メバルの掲示板

メバルの掲示板


| トップに戻る | 検索 | アルバム | 管理用 | ▼掲示板作るならRara掲示板 |

※現在、投稿は受け付けておりません。
お名前
メール
タイトル
URL
画像添付
削除キー ( 記事を削除する際に使用 )
文字色

エジプト旅行記⑤ grove 投稿日: 2017年02月10日 22:59:22 No.77 【返信】

 次は、レストランで鶏肉のケバブの昼食を食べてから、エジプト考古博物館に入場観光しました。写真撮影代は50ポンドで一部を除いて許可されており、ガイドが紹介してくれた展示品はほとんど撮影しましたが、ガラスケースに入っていたものはうまく撮れませんでした。
 ツタンカーメンの一部のコーナーは撮影禁止で、希望者はツタンカーメンの黄金のマスクと一緒に5000円で記念撮影できることになっていました。ツタンカーメンの埋葬品はたくさんあって、カバの装飾、雌ライオンの装飾、ハトホルの雌牛の装飾がそれぞれついた金ぴか寝台があって、棺が入っていた金ぴかの入れ物など、18歳で亡くなったので権力が弱く墓が質素だったために盗掘をまぬがれたと言われているファラオの埋葬品でも、玉座をはじめとして素晴らしく豪華な財宝ばかりでした。テレビを見て知ってはいましたが妻のアンケセナーメンが棺に供えたヤグルマソウの花束がけっこうたくさんの分量があり、BC1359年って、今から3370年前のドライフラワーなのにちゃんと残っているって凄すぎて、感動もありました。
 100ポンドを払って、ミイラ室も見学しました。歴代ファラオのミイラが並ぶ中で、いました! ラムセス2世のミイラが! すごいワシ鼻で特徴的な顔でした。動物のミイラ室もあり、ワニ、猫、鳥などいろいろです。ハトシェプスト女王の他、長い髪の女性(王妃?)のミイラもあり、髪の毛が張り付いていたり、偽の目がついていたりで、なんだか気持ちが悪く、幼いころに東京科学博物館でミイラとほし首を初めて見て怖くてしょうがなかったことを思い出しました。途中から中国人の団体に遭遇して、館内が急に騒々しくなり、写真撮影もしにくくなりました。5時になって追い出されるように閉館となり、夕食は空港近くのレストランで魚のグリルとゴマペーストやソラ豆ペーストなどのヌビア料理。カタール航空で帰りましたが、飛行機内では和食が選択でき、映画も往復で6本観ることができました。
 羽田帰着は15分遅れでも22時45分には着いたのですが、羽田から15分の平和島温泉の無料チケットと朝食付きだったので、温泉に入って、リクライニングシートに横になりました。あまりよく眠れませんでしたが朝も温泉にはいって、早めに帰宅しました。
 お土産店は、石細工店、金細工店、香水と香水瓶店、パピルス店に立ち寄り、それぞれ石つくりやパピルスの作り方、香水の香り、香水瓶の作り方を見学して、日本語での説明も受けました。ラクダの形の香水瓶が素敵で、これに白砂漠の砂を詰めて飾るといいといわれ、砂はペットボトルに半分もすくってきましたが、香水瓶はとうとう買いませんでした。金細工はカルトゥーシュ(ファラオの名前を囲む楕円)の形のペンダントトップに自分の名前をヒエログリフで金細工するというのがあり、人気でした。他にはクルーズ船の中で、エジプト綿のティーシャツやポロシャツに刺繍でカルトゥーシュの中にヒエログリフの名前を入れるというのがありました。お土産のお菓子はピラミッド型のチョコとデーツにアーモンドを挟んだものを紹介されましたが、チョコとパピルスのしおり、マグネットだけしか買いませんでした。エジプト特有のお菓子は食べましたが、すごく甘くて喜ばれる気がしません。
 今回のエジプト旅行で、心配だったことは治安と衛生ですが、クルーズではヌビア料理は少なくて、生野菜も安心して食べました。アスワンハイダムには銃を持った兵隊や装甲車がいて驚きましたが、兵隊はにこにこして手を振っていたし、子供も日本人を見て笑顔で、写真に入ってくれと言われることも何回かありました。物売りはしつこいのですが、1ドルのパンフとか、2ドルのバックをガイドが中継してくれました。24名の参加者には70代の後半のかたもいましたが、皆元気でお腹を壊した人はいなかったようです。昼は暑くなるのですが、ほとんど毎日ライトダウンの上着を着ていて、ロングのダウンコートの出番もありました。カイロの町の街路樹がほこりで汚れているのは仕方がないと思いますが、道路にごみがたくさんあって、これだけの観光資源があるのですから、きれいにできればよいのにと思いました。94%が砂漠の国で、夏は40度を超えるそうですから、11月から2月の観光がお勧めです。


