特別快速「せんり2号」関西大学鉄道研究会OB会掲示板


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ここは何処シリーズ6
管理人 投稿日:2022年07月16日 10:57 No.114
[692] ここは何処?4
投稿者: 快速つくばね 投稿日:2021年 9月 6日(月)16時23分21秒 通報 返信・引用 編集済

GET A 様
 失礼しました。機番とヒントから分かるだろうと思っていました。
 今回は、関西とGET A様が訪問されたことのある東日本です。時代はいずれも昭和40年代(1965~1974)です。

 写真1は、現在地下駅になっています。
 写真2は、後追い写真ですが、最後尾のクハ79は戦争中にクハ58形から4扉に改造されたもののようです。
 写真3は、ここから先の本線は、現在廃線となってしまいました。


管理人 投稿日:2022年07月16日 11:28 No.121
[693] Re: ここは何処?4
投稿者: GET A 投稿日:2021年 9月 9日(木)18時56分51秒 通報 返信・引用 > No.692[元記事へ]

快速つくばね様

1枚目入線してくるのは近鉄700のようです、近鉄で地下化された駅は難波、奈良でしょうが、手前に京阪らしき電車があるのと、近鉄が2両ですので相互乗り入れをしていた京阪三条と思います。
2枚目はあまり好きでない73型で関東、景色も特色もなく、さっぱり判りません私が東京に行ったのは1968年が初めてでそんなにあちこちも行っていないのと他のOBもいろんな年代がおりますので多くの人の回答出来るものが欲しいものです。
3枚目もよく判りませんが、機関車が多く映っているので横川かと思います。
増田さんならわかると思います。
横川も2013年に碓氷峠鉄道文化村に行ったのが初めてです。

写真1:1966年近鉄線を走行中の京阪1000
写真2:2013年横川でのC61
写真3:1975年地下化前の七条3000


管理人 投稿日:2022年07月16日 11:25 No.120
[694] Re: ここは何処?4
投稿者: 山内崇章 投稿日:2021年 9月 9日(木)21時11分46秒 通報 返信・引用 > No.692[元記事へ]

快速つくばね様
貴重な写真ありがとうございます。
1枚目は地上駅時代の近鉄奈良(820系が写っている)かと思ったら確か奈良駅を出たらすぐ道路上に出るので、京阪三条でしょうか。横にしれっと京阪1900系の新造車グループが写ってますし。確か昔は近鉄奈良ー京阪三条、近鉄京都-京阪宇治で直通運転していた様ですね。
※一体何歳なんだというツッコミは無しでお願いします

2枚目は山陽本線、今でいうJR神戸線の鷹取ー明石のどこかでしょうが、最後尾のクハ79はクハ58の戦時改造車で、さらにこの時代に急行札差しが残ってますね(飯田線や身延線で活躍していた関西省電から転入した車両で残っていた車両にもごく一部あったようです)。3両目はクハ55のノーシルノーヘッダーで4両目はクモハ73かモハ72の全金属車に見えますね。
戦前の省電はモハ40系列(17M車のモハ33と34含む)以降には車両中央部にささやかながら行先方向幕が設置されて、電車のアルバムによれば関西では活用されていた様です(戦時中いつしか使われなくなったと思われます)。クモハ31では撤去されず残っていた車両もあった様です。
※一体いつ産まれたんだというツッコミは無しでお願いします。

3枚目は碓氷峠の横川ですね、ただし行ったことありません。


管理人 投稿日:2022年07月16日 11:21 No.119
[695] ここは何処?4-1
投稿者: 快速つくばね 投稿日:2021年 9月11日(土)16時16分20秒 通報 返信・引用 編集済

