありますがPTSDの診断がつかないことが多いです。
なので、PTSDという診断にとらわれず、広く「トラウマ」と呼んだりすることが多いです。

この両者の違いとしては、特定の考え・イメージが浮かんできた後に、強迫行為をとるかどうかで区別が付きます。

例えば、「いじめられたときの映像が浮かんでくると、自分の体が汚れたような気がして手を洗ってしまう」という場合は、トラウマの問題もありますが、強迫症も診断としてはつくのです。※ときに、強迫症とトラウマの両方がある人もいます。

「人をみると、自分の顔がその人と入れ替わっているように思うので、人の顔をみないようにしている」というのも、少し分かりにくいですが、強迫症です。一見、妄想のように見えるかもしれませんが、人の顔をみないようにしているという回避行動を繰り返すのです。※ときに強迫行為ではなく、回避行動が中心になっている人もいます。


抗不安薬は、基本的には根本的治療薬にはなりません。不安を少し和らげる薬という感覚です。『頭の調子がいったん下がり、それからまた上がり調子に良くなる』という話をきいたことがないのでなんとも言えません。抗不安薬で言われているのは、長期間服用すると耐性が起こり、薬の効果が下がっていくこと、長期間の服用で依存性が生じること、薬を止めるときに離脱症状という症状が出るということでしょう。これは、他の薬にはみられない特徴です。


小学生の頃のこと めろ 投稿日: 2020年09月04日 15:50:09 No.1301 【返信】

はじめまして。めろと申します。
最近、小学生の頃のことが気になり、書かせていただきます。
小学3年生の頃、一時期不登校になりました。いじめられていたわけでもなく、楽しく学校に行っていたのにいきなり学校に行けなくなりました。
私も原因がわからないのですが、その時思っていたことは「学校は汚い、触ったら死ぬのではないか?」と浮かんできてずっと頭から離れず学校に行くのが怖くなり行かなくなりました。
両親に無理矢理連れて行かれたこともありましたが、しばらくは教室に入れず、保健室に居ても学校が汚いと怖かったのを覚えています。
そして、いつも母に学校のもの触ってもしかしたら口についたかもしれないけど、大丈夫かと確認していたらしいです。
その後、強制的に学校に連れていかれ父が何ヶ月か付き添ってくれて普通に学校に行けるようになりました。
これは強迫性障害だったのでしょうか?
矢野 投稿日: 2020年09月05日 10:48:09 No.1306
強迫症を成人期に発症した人に、遡って子供の頃のことを教えてもらうと、このようなエピソードが出てくることがあります。
これは、強迫症であったと考えられます。ただ、そのときに学校に無理やり行って寛解したということです。子供の頃の初回エピソードはこの様に、家族が多少強引にすることで寛解したり、しばらくすると自然と気にならなくなっていることがあります。


強迫性の巻き込み さとう 投稿日: 2020年08月20日 22:28:15 No.1295 【返信】

強迫性の潔癖症でたいへんなので相談させてください。
家族内で巻き込みがあり、家族全員疲労感が増すばかり、ケンカも絶えず大変です。
問題は家族内で病気の原因となった加害者と被害者がおり、解決が難しく和解が出来ない事。
この場合、巻き込み型で家族がたいへんなので、被害者(罹患)が家から出れば解決という方向が一番いいでしょうか?加害者が出れば病気が軽減するような感じもありで、どちらにせよ、家族が分断されないと解決されない感じです。強迫性の巻き込み型で解決法として、ベストなのはどれでしょうか?お願いします(誰も家から出るのは嫌なのです)
矢野 投稿日: 2020年08月22日 06:11:22 No.1297
かなり、家が大変な状況だと思います。
ただ、強迫症を抱える家族の中で、このような状況(何らかの加害者-被害者の関係が家族内にあり、強迫症もあり、なおかつそれに巻き込まれている)という状況は、実はよくあります。

このような場合、まずは被害者のケアが必要なんだろうと思います。
被害者がどのようなことに傷つき、そのことを家族が理解し、加害者が謝罪しているか?
加害者がどのような点で被害者を傷つけたのかを理解しており、そのことを被害者が「自分の苦しみを分かってもらった」と認識しているか?

