旅レポート
| 新規投稿 | トップに戻る | 検索 | アルバム | 管理用 | ▼掲示板作るならRara掲示板 |

お名前
メール
画像添付





編集キー ( 記事を編集・削除する際に使用 )
文字色


ぼく達の旅、ルーマニア・ブルガリア・・その③
kiya 投稿日:2020年06月13日 17:20 No.60
<<ブルガリア編>>

<ルセ>
ルーマニアのブカレストから、国境のドナウ川を渡ると、すぐにルセに着いた。ブルガリアでは大きな町だ。
ルセの町中はコンパクトで、歩きやすく楽しい。まず、町の本屋に行ってブルガリアの道路地図を探す。
地図が無ければ、この先、どうにも出来なくなるから、必死に探して、良さそうな地図本を見つけて購入。

ルセでは、町一番のリガ・ホテルに泊まった。ブルガリアの田舎町では、値段は安い。
珍しく、高層ビルのホテルで眺めがとても良い。ホテルの最上階のレストランも良さそうで、夕食を食べた。
高層ホテルのレストランの大きな窓から、眼下に見えるドナウ川と、沈む夕日が奇麗だ、すばらしい。

大好きなドナウ川沿いでゆっくりするのも良いだろうな~!と思う。
ドナウ川は、ドイツの黒い森と呼ばれるシュバルツバルドのドナウエッシンゲンに源を発し、チェコとオーストリアの国境を流れてウイーン、
そして、ハンガリーのブダペストに。その後ルーマニア、ブルガリアを流れて黒海に。 

「ドナウ川のさざ波」や「美しく青きドナウ」という名曲に美化されて、私のような音楽無知でも、ドナウへの憧れを抱いてドナウ川沿いを訪れた。
ドイツ黒い森のドナウエッシンゲン、オーストリア・ヴァッハウ渓谷をローカル鉄道で、そして、ハンガリーとスロバキアのドナウベント地域を訪れた。今回は、リガの高層ホテルから穏やかな流れのドナウを見下ろした。

音楽家は、ドナウ川の何処の岸辺を眺めて、あの名曲が浮かんだのだろう・?
「ドナウ川のさざ波」はルーマニア人で、「美しく青きドナウ」はオーストリア人の作曲家だ。
・・と、音楽素人の私はついつい思ってしまう。 旅先は、憧れを抱いて訪れると楽しい。



ぼく達が、珍しく大きなホテルに泊まったのには訳がある。レンタカーを借りるためだ。
ブルガリアの小さいレンタカー会社は、地方には営業所が無いので、ホテルに車を持ってくると言う。
翌朝、ロビーで待っていると、お兄ちゃんがレンタカーに乗ってやって来た。ここで書類にサインして、レンタカーの旅が始まった。
ブルガリアでは2週間の旅の全工程がレンタカーで、車は首都のソフィア空港に返却する。

写真:ブルガリアの地図本、旅のルート地図、ルセの町中、ホテルからドナウ川を見下ろす。


kiya 投稿日:2020年06月14日 08:44 No.61
<べリコタルノボ>

べリコタルノボは、ブルガリアでは大きな地方都市で、ルセからは120kmほどだ。
レンタカーで走りだして、ほどなく困った事に気が付いた。ブルガリアはキリル文字。道路看板が英語と2段表記のうちは良いけど、
英語表記が消えると、キリル文字だけになって何と書いてあるのか分からない。
この文字は形が覚えられず、道路看板がしばしばキリル文字だけになって、悩まされた。
(ソフィア  英語:Sophia ブルガリア語:София)大きな町なら必死に形を覚えるが、
脇道に入って、名前も知らない村めぐりになると、本当に道路標識が読めず、車を止めて地図とジーっとニラメッコも、しばしば。

べリコタルノボは丘の斜面に開けた町で、素敵な観光地で、町歩きも楽しい。
この町で2泊したが、Booking.comで予約した ホテル・ミノテル があまりに安くてびっくり。
ツインルーム・朝夕食付で1日あたり20ユーロ、1人10ユーロで2食付きとは驚いた。
部屋は普通の広さで、洗面・トイレ・シャワーも普通の大きさで付いている。
おまけに、旧市街にも歩いてすぐだし、窓からの景色もとても良くて、駐車場も有る。 
ドミトリーなどを一切使わない僕達のヨーロッパ旅行の中で、過去も将来も、たぶん一番お安い、お得な宿の記録になるだろう。

