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よろしくお願いいたします! 自分も詳しく知らなかったもので、生没年に関してだけですが調べてみました。 生年は昭和5年発行の「競走馬の研究」で(戌歳三三)とあるので明治31年の生まれでしょうか。 https://dl.ndl.go.jp/pid/1240898/1/69 没年ははっきりわからなかったのですが、昭和15年に競馬会から故人として表彰されているので https://dl.ndl.go.jp/pid/2526141/1/306 明治31年生まれで、昭和15年(以前には)鬼籍に入られたということだろうと思います。 40代前半亡くなれたということでしょうから残念なことですね。 以下、「日本の調教師」からの抜粋ですが、 系統は 林義和-柴田安治-岸参吉-高木良三、秋山金七、片平義雄、高橋直、谷沢正夫、小山竹丸 競馬会のOB曰く「柴田一門では一番上手かったんじゃないか」 「でもね、お酒が好きすぎて・・・」 外交下手で良い馬主をつかめなかったことで、酒に嵌ってしまったようなことが書かれてますね。 もしかしたら早世の一因になってしまったのかもしれません。 |
初めまして。blogがあったからから楽しませていただいております。質問なのですが、 岸三吉という往時の名騎手は戦後はどこに消えたんでしょうか。 |
武豊騎手の家系ルーツについて、wiki「武家(家族)」をはじめ、ネット記事で諸々と書かれていますが、 気になる点があったので、ちょっと報告です。 wikiや「角川日本姓氏歴史人物大辞典」に、禰寝氏15代当主の禰寝清年の子の重俊が武氏の祖とありますが、東大史料編纂所が所蔵する『禰寝文書』「平氏祢寝家系図」には、そもそも、そのような記載はありません。 さらに、wikiや「角川日本姓氏歴史人物大辞典」日置島津家に仕えた東郷村の武清武の家系(wikiでは「島津常久(日置島津家)に臣従した」とありますが、実際には島津忠長(宮之城島津家)に仕えて、朝鮮戦争で戦死。日置島津家が東郷村の領主となってから、武清武の子孫が仕える)が紹介されてますが、武豊の家系が、この武氏ではないことは、主禁さんがまとめた「競馬ファミリー・家系図 」の情報からも明らかです。武豊の家系は、島津本家に直接仕えた武村の郷士である武五郎右衛門家です。 ちなみに、東郷村の武清武の出自は不詳なのですが、禰寝氏15代当主の禰寝清年の末裔であるとするならば、孫あたりかと思われます。 それで、武五郎右衛門家のルーツですが、『本藩人物誌』(「鹿児島県史料集13」所収)によれば、武石見守という人物が祖でとされ、禰寝氏の支族で武村に移住したとあります。武石見守は、元亀二年(1571)に肝付氏の水軍と戦いで戦死しています。 武石見守の子が、武五郎右衛門(諱は調査中)で、以降子孫は、「武五郎右衛門」または「武宮内左衛門」と名乗っています。 武五郎右衛門の子が武重宗でしたが、重宗には子がいなかったので、薩摩示現流の2代目東郷重方の子、重貞を養子として迎えています。以降、武五郎右衛門家の人物は、島の代官として着任する人物が多かったようです。 武石見守の出自については、「近衛信輔公御蟄居事蹟概略」{齊彬公史料)や『西藩野史』に情報があります。近衛家18代当主衛信尹が薩摩に3年間配流となった際に、禰寝山城坊という人物の娘が信尹に召し抱えられたのですが、この禰寝山城坊の嫡子が武石見で武五郎右衛門家の祖とあります。禰寝山城坊の第2娘が亀山又兵衛に嫁いだあるので、「亀山家系譜」を確認したところ、 亀山又兵衛は、島津忠良の子、亀山忠辰のことと判明し、妻の父親の名前が禰寝山城坊弘祐とであることも分かりました。 禰寝弘祐は、「平氏祢寝家系図」によれば禰寝清年の第4子で、従来、武氏の祖とされてきた禰寝重俊の弟にあたります。 つまり、島津家側の史料によれば、武氏の祖、武石見の父である禰寝弘祐が武氏の祖であって、重俊は武氏の祖ではないということです。調べた限りは、信頼たる史料で、重俊を武氏の祖とするものがないのです。。。 すダラダラと書いてしまって、日本語が変になっていてすみません。 とりあえず、備忘録として報告しておきます。 |
今シーズンのモスクワ競馬の代替は、ナリチク競馬場のような記事が散見されますね。 https://kbrria.ru/sport/VstolitseKBRotkryliskakovoysezon https://capost.media/news/obshchestvo/glavnym-v-rossii-v-skakovom-napravlenii-stal-nalchikskiy-ippodrom/ 2000ギニーはすでに終わり、16日にオークスでしょうか。 う~ん、よくわからんです。 |
シンガポール競馬終了とは驚きです。政府が住宅等の開発用地として 指定したそうですが、そもそもブキティマを開発するので現在の地を 提供されたはずなんですけどね。貴重な売却先を失う豪州NZ馬産界 のショックも大きいんじゃないでしょうか。 |
これは全くの当て推量ですが、牡ロバがなぜジャックなのか 横浜三塔の近くを歩いていて思いつきました。ジャックって 宮廷の召使いなんですよね。当然ながらクイーンの配偶者は キングであるはずですが、クイーンの寝室にジャックが入り 込めばサラブレッドではなくラバが生まれてしまう。そんな ところじゃないでしょうか。 |
日本に来たのが本物で米国に留まったのが偽物ということも あり得るわけですが、名馬だけに考えにくいんですよね。 輸出馬の選定に当たったのがグリンステッド氏みたいなので 人を騙すようなことはありそうもないですし。 日本で重用された風でもないので同名の別馬ですかね。 toomevara 愛蘭へ輸出 1952 愛蘭での毛色 b. Kentuckyへ輸出 1961 |
1点ご質問があります。 明治11年に輸入されたという「スプリングボック」についてです。 ・宮内省下総牧場における競走馬の育成調教 https://dl.ndl.go.jp/pid/1067254/1/17 を見てみますと「明治11年輸入」となっており ・農務顛末第4巻 https://dl.ndl.go.jp/pid/2468750/1/53 を見てみますと明治17年現在でも健在で青森に送られた事になっています。 しかし輸入種牛馬系統取調書には記載されておらず 青森の資料をあたってもその記載が見つけられません。 Springbokはアメリカの有名な馬であったらしいのですが どうもこの馬は米国から離れていないようで、ではこの輸入された馬は一体何なのか。 日本は偽の馬を掴まされたんじゃないか、という考えもネット上にあるようです。 何か知っている情報や「こうなんだろう」というお考えがありましたら お教え願いたいと思います。m(-_-)m |
今年のロシアダービーは、クラスノダール競馬場で代替することが決まったようです。 https://www.cmh.ru/index.php?id=25129 ただクラスノダール競馬場の公式サイトでは、まだ告知はないようです。 今週末は、クラスノダール競馬場で2000ギニーが開催されますが、 これがモスクワ競馬場の代替のロシア2000ギニーとして行われるのかどうかは不明です。 https://khip.ru/calendar/3-j-skakovoj-den-27-05-2023/ |