という点が重要だろうと思います。

強迫症は、先行して何らかのトラウマがあることが多いのです。
特によく経験するのは、親子のもつれ、死別です。これらの経験の後に強迫症が発症する場合は多いです。

特に、「ちゃんとしないといけない」という感覚が何らかの被害によって生まれやすいのですが、これが強迫症の症状維持にとても関連してくることが多いです。

ただし、残念ながら、強迫症そのものの改善には被害者のケアは貢献しません。
なので、強迫症の治療のためには別に認知行動療法を行う必要があります。
この認知行動療法を行うためには、その当事者と信頼関係が築けている必要があり、そうなると被害者のケアが必然と必要になってくるのです。

巻き込みに関しては、加害者が一旦、家から出るということができればそれがよいように思います。ただ、できるかどうかは、家族の事情などもあるので簡単には決めることができないでしょう。

さらに、加害者が一旦、家から出た所で問題が解決するわけではないので、被害者のケアという視点はどのみち、必要になってくると思います。

また、巻き込みに関して言うと、巻き込まれているときに対応するというのでは、対応が後手に回ってしまいます。巻き込みが起こるような状況に先手を打って介入しないとなかなか改善していきません。

家族で、被害者がなにに傷つき、強迫症のどんなことが苦しいかを理解していくことが、家族関係を安定することにつながると思います。
さとう 投稿日: 2020年08月23日 08:55:12 No.1298
丁寧な返信ありがとうございます。
もしよかったら
強迫症を治す食事やサプリメント、食べてはいけない物(カフェインなどが有名ですが)
しない方がいいことがあったら教えて下さい。
矢野 投稿日: 2020年08月24日 11:42:13 No.1300
強迫症に対する食事・サプリというのは、これが効果があるのでは?というものもいくつかありますが、科学的根拠があるものはありません。効果があればラッキーくらいです。
食事・サプリで治るという商売にはまってしまう方も多いです。

https://iocdf.org/expert-opinions/over-the-counter-supplements-in-the-treatment-of-ocd/
に国際OCD財団が、サプリに関するニュースレターを出しています。よく強迫症で言われるのが、「N-acetylcysteine (N-AC)」ですが、これも科学的根拠が薄いです。実際、飲んでいる方も何人かお会いしましたが、あまり効いていないです。

食べてはいけないものというのはないと思います。そういう話はきいたことがないです。
カフェインに関しては、パニック症では飲まないほうがいいですが、強迫症に関しては、禁止にする理由はないです。
むしろ、治療抵抗性の強迫症にカフェインを飲ませると改善するかもしれないという論文があるくらいですね。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6559101/
ただ、これでも、あまり科学的根拠があるとは言えません。たまたま、効いた論文を発表しているだけの可能性があります。

