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拝殿改修 山人 投稿日:2015年01月26日 13:07:11 No.178 【返信】

殿内完成



拝殿修理 山人 投稿日:2014年12月12日 18:55:41 No.176 【返信】

写真




拝殿修理 山人 投稿日:2014年12月12日 18:47:39 No.174 【返信】

      拝殿改修趣意書

伊(い)那(な)下(しも)神(じん)社(じや)の拝(はい)殿(でん)は 文(ぶん)政(せい)元(がん)年(ねん)(1818)今(いま)から約(やく)二百(にひやく)年(ねん)前(まえ)に造(ぞう)営(えい)されたもので、当(とう)時(じ)は茅(かや)葺(ぶき)であったものを大(たい)正(しよう)十(じゆう)二(に)年(ねん)(1923)の大(だい)改(かい)築(ちく)の際(さい)に瓦(かわら)葺(ぶき)にしました。
その後(ご)、昭(しよう)和(わ)四十九年(ねん)の伊(い)豆(ず)半(はん)島(とう)沖(おき)地(じ)震(しん)により大(おお)きな損(そん)傷(しよう)を蒙(こうむ)り、柱(はしら)が傾(かたむ)き雨(あま)漏(も)りが激(はげ)しくなった為(ため)、昭(しよう)和(わ)五十四年(ねん)(1979)には、屋(や)根(ね)は銅葺(どうぶき)に、大(おお)柱(ばしら)は鉄(てつ)の型(かた)枠(わく)で補(ほ)強(きよう)し、その都(つ)度(ど)、修(しゆう)理(り)改(かい)修(しゆう)を重(かさ)ねてきました。
しかしながら、高(こう)湿(しつ)度(ど)な神(じん)社(じや)の聖(せい)域(いき)は大(おお)柱(ばしら)の根(ね)元(もと)、基礎回りをを腐(ふ)朽(きゆう)させ、早(そう)々(そう)に改(かい)修(しゆう)の要(よう)を痛(つう)感(かん)し、意(い)を決(けつ)した次(し)第(だい)です。
 代々(よ よ)守(まも)り継(つ)いで下(くだ)さった私(わたし)たち祖(そ)先(せん)は、いつの時(じ)代(だい)もこの御(み)社(やしろ)を心(こころ)のよりどころとして心(こころ)明(あか)るく逞(たくま)しく生(い)きてきました。
今(こん)回(かい)、拝(はい)殿(でん)改(かい)修(しゆう)にあたり周(しゆう)辺(へん)の整(せい)備(び)にも怠(おこた)らず、参(さん)詣(けい)される方(かた)々(がた)の心(こころ)の癒(いや)される『ふるさと松(まつ)崎(ざき)の氏(うじ)神(がみ)さま』として補(ほ)修(しゆう)整(せい)備(び)いたしたく、氏(うじ)子(こ)崇(すう)敬(けい)者(しや)の御(ご)理(り)解(かい)ある御(ご)寄(き)付(ふ)を頂(いただ)き、この事(じ)業(ぎよう)を進(すす)め、以(もつ)て郷(きよう)土(ど)の平(へい)安(あん)と繁(はん)栄(えい)を祈(き)念(ねん)するものであります。
何(なに)卒(とぞ)、力(ちから)強(づよ)い御(ご)支(し)援(えん)と御(ご)協(きよう)力(りよく)を賜(たまわ)りますようお願(ねが)い申(もう)し上(あ)げます。



世中百首よのなかひゃくしゅ     山人 投稿日:2014年08月22日 06:32:34 No.169 【返信】

世中百首 大永5年9月(1525) 荒木田守武

 2   兄弟(あにおとうと)うやまいをなしはぐくむは
       
               誰もかくこそあらめ世中


あにおとうと句を切て うやまひといへる字を 兄をうやまふといへる心に 弟といへる字にかけてみ はぐくむといへる文字を 弟をはぐくむといへる心に 兄といへる文字にかけて見るべし 是(これ)文法なり注の心は知の奇にてみしたり

  兄弟姉妹は仲良くしましょう。



心静 山人 投稿日:2014年07月15日 19:14:52 No.164 【返信】


         神之所与長正長直

         民之間誠之祀之孚

  神(かみ)之(の) 所(ところ) 与(あたえる) 
  長(ちよう)正(せい) 長(ちよう)直(じき)

  民(たみ)之(の) 間(あいだ) 誠(まこと)之(の)
  祀(まつり) 之(の) 孚(まこと)

     神社は正しい心、素直な心に立ち返る所です。
     
     人間は誠意をもって接し、神社の祭祀も
     誠の心をもって奉仕する。

神は正直な人の頭に宿ると言われます。
正直は『まことのこころ』私利私欲のない清らかな心から生じます。
神社や神棚にお参りする時、神に対して恥ずかしくない心が『まことのこころ』であり、その心で自分の務めを行うことによって、神のみ心にも叶うのであります。

人間がお互いに誠意をもって、人に接し事に当たれば、自ずと家庭円満にして争いのない平和な世の中になるでありましょう。

 人が共に生きることは難しいものです。ですから、私たちの遠い祖先は、神社や神棚(家庭の神社)に神の恵みと祖先の恩とに感謝する事で、明るく清らかな心、素直な心を取り戻して来たと思います。

伊勢の神宮は日本人の心の鎮めと何時の時代も変わらないように二十年毎に蘇えります。何時までも変わらないもの、そこには変わらない心があります。
親から子へ、子から孫へと子々孫々とずっとずっと受け継がれて行きます。




静心 山人 投稿日:2014年06月26日 18:38:01 No.163 【返信】


己可親能於也乎久之
多留三社南婆遠都御祖者
神爾曽坐寸辨支
遠都祖能神意坐左婆
闘幾常来代々乃御祖母
神仁己曽阿麗
瓜乃佗年盤茄子仁也八那留
以可傳加盤神乃御胤乃
佛仁之成流弁伎
異国乃意農道仁也
多登布佳幾神乃御末登
生禮来之身能
皇神能立天之道乎
太登理通々祖毛以都可属
宇美乃子乃寸惠

己が親の おやを奇(く)し
たる み社(やしろ)なば 遠つみ親は 
神にぞますべき 
遠つ親の神意(かみごころ)まさば
つぎつぎて 代々の御祖(みおや))も 
神にこそあれ
瓜のたねは 茄子にやわなる 
いかでかは 神の御胤(みたね)の 
佛(ほとけ)にし成るべき 
異国の 意(こころ)にや 
たとふ佳き神のみ末と 
生れ来し身の
皇神の立てし道を 
たどり通ゝ 祖もいつかつく
産土(うみ)の子のすえ

          権大教山 権田直助


神社の祝詞では、祖先を「おや」と読みます
「おや」祖先とも親とも書いています。
私どもは祖先をまつるのは当然のこととしていると思います。
『死ねば仏になる』という人が多いでしょう。

神社神道では「人は神の子」という信仰がありまして、
人間の命は神から頂いたものと信じられていますので、

神から頂いた命を受け継ぎ、その意(こころ)を子々孫々に伝えて来ました。
お祭りの伝統行事が形となって、その意(こころ)をあらわしています。

遠いい「おや」のこころを心として、
私たちは共に、より良く生きようとする願を受け継いで来た道で、
日本の伝統・文化の基調をなすものです。




心静 山人 投稿日:2014年06月02日 17:57:42 No.161 【返信】

神のみ胤(たね)の仏



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