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久し振りの 山歩き
仙岳 投稿日:2023年02月15日 11:45 No.2300
冬の寒さを忘れさせるような 穏やかな天気が予想されたので 出かけてみた。
昨年9月以来、丸5ヶ月振りの 三角点巡りの山歩きだ。
行き先は、目と鼻の先。

時間配分(実績)は、
  歩行時間:1時間25分
  運転時間:1時間15分
  そ の 他:   35分
  合計  :3時間15分  でした。

★ 久し振りの山旅だったが、普通に行動できた。
まずは、

【バイカオウレン鑑賞】
写真…左 山歩きに先駆けて、[バイカオウレン]を 観に行った
写真…中・右 今年の花は、ちょっと小さいように思われた


仙岳 投稿日:2023年02月15日 11:55 No.2301
【桑の又山 ④ H=321.7m】
http://maps.gsi.go.jp/#15/33.305750/133.085667/&base=std&ls=std|cp&disp=11&lcd=seamlessphoto&vs=c1j0h0k0l0u0t0

写真…左 山頂三角点では、穏やかな冬の日差しが あふれていた
写真…右 一般的な標石でした


仙岳 投稿日:2023年02月15日 11:57 No.2302
【日野地山 ④ H=295.4m】
http://maps.gsi.go.jp/#15/33.312750/133.075944/&base=std&ls=std|cp&disp=11&lcd=seamlessphoto&vs=c1j0h0k0l0u0t0

写真…左 樹木が少なくなっていた
写真…右 「四等」の左右のバランスが おかしい


仙岳 投稿日:2023年02月15日 12:03 No.2303
【茶臼ヶ森 ④ H=401.8m】
http://maps.gsi.go.jp/#15/33.246306/133.150306/&base=std&ls=std|cp&disp=11&lcd=seamlessphoto&vs=c1j0h0k0l0u0t0

写真…左 山頂は「城跡」地形
写真…中 そこに、大きな穴が・・・
写真…右 標石


仙岳 投稿日:2023年02月15日 12:05 No.2304
★ その「大きな穴」は、砲台跡だと・・・
穴の直径は、3.5mほど。深さは、2mほど。


タメやん 投稿日:2023年02月15日 14:32 No.2306 【Home】
大分前に茶臼ヶ森に登った時は、穴の中や周りは灌木が生えたりして荒れていたと思うが、大分清掃されていて驚いた。

茶凡遊山記 投稿日:2023年02月15日 21:27 No.2307
【桑の又山 ④ H=321.7m】と【日野地山 ④ H=295.4m】は、「松葉川温泉」から「春分峠」を越えて「梼原町松原」へ抜けた時の沿道、地形図を見るとカブを降りてちょっこり行けそうな場所にあるように思えました。

「鈴ケ森」周辺がまだ未踏で、いつか「松葉川温泉」をベースキャンプにして登りたいと思ってきましたので、その際には登ってみたいと思います。

【茶臼ヶ森 ④ H=401.8m】へは、「七里」の先輩の家へ田植えと稲刈りの手伝いに行く時に、いつもの「根元」や「下呉地」からではなく、「仁井田」のVICOTで「本在家」へと分岐し、「河原越隧道」付近で見て来たいと思います。


タメやん 投稿日:2023年02月16日 15:09 No.2309
そこ等辺の地形図を観ていたら、「三宝森③」と言うのがあった。

https://maps.gsi.go.jp/#15/33.266838/133.149293/&base=std&ls=std|cp&disp=11&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

三宝山は高知にも10か所位あるが、三宝森はここだけの様だ。

が、どうも山頂は大荒れらしい。

http://yamatomori2.web.fc2.com/newpage251.html


茶凡遊山記 投稿日:2023年02月16日 20:03 No.2310
高速道路ができるまで、国道56号線で六反地や山株を何度も走りましたが、背後にダムがあることを初めて知りました。

仙岳 投稿日:2023年02月18日 21:19 No.2319
私は【三宝森 ③ H=486.1m】へ[2013.H25.01.24(木)]に行っている。
家から直線距離で2.5Kmで、歩高= +216m/-20mで、歩行時間は1時間01分だったと記録されている。
山頂:東の林道終点付近から登った、とある。(因みに、【ダム】は、用水専用の貯水池です)

★ 私も 山頂の神社境内に着いて、その惨憺たる場景に、非常に驚かされた。
それでも冷静に標石を求めたことが書かれている。
広かったであろう「庭」は 見当たらず、建物も、鳥居も 倒木に覆われていたのだろう。
あちこち、うろうろ出来なかった。

☆ あの「MH-2」さんの表札もあった(H23.9.10 と書かれていた)が、離れた木に結ばれていた、とある。


写真…左 入口にあるはずの「手水石」が、この有様
     載り架かった「四角い木材」は、ノコギリで切られている
     (近くにあった 小屋の材木だろうか ?)

写真…中 三角点があると思われた所。手を付ける前の写真
     この杉の枝を[柄鎌]で切った
     すべてを 除けた時の写真が 次
    (この写真で、標石が どこにあるか、分かりますか ?)