レンタカーで近郊の村を観光。アルバナシ(ARBANASI)は民家の屋敷が集まる静かな住宅地で、文化財に指定されている。
うす茶色い石を積み上げた平屋の家と、家々の塀は、独特な落ち着きと静かさが有る。

(琴欧州の実家)
もう一件、30kmほど先の行きたい村が有った。ジェルニッツァ村(Dzhulyunitsa)である。
ここには、大相撲の大関で、ブルガリア出身の琴欧州の家がある。プロスポーツでは大相撲が一番大好きで、いつも熱心に見ている。
外国人の人気力士の、琴欧州の家が近いと聞いて、是非行こうと思っていた。

行ってみると、荷馬車が走り、コンビニが1軒あるだけの静かな村だった。
車を止めて、キョロキョロしていたら子供たちが近づいてきて、「コトオウシュウ?」と、問いかけられた。
子供たちは、こっちだ!こっちだ!と小走りに案内してくれた。家には国旗が数本立っていた。

家の前に車を止めて、様子をうかっがっていたら、自転車を押したお婆さんが通りかかり、この家に用事か?という仕草。
うん!とうなずくと、その家に入って人を呼んできてくれた。出てきたのは、琴欧州のお父さんだった。

ホテルでの夕食のとき、ドイツから来たという若い夫婦と話をした。
奥さんは見た目は日本人かと思い、話しかけるとインドネシア人で、国際結婚しているという。
べリコタルノボは、町中の道がちょっと分かりずらい。そのためか、ドイツから車で来ていて、町に入りホテルの場所が分からず苦労したと言ってた。
が、面白いもので、私は町に入るなり難なくホテルに着けた。

写真:道路看板にべリコタルノボと書いてあるらしい、レンタカー、
  べリコタルノボを見る、旧市街は素敵だ、
  琴欧州のお父さんと、格安ホテルの部屋からの景色は抜群。


kiya 投稿日:2020年06月14日 09:45 No.62
<カザンラク>
2泊後、トリャブナ、シプカ峠を越えて、カザンラクに向かう、距離はたった90kmと近い。
トリャブナ(Tryavna)の町は、こげ茶色に縁どられた家の町並みが美しい。民族復興期の建物の町だという。
その先のガブロヴォや、ソコルスキ修道院などを見学して、シプカ峠に。
シプカ峠には、大きな記念碑があり、たくさん大砲が南を向いて設置されている。オスマントルコと戦ったのだ。

このシプカには、このあと会う予定の高田遼さんが、一時暮らしていたとか。
高田さんは、最初ここに移住して、サイトを立てて日本人の移住を呼び掛けた。「ブルガリ屋は穏やかで、物価が安くて、預金利息は高いので、楽に暮らせる」という触れ込みで。
この誘いで、何人かの日本人が、ブルガリアにやって来たという。
その後、彼らはもう少し南の、カザンラクの近くの村に移った。

カザンラクはブルガリアでは大きな、地方の町で「バラの谷」の中心地だ。
4月末ではまだ少し町の付近のバラの畑の苗木も小さく、時期が早いので、町はまだ空いていた。
周辺の村を半日車で巡ったがこのあたりの村の道路看板はキリル文字だけで、何処にいるのか全く分からない。

ホテルは町一番のホテル・カザンラクにした。
夕方ロビーで寛いでパソコンを見ていたら、急に停電になり、ビックリした。
しかし、ホテルの人は停電なんて当たり前!という顔で、そのうち点くよ!と少しも騒がず、だった