GET A 様
山内崇章 様

 正解です。京阪電鉄の三条駅です。駅名が京阪三条でなく三条であることを初めて知りました。信越本線や高松琴平電気鉄道琴平線と同じですね。この写真は、特急1900形が停車している2番線の3番線側のホームから、近鉄奈良発の近鉄820系電車が4番線に入線するところを撮りました。
 直通運転(相互乗り入れ)の歴史は明治時代に遡りますが、戦後いち早く1945年12月21日に丹波橋駅を介して京阪神急行電鉄京阪線(現、京阪本線)と奈良電気鉄道線(現、近鉄京都線)が直通運転を開始しました。1963年10月1日に近鉄が奈良電気鉄道を合併して京都線となり、近鉄の電車が三条まで乗り入れるようになりましたが、近鉄側の架線の昇圧、ATCの変更などの理由により1968年12月20日をもって京阪本線・宇治線-近鉄京都線・奈良線の相互直通運転が廃止となりました。結果として近鉄電車が三条に乗り入れていたのは約5年間でした。
 三条駅のホームは、特急が有効長の長い2番線を使用し、急行が3番線を使用していました。特急の途中停車駅は、北浜、天満橋、京橋、七条、四条の5駅で、20分ヘッドで運転していました。途中で急行を追い越さなかったため、淀屋橋、三条とも急行が先着し、直後に入った特急が折り返し先発してから、急行が次発となるダイヤになっていました。三条駅では、この時急行に乗車するための構内踏切を特急が塞いでしまうため、特急は両側のドアを開け車内を通って急行に乗車していました。特急が発車する直前に、「右側のドアが閉まります」と車掌が案内し、暫くしてから発車合図と同時に左側のドアを締め発車していました。冬の京都は鴨川を渡ってくる風が車内を通り抜け、二つドアといえ寒かったことと思います。
 1番線は京津線の6番線との連絡線がありましたが、有効長が短かったため、淀屋橋行や京阪宇治行の普通列車専用となり、4番線は近鉄の乗入列車や準急が使っていました。

「京阪特急」(天満橋から三条へ)https://www.youtube.com/watch?v=kwNktX-PtwE
YouTubeに色々なバージョンがありますが、これが一番好きです。画像は1900形でなく3000形ですが。


管理人 投稿日:2022年07月16日 11:11 No.118
[698] Re: ここは何処?4
投稿者: 増田純一 投稿日:2021年 9月13日(月)16時03分5秒 通報 返信・引用 > No.692[元記事へ]

写真1は、京阪三条駅の地上時代ですね。

写真2は、山陽本線須磨~塩屋間、須磨浦公園辺り、後ろの上に山陽電車の信号機も写っています。

写真3は、信越本線の峠道 横川機関区を左に見て軽井沢へ登って行く下り列車ですね。

私の撮ってある写真を添付します。
なんせ今から50年程前の写真です。腕も下手ですしカメラも性能が悪くて見にくいですが笑覧下さい。


管理人 投稿日:2022年07月16日 11:08 No.117
[701] ここは何処?4-2
投稿者: 快速つくばね 投稿日:2021年 9月14日(火)22時22分51秒 通報 返信・引用

GET A 様
山内崇章 様
増田純一 様

 答えは、ご指摘通り山陽本線の須磨-塩屋間です。現在の須磨海づり公園の建物がある付近です。
 モハ42グループを戦時改造で4扉化した形式は、関西地区の急電を種車にして吹田工機部、鷹取工機部で改造され、改番後最終的に片運のクモハ31、両運のクモハ32、クハ79(79031~79056欠番あり)となりました。戦後の一時期一部の車両が都落ちして、東ナハ、千ツヌに転属しましたが、田舎の水に馴染めず、すぐに関西地区に舞い戻り、最終的に全車大タツ、大ヨトで廃車になりました。
 それにしても山内崇章さんは、省線電車のことをよくご存じですね。その時代を見ていたようなコメントです。私も戦後生まれですが運輸省鉄道総局が独立採算制で国の公共企業体の日本国有鉄道になったのが1949年6月1日ですので、この時、省線電車から国電に変わりました。私も省線電車に乗った経験はありませんが、高校、大学時代は通学時に片町線のクモハ31、クモハ32、クハ79に乗車していました。
 国鉄の複々線区間は、関東地区は列車線と電車線が分離する線路別複々線、関西地区は方向別複々線が基本ですが、理由は分かりませんが山陽本線の新長田-西明石間は線路別複々線になっています。ここで電車が右から二番目の線路を逆行しているのでこの場所は、この区間になります。また左側の上方に鉄道の信号機が見えますが、関西の複々線区間(この時点では京都-西明石間)で私鉄が並行している区間があるのは阪急京都線・神戸線と山陽電鉄本線だけです。
 同日に撮影した画像の一部を貼り付けます。

