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1964年12月号にギリシャ競馬の紹介記事があり、 それを翌年JRAの競馬資料が翻訳転載しました。 文章が回りくどいので要点だけ書き出します。 ギリシャJC主催のファレロン Phaleron 競馬場は アテネとピラエウスの間に1925年に建設されたが、 独伊及び英軍に接収され、1951年6月に再開した。 左回り1周1400米の砂コースでゴールは1コーナー 入口付近にある。1コーナーには1400米のポケット がある。ゲートは特許を買い米国人を招いて自作。 写真判定装置あり。クラブハウスはガラス張り。 8月3週間休む他は毎週水曜と日曜に6レースずつ 施行する。サラとアラブが半々、1400米と1800米が 半々、7月開始の2歳戦の初期は1000米。2歳末の クリテリオンS、3歳のクリテリオンS(牡)と同 (牝)は1600米、6月のダービーと11月のマラソン は3歳牡牝の2400米。他はハンデ戦で、最高は64K だが通常は47.5~54Kで争う。 入場料は2等10ドラクマ(米貨33セント)、1等20 ドラクマ。馬券は連勝複式が人気。控除率は20%で 配分はJC6.5%、賞金5%、政府と済生会8.5%。 サラの現役競走馬は150頭。JC所有のセスラリー 牧場に7頭の種牡馬と75頭の繁殖牝馬がいる。政府 は馬を贅沢品として外国産80%、内国産40%の取引 税を課すので馬は売らず11月末~12月初に40~50頭 の1歳駒の2年間賃借権セリを行う。毎月分割払い なので好評である。3歳末に再度セリを行う。 アラブは農務省が種牡馬を輸入して全国に配置し、 民間で生産する。取引税がかかるが安価なので賞金 で元が取れる。 |
これは貴重なレポートですね。 英国の記事の翻訳かも知れませんが。 ググってみましたが、芝が立派なのは元々湿地だったかららしいですね。 ゴルフ場の芝はアラブ随一と称されているとか(地理的にはアフリカでも人種的宗教的にアラブへの帰属意識が強い?) しかし日本のように雨が多い土地だと、湿地の埋め立て地での農業はなかなか大変とも聞きますが、 乾燥地帯の芝にとっては最高の環境とは、ところ変わればなんとやら、ですね。 https://www.researchgate.net/profile/Cristina-Pallini/publication/280545925_The_Smouha_City_Venture/links/57205f5608aead26e71b8260/The-Smouha-City-Venture.pdf |
レバノンとか産油国でない所は怪しいですよね。 一方で今年のドバイにはカザフスタン出身馬も出るようで 馬の世界も栄枯盛衰と思われます。 ところで昭和12年の日本競馬会報別冊競馬資料に 「エジプトの競馬」と題してアレキサンドリア競馬倶楽部 主催のスマウハ Smouha 競馬場の紹介がありました。 数年前までは現場所は沼であつた、馬場の付近には一つの大きな クラブと競技場がある、馬場の中はゴルフ場になつて居る、競馬 場は町の中心に近く施設の完美は欧米にも比類が少ない。 入場料は大スタンド二〇ピアストル、小スタンド八ピアストル、 之を英貨に換算すれば約四志と一志八片となる、婦人に対しては 大スタンドの入場料一志の割引がある。 番組は三箇国語で書かれてあり代金一部七片、約五〇頁から成り 過去四箇月間の競馬成績が表示してある。 ブツクメーカーは許るされて無い、只勝馬投票式のみである、控 除率は一一%で其の内には政府納金も含まれてある 馬場は一周約二哩、 一日の競走回数は八回で其の内の二回がサラブレツド競走、六回 がアラブ競走である、 アラブの負担重量は体高と年齢とによつてハンデキヤツプが付け られる、過去の競走の結果を見ても此の方法は勝利の機会均等を 得しめるに最も公平な方法と思はれる。 勝馬投票は単勝式複勝式の外に一、二着又は二、三着を併はせ投 票する方法等が行はれる、此の方法は欧州大陸にも已に行はれて 居る、勝馬投票に於ては同一所有者の馬が二頭以上出走する場合 には之を一頭と見做して取扱ふ、 競馬の組織、競馬同好者に対する慰安、、諸事の安値等の点に就 ては英国競馬当事者が行つて学ぶべき点が甚だ多いと思はれる、 英国の高い入場料に対しては今少しく入場者に報ゆる処があつて よくはないか。 余が最も驚いたのは芝馬場の実に立派なことである、太陽は毎日 照りつゞけに照り夕立などは寧ろ珍しい位であるのに、どうして 馬場をこんなに良い状態に保つて居るのか、之れだけは不思議な 位である。 |
なるほど、「馬事研究」から「日本競馬の歩み」の流れだったのですね。 ブックを購入し始めた時、既に連載100回を超えていたような記憶があります。 途中からの連載はスクラップしていなくて後悔してます。 |
ブックさんからウチで書けと言われて時間がなくなり ましたので。数年前馬事協会から『70年のあゆみ』を 任せると言われたので、数十年ぶりに好き勝手に書き 散らすことができました。 |
何号まであるのでしょうか。 自費出版物でそんなに部数が出てるとも思えず、が蓑虫屋さんに流通しているのも驚きです。 |
