83年卒中国語学科2組


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4回目のコロナワクチン接種 仲井 投稿日: 2022年08月27日 18:32:31 No.95 【返信】

本日、4回目のワクチン接種を受けてきました。私の周りや会社の人の中にも、陽性者や濃厚接触者という人達が見受けられるようになってきただけに、早く受けたいと思って、本日娘と一緒に受けてきました。前回もモデルナ、また今回もモデルナで。前回は副反応が強く出たのですが、今回はさて如何なりますか。ただ、コロナとはまだまだ長く付き合っていくのでしょうね。

子供時代の思い出、確かに尽きませんね。取り分け小学校時代のキラキラした思い出は、いつまでも忘れられないでしょうね。えこしさん、私の身体や心の半分以上は、仰る通り犀川で出来ているのかもしれません。いまの金沢郊外地の家での生活が、そろそろ人生の半分近くになろうとしていますが、やはり犀川べりが懐かしくなります。そして出来ることなら人生の最後の時は、犀川べりで終えたいなぁなどと思ったりもします。川べりで生まれ、川べりで朽ちたいですね。昔は宮道君のように余生を世界漫遊したいとも思っていましたが、今は金沢で一生を終えるでしょう。

えこしさんの疑問、その答えになるかどうかは分かりませんが、私は、中学生を越えてから段々と、徐々に社会という枠組が一人一人に絡まってくるからかなと思います。夢中になろうとする気持ちを社会の常識が阻もうとするからかな。

学歴社会という世間が要求する一つの枠組も、中学時代からテスト順位等で絡まって来ますし、高校受験からは将来のことなど決められない年齢なのに、学力テストで振り分けられました。京都は少し違うかもしれませんが、石川県の場合はきっちり学区ごとに学校ランキングが出来ています。そうこうしているうちに、一部の者は大学受験で、上の学校に行きます。そしてその後は就職での振り分け。私の友人の中には、例えば本当に銀行員が向いているかどうか分からない友人が、多く銀行に勤めましたが、その三分の一が銀行に捨てられました。就職がない時代でしたから選びようもなく、ましてや当時の石川県へのユーターンはなかなか難しいときでした。公務員、警察、スーパー、銀行員、後は車のディーラーぐらいかな。その中でみんな就職していきましたし、それが普通の選択だった。そして好むと好まざるとにかかわらず、進んでいきました。

私は皆が就職していく中で一度アメリカに行きました。あの時は若さもありましたが、今思えば、一度人生をリセットしようとしていたのかもしれません。自分は何をしたいのか、如何に生きるべきなのか。夢を見つめ直し、考えたりする時間が欲しかったのかもしれませんね。丁度藤原昭政君が仁和寺に修行に入ったように。

ただ、その時に、もっと自分自身のことを突き詰めて考えるべきだったかなと、今は思ったりもします。で、帰国後、色々な経験をしていく中で、何となく自分はこうであり、こういう生き方なら自分は進めるかなぁと思い出したのは、正直に言うと、定年後の再雇用で働き始めた頃からです。

やはり早逝した弓場君等の友人のことや、突然死した先輩や上司。また難病に苦しんでいる友人知人を見る中で、また世間と自分をすり合わせていく中で、自然と自分の中に熟成されたもののように思えます。そしてあのキラキラした時間を、もう一度これからの人生の中で、取り戻したいと思っているのかもしれませんね。

私もまだまだ分からないことばかりですが、楽しく一日一日を生きていきたいと思います。


追記 私も名前が雅浩ですから、小さい頃から、マーチャンと呼ばれていました。
えこし 投稿日: 2022年08月27日 22:08:41 No.96
コロナワクチン4回目接種、お疲れ様でした。副反応、少ないといいですね。わたしは来月9日の予定です。コロナとの付き合いはまだまだ続きそうですね。負の側面が目立ってしまいがちですが、新たな価値観が生まれるチャンスなのかもしれませんね。

