旅レポート
投稿は会員のみ。画像をクリックすると拡大されます。2019年10月以前の旅だよりは「ひろば」に掲載されています。
| 新規投稿 | ワード検索 | フォトアルバム | 管理用 |
ボルネオ紀行 fujizakura 投稿日: 2020年09月21日 16:34:45 No.90 【返信】

「日本から一番近いジャングルへ」というマレーシア航空の
キャッチフレーズにのせられて、若かりしころ訪れたボルネ
オ島の紀行です。
目的は、森林伐採などによる生息地の減少や分断、密猟など
により絶滅が危惧されるオランウータンの観察。かつて憧れ
たターザンよろしく意気揚々と緑の魔界・ジャングルに分け
入ったのですが・・・・・。
添付のPDFファイルでご覧ください。


ダウンロードボルネオ紀行 ( .pdf / 2.8MB )
雪谷旅人 投稿日: 2020年09月25日 20:45:22 No.91
ウ~ン。相変わらず読み応えがありますね。これも立派な文学作品だ。地球環境や類人猿の生態について学ぶことが多い。ユーモアもあり,今回は若い女性も登場して彩りを添えている。すばらしい旅行記だ。

ところでfujizakuraさんはこのようなブログを何部書かれていますか。私が拝見したのはこれで4部になりますが,もっとあるなら一度「目録」を紹介して頂けませんか。貴重な 文献を会としてどのように活用するか,考えてみたいと思います。



海外レンタカー 借り方、走り方、 kiya 投稿日: 2020年06月26日 13:55:25 No.72 【返信】

海外レンタカーの旅は楽しい、見知らぬ町を抜け見知らぬ田舎道を行く。 
村にはひっそりとレストランやカフェがあり、ときにランチで店に入ってみる。
文字は読めなくても、言葉は通じなくても、周りのお客さんを見まわして、美味しそうな料理を目にしたら、「あれ!と同じもの」を下さいと注文する。
そんなとき、ああ、旅をしているなー!!と旅人感に浸る。自分は今日を行く旅人だと感じる、私は、そんな旅が好きだ。

高速道路は日本よりも安く、イギリスやドイツではタダだが、旅行していて高速道路は急ぐ時以外は乗らない。
アウトバーンも1、2度走れば、こんな感じだと分かり、記念になればもういい。
高速道路は、実に詰まらない、楽しくない、すぐ飽きる、早く移動するための手段でしかないと思う。

レンタカーで走ることは、難しくない、きっとバスや電車に乗る方がもっと難しいだろうと思う。
私は自宅では、車に乗ることは少なくて、車の保険も年間3000km以下の、最低しか乗らないプラン契約だ。
車に乗るのは週に1~2回、片道5~10キロ程度の近くの買物ぐらいのものだ。
そして、私は車が好きなわけでも無く、運転も下手でも上手くも無く普通だ。特に車に興味も無い。どんな車でも良くて、スムーズに走って荷物が乗ればそれで十分だ。

海外でレンタカーで走るのは、日本で走るのと何も違わない。 だから日本で車に乗る人は海外でも、皆さん同じ様に乗れるだろう。
車も同じ、道路も同じ、交通ルールも同じ、交通マナーも同じ、違う点はごくわずかだ。
右側通行なので左ハンドルになること、ギヤは右手で操作する事、方向指示器とワイパーが逆なこと、くらいかな。
あとは、ガソリンを開けるレバーは車ごとに違うので、最初に確かめること、ライトの点き方をチェックする事(ヨーロッパでは日中も常時点灯)。
交通ルールで違うのは踏切。日本は一旦停止だが、ヨーロッパでは一旦停止は無くスローにしてそのまま進む。
制限速度はだいたい日本よりも速い。でも、日本のスピードで走ればよい。
信号は、日本と違い青になる前にも黄色になるし、これは親切で、便利。

<初めての海外レンタカーは>
最初の海外レンタカーは、日本と同じ左側通行の国が良いと思う。字が読めなくても、勝手が違っても、同じ左側通行ならば、とっさのとき間違えることが無い。
イギリス、オーストラリア、タイ、マレーシアなどだ。 そこで、「やれたよ」と思ったら、次に右側通行の国で走るのが良いと思う。



<ミッション>
国では、ハワイ、カナダ、アジア、などはオートマ車が一般的で黙っていればオートマ車になる、だが、ヨーロッパでは、マニュアル車が一般的で黙っていればマニュアル車になる。。
ヨーロッパでは、オートマは空港にはあるけど、町の営業所には無いことが多い、ので、ヨーロッパで借りるときは、オートマ車の人は、指定が必要です。 



<安全のために>
知らない国の、知らない道を走るのだから、安全には最大限の注意を払いたい。事故が起きて外国語での交渉など、考えただけでもゾッとする。
私が思っている事は、・・・走り慣れた日本のスピードで走ること。 そのために、後続車に追いつかれたら、道を譲る、路肩によける、などの配慮しながら走る。
運転の基本である、前方以上に常にバックミラーを見ながら運転する心掛けが大事。 

時間に余裕を持ち、あわてないこと。暗くなったら運転しないこと。
日本から朝の到着便など、寝不足では、レンタカーを借りないこと、など。
借り出し時は30分程はゆっくり走り、初めて乗る知らない車種なので、借りた車の感覚をつかむこと。

心掛けとして、自分で日頃運転が上手いと思う人は愚かで、異国では危険が隣り合わせだ。 
いつも海外レンタカー初心者の気持ちでいることが大事で、毎回、初心者だから安全に行こう!と、自分に言い聞かせる。




<料金>
利用客の多い1000cc程度の小型車は断然安く、客の利用率の低い車ほど(中型・大型、、ワンボックス、RV車など)どんどん高くなる。
安いマニュアル車を予約していても、当日オートマとか大きいサイズの車になることは、よくある。これは営業所の都合なので、料金は予約した通りでOK。
料金は何処まで含まれているか確認する。税金、走行距離制限、追加運転手の料金加算、乗捨て料金などがありウェブでは一般的には合計金額で表示されるが、
走行距離制限が有るか無いか自分で確認すること。
ヨーロッパでオートマ車は客が少ないので、マニュアルよりも料金がぐんと高くなる。

借りる車は、コンパクトでもハッチバックでも荷室部分のカバーがあるので、この中に荷物を収めて、見えない状態で収納できることが大切。
駐車しているときは、座席にも荷物を置かない事。荷物が見えることが、ドロボーの心理をくすぐるから。
従って、車を借りる人は、合計人数と旅行カバンの状態を、レンタカーを予約するときに、考慮しておく必要が有る。

私は人を乗せるときは、レンタカーなのでみんなの荷物が積めるように小さな旅行カバンでお願いしますね!と言ってバッグの大きさを確認する。  60Lや70Lのハードバッグなんて以ての外だ。
有ればなるべくソフトバッグでお願いする。 ハードだと1cmきついと入らないが、ソフトなら少々の融通がきくからだ。


任意保険は出来たら入ったほうが良い。料金には対人対物が含まれるが、必ず免責金額が設定されている。
免責額はこの30年で5倍になった。最近のヨーロッパでは1500ユーロ(20万円)前後。ただし、アジアでは免責額も安い。
従って、事故を起こした場合、1500ユーロまでは払わなくてはならない。これをカバーする保険が任意保険だが、保険料はレンタカー代金と同じくらい高い。
合わせるとレンタカー代金合計は2倍くらいになる場合も多い。

それ以外に、デポジットとしてクレジットカードで500ユーロ前後の補償金を加算されるが、無も無く返却すれば補償金加算は取り消されるので、心配は無い。


kiya 投稿日: 2020年06月26日 14:27:31 No.73
<借りかた・返しかた>
<レンタカーの借り方>空港で借りるか、町で借りるか。
空港の場合は、借り出しは容易だが、大きい空港では、レンタカー営業所は空港の外に有る場合も多く、シャトルバスでの送迎になる。
町中の営業所は駅に有る場合は見つけやすいが、それ以外は、営業所の場所を把握しておく。駅から徒歩では行けない事も多い。
駅に有る店舗はレイル・ウェイ・ステーションと書いてある。

レンタカーは借りるときに、営業所で契約書を交わす。任意保険を勧められるので、自分で判断する事。
なるべく大手のレンタカー会社を選びましょう。中小会社の場合は、トラブルも多いと聞く。

AVIS、Hertz、Europcar、Budget、Alamo、Sixt、などは良いと思う。
それ以外には、近年はレンタカー・コムというレンタカー取扱いサイトが有り、同じHertzを借りるにしても、レンタカー会社のウェブよりも安いのでお得だ。
レンタカー・コムを何度も利用しているが、しっかりしていている。 ただし、このレンタカー・コムで予約する場合も、上記の信用あるレンタカー会社を選びたい。
また、JALやANAのマイレージ会員は、航空会社のサイトでレンタカーを予約すると、レンタカー会社のウェブ料金よりも10~15%引きになる。

借りたい町で、これらの営業所が有るか、価格はどうか、走行距離無制限か、などをみて選ぶ。
町の営業所は、どの町にも有ると言う訳ではない。また、その時により営業所が無くなったり、
貸出専用で返却は別の場所という場合もあるので、注意書きをよく見て決める。
空港貸出では、駐車場の〇〇番にくるまが有ると言われるだけで、自分で行き、車のキズなどをチェックして、そのまま出かける事になる。

<レンタカーの返し方>
大きな空港はレンタカーの返却が難しい。まず、空港の手前のガソリンスタンドでガソリンを満タンにする。
そのためには、空港の手前のどこにガソリンスタンドが有るか調べておく。空港に向かう側の店で有ることが条件で、
でないと、道の反対側だと行かれない事も多い。場所は、空港から5~6km以内のスタンド。
満タンにしないで返却すると、ガソリン代+手数料を取られ、自分で入れるガソリン代の3倍くらいの金額になる。
一般的にレンタカーは貸出時満タンで、返却時も満タンで返却する契約だ。

レンタカーは、スタンドを探しているとなかなか見つからない事もあるので、ガソリンが半分になったら給油を心掛ける。
私も一度だけガソリンが無くなり赤ランプが点滅して焦った、だが隣の小さな町まで15kmあって、心配しながら着いたこともあった。
カナダなどでは、この車であと何キロ走れるかという表示が出る。ガソリンスタンドは100km先という事もザラだ。

ガソリンスタンドは大きなスーパーに併設されていることも良くあるが、セルフで係員は居らず、現金、クレジットカードのどちらも使えない事もあった。
使えないと書かれた看板(写真①)が有る場合もある。
オフィスがあるスタンドでは、カードで多めに先払いする。そしてガソリンを入れた後もう一度オフィスに行き、支払い過多の分をカードで払い戻しを受ける。そんなスタンドもある。
たとえば、ガソリン代40ユーロをカードで先払いして、ガソリンが25ユーロ分入ったら、オフィスで15ユーロをカードに入金してもらう払い戻しを受ける。
まあ、いろいろあるので行ったとこ勝負だ。

空港に着いたら、レンタカー・リターンという標識を見逃さずに、標識に沿って何処までも進む。
標識は小さくて分かりにくい事も多いので、上手く返却できるかどうかは、空港に入ってからが勝負だ。助手席のナビゲーターと2人で、注意深く進むことが大切だ。
空港返却が上手になれば1人前と言える。
地方の小さい空港は、こんな事は無くて、至って簡単に返却できるだろう。
目的地の近くの地方の町まで電車で行き、そこでレンタカーする方が道が分かりやすくて良い。