強迫症の治療は、認知行動療法とSSRIを中心とした薬物療法がもっとも科学的根拠があります。こちらの治療を見返すほうが、改善には近道だと思います。


加害恐怖でしょうか? ぴぺ 投稿日: 2020年08月15日 15:10:33 No.1281 【返信】

40代男性です。少し長文になることお許しください。

昔から過度に心配性の性格が現れることがあり、学生時代には「隕石が落ちてきて死んだらどうしよう」など真剣に悩んでいたことがありました。またかなり完璧主義な傾向もあると思います。
3、4年ほど前くらいから運転中にマンホールとか路面の凹凸があると誰かを轢いたんじゃないかとか、雨の夜道など見通しの悪い時に交差点を左折した際に衝撃など全くないのに誰かとぶつかったんじゃないかと心配になってしまい、引き返して確認することが徐々に増え最近はかなり多くなりました。
一週間ほど前、店で昼食をとった後、車が前向き駐車だったのでバックで駐車場から出ようとして少し下がってる時に衝突防止用のセンサーがピピっと鳴りました。車の右手側に塀があったのでそれに反応したんだと思ったのでそちらに注意を向けつつ周りも確認しながら特に何事もなく駐車場を出て仕事に向かいました。晴れていて見通しは良かったし衝撃も音も人の気配も何もなかったのでその時はいつもほどの心配はしなかったものの、ピピっと鳴ったことが少し気になってはいたのでバックし終わって出発する時にもミラーで周りを確認したり、すぐ近くにバス停があって女性が二人いたので何かあれば異変に気付くよなと思いつつ変わった様子はなさそうだったのでその時はとりあえず安心して仕事に向かいました。ただ仕事中どうしてもピピっと鳴ったことが気になってしまい、結局仕事が2時間後に終わってからその駐車場まで戻りました。特に事故があったような形跡はなく、また自分の車に傷などないことも確認しましたがモヤモヤはおさまらず、でも仕方ないので家に帰りました。
その後なかなかその事が頭から離れず強い不安に襲われて何度もその地域の事故情報を確認したり、でもよく考えたら自分の車のセンサーは3段階でピピのあと更に近付くとピーと鳴り、衝突寸前になると自動的に停止することに気付いて安心してみたり、でももしセンサーの反応しない死角に人がいて微かにかするぐらいの可能性はあるかもしれないなど、センサーから始まった不安なのにもはやセンサーとは関係のない、限りなく可能性の低いことまで考えてはまた不安になったりで今に至ります。

なかなか自分で解決できず色々調べているうちにこちらにたどり着き、他に悩んでいる方々とのやりとりをいくつか拝見させてもらって先生にご相談したいと思った次第です。

①やはり加害恐怖というものでしょうか?
②今回に限らず何も自覚がないのに引き返したり警察に確認したりするのは我慢できるうちはしない方がいいでしょうか?
③加害恐怖の場合も暴露反応妨害法というのはあるんでしょうか?

②に関しては引き返して確認はもうしてしまいましたが、警察への確認はまだしてないです。確認したら楽になるかと思う反面、これが強迫行為なら我慢するべきかなと思うのと、担当した警官が事故情報を悪用して、なかったはずの事故をでっちあげないかと不安になってる面もあります。被害妄想ですかね。。それに確認したところでまた別の可能性を考えてはタラレバの沼にハマりそうな気もしております。

長くなりましたが、お時間ある時にでもご相談にのって頂けたら幸いです。
矢野 投稿日: 2020年08月16日 01:43:03 No.1285
①このことにとらわれている時間が1日のうちに1時間を超えてしまうのであれば、強迫症の診断がつくレベルにまで到達していると考えられます。
②そのとおりです。
③あります。ただ、難しいのは、この症状は、「過去のある日」に限定されているところです。通常の加害恐怖の場合は、人が沢山いる場所を車で通るといったことが曝露になりますが、ぴぺさんの場合は、それはできるかもしれませんね。曝露としてはやってみたほうがいいと思いますが…。1周間ほど前の昼食をとった店で、人を引っ掛けていて、実は警察が捜査中で、逮捕されてしまう…といった、ストーリーを繰り返し、聞くという方法がいいように思います。

確認することができない、過去の出来事が頭に残り続ける例としては、
https://rara.jp/behavior/page539
のケースも参考にしてみて下さい。

また、○○の可能性を考えるというのも細かく言えば強迫行為ではあります。頭の中で理論的に考えて、不安の中身を明らかにしようとしているのですね。強迫症は、「曖昧なままにしておけない」という病気でもあります。
ぴぺ 投稿日: 2020年08月16日 12:09:34 No.1289
お忙しい中、ご回答頂きありがとうございました。

①現状、確実に1時間は越えてます。ただそもそも「人に当たったかもしれない」という可能性を考えること自体が強迫行為なんですね。そう認識できると幾分気持ちが楽になった気がします。また他の方とのやりとりで、気にしないようにすることも強迫行為と同じ意味合いで悪化するという先生の言葉があり凄く府に落ちました。考えない、気にしないを自分に強要しないようにしていこうと思います。
②やはりそうですよね。こういう性格なのでさすがに何か自覚があればすぐに車を降りて確認するとか警察に連絡するとか迷いなくするんですが、今回みたいな時は今後のためにも我慢して慣れていこうと思います。
③1つだけわからないことがあったのですが、最後の方の「ストーリーを繰り返し、聞く」というのは自分の頭の中でそのストーリーを何回も想像してみるということでしょうか?それとも誰か他人に聞いてもらうということでしょうか?理解力なくてすいません。。

