投稿者:T.M.@横浜
357頁には、井上成美がある時期から、
教育の仕事が一番自分に向いているという自覚を持ち、
海軍次官に就任した後も「私を江田島の村長に帰して下さい」と、
度々米内海相に訴えたというエピソートが書かれてます。
もう一つ、457頁には、昭和40年、井上成美の喜寿を祝う会を催した時、
「さきのいくさに私は責任を感じ、ここへ隠棲してしまった身」
だからと祝いの会を一旦は、辞退したが、「今回は、あなたの教え子たちが大勢出席する予定になった」と再度説得され、
「さうか。あの人達が待ってくれてゐるのか」と出席を承諾したエピソードが、書かれています。