特別快速「せんり2号」関西大学鉄道研究会OB会掲示板


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ここは何処シリーズ5
管理人 投稿日:2022年07月15日 12:21 No.108
[685] ここは何処?3-1
投稿者: 快速つくばね 投稿日:2021年 8月 7日(土)23時00分28秒 通報 返信・引用

 「ここは何処?」の第3弾です。今回は、8枚組の絵葉書「さりゆく蒸気機関車」をスキャンした問題です。三回に分けて出題します。
 この絵葉書は、高橋文雄氏が撮影し、題字は千葉春湖氏が揮毫して、日本交通出版株式会社から発売されました。全国各地シリーズものとして発売されたようですが大半が、モノクロ仕様となっています。
 通常ハガキの郵送料金が7円となっていますので発売されたのは、昭和41年7月1日から昭和47年1月31日までの間です。今回のものは東日本が中心でカラー版として発売され、当時の日本国有鉄道広報部が、記念に以下のような文章を寄せています。

さりゆく蒸気機関車
 動力の近代化は、鉄道から蒸気機関車を追いやる。雨の日も風の日もあった永い年月、汽笛一声新橋を……以来、走りつづけてきた蒸機。その役割を電気機関車、ディーゼル機関車にゆずり、すべてがあと数年で消えゆく運命にある。国鉄のめざましい体質改善で旅から煙が無くなっていくのは喜ばしいが、蒸機との惜別の情、胸にせまるものがある。

 今回は、駅名(区間)までは難しいと思いますので、線名をお答えください。

*画像1:表紙です。機番は9687です。現在も単線ですが、電化され10両編成の快速電車が走っています。
*画像2:機番はC6244です。後方の山容がヒントです。
*画像3:機番はC609です。現在は第三セクター会社が運営しています。


管理人 投稿日:2022年07月15日 12:36 No.113
[687] Re: ここは何処?3-1
投稿者: 山内崇章 投稿日:2021年 8月12日(木)08時10分7秒 通報 返信・引用 > No.685[元記事へ]

快速つくばね様
貴重な資料ありがとうございます。大阪万博に生まれた世代にとって、SLといえば子供の頃は梅小路蒸気機関車館かやまぐち号(なぜかKATOのC 57 1は山口号になってましたが)でしたが、JRになって復活蒸気機関車が増えるとは思いませんでしたが。それでは答えます(こういう時苦し紛れのわかりませんや日本のどこかって答える人もいる)。

写真1、川越線の有名な鉄橋ですね。しかしよく架線の限界がトラス橋に引っ掛からなかったですね。因みに埼京線は205より103の方が好きです。
写真2、函館本線の五稜郭~長万部。鉄道で北海道行った事ありません。
写真3、東北本線の盛岡~青森間、鹿児島本線の八代~川内間と迷いましたが複線の様に見えたので東北本線かと思いました。因みに同じ583のボックスシートでもきたぐにとはつかりでは雰囲気が全然違いました。

近況報告、最近また模型を再開しました。学生時代と違って細かいパーツが面倒です。それ以上に値段高くなりすぎなんですが。


管理人 投稿日:2022年07月15日 12:34 No.112
[688] ここは何処?3-2
投稿者: 快速つくばね 投稿日:2021年 8月12日(木)21時53分22秒 通報 返信・引用 編集済

山内崇章 様
 コメントありがとうございます。3-1の回答はすべて正解です。
 写真1は、ご指摘通り川越線、指扇-南古谷間の荒川橋梁です。この写真は、南古谷側の上流方面から撮った画像です。この線は、1985年9月30日の池袋-大宮間の愛称名埼京線の開業と同時に全線が電化され、大宮-川越間は埼京線と一体化し東京方面への直通運転が行われています。現在の光景も、架線柱と風防柵が設置された以外は50年前とほとんど変わっていません。
 この橋梁は、荒川の治水を目的とした堤防嵩上げ工事の支障となるため、本橋梁を架け替えることが決定し、本年7月28日付けで関東地方整備局とJR東日本大宮支社は、「一級河川荒川改修事業に伴うJR川越線荒川橋りょう改築工事に係る基本協定」を締結しました。
 JR川越線荒川橋りょう改築工事の概要(国土交通省関東地方整備局)

 写真2は、函館本線、内浦湾(噴火湾)に沿って石倉-落部間を走る105列車急行「ていね号」です。([678] Re: ここは何処?2-2を参照)後方の山は北海道駒ケ岳です。高台を並走する国道5号から撮影したものと思われます。

 写真3は、東北本線(現、いわて銀河鉄道線)、御堂-奥中山間を走る535列車です。電化以前の東北本線(東京-青森間)における、最大の難所は、奥中山(現、奥中山高原)-小繋間の十三本木峠(中山峠)を越える通称「奥中山越え」でした。奥中山駅は、東北本線の最高地点(標高427m)に当たり、最大23.8パーミルが連続するこの区間を蒸気機関車時代は、峠を挟み北側の一戸には機関区が、南側の沼宮内にも機関区支区が置かれ、峠を行き来するほとんどの列車に補機がつけられていました。第二次世界大戦後は1000トン級の重量貨物列車を中心に、前補機を二両としたD51の三重連運転をしていました。

(追伸)山内崇章様:是非とも製作中の模型をこの掲示板で見せてください。

*写真1:機番はD6023です。建設中は平郡東線と平郡西線に分かれていましたが、全通後、現在の線名になりました。
*写真2:機番はC1146です。2011年7月から水害により不通になっていましたが、来年(今年)漸く上下分離方式で全線復旧します。
*写真3:機番はC56144です。ヒントはありません。


管理人 投稿日:2022年07月15日 12:31 No.111
[689] ここは何処?3-3
投稿者: 快速つくばね 投稿日:2021年 8月19日(木)21時39分24秒 通報 返信・引用 編集済