写真…右 やっと「標石」を見つけました


仙岳 投稿日:2023年02月18日 21:30 No.2320
写真…左 天端だけが 見えていた
写真…中 ほとんど 完全に 埋もれていた
写真…右 手前を少し掘って「三等」を確認した


茶凡遊山記 投稿日:2023年02月21日 10:54 No.2325
茶凡遊山記 投稿日: 2023年02月20日 11:02:42 No.2321 【返信】
川が流れていないのでダムではありませんね、夜に明かけりゃ月夜と思い込む、いつもの早合点で失礼しました。

それにしてもかなり広大な貯水池ですが、この場所にこれほどの水が貯まることを不思議に感じました。

子どもの頃、西原の貯水池へ「ヒシ」を取りに行ったことを思い出しました。

何年か前に、タモリが"ブラタモリ"の「四万十川の曲がり角」の取材で西原を歩いていて驚きました。


標石は、写真…中の中央付近、杉の葉の下の部分ではと思い探していましたが、黒字で「三宝森」とある部分の白っぽい部分でしょうか。

写真…中と写真…右、ビフォーとアフターを見比べて、一汗かかれたことと思います、柄鎌での杣仕事お疲れ様でした。

何年振りかとなるエガマの響き、懐かしかったです。


仙岳 投稿日:2023年02月21日 14:14 No.2330
>> 標石は、「写真…中」の中央付近、杉の葉の下の部分では と思い探していましたが、黒字で「三宝森」とある部分の白っぽい部分でしょうか。

★私もこの写真を見てそう思ったんですが、そうじゃったら面白くないですね。
多分、この「写真…中」には 写ってないと思います。

★その日の『山行記録簿』によると、標石を見つけ出した時の様子が書かれています。
以下のとおりです。

◇三角点広場らしきに出る。しかしそこは何ということか、
はっきり言って 大きな神社があった空き地(境内)に大きな"杉"が数本も倒れかかってきている。
それで手水鉢も鳥居も建物も全部、すべて押し潰してしまっている。惨憺たる場景だ。

◇柄鎌で障害物を切り払いながら、また"点の記"を見ながらウロウロ歩き回り、
何か手掛かりはないかと探し廻りやっと探し当てた。
松の株から 2.8mが決め手で、計測して探し当てた。

◇標石は地表すれすれなので、探しにくかった。
Ucodeのチップが付いているので間違いないと思ったが、
念のため少し掘って、三等の"三"と、"等"を確認する。

★ ・・・・と書かれている。
ここで言う「点の記」とは、現在のもの[H21.12.25 調製]ではなく、
その当時[S45.11.25 調製]のもので、今も書斎に残っていた。

★次の写真で比べてみたら、標石は、杉の枝のもっと奥の方だったようにも見える。


仙岳 投稿日:2023年02月21日 14:43 No.2331
>> それにしてもかなり広大な貯水池ですが、この場所に これほどの水が貯まることを不思議に感じました。
★この【三宝森】に行った日は、この[池]の工事をしていました。
『池は 空っぽで、その 深~い底には、重機がいた』ことを覚えている。

>> 子どもの頃、西原の貯水池へ「ヒシ」を取りに行ったことを思い出しました。
★私の集落にも大きな池があって、子供たちの遊び場でもあった。
①「ヒシ」を長い竹竿に絡めて採ったりした。最近は、生えているのを見たこと ない。
 (池の内側の勾配を考えたら、大変危険な行為だった、と思う)

②渇水で池が干上がったら、部落総出で 池に入って(泥を掻き混ぜて)濁りに酔って出てきた「ウナギ」をたくさん捕った。
子供にとっては、数年に一度の楽しみだった。
(渇水で田んぼの水がなくなって、大人にとっては、つらいことだったろうが・・・)

③普段、池に湧くように たくさんいた「モツゴ」を 炊いた「ご飯」を餌に 釣りに行った。
たくさん釣れた。釣った魚を食うのが目的ではなく、釣るのが面白かった。

④冬の厳冬期。 終日、陽(ヒ)の当たらない池の端っこに張った氷の上に乗って遊んだ。
皆で乗ると、氷は「ミシミシ」と音を立てていた。
今思えば、大変危険な遊びだったと、思い出すたびに ゾッとする。

★★後で知ったことだが、
「三宝森」にあった神社は、「仁井田地区」の持ち分ではなく、
『松葉川分:本在家か、小野川か、勝賀野』の持ち分だと聞いた。


茶凡遊山記 投稿日:2023年02月22日 21:00 No.2332
 ヒシを取っていると、池の近くに住んでいるオンちゃんたちによく叱られましたが、あれはきっと池の岸の勾配の早さが危ないことを言ってくれていたのだと、今ならありがたいと思います。

 香川県の先輩の家の近所では、春のため池のゆる抜きが地元の一大行事だそうで、スッポンをけっこうな値段で買い取ってくれるそうです。

 三月の桜バヤ、子供の頃、川魚を普段食べない家庭でも、甘露煮などにしていたように思います、夕方に毛針でいくらでも釣れました、懐かしいです。

 氷の上に乗って遊んだ記憶はありませんが、小学校への通学路の、巨大なツララと霜柱の記憶がはっきりと残っていて、ツララはチャンバラができるぐらいでした。




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