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108 【 親魏大月氏王 】の意味 wajin128 投稿日: 2020年08月24日 23:17:59 No.2355 【返信】

『 三國志 』 卷三 魏書三 明帝紀第三
【 癸卯、大月氏王波調遣使奉獻、以調爲親魏大月氏王 】
 
 癸卯 ( 229年 )
 大月氏王の波調は使いを遣わし献上品を奉げた。
 以って波調を親魏大月氏王と為す。
 
万里の長城の北方を支配する、鮮卑と対峙していたのが、大月氏王の波調です。
魏はこの大月氏と盟約を交わすことで、鮮卑の動きを封殺します。
 
つまり魏は、東の【 倭 】さらに西の【 大月氏 】と盟約を交わすことで、北からの進入を防ぎ、南の呉と対決できたことになります。
 




107 【 上表 】の意味 wajin128 投稿日: 2020年08月24日 22:10:39 No.2354 【返信】

【 正治元年 太守弓遵遣建中校尉梯雋等 】
 
 正治元年 ( 240年 )
 太守弓遵は建中校尉梯雋等を ( 倭に ) 遣わす。
 
【 奉詔書印綬詣倭國 拜假倭王 】
 
 ( 梯雋は ) 倭國に詣で倭王にうやうやしく祭り上げて詔書と印綬を拜假す。
 
中国の辞書によれば【 奉 】の意味は【 恭敬地用手捧着 ( うやうやしく祭り上げる)】です。
また【 拜 】の意味は【 表示敬意的礼節 ( 敬意を表す礼儀 )】です。
 
【 并齎詔賜金 帛 錦○ 刀 鏡 采物 倭王因使上表答謝恩詔 】
 
 併せて詔に齎されし 金 帛 錦○ 刀 鏡 采物 を賜う。
 倭王は因って暖かいお言葉に ( 恩詔 ) 対して、使いに感謝の意を上表した。
 
中国の辞書によれば【 上表 】の意味は【 上奏する 】です。
--------------------
じょう‐そう【上奏】
[名](スル)1 天皇に意見や事情などを申し上げること。
奏上。
「民情を―する」2 明治憲法下で、官庁・議院などが天皇に希望または意見を奏聞(そうもん)したこと。
--------------------
【 使上表答謝 】
 
 使いに対してお礼の言葉を、皇帝 ( 上 ) に伝えていただくように願う。

また【 并 】の意味は【 併せて 】【 同時に 】【 一緒に 】という意味です。
つまり使者の梯雋は【 詔書と印綬 】そして、詔書に齎( もたら )されている ( 記載されている ) 【 金 帛 錦○ 刀 鏡 采物 】を一緒に差し上げたことになります。
 
こんな簡単な文章ぐらい、間違えたりしないで欲しいものです。
 




106 魏帝の【 詔書 】の訳 wajin128 投稿日: 2020年08月24日 18:42:31 No.2353 【返信】

①、【 悉可以示汝國中人使 知國家哀汝 故鄭重賜汝好物也 】
 
 使いは悉くを汝の國中の人に示し、
 國家は以って、汝への『 哀 』を知らす。
 汝の好物を、故に鄭重に賜う也。
 
②、【 正治元年 太守弓遵遣建中校尉梯雋等 】
 
 正治元年 ( 240年 )
 帯方太守弓遵は建中校尉梯雋を遣わす
 
③、【 奉詔書印綬詣倭國 拜假倭王 并齎詔賜金 帛 錦○ 刀 鏡 采物 倭王因使上表答謝恩詔 】
 
 梯雋は倭國を訪問して、詔書印綬を奉げて倭王に拜假す、
 併せて詔により、贈物 金 帛 錦○ 刀 鏡 采物 を賜う、
 因って倭王は恩詔に答謝し使いに上表した。
--------------------
①、②、③、は連続した文章になっていますが、各節に区切った読み下しではこのようになります。
 
