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https://www.pedigreequery.com/spoilt child3 https://www.pedigreequery.com/lucknow5 https://www.pedigreequery.com/moonette2 spoiled child3 は削除しました。 メイゲツとメリハートはやはり同一でしょうかね。以前通りすがりさんから伺った情報では メイゲツの母もムーネットだったと思うのですよね。 連合会報告書(1)では2頭それぞれ別個に記載があり、メイゲツの母名がキーチーで、 体高が結構違うこと以外は2頭の共通項が多いので、同一の可能性は十分あると思います。 報告書は同一馬の重複登録が滅茶苦茶多いです。たまに「前名」とか注釈がある馬もいますが、 それは重複の数パーセントに過ぎません。その何十倍も重複登録されています。 改名もあれば微妙な表記違いも多数ありで…。一応気づいた分はシートに記してますが、まだまだあるはずです。 meigetsu の母を moonette2 に変更して moonet2 は削除しました。 まだまだ確定したわけではないのですが。 https://www.pedigreequery.com/meigetsu |
spoiled child3 削除(下記馬に合併) spoilt child3 別名 sister to Lucknow 母父 Tyrant 追記 Arabian 母母 Dolly profile unknown. 母母父 an unknown sire 母母母 Mignonette bred by T. Icely, N.S.W. Color & YOB unknown. 母母母父 vanguard2 生産者 C. Roberts, N.S.W. 母母母母 Psyche profile unknown. lucknow5 毛色 b. 性修正 h 両馬とも生産記録はありませんが、ラックナウは豪州血統書の種牡馬欄に 載っています。同時期に同名のセン馬もいますが別馬です。 moonette2 毛色 b. 生年 1886 生産者 A. Town, N.S.W. 母 moonbeam29 毛色 br. 生年 1876 生産者 C.B. Fisher, Victoria 母母 crescent21 毛色 br. 生年 1872 生産者 G.W. Petty, Victoria 母母母 starlight66 毛色 br. 生年 1867 生産者 Mr. Hoyt, Victoria |
この時代にどれくらい同名馬がいるのかわからないのですが、何かわかるのかもしれませんね。 何か確実にそうだとする決め手になるようなものがあればいいのですが。 ちなみに、メリハートですが、↓でしたよね?これは消されずに残っているんですね・・・ https://www.pedigreequery.com/meigetsu |
種牡馬だったということですか。案外向こうでも仔を残していたのかもしれません。 この時代の新聞には本邦に輸入された濠洋、濠サラの血統の手掛かりが随分と残されてますね。 骨組みだけデルマに登録しました。 https://trove.nla.gov.au/newspaper/article/164041460?searchTerm=regained Spoilt Child これは1906年3月のイヤリングセールなので1904年生まれの一覧だと思いますが、 bay filly で Regained or Kenley - Spoiled Child (sister to Lucklow), by Russley (imp) from Andromache, by Tyrant (Arab) https://www.pedigreequery.com/spoiled child3 これはビワコの一つ下の全妹ではないでしょうか。あるいはビワコそのものかもしれません。 であればビワコの父は Kenley に変更になりますが。 メリハートの母 Moonette の血統は(恐らく)全兄の Barometer が再三紙面に登場するので、 https://trove.nla.gov.au/newspaper/article/25644460?searchTerm=Beauchamp moonette Moonette by Epigram (imp) from Moonbeam, by Angler from Crescent by Fireworks from Starlight, by Stockowner (imp) from Nightlight (imp) https://www.pedigreequery.com/moonette2 になるのでないでしょうか。 他にも見つかりそうですが、なかなか大変な作業ですね…。 |
ピクニックで走っていた馬だと思います。そして、たぶん種牡馬兼用なのかと。 ノースヘッドなんかはもっと上のカテゴリーで走っているので、当時の輸入馬がこのクラスで走っていた 訳ではないとは思いますが。 以下に1908年1月のTirranna Picnic Race Clubで走った時の写真が掲載されています。(特に21ページ目) https://trove.nla.gov.au/newspaper/article/263591471 |
