ゴム動力模型飛行機掲示板


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紙飛行機を飛ばす会について
松本@GPF 投稿日:2023年04月24日 20:29 No.267 【Home】
前回は2004年のサントリー地域文化賞、武蔵野中央公園 紙飛行機を飛ばす会連合会に関してでしたが今回は「紙飛行機を飛ばす会」についての紹介です。
最初の添付資料はモデルジャーナル誌の1979年5月号から。説明文を再掲すると
「まだまだ風のつめたい3月21日,武蔵野市のグリー ンパークの空に、かわいい紙飛行機が乱舞し、黄色い子どもの声が飛び交った。
これは、日本電電公社研究開発本部調査役・二宮康明氏が“青空に、思いきり飛行機を飛ばそう”との主旨で始めた集いで、昨年 11月から始め、今日の飛行会で3回を数える。
この日は、二宮氏と昭子夫人を中心に、よちよち歩きの幼児から大人までが参加しての楽しい1日だった。」
第1回の紙飛行機を飛ばす会が1978年11月だったことがわかります。 
飛ばす会と言っても二宮さんがいてみんなと飛ばす、相談に乗る、直してあげる、だけだったと思います。週末はいつもグリーンパークに二宮さんがいて実質毎週末が飛ばす会だった様な気もします。
https://rara.jp/rubbermodel/page257のリンク先にも書きましたが、私は第1回のポスター張りを手伝いました。対象はグリーンパーク隣接の都営と公団の団地、合計40棟ほどありました。どれだけ分担したのか?記憶はありません。
丁度この頃、私の一家は小金井公園に近い花小金井南町から練馬区の関町北に引っ越していました。グリーンパークまでは直線距離で2キロほど、2、3回家族ぐるみで紙飛行機を飛ばず会に参加しています。今でも紙飛行機が話題になった時の家族の口癖は「二宮さんに直してもらうと良く飛ぶようになる」です。


広島吉田 投稿日:2023年04月25日 11:37 No.268
 紙飛行機の記事を楽しく読ませていただいています。
記憶が定かではないのですが、民放の番組だったと思います。
紙飛行機を飛ばす紹介がありました。
パチンコにより一直線に青空へ吸い込まれた後に滑空する姿に惹かれたものです。
場所はグリーンパークだったのかもしれませんね。
この番組を見て影響されたのか、どう言うきっかけで購入したかは定かではないのですが30年以上前に購入した紙飛行機が写真の2冊です。
いくつか作って楽しんでいましたが、平素運動を全く行っていないせいか、強く投げ上げることに体がついていかず胸に激しい痛みが走り、それ以来ご無沙汰となっています。
子供が手にする2機とあわせて数機作りました。1989年のことです。
 話変わって、先月行われた国際級旭大会の後でグリーンパークに立ち寄る計画を立てていました。前日の日曜日の雨で地面も濡れて誰も飛行機はやっていないだろうと考えて断念しましたが、何時か行ってみたいですね。

 


松本@GPF 投稿日:2023年04月25日 19:48 No.269 【Home】
吉田さん、グリーンパークに来る時は是非ご一報くださいーこの掲示板なりメールなりで。
風が強くない限り朝の11時頃までは何人かいます。
広島の吉田さんが来るとなればYouTubeのFteeflight二郎の愛読者の某氏やF1Bの松尾哲郎さんなども出て来ると思います。

(添付ファイルは次回予定のもの、何故か削除できません。)


松本@GPF 投稿日:2023年04月27日 14:10 No.270 【Home】
今回の添付資料はサンケイカラー百科の昭和55年(1980年)5月号、最初のページ添付のモデルジャーナルから1年後のものです。
説明文は
「こいのぼりの泳ぐ大空に飛行機が飛ぶーーー自分で 作った飛行機を持ちより飛ばして楽しむ 「 紙飛行機を飛ばす会」が4月29日、東京・武蔵野市グリンパー 米軍宿舎あと地でありました。 工学博士の二宮康明先生が指導する集まりで、 6月8日 、7月13日 、8月 10日、9月15日 、10月10日にも同じ場所で開かれます。」
飛ばす会が毎月開催のなっています。

