My Railway ~懐かしの鉄道写真アルバム~ 掲示板


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    撮っておいてよかった!
    最近、一部の懐かし系鉄ファンの間で、モノクロ写真をAIでカラー化するのが流行ってる模様ですが、当方はD51伊賀号最終日を、カラーで撮っておいてよかった!
    です。多くが当ブログで公開済みですが、サイクリング車にまたがる様子を初公開します。駅前の自転車店で買ってもらった、ナショナルのエレクトロボーイZという、
    電子フラッシャーがピコピコつく、公式名称はジュニアスポーツ車で、ストップランプと空気入れやスピードメーターも付いてました。
    すべて、1973(昭和48)年5月27日(日)の撮影です。往路の柘植行は伊賀上野駅で到着から発車シーンを撮って、復路の天王寺行は某小学校の裏で走行中を撮りました。
    D51934貨物の次コマ(12枚撮サクラカラーN100の最終13コマ目)に、同行した撮影仲間に撮ってもらいました。手前に三脚ケースとカメラケースが転がってました。

    https://www.bing.com/copilotsearch?q=moni5187&FORM=CSSCOP
    ↑最近、MSのCopilotというAIが、この掲示板や他でmoni5187を追跡していて、個人情報に迫ろうとしているのに気付きました。
    AIは、53年前の容姿から現在の容姿を生成したりするかも知れませんので、ぼかし等は無しですが小さくして低解像度にしておきました(^^;)。
    美しいカラー画像が当時の色合いのまま再現されていますね。
    AIによるモノクロ画像のカラー化は近年凄い勢いで進歩していますね。
    対象が黒いSLならそれなりに綺麗にカラー化してくれますが、あまりマイナーなツートンの私鉄車両などでは色見本を示さないととんでもない色になってしまうので、未だ未だといった所です。
    AIが個人情報に迫っているのでは無くて、公開されているブログやSNS等から広く情報を検索・抽出しているのですが、その内に銀行等の内部情報まで流出する様になれば資産や収入まで丸裸にされる日が来るかも知れませんね。

    小生が初めてSLをカラー撮影したのは'72年7月の九州撮影旅行の際であり、もっぱらモノクロでしたがカラーも厳選して幾つか撮っていました。'72/7/25の筑豊線・中間~折尾でのカットです。


    撮っておいてよかった!の3回目は貴兄の南海の客車運用を見て思い出しました。府立I高校の窓から難波に登って行くのを授業中毎日見ていました。しかし現役時代は撮ることはありませんでした。客車だけが荷電に牽かれて回送されるのは今回初めて知りました。当時近隣では私鉄の駅や線路際で撮影する勇気ありませんでした。客車運用が終わって廃車待ち留置を天下茶屋で1度だけ撮影しました。元こうや号にも運用された1900型も留置されていました。1900型はこの時は既に運転台(機器は外し)付のサハだったようです。『撮っておいてよかった!』ではなく『撮らなくて残念!!』の画像です。1972.5撮影
    1900の高野線特急時代を含めて、勿論小生は見た事も無く、これはお宝画像ですね。
    南海はどうも地元の阪急や阪神に較べて縁が薄く、サハ4801やクモニに出会ったのも、この'72年2月の新今宮が最初で最後でした。
    ↓の掲示板には投稿しなかったクモニの難波行回送を貼っておきます。


    先月9/10木曜日は、残り1本となり"惜別HM"が掲げられた1700系を追っかけに「能勢電鉄」を訪問した日ですが、その合間に「5100系」にもカメラを向けました。
    能勢電の運用は5本で、この日は1700系1本に5100系3本、7200系1本の構成だったので、結構頻繁に出会えました。
    阪急・宝塚線ではなかなか出会えませんが、能勢電に来るとこのフルマルーン編成がもう面白い様に撮れるので、とても楽しいですね。
    南側から絹延橋、鶯の森と一の鳥居の順に3枚貼っておきます。
    「撮っておけばよかった」なら反省材料はいくらでもあるのですが。

    例によって路面電車から、車掌さんの乗務しているツーマン(メン?)カーです。

    日本で最初の電車が京都で開業して以来、運転士と車掌の2人乗務が当たり前でツーマンカーなどという言葉はありませんでした。

    1960年代の中頃から、赤字経営に陥った各地の路面電車に、車掌の乗務しないワンマンカーが登場します。集電装置にトロリーポールを使用していた嵐電や、荒川線だけが残りワンマン化の遅かった都電を除けば、1970年代の前半には、連接車や連結車などの一部を除いて、ワンマン化がほぼ完成します。

    京都市電の2000型や都電の新7000型などのように、ワンマン化に合わせて新造車や車体更新車が登場したのは一部の例外で、大半は既存の車両のワンマン化改造でした。非対称2扉車や前後2扉車をそのままワンマン化した例や、3扉車の後部扉を締め切って2扉化した車両は、ワンマン化による変化は小さかったものの、今も広島に残る京都の1900型や神戸の570型のように扉の移設による非対称2扉化では、大きくスタイルが崩れました。

    「撮っておいてよかった」! のは、ワンマン改造を受けずにオリジナルのままで消えていった車両です。

    札幌市電の路面ディーゼルカーは、鉄北線の電化により一部が旧型車の機器により電車化、ワンマン化されたものの、最新型のD1040型はディーゼルカーのままで短い生涯を終えました。

