雑銭掲示板Ⅱ


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広郭手 反郭銅母銭
関西のT 投稿日:2023年11月18日 05:40 No.893
反郭円郭の類は類似貨幣カタログでは本座に移り、一昔前の多くの銭譜では不知銭類に在籍しているのは周知の事実となっています。
今回は反郭円郭類“かもしれない“母銭を入手したので投稿します。

一目見て...本座では考えづらいですね。
本座母銭と比べて製作が劣り、銅色もやや茶色っぽく、鋳ホールだらけ。
ただ無刻印で嵌郭跡はハッキリしてるし、砂も當字辺りにたくさん付着している。
けど銭文径などのサイズが本座母銭より0.3mm程小さいのが謎ですね。
大きく歪んでるのは廃棄したから??

これが紀州天保なら夢があるんですが...
この子銭をどなたかお持ちでないですか?

長径:49.90mm /短径:33.05mm/
銭文径:41.90mm

追記
本日は珍品揃いのオークション開催日ですね‼︎
私はネット入札含め不参加ですが、参加される皆様のご検討をお祈りしています。


四国のK 投稿日:2023年11月19日 22:07 No.901
関西のT様
お世話になります。広郭母銭も集めてみると、
個々に違いがあってとても面白いですね。
私も最近、嵌郭痕は有るものの、これ本座?って、
思われる品を入手したので、画像送らせていただきます。
見てやってください。
長経50.0銭文経41.8 輪側にはテーパーが取られていて
背がやや濶縁になります。


七時雨山 投稿日:2023年11月20日 13:49 No.903
広郭の天保銭は、弘化4年から慶応4年まで金座により、断続的に浅草橋場において鋳造されていた。
慶応4年3月16日金座の鋳造所は閉鎖され、同4年4月26日からは新政府の貨幣司によって真崎鋳造所において天保銭の鋳造が再開された。
明治2年2月5日造幣局が開設されたことにより貨幣司は廃止された。
明治2年10月18日北海道開発資金捻出のため新たに出納司により天保銭の鋳造が開始され、出銭は北海道に送られ使用された。
出納司は明治3年8月5日に廃止され、天保銭の鋳造は終了した。
このように3度に渡り広郭天保銭が鋳造されていて、その度に質が低下していった様です。職人は金座時代の職人がそのまま従事していたようです。
当然に原料の調達先も変化し、銅質も変化していったと想像できます。母銭も次第に縮小していったことが推測されます。
長径50ミリ、銭文径42ミリ前後が金座によるものと考えて良いのではないでしょうか。
他に幕末に官軍が江戸に入った際に、銭座等を接収し母銭等を持ち出し、関東以北で使用したという説もあります。現に東北地方から変色した母銭が見つかっています。
このような事情により新政府が発行した天保銭を水戸正字と誤認したと考えられています
すでに手放してしまった物ですが、参考までに銭文径が41.65ミリの広郭母銭を掲示します。


七時雨山 投稿日:2023年11月20日 14:28 No.904
昔、水戸正字母銭と言われていた物を掲示します。
面は砥石仕上げされていますが、背は未仕上げ状態です。
たぶん、出納司で使用された母銭ではないでしょうか。


関西のT 投稿日:2023年11月23日 23:57 No.906
四国のK様、七時雨山様

折角投稿頂いたにも関わらず、お返事遅くなりすみませんでした。
御二方と銭文径は大きな通用銭のそれと同じですね...
手持ちの一番大きな広郭通用銭の銭文径が41.75でしたので、製作も相まって不知広郭手の母銭と私なら判断していたでしょう。
四国のK様のは面側の輪には覆輪跡?な訳ないですよね。
本座ですし。

ところで背平研ぎなしの旧 水戸正字母は面白いですね!
後になるたびに作業は簡略化されていったという話はよく聞きますが、本座は端正な正確であるという先入観があれば水戸に割り振られるのも頷ける気がします。
一つ上のはそもそも銅色が白っぽい様に見えるし、鋳穴でしょうか、本当に本座の母銭かと疑ってしまうくらい、従来のイメージと異なるのが面白い‼︎

今回の添付画像は、七時雨山様の一つ目の画像の様な母銭から恐らく出来たであろう鋳穴だらけで鋳ざらい跡のある焦茶色の通用銭です。

御二方ともありがとう御座いました‼︎




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