今回はカラー写真で周りの風景が良くわかります。
上段中央は広場の東隣接の都営団地、写真の部分は10年ほど前に取り壊されて現在は公園の延長部分になっています。
上段右は同じ都営団地とその北側の横長のビルは電電公社(当時)の研究開発本部と武蔵野電気通信研究所。
鯉のぼりを揚げたのはここを都から借用していた武蔵野市役所でしょう。
上段左と下段左・中は新築の都立武蔵野北高校、第1回の新入生はこの年の1月からこの場所で授業を受けています。

写真には二宮夫妻以外に知人が2人入っています。
上段中央の枡野邦夫さんは当時の同じ勤務先の先輩、中段左の飛行機の箱を広げている人は当講談社勤務だった岩田清光さん。岩田さんはこの頃から二宮さんの向こうを張って紙飛行機の本の発行を準備中だったようですーこの件は別途紹介します。

幾つかの写真を拡大してみるとかすかに見えますか広場は北側以は高いフェンスですが、南東西側は2メートルに満たない低いフェンスで囲まれていました。出入り口は今とほぼ同じ東北角、南中央と南西の大通り沿いの3ヶ所、利用可能時間は午前9時から午後5時まででした。


松本@GPF 投稿日:2023年05月02日 21:31 No.271 【Home】
前ページで紹介した広場の周りの低いフェンスの写真が出てきました。
添付の白黒の写真です。
背中を見せて写っている私が持っている紙飛行機は多分https://rara.jp/rubbermodel/page259
の2ページ目に掲載した図面のもの。
左にライトプレーンをもって立っている同じ人が萱場達郎さんの「やさしい模型飛行機ガイド」(1980年10月誠文堂新光社発行)にも同じ服装で出ています(カラーの添付写真・左)。広場隣接の国鉄団地に住んでいた花田さん、持っているB級ライトプレーンは前に紹介した岡部禮雄さんhttp://www.jmaf.jp/ff/ffdendou/004_okabe/index.htmlの影響を強くうけています。
撮影場所は白黒写真とカラーの左・中は広場の南東隅、白黒は東向き、カラーは南向き(建物は国鉄団地の西端)です。カラー右でHLGを投げているのは著者の萱場さんで場面は多分広場の南西側。
カラー写真の中央は花田ジュニアです。

萱場さんの本の表紙を飾っているのは福島慎君、本の第1章ではスチレンプレーンの制作をしています。小金井公園で私たちの仲間に入り、一緒にグリーンパークに移ってきました。当時5年生か6年生で国分寺からグリーンパークまで一人で来ていました。実はhttps://rara.jp/rubbermodel/page259
に添付した菅野君の記事内の「兄にはそのころ同じ歳のライバルがいて・・・」のライバルが福島慎君です。
ついでに言えば萱場さんの本の福島君の役割、最初は私の長女を頼まれました。しかし模型の制作は全くだめだったので断りました。


松本@GPF 投稿日:2023年05月09日 22:41 No.272 【Home】
添付PDFファイルは二宮康明さんが主導したグリーンパークを原っぱ公園にする運動の一環の記事ですが、以下その中の「紙飛行機を飛ばす会」の活動についての二宮さん自身の記述です:
「・・・私たちはこの広場で昭和53年から毎月 1回紙飛行機を飛ばす会を開いているが, 参加者 の中には家族連れも多く, 武蔵野, 三鷹を中心に 田無,保谷,小金井などの近隣地域および東京23 区ばかりでなく、 少数ではあるが遠く神奈川,埼 玉,千葉などから訪れる人もあって,一日中楽し んで、これら他県の人々は,この広場の広々とし た状況をうらやましがって帰るという風である。・・・
紙飛行機を飛ばす会には, 幼稚園児から70歳を越す年 輩の方々まで多数参加されるが、年輩のかたが小 学生に作り方,飛ばし方を教えて,その深い知識 とすぐれた技術で幼ない人々から尊敬のまなざし で見られているほほえましい風景も稀ではない。・・・」