子ども時代の思い出、遊びの話しにお付き合いくださってありがとうございます。おっしゃるように既存の社会の枠組み、社会の常識に誰もが知らずしらず絡め取られていくのかもしれませんね。アメリカへ行かれましたよね!覚えていますよ!昭政くんは仁和寺で修行されたんですか!みんなそれぞれ、人生のどこかで自分って何なんだと己を振り返り内面と対峙する時期があるんでしょうね。そして人生の喜びや苦難を経験し還暦のころにやっとおぼろげながら自分というものが見えてくるのかもしれませんね。子どもの時代と同じキラキラ感を取り戻すことは不可能かもしれません。でも年齢を重ねたからこそ見える穏やかで美しい景色に出会うことはできるかもしれません。本当にまだまだ分からないことばかりですが、答を探し続ける毎日も楽しいと思っています。

仲井くんは、雅浩さん。マーチャンですね!雅也さんに、雅浩さん、みやびやかな方ばかりで!!!(^_^)v


スタンド・バイ・ミー えこし 投稿日: 2022年08月22日 14:37:31 No.78 【返信】

犀川は意外に深くないんですね。中州で遊べるなんて本当に羨ましい!イカダで川下りとわ!!最高じゃないですか!!!神社のお祭りのはしごなんて聞いたことないわぁ!笑!!駄菓子屋さんもはしごできるほど何軒もあったんですね!いいなぁ~!!仲井君の子ども時代の風景はそのまま映画になりそうなくらい面白いですね!!わたしも新興住宅地に引っ越さずあのまま東洞院綾小路で成長していたら鴨川で遊んだり町中を走り回ったりしていたのかなぁ。笑。新興住宅地には造成途中の空き地がたくさんあってそこが格好の遊び場だったけど、当然、貸本屋や古本屋はなかった。お習字教室、ピアノ教室、バレエ教室には通ったけれど風呂屋さんは行ったことがない・・・。金沢や京都のような古い町には面白いものが至る所に転がっている感じ。雑多なんだけど、それゆえ町が重層的になり魅力が、豊かさが生まれる。そんな町で幼少期を過ごせることは本当に幸せなこと(^_^)vそれにしても仲井君の幼少期、仲井少年の顔が思い浮かばないんですけど~。笑。

そうですね。遊びの中には自分たちだけのルールがありました。それは大人が手をだせない領域。大人に支配されない世界だからこそあんなに自由に心底楽しく遊ぶことができたのかもしれません(*^_^*)。

ゴルフにはそういった楽しみもあるんですね!なるほど(^_^)v  羽振りの良かった叔父が「テニスもいいけど、岡本綾子見てみ!やっぱりゴルフやで!」と三姉妹に1セットずつゴルフバッグ(?クラブなどが入ったバッグ。名称が分からない・・・)をプレゼントしてくれたことがあったけど、誰も手を付けず。しばらく実家の物置においてあったなぁ。あのゴルフバッグどうなったんやろ・・・(^^;) そうそうゴルフといえば、プロになったばかりの櫻井ここなってご存じですか?妹の連れ合いの兄の娘です。まだ18歳ですがなかなか頑張っているようです。どうぞよろしくお願いします!
キャンプも楽しいですよね。非日常感の連続!ワクワク、ドキドキの連続!遊びの要素たっぷりですよね。一人キャンプが人気とか。真冬がいいって聞いてビックリ!!ミニ暖炉の炎に癒やされるそうですね。ヒャ~寒そうっ(>_<)
仲井 投稿日: 2022年08月22日 23:22:16 No.79
私にだって紅顔の少年時代はありましたよ。ただ小学生の頃は少しコロコロしていましたから、チョッピリ子豚ちゃんだったかもしれませんね。

私の生家は金沢の旧市街地で、街の中心である金沢城から歩いて半時間ほどの所にありました。金沢は二つの川の河岸段丘の中にあり、犀川の方は割と広々とした土地の中を流れています。また街の中心は、その犀川の中流域にあり、現在河川敷は緑地公園として整備されています。両岸には桜並木があり、春は取り分け綺麗ですよ。(桜の木にもよく登りました。)