私は【 哀 】を【 汝の働きには感謝している 】と訳しています。
皇帝の詔書の中で【 哀 】の文字は二度使用されています。
 
①、【 知國家哀汝 】
②、【 汝所在踰遠 乃遣使貢獻 是汝之忠孝 我甚哀汝 今以汝為親魏倭王 】
 
 汝の所在は遥か遠くに有るも、
 使いを遣わし貢獻したるは、これ汝の忠孝とみる。
 我は甚だ汝を『 哀 』む、
 以って現在より、汝を親魏倭王と為す。

【 親魏倭王 】とは【 魏の友邦 ( 同盟国 ) 倭の王 】という意味です。
したがって【 哀 】の意味が大変重要なことは、この文章が示しています。
また中国では【 并 】は【 一括して ( 合在一起 )】【 同時に ( 一斉 )】の意味wです。
 
また【 齎 】とは【 贈物 】のことです。
これらの文章を見れば【 悉くを 】示す使いが【 建中校尉の梯雋 】だということは明白です。
そして【 梯雋 】は『 哀 』を知らせるために、倭を訪れたことになっています。
 
『 哀 』の意味は、具体的に晉書 四夷傳に記されています。
 
 晉書 四夷傳
【 宣帝之平公孫氏也其女王遣使至帶方朝見其後貢聘不絶 】
 
 宣帝は公孫氏を平定した。
 ( 公孫氏の平定に協力した ) 其の女王は、使者を帯方郡に派遣して朝廷に謁見した。
 其の後も貢物を介しての、同盟国の訪問はその後も続いた。
 
文字『 聘 』の意味は『 古代に国家を代表して、同盟国を訪問することを指す ( 古代指代表国家訪門友邦 )』とあります。
この文章に女王は魏の公孫氏平定に協力したとあります。
 
すかさず使者を遣わして魏の朝廷を訪問したとありますが、この使者について倭人伝では次のように記載されています。
 
【 景初二年六月倭女王遣大夫難升米等詣郡求詣天子朝獻 】
 
 景初二年 ( 238年 ) 六月
 倭の女王は大夫難升米等を郡に遣わし、天子朝廷への献上を求めた。
 
公孫氏が殺害されて滅びるのが、同年の八月のことですから、そのわずか二ヶ月前の出来事ということになります。
 
【 太守劉夏遣吏將送詣京都 】
 
 太守劉夏は軍吏を遣わし将軍を京都に送る。
 
将軍とは『難升米』のことです。
また『京都』とは魏の都の洛陽のことです。
 
これで【 哀 】を【 汝の働きには感謝している 】と訳した理由を、理解して頂けたと思います。
また【 難升米 】は、二度も【 黄幢 】を授かっています。
 
【 其六年 詔賜倭難升米黄幢 付郡假授 】
【 遣塞曹掾史張政等因齎詔書 黄幢 拜假難升米為檄告諭之 】
 
【 黄幢 】を授かることのできる人物は、魏の正規兵で最高指揮官だけです。
つまり【 難升米 】は、魏の同盟国 ( 倭 ) の最高軍事指揮官 ( 総大将 ) だったということになります。
 
そして 難升米 が【 黄幢 】を掲げて戦った相手が【 狗奴國男王卑彌弓呼 】だとすれば、【 卑彌弓呼 】は魏の朝敵だったということになります。
公孫氏と同じく【 呉 】との関係が疑われます。
 




105 【 諸市買皆用鐵 】の意味 wajin128 投稿日: 2020年08月24日 16:31:00 No.2352 【返信】

『 三國志 』 魏書第三十烏丸鮮卑東夷傳 弁辰条
【 國出鐵、韓、濊、倭皆從取之 】
 
 國は鐵を産出する。
 韓、濊、倭は皆で之を取る。
 
【 諸市買皆用鐵、如中國用錢 】
 
 市場の売買では皆、中國で貨幣を用いるように鉄を使う。

【 兵用矛 楯 木弓 木弓短下長上 竹箭或鐵鏃或骨鏃 】
【 其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂 】
--------------------
福岡県の福岡平野や筑後川流域 ( かつての妻の地域 ) あるいは熊本平野から、弥生時代の大量の鉄の鏃 ( やじり ) が出土しています。
弥生時代の鉄は大変な貴重品でした。
 
