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無題 なつめ 投稿日: 2021年02月19日 22:54:56 No.1392 【返信】

解離性障害と複雑性PTSD、対人恐怖症です。
つらそうに見えない、困っているように見えない、深刻に考え過ぎるからおかしくなってるだけだと、取り合ってもらえない事が多いです。
ですが、解離で一人で外に出るには危ない事が多く、一人暮らしも難しく、家も頼れないので支援と繋がりたいのですが、上記を理由に断られたり、すごく傷付く言動をされて生活が破綻してしまったり、上手く行きません。
それを繰り返しているうちに、関係念慮のようなものがどんどんと強化され、普通に見えるのにめちゃめちゃ困っているし、治療を受けようにも、医者からも訪問看護からもモラハラのような扱いばかり受けて、とても治療どころではなく、救いを感じません。

悪意のない人には普通に見えるからと支援の手を放され、悪意のある人には一発で見つかり、いつも餌食にされ、生き物として弱って見えるから、餌食にされるのではないかと思うけど、自分では何をどう改善していけば、悪意のある人にターゲットにされないのか、わかりません。

悪意のある人にターゲットにされないには、
二次被害に遭いにくい治療はどうやったら探せるのか理解されにくい私が、関係念慮を起こさずに、二次被害も少なく、支援を受けられるようになるには、どうしたら良いでしょうか
矢野 投稿日: 2021年02月19日 23:53:04 No.1393
似たようなことで悩んでいる方は、とても多いです。

困っているように見えないというのにはいくつか理由がありますが、大きなものは次のことです。精神科では、機能障害という視点で病気の重症度を見てしまいます。そのため、家の中では問題なく生活ができているのであれば、大丈夫などのように言われたりします。

まずは、自分が苦しんでいることは確実に存在していると自信を持つことが大事だと思います。特に、まだまだ、解離症・トラウマの症状は精神科医療の中でもマイナーなので、よく分からない精神科医療の方は多いです。なので、自分の感覚が間違っているんじゃないかと不安になってくると思いますが、間違っていません。その結果、関係念慮のようなものが強化されてしまうというのは、二次被害だと思ってよいと思います。

モラハラのような扱いを受けるというのは、上記のような知識不足が医療者にあったり、支援者が自分達の知識が正しいと主張してくることで起こりやすいです。個人的には、現状では、トラウマ・解離が分かる支援者を探すしかないのかなと思っています。それは、支援者でなくてもよいです。自分のことを分かってくれる人達と繋がることが、一番治療的です。



悪意のある人は、挙動不審な人、自信がない人ということを見抜くことが得意なのです。なので、餌食になるということが起きます。これは、トラウマの治療をしている中で、自尊心が回復すれば、このような人に気づきやすくなりますし、退ける/逃げる力が身についてきます。
なつめ 投稿日: 2021年02月20日 02:08:26 No.1394
気持ちが楽になりました。ありがとうございます。
カウンセリングを受けたいのですが、金額を見ると自分にこんなに使う価値ない、勿体ないと思ってしまい、手が出ません。
どう気持ちを持っていけば、カウンセリングにお金を出す事を安心して良しと思えるでしょうか。
矢野 投稿日: 2021年02月27日 22:04:08 No.1397
「自分に価値がない」というのは、トラウマの一つの本質的な部分だと思います。
この価値観をずっと持って生きていくのか、それとも、この部分を変えたいか?と考えてみるといいかもしれません。

逆に、治療をしていると色々なタイミングで治療にきます。「身近な人が亡くなった」、「恋人から言われた」、「親になって自分のことを振り返った」、「このままこの人生を何年も過ごすと思うと苦しくなった」等がよく出てくるタイミングではあります。


無題 あき 投稿日: 2021年02月10日 04:55:29 No.1388 【返信】

ありがとう御座います

確かに⑥より⑦の方が…
とやっていくと
⑥の打ち消しっぽいですが
今まで自然に思えたからか
ぶり返しも無く大丈夫なので⑥より怖いものがあれば、と思ったのですが
むりやり編み出そうとしているからか
なかなか⑦になりません
そしてターゲットチェンジだと⑥が克服出来ても⑦に移行するだけで強迫性障害自体治るわけじゃない。とも考えられるのですが
⑦は現状私には起き得ないことなので
⑦に出来ればな…と思っていたのですが