私の子供の頃はその第一期整備の頃で中洲などもまだありましたが、第二期整備を終えて河川敷は広がり、そのために川底は深くなりました。今ではカヌーやボートを浮かべることも出来ますし、ジョギングコースも整備されました。だから昔のように歩いて渡るのは少し難しくなりましたね。

しかし、それはそれで良いのですが、やはり私は昔の犀川べりが好きですね。石ころもあった犀川。その川面を、繁華街近くに掛けられている犀川大橋の真ん中辺りから見ていると、やはり室生犀星の気持ちになりますね。

美しき川は流れたり。その畔に我は住みぬ。犀星の生家も文学碑も家の近所にありましたし、私の小学校の校歌は、作詞室生犀星なんですよ。

生家から川まで歩いて5分ぐらいでしたから、本当に私のご幼少の頃と犀川は切っても切れないものだったわけです。成長してからは、夜街で呑んで、午前様の千鳥足で犀川べりを通って帰宅することもありました。その時の川の匂いは今も思い出しますし、寝転がって嗅いだ草の匂いも覚えています。川遊びも草野球も自転車漕ぎも、色々と人生の決断をしたのも、何もかも犀川の河川敷共にあったように思えます。冬の日、カマクラも、また河川敷で作りましたよ。

春と秋の神社のお祭りも、また忘れられない思い出です。恐らく私の住んでいた地区はかつて田んぼが多くあり、村ごとのお社があったのかもしれません。だから小学生の行動範囲の中に神社が4つぐらいあり、お祭りのハシゴが可能だったのでしょう。藤棚の綺麗な神社や怖い言い伝えのある神社、古い由緒のある神社。色々でした。それにお祭りの時の出店の種類の多さ。たこ焼き、綿菓子、焼そば、回転焼。ゴムヨーヨー。風船。金魚すくいやヒヨコ売り。その場の、甘ったるい、すえたようなニオイを思い出しました。テキ屋のお兄ちゃんやおばちゃんの呼び込みの声も懐かしく思い出しました。たまに家族でお祭りに行きましたが、亡くなった父が妹に風船を買ってやり、それを喜んでいた妹の姿を思い出しました。

駄菓子屋さんは、今は金沢でも少なくなりましたが、プラモデル屋さんやおもちゃ屋さんと共に外せない場所ですね。十円から百円ぐらいで子供の夢がキラキラしていましたね。十円のガムを買い、銀玉鉄砲を買いましたね。それでお寺の境内でパンパンやりました。

スタンドバイミー。確かにそうですね。綿菓子や回転焼きの匂いがするあの頃は、本当に側にいて欲しい、私のプレシャスメモリーなのかもしれません。

ゴルフ、面白いですよ。大の大人が、まるで子供のように野っ原で、一日球を追いかけていくわけですからね。まさに童心に帰らせてくれます。歳を重ねても楽しめる生涯スポーツだと思います。思いますが、しかし、やはり子供の頃の夢のような気持ちになれるかと言えば、そこはやはり無理があります。おっさんの疑似体験のようなものですね。

櫻井ここなちゃん、もしトーナメントで拝見すれば応援しますよ。

私達はよくマニュアル世代と言われます。私自身も認める所ですが、やはり人間、色々な経験を通して、考えて成長していくのかもしれませんね。


仲井 投稿日: 2022年08月22日 23:40:32 No.80
追記 ゴルフクラブを入れるバッグは、キャディバッグと言います。
宮道雅也 投稿日: 2022年08月25日 00:16:46 No.91
えこしさん、東洞院綾小路やったんやね!すごい洛中人やん!プロゴルファーの親戚のお子もいて、すごいご家族!仲井先生との鴨川やら犀川やら、両方の街に住んでたので、ホンマに懐かしい!また、帰りたくなって来た。でも、10年後とかには、日本に戻って、北京の胡同とか、万里の長城とかが、懐かしくなるんやろかなぁ⁈


