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078 先に【 言葉 】有りき wajin128 投稿日: 2020年08月19日 10:05:32 No.2327 【返信】

【 南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 】
 
1、投馬國 から 東南の邪馬壹國の都 ( つ ) まで 水行十日 陸行一月
2、ここに女王は住まう
--------------------
九州に都 ( みやこ ) は、歴史的にも考古学的にも存在しません。
【 都 】とは地名(邑)のことです。
【 都 】と書いて【 つ 】と読み、おそらく【 津 】の意味と考えられます。

【 津 】とは港で多くの人が集まる所と言う意味です。
また【 邪馬壹 】は【 やまと 】と発音します。
【 壹 】の旁 ( 音符 ) は【 豆 】です、したがって【 登 】【 澄 】と同様に【 と 】と発音します。
 
【 邪馬壹 】を【 やまいち 】と発音とすれば【 邪馬一 】と記載したことでしょう。
魏志倭人伝では【 壹 】と【 一 】を併用しています。
 
これは【 壹 】と【 一 】の音が異なった為と思われます。
【 壹 】を【 と 】と発音する理由を、参考の為に以下に記します。
--------------------
偏旁の種類
形声文字では、類型的な意味を表す偏旁を意符(義符、形旁とも)、音声を表す偏旁を音符(声符、声旁とも)という。
 
漢字を分類・検索するために代表的な偏旁を利用する方法があり、これに使われる偏旁を部首という。
部首には意符が使われることが多い。部首に使われた偏旁の数は、初めて部首法を用いた『説文解字』で 540、清の『康熙字典』で 214 である。現在の日本の漢和辞典では『康熙字典』の 214 部を改良して使うものが多い。
中国の『新華字典』や『現代漢語詞典』などでは 189 の部首が建てられている。
 
伝統的に偏旁は、配置される位置によって次のように分けられている。

偏 (へん): 左側に位置する
旁 (つくり): 右側に位置する
冠 (かんむり): 上側に位置する。
脚 (あし): 下側の構成要素
構 (かまえ): 外側に囲むように位置する。
垂 (たれ): 上部から左側を覆うように位置する。
繞 (にょう): 左側から下側をとりまいて位置する。
これは構成要素であるとともに配置の位置をも示すものである。しかし、構成要素として「木」は「杯」のように偏になったり、「床」のように覆われていたり、「柔」のように下にあったり、「朱」のように中心にあったりするものがあり、配置位置と必ず結びつくものではない。また配置位置を表すものとしても 7 種類しかないので偏旁の配置構造を十分に説明できない。このため現在の中国ではこのような分類方法はとられていない
 
また漢字のほとんどが形声文字であり、それは通常、左側の偏や上側の冠を意符、右側や下側の旁を音符とするが、宋代以降、旁にあらわされている字音こそが基本義を表しているのだとする「右文説」が唱えられた。20世紀に入り、スウェーデンの言語学者ベルンハルド・カールグレンや日本の藤堂明保が上古音の声母の分類による単語家族の語源分析を行っている
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【 韓在帶方之南 東西以海爲限 南與倭接 】
 
1、韓は帯方の南に在り
2、東西は海を以って限りと為す
 
 【 馬韓在西 】
 【 辰韓在馬韓之東 】
 
 東西とは、東の辰韓、そして西の馬韓を指します。
 
 1、2、の訳は次の様になります。
 
韓は半島の南端に在る。
東の辰韓も西の馬韓も海に面し、陸地の先端にある。
 
3、南で倭人と接触
 
南の倭人と接触 ( 出会う )。
 


078 先に【 言葉 】有りき wajin128 投稿日: 2020年08月19日 09:55:31 No.2326 【返信】

魏志倭人伝、後漢書、隋書では【 邪馬壹 】【 邪馬臺 】【 邪靡堆 】【 邪摩惟 】などと様々な文字が使用されています。
 
この理由について説明します。
中国人は文字をどうやって作ったのでしょうか。
文字以前に有ったのは【 言葉 】です。
 
この【 言葉 】に文字をあてはめて作ったのです。
漢字は【 偏・旁・冠・脚・構・垂・繞 】で構成されています。
この中で【 旁 】は【 音符 】を、そして【 旁 】以外は漢字の意味 ( 義符 ) を表現しています。
--------------------
たとえば【 ヒ 】の音に【 皮 】を当てています。
この【 皮 】の声符に【 衣 】の義符を合せて【 被 】の文字を作ったのです。
 