そしてその人の事を詳しく知るのは
実は試みたいとは思っていたのですが
逆にもっと嫌いになるリスクがあります
それは
その人の事を詳しく知る段階で知れば知るほど嫌悪感がましていき、これ以上知らないほうが良いとストップしているからです。

ただ 半分想像の中での恐怖となっているのも事実で もっと知ったら
逆に嫌い過ぎて違う世界の人と認識出来たり
また逆に先生のおっしゃる様に 緩和される安心素材もあるかもしれないので
知ることについて迷いがあります

身体感覚のトレーニングがあるのですね
最近不安時の呼吸と筋肉を意識してますが
落ち着き感覚が全然違います
興味あります

アドバイス有難うございました


無題 あき 投稿日: 2021年02月08日 21:30:09 No.1383 【返信】

焦って自分の話ばかりで
先生の暴露に関するアドバイスにお返事
記述するのが抜けてしまいました

ごめんなさい(泣)

積極的な暴露
消極的な暴露
なるほどです

強迫観念が出てから=消極的
敢えて強迫観念を出す=積極的
はわかりやすいです

そうなのですね…
すごいです
暴露に関しては12年位前かった
エドナBフォアさんの本を参考にしていたのですが
実はここまで暴露は解明?されているのですね

確かに 消極的な暴露だと我慢我慢の連続でストレスが溜まったり
余計 汚れに集中しちゃう感じもあります
先が遠くて うんざりもするし
先ができなそうでやめたくなったり

すごいです…なるほどです(失礼な言い方だったらすみません でも、本当にすごい、なるほどと思っちゃって^^;)

暴露 興味かなり出てきました

しかし 先程のメールの件(暴露やりたいけど怖い)がどうしてもネックで…

お忙しい中申し訳ありません
お返事は急ぎません
宜しくお願いいたします
矢野 投稿日: 2021年02月10日 03:01:52 No.1386
『この①より②の方が怖い』というのは、正確には、強迫行為ではあります。
ただ、この現象により、克服できたことが継続できているのであれば、それはそれで大丈夫だと思います。

「画像はただの画像」という言葉で腑に落ちるというのは、とても印象的ですね。
このような認知的な変化により、強迫症が改善することもあります。

曝露のへのハードルを下げるために、色々な認知的は戦略を先にするというのは、良いと思います。
「画像はただの画像」というのは、良いと思います。
「本人よりはマシ」というのは、もしかすると、この認識があるために、本人に対するハードルが逆に上がってしまっているかもしれません。
できれば、このような区切りは作るべきではないです。

制止学習による曝露では、曝露するものに対するポジティブな感情を情報として与えるというものがあります。
もともとは、蜘蛛恐怖症に対する曝露で、蜘蛛に対するポジティブな動画(蜘蛛が世界を救うアニメを見る)という介入をした群で曝露の効果が上がったことでわかった知見です。

もし、その人物のことを調べられるのであれば、調べてみると良いと思います。
似たような介入で、同性愛に関する強迫症の場合、同性愛について調べてみるという介入をすることがあります。
嫌悪感は汚染と結びつきやすいのですが、その実態は、「嫌い」という感情だったりします。
「嫌い」というのは、よく知らないということから出てくることもよくあります。
参考になるスレッドがあります。
https://rara.jp/behavior/page916#no924

このような恐怖対象に対する別の介入として、他人がその人とどういう接し方をしているかを見るということも有効なときがあります。
ただ、この辺りは、バランスが難しいです。
例えば、納豆嫌いの人が、納豆が好きな人の話を沢山きくと、納豆嫌いが少し緩和するくらいなものでしょうか。

また、最近、よくやっているのは身体感覚への介入です。
強迫観念が出てきた時に、身体感覚として苦しい感じ(ザワザワする感じなど)があると、ハードルが上がります。
その場合、その身体感覚を思い出しながら、タッピングをしてみたり、その身体感覚を緩和する練習(これは、ソマティック・エクスペリエンシング/センサリーモーターサイコセラピーという治療法を試している所です)をすると、ちょっとハードルが下がる気がします。