<レンタカーの乗捨て>
レンタカーはワンウェイレンタルという、乗捨ても出来る。借りた場所に返却しなくて良いので、旅行計画が作りやすく、私はこの借り方が多い。
注意点としては、知らない町に返すので、返却場所を良く調べてそのつもりで。
乗捨ては、同じ国で返却しても、近年は乗捨て料金が加算される。場所により、料金はまちまちだ。
ヨーロッパなどでは、違う国にも返却できるが、乗捨て料金だけで300~500ユーロ取られるので、お勧めできない。

<道路>
ヨーロッパではイギリスだけが日本と同じ左側通行で、他の国は左ハンドルの右側通行になる。
イギリスをはじめヨーロッパで多いのがラウンドアバウトと呼ばれる道路交差。交叉点はサークル状になっていて、円を描くように回る。
左側通行のイギリスでは右回り、右側通行の他の国は左回りで回って抜け出る。

ラウンドアバウトは一旦停止、中で回っている車が優先、日本では経験が無いので、十分注意。
どの道路から出るのかを見極めるのが、思いのほか迷う。ラウンドアバウトを抜けて直進だと思っていても、中に入って回り出すと、どの道が直進なのか分からなくなる。
普通の交差点と違い、2本目が直進とは限らない。だから、何本目の道から出るかを、入る前にチェックする。
大きなラウンドアバウトは、車線が何車線も有り、パリの凱旋門の周りは5車線以上有る。 
大きいラウンドアバウトはなかなか大変で、ルールとしてすぐに道を出る場合は外側車線、直ぐに出ない場合は内側車線に入り、出る場所が近づいたら外側車線に移動する。
サークル状の車線を走っているので、カーブしながらの車線変更になるので、これは易しくない。

また、イギリスの距離はマイル表示で、他の国はメートル。

道路標識は、日本とほぼ同じだが一応、走る国の標識をガイドブックなどで、あらかじめ確認しておきたい。
私の経験では、何の標識か分からなかったのは、下の写真②だ。
これは道路に凸凹があるというマークで、工事中の道路だけでなく、住宅地の中などでは強制的に徐行させるため、道路が凸にしてある。
ここを30km以上で走ると、ガタン!と強い衝撃が有り、車が壊れるかと思う程にショックが有るので注意。凸道路は住宅地では数多く設置されている。

スピード制限の標識は日本と同じだが、村の脇を通る道では、村に近づくと制限速度が低く出て、村を抜けると解除の標識写真③で、元のスピードに戻せる。
また、町や村の端あたりに名前に斜線の入った看板、写真④がある。 これは、ここでこの村が終わりです、というマークだ。

最近はEUでは国境検問所が無くなったので、国境では写真⑤の看板が有る。

駐車場は、有料駐車場が多いが、値段は安い。一般的には、何時間止めるか決めて駐車券を購入して、フロントの見えるところに出しておく。
ヨーロッパは日本とは逆に、週末は無料になる駐車場も多い。 また、町の中心部の駐車場は回転をよくするために、駐車時間は最高15分まで、というところも多い。
路上駐車はいろいろなので、出掛ける国の規則を調べるなり、駐車する町で人に聞くなりするのが良いと思う。

写真①、 写真②、  写真③、 写真④、 写真⑤ 

続く・・・


kiya 投稿日: 2020年06月26日 14:53:27 No.74
レンタカーの旅では、道路地図かカーナビが必需品だ。

 レンタカーにもナビは付けられるが、日本なら無料でも、ヨーロッパではカーナビは有料で1週間借りると1万円位だ。 それに、現地語や英語では私には使いきれないし、操作を覚えるのに現地で時間を掛けたくも無い。 そんなわけで、レンタカーのカーナビは利用したことが無い。

私は、20年間は、地図だけでヨーロッパを走って来た。
しかしその後、カナダを旅行するときに、ガーミンのカーナビを購入した。 その訳は、カナダの田舎で道を間違えると、途中、なにも目印が無いので、次の町に着いて間違った!と気が付いた時には、すでにもう100kmも先まで、行き過ぎているだろう。
それは、いやだなー!と、ようやく旅行用に小さなサイズのカーナビを買った。

ただし、カーナビは世界の地域ごとに地図が違うので、北米大陸用、ヨーロッパ用、それぞれのマイクロSDカード地図を買う事になる。 
便利なのは、世界のどこでも日本語で案内してくれること、行く場所を何十か所も、あらかじめ日本で出発前にセット出来る事だ。

ただ、最近はスマホのグーグル地図や無料アプリでもカーナビ機能のアプリがあり、とても便利だ。
グーグルは行く地域をオフライン地図にダウンロードして使う事、無料アプリは行く地域をダウンロードして使う事。  いずれも、オフラインで使えるので、Wi-Fiが繋がっていなくてもOKで、費用は掛からない。

ポイントは、スマホを車のどこに固定して、画面を見ながら使うか?
フロントガラスだと画面が遠くなり見づらい。ダッシュボードだと車の振動で外れやすい。・・・私はエアコン吹き出し口に針金でぶら下げている。画面は近いし、振動でも外れないし、荷物にもならなくてとても良い。もちろん、スマホカバーにも針金を通すように工夫してある。

スマホをカーナビとして使うと、電力消費がとても大きいので、充電しながら使わないと20分とは持たない。
そのためには、電気を供給するパーツの用意が不可欠だ。

個人旅行は、すべてが個人の工夫の旅でもあると、おもう。

<旅行の価値観>
ぼく達にとって大事なことは、旅行で満足出来る事です。
そして満足感とは、目的地に行くことが1/3、 村の宿に早く到着して、雰囲気や家並みを楽しむことが 1/3、 そして移動の途中の村や町に立寄りながら進む楽しみが 1/3、です。
そうです、レンタカーの旅は、小さな冒険心と期待に満ちた旅人に、なれるのです。

だから旅行は、自分で自力で行くことが何より大事です。
自力で行けない旅行先に、連れて行って貰う(チャーターとか案内)旅行は、行く事だけという、1/3の価値しかありません。
そんな旅行は、つまらない旅だと思っています。

いつも、自分を旅人にしてくれる、そんな旅行を求めています。
ビビアン1019 投稿日: 2020年09月10日 12:01:03 No.89
kiyaさんの仰る通り、家族で行くドライブ旅行も良いですが
旅仲間で行くドライブ旅行もまた違った趣きが有って楽しいものです。
生い先短い人生いつどうなるか判らないのに、この身が有る限り
色んな方と出会いたい、お喋りがしたいと一期一会を
大事にしたいと日々思ってます。人生を楽しく謳歌するには
積極的に旅行する事が大事ですよね、現実は、コロナ渦で儘ならぬ世の中では
有りますがゴーゴートラベルに参加して国の恩恵に少しでも絢かりたいと思ってます。



ナミビア紀行 fujizakura 投稿日: 2020年08月01日 10:09:56 No.84 【返信】

いままでの旅で一番良かったところはどこ、と聞かれることがあります。
わたしは迷わず「ナミビア」と答えます。
ナミビアの大西洋岸に沿って広がるナミブ沙漠は、紅茶色のたおやかな
砂丘を擁し、世界一古く、かつ美しい沙漠です。
またアンゴラとの国境地帯に広がるエトーシャ国立公園は、乾季の池の
水を求めて動物が集まってくるため、間近に多様な動物群を観察できる
ことで、ケニアやタンザニアのサバンナ以上のサファリが楽しめます。
これに加え、ヒンバ族という牧畜民の女性は、私が世界で出会った女性
たちの中で一番美しい。
若かりし頃(15年前)に旅したナミビアの紀行を、暇に任せて加筆、訂正
し、PDFファイルでアップしましたので、関心がある方は覗いてみて
ください。



ダウンロードナミビア紀行_compressed ( .pdf / 4.8MB )
ナミビア紀行 yama 投稿日: 2020年08月03日 22:57:29 No.86
素晴らしい紀行レポートです。出版したら如何でしょうか。
素晴らしいブログ 雪谷旅人 投稿日: 2020年08月04日 21:53:09 No.87
この旅行記は単なる旅行記ではない。エトーシャ国立公園での動物観察では動物への愛情に溢れ,原住民ヒンバ族との交流では文明とは何かという根源的な問題を考え,ナミビア砂漠では壮大な大自然と孤独な人間について考える。著者の人生観,世界観が随所に反映された素晴らしい著書だ。

文章は滑らかで文学的でさえある。村上春樹の小説に勝るとも劣らない表現力だ。随所に引用された万葉集などの古典や文学,果てはモーツアルトの楽曲など,現場でふと思い出す言葉やリズムは著者の見識の高さを物語っている。

マシコ君との機智溢れる会話は絶妙。漫才のようでもあり,哲学者の語りのようでもある。これがさらに彩りを添えている。

fujizakuraさんのブログはこれまで3点読ませて頂いたが,いずれも素晴らしい。他のブログを含めてまとめて出版されることを期待しています。

一つ,私の子供時代のことを思い出しました。ヒンバ族で使う臼(うす)の話があったが,実は私が子供のとき,戦後間もなくわが家には臼があり,トウモロコシを引いて粉にしてパンを作っていた。こんな経験をもつ人はSTFにあまりいないと思うが,私の子供時代はヒンバ族並みだったのだ(笑)。



みちのくの山と湯の旅 fujizakura 投稿日: 2020年07月18日 13:29:39 No.82 【返信】

来週の7月22日から「GO TO トラベル}キャンペーンが始まります。海外旅行はしばらく
無理でしょうから、外国人旅行者の少ないこの時期に、日本各地の名所旧跡を旅しようと考え
る方もおられるでしょう。
私は緊急事態宣言が解除されたのを機に、新型コロナの感染者の少ない東北地方を旅してきま
した。できるだけ人と人の接触を避けるために、移動は自分の車を使い、山登りとひなびた温
泉を訪ねる旅にしました。
つれづれなるままに、旅の様子を紀行文にまとめましたので、お読みいただき感想などをお寄
せいただければ幸いです。
ここに載せるためにファイルサイズをかなり圧縮しましたので、写真の画質が劣化しています
が、雰囲気は伝わると思います。お読みになるのはPDFソフトが必要です。


ダウンロードみちのくの山と湯の旅_圧縮版 ( .pdf / 4.8MB )
雪谷旅人 投稿日: 2020年07月20日 08:44:02 No.83
fujizakura様,素晴らしい「旅だより」ありがとうございました。梅雨前の一番よい時期,ゆったりとした旅でしたね。車なので自由に動き,飛び込みで宿に入る。一人旅のいいところですね。うらやましい限りです。温泉やトレイルの情報に加えて,土地の由来など,地元の人々から聞かれたお話も大変興味深いです。

とくに乳頭温泉の「鶴の湯」や不老ふ死温泉の露天風呂など,皆さんが一度は行きたいところではないでしょうか。さらに詳しい情報を知りたい方も多いと思います。投稿者名(青色)をクリックすればメールできますので,問合せしましょう。fujizakuraさん,よろしくお願いします。



