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旧井上邸

1: 舟珍vf:2024/04/05 12:28 No.5424
長井のこのお家、セイリングしていると沖合からよく見えました。
近づくと、下は荒磯なのでアブナいところ。
井上成美は海軍良識派として知られていますが、具に見ると肝心な場面で逃げ腰だったりした人で、批判も少なくはない人です。
各国どの時代にも、戦時下に軍の学校長を務めた人は、ときの軍中枢から遠ざけられる何かがあったと考えられますね。


2: T.M.@横浜:2024/04/06 09:14 No.5427
357頁には、井上成美がある時期から、
教育の仕事が一番自分に向いているという自覚を持ち、
海軍次官に就任した後も「私を江田島の村長に帰して下さい」と、
度々米内海相に訴えたというエピソートが書かれてます。
もう一つ、457頁には、昭和40年、井上成美の喜寿を祝う会を催した時、
「さきのいくさに私は責任を感じ、ここへ隠棲してしまった身」
だからと祝いの会を一旦は、辞退したが、「今回は、あなたの教え子たちが大勢出席する予定になった」と再度説得され、
「さうか。あの人達が待ってくれてゐるのか」と出席を承諾したエピソードが、書かれています。


3: 舟珍@スマホ:2024/04/06 12:36 No.5428
TMさん、レスをありがとうございます。
阿川のそれが一番有名ですが、ほかにも同傾向の良書が多いのが井上の特長ですね。


4: 舟珍vf:2024/04/06 13:01 No.5429
昭和10年代前半までは謂わば実戦派と軍政派がそこそこバランスよく両立していました。陸軍では皇道派と統制派、海軍では艦隊派と条約派。226事件以降はそのバランスが傾きます。
決して反戦派というわけではなかった軍政派が、戦後は雰囲気の中で反戦派だったような言われ方をされます。“文学”なのだからそれでよいのですが。
自衛隊の中にも実は小さな二項両立が生まれたり消えたりしますが、それは幕僚人事にチラッと現れるだけで、一般国民には決してわかりません。テレビの“まともな”コメンテーターの中で、ミサイルに関する非常に実務的な解説をときどきなさる元海将は謂わば艦隊派で、元統幕議長は条約派みたいな感じでしたが、無論、戦前とはちがい現代の自衛隊に好戦派はいません。

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