中国の熱波は如何ですか? 仲井 投稿日: 2022年08月23日 07:23:25 No.81 【返信】

宮道君、今年の国慶節には帰国できるとよいですね。もし金沢に帰省されることがあればご連絡ください。コロナの状況がどうなっているかは分かりませんが、お会いしたいですね。私も最近は片町に出ることも少なくなりましたが、一杯やりたいですね。

ところで新聞報道などで長江流域での熱波、特に四川省の状況が厳しいと聞きます。これによりダムの貯水率が下がり、発電能力も落ちており、工場の操業もバタバタしているようです。今年、河南省の協力企業に一人会社の若手が派遣されます。ちょっと現地の状況が気になりますので、コロナと合わせて教えて頂ければ幸いです。

ご自愛下さいね。
宮道雅也 投稿日: 2022年08月24日 23:42:36 No.84
余程な事が無い限り、気晴らしの為に、絶対に10月には一時帰国すると決め、行きの便のチケットは予約済みです。反対に北京へ戻れるか否かを本社も現地幹部も心配しているので、帰り難い感じやね!金沢へ戻る様で有れば事前に連絡しますよ!
ところで、中国コロナ感染者情報と天気予報を送りますので、参考にして見て!今年は中国もよく雨が降るね!北京も今までの常識だと傘は不要なところだったけど、最近は、傘を持って出かける様になってしまってます。でも、涼しくて、もう秋の空になって来ている。コロナは、出たで無いで一喜一憂してるけど、日本に比べれば、全然数は大した事はないね。ゼロコロナ政策だから、出たら即隔離なので、大変です。この状態は、10月の中共大会まで続くやろね!未だに一日おきにPCR検査に行かされて、72時間以内の陰性の証明がないと何処にも行けません。
本当に難儀な時に人生の終盤を迎えてしまい、引退後は世界漫遊する予定やったのにとなぁ〜と、落ち込む毎日!


宮道雅也 投稿日: 2022年08月24日 23:49:52 No.88
河南省郑州市お天気情報

宮道雅也 投稿日: 2022年08月25日 00:06:49 No.89
大雨の影響による電力事情は、河の上流地域など、ところにより大変だと思うけど、水力発電率は、15%ぐらいらしいので、全国的には、大した事はないし、特に、北京は首都でかつpm2.5で有名になるくらいのところだから滅多なことは起こらないと信じてます。
仲井 投稿日: 2022年08月25日 00:14:43 No.90
貴重な情報、ありがとう。とても参考になりました。確かにゼロコロナとウィズコロナとでは、全く状況が違うね。石川県だけでも今日だけで二千人以上の感染者が出ています。なかなか底が見えない感じですね。その中で今、4回目の接種が始まろうとしています。私も今週中にやります。御本社や周囲の方々が心配されるのも分かるような気がします。帰国頃には収まりがつけばいいね。ぜひ会いたいものです。

熱波はあまり気にする必要が無さそうですね。ちょっと安心しました。

明日にでも会社の人間に伝えておきます。


疲れを知らない えこし 投稿日: 2022年08月21日 15:35:29 No.76 【返信】

仲井君の小学校は厳しかったのですね。学校での遊びにおおらかだったのはあの時代全体の雰囲気ではなかったんですね。下にも書いていますが私の通った新設校は飛び抜けてフリーな雰囲気だったのかもしれませんね。ラッキー(^_^)v

それにしても仲井君の学校の馬跳びはかなりハードですね!!!一緒にできない子もいたことでしょう。でもすごく楽しいそう!!!犀川の河川敷での草野球、気持ち良かったでしょうね!ボールが川に流されたりしませんでしたか?笑。
金沢城のお堀でのザリガニ採り!なんて贅沢なロケーション!!そしてスキーが冬の日の遊びだったとはなんとも羨ましいことです!お城のような文化遺産や犀川を始めとする恵まれた自然環境の中でのびのびと走り回っていたんですね!!もうこれはキラッキラの思い出!とびきりの宝物ですね!想像しただけでも楽しすぎで跳ね回りたくなります!笑。
 
