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解き放たれる時 うさぎ 投稿日: 2024年05月07日 13:44:44 No.947 【返信】

義理の両親が同一敷地内に住んでいる。二人とも高齢。

最近、義父が弱ってきた。そろそろ緊急入院、その後施設入所か、そのまま旅立つか、という状況になってきている。また、義理の叔父も、あまり良くない状態。

義理の父も、義理の叔父にも、イヤな思いをさせられてきた。私にとっては、目の上のたんこぶ、又は重石のようで、抑えつけられた感じがして苦しかった。不謹慎だけど、その人達の終わりが見えてきて、すごく楽になってきている。やっとこれで、自由になれるという感じ…

義母の終わりはもう少し先になると思うけど、すでに第3コーナーには来ていると思う。自分で、歩けなくなれば在宅生活は難しいし、それも時間の問題。私の目の前からいなくなるのも後少しだと思う。そう考えると、気楽だし、乗り越えられそうな気がする。

これまで、本当によく我慢してきたと、自分で、自分をほめたい。


鶏肉 うさぎ 投稿日: 2024年05月07日 10:36:01 No.946 【返信】

スーパーで、鶏モモ肉の隣にムネ肉が置いてある。値段も安いし、栄養価も高いので、以前から美味しく食べられないかと、テレビやネットを参考に調理していた。が、これがあまり美味しくなくて、最近は、私の体の不調もあり、鶏ムネ肉の料理は、諦めていた。

しかし、ある動画サイトで、電子レンジで作る調理方を紹介していて、挑戦してみた。これが大正解で、凄く美味しかった。多分、今までのムネ肉の料理の中で、1番美味しかったと思う。

テレビの料理番組では、「この調理方だと、しっとりしていて美味しい」とか言ってたけど、私が作ると、パサパサか、火が通っていなかったりしていた。

諦めながら、かなりの年月をかけ、挑戦したかいがあったな…って思った。何回もの失敗から、この調理方では、うまくいかないな、と分かるようにもなってきた。

今日も、季節外れだけど、キャベツと、鶏ムネ肉の煮込みをしてみようと思う。


乗るか乗せられるのか あさか 投稿日: 2024年05月07日 09:58:31 No.945 【返信】

約束の日に湖一周の電車に乗るので、お弁当持って駅に集合との連絡が来た
私以外は70代のお姉さん達、同業他社の先輩と元同僚との女子旅だ

果たしてどんな1日になるのやら、、?
骨盤立てて座っておいて腰を守らねば、などと構えている

行動計画反対のパブコメは本日18時までですよ
そんな話が通じる相手は居ないけど、皆んな解ってる?ヤバいんだけど知ってます?
知らされないままおかしな方向へ、いつの間にやら降りられないレールを敷かれて乗せられてますよ


楽しみ あさか 投稿日: 2024年05月07日 09:45:24 No.944 【返信】

今夜、週末、またその次に、何かを楽しみに待つというのが大切だと
当時の親友にそう言われてみて、その時の心境はたったそれだけが私には難しいと思っていた
定年後は退職金で喫茶店を開き、歳とってもそこのマスターで居る夢を、人生設計として話すカレとも付き合っていた

定年後の退職金とかその先の夢とか、聞いた以上は妻ならそこに合わせて生きて行く訳?
休みには日本中の祭り見物に行くんだとか、二人の子ならきっと可愛いとか、私には見えていない話だった
妻役割の先に、母役割が続き、夫の夢に自分の生活を合わせて生きて、義両親の介護、夫の介護と逃げられない笑

なるほど、妻にはやってもらうことがあり、自分の夢は、その上で成立させて行くのが男の人生設計な訳ね
惚れた方が負け、というのはそういうことだと思ったわ
んなのガッコで習わんのよ

自分の人生の決定権が自分の手の中に握れるって、当たり前では無いんだよね
せめて自分の手に握っているんだと思わなくっちゃやってられん
どんな小さな楽しみだとしても、手に取るのは自分なのだ


労う あさか 投稿日: 2024年05月07日 09:18:17 No.943 【返信】

母を送った後に、次は父を私が送るんだと思った
親を看取るだとか見送るだとか、仲良し家族にだってしんどいものだろうけど
ウチはもっと複雑な重たいものを抱えているので、周囲に理解されないことがたくさんあった

周りはどうでも良いとして、問題は私自身の心の在り方が問題だった
自分が自分の心の在りように振り回されてしんどすぎたので、それならもっと軽くなって行きたいと思った

複雑さを軽くしていく為の心の整理が必要で、その為に出来ることからやっていけば良いやと思った
無理に自分を変えるのではなく、自分自身が楽になれるようにと、それを考えた

時間というのは大したもので、10年かかったってそれでも構わなかった
思う方向へ来れたならそれはそれだけの価値があったと今は思える
きっとこれからも、私は私を助けてやることが出来ると思える

死んだと諦めた関係性が、元より良い形で手に入ることもある
関係性は片方だけで決めつけることは出来ない、自分の方から開いていけて良かったと思った

自分を幸せに出来るのは自分だというものが、この10年の間に形造られた気がしている
ほかの誰も助けてはくれるけれど根っこの部分は自分の心の在りよう、持ちようだ

頑張らなくてもいいから、頑張ってきた自分をちゃんと(頑張ってきたね)と労いたいのだ


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