参照して頂いたケースも実は自分によく当てはまるというか、このところ仕事のミス確認がやたら多くなっていて。。これもできる範囲で我慢していこうと思いますし、無理に答えを出そうとするよりも曖昧な状態に慣れることも大事なんだなと思いました。
矢野 投稿日: 2020年08月22日 05:59:25 No.1296
③のストーリーを繰り返しきくというのは、録音機器に吹き込んで何度もきくということです。
自分で勝手に想像が出ていることに耐えるだけでは、楽にならないのです。

頑張ってみて下さい。
ぴぺ 投稿日: 2020年08月23日 16:27:47 No.1299
ありがとうございます。
頑張ってみたいと思います。


トイレについて K. end 投稿日: 2020年08月13日 19:48:28 No.1277 【返信】

先だって、ハエが怖いことでお世話になりました。
まだまだできないことばかりですが、昨日から仕事に出ています。
そんな中で、今日、会社のトイレに入りました。
これも、先にご相談しましたが、家以外のトイレに入ると、下着や服が汚れたと思い触れなくなり、触ったかもしれないと思うと手を洗わずにはいられなくなるのが私の症状です。
どんなにきれいだと思っても、いざトイレに入り、用を足すと汚れたと感じてしまうのです。
そこで、今日、仕事にいけなくなってから相談していた同僚に、実はこれまでの2ヶ月は一度も会社のトイレに入っていないこと、入れない理由を話しました。
彼女は潔癖症なのでウィルスが怖いので、除菌シートとかは使わないけどトイレットペーパーを敷いて座っていると言いました。便器からの水ハネについては、はねないようにトイレットペーパーを入れちゃえばと。
初めてだったこともあり、ここまで話してしまったので、せめて、便座や便器の中に目に見える汚れがないかだけ一緒に見てもらえば、その後のことが変わるのではないかと思い見てもらってしまいました。目に見える汚れはなかった、との彼女の言葉から、家に帰ってお風呂に入るときに、服や下着をぬいだ手は洗わず、そのままお風呂の引き戸をしめ、そこをシャワーで流すことなくお風呂を出ました。
ただ、用を足している間には水ハネは感じなかったと思うのですが、ショーツを上げたときに、なんだかお尻が濡れているような感じがして、やっぱり汚れたのではという思いも頭にありました。
そのため、やはりお風呂の引き戸をシャワーで流さないでしまったのはまずかったのではないかという思いにかられています。
思い切ってやってみたのに、やはり中途半端だからいけなかったのでしょうか。
それとも、こんな状況なら、やはり引き戸を洗う必要は元々ないという回答がいただけるのでしょうか。
あまりにもいくつも課題がありすぎて毎日、強迫は無視と思っても本当に難しくて、でも少しでも症状を良くしたくて、悩んでいます。
矢野 投稿日: 2020年08月14日 14:22:23 No.1279
繰り返しになりますが、「強迫観念は無視」という対応だけでは、強迫症は治療できません。会社のトイレを使ったり、便座に触るなどの曝露をしていく必要があります。曝露を一定程度しないと、「無視」ということはできるようにはなりません。

どこまでを気にして、どこまでを気にしないかという線引は、非常に難しいというのを知っておくとよいです。それを人に聞けば聞くほど、分からなくなります。人によって答えが違うからです。