ランドウィック以外はカントリー、ピクニック競馬なのでしょうか。 古新聞をスキャンした画像からの文字検索は精度がかなり落ちるので、他にも出走歴ありそうですよね。 https://trove.nla.gov.au/newspaper/article/14836529 1906年8月6日の新聞に Hautnib 名で種牡馬広告が出ていますね。コーニッシュ氏所有で。 二刀流だったのか、その後に現役復帰したのかはわかりませんが…。 |
デルマのhautnibのページはやはりと言うか、もう削除されているようです。 ふてきさんが登録されていたので、過去ログから情報を検索してみたら2015年1月に、 豪州 10=2・4・0・4 日本 2=0・0・1・1 露国 3勝以上 という記載が残っていました。troveで豪州時代の競走成績を追ってみたのですが、大分状況が違っていたので、 ここに記載しておきたいと思います。新聞記事からのピックアップなので、判明分ということになります。 26 = 13-7-4-2 1907. 5.28, Merriwa , Park Stakes , 6f, 121, Thompson , 1/6 , 1.23 , , Prince Hanlon 131 1907. 5.29, Merriwa , Merriwa Racing Club Handicap , 9f, 91, Adlow , 3/3 , (2.02) , , Mentmore 107 1907. 5.29, Merriwa , Forced Handicap , 6f, 104, Fuller , 2/3 , (1.35) , , Flint 128 1907. 7. 3. Narrabri , Park Stakes , 6f, 119, Johns , 2/12, (1.18) , , Tasman 126 1907. 7. 3, Narrabri , First Hack Race , 6f, 124, Johns , 2/12, (1.17.1/4), , Ruth 105 1907. 7. 4, Narrabri , Tattersalls' Handicap , 6f, 103, Johns , 2/9 , (1.16.1/2), , Simmerelle 116 1907. 7. 4, Narrabri , Forced Handiap , 7f, 110, Johns , 1/5 , 1:33 , 20sovs , Lady Foote 102 1907. 9.14, Wallsend , Pace Welter Handicap , 7f, 126, A. Hood , 1/6 , 1.30 , 45sovs , Stretton 126 1907. 9.14, Wallsend , Final Handicap , 8f, 105, F. Simmons , 2/11, (1.44) , 5sovs , Kapai 121 1907. 9.25, Muswellbrook, Publican's Purse , 7f, 119, A. Hood , 1/5 , 1.29 , 20sovs , Mentmore 117 1907. 9.26, Muswellbrook, Spring Handicap , 8f, 126, A. Hood , 3/5 , (1.43) , , Flint 105 1907.10. 2, Wallsend , Convalescent Handicap , 7f, 131, A. Hood , 1/7 , 1.30 , 30sovs , Brigantine 131 1907.10.19, Newcastle , Shorts Handicap , 7f, 124, Austin , 1/7 , 1.31 , 50sovs , Sarsefield 116 1907.11.30, Warwick Farm, Farm Stakes , 6f, 131, A. Hood , 3/13, (1.15.1/2), , Neith 102 1907.12.20, Randwick , High-Weight Handicap , 8f, 134, Doyle , up/12, (1.41.1/4), , Neith 131 1907.12.28, Randwick , Rawson Handicap , 7f, 122, A. Hood , 3/8 , (1.32.1/2), 10sovs , Hildebrook 109 1908. 1. 9, Tirranna , Ladies' Bracelet , 8f, 161, Manning , 1/6 , 1.48.1/2 , , Alteration 160 1908. 1.10, Tirranna , Ladies' Mile , 8f, 180, Manning , 1/6 , 1.48 , , Camera 170 1908. 2. 8, Warwick Farm, Amateur Mile , 8f, 144, Manning , 1/3 , 1.46.1/2 , , Never Forget 144 1908. 3.10, Orange , Nandillyan Mile , 8f, 161, W. E. Manning, 1/8 , 1.47.1/2 , 20pounds, Septic 158 1908. 4.29, Mudgee , Mudgee District Racing Club Handicap, 8f, 131, Barden , 1/4 , 1.43.3/5 , , Ben Buckley 119 1908. 5. 