投稿画像
投稿者:grove
 3日目、小型の船に乗ってルクソール西岸に渡り、王家の谷の観光です。気球も数個飛んでいました。朝6時45分発だったので王家の谷の見学は一番乗りができました。ここはピラミッドのような山があるので、王家の墓所となったそうです。砂漠の中といっても大きな石灰岩の岩に縦横に亀裂がはいり、大きな石が今にも落ちそうな感じで、落石や砂嵐が心配なところでしたが、雨が降らないし地震もないから岩は崩れないし、砂嵐は3月過ぎなので大丈夫なのだそうです。日本が作った王家の谷の地下の構造がわかる模型をみてから、ラムセス4世、ツタンカーメン、ラムセス9世の3箇所の王墓の中を見学しました。カメラの持ち込みが禁止だったことは残念でしたが、巨大な石棺、彩色が残っている壁画、ツタンカーメンの本物のミイラ、どれもエジプトにやっとこれたんだという感動でいっぱいになりました。  この岩山の反対側が、1997年のテロによる銃撃事件があったハトシェプスト女王葬祭殿になっていて、遊園地みたいにつながった自動車に乗って移動しました。ハトシェプスト女王は夫のトトメス2世の死後、幼かったトトメス3世の摂政となりましたが自らファラオになって20年以上の統治をし、男装までしていた女王です。ハトシェプストの顔をしたオシリス神列像などがあり、壁画も彩色が残っているところもありました。  メムノンの巨像はBC1380年頃のアメンホテプ3世の葬祭殿の前に置かれていたもので、高さは18m位。今は広場に放置されていて崩れそうでした。船に戻ってビュッフェの昼食を摂り、船はエドフに向けて出港。途中、エスナの水門で「混雑していたら待ち時間が凄い」とガイドが話していましたが、すんなり2隻の船が水門に入って混雑はなく、ガイドはエジプトの観光客の激減を嘆いていました。水門に水がたまる30分位の間に船が止まるので、地元の商人が小さいボートで来て、土産品を甲板に投げ入れてきたことにはびっくり。添乗員が小さいボートにうまく投げ返しましたが、失敗したら川の中です。  クルーズ船は初めての経験でしたが、移動中もデッキでお茶やお菓子のティータイムがあったことが良かったです。そのテーブルには10名位いたのですが私以外は皆マチュピチュに行ったことがありました。夜はカクテルパーティーで、この船はドレスコードがなかったのですが、ワンピースをきて参加し、また旅話の雑談で楽しく過ごしました。  4日目はエドフで下船して、馬車でエドフのホルス神殿に行きました。この馬車には2人で乗りましたが、狭い道をぼろい馬車で結構な速さで走らせるので、なかなかのスリルです。帰りは同じ馬車でしたが、4人で乗りました。道路は乾燥した馬糞だらけ。マスクは必須です。  エドフの神殿はBC237年にプトレマイオス3世によって造られ始め、180年かけてクレオパトラの父親であるプトレマイオス12世が完成したとのことです。高さ137mの門もすごいのですが回廊のレリーフもしっかり残っていて見事。でも、カルナック神殿と比べて1500年位新しいものでした。ホルス神は太陽と月の両眼をもつ天空の神でオシリス神の子でハヤブサの姿をしており、王はこの神の化身といわれています。ハヤブサの像や至聖所にはレバノン杉で作られた聖船がありました。木材できれいに残っているのって凄い。さすがの乾燥地帯です。キリスト教徒の隠れ家として使われていたこともあり、天井が黒くすすけているところもありました。  エジプトの歴史って、BC3000年頃の初期王朝から、ピラミッド時代と言われる古王国時代、中王国時代、巨大建造物や壁画の残っている新王国時代、末期王朝時代を経て、アレキサンダー大王に征服されて、プトレマイオス朝となり、クレオパトラが自殺してローマ帝国の支配下となり、キリスト教が公認され、アラブ軍に征服されたり、ナポレオンのエジプト遠征、イギリスの支配下もあって、その後独立して、中東戦争があり、サダト大統領の暗殺、2011年のアラブの春といわれる民主化運動でムバラク大統領の失脚など、波乱万丈な運命をたどっています。イスラム教ばかりだと思っていましたがモスクの他にキリスト教の教会もありました。
投稿記事
画像を拡大