    札幌市電 D1042号 札幌駅前-北大正門前 1969/8

    車体の大きな名古屋市電の戦前型連接車は、ワンマン改造を受けることなく、路線の縮小により、最期を見届けることなく消えていきました。隣の1900型はこのあとで、後部扉締切によるワンマン化改造の上、全廃の少し前まで生き延びています。

    名古屋市電 3007号 金山橋 1967/7

    神戸市電の大型3扉車の500型。一部には丸窓電車もいました。非対称2扉化、側窓2段上昇化の改造のうえでワンマン化され、市電廃止後も広島に移籍して生き延びたグループがいましたが、未改造の3扉車は神戸で生涯を終えました。隣に写った神戸市バスも、扉が中央に1個所で車掌さんが乗務しています。

    神戸市電 582号(広島電鉄582号は神戸の592号で別の車両です) 元町6丁目 1968/4 
    あまり路面電車のワンマンとかツーマンを深く考えた事が無いので、これは難問ですね。
    長崎電軌の中でも古典車として有名な160形は、最後までツーマンだったと思います。
    未だ消えておらず、偶にイベント用に走っている模様ですが、168号車を浦上車庫で撮っていました。'04/12/14の撮影です。


    FBへの投稿画像ですが、こちらにも貼っておきます。
    今回のお題である「撮っておいてよかった」に対する3回目の投稿です。

    今回は地元関西大手私鉄の中から「南海・新今宮・南紀直通特急・'72年2月」を紹介します。
    この日'72/2/15は特にアテも無く南海電鉄を撮りたくなって新今宮に向かったら、偶々「モハ1551形4連+サハ4801」の南紀直通特急が上って来る時間帯でした。

    まずは、難波に向けて上って行く姿を後追いで撮っていたら、暫くして何と「モユニ1043」が送り込み回送で続行で走って行くではありませんか!
    今度はホームを変えて待っていたら、予想通り、「モユニ1043+サハ4801」の回送が下って行き、更に続行で「モハ1551形4連」が回送で走り去って行きました。
    この一連の流れを事前に知っていたとは思えず、今となっては超ラッキーな出会いでした。
    先月9/10木曜日は、残り1本となり"惜別HM"が掲げられた1700系を追っかけに「能勢電鉄」を訪問した日ですが、お昼ごはんは「宝塚」まで戻り、阪急宝塚駅近くのソリオ内にある韓国料理レストラン「漢江」に入りました。
    昔からある馴染みの店で味は間違いなく、まあまあ格安のランチが並んでいます。

    元々はチヂミを食べたかったのですが単品しか無くてナムル類が付かないと言うので、サービスランチメニューの中から「牛肉石焼ビビンバ」をチョイス ♪
    サービスで付くキムチ・ナムル類がホンの一口ずつなのが少々物足りなかったですが、ビビンバはそれなりの辛さで牛肉も一杯載っているし、生卵も付いているのがGoodです!
    例によってキムチも混ぜ、グチャグチャにかき混ぜて賞味して大満足でした。
    いつもご案内いただき、ありがとうございます。

    阪神の国道線にこんな支線があったとは、全く認識していませんでした。阪急の車内からチラッと見かけた記憶のある北大阪線も含め、阪神の国道線系統には乗らずに終わってしまいました。一度だけ機会があり、国道線に乗ってみようと、阪神の野田駅で東神戸まで切符を買おうとしたところ、窓口の女性の「どれだけ時間がかかるかわからないから止めておけ」との親切心からの忠告に従って、阪神本線で神戸方面に向かったことが今でも悔やまれます。今回、甲子園線の写真を拝見して、このとき途中の甲子園で下車すれば、金魚鉢に乗れたことに気づきましたが、半世紀以上遅かったです。下に貼った野田の207号の写真は、この時のものと思われますが、7年後にRREさんが撮られた207号と見比べると、正面窓上左のベンチレータは残ってるものの、右上の小窓はなくなっています。方向幕の跡でしょうか。集電装置のボウがユニークでしたね。今風に言えば、シングルアームのビューゲルでしょうか。

    阪神国道線 207号 野田 1968/5

    近江鉄道の220型は、プラ板を使ったNゲージの工作のように、西武700型の車体を切り継いで作ったと話題になりましたね。その後の800型は西武の700型を20mのまま2連で使っているので、220型は単行運転のために両運転台化したのでしょうが、何故切り縮める必要があったのでしょうか。

    近江鉄道221号 彦根 2007/5/12

    北陸新幹線のない時代は、金沢出張は米原で新幹線から北陸本線への乗り換えが一般的でした。キハ85が登場したころ、名古屋から「ワイドビューひだ」に乗りかえ、富山乗り継ぎで向かったことがあります。キハ82を置き換えたキハ85に、名古屋から岐阜まで後ろ向きの座席に座り、発車後の加速の良さには驚きました。尾鷲から「ワイドビュー南紀」で名古屋に向かう時は、山に分け入り荷坂峠に向かってグイグイ登っていく力強い走り。JR東海が言う、電化は不要に納得しました。

    ワイドビュー南紀 津 2011/12/1
    ご訪問ありがとうございます。
    西武・所沢工場とか近江・彦根工場は技術力があって、機器更新だけでなく車体更新まで立派に手掛けていましたね。
    阪神・甲子園線は、甲子園で本線への乗換客や甲子園球場と阪神パークへの観客輸送で賑わった路線ですが、まあ短距離客ばかりで野田から乗り通す人はまず居なかったでしょう。
    最終日の上甲子園電停は画像の通り大賑わいで、係員が出て車を停めて整理していました。小生も此処から国道線に乗りましたが、2、3台は見送った様な気がします。


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