Re: エジプト旅行記⑤ mebaru 投稿日: 2017年02月13日 22:53:17 No.78 【Home】
エジプト旅行記をご寄稿下さり有り難うございました。
この旅行記は、新設の弊サイトの「訪問者の旅行記」
に掲載させて頂いておりますので一度お立ち寄り下さい。
Re: エジプト旅行記⑤ grove 投稿日: 2017年02月16日 00:29:29 No.79
新設のサイトまでつくってくださいましてどうもありがとうございます。
拝見してきました。
写真も素敵です。;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;


エジプト旅行記④ grove 投稿日: 2017年02月10日 22:54:39 No.76 【返信】

バスでアブシンベルに向かう間の砂漠の移動の3時間は、警察の許可による移動のためにお手洗い休憩はとれません。バスには毎日警察の方が同乗して、今までの人は武器の所持は見えませんでしたが、今回は機関銃みたいなものを持っていました。砂漠の風景がずっと続きますが、途中、ガイドの説明で「あれが蜃気楼だ」というものを見ました。川が流れているように見えて、岩が写って上下になっていました。白砂漠の中に小さなピラミッドのような小山がいくつもありましたが、これは自然にできたものだそうです。表面の砂だけ黒くて、小山も黒いのでどうしてかと聞いたら、鉄分が酸化されて黒くなったとのことでした。
アブシンベルに無事到着して、レストランでの昼食で、ヌビア料理のタジン鍋をいただきました。モロッコのタジン鍋とは違って一人づつの小さな器でのトマト煮込み料理。牛肉と鶏肉と魚が選択できたので、私は魚。テラピアという白身魚でおいしかったです。
アブシンベルのホテルから夕陽を眺めて、6時15分に集合してバスに乗って5分でアブシンベル神殿に到着。神殿はライトアップされていて、座席もあり、プロジェクションマッピングと日本語のナレーションでラムセス2世とその妻のネフェルタリ王妃の歴史絵巻の音と光のショーでした。いろいろな遺跡で夜のライトアップと音と光ショーはやっていたようですが、アブシンベル神殿でのショーをみれたことはとてもうれしい。日本人を集めた日だったようでホテルも日本人ばかりでした。
6日目は日の出前の5時半出発で、アブシンベル神殿からの朝日と朝焼けで赤く染まる神殿を見学しました。朝夕は寒いのでダウンのロングコートを着てゆきました。アブシンベル神殿はラムセス2世がBC1250年頃に建てたもので、高さ20mはある大神殿の4体の巨大像は4体ともが時代別のラムセス2世で、1体は崩れたままになっていました。神殿の内部にもラムセス2世の立像が8体あって、凄いの一言。奥の写真は撮れませんが、入り口から彩色した天井や奥の像が見えました。1年に2回、朝日が差し込んで奥にあるラムセス2世にあたる日があることが有名ですが、この日は大混雑になるので夜中の12時にはホテルを出発するとガイドが言っていました。いくらなんでもオーバーですが。
小神殿にもまたまたラムセス2世の像2体にネフェルタリの像が挟まれて、それが左右に2セットありました。ネフェルタリというのは古代エジプト語で最も美しい女性を意味しているのだそうです。内部には、ハトホル神のレリーフが彫られた柱が何本もありました。この神殿もアスワンハイダムの建設で水没するところをユネスコにより移転されて、私はNHKスペシャルでその様子のテレビ放映を見ていました。大ドームを作ったことやのこぎりで解体したことなど、物凄いプロジェクトでありました。
ホテルに戻って朝食を食べてから、昨日来た白砂漠のノンストップの3時間の道をアスワンに向かって引き返し、アスワンからカイロまで飛行機で移動しました。なんとビジネス席に座れ、ジュースとサンドイッチ、コーヒーのサービスにありつけて、飛行機からカイロの緑や、砂漠の中のピラミッドをみることができてラッキーでした。
カイロからギザに行き、ピラミッドに一番近い老舗のメナハウスというホテルに宿泊しました。ライトアップはしていない日だったのが残念でしたが、暗闇にうっすらとピラミッドが見え、その大きさに感動です。
8日目、今日も乾燥した良い天気で、朝はテラスからピラミッドを見ることができて、とうとう近くで見ることができたと大感激。朝食を食べてゆっくり過ごしてから9時半出発でいよいよ3大ピラミッドの見学へ。
クフ王のピラミッドは高さが146mで、今は頭頂部がなくなって137m、鉄の棒(避雷針ではないそうです。)の三角が建っていました。BC2590年頃で1辺の長さは230m、傾斜は51度50分、2.5tの石が230万個積み上げられているそうです。もうスケールの大きさに圧倒されて、「すご~い!」の言葉ばかりでした。隣のカフラー王もBC2560年頃で、高さは143m、1辺の長さは215m、傾斜は53度10分、クフ王よりも小さい石で崩れていましたが、頭には化粧石が残っていて、ピラミッドが白い化粧石で覆われて表面は平らできれいだったことがわかります。カフラー王の子供のメンカウラー王のピラミッドはBC2530年頃で、大きさは小さく、高さ65m、1辺の長さは103mでした。
クフ王のピラミッドの内部に入る入り口があり、カメラは所持禁止となって入場しました。待ち時間はほとんど無しで、これも以前は行列が当たり前だったのにとガイドが嘆いていました。立って歩けるほど天井が高い個所もありましたが、結構な傾斜がある細くて狭くて天井が低い道で、ましてや上りと下りがすれ違うので大変でした。私は1回も頭はぶつけませんでしたが、8回もぶつけたと言っている人がいましたから、帽子はかぶって入ったほうがいいところです。玄室にはみかげ石でできた立派な石棺だけが置いてありました。
3大ピラミッドがみえる展望台にいき、ラクダと一緒に記念撮影をして、なかなか素敵な写真が撮れました。その後、カフラー王の河岸神殿を見学してからスフィンクスを見ました。スフィンクスは高さ20m、長さは57mで、人面獣身で、ファラオや神を守護する聖獣とされています。アゴヒゲがとられてしまい、現在大英博物館にあるそうです。