最も確からしい回答は、感染のリスクが低ければなにをしてもよいということになります。アメリカのCDCでは、トイレの使用後に手を洗うということが推奨されていますが、逆にいうとそれ以外の行動は感染のリスクが低い行動と考えてよいです。
もう少しいうと、お尻が濡れているような感じがしても大丈夫、除菌シートは使わなくても、トイレットペーパーをひかなくても良いということです。
http://behavior.wpblog.jp/ocd/2704
の手洗いのタイミングについて見てみるとよいです。
K. end 投稿日: 2020年08月15日 09:08:39 No.1280
矢野先生、いつも丁寧に回答ありがとうございます。手を洗うタイミング、読んでいる分にはなんとなく理解できた気はします。
どこまで気にしてどこまで気にしないか、確かに人それぞれ違うものだとはわかります。
一つ聞きそびれてしまったのですが、犬の糞にしても、トイレにうまく入れないにしても、私が恐怖しているのは排泄物について、ということですよね?
そして、トイレでは水洗であるにも関わらず、汚れが残っている場合がないわけではない、実際にそういう公衆トイレに出くわしてしまったことがある、ということが、今の症状の尾を引いているような気がします。
自分で便座や便器の中を見て、はっきりと間に見える汚れはないと判断できればいいのですが、それができないために、やはり汚れが残っていたのではないだろうか?そしてそんな状態なのに便器の中の水がはねてしまったのではないかと思い、汚れたと思ってしまう。
自分で判断しようとすればするほどわからなくなってしまうこの状況で、その部分を克服するにはどうしたら良いのでしょうか。
曝露を試みても、結局不安に耐えられないのは、ここで立ち止まってしまうからだと、言葉にするとわかるのですが、いざ直面したときの恐怖感は相当なものです。頭がパニックになります。
K. end 投稿日: 2020年08月15日 16:33:31 No.1282
前の文章の、間に見える汚れはないと、は、目に見える汚れはないと、の間違いです。

汚れを確認しようとすればするほど、わけがわからなくなる、これも強迫がさせることだということは、いろいろなものを読んだり見たり聞いたりでわかったのですが、強迫だから、わからないのならば、そこには汚れはないと考えてトイレを済ませ、手を洗ったあとに下着や服を触って汚れた気がしても手を洗ったりしてはいけなくて、それが曝露になるということなのでしょうか。
そうは思っても、頭の中には汚れが浮かぶような気もするので、やっぱり、万が一、そこに排泄物の汚れがあったのではないか、という思いが、時間が経って確認ができなくなってから沸き起こったりします。実際のときのことはもう思い出せないのでどうすることもできない、そんなときに限って、たまたま便器の中の水が、ハネてしまっていたりすることもあって、そうすると、もう家に帰っても家のトイレには入れず、服は洗濯機、体はお風呂で、お風呂の中も触ったと思われるところはすべてシャワーをかけて、それも一度で済めば良いけれど、何回かけてもちゃんとかけられたかわからず何度も何度も、身体が疲れてもやめられず‥そんな状態でずっときました。
身体もつらいので、もちろんやめたい開放されたいとずっと思ってきました。でも、やはり先程話した便座や便器の中の汚れがあるのかないのかの判断ができないことに戻ってしまって、そのときは大丈夫と思ってやってみたけど、やっぱり汚れはあったんじゃないか、あったなら自分は汚いと、何度も同じことを伺っているんだという気はしていますが、一つ一つの状況に答えてほしいと思ってしまうんです。すみません。
目で見て汚れているかどうか判断できない、わからない、は絶対に汚れていない‥そう思ってよいのでしょうか‥
矢野 投稿日: 2020年08月16日 02:02:38 No.1286
犬の糞を処理した後は、手洗いをするということです。
また、トイレに上手く入れないというのは、どういうことをききたかったのでしょうか?

便座や便器をみているときに浮かぶ、「はっきりと目に見える汚れはないと判断できない」というのは、強迫観念です。実際には判断できます。
例えば、家のトイレの便座に、家族がそっと汚れを置いてみるとよいです。それは当てられると思います。強迫症の治療には、このような体験が必要です。こういう方法を専門的には行動実験と言ったりします。ただ、人間完璧に判断できるとは限りません。なので、「完璧に判断できる」を目指すと強迫症にとらわれてしまいます。「ほぼ、判断できる」という状態にあり、それでいいと分かっていくことが治療です。


「そこに汚れはないと考えて」という部分は頭の中で行われている強迫行為になります。汚れがあるかどうかは、分からなくても、触ることができたほうがよいですよね。

『どう考えたらいいか?』というのは、頭の中で行われている強迫行為なのですね。曝露を中心とした体験を重ねていかないと強迫症はよくなっていかないのです。頭で考えても、駄目です。