コロナの無い島で mithy- 投稿日: 2020年07月10日 21:51:06 No.81 【返信】

待ちに待ったコロナ明け。東京を離れ梅雨明け真っ只中の小さな島で魚やカメと戯れ、夏を満喫して来ました。
透明なカヌーで船底を眺めながらカメと競走、また違う浜ではカメの食事中の行動をじっくり眺めたり、甲羅をタッチしたりして食事妨げてしまった。遠浅の浜は1m位の深さの所もサンゴ岩周辺は魚の縄張りになっていて、近づこうとするとちいさな可愛い口で威嚇して来る。それでも近づくと手や足に噛みつく凶暴さ。岩の間の砂地に静かに立っていると沢山の魚達が身体の周辺を泳ぎ回り見ていても飽きがこない。まさに浦島太郎と竜宮城の景観でした。毎日の快晴で真っ赤に焼けた身体を回復させなければ、海は好きだけど日焼けは少しだけにしたいが焼けてしまう。


ダウンロードLINE_MOVIE_1594379778233 ( .mp4 / 3MB )



夏の旅・イギリス・ヨークシャー kiya 投稿日: 2020年06月28日 11:46:13 No.75 【返信】

 海外旅行って何ですか?知らない外国を観光する事でしょうか。
私にとって、海外旅行を楽しむ事は、観光地以上に、海外の町や村を旅する事、そのものです。

イギリスのド田舎を、簡単に紹介します。
場所は、穏やかな自然がどこまでも広がる、ヨークシャーです。
ここは、羊だけが暮らしている、そんなイギリスの地方です。

ヨークシャーは、イギリス中部に広がる地域で、西側は有名な湖水地方(レイク・ディストリクト)です。
2004年8月、KLMでアムステルダム午後着、翌朝の便でリーズ空港から、1週間のレンタカーの旅をしました。


写真: イングランドの地方 ヨークシャーデイルズ・ヨークシャームーア国立公園  旅の地図(赤印は宿泊)


kiya 投稿日: 2020年06月28日 11:51:27 No.76
あるとき、
「何も無い!、とにかく何も無い!、田舎の風景だけが広がっている」そこに、美しさがあるという、
そんな旅行記を見て、一度行って見たいと思うようになりました。


ヨークシャー地方は、ヨークシャーデイルズという凹み(谷)の地域と、ヨークシャームーアという荒地の地域があって、どちらも国立公園になっている。
ヨークシャーデイルズは牧草地の風景が美しく、ヨークシャームーアでは8月のイギリスでしか見られないヘザー(ヒース)という灌木の紫の花が、
地面に貼付くように咲き誇る。


INNというイギリスの2階建ての小さな宿に泊まり、原風景の田舎に浸る、ぼく達の心に滲みたヨークシャー。
良い旅でした。


写真:ヨークシャーデイルズ、 


kiya 投稿日: 2020年06月28日 11:53:09 No.77
写真: ヨークシャームーア、

kiya 投稿日: 2020年06月28日 11:55:47 No.78
写真:イギリスに多く有る〇〇INNという宿、 嵐が丘のハワース、
紅茶で有名なハロゲイトのベティーズ 、


kiya 投稿日: 2020年06月28日 13:59:35 No.79
追記
イギリスに行くと、「〇〇ARMS」という看板があり、Armsは腕だし、何の店だろう?と思ってました。が、ようやくパブ・レストランだと分かりました。Armsは「紋章」という意味だそうです。

ヨークシャーには村にも黒い顔の羊がウロウロしています。  なんだかアニメの「羊のショーン!」みたいで可愛いです。

そして、田舎道を行くと、ときどき道路にキャトル・グリッドという鉄柵が敷いてある。 ここを車で渡ると「カチャーン!、カチャーン!」と音がするだけだ。 不思議なものだが、これは羊が逃げ出さない仕掛けで、羊は蹄が隙間に入ってしまい、渡れないように出来ている。
日本の道路側溝によく被せてあるグレーチングを、大きくしたような形だ。

写真: 〇〇ARMS、 カッスルトン村の羊、
羊のショーン、 キャトル・グリッド、 
日本のグレーチング





ぼく達の旅、ルーマニア・ブルガリア・・その① kiya 投稿日: 2020年06月12日 07:38:25 No.37 【返信】

<準備・・不安と焦り>
ルーマニア・ブルガリアの旅行は、個人旅行のぼく達には、とても思い出深い旅でした。

ルーマニアとブルガリアには、以前から興味をもっていた。しかし東欧の中でも、西欧化が遅れ、開かれたイメージが無く、ホテルもろくに無くて、何年も行くのをためらっていた。

2007年、ようやくEUに加盟したことで、西欧化が進み始め、ホテルなども増え、レンタカー会社も増え出した。 そろそろ行けそうだと思い、会社をリタイアした私は、1カ月間の旅程を組んだ。


今だったら、ルーマニア、ブルガリアに行くのは、何の不安も無いかもしれません。しかし、
旅行に出るとき、ぼく達はまだ、この両国は、個人旅行で夫婦だけで行くのは、とても不安だった。
それは、ルーマニア革命やチャウシェスクの公開処刑の暗い時代の残像が、残っていたためかも知れない。

旅先で困った事があったら「どうしよう!、言葉が伝わらず困ったら「どうしよう!」 これまでヨーロッパを個人旅行して、一度も心配したことが無かったのに、不安で一杯になった。、・・・こんな不安は、初めてだった。

さらに、外務省情報を見ると、医療の過疎国なので、旅先で病気になったら、首都の病院に行くようにと書かれていた。  それも心配だなー!現地で病気になって言葉が通じなかったら、どうするか? 

 
暫く考えて、ふと思い立った。
現地に住んでいる日本人を探して連絡をを取ってみよう、彼らと繋がっていれば、何かあったら日本語で頼むことが出来そうだ! さっそくパソコンで検索、目ぼしい人を探した。そして、ルーマニアとブルガリアで1人ずつ見つけ出した。

ルーマニアの大学に学び、国際結婚してそのまま現地に暮らす谷崎聖子さんと、ブルガリアを永住の地と定め、10年ほど前に夫婦で移住した高田遼さんである。

彼らには、夫婦のレンタカー旅行で回るので、近くを通るときに、是非お会いしたいと連絡した。
お二人とも、是非お越しくださいとの返事で、ひとまず安心。 これで 旅の心配の・・[お助けマン]が出来た。


こんな風に、この旅行に行く前には、とても大きな不安が、私の心には、有った。
だれの助けも借りずに、気力・体力・闘争心だけで、高齢者の個人旅行が乗り切れるだろうか?

心配とは裏腹に・・西欧化は良いけど、時間が経つと、古き良き世界は消えていく!!  早くしないと! そんな焦りもあった。小さな勇気と、用心深さをもって、ようやく2012年春、興味深い国々への旅に出発した。。

ルーマニアの旅のルート、クルージナポカで買った地図本


kiya 投稿日: 2020年06月12日 11:49:30 No.38
<< ルーマニア編 >> ・・<ブカレスト空港~クルージナポカ>

2012年4月上旬、夕方にルーマニア・ブカレスト空港に到着。
先入観かも知れないが、あまり良い感じがしない空港出口の雰囲気。 ATMで通貨レウに両替し、ホテルのシャトルを待っていた。
しかし、シャトルは来ない、不安になってホテルに電話すると、空港に向かったとの返事。

待ったがやっぱりシャトルは来ず、不安を感じている国でこの不安な中を、嫌な時間が過ぎて行った。
ついに、諦めてタクシーにしようと、タクシーの運ちゃんに行き先のホテルを告げると、
そのホテルのシャトバスは、向こうの隅の方に止まっているよ!と言われ、助かった。

  (ニュース)
  (この4カ月後に、日本人の若い女性がルーマニアのブカレスト空港を出て、殺されれるという事件
が報じられた。)


翌朝、空港内でクルージナポカ行の出発ゲートが分からずに探していると、通り掛かりの男が案内してくれて、この階段の上だと言われた。
ありがとうと返事すると、まだ一緒に来るので、もういいよという仕草をしたが、やはり一緒に来る。
私は、「ピン!」ときて、この男はお礼が欲しいんだと、気が付いた。

仕方ないな!と思い、ゲートの入り口まで一緒に行くと、案の定「コーヒー1杯分を恵んでくれないか」と拙い英語で言う。
まあいいや、と彼の気持ちを察して、小銭を渡してやった。

タロム・ルーマニア航空はプロペラ機だった。1時間ほどでクルージナポカ空港に到着して、ルーマニアの旅が始まった。
今回も空港でレンタカーを借りる。ルーマニアでは、大手のレンタカー会社の進出は遅く、クルージナポカで借りてブラショフで返却という乗捨てが出来るレンタカー会社は、地元の小さい会社だけだった。
しかし名も無い会社は、予約して、「行ったら会社が無かった!」なんて、騙されないか不安だな~と感じていた。

カード先払いで安全に借りる方法を? 考えてみた。
契約日と引落日の差は最短1ヵ月。なので、1か月以内の予約なら、引き落とされる前に現地に行ける。
だから、現地に行って、相手が居なかったら引落を止めてもらおう。これも、私の考える用心だ。

当時はカーナビを持っておらず、電話もガラケーだけなので、クルージナポカで道路地図を探して買った。
町の広場の露店の本屋で、詳しい良い地図が買えた。翌日からこの地図を頼りに、ルーマニアを回る。
ルーマニアは、3週間の旅のうち、2週間がレンタカーの旅になる。
町の中心にあるホテルのランチで、早速初日から、ウエイトレスにお釣りをごまかされそうになり、「注意!」の気持ちになった。

クルージナポカ滞在中は、民芸品を売っている40km先のイズヴォル村(Izboru Crisului Korosfo)などに出掛けた。
街道を外れると、荷馬車が走り、野辺には羊と羊飼いがいて、ルーマニアの原風景が広がっていた。



民芸品を売っているイズヴォル村


kiya 投稿日: 2020年06月12日 14:40:16 No.39
<シク村>
クルージ滞在後、憧れのマラムレシュ地方に向けて出発した。
小雨の中をシク村(Sic)に立寄った。ちょうど日曜日で、村の老若男女が民族衣装を着てミサをするという。
ミサのジャマをしないように、おごそかなミサを物陰からじっと見ていた。

教会を出て、村を出発するときに、私のヨーロッパドライブの中で、最大の失敗が起きた。
車が、動けなくなってしまったのだ。

ルーマニアの村の道は、舗装道路の両脇が1mほど未舗装で、その脇は側溝になっている。
私は、側溝にハマらない程度に、タイヤの片側を未舗装の上に乗せ、脇に車を寄せて、坂道の途中に止めておいたのだ。

出発の時、雨とドロで、片側のタイヤがぬめって空回りを始めた。

これはまずいなー!と思っているうち、側溝の方向に傾斜している道のため、タイヤはゆっくり溝の方にすべり出した。
坂道なので、車はすべり出したら、アー!もう止められない。そして、ズルッと右前輪が側溝にハマってしまった。
前輪は駆動輪なので、1本はまると、もう自力での脱出は出来なかった。

少しして、この様子を見ていた村人が2人、家から出てきた。
タイヤに布を敷いて、2人は車を押してくれたが、それでも脱出は出来なかった。
あー!だめかー!と思っていた時、、1人の男が私に待つように仕草して、どこかに行った。

少し待っていると、なんと、トラクターを連れてきた。
車にロープを繫ぎトラクターで引っ張ると、あっという間に側溝から脱出できた。
私は、2人とトラクターの合計3人の男の親切に、とても感謝した。

お礼に何かを!と思ったが、何も持っていなかったので、お礼はお金にした。
私は「サンキュー」と言って、感謝を込めて、手を握るように多めに100レイ札(約2,300円)を渡した。
彼らは、ものすごく喜んで、手を振って去っていった。
きっと、ぼく達のことを肴にしながら、ルーマニアの物価は安いので、3人で美味しいランチを食べた事だろう。

写真:今回のレンタカー。
  ヨーロッパのナンバープレートには国名が入っている。ROはルーマニア


kiya 投稿日: 2020年06月12日 15:40:41 No.40
<マラムレシュ・バイアスプリエ>
北に向かうと、バイア・マーレという大きな町がある。その東のバイア・スプリエに僕達の泊まるペンションがある。

バイア・マーレの外れで、車の窓を開けて、横断歩道を渡る人にバイア・スプリエの道を尋ねた。
男は寄って来て、なぜか窓に腕を乗せて、覗き込むような仕草で、道を教えてくれた。

そしてそのあと、指輪をうっかり車の内側に落としてしまったと言う。 ドアを開けて座席の脇を見始めたが、すぐに怪しい事に気が付いた。
下に注意を引かせて、その間に座席の荷物を盗むのである。

これと同じ手口を、日本の特急列車に中で目撃したのを思い出したのだった。
直ぐに車のドアを閉め、指輪は落ちてないよ! と走り去った。[スリの手口のリスク管理]だ、アブナイ、アブナイ!