*写真1:EF58の牽引する下り荷物列車です。
*写真2:宇野線大元駅に甲種輸送される江若鉄道のキニ13(前位)とキハ12
 江若鉄道は1969年11月1日 に全線廃止となり、同時に国鉄の浜大津-膳所間の貨物営業も廃止されました。このうちキハ12とキニ13は岡山臨港鉄道へ譲渡され、キハ5001とキハ5002になりました。この日貨物列車を撮影していると、偶然最後尾にこの2両が連結され甲種輸送されているのが撮影できました。関東鉄道にも総括制御化された5両が譲渡されましたが、同様に東海道本線を上り、山手貨物線を通過して常磐線取手駅まで回送されたようです。新宿駅を通過する江若鉄道の脆弱な車両を見てみたかったです。
*写真3:山陽電鉄須磨浦公園駅で折り返す阪神電車の本線特急梅田行


管理人 投稿日:2022年07月16日 11:04 No.116
[702] Re: ここは何処?4-2
投稿者: 快速つくばね 投稿日:2021年 9月16日(木)18時55分20秒 通報 返信・引用 編集済

 追記します。
 この時、どうして須磨に行ったのか思い出してみました。社会人一年生で東京から大阪に帰省する時、大阪市内往復より601キロ以上の往復割引1割引が適用され当時の運賃で160円安くなる東京都区内-垂水(602.6キロ)の乗車券を購入し、須磨で途中下車をしました。最近、長距離のノーマルな乗車券を購入することは滅多にありませんが、現在は垂水が神戸市内駅になったため、神戸駅で算出され往復割引は効きません。東京都区内を発駅として明石市内に入る朝霧(606.5キロ)~御着(640.0キロ)間を着駅として往復乗車券を購入すると大阪市内往復より200円、神戸市内往復より1,300円安くなります。
 同様に大阪市内から東京都区内を考えると601キロ以上の駅を着駅として往復乗車券を購入すると安くなる場合があり、大阪から東京までの営業キロ程は556.4キロですので、601キロ以上に適用される往復割引にするためにはあと44.6キロ以上先の駅を着駅にする必要があります。東京を通り越して合計が601キロ以上になる駅は、時計回りに中央本線・八王子、青梅線・牛浜、川越線・川越、高崎線・北本、東北本線・新白岡、常磐線・藤代、成田線(我孫子支線)・新木、総武本線・四街道、外房線・鎌取、内房線・浜野の10駅(武蔵野線などは一部省略)になります。
 現在本州3社の遠距離低減制の普通運賃は、東京-大阪間の営業キロは556.4キロですので、541~560キロの8,910円が適用されます。これ以上の601キロまでの運賃表を整理すると、

営 業 キ ロ  片道運賃   往復運賃  有効期間  適   用
541~560キロ  8,910円  17,820円  4日間
561~580キロ  9,130円  18,260円  4日間
581~600キロ  9,460円  18,920円  4日間
601~640キロ  9,790円  17,620円  5日間   往復割引適用
*有効期間は、片道の場合で往復の場合は2倍になります。