したがって【 皮 】の声符には意味が有りません。
【 被 】の意味は【 布団 】の意味がありますが【 衣 ( おおいかぶせる )】が義符になっています。
例えば【 壹 】の旁は【 登 】【 澄 】と同様に【 豆 】ですから、読みは【 dou4 ( ト )】です。
 
そこで【 邪馬壹 】は【 ya ma to 】と読みます。
しかし宋以降は、こうしたルールが崩れて漢字の読みが変化しています。
漢字の読みと、その漢字の【 旁 】の音が80%近くが同音になっています。
 
この事は、かつて【 旁 】が音符だった事の証明と言えるでしょう。
言葉が先にあり、その言葉に合わせて漢字は生まれています。
例えば【 馬 】を【 ma 】【 ba 】【 me 】と呼ぶ地域が在ります。
 
また韓では【 靡 】を【 mi 】と発音しますが、【 邪馬壹 】を【 ya mi to 】と思って【 邪靡堆 】の漢字をあてたと思われます。
また【 邪摩惟 】の【 惟 】は【 隹 】の形声文字です。
 
【 隹 】の音符は【 zhui1 ( ト )】です、したがって【 邪摩惟 】は【 ヤマト 】と読みます。
地域あるいは政権によって、漢字の音は変化しています。
 
漢字の音が変化した時にはやむを得ず、元の読みを保つために他の漢字を使用したと思われます。
こうしたことを【 仮借 ( 当て字 )】といいます。
 
単純に【 壹 】を【 臺 】の誤写と決め付けるのは問題です。
 


077 【 境界所盡 】の意味 wajin128 投稿日: 2020年08月19日 09:41:20 No.2325 【返信】

【 境界所盡 】の意味
 
【 次有斯馬國 次有已百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國 次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國 次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有爲吾國 次有鬼奴國 次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國 此女王境界所盡 】
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【 此女王境界所盡 】

 女王の支配する範囲は以上で尽きる
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女王國以北には主要8國が在り、南には狗奴國があります。
従って 21國は女王國の【 東・西 】に存在したと思われます。
 
【 自女王國以北 】
◎對馬國
◎一大國
◎末盧國
◎伊都國
◎奴國
◎不彌國
◎投馬國
◎邪馬壹國
 
【 その余の 21國 】
01 斯馬國
02 已百支國
03 伊邪國
04 都支國
05 彌奴國
06 好古都國
07 不呼國
08 姐奴國
09 對蘇國
10 蘇奴國
11 呼邑國
12 華奴蘇奴國
13 鬼國
14 爲吾國
15 鬼奴國
16 邪馬國
17 躬臣國
18 巴利國
19 支惟國
20 烏奴國
21 奴國
 
【 旁 ( その他 ) 國 】
◎狗奴國
 
イメージは次のようになります。
 




076 古田氏の【 韓陸行 】は嘘 wajin128 投稿日: 2020年08月19日 09:24:21 No.2324 【返信】

古田氏の【 韓陸行 】は嘘
 
【 海岸水行 歴韓國 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里 】
 
古田氏は【 歴韓國 乍南乍東 】を、郡の使者が陸行した文章と訳しています。
 
その理由は【 乍南乍東 】を【 急に南・急に東 ・・ 】の反復 ( 繰り返し ) 文だと述べて、舟ではこうした移動は出来ないからだというのです。
--------------------
しかし【 乍南乍東 】は反復文ではありません。
たとえば【 私は彼を愛している 】は【 我愛他 】です。
そして【 彼は私を愛している 】は【 他愛我 】になります。
 
つまり中国語では【 語順 】が重要なのです。
また【 私は彼を愛していた 】は【 我以前愛他 】になります。
【 乍南乍東 】を反復文にするには、【 重複乍南乍東 】と記載します。
 