バイア・スプリエに着いたが、細い脇道がたくさん有り、ペンションの場所が分からなかった。
酒場のそばでオヤジさんに、ペンションを聞くと、知っているから一緒に車に乗って連れて行くと言う。
下手な英語と、ルーマニア語の会話だから、身振りで判断するのだ。 しかしオヤジさんは酒臭いから、妻があぶないから止めろと言う。

仕方なく自分で探したがやはりペンションを見つけられなかった。
やむなく、途中で出会ったご婦人に聞き、彼女を乗せて案内してもらい、ようやくペンションに到着した。

道の向かい側を見ると、お婆さんがにっこり会釈してくれた。なんと、その横には、先ほど道を聞いた酒臭いオヤジさんが居るではないか!
偶然、ペンションの向かい側の人だったんだ、余計な時間を喰ってしまった。

ペンションでの夕食のとき、若い女性の旅行者も数人いて、カタコトの日本語でぼく達に話し掛けてきたので驚いた。
日本語を覚えようとしているのだろうか。ルーマニアもこれから、変わっていくんだなーと感じた。

ペンションの向かい、お婆さんと酒臭いオヤジの家、


kiya 投稿日: 2020年06月12日 15:52:08 No.42
<バドウ・イゼイ村>
マラムレシュでは、バドウイゼイ村(Vadu Izei)のペンションに3泊した。
ここのペンションの駐車場で、先日ドブにハマって泥だらけになった車を洗った。幸いキズは無かった。
この村はマラムレシュ地方の中心の町シゲット・マルマティエイから車で15分ほどで、手頃な場所だ。
ペンションの入り口には、木にナベが沢山ぶら下げてあった。なにか意味のある飾りらしい。


写真:ペンションの看板、ペンションの前の街道、一日じゅう佇む羊飼い、木にぶらさげてある鍋


kiya 投稿日: 2020年06月12日 16:02:10 No.43
バドウ・イゼイのペンションに泊まりながら、近郊の村々を巡った。
周囲には田園風景が広がり、藁を積んだ畑は、昔の日本のような風景で、羊や羊飼いもいる。
羊飼いは長い棒を持って、朝から晩まで、一日じゅう野辺に立って羊を見ている。 羊飼いってぼく達には想像できない人生なんだ、と感じた。

写真:藁を積んだ畑、農夫、道の向こうにカルパチア山脈


kiya 投稿日: 2020年06月12日 16:07:30 No.44
未舗装の道も多く、家の前に置かれたベンチには老人たちが座り、雑談しながら道行く人を見ている。
こういう村の様子は、初めて目にする光景だし、鄙びたルーマニアを感じる。
ああ、この老人たちは毎日が穏やかではあるが、悠久の老後を送っているのだと思う。
いかにもルーマニアの寒村の、印象的な風景だ。

シゲットの町への街道でも、藁を積んだ荷馬車が往来し、どんどん増えてゆく車社会との、はざまにある。
まもなく荷馬車は、街道からも消えてゆくのだろうなー!と感じさせられた。


門の前に座っている老人たち、藁を積んだ荷馬車、畑


kiya 投稿日: 2020年06月12日 16:10:22 No.45
シゲットの町はとても賑やかで、商店も多いし、市場も立っている。
この町はルーマニアの北端にあり、ティサ川の向こうはもうウクライナだ。
近年、この町とウクライナの間に、木製の友好橋が架かり、国境が開かれた。

ウクライナには将来も行くことが無いので、ちょっとウクライナを覗いてみたいと言う気分になった。
車で行こうとしたが、車はチェックが厳しく長蛇の列で、渡るのには相当な時間が掛かる。車を止めて徒歩で行く事にした。
ルーマニアの出国ゲートに並ぶと、来い来いと手招きされて、日本人はすぐ渡れるからと列に並ばずに出国出来た。

橋は長くもないので、徒歩で渡ってウクライナ入国。
少し歩くと、物乞いが多く居て、なんだか怖いからもう帰ろうと妻がいい、町まで行きたかったが諦めて引きかえした。
ウクライナは、入出国スタンプをもらっただけ、そして初めて徒歩での出入国。

ウクライナと聞くと、20代の頃に2人で見た映画「ひまわり」を思い出す。
ソフィアローレンとマルチェロ・マストロヤンニの映画で、戦争に行った夫のマストロヤンニが記憶喪失になり、結婚していた記憶も無くウクライナで美しい女性と結婚する。
ヒマワリ畑が美しい。 国に戻ったとき、・・・そんな映画だったかな?

この映画で、ウクライナには美しい女性がいっぱい居るんだ!と、私の頭に刻まれた。
しかし、国境の橋を渡って、物乞いのオジサンを見て引き返した私は何も見なかった。そんな旅の記念だった。

写真:クライナ国境の橋を徒歩で渡る。


kiya 投稿日: 2020年06月12日 16:13:19 No.46
バドウ・イゼイの小さなペンションは4室で、部屋毎に設備が整っている。イースター休暇で小さな女の子たちのグループが泊まっていて、
食事の時に一緒になった。みんな可愛らしかった。食堂には、ルーマニア刺繍がいっぱい掛けてある。

ペンション棟にはWi-Fi環境が無く、パソコンが繋がらない。10才と12才の娘の部屋を使ってくれとマダムに言われ部屋に入ると、
子供の洋服が掛けてあった。、子供たちに部屋を空けてもらうのが申し訳なくて、2回しか使わず、あとは町の高級ホテルで繫いだ。

マダムが洗濯しているのを見て、妻はぼく達の洗濯物も洗ってとお願いした。
村でバンドエイドを買おうと薬局に入ったら、「何枚?」と言われてエッ?と驚いた。1箱ではなくて1枚幾らで売っていた。
夕方町から戻ると、僕たちの洗濯物がヒモに干して、ひらひらしていた。
ペンション棟と母屋は100m離れていて、食事が出来るとエッこらさと持ってくる。
バドウ・イゼイの田舎感は良いなー!と思う。

写真:ペンションからの風景と、同宿の子供たちと一緒に食事。


kiya 投稿日: 2020年06月12日 16:48:09 No.47
サプンツァ(Sapanta)の陽気な墓にも出掛けた。
ウクライナ国境のティサ川に沿って西に行く。
電柱の上にコウノトリの巣があったり、羊の群れに道を塞がれたりしながら、その先に陽気な墓があった。
故人の生前の様子の絵がペイントされていて、なるほど暗さは無い、陽気な墓だった。

写真:電柱の上のコウノトリの巣、羊の群れに道を塞がれた、陽気な墓


kiya 投稿日: 2020年06月14日 16:13:18 No.70
<カルパチア山脈を越えて、ブコビナ地方に。>

マラムレシュ地方から、幾つかの村を見ながら東へ。
木造教会がいくつも保存されているブラサナ(Barsana)、ボティーザ(Botiza)では、通りのベンチで羊毛を紡ぐお婆さんの横に座って、言葉にならない会話をする妻。

ブコビナ地方に行くには、カルパチア山脈を越える。峠には教会があり、4月中旬だが、雪で覆われていた。山を下るとCarlibaba村があり、街道のホテルに泊まった。20部屋位あるが、泊客はぼく達だけで、広いレストランでポツンと夕食。ウエイトレスのお姉さんたちは、とても暇そうに、チラチラとアジ人アのぼく達を、それとなく見ていた。静かな夕べ。


   ・・・ルーマニア・ブルガリア・・その② NO.49 に続く・・・


写真:羊に道を塞がれ、ブラサナ木造教会群。
   ボティーザの寒村、羊毛を紡ぐお婆さんの隣に座る妻と 典型的な夫人の服装。





ぼく達の旅、ルーマニア・ブルガリア・・その② kiya 投稿日: 2020年06月13日 10:06:50 No.49 【返信】

スレッドが一杯なので、続きは・・その②で、、、

<ブコビナ地方>
山を下ってブコビナに入ると、村では家々で絞った牛乳を、馬車やトラックで集めに来ていた。懐かしい様な、古い絵本でしか見たことがない様な、そんな風景に思えた。
外壁に、飾り絵を描いた家々がたくさんあった。

ブコビナには、有名な5つの修道院があり、モルドヴィツァ、フモール、ヴォロネツなどいくつか回って見た。 フレスコ画が施されて、確かに素晴らしい修道院だ。だが、ぼく達にはそれほどの感動は、無かった。
子供たちが手作りの、イースターの絵付けタマゴを売っており、買ってくれと何人も寄って来た。うるさい子は避けて、控え目にしていた子供から土産に買った。

気楽に土産を買ってしまって、後で困ることが有る。今回もそうだった。
タマゴの殻で作ったイースターの絵付き卵は、なんとも壊れやすい。小さくて潰れない箱に入れ、ティッシュで抑えて大事に持帰った。
お土産も考えて買わないと!、と反省する。

修道院を回ったあと、この辺の中心の町グラ・フモルルイ(Gura Fumorului)にも行ってみたが、
俗化した雰囲気で好きではない。 昼食のあとそこそこに町を出た。

写真:牛乳を集めに来た馬車、飾り絵の家。
   ブコビナの修道院。


kiya 投稿日: 2020年06月13日 10:09:05 No.50
<バトラ・ドルネイ>
宿泊地バトラ・ドルネイ(Vatra Dorunei)に向かう。
バトラ・ドルネイはちょっとした町で、鉄道駅もあり、地方の田舎町の雰囲気がとても良い。
表通は賑やかだが、ペンションの有る脇道に入ると、道は舗装されておらず、とても静かだった。
翌日も、この町で休息。町ブラしたり、近郊の村をドライブしたり。
朝食に、イースターのタマゴが出た。イースターは2週間以上やっているらしい。

