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ノンタイトル その2 ( No.572 )
日時: 2023年01月14日 11:44
名前: futeki [ 返信 ]
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はじめまして ( No.1007 )
日時: 2023年08月26日 19:25
名前: futeki [ 返信 ]
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よろしくお願いいたします!
自分も詳しく知らなかったもので、生没年に関してだけですが調べてみました。

生年は昭和5年発行の「競走馬の研究」で(戌歳三三)とあるので明治31年の生まれでしょうか。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1240898/1/69

没年ははっきりわからなかったのですが、昭和15年に競馬会から故人として表彰されているので

https://dl.ndl.go.jp/pid/2526141/1/306

明治31年生まれで、昭和15年(以前には)鬼籍に入られたということだろうと思います。
40代前半亡くなれたということでしょうから残念なことですね。

以下、「日本の調教師」からの抜粋ですが、
系統は
林義和-柴田安治-岸参吉-高木良三、秋山金七、片平義雄、高橋直、谷沢正夫、小山竹丸

競馬会のOB曰く「柴田一門では一番上手かったんじゃないか」
「でもね、お酒が好きすぎて・・・」
外交下手で良い馬主をつかめなかったことで、酒に嵌ってしまったようなことが書かれてますね。
もしかしたら早世の一因になってしまったのかもしれません。


Re: ノンタイトル その2 ( No.1006 )
日時: 2023年08月26日 15:37
名前: TEL [ 返信 ]
初めまして。blogがあったからから楽しませていただいております。質問なのですが、
岸三吉という往時の名騎手は戦後はどこに消えたんでしょうか。


ご研究 ( No.944 )
日時: 2023年07月27日 18:39
名前: futeki [ 返信 ]
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ご紹介ありがとうございます。
系図にするとこんな感じなのでしょうか。

 
禰寝清年
 |
 |――――――――
 |       |
禰寝重俊    禰寝弘佑   
 |       |
 |       |
 |      武石見守
 |       |
 |       |
 |      武五郎右衛門
 |       |
 |       |
 |      武重宗
 |       |
 |       |
 |      武重貞(養子)<――――東郷重方の実子 
 |       |
(旧来の説) (こちらが新説)


しかしご研究のフィールドが広くて深いですよね。
またお気軽にこぼれ話をお聞かせください。


武氏のルーツ ( No.943 )
日時: 2023年07月26日 22:00
名前: Lucky Boy [ 返信 ]
武豊騎手の家系ルーツについて、wiki「武家(家族)」をはじめ、ネット記事で諸々と書かれていますが、
気になる点があったので、ちょっと報告です。

wikiや「角川日本姓氏歴史人物大辞典」に、禰寝氏15代当主の禰寝清年の子の重俊が武氏の祖とありますが、東大史料編纂所が所蔵する『禰寝文書』「平氏祢寝家系図」には、そもそも、そのような記載はありません。


さらに、wikiや「角川日本姓氏歴史人物大辞典」日置島津家に仕えた東郷村の武清武の家系(wikiでは「島津常久(日置島津家)に臣従した」とありますが、実際には島津忠長(宮之城島津家)に仕えて、朝鮮戦争で戦死。日置島津家が東郷村の領主となってから、武清武の子孫が仕える)が紹介されてますが、武豊の家系が、この武氏ではないことは、主禁さんがまとめた「競馬ファミリー・家系図 」の情報からも明らかです。武豊の家系は、島津本家に直接仕えた武村の郷士である武五郎右衛門家です。
ちなみに、東郷村の武清武の出自は不詳なのですが、禰寝氏15代当主の禰寝清年の末裔であるとするならば、孫あたりかと思われます。