写真:トリャブナ、シプカ峠では大砲が南を向いて並ぶ、
   カザンラクのホテル、近郊の村をドライブ、
   看板文字が・・分からない


kiya 投稿日:2020年06月14日 12:40 No.63
<カルロヴォ>

翌日はわずか60km先のカルロヴォ(Karlovo)に宿泊。ここもバラの谷の一角だ。
ここで、ブルガリアの[もしもの時のお助けマン]の高田遼さんに会う予定だった家はこの近くのKAPABEAOBOという村で、ここも地図を碁盤の目にしてB-5とかで、高田さんの住む路地まで、場所を特定しておいた。
事前のメールのやりとりで、彼には「1泊とは言わず、この村に来て数日泊まってくれないか!村で現地の人達とコーラスサークルをやっているので、それも是非聞いてほしい」と、かなり積極的に誘って来た。


(とんでもない事が)
しかし、この村に到着する前に、とんでもない事が起きていた。
ブルガリアに入る少し前の、ルーマニア旅行中に、作田さんという知らない女性から、1通のメールが届いた。内容は
「高田遼さんは、突然亡くなりました。」というものだった。これには茫然とするほか無かった。
そして、高田さんの奥さんはメールが出来ないので、知人の私(作田さん)が代わりにメールしました、との事だった。

高田さんは最近具合が悪くなり、バスで町の病院に行き見てもらい、そして家に戻って来た。 そして翌日、奥さんが病院に薬をもらいに行って、家に戻ると、高田さんはすでに亡くなっていた。というものだった。
これには、ぼく達もぶったまげたし、旅行に行く前に調べた、外務省情報の「 医療過疎国 」という文字が頭をよぎっていた。
たぶん、町の病院では高田さんが重病だとは、認識できなかったのだろうと、思った。

作田さんは、カルロヴォの町に住んでいるので、ぼく達の泊まるHOTEL・HANATに来てもらって、話をした。 彼女は徒歩5分程のところのマンションを借りて住んでいて、家で夕食でもどうかと誘われ、久しぶりに和食が食べられて有難かった。
だが夕食時に、作田さんといろいろ身の上話をきいた。


彼女も、高田遼さんの呼び掛けでブルガリアにやって来たのだと言う。物価が安く、預金金利が高い(当時8%台)ので、1千万円足らずの預金の利子で生活が出来るのだと言う。
彼女は、離婚して子供も相手方に渡し、天涯孤独の身なので、
残された人生をブルガリアの地で、一人で生涯を暮らすつもりだと。
この、彼女の身の上話を聞いて、妻は打ちひしがれてしまった。

翌日のコプリシティツァは、近いので、午後出発することにして、昨晩のお礼にお昼をご馳走して、作田さんとお別れした。
昨晩の話で打ちひしがれてた妻は、翌日もボーっと思いに耽っていた。

行く予定で地図を用意していたので、街道をそれて、高田遼さんの家のあるカラヴェロヴォ村(KAPABEAOBO)にに向かった。 小さな静かな村だった。家の前に行って、周りの畑を見渡した。会ったことの無い高田遼さんは、
一生この地で暮らすつもりだったんだなー! と思っていた。彼は63歳で、旅する私よりも幾つか年下だった。


(「地球の歩き方」にレポート)
・私は旅行後に、「地球の歩き方」に次のようにレポートした。・◇バラの谷で安らかに(2012年6月)◇
4月にルーマニアを旅行中に、4月末にブルガリアでお会いすることにしていた高田遼さんんが、突然亡くなったというメールが入りました。

高田遼さんご夫婦は、10年ほど前にブルガリアのバラの谷・シプカに移住されて、ホームページも作っていました。
その後に転居して、バラの谷のカルロヴォの町から15キロほどのカラヴェロヴォという村に、家を買って住んでいるとのことでした。

どんな方でどんな暮らしをしているのだろうと、お会いするのを楽しみにしていましたが、バラの谷を訪れる2週間前に突然亡くなり、そのままカラヴェロヴォ村に葬られたと聞きました。
奥さまは葬儀のあと始末で、不在でしたが、訪問する予定で地図を持っていた私は、レンタカーでカラヴェロヴォ村を訪れ、村の端っこでその先は広大な畑が広がる高田さんの家の前で、黙とうをして帰ってきました。