写真:バトラ・ドルネイの鉄道駅、街並み、ペンションに行く道とペンション、ペンションからの風景。


kiya 投稿日: 2020年06月13日 11:10:05 No.51
<ポイアナ・スタンペ村での、出来事>
2連泊の翌日は、だらだらと村を通り、ビストリツァの宿に向かう、80kmほどで近い。
途中のポイアナ・スタンペ村(Poiana Stampei)の道で、おめかしした幼児が何人も、お母さんと一緒に自分の家から出てきた。
何か有るのかな?と、急ぐ旅では無いので、車を路肩に止めて様子を見ていた。

子供たちはそれぞれ手にバスケットを持ち、近所の家の門をあけて中に入っていく。
しばらくすると、子供は家から出てきた。道路で待っているお母さんに、うれしそうにバスケットの中を見せている。
ぼく達は興味を持ち、バスケットの中を見せてもらった。中には絵付けしたイースターのタマゴが入っていた。

そうか、イースターの卵をご近所からもらって来たんだ。和やかな雰囲気にぼく達も笑う。
すると、1軒の家からお婆さんが出て来て、我々に家の中に来いと言う。
誘われるままに家に入ると、狭いけどルーマニア刺繍で飾られた家の中を見せてくれた。
亡くなったご主人の写真が壁に飾られていて、聞くと、お婆さんはまだ65歳だった。
なんだ、ぼく達と同世代だよ。

そして言葉は通じないが、国際言語のジェスチャーで話す。
お菓子を出され、イースターだからと郷土料理のサルマーレなどが出てきた。
ホテルの朝食後で、まだ時間が経ってないのでお腹は一杯だったが、折角なので頑張って食べた。
ルーマニア旅行中に、一般家庭にお邪魔して郷土料理を戴くという、貴重な体験になり嬉しかった。
おじゃましている間にも、可愛い女の子が、バスケットを持ってやって来ていた。可愛いなー!

写真:イースターの門飾り、おめかして家から出てくる子供、子供たち。


kiya 投稿日: 2020年06月13日 13:10:41 No.52
お婆さんとの事は、観光する事よりもずっと価値ある、嬉しい出来事で、ぼく達の旅を輝かせる思い出になった。

写真:お婆さんの家、お婆さんと一緒に。イースターの卵と、卵を貰いに来た子供。


kiya 投稿日: 2020年06月13日 13:20:26 No.53
昼頃、ブルゴー峠のピアトラ・ファンテネレ村(Piatra Fantanele)の、カステル・ドラキュラ・ホテルでランチ。なんだか伝説のドラキュラと関係がありそうだ。

ビストリツァの翌日、観光地シギショアラに向かう。このあたりはトランシルバニア地方だ。
トランシルバニア・アルプスを遠くに望み、広大な畑が広がっている。
野辺に立ち、ジーっと畑と山々を見渡していると、泣きたくなる様な、心に滲みる風景だった。

写真:カステル・ドラキュラ・ホテル、ビストリツァのホテル、トランシルバニアの滲みる風景。


kiya 投稿日: 2020年06月13日 14:18:01 No.54
<シギショアラ>
シギショアラは観光地として有名な町で、ルーマニアと言うよりも、西欧の綺麗な旧市街みたいだ。坂道ばかりの旧市街。町ののてっぺんには、山上教会があり、屋根付きの木製階段を延々と登る。
この町には、ドラキュラのモデルになった人の家があり、プレートが貼ってある。
また、町から30kmほど先にある、ビエルタンの要塞(世界遺産)にも出掛けた。小さいけど独特の雰囲気があって魅力的だ。

写真:シギショアラ旧市街、スーパーで会った女の子の達に日本語を教えて楽しんでいる妻。
   ビエルタンの要塞と、要塞からの美しい風景。


kiya 投稿日: 2020年06月13日 14:22:54 No.55
<ブラショフに向かう>
道中、山道で牛の群れに道を塞がれ、ぬかるんだ道からお兄さんが馬を引いて出てくるような、寂しい寒村に佇むビスクリ要塞教会へ。 カルパチア山脈を遠望する、広大な風景の中にある、ファガラシュの要塞などを見て回る。
これらの村が、要塞を作った頃のオスマントルコに怯えていた、大変な時代を想像しながら、ブラショフに着く。

写真:牛の群れに道を塞がれる。ビスクリ要塞教会。
   ファガラシュの要塞、カルパチア山脈を遠望する。 


kiya 投稿日: 2020年06月13日 14:51:11 No.56
<ブラショフ>
ブラショフは、ルーマニアでも大きな町だ。この町で4泊して、この町でレンタカーを返却した。

(アパートに行かれない)
町に入って、地図をみながらアパートに向かうのだが、一方通行もあり、どうしてもアパートの有る通りに行かれない。町の人に道を聞くいても行かれないし、こんな事は、初めてだった。普通の賑やかな通りなのに。

どうしても行かれないョ~!参ったなー!、今日はどうしたらいいのか?と、しばし茫然。 車を止めて、考えた。

そして、ふと思いついた。・・・そうだ、タクシーだ!
タクシーといってもレンタカーもある。そこで、タクシーに行き先を告げて、行って貰う事にした。
車で後ろをついて行くから、タクシーは空のままで行ってくれ! 料金は払う!と告げた。

この方法は、最高だった。 直ぐ近くで、簡単にアパートに到着した。
途中で、どこかの建物の門をくぐって、建造物の敷地に入るような道だった。ああ、この近くまで何度も来ていたのに!、と思った。
われながら、タクシーの先導は良い解決策だと、自分をほめて、どっと疲れた気持をほぐした。(笑)

ブラショフは賑やかで、レンタカーを返却して、ロープウェイでトゥンバ山に上り町を一望したり、あちこち町歩きして4日間を楽しめた。
甘いお菓子では、ブラショフ発祥のパパナッシュという菓子が、甘党の私はとても気に入った。

写真:ブラショフのアパート、トゥンバ山からブラショフの町を見下ろす、
   


kiya 投稿日: 2020年06月13日 17:08:09 No.57
(ブラン城)
ブラショフからドラキュラ城として有名なブラン城に行く。ここは観光客も多い。
中国人のツアーも来ていた。良い城だが感動はあまりなかった。
帰りがけに山の上にそびえるルシュノフ城(Rasnov)を、ちらっと見上げて戻った。

(谷崎聖子さんの家)
レンタカーを返却する前に、もう一か所大事な所があった。そう[もしもの時のお助けマン]、ルーマニア在住の谷崎聖子さんの家だ。
彼女は、ブラショフから30kmほど東のスフントゥ・ゲオルゲ(Sfantu Gheorghe)の町に住んでいた。
家の場所を特定するために、この町の地図を碁盤の目に刻んで、A-5というようにマス目の場所が何処か、聞いておいた。
ぼく等が訪れるときは不在だが、ハンガリー人の夫と7歳の息子が居て日本語も少々出来るので、どうぞ来てくださいと言われた。


地図で準備したおかげで、ミサイルの着弾地点のような感じで到着し、家はすぐに分かった。
おそらく建物はソ連の統治下に建てられた、5階建ての古いアパートだった。暗くて広い階段を上がり4階だ。
日本のお土産(崎陽軒の真空パックシュウマイ、お菓子)を準備して訪れた。

ルーマニアで暮らす谷崎さんと7才の息子さん、何の土産が良いか、悩んでいた。
ルーマニアの前に行く国も有って、谷崎さん宅を訪れるのは、日本を発って1か月以上先だ。
空港で買えるクッキーや煎餅では詰まらないし、初めはカステラを考えた。
だが調べると、カステラの正味期限は1ヵ月無いことが分かった。
そして、次に私の地元に近い鎌倉・鳩サブレがいいな!と思ったが、調べるとこれも賞味期限が1カ月無かった。
品質の問題は出ないのだろうけど、なぜか短く設定されていた。

そこで考えたのが、やはり地元に近い、横浜・崎陽軒のシュウマイだった。
崎陽軒の真空パック・シュウマイは、何と賞味期限が、常温で3カ月も有るのだ。意外だったが、これが良いと決めた。
お土産も、いい加減には選ばずに、できるだけ心して選びたい。


お邪魔すると、歓迎してくれて、大事にしまってある品を、出してくれた。
年代物の素晴らしい民族衣装(フォークロア)のコレクションだ。
彼女がルーマニア刺繍の仕事をしているため、必死に集めた年代物の品物で、もう今では作れない素晴らしいコレクションだった。
これが縁で、その数年後、彼女が日本に来て仕事のときに、息子さんをわが家で預かったりした。
町に戻る途中にも、プレジュメール要塞教会(世界遺産)があり、立寄った。古びていて素敵な要塞教会だ。

写真:ブラン城、入り口で待っていてくれた谷崎さんの息子さん。
   コレクションの民族衣装、プレジュメール要塞教会


kiya 投稿日: 2020年06月13日 17:13:19 No.58
<シナイア>

前日に電車の切符を買って、翌日はシナイアという有名な観光地に。
ホテルは、町一番のホテル・パレスだが価格は安い。それなのにWi-Fiは、ロビーだけしか繋がらなかった。
この町は、ペレシュ城や僧院があって、小さいけどオシャレな町だった。首都から近いので、日帰りで来る観光客も多い。

写真:ホテル・パレス、ペレシュ城、シナイア駅


kiya 投稿日: 2020年06月14日 15:51:18 No.69
<ブカレスト>

翌日、いよいよ首都のブカレストに列車で着いた。電車を降りるとタクシーの客引きの嵐だった。
ちゃんとタクシー乗り場から乗ってホテルに。ブルガリアに行くバスの出る広場のホテルを選んだ。
いろいろ調べたが、ブルガリア行のアクセスが、電車かバス、どちらも心もとないアクセスだなー!と感じていた。
町歩きをして、チャウシェスクが作った馬鹿でかい国民の舘を眺め、ルーマニアの公開処刑のニュースを思い浮かべた。

翌朝はホテル前の広場で、ブルガリアのルセ行のバスを探した。ルセ(Ruse)はドナウ川を渡り、ここから一番近い大きな町だ。
探したが、それらしいバスは見つからず不安になった。ホテルのフロントの姉さんに言って、彼女にも一緒に探してもらった。
あちこち探して、ようやく姉さんが、これだよ!と言う。

それはバスでは無くて、個人の乗用車だった。値段は1人10ユーロで、下調べした金額だった。
あと一名、現地の女性が乗って出発した。
ドナウ川を渡り、入国審査のために運ちゃんにパスポートを渡すと、10分程で戻って来た。
不安を感じる移動だったが、無事にルセに着いた。

いろいろ有った、3週間の味わい深いルーマニアの旅を終えて、ようやくブルガリアに入った。


  ・・・・・ルーマニア・ブルガリア・・その③ NO.60 に続く・・



写真:ブカレスト駅構内、ブルガリアに行くバス(普通の車だった) 





ぼく達の旅、ルーマニア・ブルガリア・・その③ kiya 投稿日: 2020年06月13日 17:20:16 No.60 【返信】

<<ブルガリア編>>

<ルセ>
ルーマニアのブカレストから、国境のドナウ川を渡ると、すぐにルセに着いた。ブルガリアでは大きな町だ。
ルセの町中はコンパクトで、歩きやすく楽しい。まず、町の本屋に行ってブルガリアの道路地図を探す。
地図が無ければ、この先、どうにも出来なくなるから、必死に探して、良さそうな地図本を見つけて購入。