それで、武五郎右衛門家のルーツですが、『本藩人物誌』(「鹿児島県史料集13」所収)によれば、武石見守という人物が祖でとされ、禰寝氏の支族で武村に移住したとあります。武石見守は、元亀二年(1571)に肝付氏の水軍と戦いで戦死しています。
武石見守の子が、武五郎右衛門(諱は調査中)で、以降子孫は、「武五郎右衛門」または「武宮内左衛門」と名乗っています。
武五郎右衛門の子が武重宗でしたが、重宗には子がいなかったので、薩摩示現流の2代目東郷重方の子、重貞を養子として迎えています。以降、武五郎右衛門家の人物は、島の代官として着任する人物が多かったようです。

武石見守の出自については、「近衛信輔公御蟄居事蹟概略」{齊彬公史料)や『西藩野史』に情報があります。近衛家18代当主衛信尹が薩摩に3年間配流となった際に、禰寝山城坊という人物の娘が信尹に召し抱えられたのですが、この禰寝山城坊の嫡子が武石見で武五郎右衛門家の祖とあります。禰寝山城坊の第2娘が亀山又兵衛に嫁いだあるので、「亀山家系譜」を確認したところ、
亀山又兵衛は、島津忠良の子、亀山忠辰のことと判明し、妻の父親の名前が禰寝山城坊弘祐とであることも分かりました。
禰寝弘祐は、「平氏祢寝家系図」によれば禰寝清年の第4子で、従来、武氏の祖とされてきた禰寝重俊の弟にあたります。


つまり、島津家側の史料によれば、武氏の祖、武石見の父である禰寝弘祐が武氏の祖であって、重俊は武氏の祖ではないということです。調べた限りは、信頼たる史料で、重俊を武氏の祖とするものがないのです。。。


すダラダラと書いてしまって、日本語が変になっていてすみません。
とりあえず、備忘録として報告しておきます。


混沌としてますね ( No.917 )
日時: 2023年07月10日 11:28
名前: futeki [ 返信 ]
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8月6日にはナリチクのローカルなダービーですか。

CMHの公式サイトでナリチクのレースを紹介している記事が結構ありますが、
当場の代替云々の記述はありますかね。なんとなくなさそうな感じ?

ひとまず保留にしておきましょうか。
情報ありがとうございました。また何か見つけられましたら、ご紹介ください。


モスクワの代替 ( No.916 )
日時: 2023年07月09日 23:35
名前: Lucky Boy [ 返信 ]
今シーズンのモスクワ競馬の代替は、ナリチク競馬場のような記事が散見されますね。

https://kbrria.ru/sport/VstolitseKBRotkryliskakovoysezon
https://capost.media/news/obshchestvo/glavnym-v-rossii-v-skakovom-napravlenii-stal-nalchikskiy-ippodrom/

2000ギニーはすでに終わり、16日にオークスでしょうか。
う~ん、よくわからんです。


英国の ( No.862 )
日時: 2023年06月06日 20:10
名前: futeki [ 返信 ]
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影響で競馬の歴史が長い国なのですよね。これも時代の流れですかねえ。
クランジ廃止後もターフクラブは存続するのか、名目だけ残る感じになるのか。
復活を目論むホースマンは多いと思いますが、なかなか厳しいのですかね。


来年10月5日で ( No.859 )
日時: 2023年06月06日 19:03
名前: 通りすがり [ 返信 ]
シンガポール競馬終了とは驚きです。政府が住宅等の開発用地として
指定したそうですが、そもそもブキティマを開発するので現在の地を
提供されたはずなんですけどね。貴重な売却先を失う豪州NZ馬産界
のショックも大きいんじゃないでしょうか。


ジヤキ考 ( No.852 )
日時: 2023年06月04日 21:38
名前: 通りすがり [ 返信 ]
これは全くの当て推量ですが、牡ロバがなぜジャックなのか
横浜三塔の近くを歩いていて思いつきました。ジャックって
宮廷の召使いなんですよね。当然ながらクイーンの配偶者は
キングであるはずですが、クイーンの寝室にジャックが入り
込めばサラブレッドではなくラバが生まれてしまう。そんな
ところじゃないでしょうか。