この機会に子どもの頃の遊びについてエッセイにまとめてみました。書いとかないと忘れてしまいそうなので。笑。下のは投稿用に少し手を加えたのですが、ちょっと読みにくいかもしれません。前々回、前回の続きです。

男の子達だけがやっていた遊びで随分楽しそうなのがあったな~。日本酒の瓶の蓋をおはじきのようにして、その蓋を取り合うゲーム。当時の蓋は裏側がプラスチックではなくコルクになっていましたよね。このコルクをきれいに切り取り、ツルンと磨いておはじきにする。適度な重さもありおはじきにはもってこい!白鹿、白鷹、白鶴、月桂冠、剣菱・・・いろいろな銘柄の蓋があり一番人気は確か剣菱だったと思う。今で言う「レア」な蓋かな。自分がやっていないので詳しくは分からないけど、男の子達は学校が終わると、近所の酒屋さんに行って蓋をもらっていた。剣菱は手に入りにくい銘柄だったようで「白鹿5枚やるし剣菱と換えてくれ!」という声が聞えてきたりもした。そしてゲームはピカピカのピータイルの廊下で行われていた。自分の教室の前だけでは足りなくて教室二つ分の廊下を使って酒蓋をはじく。廊下に這いつくばり、狙いを定めて・・・ピシューーッ!パーーン!「よっしゃー!!」なんとも豪快で気持ちよさそうなゲーム!でも自分ひとり男の子に混じって遊ぶ勇気はなく、いつも指をくわえて眺めていた。やっておけばよかった・・・。
後、カチカチボールといって40㎝くらいの紐の両端に直径4㎝程の堅いプラスチックボールが付いていて、中央を持ち、手を上下に振るとカチカチと音がして見た目にもきれいな玩具ありましたよね。ボールにはいろんな色があって。でも振っている時にボールが割れて危険などということで、すぐに下火になってしまいとても残念だった記憶があります。透明のオレンジ色のボール、きれいやったな~。
こんな風に当時は今とは違い学校にいろいろとおもちゃを持って行くことが認められていたおおらかな時代でした。中には肩に夜店で買ったハツカネズミを乗せて登校していた子もいたなぁ。おとなしく肩に乗って糞までしていた。笑。あのハツカネズミはあの後どうなったんやろ・・・。

小学生時代は本当に伸びやかな好い時代でした。あんなに楽しかった時代はないというくらいに。これが中学校に上がると一転。鬼のように恐ろしい生徒指導の先生が大声で怒鳴りまくり、竹刀を振り回して廊下を歩いていた。中学時代は暗黒の時代だった。楽しい遊びの時代は終わってしまった。

それにしても子ども時代はどうしてあんなに遊ぶことに集中できたのでしょう。身の心も遊びに没頭していて疲れなどまったく感じたことはなかった。もう一度あんな風に遊んでみたい!と時折思う。
仲井 投稿日: 2022年08月21日 17:54:38 No.77
私も小学校時代が、もしかしたら人生の中で一番愉しかったのかもしれませんね。6年の間の思い出は、まるで玉手箱かパンドラの箱かのように溢れかえっています。

でも時々休日に車で犀川べりの河川敷を通過することがあるのですが、あの子供で溢れかえっていた河川敷に、子供の姿はほとんど見られません。みんな何処で遊んでいるのかと思ったりもします。組織化された少年野球や少年サッカー、スイミング、それに塾などに行っているのでしょうか。はたまた家でゲームでもしているのでしょうかね。何となく勿体無いなと思います。

河川敷での、野球ではたまにボールが川に落ちることもありました。仕方ないから川に入り取りに行きました。そんなに深くなかったから、川を横断することも可能でしたし、大きな中洲もありましたから、中洲の中で遊ぶこともありました。また一度だけ友達のお兄ちゃんが作ったイカダに乗っかり川を走ったこともあります。今思えば危ない話です。