ルセでは、町一番のリガ・ホテルに泊まった。ブルガリアの田舎町では、値段は安い。
珍しく、高層ビルのホテルで眺めがとても良い。ホテルの最上階のレストランも良さそうで、夕食を食べた。
高層ホテルのレストランの大きな窓から、眼下に見えるドナウ川と、沈む夕日が奇麗だ、すばらしい。

大好きなドナウ川沿いでゆっくりするのも良いだろうな~!と思う。
ドナウ川は、ドイツの黒い森と呼ばれるシュバルツバルドのドナウエッシンゲンに源を発し、チェコとオーストリアの国境を流れてウイーン、
そして、ハンガリーのブダペストに。その後ルーマニア、ブルガリアを流れて黒海に。 

「ドナウ川のさざ波」や「美しく青きドナウ」という名曲に美化されて、私のような音楽無知でも、ドナウへの憧れを抱いてドナウ川沿いを訪れた。
ドイツ黒い森のドナウエッシンゲン、オーストリア・ヴァッハウ渓谷をローカル鉄道で、そして、ハンガリーとスロバキアのドナウベント地域を訪れた。今回は、リガの高層ホテルから穏やかな流れのドナウを見下ろした。

音楽家は、ドナウ川の何処の岸辺を眺めて、あの名曲が浮かんだのだろう・?
「ドナウ川のさざ波」はルーマニア人で、「美しく青きドナウ」はオーストリア人の作曲家だ。
・・と、音楽素人の私はついつい思ってしまう。 旅先は、憧れを抱いて訪れると楽しい。



ぼく達が、珍しく大きなホテルに泊まったのには訳がある。レンタカーを借りるためだ。
ブルガリアの小さいレンタカー会社は、地方には営業所が無いので、ホテルに車を持ってくると言う。
翌朝、ロビーで待っていると、お兄ちゃんがレンタカーに乗ってやって来た。ここで書類にサインして、レンタカーの旅が始まった。
ブルガリアでは2週間の旅の全工程がレンタカーで、車は首都のソフィア空港に返却する。

写真:ブルガリアの地図本、旅のルート地図、ルセの町中、ホテルからドナウ川を見下ろす。


kiya 投稿日: 2020年06月14日 08:44:48 No.61
<べリコタルノボ>

べリコタルノボは、ブルガリアでは大きな地方都市で、ルセからは120kmほどだ。
レンタカーで走りだして、ほどなく困った事に気が付いた。ブルガリアはキリル文字。道路看板が英語と2段表記のうちは良いけど、
英語表記が消えると、キリル文字だけになって何と書いてあるのか分からない。
この文字は形が覚えられず、道路看板がしばしばキリル文字だけになって、悩まされた。
(ソフィア  英語:Sophia ブルガリア語:София)大きな町なら必死に形を覚えるが、
脇道に入って、名前も知らない村めぐりになると、本当に道路標識が読めず、車を止めて地図とジーっとニラメッコも、しばしば。

べリコタルノボは丘の斜面に開けた町で、素敵な観光地で、町歩きも楽しい。
この町で2泊したが、Booking.comで予約した ホテル・ミノテル があまりに安くてびっくり。
ツインルーム・朝夕食付で1日あたり20ユーロ、1人10ユーロで2食付きとは驚いた。
部屋は普通の広さで、洗面・トイレ・シャワーも普通の大きさで付いている。
おまけに、旧市街にも歩いてすぐだし、窓からの景色もとても良くて、駐車場も有る。 
ドミトリーなどを一切使わない僕達のヨーロッパ旅行の中で、過去も将来も、たぶん一番お安い、お得な宿の記録になるだろう。

レンタカーで近郊の村を観光。アルバナシ(ARBANASI)は民家の屋敷が集まる静かな住宅地で、文化財に指定されている。
うす茶色い石を積み上げた平屋の家と、家々の塀は、独特な落ち着きと静かさが有る。

(琴欧州の実家)
もう一件、30kmほど先の行きたい村が有った。ジェルニッツァ村(Dzhulyunitsa)である。
ここには、大相撲の大関で、ブルガリア出身の琴欧州の家がある。プロスポーツでは大相撲が一番大好きで、いつも熱心に見ている。
外国人の人気力士の、琴欧州の家が近いと聞いて、是非行こうと思っていた。

行ってみると、荷馬車が走り、コンビニが1軒あるだけの静かな村だった。
車を止めて、キョロキョロしていたら子供たちが近づいてきて、「コトオウシュウ?」と、問いかけられた。
子供たちは、こっちだ!こっちだ!と小走りに案内してくれた。家には国旗が数本立っていた。

家の前に車を止めて、様子をうかっがっていたら、自転車を押したお婆さんが通りかかり、この家に用事か?という仕草。
うん!とうなずくと、その家に入って人を呼んできてくれた。出てきたのは、琴欧州のお父さんだった。

ホテルでの夕食のとき、ドイツから来たという若い夫婦と話をした。
奥さんは見た目は日本人かと思い、話しかけるとインドネシア人で、国際結婚しているという。
べリコタルノボは、町中の道がちょっと分かりずらい。そのためか、ドイツから車で来ていて、町に入りホテルの場所が分からず苦労したと言ってた。
が、面白いもので、私は町に入るなり難なくホテルに着けた。

写真:道路看板にべリコタルノボと書いてあるらしい、レンタカー、
  べリコタルノボを見る、旧市街は素敵だ、
  琴欧州のお父さんと、格安ホテルの部屋からの景色は抜群。


kiya 投稿日: 2020年06月14日 09:45:51 No.62
<カザンラク>
2泊後、トリャブナ、シプカ峠を越えて、カザンラクに向かう、距離はたった90kmと近い。
トリャブナ(Tryavna)の町は、こげ茶色に縁どられた家の町並みが美しい。民族復興期の建物の町だという。
その先のガブロヴォや、ソコルスキ修道院などを見学して、シプカ峠に。
シプカ峠には、大きな記念碑があり、たくさん大砲が南を向いて設置されている。オスマントルコと戦ったのだ。

このシプカには、このあと会う予定の高田遼さんが、一時暮らしていたとか。
高田さんは、最初ここに移住して、サイトを立てて日本人の移住を呼び掛けた。「ブルガリ屋は穏やかで、物価が安くて、預金利息は高いので、楽に暮らせる」という触れ込みで。
この誘いで、何人かの日本人が、ブルガリアにやって来たという。
その後、彼らはもう少し南の、カザンラクの近くの村に移った。

カザンラクはブルガリアでは大きな、地方の町で「バラの谷」の中心地だ。
4月末ではまだ少し町の付近のバラの畑の苗木も小さく、時期が早いので、町はまだ空いていた。
周辺の村を半日車で巡ったがこのあたりの村の道路看板はキリル文字だけで、何処にいるのか全く分からない。

ホテルは町一番のホテル・カザンラクにした。
夕方ロビーで寛いでパソコンを見ていたら、急に停電になり、ビックリした。
しかし、ホテルの人は停電なんて当たり前!という顔で、そのうち点くよ!と少しも騒がず、だった

写真:トリャブナ、シプカ峠では大砲が南を向いて並ぶ、
   カザンラクのホテル、近郊の村をドライブ、
   看板文字が・・分からない


kiya 投稿日: 2020年06月14日 12:40:27 No.63
<カルロヴォ>

翌日はわずか60km先のカルロヴォ(Karlovo)に宿泊。ここもバラの谷の一角だ。
ここで、ブルガリアの[もしもの時のお助けマン]の高田遼さんに会う予定だった家はこの近くのKAPABEAOBOという村で、ここも地図を碁盤の目にしてB-5とかで、高田さんの住む路地まで、場所を特定しておいた。
事前のメールのやりとりで、彼には「1泊とは言わず、この村に来て数日泊まってくれないか!村で現地の人達とコーラスサークルをやっているので、それも是非聞いてほしい」と、かなり積極的に誘って来た。


(とんでもない事が)
しかし、この村に到着する前に、とんでもない事が起きていた。
ブルガリアに入る少し前の、ルーマニア旅行中に、作田さんという知らない女性から、1通のメールが届いた。内容は
「高田遼さんは、突然亡くなりました。」というものだった。これには茫然とするほか無かった。
そして、高田さんの奥さんはメールが出来ないので、知人の私(作田さん)が代わりにメールしました、との事だった。

高田さんは最近具合が悪くなり、バスで町の病院に行き見てもらい、そして家に戻って来た。 そして翌日、奥さんが病院に薬をもらいに行って、家に戻ると、高田さんはすでに亡くなっていた。というものだった。
これには、ぼく達もぶったまげたし、旅行に行く前に調べた、外務省情報の「 医療過疎国 」という文字が頭をよぎっていた。
たぶん、町の病院では高田さんが重病だとは、認識できなかったのだろうと、思った。

作田さんは、カルロヴォの町に住んでいるので、ぼく達の泊まるHOTEL・HANATに来てもらって、話をした。 彼女は徒歩5分程のところのマンションを借りて住んでいて、家で夕食でもどうかと誘われ、久しぶりに和食が食べられて有難かった。
だが夕食時に、作田さんといろいろ身の上話をきいた。


彼女も、高田遼さんの呼び掛けでブルガリアにやって来たのだと言う。物価が安く、預金金利が高い(当時8%台)ので、1千万円足らずの預金の利子で生活が出来るのだと言う。
彼女は、離婚して子供も相手方に渡し、天涯孤独の身なので、
残された人生をブルガリアの地で、一人で生涯を暮らすつもりだと。
この、彼女の身の上話を聞いて、妻は打ちひしがれてしまった。

翌日のコプリシティツァは、近いので、午後出発することにして、昨晩のお礼にお昼をご馳走して、作田さんとお別れした。
昨晩の話で打ちひしがれてた妻は、翌日もボーっと思いに耽っていた。

行く予定で地図を用意していたので、街道をそれて、高田遼さんの家のあるカラヴェロヴォ村(KAPABEAOBO)にに向かった。 小さな静かな村だった。家の前に行って、周りの畑を見渡した。会ったことの無い高田遼さんは、
一生この地で暮らすつもりだったんだなー! と思っていた。彼は63歳で、旅する私よりも幾つか年下だった。


(「地球の歩き方」にレポート)
・私は旅行後に、「地球の歩き方」に次のようにレポートした。・◇バラの谷で安らかに(2012年6月)◇
4月にルーマニアを旅行中に、4月末にブルガリアでお会いすることにしていた高田遼さんんが、突然亡くなったというメールが入りました。

高田遼さんご夫婦は、10年ほど前にブルガリアのバラの谷・シプカに移住されて、ホームページも作っていました。
その後に転居して、バラの谷のカルロヴォの町から15キロほどのカラヴェロヴォという村に、家を買って住んでいるとのことでした。

どんな方でどんな暮らしをしているのだろうと、お会いするのを楽しみにしていましたが、バラの谷を訪れる2週間前に突然亡くなり、そのままカラヴェロヴォ村に葬られたと聞きました。
奥さまは葬儀のあと始末で、不在でしたが、訪問する予定で地図を持っていた私は、レンタカーでカラヴェロヴォ村を訪れ、村の端っこでその先は広大な畑が広がる高田さんの家の前で、黙とうをして帰ってきました。