5, Bligh , Bligh Amateur Racing Club Cup , 12f, 158, W. Manning , 2/4 , (2.43) , , Footpad 158 1908. 5. 6, Bligh , Welter Handicap , a10f, 175, Manning , 1/4 , 2.20 , , Footpad 178 1908. 5.26, Muswellbrook, Upper Hunter Amateur Race Club Cup , 12f, 158, H. Bloomfield, up/6 , (2.43) , , Exsul 162 1908. 5.27, Muswellbrook, Ladies' Bracelet , 8f, 152, , 2d/- , (1.44) , , Rocklight 142 1908. 5.27, Muswellbrook, Flying Handicap , 6f, 160, , 1/- , , 20pounds, Alteration 166 1907.12.28までは、H. J. Cornish (of Binalon)の所有で、1908.1.9からは、J. H. Bettington (of Terragong)の所有です。 1908.1.18の新聞記事で、 Tongyの生まれ、約2年前に Mr. G. Fitzgerald (Cassilis District) から、Mr. H. J. Cornish に 30ポンドで売られ、 今度は、Mr. T. F. Scullyの仲介で、J. H. Bettington (of Terragong)に300ポンドで売られた、 との記載がありました。 あと、生年は新聞記事からだと、1903年なのかなぁと思います。 |
こんばんは。 googlesiteに構えておりました私のサイトをやめて 下記のサイトに移行する事と致しましたのでよろしくお願い申し上げます。 【旧】https://sites.google.com/view/bonklers103/ 【新】https://wikiwiki.jp/meiji-uma/ 誰でも編集可能なページになっていますが 「どうせ誰もいじらないだろう」という考えで日々作成しております。(-_- |
下総のは全て成歓から買った牝馬が産んだ持込です。 アラブ牧場は岡山の資産家のドラ息子の大西徳一氏が 崩壊した成歓の牝馬を受け入れるために作った牧場で ワツデーシルハンがアラブ牧場にいたのなら大西氏の 生産馬に産駒がいるはずだと思うのですがいません。 実際は日本に来る前に死んだのではないでしょうか。 |
だとしたら不忍池競馬場みたいな感じにも思えます。 日本にもエジプト産アラブ来てますね、ワツデーシルハン。 朝鮮で供用されたので日本の土を踏んだのは横浜の検疫所だ けですけど。ちなみにメソポタミア産とされているアラブは インドのボンベイで走っていたものです。 |
エジプト競馬ですね。 競馬場の跡地は恐らくここかなと思いました。 https://www.youm7.com/story/2015/5/2/بدء-العد-التنازلى-لافتتاح-أعمال-تطوير-مركز-شباب-الجزيرة/2165025 ブルーソンの世界の競馬と生産を読み返してみたのですが、記述がある国の中ではエジプトが サラブレッドの競馬を受け入れなかったとありますね。欧州人による英国産サラブレッドの押し付けを エジプト人が良しとせず、アラブ馬しか許容しなかったため、サラブレッド競走の導入に失敗した。 モロッコ、チュニジア、アルジェリアなどはそれぞれに曲折がありつつ、サラのレースを取り入れた、と。 ご存知の通り、相当前の出版物ですが…。 |
ないでしょうか。手近にある馬で競馬をするということで。 トルクメニスタンではアハールテケで競馬をしているそうですし、 日本でも戦前の競走馬の大半は改良雑種だったわけですから。 以下は同じ記者が書いたゲジラ競馬場。長方形のようなコース だったみたいです。エジプトから輸出される馬のほとんどは 芦毛ですから、記事は正確です。サラレコ1964.1.4号。 競馬場を建てるためのロマンティックな所を選びたいとき、 ナイル河の右手、あの細長く金持の町カイロにある緑の島に まさる場所を見つけ出すのは難しいことだろう。 エジプトの競馬は、11月の初めから4月中、当競馬場で開催 される。それから、夏期の間、涼しくなるアレキサンドリア へ北方に移動する。カイロの競馬は第一級である。諸施設は 完備し、競馬はよく整っており、馬はアラブ、騎手は乗り方 が非常にうまく、観衆は礼儀正しい。 私がみた馬の間では、芦毛馬の割合が非常に高かった。出走 馬11頭のあるレースで、その7頭が芦毛馬であった。20頭出 走の他のレースでは15頭ないし16頭の芦毛の馬がいた。 馬場そのものは芝馬場で周囲2,000メートルに近い。その馬場 は私どものより長い直線走路と急な隅角を持っているように 思われた。 競走が行なわれる馬場面は優秀だ。一面緑色で、馬の蹄によ って根こそぎにされはしない。芝のつぎはぎをする必要があ れば、どこか他で植栽された新しい芝生が細長い地片の形で 運ばれる。それからシーズン・オフの終わり頃、全コースに 芝土がもり直される。 全馬が直線に入った時のトップの馬はめったに追い抜かれな い。これは騎手全員が素晴らしいペース判断を有するか、あ るいは若干の騎手は優れたペース判断をもつのに他の騎手に はこの判断が欠けているかのいずれかを示すものであろう。 (私は後の可能性を支持したい)。 |