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[695] ここは何処?4-1 投稿者: 快速つくばね 投稿日:2021年 9月11日(土)16時16分20秒 通報 返信・引用 編集済 GET A 様 山内崇章 様  正解です。京阪電鉄の三条駅です。駅名が京阪三条でなく三条であることを初めて知りました。信越本線や高松琴平電気鉄道琴平線と同じですね。この写真は、特急1900形が停車している2番線の3番線側のホームから、近鉄奈良発の近鉄820系電車が4番線に入線するところを撮りました。  直通運転(相互乗り入れ)の歴史は明治時代に遡りますが、戦後いち早く1945年12月21日に丹波橋駅を介して京阪神急行電鉄京阪線(現、京阪本線)と奈良電気鉄道線(現、近鉄京都線)が直通運転を開始しました。1963年10月1日に近鉄が奈良電気鉄道を合併して京都線となり、近鉄の電車が三条まで乗り入れるようになりましたが、近鉄側の架線の昇圧、ATCの変更などの理由により1968年12月20日をもって京阪本線・宇治線-近鉄京都線・奈良線の相互直通運転が廃止となりました。結果として近鉄電車が三条に乗り入れていたのは約5年間でした。  三条駅のホームは、特急が有効長の長い2番線を使用し、急行が3番線を使用していました。特急の途中停車駅は、北浜、天満橋、京橋、七条、四条の5駅で、20分ヘッドで運転していました。途中で急行を追い越さなかったため、淀屋橋、三条とも急行が先着し、直後に入った特急が折り返し先発してから、急行が次発となるダイヤになっていました。三条駅では、この時急行に乗車するための構内踏切を特急が塞いでしまうため、特急は両側のドアを開け車内を通って急行に乗車していました。特急が発車する直前に、「右側のドアが閉まります」と車掌が案内し、暫くしてから発車合図と同時に左側のドアを締め発車していました。冬の京都は鴨川を渡ってくる風が車内を通り抜け、二つドアといえ寒かったことと思います。  1番線は京津線の6番線との連絡線がありましたが、有効長が短かったため、淀屋橋行や京阪宇治行の普通列車専用となり、4番線は近鉄の乗入列車や準急が使っていました。 「京阪特急」(天満橋から三条へ)https://www.youtube.com/watch?v=kwNktX-PtwE YouTubeに色々なバージョンがありますが、これが一番好きです。画像は1900形でなく3000形ですが。
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