 3-2の解答です。
 写真1は、磐越東線江田信号場(現、江田駅)付近を走る767列車です。磐越東線は、平(現、いわき)側と郡山側の両方面から工事が進められ、両駅名をとって平郡東線、平郡西線と呼ばれていました。1917年10月10日に小川郷-小野新町間が延伸開業・全通したことにより、磐越東線となりました。この時同時に郡山-新津間の岩越線が磐越西線に改称されました。この線は、常識とは逆に、通常は旅客列車をD60が、貨物列車を8620形が牽引していました。

 写真2は、只見線、大白川-柿ノ木(2015年3月14日廃止)間の133列車です。只見線は、若松(現、会津若松)から会津線として1941年に会津宮下まで、小出からは1942年に大白川までが只見線として開業しました。戦後は、田子倉ダムの建設工事に伴い、会津川口、只見と路線を延伸し、1971年、「只見中線」として建設されていた只見-大白川間が開業して全通を果たしました。
 2011年7月の新潟・福島豪雨により、只見線は小出-会津坂下間が不通となり、現時点でも会津川口-只見は不通のままとなっています。復旧については紆余曲折がありましたが、JR東日本と福島県の間で上下分離方式による鉄道復旧が合意され、運転再開・全通について「2022(令和4)年度中を目指す」ことが発表されています。

 写真3は、小海線、清里-野辺山間の境川橋梁を渡る「八ヶ岳高原号」9133列車です。1965年の夏合宿で訪れましたが、国道が付け替えられたので現在旧道は荒れ果て、周辺の山も手入れがされていないので雑木が繁茂し、このような光景を眺めることができません。この橋が、左側の山梨県と右側の長野県の県境となっています。

*写真1:機番はC57134です。かつては「カツギ屋」さん専用の出荷組合員指定車が連結されていました。
*写真2:形式は9600形です。関東平野を横断しています。
*写真3:機番はC1241です。ここも第三セクターになりました。


管理人 投稿日:2022年07月15日 12:28 No.110
[690] Re: ここは何処?3-3
投稿者: 快速つくばね 投稿日:2021年 8月26日(木)18時59分33秒 通報 返信・引用 編集済

 3-3の解答です。
 写真1は、成田線我孫子支線、我孫子-東我孫子間のC57+C58の牽く旅客列車です。今でもこの付近を車で時々通りますが、50年の間に樹木が伐採され住宅地として整地されたので、線路の両側には住宅が立ち並び、この撮影場所を特定することができません。成田線の各駅のホームには、腰ぐらいの高さのベンチ風の設備がありました。これは担ぎ屋さんがホームで列車待ちする場合に立ちながら荷物を置く通称「行商台」と呼ばれていました。これらの台は、使用されなくなってからも行商組合のものでJR の所有物ではないので、ホームの改修時にも撤去されなかったようです。
 成田線、常磐線を経由するこの列車と1982年2月14日に廃止された京成電鉄の野菜行商専用列車、通称「なっぱ電車」(正式名は「嵩高荷物専用車」)および2020年3月13日に廃止された近鉄の「鮮魚列車」を日本の三大行商人用貸し切り列車と呼べるのではないかと思っています。

 写真2は、表紙と同じ川越線、指扇駅付近の2484列車です。指扇駅近くに住んでいる友人がいるので場所を問い合わせたところ、さいたま市側の荒川土手の道路を北側から見たものであるとの回答がありました。
 投稿番号[688]「 ここは何処?3-2」で解答しました川越線と同じ線ですが、参考にリンクしましたJR川越線荒川橋りょう改築工事の概要(国土交通省関東地方整備局)の中の画像の『現況(左岸側)』がこの画像と同一場所、『現況(右岸側)』が、3-1上段の南古谷側の下流方面から撮った画像となっています。川は、河口方向に向かって左側を左岸、右側を右岸と呼ぶようです。見比べてください。どちらもGoogleマップのStreetViewで荒川の堤防上の道路と川越線の交点に照準を合わせれば、最近の状景を見ることができます。

 写真3は、足尾(貨物)線、間藤-足尾本山(ほんざん)間です。足尾線は、現在「わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線」となっていますが、国鉄時代は、桐生-足尾本山間(46.0km)の路線で、旅客列車は間藤までで間藤-足尾本山間(1.9km)は貨物のみの営業となっていました。1987年まで国鉄が貨物線として営業しましたが、一旦JR東日本に継承され1989年に廃止されるまでは休止状態のままでした。わたらせ渓谷鐵道に移管されてからは、免許線(未開業線)となりましたが、1998年に免許が失効し名実ともに廃線となりました。結果として一度も旅客列車が走ることはありませんでした。

*写真1:湖北駅に残る行商台
*写真2:『現況(左岸側)』第1種踏切(抜粋)。踏切注意柵のみそのまま使用か。
*写真3:50年前の写真2と同じアングル( No.111の写真2をトリミングして再掲)第3種踏切


管理人 投稿日:2022年07月15日 12:25 No.109
[691] Re: ここは何処?3-2
投稿者: GET A 投稿日:2021年 9月 2日(木)16時56分16秒 通報 返信・引用 編集済

快速つくばね様
申し訳ありませんが、八ヶ岳のC56は撮りに行ったこともありますが、他は行ったことも無く、今後も行きたいとは思わない場所です、せめて関西より西にして貰わないとさっぱり判りません。
柏原市の私の家より自転車で行ける場所の過去と最近の写真を載せます。

写真1:かつてD51 3重連が 71.10に記念運転されました、当時は線路際での撮影も出来ましたが現在なら緊急停止です、いまはフェンスがありはいれませんが。
写真2:最近の写真です、川の対岸から撮っています。




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