リタイア後に海外に行き、そこで暮らして人生を終えるという生き方は、私には理解できませんが、
そんな方も居るのだなーと、遠く思いを馳せました。  ◇◇◇


ここカルロヴォでは、・・私は高田遼さんの話に茫然とし、 妻は、作田さんが移住した異国で、一人で、人生を終える覚悟、という身の上話に打ちひしがれた。

写真:カルロヴォのホテル・荷馬車も往来、 作田さんと、
   高田遼さんの家の前で、家のある道、


kiya 投稿日:2020年06月14日 14:21 No.64
<コプリシティツァ>

コプリシティツァ(Koprivshtitsa)という、この読みにくい村に5泊した。
ここは小さい村だけど、美術館都市を宣言している。美しいデザインを施した家々が多くある。
かって財を成した人たちのオシャレな家々が立ち並ぶ、素敵なところだ。
ぼく達は、パノラマ・ファミリー・ホテルという家族経営のペンションに泊まった。
なかなか5連泊する客は居ないらしくて、大歓迎してくれた。

のんびりと毎日、村をブラブラと楽しんだ。5月1日にはお祭りがあり、前日から劇を練習していた。
男も女も、みな民族衣装を着て、お祭りは盛大だった。ブルガリア人の顔立ちから、若い女性達の民族衣装姿は美しかった。
祭りは、オスマントルコを撃退した祭りだと言う。そういえば、ルーマニアからブルガリアに掛けて、
あちこちにオスマントルコと対峙した爪痕が残っていた。

親しくなったホテルの兄ちゃんと話していると、彼らの歴史は、脅威だったオスマントルコを、ロシアの支援を受けてようやく撃退出来た。
しかしその後、ロシアの支配が始まり、結局ロシアの方が嫌だったと、ポツンと話していた。

5泊もしたので、レンタカーで名も無い周辺の村々を数多く回った。このあたりは、バルカン山地の山裾に有って、
何も無い村だけど、緑豊かな野辺という印象がつよく残った。
村を良く見ると、ゲストルームと書いた札が門に貼ってある家があちこちにある。知らない宿だがそんな宿泊もある様だ。

夕方、ホテルの近くで、通りがかりの家から呼び止められた。家に来いと言う。
行くと、バーベキューのような食事をしていて、食べろと勧められた。食事とビールや飲み物を出された。
そして、部屋を見てせてくれて、ここに泊まらないか?という。近くのホテルに泊まっているからいいよ、と、
やんわり断って帰ってきたが、言葉も通じず、何だかよく分からない出来事だった。これもゲストルームなのかも知れない。

コプリシティツァの5泊は、田舎で素朴だけど、とても良かったと、旅の印象に残った。

写真:コプリシティツァはこの先の山裾に、パノラマ・ファミリー・ホテル
   ホテルの部屋から村を望む、ホテルの家族と、
   5月1日お祭り、祭りの綺麗なお姉さん方


kiya 投稿日:2020年06月14日 14:30 No.65
コプリシティツァ村の様子。
この村は、本当にすてきだ! また訪れたい。

写真:村の様子3枚、家々の木製の門、
   ゲストルームのプレート、商人達の豪華な邸宅の一つ、


kiya 投稿日:2020年06月14日 14:31 No.66
<ソフィア>

のんびりと滞在後、首都のソフィアに向かう。110kmほどの距離だが、道も良く簡単に着いた。
ソフィアのホテルはケンピンスキー5ツ星だ。
いつもの安宿旅と違い、ブルガリアではときどき高級ホテルに泊まったが、高級ホテルがとても安いためだ。
ソフィアには、ロシアやオスマントルコの影を残す寺院や建物が、数多く建っている。見ごたえは有る。
ホテルは町の中心から歩くと遠いので、トラムを考えていたが工事中で運休、タクシーを使った。


kiya 投稿日:2020年06月14日 15:23 No.67
<リラの僧院>
翌日は、有名なリラの僧院を目指した。120kmほどだ。南へ向かうとピリン山脈が遠くに見えて、とても景色が良い。
道も良くて快適なドライブだった。 しかしここでミスをした。

