80s岩手県のバス”その頃”掲示板


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更新後記(2023.8.17)
管理人 投稿日:2023年08月17日 21:12 No.432 【Home】
日本中どこに行ってもやたら暑いのですが、こんな電車が走っていたので、見てきました。
ちゃんと、北陸本線で使用していたタイプのヘッドマークもつけて、急行運転されていました。
順光の線路に止まったので、喜んで編成写真を撮っていたら、いきなり方向幕が動き始めました。「盛岡」がありました。「仙台」も「原ノ町」も、そして山陽本線も鹿児島本線も日豊本線もあり、この色の電車が実際に走っていたすべての線区が用意されているようでした。
もちろん、この413系自体は、国鉄分割直前に北陸用に改造されているので、他の地区での走行実績もなければ、その予定もありませんでした。なので、これが当時ものなのか復刻ものなのか、詳しいことは私は知りません。「盛岡」の文字が見えたので、喜んで撮っちゃったという話です。
もう一つ「西鹿児島」が出たところも撮りたかったのですが、追いつけませんでした。


更新後記(2023.8.26) 管理人 投稿日:2023年08月26日 17:13 No.436 【Home】
前回と似た内容の更新なので、更新後記もそのまま流用。

JR新潟支社の主役として活躍中なのが、E129系電車。この電車、仙台で活躍中のE721系の直流版といった感じの車両ですが、床面が低床でないため、側面の見付はノーマルな印象。また前面窓下の曲線が、E721系とは逆カーブです。
最初の印象は、帯の色がずいぶん褪せているな、という点。でも聞いてみると、これが元々の色だそうです。
新潟色だと聞いていたので、かつて70系電車に塗られていた色かと思っていました。その場合、赤は国鉄特急色の窓周りと同じあずき色になるはずです。このE129系は、新幹線MAXの帯色である「とき色」を使用しているそうです。ならば、逆に朱鷺色の帯なら、黄色(稲穂の色だそうです)は不要では、などとも思ってしまいます。
次に違和感を覚えたのは、前面窓下が曲線になっているのに、帯は直線であること。バランスが悪いというか、すっきりしません。
設計当初は、旧新潟色の赤黄ラインを入れ、前面も旧新潟色の70系(に交じっていたクハ68)に準じた曲線カラーにしたかったのでは? などと妄想してしまいました。


釧オロ 投稿日:2023年08月27日 15:40 No.437
国鉄時代の幕と言えば、14系が北海道に転入し始めた1980年頃、側面幕に『急行ニセコ 倶知安経由 函館』『急行すずらん 東室蘭経由 函館』『急行大雪 網走』『急行利尻 稚内』に混じり(ここまでは運用実績がありました)、『急行狩勝 芦別経由 釧路』という遂に運用実績の無い表示まで準備されていたそうです
民営化直前の『さよなら広尾線ブルートレイン号』に乗車した際に幕順表を確認したところ、急行狩勝は無かった記憶があるので、恐らく『急行まりも 千歳空港経由 釧路』に上書きされたのかと思います

キハ183系においても、1979年の新車当時から正面幕に『おおとり』の絵入りヘッドマークが用意されていましたが、それが漸く陽の目を見たのは、導入後7年程を経た61.11大改正の際にキハ82系から変更された時でしたね
結局それも長く続かず、青函トンネル開通時に『北斗』に統合されてしまいました…


管理人 投稿日:2023年08月28日 22:11 No.438 【Home】
国鉄時代は、実際に広域運行が存在したので、西鹿児島と富山に同じ583系が運用されていたり、熊本と新潟と上野に同じ485系が運用されていたりしました。なので方向幕にもそれらが普通に入れられていたわけですね。
通勤形でも、かつて季節運行で列車区間に乗り入れていた名残で、101系や103系に「甲府」「小田原」「木更津」などが入っていたりしたものです。
方向幕というのは、あとで追加したりするのが面倒な代物なので、可能性のあるものは最初から入れておいた方が楽だったんでしょう。
今はLEDになって、データを入れ替えるだけで済むようになったので、だいぶ楽になっているでしょうね。


更新後記(2023.9.7) 管理人 投稿日:2023年09月07日 20:15 No.441 【Home】
また同じような更新なので、このスレッドに更新後記を続けさせていただきます。
「湘南形大冒険」は今回が最終回で、「金太郎腹掛け塗り分け」をテーマに完了となりました。
その過程で、湘南スタイルの電車に前面貫通式の車両が混じっていた場合、塗り分けはどうなるのか、というのも書いてみようかと思いました。(結果的には、本文には反映しませんでしたが)
1950年代の関西国電では、貫通扉の有無に関係なく、金太郎腹掛けを展開するという大胆な車両も見られましたが、その後、そのような事例は影を潜めます。
ただ、1960年代後半になり、新潟色の70系に交じっていた戦前型は、貫通扉を避ける形で曲線塗り分けを採用するという独特の展開方法でした。
その新潟色のクハ68形の写真がなかったのですが、えちごトキめき鉄道でそれの復刻カラーが走っているというので、ちょっと見てきました。
塗り分けだけでなく、ウィンドシル・ヘッダー、木製扉やプレス扉のへこみ、トイレ部分のすりガラスの窓など、原型を想像できないくらい凝った復元のラッピングがなされていました。
もしかすると、上の方に挙げたJRのE129系の中途半端な「新潟色」に対する痛烈なアンチテーゼなんじゃないかとか、ふと思った次第です。


左党89号 投稿日:2023年09月12日 17:59 No.447 【Home】
勝手ながら方向幕の話に戻ります。
12系や14系などは全国的な転配を考慮して全国各地の行先が用意されていたそうで、かつて「鉄道ジャーナル」の列車追跡で、旧型客車から12系に暫定変更された高崎~長野~長岡~新潟の運用で、上野発車前に方向幕を動かしたところ北は青森から南は西鹿児島まで各地の駅名が表示されたもののなぜか高崎が入ってなかったという記述を見たことがあります。

JR移行後、盛岡に12系が配置されていましたが、巻取り部分のエンコードの読み取り不具合なのか、意図しない駅名が表示されていた例を何度か目撃しています。
1枚目:盛岡で「加賀温泉」
2枚目:陸中大橋で「函館」
3枚目:郡山で「新宿」→これは可能性としてありましたけど

余談ですが、12系でも普通列車用に転用された2000番台は改造時に方向幕を取り換えていたので「野辺地」「北福岡」といったオリジナルには入っていない表示がありました。


管理人 投稿日:2023年09月12日 21:04 No.448 【Home】
左党89号さん、こんばんは。
客車はレールのあるところならどこでも行けるので、際限なく行き先を入れる必要が生じますね。高崎とか小田原とかは逆に近すぎて客車列車の終点にはならないから、入れなかったんでしょうか。
陸中大橋の駅名票があれば、変な行き先表示だと一目で分かりますね。