思っていたら、天皇誕生日じゃありませんか。慣れないなあ。 暇に任せてネットを巡っていたら、私は笠雄二郎氏を存じ上げ ないのですが、同氏の研究の発端あたりで私の本に触発された ようなことが書かれていてびっくり。本と言っても40年も前に 自費出版した冊子ですが、それを笠氏に見せたのが府川充男氏 だというから更に驚きました。人間どこで誰と繋がっているか わかりませんね。10年ほど前断捨離と言うか大事な本も含めて 片っ端から捨ててしまったので、府川氏の大鳥活字についての 論文が載った本も手元にないのですけれど。 |
ご紹介ありがとうございます。 まだまだ面白い資料が出てきますね。世の中捨てたものじゃないです。 画像ファイルはパソコンからだと保存ができず、閲覧も細部までよくわからずで、 スマホから見ると多少良く見えました(多分やり方が悪いのでしょう)。 これまで(個人的に)英語表記を知らなかった馬がある程度わかりますね! 判断難しい箇所もありますが、こんな感じでしょうか。 シユペルブ Superbe レギユリエー Reguler エレン Helene フレドンヌ Fredonne デルフヰン Delphine ロイズジエーヌ Louis Guyenne(自信なし) エキスプロイト Exploit グラツドアイズ Grad Eyes エリヤ Aria チヤーレーヂラード Charley Dillard 既出の別表記の馬名と比べてみると、エレンはヘーレン、アリアはエリヤ、グラツドアイズはブラツドアイ、 ロイズジエーヌはルイスウエネー、フレドンヌはフレドネーと同一馬という事でしょうか。 農用一号?はペルシュロンのハーフブレッドですかね。注意書きがありますが、よくわかりませんでした。 父は父系の馬名の並びから判断するに、この馬なのでしょう。 https://www.allbreedpedigree.com/brilliant25 レギユリアの父は恐らくこの馬ですかな。 https://www.allbreedpedigree.com/madere ii やたらと類似の馬名が登録されているので、これは参考程度でお願いします。 |
遅くなりましたが今年もよろしくお願い申し上げます。 最近気がついたのですが 去年ヤフオクで「馬匹族譜」なる書物が出品されておりました。 https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/x759592812 25000円で出品。どなたかが1件だけ入札し落札されたようです。 明治20年頃の真駒内の馬匹に関する資料となっており 「輸入種牛馬系統取調書」と形式がソックリとなってる模様です。 チラチラと資料が垣間見れて面白いです。(農用1号と2号は雑種なんですかね?) |
グラディッツの生産馬から3自由世代の成績が最もよいという 表を作ったのはゲオルク・フォン・レーンドルフ伯ではなく、 息子のジークフリートでした。従って『簾氏産馬学』は無関係 になります。こういう掲示板だとつい思い付きを書いてしまい がちになってしまいますね。 サイト主へ。 summer palace5 は輸出されていません。GSB の輸出馬一覧だけを見ていて生国と年齢の矛盾に気づかず。 |
そうでしたか。確かに学者なら「最適の」ような言葉に選びますよね。「奇蹟の」という言葉は使わないですね。 役人が言っていても不思議じゃないですね。 ちょっと調べてみたのですが、「The Fitzluck breeding theory.」を書いたラックホーという人は、 Lionel Alfred Luckhooというガイアナ出身の弁護士さんだろうと思うのですが、フィッツパトリックという人が どういう人かはわかりませんでした。 とあるJRA馬事文化賞を取られた方の本で「これはずっとむかし、フィッツラックという人物が・・・」と書いて あるんですけど、流石に「そんな奴おれへんやろ~」ってこだま師匠のように言いたくなりました。 |
なにしろ出所不明なので、当て推量をしたまでです。 生産現場から経験則で得られた理論というより、 インテリが机上で作り出したもののような気がして。 |
こちらに書かせていただきます。 「奇跡の血量」の元ネタの話なのですが、「奇跡の血量」という言葉そのものの話か、 血量18.75%の血統論の話か、どちらの意味に近いでしょうか。 血量18.75%の配合論は、もともとイギリスで流行していたこと、ラックホー(Luckhoo)とフィッツパトリック(Fitzpatrick) のフィッツラック配合論(The Fitzluck breeding theory; The Blood Horse 1947/06/28。原文も 佐藤正人さんの翻訳も入手してません・・・)が知られていると思います。 日本では、トキノミノル以降なのかと思っておりましたが、日本の馬政局が言い出していたとしたら、 非常に興味深いです。 この辺りの雑誌に書かれている話は、正直信用できないものが多いので、本当のところはどうなのだろうと思っています。 |
更新ありがとうございました。また、ある程度溜まりましたらご報告いたします。 |