曝露や強迫症に対する理解も、大分、進んできたとは思います。
そして、曝露になかなかたどり着けない人のためにどのような戦略があるかを、色々な人が研究している段階だと思います。


無題 あき 投稿日: 2021年02月08日 20:39:58 No.1382 【返信】

矢野先生

沢山お答え頂きありがとう御座います
制止学習暴露、よくわかりました
現実的に何かが起こる確率だけじゃなく
思考、感情も含めた目に見えない何か、も対象となると言うことでしたら
私の症状でも適応なのですね

本格的に暴露に取り組もうかな…と考えています

もうひとつ お答えいただけると嬉しいのですが、
ひとつ、とはいえ長くなりますがすみません
私の症状の経緯をお話させてください

私は15年 その対象となる人への強迫観念なのは変わりませんが、少しターゲットが様変わりしています

①その人が脳裏に浮かぶと汚染を感じる
②その人をイメージさせる物に遭遇すると汚染を感じる
③その人に関する言語を見たり聞いたりすると汚染を感じる
④その人に関する話題に遭遇すると汚染を感じる

などすべて 手や物に汚染が移り洗浄や破棄、回避していました

そして
これらは現在全て克服していますが
そのきっかけは偶然の認知の変化?とでも言うのか
ある時ふと、
①より②の方が怖い
しばらく苦しむと
②より③の方が怖い
しばらく苦しむと
③より④の方が怖い


このように 何故かふと、
更に怖いものの存在に気がつくと

それまで恐怖だった 言語や物体などが
急に勢力を失い
・ただの〇〇に変化
・〇〇よりマシ
この2本立てで
クリアできたのですね(今見てると恐怖の順番がめちゃくちゃですが)


そして⑤なのですが
その人の画像とその人そのものなのです
それまでは画像や実在に遭遇する可能性の存在に気がつけなくて
思っても見なかったのですが
これには苦しみ テレビもスマホも雑誌も新聞ポスターあらゆる画像、人の顔を避けて生活するようになりました
(引き換えに①〜④がクリアできて生活しやすくなった点も沢山あるので悪化とも言えずターゲットチェンジです)
その人の画像や本人がいるかもとの疑惑による回避や強迫行為、確認等


この頃から 臨床心理士さんのアドバイスのもと
認知療法、スキーマ、act等に取り組み
強迫性障害の仕組みも勉強し直し
認知再構成等行い
画像、本人=汚い
に対する認知の歪みにアプローチして来ましたが歪みが わかってはいるものの恐怖は拭えずじまいでした
しかし これがある時ある人がふと
「画像はただの画像」
的なニュアンスの言葉を発したのが急に…
今まで自分でも頭ではわかっていたけど
そう心から思えなかった言葉が
急に腑に落ちたのです


そして⑤から画像が抜けて
本人そのものが⑥に繰り上がり
⑤の画像は勢力を失ったのですが

①〜④までのように完全克服とは程遠く
ただ 通常本人とはあり得ない画像(商品モデルや道沿いのポスター等)のクリア
突発的に遭遇した画像のみ確認や強迫行為無しで生活できるようになっている位なのが現状です



しかし、
打ち消しや無理な言い聞かせや強迫観念のねじ伏せではなく
①〜④の時のように
・画像はただの画像
・本人よりはマシ

の認知再構成?適応的思考?(とはちょっと違うとは思いますが)を頭だけでなく
確実に自分のものとなっている感じがあります
言うなれば「強い味方」がついた感じです


そして今やっているのが
画像の暴露です
自ら画像に飛び込むには(積極的な暴露)
打ち消しでは無い証拠ともいえる
恐怖感がすごいですが
「強い味方」があるので
努力次第でテレビ新聞ネットを普通に見れるのも
可能な気がしています(まだまだ遠い未来ですが)
ゆくゆくは 本人の画像もみれれば…


そして問題が
本人そのものです
これに関して
甘い考えですが
・〇〇よりマシ
・本人はただの本人
と 認知?の方から先に少し自分を落とし込めたら
、と模索しました
そうしたら画像のように暴露がしやすくなるので…