エジプト旅行記③ grove 投稿日: 2017年02月10日 22:49:48 No.75 【返信】

 午後は船に戻って、昼食を摂り、アスワンに向けて出港。コムオンボで途中下船して、歩いて5分の場所にあるプトレマイオス朝時代に建てられたコムオンボ神殿を見学しました。ホルス神とワニの神様であるソベク神のために、通路が2本あり二重構造になっています。医療道具を描いたレリーフもあり、ナイロメーターといって、ナイル川の水位を階段ではかる井戸もありました。ワニのミイラの博物館が併設されていて、写真撮影代50ポンドをはらって入場。20体位あるワニのミイラにも驚きましたが、3日後に見学したカイロ博物館には6mのワニのミイラがあり、もっとびっくりしました。
 夕食は、多少は内容を変化させてくれていますが、あまりかわり映えのしないビュッフェで摂り、夜はガラベイヤパーティーとヌビアンショー。アラブの民族衣装ガラベイヤは売店で売っていて、私も他の人につられてムームーみたいな紺色の衣装とキラキラがついたスカーフを17ポンドにまけさせて購入。女性はほとんどの方がコスプレしていて、ガイドのサムさんに先導されて、フォークダンスみたいな踊りをみんなで楽しみました。ヌビアンショーはヌビア人の踊りで、ヌビア人はアラブ人が多いエジプトで色黒なので目立ちますが、独自の言葉があってサムさんは何をしゃべっているのかわからないといっていました。
 5日目は、アスワンからOPのイシス神殿観光とファルーカ(帆船)体験がありました。
ファラエ島はオシリス神の島で、オシリスの妹にして妻でもあるイシス神がホルス神を生んだ島とのことですが、アスワンハイダムの建設に伴い、水没する運命にあったところを、アギルキア島に移転され、以前の遺跡の場所には痕跡が見えていました。10人ずつに分かれてボートに乗って島に上陸し、見学しました。現存する遺跡は、古代エジプト末期王朝から、プトレマイオス朝、ローマ時代にかけてのものです。赤ちゃんのホルス神に乳を飲ませるイシス神と大きくなった子供のホルス神に乳をのませるレリーフがありました。ホルス神ってハヤブサの顔をしていますが、これは人間の顔でした。ホルスの妻が雌牛の角と耳をつけたハトホル神で、ハトホル神殿もありました。
 ファルーカは意外と大きく、20人全員が1艘の船に乗り込み、一枚の帆をひろげて少しだけ川の中を移動。乗組員は3名いて1名は土産物の首飾りや石細工を売る人でした。そして、商売が済んだらヌビアの人が踊りだし、ひっぱられて皆で一緒に踊りました。アガサクリスティーのナイル殺人事件の舞台になったホテルがすぐ近くに見えました。
 アスワンハイダムは、ソ連の協力で1970年に完成して、人造湖のナセル湖は全長500kmで琵琶湖の約8倍。ソ連のために蓮の花をかたどった大きな記念塔が建てられていました。