YOUは何しに ( No.842 )
日時: 2023年05月30日 10:14
名前: bonklers [ 返信 ]
[ 削除 ]
なるほどあまり詳細な事は明らかになっていないという事ですか。
競馬ブックで言及していたのは知りませんでした。
天塩さんは本当にいろんな場面で出くる探求者の鑑ですな。

輸入の経緯も謎ですが、
輸入されてからもその行方が追えず謎だらけの馬な感じがします。
青森といえば広澤牧場と七戸だと思うのですが
どちらにもいないような感じで探索は難航気味です。
(これはこれで楽しいです)

fudekiさんも通りすがりさんもご回答ありがとうございました。


可能性としては ( No.841 )
日時: 2023年05月29日 21:43
名前: 通りすがり [ 返信 ]
日本に来たのが本物で米国に留まったのが偽物ということも
あり得るわけですが、名馬だけに考えにくいんですよね。
輸出馬の選定に当たったのがグリンステッド氏みたいなので
人を騙すようなことはありそうもないですし。
日本で重用された風でもないので同名の別馬ですかね。

toomevara 愛蘭へ輸出 1952 愛蘭での毛色 b. Kentuckyへ輸出 1961


謎のままですかね ( No.839 )
日時: 2023年05月29日 20:28
名前: futeki [ 返信 ]
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自分は資料調査など一切しておりませんので、研究者の方々のご報告を拝読しているだけですが、
恐らく天塩氏のブック連載時の内容から進展はないのではないでしょうか。
米国での現地調査もなされていたと思いましたが、向こう側にも正体に繋がる手掛かりはなかったはずです。
何か新発見があるまでは憶測するしかないので、騙された説などが囁かれているのでしょう。
お力になれず申し訳ないです。


スプリングボック ( No.837 )
日時: 2023年05月29日 10:53
名前: bonklers [ 返信 ]
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1点ご質問があります。
明治11年に輸入されたという「スプリングボック」についてです。

・宮内省下総牧場における競走馬の育成調教
https://dl.ndl.go.jp/pid/1067254/1/17
を見てみますと「明治11年輸入」となっており

・農務顛末第4巻
https://dl.ndl.go.jp/pid/2468750/1/53
を見てみますと明治17年現在でも健在で青森に送られた事になっています。

しかし輸入種牛馬系統取調書には記載されておらず
青森の資料をあたってもその記載が見つけられません。

Springbokはアメリカの有名な馬であったらしいのですが
どうもこの馬は米国から離れていないようで、ではこの輸入された馬は一体何なのか。
日本は偽の馬を掴まされたんじゃないか、という考えもネット上にあるようです。

何か知っている情報や「こうなんだろう」というお考えがありましたら
お教え願いたいと思います。m(-_-)m


情報ありがとうございます ( No.830 )
日時: 2023年05月23日 21:29
名前: futeki [ 返信 ]
[ 削除 ]
クラスノダール競馬場の年間スケジュールを見た感じだと、ロシアダービーだけ
追加で施行することになった気配でしょうか。同場のダービーは7月15日のようなので
別物として考えて良さそうですが、他のクラシック競走の扱いはどうなのでしょうね。
何かアナウンスがあれば良いのですが。

Chat GPT でロシア競馬の様々な話題を尋ねると、「2021年9月までの情報しか持っていませんが」と
前提を付けてくることが多いのですが(笑)


今年のロシアダービー ( No.829 )
日時: 2023年05月23日 20:51
名前: Lucky Boy [ 返信 ]
今年のロシアダービーは、クラスノダール競馬場で代替することが決まったようです。
https://www.cmh.ru/index.php?id=25129

ただクラスノダール競馬場の公式サイトでは、まだ告知はないようです。
今週末は、クラスノダール競馬場で2000ギニーが開催されますが、
これがモスクワ競馬場の代替のロシア2000ギニーとして行われるのかどうかは不明です。
https://khip.ru/calendar/3-j-skakovoj-den-27-05-2023/


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