〇〇よりマシ
の〇〇も編み出せてはいます(それはその人に関わるものであり確かにはるかに怖いものです)

しかしここは手強く
〇〇の方が怖いってわかっているけど
どうしても、文章のみとなり
心から思えず
本人はただの本人にもならず、です

そして、何故この経緯をお話したかといいますと
正直 画像の時のように認知で ある程度自分を落とし込めて強い味方にしてからの方が
確実に暴露に取り組みやすいし
頑張れば出来そうな希望や安心感みたいなものがあります

しかし こればかりは どうしたら落とし込められるのかは自分にも周りからもわからないとも思います

今まで偶然ともいえるきっかけもタイミングもあったので

なのでそこだけに期待するだけでなく、いよいよ暴露。行動によって

〇〇よりマシ
ただの本人
にする時なのかな?
と思います

今の臨床心理士さんには 自分の内面を突き詰めることに協力頂き自分としてもほぼ洗い出した気もします

しかし
認知による強い味方を模索するのは諦めないでいつつ、暴露も平行したい。が本音です


矢野先生はよくおわかりかと思いますが
暴露に挑戦するのはとても怖いです
やろう。と思えるまでも難しいです
人により 暴露に挑戦できるようになったきっかけ、動機づけ、考え方、等色々あると思います

私の場合は上記の強い味方がないと
正直今は 道行く人物をみたりするのは到底できそうにありません(画像暴露はがんばれる気がします)

まずは画像暴露からとは思います
そして本人の画像をクリア出来たら
本物暴露にも影響が絶対あるのも予測できます

しかし先を考えすぎかもしれませんが
実物人物、まずはその人でなくても道行く不特定多数の実物の人々にトライできるようにもなりたいです
また、今、人の顔を見ていない状態の手でも
聖域汚染も出来ません
それもトライしたい

でも怖すぎるのです
出来ません

コツや、先生の知る皆さんのケース、考え方等教えていただけると嬉しいです


合わせてこの私の「強い味方」に対する先生のご意見も伺えればありがたいです


特定の人に対する汚染恐怖 あき 投稿日: 2021年02月07日 09:38:27 No.1379 【返信】

はじめまして
強迫性障害15年です
特定の人に対する汚染恐怖があり(その人に何かされる、等の恐怖は無く、見ただけで汚染された気持ちになる、直接接触が1番怖い)
自分自身で勉強して現在暴露に取り組んでいます
今は 洗浄の簡素化に取り組んでいます
少しずつ綺麗と汚いが混ざってきている感覚はあります


今は その人を目に入れないよう(隣の隣の市にいるので確率は低いですが、万が一近くに来ていたら。との不安で)
人の顔を見るのを避けて回避生活しています

今は、なるべく人の顔は見ていませんが 横目に入ったりするのは避けられず
家に帰ると洗浄する。また家族がその人を見かけているかも、との不安から 家族が触った場所等を洗浄しています
この行為の簡素化に取り組んでいます

1番上は多分本人を見て、更には触れても
強迫行為をしないのが最終だとはわかっています

こちらで消極的な暴露では効果が出にくいと拝読し、自分なりの治療法に迷いが出ています

今は 受け身の汚れに対してが限界です
消極的な暴露をどんどんレベルを上げていけば積極的な暴露になりますか?(例えばたまたま人の顔を見てしまった際手洗いを止めるのができてから自ら人の顔を見て洗浄を止めるとか)
それとも今の簡素化は全く意味がないのでしょうか?