となります。例えば大阪市内から立川、大宮、取手、千葉への乗車券を往復で購入する場合は、片道9,460円の区間ですから、往復で18,920円となりますが、その先の駅で購入すると17,620円で1,300円安くなり、往復で有効期間が2日増え、順路であれば東京都区内の途中下車も可能になります。
 さらに601キロを超えると営業距離の区切りも20キロから40キロになりますので、実際は東京から83.6キロ先のもっと遠距離まで行けます。具体的には鳥沢(中央本線)、岡部(高崎線)、小山(東北本線)、高浜(常磐線)、松尾(総武本線)、上総一ノ宮(外房線)、君津(内房線)などです。制度には矛盾がつきものですが、往復運賃の場合東京都区内より小山を着駅にした方が安くなってしまいます。
 細かい話ですが、往復割引の効かない片道乗車券で東京都区内に隣接する駅に大阪から乗車する場合は東京都区内までの乗車券を購入し、乗り越し運賃を払った方が安くなります。具体的には吉祥寺(中央本線)、川口(東北本線)、松戸(常磐線)、市川(総武本線)および舞浜(京葉線)はいずれも大阪から9,130円です。
 この時、JRの運賃計算制度で、片道の営業キロが101キロ以上の乗車券を使用して乗り越しする場合は、運賃の差額ではなく券面表示の着駅から下車駅までの運賃を収受するとなっていますので、1駅間の運賃を払えばよいことになります。西荻窪-吉祥寺、赤羽-川口、小岩-市川、葛西臨海公園-舞浜間はいずれも140円(金町-松戸間のみ160円)ですので、8,910円+140円=9,050円で80円安くなります。

 ネットを検索していましたら、江若鉄道の車両が関東鉄道に甲種輸送された時のC22M形ハ5010(もとキニ10)の「送り状」がでていました。実物は縦書きですが内容を転載します。
発 駅:浜大津
着 駅:常磐線 取手
荷送人:江若鉄道KK
荷受人:関東鉄道KK
(車両の大きさ)
高 さ:3840粍
 幅 :2732粍
長 さ:19453粍
自 重:21.50屯
換 算:2.2両
限 界:第二限界
単独留置禁止・空気ブレーキ使用可・連結注意・突放禁止
輸送番號:大481號

 ハ5010のドアには「‘ハ5010號よ’無事故で頑張れ 関東鉄道の皆様可愛がってやって下さい -江若鉄道鉄道部一同-」の紙が貼り付けられていました。


管理人 投稿日:2022年07月16日 11:01 No.115
[703] ここは何処?4-3
投稿者: 快速つくばね 投稿日:2021年 9月19日(日)22時53分21秒 通報 返信・引用 編集済

GET A 様
*横川駅のこの角度の写真は初めて見ました。C61が入線しているホームは、昔下り「あさま号」が停車し、立木のある後方で峠のシェルパEF63を連結していました。
*GET A様、豊富な写真のデータベースから「ここは何処?」の出題をお願いします。
山内崇章 様
増田純一 様

 ご指摘の通り信越本線の横川駅構内です。
 1969年11月22日、霧積温泉に泊まりに行ったときに撮影しました。霧積温泉は、後年の1975年に森村誠一氏の長編推理小説『人間の証明』で有名になりましたが、当時は旅館に電気や電話が通じていなく、予約も横川駅で台帳管理されており鉄道電話により申し込みを受け付けていました。まさに駅長さんがお薦めする旅館でした。
 その時初めて碓氷峠に臨み、翌日小諸まで客車列車で往復しました。鉄道同好会(研究会の前身)の小海線合宿は、2回とも長野方面から小諸を経由して小海線に入っていたため、この時ようやく信越本線、高崎-小諸-直江津-新潟を完乗することができました。
 残念ながら増田会長と少し世代に差があるため、既に1963年にEF63形重連の補機連結による粘着運転方式に切り替わっていたので、アプト式時代の横軽線に乗車することはできませんでした。それでも粘着運転時代の横軽対策をした169系、189系、489系、キハ57などが空気バネをパンクさせ横川-軽井沢間を走行する時のレールと台車のゴツゴツという振動がシートに直接伝わった乗り心地の悪さを忘れることができません。

 40年後の廃線となってからの2009年11月28年の写真を張り付けておきます。

*写真1:横川駅。今でも駅前に「峠の釜めし」を販売する荻野屋横川本店があります。
*写真2:横川運転区跡地の「碓氷峠鉄道文化むら」




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