エジプト旅行記② grove 投稿日: 2017年02月10日 22:44:45 No.74 【返信】

 3日目、小型の船に乗ってルクソール西岸に渡り、王家の谷の観光です。気球も数個飛んでいました。朝6時45分発だったので王家の谷の見学は一番乗りができました。ここはピラミッドのような山があるので、王家の墓所となったそうです。砂漠の中といっても大きな石灰岩の岩に縦横に亀裂がはいり、大きな石が今にも落ちそうな感じで、落石や砂嵐が心配なところでしたが、雨が降らないし地震もないから岩は崩れないし、砂嵐は3月過ぎなので大丈夫なのだそうです。日本が作った王家の谷の地下の構造がわかる模型をみてから、ラムセス4世、ツタンカーメン、ラムセス9世の3箇所の王墓の中を見学しました。カメラの持ち込みが禁止だったことは残念でしたが、巨大な石棺、彩色が残っている壁画、ツタンカーメンの本物のミイラ、どれもエジプトにやっとこれたんだという感動でいっぱいになりました。
 この岩山の反対側が、1997年のテロによる銃撃事件があったハトシェプスト女王葬祭殿になっていて、遊園地みたいにつながった自動車に乗って移動しました。ハトシェプスト女王は夫のトトメス2世の死後、幼かったトトメス3世の摂政となりましたが自らファラオになって20年以上の統治をし、男装までしていた女王です。ハトシェプストの顔をしたオシリス神列像などがあり、壁画も彩色が残っているところもありました。
 メムノンの巨像はBC1380年頃のアメンホテプ3世の葬祭殿の前に置かれていたもので、高さは18m位。今は広場に放置されていて崩れそうでした。船に戻ってビュッフェの昼食を摂り、船はエドフに向けて出港。途中、エスナの水門で「混雑していたら待ち時間が凄い」とガイドが話していましたが、すんなり2隻の船が水門に入って混雑はなく、ガイドはエジプトの観光客の激減を嘆いていました。水門に水がたまる30分位の間に船が止まるので、地元の商人が小さいボートで来て、土産品を甲板に投げ入れてきたことにはびっくり。添乗員が小さいボートにうまく投げ返しましたが、失敗したら川の中です。
 クルーズ船は初めての経験でしたが、移動中もデッキでお茶やお菓子のティータイムがあったことが良かったです。そのテーブルには10名位いたのですが私以外は皆マチュピチュに行ったことがありました。夜はカクテルパーティーで、この船はドレスコードがなかったのですが、ワンピースをきて参加し、また旅話の雑談で楽しく過ごしました。
 4日目はエドフで下船して、馬車でエドフのホルス神殿に行きました。この馬車には2人で乗りましたが、狭い道をぼろい馬車で結構な速さで走らせるので、なかなかのスリルです。帰りは同じ馬車でしたが、4人で乗りました。道路は乾燥した馬糞だらけ。マスクは必須です。
 エドフの神殿はBC237年にプトレマイオス3世によって造られ始め、180年かけてクレオパトラの父親であるプトレマイオス12世が完成したとのことです。高さ137mの門もすごいのですが回廊のレリーフもしっかり残っていて見事。でも、カルナック神殿と比べて1500年位新しいものでした。ホルス神は太陽と月の両眼をもつ天空の神でオシリス神の子でハヤブサの姿をしており、王はこの神の化身といわれています。ハヤブサの像や至聖所にはレバノン杉で作られた聖船がありました。木材できれいに残っているのって凄い。さすがの乾燥地帯です。キリスト教徒の隠れ家として使われていたこともあり、天井が黒くすすけているところもありました。
 エジプトの歴史って、BC3000年頃の初期王朝から、ピラミッド時代と言われる古王国時代、中王国時代、巨大建造物や壁画の残っている新王国時代、末期王朝時代を経て、アレキサンダー大王に征服されて、プトレマイオス朝となり、クレオパトラが自殺してローマ帝国の支配下となり、キリスト教が公認され、アラブ軍に征服されたり、ナポレオンのエジプト遠征、イギリスの支配下もあって、その後独立して、中東戦争があり、サダト大統領の暗殺、2011年のアラブの春といわれる民主化運動でムバラク大統領の失脚など、波乱万丈な運命をたどっています。イスラム教ばかりだと思っていましたがモスクの他にキリスト教の教会もありました。