そして その人に直接遭遇する場合、探し出さないといけないので 難しい可能性があります

しかし 偶然遭遇する状況も無くはないので
その状況を想定して克服しておかないと、と思っています

私の知るところでは
・最悪のシナリオを描いて繰り返しテープ等で聞く
・人とすれ違った時に この人がその恐怖の対象の
人と仮定し恐怖感を自ら煽る

等があります
しかしなかなか 意図的な想像だけで恐怖感を上げるのが難しいのが現状です(意図的じゃ無い想像だとものすごく恐怖を感じるのですが)

やり方が何か違うのでしょうか?コツ等がありますか?
またその他に実際遭遇した時を想定した取り組みはありますか?
矢野 投稿日: 2021年02月08日 03:27:00 No.1381
よく勉強をされて、とてもよく治療に取り組んでいらっしゃると思います。

強迫症を治療する目的は、生活上の制約を解消するためです。
人とすれ違う際に、「顔をみないように気をつける」というのは、生活に制約が出てきます。外出すると疲れます。また、家族がみているかもしれないという不安によって生活に支障が出ていると思います。この部分を解消するために、どういう治療をしたらよいか?と考えると良いと思います。

消極的な曝露のレベルをあげても、積極的な曝露にはなりません。ほんの少しでも良いので、積極的な曝露に挑戦するほうが良いです。

「強迫行為を我慢するだけ」だと、『強迫観念をコントロールして、強迫行為を止めようとする』という形になりやすいのです。そうすると、思考抑制という現象が起こってしまい、「がまん」をしているのに、「頭に強迫観念が浮かびやすい」という状況になります。
『これだけ我慢しているのに、なんで良くならないのか?』と思う場合に、曝露を見直したほうがいいという意味で、「消極的な曝露」と表現しています。
私の所に来る方で、すでに認知行動療法を受けられて改善していない方で、この「消極的な曝露」のみを治療課題として与えられている方はとても多いです。
曝露をすることで、強迫観念に耐えられるようになり、強迫行為を止められるようになります。しかし、曝露をしなければ、強迫観念に耐えられるようにはなりませんし、強迫行為を止められるようにはなりません。(強迫症がごくごく軽症であれば、このような対応でも改善は見込めますが、それは本当に少数の方です。)

私であれば、最終的には、その人の写真をみるとか、隣の隣の市を歩くとか、それくらいは曝露ですると思います。

『たまたま人の顔をみてしまった際に手洗いを止める』という対応がなぜいけないのかというと、①強迫観念がすでに出てしまっているので、強迫行為が止められない、②強迫観念がすでに出てしまい、強迫観念を無視する・コントロールしようとするという形になってしまう、③反復回数が少ない、④自分が心の準備をする前に課題が始まってしまう。
というところです。

強迫症とはどんな病気か?と言われると、「強迫行為が我慢できない病気」と説明します。これは、実際にそうですね。おそらく、嫌というほど、このことはわかっていらっしゃると思います。さらに言うなら、「強迫観念が無視できない病気」です。この課題だと、この最も苦手な所に挑戦しているのです。そして、③にあるようなことがなかなか慣れないという状態になります。そして、意外と大事なのが④です。通常、曝露は、自分でやると決めて取り組みます。その方が、心の準備ができていますし、曝露の開始の時点では強迫観念が浮かんでいません。ちょっと専門的なので、詳細は省きますが、曝露によって活性化する脳の部位(内側前頭前野)と、強迫観念が生じることによって活性化する脳の部位(扁桃体)は違います。

『自ら人の顔をみて洗浄行為を止める』というのは、自分でやろうとしているので、積極的な曝露として考えて良いです。そして、この際、反復が多いほど、強迫行為への衝動は止まっていきます。きっと、「自ら人の顔をみても大丈夫」ということを学んでいきます。これが制止学習の本質になります。

強迫行為の簡素化は、全く意味がないとは思いませんが、苦痛が多い割に実りが少ないです。

『意図的な想像だけでは、恐怖感を上げるのが難しい』と言うのは、おそらく、このような想像曝露を試していらっしゃるのだと思います。そして、『想像するのは、大丈夫』ということを学んでいるのです。経験的には、似たような症状の方は、『想像しては駄目、連想しては駄目』と進行していき、『顔を想像するのも苦しい』という状態になります。

『意図的じゃない想像だと恐怖を感じるけれど、意図的に思い出すと恐怖感が出現しない』というのは、ちゃんと曝露をしている証拠です。この体験からも、曝露と強迫観念が浮かぶ時は、違う現象が起きているとわかると思います。さらに曝露の強度をあげていくと、意図的じゃない想像でも、恐怖感が出にくくなります。これを制止学習による治験では、「曝露の記憶が、不安の記憶を制止する」と表現します。

