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[688] ここは何処?3-2 投稿者: 快速つくばね 投稿日:2021年 8月12日(木)21時53分22秒 通報 返信・引用 編集済 山内崇章 様  コメントありがとうございます。3-1の回答はすべて正解です。  写真1は、ご指摘通り川越線、指扇-南古谷間の荒川橋梁です。この写真は、南古谷側の上流方面から撮った画像です。この線は、1985年9月30日の池袋-大宮間の愛称名埼京線の開業と同時に全線が電化され、大宮-川越間は埼京線と一体化し東京方面への直通運転が行われています。現在の光景も、架線柱と風防柵が設置された以外は50年前とほとんど変わっていません。  この橋梁は、荒川の治水を目的とした堤防嵩上げ工事の支障となるため、本橋梁を架け替えることが決定し、本年7月28日付けで関東地方整備局とJR東日本大宮支社は、「一級河川荒川改修事業に伴うJR川越線荒川橋りょう改築工事に係る基本協定」を締結しました。  JR川越線荒川橋りょう改築工事の概要(国土交通省関東地方整備局)  写真2は、函館本線、内浦湾(噴火湾)に沿って石倉-落部間を走る105列車急行「ていね号」です。([678] Re: ここは何処?2-2を参照)後方の山は北海道駒ケ岳です。高台を並走する国道5号から撮影したものと思われます。  写真3は、東北本線(現、いわて銀河鉄道線)、御堂-奥中山間を走る535列車です。電化以前の東北本線(東京-青森間)における、最大の難所は、奥中山(現、奥中山高原)-小繋間の十三本木峠(中山峠)を越える通称「奥中山越え」でした。奥中山駅は、東北本線の最高地点(標高427m)に当たり、最大23.8パーミルが連続するこの区間を蒸気機関車時代は、峠を挟み北側の一戸には機関区が、南側の沼宮内にも機関区支区が置かれ、峠を行き来するほとんどの列車に補機がつけられていました。第二次世界大戦後は1000トン級の重量貨物列車を中心に、前補機を二両としたD51の三重連運転をしていました。 (追伸)山内崇章様:是非とも製作中の模型をこの掲示板で見せてください。 *写真1:機番はD6023です。建設中は平郡東線と平郡西線に分かれていましたが、全通後、現在の線名になりました。 *写真2:機番はC1146です。2011年7月から水害により不通になっていましたが、来年(今年)漸く上下分離方式で全線復旧します。 *写真3:機番はC56144です。ヒントはありません。
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