パタパタ - なんでも雑談掲示板

なんでも雑談掲示板


| トップに戻る | 検索 | アルバム | 管理用 | ▼掲示板作るならRara掲示板 |

パタパタ
NCC183 投稿日:2022年02月12日 17:21 No.859
おばんです
最近ではその姿をほとんど見かけることがなくなったフラップ式発車案内(パタパタ)ですが
2月中旬には京急最後のパタパタが姿を消すとのことですね。

3枚とも30年以上前のものですが、1枚目は仙台駅新幹線ホーム。
ホームに設置されているものとしては標準的だったでしょうか。
仙台を出ると大宮も通過し上野まで・・・という「やまびこ」も懐かしい思い出です。

2枚目は仙台駅コンコースのもので、丸森線があった頃でした。
表示されている列車の行き先の方向が全く異なるのも興味深いのですが
仙台発羽後本荘ゆきというのは
かつて縦横無尽に走っていた気動車急行の名残のような感じがします。
白地に赤文字というのは珍しいかもしれません。

3枚目は一ノ関駅コンコースで、大船渡線の発車案内です。
行先の「さかり」は「盛」のことで、漢字表記の「盛」が正しいのですが
「盛岡」と間違えやすいためか、現地では「さかり」となっていました。

LEDの方が高性能ではありますが、列車が表示されるまでの一瞬?の間が風情があり
乗る列車が表示された際の感動??はLEDよりも高かったように思います。


青葉 投稿日:2022年02月17日 20:09 No.860
こんばんは。

先日のサボもそうですが、こうした周辺機器をきちんと記録されていることに敬意を表します。
私など、パタパタの写真は1枚もありません。全国津々浦々で見られたと思いますが、
いつのまにかなくなっていた、というのが実感です。車両の方向幕と同じで
予め準備しておく必要があり、思いがけないコマが出てきたりして風情がありましたね。

DC急行も懐かしいですね。仙台発羽後本荘行なんて、どこをどう走って行くのか、
咄嗟にわかる人は常連客か地元民かマニアだけでしょうね。それにしても何故に羽後本荘??
もうひと頑張りして秋田まで行かなかったのはどうしてなんでしょうね?

画像は昨年撮った仙台駅のLED表示です。風情はありませんが仙台で品川行が表示されるのは
恐らく史上初でしょうね。もっとも仙台の方々にとって品川の知名度はどの程度なのでしょう。
上野、東京、新宿あたりに比べると・・。それにマニア以外には乗り通す人はいなしでしょうね。


NCC183 投稿日:2022年02月20日 15:39 No.861
どうもです

幕式の発車案内とは異なり、列車名・種別・行先を用意しておけば組み合わせは自由化と思いますが
あらかじめ用意しておかなければならないことには変わりなく、時に意外なものがあって風情がありました。

仙台から羽後本荘となると、陸羽東線と陸羽西線を走破することになりますが
列車名から想像できそうとは言え、仰せのように咄嗟にはわかりにくいですね。
秋田まで行ってもよさそうですが、
秋田へは新幹線+たざわ(←これも懐かしい愛称)があるので羽後本荘なのでしょうか。
もう一往復は酒田発着だったように記憶しているので、庄内地方と仙台に間の設定だったのだと思います。

さて、震災による不通区間が解消し、めでたく全線開通となった常磐線ですが
上野東京ライン開業後なので、特急の行き先も品川ですね。
仙台で「品川」が表示されるのは仰せのように初めてかと思います。
知名度は上野に比べたら低そうな感じですね。
「上野・品川」とはならなかったので、それほど低くはないのかもしれませんが・・・。

何かないかなと探したら仙台駅のLEDが出てきました。
かなり前のもので撮影年の記録はありませんが、サクランボの時期に撮影したことは確かです。
通常は設定のない列車名や行先でも表示できるのはLEDならではですね。
東京方面の行き先は上野の方が馴染みがありそうな感じですね。
「エルム」も懐かしいですね。


青葉 投稿日:2022年02月25日 21:14 No.862
こんばんは。撮影されたのは85年頃でしょうか?それとは時期が違いますが、
新幹線博多開業時の75年3月改正の時刻表をを見てみました。「もがみ」は実に面白い列車です。

青森行「千秋1号」と併結で仙台を730に出発、陸羽東線経由で新庄へ。そこで米沢からやってきた
同名の「もがみ」「千秋1号」と出会い、車両をやり取りし「もがみ」は陸羽西線経由で羽後本荘へ、
「千秋1号」は奥羽本線経由で青森へ向かいます。(これなら「もがみ」が秋田へ行く必要はないですね。)
「千秋1号」は、念の入ったことに、大曲で仙台を5分前の725に出発し盛岡経由でやってきた
「たざわ1号」秋田行を併結して青森に向かいます。さらにその「たざわ1号」は3階建てで、
一ノ関で盛行「むろね1号」を切り離した代わりに盛からの「さかり」を迎え入れ、
花巻では宮古行「陸中1号」を切り離した代わりに釜石からの「はやちね1号」を迎え入れます。

もう、書いていて訳がわからなくなりそうです。曲芸と言うかパズルというか、よく考えついたと思いますし、
雪深い東北で、これだけのことをこなすのはさぞかし大変だったと思います。

現代は、新幹線と接続のローカル列車、以上、という感じで、ダイヤの乱れの心配は局地的でしょうし、
利用者のニーズにも合っているのでしょうが、きめ細やかな昔の方が、何というか、執念みたいなものを感じてしまいます。


NCC183 投稿日:2022年02月26日 19:59 No.863
どうもです
もがみ1号の発車案内は乗車した時の撮影だったと思うので、1986年だったと思います。
新庄機関区の一般公開に行った時だったと記憶しています。

で、東北地方の急行ですが、仰せのように多層建てが多く複雑でしたね。
あげて頂いた例は最も典型的なものだと思いますが極め付きに複雑ですね。
分割だけ、併結だけというのは珍しくないのですが、
○○駅で△△を切り離して□□をつなげる、というのが複雑で
よく考えたと思いますし、それが乱れなく運行されるというのが流石でした。
併結した場合は通り抜け可能なので、片方には幌がないとだめですから
幌のことも考えておかねばならず、仰せのようにパズルのようですね。

限られた線路用量を有効に使いたいからだと思いますが、国鉄らしい姿のように思えます。




お名前
メール
タイトル
URL
画像添付


削除キー ( 記事を削除する際に使用 )
文字色