次の添付写真記事は暮らしの手帖1987年4・5月号の記事、直接紙飛行機を飛ばす会とは関係がありませんが、二宮さんの原っぱ公園運動の関連なので添付しました。文章部分は
「 ぎっしりと家の建てこんだ町中の狭 い家で暮していば、誰だってたまには大空の下で風に吹かれ、お日様の下で存分に手足や気をのばしたくなる。
 青草の上にあおむけに寝っころがっ流れる雲を眺めたり、こどもと一緒に草摘みやでんぐり返しにつき合った …………。テレビやゲームの他に、角力やうまとびやオニゴッコ、ドッジボー ル、キックボール、手打野球など、全身を使ってみんなと楽しむ遊びがある ことも教えたい。
 凧揚げ、竹とんぼ、ヒコーキ飛ばし、 フリスビーもわるくない。もちろん、 散歩やジョギングもいい。
 昔は東京あたりでも、こういう息抜 きの場所はけっこうあった。空地もあ ったし、春先きにはレンゲで染まる田 んぼもあった。多摩川や荒川の土手や河原は絶好の気晴しの場所だった。
 しかし、今の東京は道路という道路 は車であふれ、住宅地も小さな家や駐 車場、民間アパートがひしめいている。 こどもが入りこんで遊べる空地など皆 無だし、河原は野球場やゴルフ場に占 領されている。
 ところで、武蔵野市の通称グリーン パーク。旧中島飛行機の工場の跡地で、 米軍の宿舎があった、3百米四方、約 10ヘクタールの四角い土地だ。50年に都立公園にすることに決って、その後、 武蔵野中央公園予定地として開放され、 近くの人たちに使われてきた。
 いまはまわりに棚があるだけで、春 には白ツメ草やタンポポが咲き、ヒバ リが巣を作る、自然のままの原っぱだ。 乳母車で日光浴をしている赤ちゃん のそばを、保育園のこどもたちが駆け ていく。そのむこうでは、高校生の一 団が、ワイワイ、サッカーのボールを 追っている。孫と一緒に竹ひごのプロ ペラ飛行機を飛ばしているお年寄り。 それぞれが、思い思いにやりたいこと をやっている。
 一度でも、この原っぱで遊んだこど もは、電車をのりついででも、友だち を誘ってまた出かけてくる。これだけ の広さがあって、しかも自由に走りま われる原っぱ、草を結んで誰かをひっ かけることのできる原っぱなど、どこ にもないからだ。
 ところが、この公園を今年から整備 するという。でも、この公園は、今の 自然の原っぱのままで残してほしい。
 木を植えたり、花壇をつくり、池を 掘り、散歩道をつくるのも公園づくり かもしれないが、このままで、みんな が自由に使える原っぱにしておくのも、 立派な公園づくりです。どうか、この 原っぱは、このまま残して下さい。」

この運動の結果が現在の武蔵野中央公園です。
二宮さんの目指したものは70%ほど達成できたのでしょうか。現在の原っぱは元の広さの半分強、北側にはスポーツ関係の団体からの圧力でスポーツ広場になり、原っぱの周りは高木帯に囲まれています。
それでもありがたい原っぱ広場があります。


ダウンロード原っぱ公園の提案 ( .pdf / 929.4KB )
松本@GPF 投稿日:2023年05月15日 18:29 No.273 【Home】
このスレッドの最後の投稿になります。
添付の表は1995年の9月ごろ二宮さんにNiftyのFF&CL会議室で紙飛行機を飛ばす会をPRする様依頼された時の資料、紙飛行機を飛ばす会が各地に広がっていたのがわかります。

Webで検索すると添付表中のいくつかを含めて全国に多くの紙飛行機を飛ばす会が現在も活躍中でありことがわかります。




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