更に、自転車という自家用車がより遠くの場所に運んでくれ、行動範囲を広めてくれました。毎年春と秋にある神社のお祭り。よくハシゴをしました。金魚すくいやヒヨコ取りが楽しい思い出です。駄菓子屋さんのハシゴもよく行きました。駄菓子屋さんは、子供にとっては宝のヤマでした。今は街が綺麗になりましたが、あの頃は街自体が雑多な感じで楽しかったです。

そろばん教室やお習字教室も行きましたが、それさえも習い事のような遊びでした。学校外での子供の社交場だったように思います。貸本屋も古本屋も古道具屋も宝のヤマでした。街や自然が遊び場でしたね。

大人が介入しない、子供達だけでルール化された世界の中で、遊んでいました。お風呂屋さんもある種のワンダーランドでした。背中に絵のあるヤクザさんや身体障害者の人達がいました。色々教わりました。

夏から秋の虫取り。冬の雪遊び。スキーやソリ遊びは本当に愉しかった。吹雪の中をただ黙々と歩くのも一興でした。

今、大人になってゴルフに夢中になっているのは、もしかしたら、子供時代に野原を駆け回っていた思い出に、何となく浸れるからのかもしれませんね。大人を子供にしてくれるのでしょう。

今キャンプが流行っているのも、そんな気持ちからの回帰かもしれませんね。




はじめまして ユイ 投稿日: 2022年08月20日 09:33:11 No.71 【返信】

初投稿です。緊張してます。

新しい掲示板の行方がわからなくなっていたので、読むことさえもできていませんでした。誕生日のメッセージなんかももらっていたのに、すみませんでした。
これからは大丈夫です!

京都の送り火、京都にいたころには何もそんなに興味がなくてあまり見た覚えはないのですが、今となってはもったいないことをしたな…と感じてます。
年を取らないとわからない、値打ちというか感慨があるものですね・・・

トランプ遊び、懐かしいですね。ナポレオンというのは知りませんでした。えこしさんが丁寧にルールを説明してくれてますが、1回読んだだけではまったく理解できませんでした。脳が老化してるんでしょうね。子供ならすぐに覚えてしまうようなことが、歳をとったせいか理解度が落ちているのをひしひしと感じる今日この頃です。

「ド貧民」ありましたねー。たぶん、ド貧民は差別用語にあたるということで名前が変更されたんじゃないでしょうかね。今はそうしたことに対する配慮が進んでいますからね。良いことだと思います。
それに関連するのですが、昆虫や貝類、または植物などの俗称はもちろん、学名や正式名称には差別用語が使われているものがたくさんあるそうです。○○メクラ貝とか、いざり魚、ホイト根深などもそうですね。専門的にみてみればたくさんあるらしいですから、徐々に変更されるべきでしょうが、こちらに関しては学術的な資料としての定着度というものがあるでしょうから「ド貧民」を変更したようには簡単にはいかないかもしれませんね。

明日は息子の結婚式で京都に行きます。母親は施設に「お泊り」で預けましたが、老犬がいるのでまたまた日帰りの強行軍です。ゆっくり旅気分を…ということはもう少し先になりそうです。
これから挨拶の練習ですww
仲井 投稿日: 2022年08月20日 14:19:59 No.73
由井君、ご無沙汰しています。そちらの雨の状況は如何ですか。中国自動車道の、京都との帰り道は、大雨には十分ご注意くださいね。金沢はどしゃぶりになってきました。

遅れましたが、息子さんのご結婚、おめでとうございます。あの梅田で同窓会前にご一緒した息子さんか、もう結婚なんですね。早いですね。明日はぜひとも晴れて欲しいですね。