景色を見ながらの楽しいドライブだったため、リラの僧院への左折の看板を見落としてしまった。
もうとっくに到着している距離を走ったのに、左折看板が無いな~?と思い、何処を走っているのか知るために、真っすぐ町まで走った。
サンダンスキという町で、かなり先まで来てしまった。あと30kmほどで、もうギリシャ国境だ。

そんな失敗をして戻り、森を抜けて山の中に建つリラの僧院に着いた。入場料は無料だったが、駐車場が4レバ。
リラの僧院は、落着いた雰囲気で見ごたえがある。
私は神社仏閣にはめったに感動しないが、ここは本当に、本当に素晴らしい!!。

しかし看板を見落としたという気持ちが尾を引いて、
後で、見落とすなんて納得できないという思いで、地図を見てみた。

良く調べたが、リラの僧院への看板は無く、最寄りの村に出る道路看板だけだ。
それも左折では無く、立体交差のため最初は右に出るのだ。
右に出る看板は見ていないので、やっぱりミスするのは当然だった。

たとえどこかに小さな看板が有っても、リラ村は=Рила、
こんなキリル文字では、私には判読できない。・・・と、自分の失敗を慰め、どうして間違えたか、納得。 ハハハ!

この日の宿泊は、80kmほどの山間の小さな町にした。サモコフ(Samokov)という所にした。
ガイドにも無い、だれも観光客の行かないようなちっぽけな田舎町だ。

ここは、田舎なのでホテルも安い。ツインルーム1泊朝食付で19ユーロ。
人の少ない、誰も知らないようなボンヤリした田舎の町、これはこれで楽しい。旅のノリシロだ。
カフェでお茶して、のんびり過ごす。

写真:ソフィアのホテルケンピンスキー、ネフスキー寺院
   シェラトンホテルの中庭の聖ゲオルギ教会、旧共産党本部
   リラに向かう道の向こうにピリン山脈、リラの僧院


kiya 投稿日:2020年06月14日 15:34 No.68
<ソフィア空港に>
サモコフからソフィア空港までは60km、ソフィアはすでに観光したので、今日はぶらぶらと空港に向かう。
名前も知らない村をゆっくりと抜けながら、何か無いかなとキョロキョロと行く。
こんな旅もレンタカーの、大きな楽しみだ。

何と読むのかDragushinovoという村に入ると、道路に沿った電柱の上に、コウノトリの巣が一杯あって、
渡り鳥のコウノトリは、もうアフリカから飛来してきており、大きな巣の上で子育てを始めたようだ。
ぼく達は、コウノトリを見るのが大好きで、これまでにも色々出かけているが、こんな偶然でたくさん見られるのは、とても嬉しい。
車を路肩に止めて、村人にコウノトリだねと指さすと、別に珍しくも無いよ!という顔だった。ぼく達は、しばし見入っていた。

ソフィアの近郊のヴィトシャム山に行き、フレスコ画で有名なボヤなナ教会を見る。教会は小さいが、世界遺産だ。 
昼になり、レストランを探す。
文字が読めないので苦労するが、この建物はレストランかな?という風に探して、中を覗き、昼食。

ブルガリアの最後は、ソフィア空港近くのホテル・メトロポリタン。
ここは高級な大きいホテルだが、それには訳がある。レンタカーを返却するためだ。

夕方、レンタカー会社の兄ちゃんが車を取りに来た。
なんと!借りるときルセのホテルに車を持ってきた、同じラドショフ君だった。
ルーマニア国境のルセはソフィアから何百キロも離れているのに、同じ係員が来るなんて、初めてだ。

ふと考えた。ブルガリアの小さなレンタカー会社なので、ラドショフ君は自分の車を、会社に登録して、
貸出も返却も自分で行という、ローカルな方式なのかもしれないなー?

翌朝、ホテルのシャトルバスで空港に行き、次の旅先のトルコ・イスタンブールに向った。

写真:村の電柱の上にコウノトリの巣、ボヤナ教会、
   ボヤナ教会近くのレストラン、ホテル・メトロポリタン


ーー ぼく達の旅、ルーマニア・ブルガリア・・・(完)ーー