青弐斎様
薩摩銭ですが、こういったものは珍しい物でありません。
東北で、雑銭など購入すると、薩摩の後期銭は大体このような出来の悪いものが多いようで、前期銭と同じ鋳地とは思えぬほどです。
天保銭の密鋳は儲かるとおっしゃる方が大半ですが、私は商売になるほど儲からないと思っています。大幅な利益が出たとしたら、薩摩くらいかしら。水戸、秋田あたりもプラスか。でも、この後期銭のころには利益は出無くなっていると思います。利益が出ていた、前期銭のころから、物価は倍になっています。物価が倍なら価値半減で赤字です。そのため少しでも手間をかけぬよう手を抜いたことでしょう。
1文銭6枚くらいで、天保銭1枚などと勘違いする場合もありますが、天保銭の時代の1文銭は鉄銭。銅銭は100年も前に製造をやめていて、増歩がついて流通しています。
明治の20円金貨を鋳つぶして10万円金貨を造ったら199,980円儲けとは言えぬでしょう。
それでは、なぜ天保銭を造ったのでしょうか?
信用がなく、藩札が通用しなかったからと思います。
紙の藩札が通用すれば、面倒くさい天保銭など作る必要はありません。藩札に信用があるところでは天保銭を造る必要がなく、天保銭を造っている藩の藩札は、明治時代の交換率が他の藩より大幅に劣っています。
東北に攻め込んできた、薩、長、土、現地の人から見たら、タリバンや、ロシア軍のように見えたはずです。言葉も通じなかったはずで、ロシアよりも恐ろしかったはずです。大口の取引は、脅迫でもして、藩札を使用したかもしれないが、末端では天保銭を使わないと、強盗でもしなければいけなかったのではないでしょうか。 |