リタイア後に海外に行き、そこで暮らして人生を終えるという生き方は、私には理解できませんが、
そんな方も居るのだなーと、遠く思いを馳せました。  ◇◇◇


ここカルロヴォでは、・・私は高田遼さんの話に茫然とし、 妻は、作田さんが移住した異国で、一人で、人生を終える覚悟、という身の上話に打ちひしがれた。

写真:カルロヴォのホテル・荷馬車も往来、 作田さんと、
   高田遼さんの家の前で、家のある道、


kiya 投稿日: 2020年06月14日 14:21:17 No.64
<コプリシティツァ>

コプリシティツァ(Koprivshtitsa)という、この読みにくい村に5泊した。
ここは小さい村だけど、美術館都市を宣言している。美しいデザインを施した家々が多くある。
かって財を成した人たちのオシャレな家々が立ち並ぶ、素敵なところだ。
ぼく達は、パノラマ・ファミリー・ホテルという家族経営のペンションに泊まった。
なかなか5連泊する客は居ないらしくて、大歓迎してくれた。

のんびりと毎日、村をブラブラと楽しんだ。5月1日にはお祭りがあり、前日から劇を練習していた。
男も女も、みな民族衣装を着て、お祭りは盛大だった。ブルガリア人の顔立ちから、若い女性達の民族衣装姿は美しかった。
祭りは、オスマントルコを撃退した祭りだと言う。そういえば、ルーマニアからブルガリアに掛けて、
あちこちにオスマントルコと対峙した爪痕が残っていた。

親しくなったホテルの兄ちゃんと話していると、彼らの歴史は、脅威だったオスマントルコを、ロシアの支援を受けてようやく撃退出来た。
しかしその後、ロシアの支配が始まり、結局ロシアの方が嫌だったと、ポツンと話していた。

5泊もしたので、レンタカーで名も無い周辺の村々を数多く回った。このあたりは、バルカン山地の山裾に有って、
何も無い村だけど、緑豊かな野辺という印象がつよく残った。
村を良く見ると、ゲストルームと書いた札が門に貼ってある家があちこちにある。知らない宿だがそんな宿泊もある様だ。

夕方、ホテルの近くで、通りがかりの家から呼び止められた。家に来いと言う。
行くと、バーベキューのような食事をしていて、食べろと勧められた。食事とビールや飲み物を出された。
そして、部屋を見てせてくれて、ここに泊まらないか?という。近くのホテルに泊まっているからいいよ、と、
やんわり断って帰ってきたが、言葉も通じず、何だかよく分からない出来事だった。これもゲストルームなのかも知れない。

コプリシティツァの5泊は、田舎で素朴だけど、とても良かったと、旅の印象に残った。

写真:コプリシティツァはこの先の山裾に、パノラマ・ファミリー・ホテル
   ホテルの部屋から村を望む、ホテルの家族と、
   5月1日お祭り、祭りの綺麗なお姉さん方


kiya 投稿日: 2020年06月14日 14:30:37 No.65
コプリシティツァ村の様子。
この村は、本当にすてきだ! また訪れたい。

写真:村の様子3枚、家々の木製の門、
   ゲストルームのプレート、商人達の豪華な邸宅の一つ、


kiya 投稿日: 2020年06月14日 14:31:58 No.66
<ソフィア>

のんびりと滞在後、首都のソフィアに向かう。110kmほどの距離だが、道も良く簡単に着いた。
ソフィアのホテルはケンピンスキー5ツ星だ。
いつもの安宿旅と違い、ブルガリアではときどき高級ホテルに泊まったが、高級ホテルがとても安いためだ。
ソフィアには、ロシアやオスマントルコの影を残す寺院や建物が、数多く建っている。見ごたえは有る。
ホテルは町の中心から歩くと遠いので、トラムを考えていたが工事中で運休、タクシーを使った。
kiya 投稿日: 2020年06月14日 15:23:52 No.67
<リラの僧院>
翌日は、有名なリラの僧院を目指した。120kmほどだ。南へ向かうとピリン山脈が遠くに見えて、とても景色が良い。
道も良くて快適なドライブだった。 しかしここでミスをした。

景色を見ながらの楽しいドライブだったため、リラの僧院への左折の看板を見落としてしまった。
もうとっくに到着している距離を走ったのに、左折看板が無いな~?と思い、何処を走っているのか知るために、真っすぐ町まで走った。
サンダンスキという町で、かなり先まで来てしまった。あと30kmほどで、もうギリシャ国境だ。

そんな失敗をして戻り、森を抜けて山の中に建つリラの僧院に着いた。入場料は無料だったが、駐車場が4レバ。
リラの僧院は、落着いた雰囲気で見ごたえがある。
私は神社仏閣にはめったに感動しないが、ここは本当に、本当に素晴らしい!!。

しかし看板を見落としたという気持ちが尾を引いて、
後で、見落とすなんて納得できないという思いで、地図を見てみた。

良く調べたが、リラの僧院への看板は無く、最寄りの村に出る道路看板だけだ。
それも左折では無く、立体交差のため最初は右に出るのだ。
右に出る看板は見ていないので、やっぱりミスするのは当然だった。

たとえどこかに小さな看板が有っても、リラ村は=Рила、
こんなキリル文字では、私には判読できない。・・・と、自分の失敗を慰め、どうして間違えたか、納得。 ハハハ!

この日の宿泊は、80kmほどの山間の小さな町にした。サモコフ(Samokov)という所にした。
ガイドにも無い、だれも観光客の行かないようなちっぽけな田舎町だ。

ここは、田舎なのでホテルも安い。ツインルーム1泊朝食付で19ユーロ。
人の少ない、誰も知らないようなボンヤリした田舎の町、これはこれで楽しい。旅のノリシロだ。
カフェでお茶して、のんびり過ごす。

写真:ソフィアのホテルケンピンスキー、ネフスキー寺院
   シェラトンホテルの中庭の聖ゲオルギ教会、旧共産党本部
   リラに向かう道の向こうにピリン山脈、リラの僧院


kiya 投稿日: 2020年06月14日 15:34:08 No.68
<ソフィア空港に>
サモコフからソフィア空港までは60km、ソフィアはすでに観光したので、今日はぶらぶらと空港に向かう。
名前も知らない村をゆっくりと抜けながら、何か無いかなとキョロキョロと行く。
こんな旅もレンタカーの、大きな楽しみだ。

何と読むのかDragushinovoという村に入ると、道路に沿った電柱の上に、コウノトリの巣が一杯あって、
渡り鳥のコウノトリは、もうアフリカから飛来してきており、大きな巣の上で子育てを始めたようだ。
ぼく達は、コウノトリを見るのが大好きで、これまでにも色々出かけているが、こんな偶然でたくさん見られるのは、とても嬉しい。
車を路肩に止めて、村人にコウノトリだねと指さすと、別に珍しくも無いよ!という顔だった。ぼく達は、しばし見入っていた。

ソフィアの近郊のヴィトシャム山に行き、フレスコ画で有名なボヤなナ教会を見る。教会は小さいが、世界遺産だ。 
昼になり、レストランを探す。
文字が読めないので苦労するが、この建物はレストランかな?という風に探して、中を覗き、昼食。

ブルガリアの最後は、ソフィア空港近くのホテル・メトロポリタン。
ここは高級な大きいホテルだが、それには訳がある。レンタカーを返却するためだ。

夕方、レンタカー会社の兄ちゃんが車を取りに来た。
なんと!借りるときルセのホテルに車を持ってきた、同じラドショフ君だった。
ルーマニア国境のルセはソフィアから何百キロも離れているのに、同じ係員が来るなんて、初めてだ。

ふと考えた。ブルガリアの小さなレンタカー会社なので、ラドショフ君は自分の車を、会社に登録して、
貸出も返却も自分で行という、ローカルな方式なのかもしれないなー?

翌朝、ホテルのシャトルバスで空港に行き、次の旅先のトルコ・イスタンブールに向った。

写真:村の電柱の上にコウノトリの巣、ボヤナ教会、
   ボヤナ教会近くのレストラン、ホテル・メトロポリタン


ーー ぼく達の旅、ルーマニア・ブルガリア・・・(完)ーー





ぼく達の旅・オリエント急行 kiya 投稿日: 2020年05月28日 09:22:19 No.29 【返信】

私がヨーロッパに行くキッカケとなった、昔の話をいたします。

皆さんもそれぞれに、初めてヨーロッパに行くキッカケが、有ったと思います。
我家にとっての、ヨーロッパの始まりは、ヨーロッパに行きたいな~、では無くて「オリエント急行に乗りたい」そのためでした。

生まれて40数年間、ヨーロッパ旅行は考えた事も無く、とても遠い異国、という気持ちだけでした。
そう、萩原朔太郎の「フランスに行きたしと思えどもフランスはあまりに遠し・・」、そんな状態でした。

30歳で転職した会社で15年が過ぎて、16日間のリフレッシュ休暇が取れることになった。
この頃の私は、毎日麻雀、休日は爆睡で、家庭をまったく顧みて無かったので、この機会に何とか罪滅ぼしで妻の機嫌を取りたいと、
「どこか行きたい所がある?」と聞いてみた。
・・・うん!、と妻はしばし沈黙したあと、「一生に一度オリエント急行に乗りたい」と。。。

 
・・・何!それ?? 私は、オリエント急行は小説の名前でしか知らなかった。
列車が何処を走っているのかも知らず、慌てて調べてみた。
かっての小説のオリエント急行は、一度解体されたが、1980年代にVSOE(ベニス・シンプロン・オリエントエクスプレス)社が再建して、
この頃は、ロンドン~ベニス間を走っていた。

さっそくJTBに行き、「ロンドン~ベニス全区間のオリエント急行のツアー」を申し入れたが、「そんなツアーは有りません!」と言われてしまった。
しかたなく私は、赤坂にあったVSOE社の営業所に出掛けて、夫婦2名を申し込んだ。
この列車はとても高価だったが、一生に一度だからヨーロッパに行こう!と思い切って決めた。
JTBでは航空券とホテルを手配した。
こんな旅行だったため、初めてのヨーロッパは、嫌応無しに「個人旅行」になってしまった。

1992年5月ヴァージン航空で、ぼく達は、意気揚々と、ヨーロッパに出掛けた。


kiya 投稿日: 2020年05月28日 18:09:27 No.30
イギリスに着くなり、ぼく達の初のヨーロッパ個人旅行は、洗礼の嵐だった。(笑)
最初にヒースロー空港の白タク事件が起きた。(ひろばNO.755)
そして、ロンドンの地下鉄スリ事件にも遭ってしまった。(ひろばNO.761)
そうこうしながらも、ロンドンを見学して、スコットランドに飛んでレンタカーで走り、あっという間に6日間が過ぎた。


そして7日目の出発の朝、オリエント急行の出発する、ロンドン・ビクトリア駅に向った。
今と違って改札は無いので、そのまま指定されたホームに行った。
いちばん端にあるホームの横に、オリエント急行専用待合室が設けられていた。
待合室の中には飲み物やつまみ類があるロビーになっていた。

出発時間が近づくと、「プルマンカー」と言われるクリーム色の「デイ・カー」が入線してきた。
チェックインが始まる時間になり、ホームには赤い絨毯が敷かれ、琥珀色のカウンターが設けられた。
なんだか、映画の一場面みたいだな~と思った。
手荷物を残して、使わない大きな荷物は預けて、最後部の荷物車両に入れられた。