必要なのは、体験を通して、『汚れていることに気づかないことは少ない』『汚れていても、病気にならなければ、気にしなくても良い』『リスク(汚れを見逃していたり、病気になるかもしれない)に慣れる』等を学ぶことです。

特に、「トイレの水が跳ねてしまったら…」「服についていたら…」と続いていくのは、「万が一の可能性」を考えていくからです。曝露というのは、万が一の可能性に慣れる(リスクに慣れる)ということです。

例えば、生活をしていると車を運転したり、バスにのったり、飛行機にのったりすると思います。でも、これらの行為には、「交通事故」「墜落」というリスクがあります。でも、バスにのったりする行動は、メリットが大きいですよね。なので、バスにのったりするのです。強迫症は、「リスク」を0にしないと動けなくなるのですね。リスクがあっても、動けるようになりましょうということです。
K. end 投稿日: 2020年08月16日 13:09:27 No.1290
回答ありがとうございます。
トイレにうまく入れないというのは、家で入ってるように普通に入れないということです。
用を足している間に、不安感が大きくなるのです。
便器の中の水が跳ねるのは、跳ねたかもしれないと思う場合と、実際にはねてしまった場合の両方があります。
跳ねたかもしれない、という場合は先生のおっしゃるように強迫観念なのかもしれませんが、実際に跳ねてしまった場合、それは万が一ではなくなるので、その跳ねた水の汚れに対しても、『病気にならなければ、気にしなくて良い』とするのでしょうか。さっと見て便器の中の汚れには気づかなかった、それならば水洗後だから便器の中もきれいだと。だから跳ねても気にしない。そう学ぶ、ということでしょうか。
汚れがついていたかどうかについては、確かに、家でも汚れていたら気付きはしました。外のトイレでも、あ、汚れてる!となったら違う個室の方に移りました。要は、これができているなら、ちゃんと判断できているということなのでしょうか。
不安になるとその気持ちのために判断できなくなると思っているだけで実際はそうではないということにでしょうか。
K. end 投稿日: 2020年08月16日 16:21:50 No.1291
会社のトイレに入って、水ハネした、下着が汚れたと気になる衝動に誘われるがままに、お風呂に入るために服を脱いだ手が気になるからと手を洗わず、扉を締めるのに触ったところもシャワーで流さず、シャワーを出すのに触った蛇口も、シャワーヘッドも、今までのようにシャワーの水を何度もかけて流してとやっていたことをやらずにお風呂に入ることは、私にとっては最大の曝露ではあると思うのですが、これを一人でやらなければならないというところに、今、すごく不安感に襲われています。

でも、明日は会社に行かなければいけないし、熱中症のこともあるから水分をとってトイレに行かなければいけないだろうし、頭の中はいっぱいいっぱいです。今始めないと、たぶん一度でも今までどおりにお風呂に入ってしまったら強迫が、助長されてしまうだろうことも想像はできます。
だからやらなければいけない、でも、これは私にとっては簡単なことではなく‥
仕事にいけなくなった1ヶ月前までは奇跡的にトイレに行かずに済んでしまっていたので、ここまで不安にはならずに、でも外に出ていたのでお風呂での全体にシャワーをかけるルーティンはしてしまっていました。
今外に出なかった一ヶ月でお風呂全体にシャワーがけするのをやめ、蛇口の開け締めで蛇口がきれいになった気がしないため、シャワーを浴びたのにお風呂に潜らないと出られないということも、主人と、以前に入ったときに流していれば隙間もきれいに流されていると話して、やらないようにしました。
これは以前に気になってしまったことがずっと解消されずに残っていたのでやっていたことです。
これをまた明日からトイレで汚れたと気になったらやることになるのは自分でも嫌だと思っています。であるならば、思い切って勇気を出して気になったとしても、気になったことで手を洗ってはいけなくて、お風呂はあくまで汗を流すため、汚いものを洗うためではないと考えるのでしょうか。
仮に汚れたときになる服を脱いで手を洗わず扉を触ったとして、その触ったあたりをなんとなく覚えていたら、次はそこを避けようとする、その気持ちがないわけではない、ただ触らなくても近寄りたくないと言う気持ちは今はなっていないのですが‥
考えるのは強迫行為、でも、何か動くにはやはり考えてしまいます。明日のことが不安で、今日も一日不安でかなり気持ちが疲労しています。
お返事をもらう前にどんどん書き足してしまってすみません。いてもたってもいられなくて‥
矢野 投稿日: 2020年08月17日 22:43:58 No.1292
水はねが起こっても、病気にならないから気にしないで良いと思って良いです。