したがって土器のように廃棄したとは考えられません。
当然鏃に使用された鉄も、鉄剣と同様に後世に伝承されたことでしょう。
では何故大量の鉄の鏃が出土したのでしょうか ?
 
おそらく実戦で発射された矢が、土中に埋もれたり、身体に刺さったり、あるいは藪の中に入り込むなどして回収されなかったものが、後になって発見されたものと想像します。
 
つまり鉄の鏃が大量に発見された地域では、激しい戦闘が行われたものと考えられます。
魏志倭人伝の【 倭國亂 】の地域と見て間違いないでしょう。
 




104 【 所謂 】の訳 wajin128 投稿日: 2020年08月24日 14:16:01 No.2351 【返信】

『 隋書 』 倭( 俀 )國伝
【 都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也 】
 
 邪靡堆の都は、
 すなわち魏志で言う所の邪馬臺なり。
 




103 【 周旋可五千餘里 】とは wajin128 投稿日: 2020年08月24日 13:44:35 No.2350 【返信】

【 參問倭地 絶在海中洲島之上 或絶或連 周旋可五千餘里 】
 
 倭は孤島の上に在り、この地の集落は、連なりあるいは点在している
 これらを一巡すると五千餘里になる
 
【 海岸水行 歴韓國 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里 】
 
この文章によれば、郡から韓國の狗邪までの距離は【 七千餘里 】とあります。
すると五千餘里は、韓国の西海岸の長さと同等でしょう。
この長さでは北九州を一周する程度です。
 
中国の辞書に【 國 】の意味は【 古代諸侯の冊封の地域 】とあります。
したがって【 韓國 】とは【 韓王の領土 】という意味になります。
【 狗邪韓國 】は【 狗邪は韓王の領土 】と訳します。
 
狗邪韓國を固有名詞と勘違いしている人もいるようですが、中国語と古代史を学習する必要があります。
 




102 【 黒齒 】の読み wajin128 投稿日: 2020年08月23日 21:03:51 No.2349 【返信】

【 黒齒 】の【 黒 】は【 くろ 】の意味では有りません。
この【 黒 】は【 里 】を形声文字にしたものです。
【 黒 】の義符は【 里 】そして声符は【 ,,,, ( 下の四つの点 )】です。
 
【 ,,,, ( 四つの点 )】は【 火 】を表し、読みは【 か 】もしくは【 くぁ 】です。
古代の漢字【 里 】は本来世帯数を表す【 量詞 】です。
魏志倭人伝では世帯数を表す【 量詞 】に【 戸 】と【 家 】を使用しています。
 
【 戸 】は一戸建ての世帯数を表し、【 家 】は集合住宅の世帯数を表しています。
【 家 】は本来【 豚小屋 】を表す漢字です。
古代中国では世帯単位で家畜の豚を飼育しています。
 
そこで豚小屋の数を数えることで、集合住宅の世帯数を数えたとあります。
やがて【 家 】あるいは【 戸 】は、世帯数を表す【 量詞 】となったようです。
 
それ以前は【 里 】あるいは、【 里 】の形声文字【 黒 】が世帯数を数える【 量詞 】だったようです。
やがて【 里 】は行政区画を表す【 量詞 】となり、【 黒 】は【 家 】と【 戸 】に取って代わります。
 
また【 齒 】をピンインでは【 chi3 ( ち )】と発音します。
したがって【 黒齒 】の読みは【 かち 】あるいは【 くぁち 】になります。
おそらく【 黒齒 】とは【 河内 】のことだと思われます。
 




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