孤立語 ( 中国語 ) では【 乍南乍東 】の意味は、一度だけ【 乍南 】の後で【 乍東 】に変更したと訳します。
古田氏、安本氏、岩波文庫の【 魏志倭人伝 】訳を行った人物も、中国語が孤立語と知らずに訳しています。
 
仮に古田説のように韓を陸行したとして、その距離は大阪から青森に達する距離です。
これ程の長距離を【 急に南・急に東 ・・ 】とチョコマカ移動したなど、賢明な著者が記述するでしょうか。

これではまるで小学生の作文でしょう。
それに韓の西海岸を移動して来て上陸すれば、最初は東に向かって進むはずです。
 
それが何故か【 乍南乍東 】と【 乍南 】から始まっています ?
【 乍南乍東 】を反復文と訳す場合はその立証が必要です。
立証もせずに【 乍南乍東 】を突然、反復文と決め付けることは出来ません。
 
【 乍南乍東 】の文章は帯方群庁から海岸沿いに南下し、韓の西南端に到達した後で突然舟の進路を変更した記載と見ています。
また【 歴韓國 乍南乍東 】とは、韓國を通過 ( 通り過ぎた後 ) で【 乍南乍東 】と言う意味です。
 
もし韓内をジグザグに移動したとすれば、その文章は次のようになります。
 
【 経韓國 重複或東或南 】
 
【 歴⇒経 】そして【 乍⇒或 】になります。
古田説をイメージにすると、次の図になります。
使者が図のように移動したとすれば、道路を進まず山岳地帯を【 ジグザグ 】に移動したことになります。
 
古田氏が図示した地域は【 数百メートル 】級の山が【 二百キロメートル以上 】も続く山岳地帯です。
この地域の集落 ( 街や村 ) は山間の盆地に在ります。
 
集落を結ぶ道路は山裾を縫うように、曲線を描いて走っています。
この地域を【 鋸歯状にジグザグ 】に進むには、山岳地帯を強引に進むことになります。
 
その上【 帯方軍と楽浪軍 】対【 韓軍 】とは激しい戦闘が開始されています。
古田氏は【 韓を巡り見る 】ために【 ジグザグ 】に移動したと説明しています。
 
実に馬鹿げた説です。
 




075 【 漢文 】の書式 wajin128 投稿日: 2020年08月19日 09:09:42 No.2323 【返信】

【 漢文 】の書式
 
魏志倭人伝は、当然ですが【 漢文 】で書かれています。
ところが魏志倭人伝を日本語の【 漢字 ( 国訓 )】を使って訳したものが大半です。
 
また古代漢文には【 句読点 】がありません、従ってビッシリと漢字で埋め尽くされています。
--------------------
ただし漢文には文章を区切るルールや記述順位に制限が設けられています。
例えば【 歴韓國 乍南乍東 】の場合は、【 歴韓國 】と【 乍南乍東 】とに分離できます。
 
【 歴韓國 】の【 歴 】の意味は、過去を表し【 経過 ( 通り過ぎる )】という意味です。
したがって【 歴韓國 】は【 韓國を通り過ぎる 】と訳します。
また【 歴韓國 】の【 國 】は【 古代諸侯の冊封の地域 】という意味です。
 
【 歴韓國 】は【 歴 】【 韓 】【 國 】に分割して訳します。
【 歴韓國 】の全体の意味は【 韓の王の冊封の地域を通り過ぎる 】という意味です。
【 乍南乍東 】は【 韓の冊封の地域を通り過ぎた 】その後の行動を記載しています。
 
中国語は【 孤立語 】です、したがって【 乍南 】の後で【 乍東 】を行ったと訳します。
【 乍南乍東 】は慣用句ではありません。
なぜなら中国語では【 南東 】で【 南 】から始まる慣用句はないからです。
 
必ず【 東 】から始まります。
たとえば【 東奔西走 】は有っても【 西奔東走 】は有り得ないのと同様です。
そして【 乍南 】と【 乍東 】は、列記形式の文章になっています。
 