『さっとみて便器の中の汚れには気づかなかった、それならば水洗後だから便器の中も綺麗だ。だから跳ねても気にしない』
は、理屈で綺麗だと考えようとしているので、これをやりすぎると細かく言えば強迫行為になってしまいます。
強迫症の治療では体験が必要です。

強迫症の治療で体験(曝露)で学ぶことは…
①問題が起こる確率と問題が起こった場合の影響の度合いが、そこまでないことを学ぶ
例えば、水はそこまで跳ねていない、水が跳ねたとしても、病気になることはそこまでない
②リスクに耐えられるようになる
水が跳ねてつくリスクも、その水でなにか問題が起こる可能性も、わずかにあるかもしれない。
でも、そのリスクに耐えられるようにする

という2点を学んでいくのです。

「汚れている事に気づいたら、別の個室にうつった」などの体験から分かるように、正しく判断できている。少なくとも人並みには判断できているということです。
強迫症は「疑いの病」なので、不安になると、『自分が正しく判断できているかを疑う』のです。


強迫症の曝露を考える上では、強迫観念が浮かぶ前に曝露を始めるというくらいの気持ちの方がうまくいきます。

例えば、「水はねした、下着が汚れたと気になる衝動の…」という時点で、すでに頭の中に「汚れてる」「嫌だ」「汚い」「どうしよう」という考えがぐるぐる回っていたと思います。この状態は、強迫行為はとっていないのですが、頭の中でこの考えを何とかしよう・コントロールしようとしてしまうのですね。なので、かなり苦痛がひどいと思います。

それよりは、会社のトイレに入って、便座をあえて触るという曝露をした方が、実はできます。

これは、強迫症の治療をする上で、非常に大事な点なので、今一度整理すると…


強迫症は、強迫行為が止められない病気です。
これは、強迫行為という目に見える行為が止められない病気でもありますが、頭の中でも同じです。考えを紛らわそう、強迫観念を振り払おう、否定しよう、理屈で大丈夫だと説得しようと無意識にやっていると思います。

そして、強迫症の人達は皆さん、「強迫行為をなんとかしよう」として治療するのですね。
「手を洗わないようにしよう」「考えないようにしよう」などのようにするのです。
でも、これは強迫症が一番苦手なことなのです。
なので、「強迫観念が浮かんでも無視しよう」「手洗いの回数を減らそう」という目標がなかなか達成できません。
その結果、曝露は自分にはできないと考えてしまいます。

でも、曝露というのは、『避けていることをあえてやる』ということなのです。日常生活で体験したときに我慢するというのは、曝露にはなりません。

強迫症の当事者の感覚としては、『曝露なんてできない、強迫行為を我慢することはできそう』 なのですが、実際には、『曝露はできる、強迫行為を我慢することは実はほぼできない』なんです。

曝露がある程度できるようになると、自然と努力もせずに強迫行為が我慢できるようになり、強迫観念も気にならないようになります。

ほんの少しでもいいので、自分が触りたくない場所をあえて触ったりしてみて下さい。
K. end 投稿日: 2020年08月17日 23:49:22 No.1293
回答ありがとうございます。
今回の回答を読んでいるときに、心がふと軽くなるのを感じることがありました。
一人での曝露にはかなり勇気がいりますが、矢野先生の言葉をおさらいしながら、少しずつでもやってみようと思います。
学ぶこと2点も心に留めて。
1つだけ質問です。曝露をするのに、会社のトイレに入り便座を触る曝露をしたときは、これは手を洗ってはいけないですよね?トイレに入るわけじゃなくて曝露だから。
矢野 投稿日: 2020年08月20日 18:55:56 No.1294
よかったです!

質問に関しては、そのとおりです。その手で色々なところを触ってみて下さい。


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