また掲示板で盛り上がりましょう。と同時に、コロナには気をつけようね。


宮道雅也 投稿日: 2022年08月20日 21:03:13 No.74
ユイ先生、緊張とは、またまた、似つかわしく無い言葉が出て来て、ビックリ!息子さんの御結婚おめでとうございます㊗️
でも、また、会いたいですね!国慶節に合わせて、中国入国の隔離期間も短縮されたので、10月上旬から11月上旬に、2年ぶりに帰国予定です。京都と金沢は行くかもしれないので、仲井先生や山下先生、えこしさんとは、時間が許されれば会えるかもしれませんが、よろしくお願いします。
えこし 投稿日: 2022年08月20日 23:42:49 No.75
由井くん、待ってました!!!
「ユイ」というお名前を見て、てっきり女性だと思い込んで「誰やったっけ??ユイちゃん・・・?」ってなってました。笑。

息子さん、ご結婚おめでとうございます!お天気がちょっと気になるところですが、お二人にとって、またご両家にとって何よりの晴れの日!予報をうらぎる爽やかな夏空が広がりますようお祈りしています(^_^)v

なるほど「ド貧民」は差別用語になるんですね。そうかもしれませんね。さすが由井くん!

明日も日帰りの強行軍ですか!ワンちゃん一人でおいとけませんよね(>_<)
どうぞ道中お気を付けて!


夢中で遊んだ えこし 投稿日: 2022年08月19日 14:13:52 No.70 【返信】

今日は爽やかなお天気になりました(*^_^*)

以前の掲示板に子どもの頃の遊びについて投稿させて頂きましたが、今日はその続きです。回転レシーブやX攻撃もさんざん練習したのですが、高学年でよくやった遊びと言えば、トランプを外すことはできません。中間休み、昼休みには時間を惜しんで楽しみました。「ナポレオン」と「ド貧民」の二つのゲームにみんな夢中でした。

ナポレオンは副官と組んで連合軍と絵札の取り合いをする。絵札を多く集めた方が勝利を手にする。強い絵札がそこそこ揃っていると勇気をだしてナポレオンに立候補する。「副官はオールマイティー」とナポレオンが宣言すると、スペードのエースを持っている人は密かに「よし、ナポレオン軍だ。」と覚悟を決める。ゲームは誰が副官なのかを探りながら進んでいく。この秘密めいた感覚は忘れられない。ちょっと大人になったような気がしていた。もちろんナポレオン自身がオールマイティーを持っていることもある。その場合はナポレオンがもっていないカードの中で一番強いカードをもっている人を副官とする。絵札の強さはスペード、ハート、クラブ、ダイヤの順。「副官はハートのクィーン」と宣言された時などはたいていそれ以上のカードをすべてナポレオンが持っていることになり、連合軍は早々に「負けやン。」となる。がションボリ顔は禁物。負けるにしても1枚でも絵札を多くとれるよう奮闘した。もしかしたら、ナポレオン軍に失策があるかもしれない。勝てるチャンスはまだある。勝敗はだいだい、半々になっていた気がします。勝ったチームはみんなで大喜びしたのでした(^_^)v

 「ド貧民」は今「大富豪」とよばれるゲームです。ゲームの中身は同じなのに呼び名だけが変わってしまいました。子どもの頃は「ド貧民やろ!」とみんな言っていたのに、いつの間にか「大富豪」と呼ばれるようになって・・・。いつ頃、なぜ呼び名が変わったのか・・・とても興味深いです。「ド貧民」だと最下位を決めるゲームのイメージが強く、ゲームがスタートする前から緊張感がただよいます。大富豪だとその逆のイメージで光輝くトップを目指すワクワク感のあるゲームに。耳にした感じも「大富豪」の方がセレブ感があって今時な感じがするような。笑。でも「ド貧民」にはそれに負けないくらいコミカルでユニークな響きがあると思いませんか?遊びとしてはやはり「ド貧民」に軍配!(あくまで個人的見解)笑。

どちらのゲームをしていても休み時間終了のチャイムが恨めしかったこと!佳境にさしかかった時に「キンコーンカーンコーーン、キンコーンカーンコーーン・・・」となると「続けよか!」「そやな!やっちゃお!」となり、勝負が決まるまでエキサイトしてしまってましたね。数人で盛り上がっているのでもう怖いものなし!笑。勝負がつき身をかがめてソッと教室に入るも、案の定「遅い!!!」と担任の怒鳴り声。でもまあ仕方ありませんねぇ。ゲームの面白さにくらべれば少々怒鳴られることくらいなんでもないことでしたから。(^_-) 先生ゴメンナサイ。