列記形式の文章を理解する上で、参考となる文章があります。
 
【 次有斯馬國 次有已百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國 次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國 次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有爲吾國 次有鬼奴國 次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國 】
 
其餘として 21國が列記されていますが、ここで注目して頂きたいのは、最初の國【 次有斯馬國 】です。
最初の國にも関わらず【 次有 】となっています。
 
これは日本語には無い、中国語独特の書式です。
日本語では、いきなり【 次有 】と記述する事はありません。
【 乍南乍東 】を日本語に訳す場合は、書式を日本語に変更しなくてはなりません。
 
そこで【 ( 乍 ) 南乍東 】の【 乍 】を除いて【 南乍東 】として訳します。
中国語は【 孤立語 】ですから、動詞の前に重複 ( 反復 ) の文字が無ければ【 乍南乍東 】を反復文と訳すことはできません。
 
これは中国語の常識です。
 
【 乍南乍東 】を反復文と訳した人物、古田氏や安本氏は中国語が【 孤立語 】だということを知らないのです。
 
つまり彼らが中国語を学んだ経験は、皆無といって良いでしょう。
 




074 【 皆倭種 】の意味 wajin128 投稿日: 2020年08月19日 08:57:51 No.2322 【返信】

【 皆倭種 】の意味
 
【 女王國東渡海千餘里 復有國 皆倭種 】
 
 女王國から東北へ海を渡って千餘里に又國有り。
 全て倭と同じ種族。
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女王國の航海の基点を伊都國とすれば、現在の博多湾付近から東北に向かった事になります。
倭人伝では【 狗邪韓國 】から【 末盧國 】間の三海峡の全てを【 千餘里 】と記述しています。
 
すると使者は博多湾から山口県の南岸にあったものと思われます。
【 復有國 皆倭種 】とは、女王國と同様の國が幾つもあり、その國は【 倭人と同じ種族 】と言う事になります。
また【 倭人 】を魏志倭人伝の冒頭で次のように既定しています。
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【 倭人在帶方東南大海之中 依山島爲國邑 】
【 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國 】
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上の文章によれば【 倭人 】とは【 九州島に在った三十國に住む人々 】を指します。
【 九州に住む三十國の人々 】と【 本州 ( 中国地方 ) に住む複数の國の人々 】とは同一の種族言うことになります。
 
【 種 】とはどう言う意味でしょう。
中国の辞典に【 種 】の意味は【 具有共同起源和共同遺伝特征的人群 】日本語に訳すと【 共同の起源と共同の特徴をもち遺伝する 】ですが、そのヒントは【 魏志韓伝 】にあります。
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【 有三種、一曰馬韓、二曰辰韓、三曰弁韓 】

 韓には三種類の人々が住まう
 一に馬韓と言い、二に辰韓と言い、三に弁韓と言う。
 
そして【 馬韓人 】と【 辰韓人 】は、言語も習慣も異なるとあります。
この例から【 倭種 】とは【 倭と同種 】と言うことですから、言語・習慣が【 倭 】と同じ人々と言うことでしょう。
 
私は倭人とは九州人、そして倭種とは本州人と思っています。
「馬韓は西に在り」
「辰韓は東に在り」
「弁韓は辰韓に雑居」
 
弁韓は辰韓内に同居とあります。
つまり「國」とは領土の事ではなく「人種」の事だとわかります。
現代人の私達が考える「国」とは、まったく異なることがわかります。
 




073 魏志倭人伝の【里】の意味 wajin128 投稿日: 2020年08月19日 08:36:53 No.2321 【返信】

魏志倭人伝の【里】の意味
 
魏志倭人伝に記載されている一里は、現代の何メートルになるのでしょうか。
私は【一里≒137m】と考えています。
--------------------
【循海岸水行 歴韓國 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里】
--------------------
帯方郡を【 ソウル 】そして狗邪韓國を【 泗川付近 】とした場合、この間の海岸線の長さは、963.87kmです。
963.87km÷7,000里≒137m
 
一里を何メートルで計算したかを明示せずに、各國の比定を行っても、あまり意味がありません。
 
伸縮自在のスケールで距離を測るようなもので、一貫性に欠けたのでは説得力が失われます。
 




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