車内ではさっそくフレンチのランチが出た。
昼過ぎに、イギリスの東端のドーバー駅へ。当時は、ユーロトンネルはまだ無かった。
駅に到着すると、楽隊の演奏の出迎えを受け、フェリー(シーキャット)に乗りこむ。
フェリーの中の席には、オリエント急行の、乗客の専用席カバーが掛かっていた。

ドーバー海峡をシーキャットで渡りると、
フランス側ブローニュに「ワゴン・リー」と呼ばれる濃紺の車体に金モールの、寝台車が待っていた。
やがて、3時のお茶とケーキを食べながら、車窓を眺める。
午後の日差しの中を、フランスの畑をオリエント急行はゆっくり走っていた。

レストランでの食事は、2回に分けられていて選択するが、パリで途中下車するので、早い夕食を選んだ。
夕食はフレンチのフルコースだった。
日が暮れてパリ東駅に到着し、シャンゼリゼ通りのホテルに3泊して、初めてのパリを観光した。


kiya 投稿日: 2020年05月29日 09:50:40 No.31
パリでは、ぼく達お登さんは、モナリザの絵も見たし、有名なミシュラン3星レストランにも出掛けた。
初の3星レストランは、慣れない僕達は注文するのも困るので、関係会社のパリ事務所に頼んで、秘書の同行をお願いした。
お礼に、秘書の食事代も、ぼく達が支払うと言っておいた。
店は、当時の昭和天皇も訪れ鴨のナンバーをもらったという、「トゥール・ダルジャン」だ。
セーヌ川のノートルダム寺院の夜景が、目の前に見えた。

若い秘書ナタリーのお父さんはシェフだそうだが、フランス人の彼女も「トゥールダルジャン」は初めてと大喜びして来てくれた。
食後、会社からのおもてなしと、有名な「リド」へ招待してくれ、夕食後リドで入場を待っていた。

リドのショーは2回目は夜10時過ぎから始まる。
1回目ショーが終わって、客が大勢出て来て、さあ入場とういう頃になって、とつぜん妻は、体調が悪いと言いだした。
大事を取って、残念だが帰ることにしたが、1回目の客がみな乗り込んで、すでにタクシーは全然いなかった。
しかたなく、夜のパリの町を当てずっぽうに歩いて帰るしか無かった。
遠回りしただろうか、30分ほど歩いて、ようやくシャンゼリゼにあるホテルに着いた。

こうして、途中下車の、濃いパリの3日間は終わった。

写真:トゥールダルジャンの鴨NO. 、秘書のナタリーと店の前で


kiya 投稿日: 2020年05月29日 11:28:37 No.32
<パリからベニス>

オリエント急行は1週間に2本の運航なので、3泊して夕方パリ東駅に行った。
やはり、パリ駅にもオリエント急行専用待合室が有った。
パリから乗り込む客も何人か居て、そのなかに一人の高齢の夫人(リチャウドさん)が居た。
あの夫人は、一人旅かもしれないね?と、思っていた。

東駅の電光掲示板に列車は何と表示されるのか気になった。
出発時間が近づき、列車の種別は「スペシャル」と表示された。
ホームには赤い絨毯が敷かれ、チェックイン・カウンターが置かれた。
パリから乗り込むと、再び夕食から始まり、その時は2回目の遅い方の夕食になる。
(そのため、パリで途中下車すると、1人3万円ほど高くなる。)

パリを夜に再乗車して、フランス料理フルコースのディナー、食後はピアノの有るバーラウンジで寛ぐ。
そのため、ディナーは盛装でと言われていた。
私はタキシードが無いので、ダークスーツを、妻はイブニングドレスを持参した。
ピアノが置かれた高級感のあるバーでは、飲めない私はなんとも所在なく、そこそこにキャビンに戻った


夜の間にスイスを越えて、朝方に列車はオーストリアのチロル地方を走っていた。車窓からチロルの山々が美しい。
アルプスの少女ハイジが大好きな妻は、絵のような景色って本当に有るんだ!と、茫然と景色を眺めていた。
列車と並行する道路に、車が気持ちよく走っている。
ああ、こんな風に車の旅もしてみたいなー、それが出来たら、また違った楽しい旅になるだろう!と思いながら、眺めていた。

朝食を終えた頃、列車はインスブルックに到着した。ここではイタリアへのブレンナー峠を越えるため、機動車を連結した。
暫く停車ののち、蛇行しながらブレンナー峠に向った。


kiya 投稿日: 2020年05月29日 12:24:02 No.33
昼食後、列車は一路ヴェローナを目指し、その後ベニスのサンタルチア駅にむかう。
ヴェローナを過ぎて、線路には大きな深紅のケシの花が咲き乱れ、ヨーロッパって違うなーと思った。

午後のお茶を客室に持って来てくれたとき、べニスのホテルを聞かれる。
終着のサンタルチア駅から、モーターボートで、ホテルごとに案内されるためだ。

夕方、ベニス・サンタルチア駅に到着、・・・ぼく等の、夢のオリエント急行の旅は終着駅に着いた。


前述した、パリから乗り込んだ一人旅のご婦人リチャウドさんは、レストランでの食事のとき、通路を挟んで反対側にいたが、
このご夫人はフランス語しか話せないので、ぼく等との会話は成り立たず、にっこり会釈するだけだった。

そしてベニスに着くと彼女も偶然同じホテル・ダニエリで、同じボートに乗り込んだ。

翌日、ベニスのガイドブックで見て、良いイタリアンの店に出掛けた。
店に行くと、何とそのご夫人が一人でランチをしていた。
そこで、ウエイターに通訳してもらい話をすると、「夕食後に、妻に部屋に来てほしい」、との事だった。

夕食後、部屋に戻って、妻がご婦人の部屋に電話した。
結局、ご婦人が何を言っているのか分からいので、妻はご婦人の部屋に出掛けて行った。
そして部屋の電話で、ご婦人が海を指さして「チプリアーニ」とか何とか言ってると、妻が言うので、私は、ピンと来た。

初めての個人旅行で、ガイドブックをつぶさに見ていた私は、向かいのジュデッカ島にある高級ホテルの名前だと気が付いた。
そしてご婦人は、スカートをめくってガーターに挟んであるクレジットカードを見せて、お金は心配いらない、と言っていると電話で妻がいう。

心配なさそうな一人旅のご婦人だから、一緒に行ってあげてよ!と妻を送り出した。
夜に、妻が戻ると、ホテルのモーターボートを迎えに来させて、ホテルに行き、テラス席で楽団を呼んで、楽しんで来たヨ。
こうして、オリエント急行の、余韻は過ぎて行った。


リチャウドさんは、若い頃はフランスの雑誌ヴォーグの記者をしていたという。
この数年後、パリを訪れた僕らは、秘書のナタリーに頼み、セーヌ川のシテ島に住むリチャウドさんに連絡して、
ベニスでのお礼にと、2星レストランに誘ったが、それは別の機会に。

写真:ベニスのホテル・ダニエリ、オリエント急行で出会ったリチャウドさん


kiya 投稿日: 2020年05月29日 12:27:06 No.34
<オリエント急行のあと>

ベニスの滞在を終え、帰国に向けて列車でミラノにて滞在。
初めての個人旅行のため、ミラノからロンドン乗継での帰国については、旅慣れていないので、、気持ちの不安が大きかった。
そこで、ロンドンで1泊して、翌日の飛行機で帰国することにした。
しかし、ロンドンはもう見たので、最後の1泊はちがうところに行こうと考えた。


行き先を悩んでいた、ちょうどその頃に出始めた「ABロード」に、イギリスのカントリー・サイド特集があった。 
これをみて、アッパーテムズの「マーロー」の田舎町と、お勧めのホテルに泊まることにした。

ヒースロー空港でレンタカーを借りる時に「何処に行くの?」と聞かれ、ホテル「コンプリート・アングラー」と答えた。
係員に、「そこは、素晴らしいよ!」と言われ、期待は高まった。

マーローの小さな田舎町に入ると、テムズ川に白い吊り橋が架かっていて対岸にホテルが見えた。
テムズ河畔の、この絵にかいたような美しいホテルに、ぼく等は感動し、大満足だった。

 このホテルは次第に、テムズ河畔でのアフタヌーンティーで有名になって行った。
  後でわかったことだが、コンプリートアングラーは作家・開高健の愛したホテルだった。
  (現:マクドナルド・コンプリートアングラー)

<ヨーロッパ病に行きたい病が・・>
・・初めての旅行で、前半に訪れたスコットランドのエジンバラからゴルフの聖地セントアンドリュース、
、フォース湾を渡り世界遺産の鉄道橋フォースブリッジを横目に見ながら北へ、そしてパッチワークのような牧草地を巡って南の羊毛の小さな町ガラシールズ、ピーブルズに。

この2日のドライブと、最終日のアッパーテムズの1日が、・・・のちに、「ヨーロッパ行きたい病」を発症させてしまった。

写真:マーローのホテル・コンプリートアングラー


kiya 投稿日: 2020年05月29日 12:32:17 No.35
<旅の付録>

最初のヨーロッパの帰路、もう2度と来ないと思っていたヨーロッパだったが、
引き寄せられるように、それから何度も出掛けてるようになっていた。


<余韻:1>
オリエント急行の旅から16年後の2008年、ヨーロッパ旅行は、早くも25回目になっていた。
そのとき僕達は、オリエント急行と再会したいと、レンタカーでブレンナー駅に向い、峠の駅でオリエント急行を待ち伏せた。
駅の手前の駐車場の2階で、列車が来るのを待っていた。

昼を少しすぎた頃、濃紺の車体に白い屋根の列車がブレンナー峠を縫うように上がって来た。
懐かしさが込み上げてきた、そして列車が通り過ぎるのをぼんやりと見ていた。そして、駅に停車。

アッ! 列車は機動車を外すので、暫く駅に停車するんだ。
あれから16年、当時40代だった僕達も、すでに還暦を過ぎる年齢になっている事も忘れて、
ぼく達は、少年のように息を切らせて、駅に走った。
悠然と駅に止まっているオリエント急行を、ホームから眺め、懐かしくて乗組員に話しかけていた。


<余韻:2>
オリエント急行に乗ってから20年後、の2012年、ぼく達はイスタンブールに行った。
かって、オリエント急行がオリエントと言われる由縁の、イスタンブール中央駅に行って見た。
当時の待合室は、いまはレストランになっていて、入り口に「1892年,ORIENT EXPRESS」と書いたプレートがあった。


<あとがき>
     旅行は、行く・見る・食べる、買うだけでは、ガイドブックと同じだ。
     自分達の「旅の物語」が作れたとき、旅行はもっと楽しく、思い出深いものになると感じた。

写真:イスタンブールの当時の待合室、レストランの入り口の看板


素晴らしい! 雪谷旅人 投稿日: 2020年05月30日 20:34:55 No.36
真っ白なキャンバスに絵を描くような素晴らしい旅行記ですね。ワクワクする気持を20年後にも持っている「少年のような」旅人ですね。STFには旅の達人が多くいるので,まとめて1冊の本にできれば素晴らしいですね。



1 | 2 | 3 | >>

記事No: 削除キー:

Powered by Rara掲示板
掲示板管理者へ連絡 | 新着投稿をメールで受け取る