「酒蓋おはじき」などまだ続きはあるのですが今日はこの辺りで・・・皆さんも子どもの頃夢中になった遊びなど是非教えてくださいね~(^^)/
仲井 投稿日: 2022年08月20日 14:09:41 No.72
今年は本当に雨の多い夏です。能登の方では警戒情報が出ています。カンカン照りも嫌だけれど、早過ぎる秋雨前線も閉口ものです。

トランプ遊びですか。私の方ではあまりしませんでしたね。少なくとも学校ではやれませんでした。遊具類の持ち込みはご法度で、先生に見つかればお灸を据えられて、トランプは没収になった上、親に連絡が行ったと思います。唯一やれたのはお正月明けの三学期初めのお楽しみ会ぐらいでしたかね。だから学校では専ら身体を使った遊びが流行りましたね。一番流行ったのは馬跳びです。

8人くらいでチームに分かれ、跳ぶ方と馬になる方に分かれます。馬の方は、先頭の人の股間に頭を入れ、更に次の人が同じように頭を入れて行きます。そうして長い一列の跳び馬を作ります。その上で跳び側がドンドンとんで行きます。全員が馬に乗った上で、跳び側と馬側の各トップがジャンケンをして勝ち負けを決めますが、作戦として一人の馬に何人も乗っかり崩れてしまえば、跳び側の勝ちで、もう一度跳び側が馬側に乗っかっていきます。一見単純ですが、ちょうどラグビーのスクラムを一列でやっていて、その上に反対側が乗っかっていく遊びです。崩れて行く時に骨折もしやすく、ちょっと危険な遊びでした。

小さい頃に遊んだ記憶の中で、学校でのことは、他には学校備え付けの遊具で遊んでいましたが、でも私の場合、それより放課後や休日に、学校外で遊んだ思い出の方が鮮明ですね。

近くに河川敷の緑地があり、週の半分くらいはそこで草野球をしていましたね。あとは金沢城のお堀端でのザリガニ釣り。緑地横の川での魚釣り。お寺の墓地での虫取り。メンコ遊び。缶蹴りやケンパ。道路への落書き。冬ならスキーや雪合戦。

思い出しただけでも楽しくなりますね。




五山送り火 えこし 投稿日: 2022年08月17日 13:20:38 No.64 【返信】

仲井君、BSでご覧になったんですね!
今年の送り火は特にきれいだったように思います。15年ほど前までは近くの線路沿いから豆粒ほどの五山をすべて見ることができたのですが、マンションが建ってからはかなわなくなり、テレビ中継で楽しんでいます。

昨日は午後7時頃から雨脚が強くなり点火予定の8時直前には雷鳴が轟き叩きつけるような大粒の雨が降っていました。それでも8時10分には大文字と船形に点火。妙法、左大文字、鳥居形と続き8時30分頃までにはすべての山が美しくともりました。汗と雨でグショグショになりながら「何としても成功させる!!」という各保存会の皆さんの強い強い意気込みに圧倒され胸が熱くなりました。今回は京産と同志社の写真部の学生さんによる写真撮影も中継されていましたね。みなさんの渾身の一枚、とても素敵でした。

今朝の京都新聞の記事です。ちょっと歪みましたが・・・(>_<)


仲井 投稿日: 2022年08月18日 07:21:41 No.68
新聞記事、ありがとうございます。妙法の送り火や舟形はとても懐かしいですね。松ヶ崎時代に戻れました。

大雨による土砂災害が騒がれています。要注意です。
えこし 投稿日: 2022年08月18日 12:10:11 No.69
仲井くん

土砂災害の注意喚起、ありがとうございます。一昨日から怖いような雨が断続的に降っています。今は晴れていますが、山沿いの地域などに出かける時は十分気をつけたいと思いますm(__)m


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