投稿画像
投稿者:松本@GPF
添付PDFファイルは二宮康明さんが主導したグリーンパークを原っぱ公園にする運動の一環の記事ですが、以下その中の「紙飛行機を飛ばす会」の活動についての二宮さん自身の記述です: 「・・・私たちはこの広場で昭和53年から毎月 1回紙飛行機を飛ばす会を開いているが, 参加者 の中には家族連れも多く, 武蔵野, 三鷹を中心に 田無,保谷,小金井などの近隣地域および東京23 区ばかりでなく、 少数ではあるが遠く神奈川,埼 玉,千葉などから訪れる人もあって,一日中楽し んで、これら他県の人々は,この広場の広々とし た状況をうらやましがって帰るという風である。・・・ 紙飛行機を飛ばす会には, 幼稚園児から70歳を越す年 輩の方々まで多数参加されるが、年輩のかたが小 学生に作り方,飛ばし方を教えて,その深い知識 とすぐれた技術で幼ない人々から尊敬のまなざし で見られているほほえましい風景も稀ではない。・・・」 次の添付写真記事は暮らしの手帖1987年4・5月号の記事、直接紙飛行機を飛ばす会とは関係がありませんが、二宮さんの原っぱ公園運動の関連なので添付しました。文章部分は 「 ぎっしりと家の建てこんだ町中の狭 い家で暮していば、誰だってたまには大空の下で風に吹かれ、お日様の下で存分に手足や気をのばしたくなる。  青草の上にあおむけに寝っころがっ流れる雲を眺めたり、こどもと一緒に草摘みやでんぐり返しにつき合った …………。テレビやゲームの他に、角力やうまとびやオニゴッコ、ドッジボー ル、キックボール、手打野球など、全身を使ってみんなと楽しむ遊びがある ことも教えたい。  凧揚げ、竹とんぼ、ヒコーキ飛ばし、 フリスビーもわるくない。もちろん、 散歩やジョギングもいい。  昔は東京あたりでも、こういう息抜 きの場所はけっこうあった。空地もあ ったし、春先きにはレンゲで染まる田 んぼもあった。多摩川や荒川の土手や河原は絶好の気晴しの場所だった。  しかし、今の東京は道路という道路 は車であふれ、住宅地も小さな家や駐 車場、民間アパートがひしめいている。 こどもが入りこんで遊べる空地など皆 無だし、河原は野球場やゴルフ場に占 領されている。  ところで、武蔵野市の通称グリーン パーク。旧中島飛行機の工場の跡地で、 米軍の宿舎があった、3百米四方、約 10ヘクタールの四角い土地だ。50年に都立公園にすることに決って、その後、 武蔵野中央公園予定地として開放され、 近くの人たちに使われてきた。  いまはまわりに棚があるだけで、春 には白ツメ草やタンポポが咲き、ヒバ リが巣を作る、自然のままの原っぱだ。 乳母車で日光浴をしている赤ちゃん のそばを、保育園のこどもたちが駆け ていく。そのむこうでは、高校生の一 団が、ワイワイ、サッカーのボールを 追っている。孫と一緒に竹ひごのプロ ペラ飛行機を飛ばしているお年寄り。 それぞれが、思い思いにやりたいこと をやっている。  一度でも、この原っぱで遊んだこど もは、電車をのりついででも、友だち を誘ってまた出かけてくる。これだけ の広さがあって、しかも自由に走りま われる原っぱ、草を結んで誰かをひっ かけることのできる原っぱなど、どこ にもないからだ。  ところが、この公園を今年から整備 するという。でも、この公園は、今の 自然の原っぱのままで残してほしい。  木を植えたり、花壇をつくり、池を 掘り、散歩道をつくるのも公園づくり かもしれないが、このままで、みんな が自由に使える原っぱにしておくのも、 立派な公園づくりです。どうか、この 原っぱは、このまま残して下さい。」 この運動の結果が現在の武蔵野中央公園です。 二宮さんの目指したものは70%ほど達成できたのでしょうか。現在の原っぱは元の広さの半分強、北側にはスポーツ関係の団体からの圧力でスポーツ広場になり、原っぱの周りは高木帯に囲まれています。 それでもありがたい原っぱ広場があります。
投稿記事
画像を拡大
保存する