エジプト旅行記 grove 投稿日: 2017年02月10日 22:40:26 No.73 【返信】

エジプトから無事帰ってきました。
覚えておきたい情報は書き留めましたので、またまたガイドブックのような内容になりました。エジプト旅行が懐かしいことと思います。
***********************************************
 ずっと憧れていて、行ってみたい国ベスト3でしたが、危ないからと控えていた国、エジプトに8日間のツァーで行ってきました。今回の参加者は24名で、一人参加は私を含めて女性5名、男性3名。今回も一人参加が多くてほっとしました。
 1月29日の深夜に羽田発のカタール航空にて、ドーハ乗継でルクソールに朝到着。現地ガイドは日本語がペラペラで日本が大好きなサムさんで、観光の6日間ともずっと同行してくれました。
 2日目、まずはルクソール東岸のアムン神を祀ったカルナック大神殿に入場しました。BC1550年頃、アメンホテプ1世が造営した神殿ですが、ラムセス2世の巨像、トトメス1世のオベリスク、ハトシェプスト女王のオベリスク、大列柱室とものすごく巨大な建造物群に圧倒されます。柱の上にまでヒエログリフやエジプトの壁画がびっしりと描いてあり、彩色が残っているところもありました。3500年以上前にどうやってこれをと想像しながら見学しました。これから先に見学するエジプトの遺跡のすごさは全てこの悠久の昔に建てられたものであること、その遺跡が砂漠という条件下のために意外ときれいにレリーフなども残っていることだと思いました。
 今回の旅は3泊がナイル川クルーズになっていて、昼食は5階建てのクルーズ船アマルコⅡ号でビュッフェ形式での食事でした。この船の部屋数は34で全室スイートルーム、プールやジムもありました。午後からは、BC1390年頃でアメンへテプ3世が建設したルクソール神殿の見学。カルナック神殿には羊の頭のスフィンクスの参道がありましたが、こちらは人の顔にライオンの体のスフィンクスの参道でした。そして、またまたラムセス2世の巨像がたくさんあって、92歳まで長生きして、子供も100人以上いたファラオの自己顕示欲と偉大さに驚き、この名前だけはしっかり覚えました。
 夕暮れから人が集まってきて、光と音のショーがあるようですが、私たちは夕陽を見てから船に戻り夕食を食べ、夜はベリーダンスショーをみました。ベリーダンスの後に若い男の子がタンヌーラという旋舞を踊って、これがなかなか凄い。トルコの旋舞のセマーは白いスカートの衣装で回るだけでしたが、こちらはカラフルなスカートで上側が回りながら上下に動いてついには腕の上で回してまた下げました。このスカートに電飾がついてきらめき出したときはびっくりです。




<< | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | >>


Powered by Rara掲示板
管理者に連絡 | 新着投稿をメールで受け取る | スポンサー募集