また、想像曝露と現実場面の曝露では、現実場面の曝露の方が効果があります。そして、現実曝露の曝露がなければ、想像曝露だけではよくならないです。



制止学習による曝露は、予期の反駁だけではないのです。制止学習による知見を下記に列記します。botからの転載です。


制止学習による知見①:暴露によって生じるネガティブな出来事の頻度と強度の予測を行い。その予測が外れるまで暴露を継続する。暴露中に予測が外れることに驚くほどよい。 例:手を洗わないと100%、未知の病気にかかる。
制止学習による知見②:暴露をすることに耐えられるかどうかの予測もしておいたほうがよい。暴露は想像よりも耐えられることが多い。予想を超えて暴露に耐えられるという体験は自信に繋がる。
制止学習による知見③:様々な種類の刺激、様々な文脈で暴露をした方が、効率が良い。セラピスト、家族、友人がいるとき、いないとき等
制止学習による知見④:暴露課題は、難しいもの、簡単なものをランダムにした方が効率がよい。
制止学習による知見⑤:単一の暴露ではなく複数の暴露を一度に行ったほうが効果が高い。例えば、様々な汚染されていると思う物体をたくさん触り、その手で食事をする等。
制止学習による知見⑥:暴露中に何度も恐怖が高まることを経験したほうが、効果が高い。
制止学習による知見⑦:暴露の目的は、恐怖と不確定性への耐性を身につけることだと考えるほうがよい。
制止学習による知見⑧:暴露中に暴露している刺激・状況、今の感情を声に出したほうが効果が高まる。
制止学習による知見⑨:暴露中に、今の暴露が安全であるという安全信号(例えば、セラピストがいるから安全だという考え)をなくしたほうが効果が高い。
制止学習による知見⑩:暴露中に、手洗いなどの強迫行為、安心を保証してもらうような声掛けなどがないほうが暴露の効果が高い。
制止学習による知見⑪:恐怖刺激に直面した際に、暴露によって学んだことを思い出す方がよい。
制止学習による知見⑫:暴露は最初は毎日のように行い。後に、間をあけて行ったほうが効果が高い。
制止学習による知見⑬:暴露によって不安が減ると予想しないほうがいい。
制止学習による知見⑭:暴露は不安を減らす方法だと思わないほうがよい。
制止学習による知見⑮:暴露はセラピストと一緒に行う暴露や、カウンセリングルーム内で完結すると思わないほうが良い。実生活の様々な文脈での暴露の必要がある。
制止学習による知見⑯:不安階層表を苦痛が少ないものから、苦痛が高いものへと順番にすすめないほうがよい。
制止学習による知見⑰:暴露は単一の刺激の暴露が終わるまで複合的な刺激への暴露をしないほうがよい。
制止学習による知見⑱:不安を減らす方法として暴露を用いてはいけない。(暴露が強迫行為になります)
制止学習による知見⑲:暴露中は不安を下げるためのいかなる行動もとってはいけない。注意をそらしたり、自分で保証したりするべきではない。
制止学習による知見⑳:暴露中に不安が低減しなくても、失敗だと感じるべきではない。暴露は、不安に対する耐性を身につける方法だと考えたほうがよい。
制止学習による知見㉑:暴露中に強迫行為を行ったとしても、それが暴露の失敗だと思わないほうがよい。
制止学習による知見㉒:暴露の記憶を思い出して、安全だと保証するのはよくない。
制止学習による知見㉓:数日や数週間の強烈な暴露のみで治療が完結すると思わない方がよい。
制止学習による知見㉔:暴露は、クライアントのネガティブな予測が外れるまで継続したほうがよい。 例:手を洗わないと明日には病気になると予測する場合、明日まで暴露を継続する。
制止学習による知見㉕:暴露は精神的な耐性を身につける方法であると認識していたほうがよい

私であれば、次に挑戦するのであれば、インターネットなどで人の顔を検索して、たくさん見てみるか、ショッピングモールなどの人が沢山いるところで、集中的に人の顔をみてみるくらいは、提案するかと思います。


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